球体人間

ぼくは友人がとても少ない。まあその最大の理由はぼくの人格に問題があるのは間違いない。しかし一方で、ぼく自身あまり友人を必要としていないということもある。友人を必要としないというとちょっと違うか。仲良しごっこは大嫌いだ、と言った方が良いかもしれない。

ぼくは偽物が大嫌いだ。これだけは本当に、ちょっと病的だと自分でも思うくらいに嫌いだし、怖いし、憎い。偽物って何? というと、これは答えるのは難しいのだけれど……そうだなあ、例えばぼくが死んだとき、存在しない神を前にして、俺は俺の人生を生きた、お前の負けだ、這いつくばって死ね、と神に向かって言い放てる、そのときぼくがどこに立っているのかというと、それはぼくがぼくの真実を生きた、というところに拠るしかないとぼくは思っている。そしてその足場を侵食するものが「偽物」なのだ。偽物に頼った人生は、おそらく最後の最後で、あるいはそのもっと手前で、神に頼らざるを得なくなる。ぼくはそんなのはごめんだ。

基本的にぼくの考えは、この世界は糞だというところから出発している。もちろん、世界にだって美しいものはたくさんある。というか無数にあるだろう。けれどもそんなことを言っているのではない。「人間」に対してこの世界が持つ根本的な不条理さのお話。で、そこに意味を見出そうとするのが宗教だとぼくは思う。何をされたって神を赦す。その覚悟があれば、なるほど世界の不条理さなんて何ほどのこともない。とまあ、これはまた別のお話だからいまは触れないけれど、ぼくは神というものを徹底して否定している。当然だけれど、誰かが信仰心を持っていたとして、それを否定するつもりはまったくない。ぼくのスローガンは「世界は主観でできている」なので、これはあくまでぼくが見たぼくの世界のお話。あなたにとっての神を冒涜するつもりは一切ない。

だから、その不条理な世界で、ぼくという存在の持つ意味というのは基本的に0になる。あらゆることに意味なんてない。死は突然やってくるし、ぼくの死によって世界はいかなる影響も受けない。そもそもそのような不条理さの総体として世界があるのだから。ぼくは無価値で、はきだめの中で無意味にのた打ち回って死んで、世界の端からゴミのように転がり落ちてそれっきりだ。

仲間もいないし、愛なんてものはそもそも存在しない。そんなものが存在できる世界ではない。

けれども、その上で、それを徹底的に真実として受け入れた上で、なおかつ「舐めるな!」と叫んで這い上がってくる人間が、ぼくは好きだ。この世に救いはない。仲間はいない。愛もない。ただ苦痛だけがあるし、希望はない。だけれど、だからと言ってそれは自分が世界に負ける理由にはならない。それを乗り越えて、ぼくは初めて、人は人になれるのだと思う。

そういったある種の死と復活を通っていない誰かが、どうして他の誰かと真の関係を結ぶことなどできるのか。それは結局のところ、ただ恐怖から目を逸らし、偽物の安逸の中で芋虫のように自我ばかりぶくぶくと肥大させるに過ぎない、偽物の人生だ。傷つくのが怖い、死ぬのが怖い、生きるのが怖い、独りが怖い。当たり前だ。世界は、そうできている。救いは、ない。だからぼくらは、存在しない神を乗り越え、自分の死も乗り越え、人間にならなければならない。

繰り返すけれど、これはぼくがそう考えるというだけで、あなたがどう考えるとしてもそれは自由だ。ぼくはぼくの考えが客観的に真実だなどとはまったく思っていない。

けれども、ぼくはぼくに対して、ぼくの世界において、そう考えている。

しかし明らかに、これは非人間的な考え方で、現にぼくは、ある時期まで、あらゆる人間を徹底的に侮蔑していた。こいつらはみんな芋虫だと思っていた。もちろん、これはおかしな話で、人間が人間であるということは、もっと自然なことであるはずだ。普通に生まれ、普通に苦しみ、普通に喜び、普通に一生懸命生きて、普通に惰眠を貪る。それの何も悪くはない。

ぼくは相棒に会って、初めて、自分とはまったく違う生き方、人生の捉え方をしていても、それでもなおかつぼくの尺度で測ってさえ人間であるとしか言いようのない者が存在することを知った。そして、自分の尺度とは別の何かを認めざるを得なくなった。なぜなら現にそうである人がいるのだから。

いまでも、ぼくの中心にあるものは、昔とまったく同じままだと思う。ぼくはいまでも、偽物を徹底的に憎むし、恐怖している。仲良しごっこ、友達ごっこ、偽善に偽悪は見ているだけで反吐がでる。ぼくが願うのは、本当の生だ。救いのない不条理だけのこの世界で、ただ人が人になることだけが、ぼくの願いだ。

それでも、自分という枠を超えることを、超えられることを、ぼくは知った。おそらく、いまのままでは、ぼくは人間にはなれないだろうということにも気づき始めている。ぼくは彼女を通して世界を見ることを学んだ。ぼくがぼく一人でいたときと、「世界は主観でできている」という言葉の意味はまったく違うものになっている。

そしてもちろん、昔のぼくを間違っていたと断罪するつもりもまったくない。ぼくが見た世界は、ぼくが見た世界として間違いなく真実であったし、だからこそ、ぼくとは違う真実を見ていた彼女と、互いに見つけあうことができたのだと思っているから。

ぼくらは二人とも、恐ろしく不完全な形をしている。それでも、それを恥じるつもりはない。少なくともぼくらは、偽物を見る目を持っているし、それを憎む点において共闘することができる。ぼくらが何らかの答えに辿りつくのだとすれば、それはぼくらの進む先に必ずあるだろう。

プラトンの『饗宴』の中でアリストファネスが語っているように、ぼくと相棒はある種の割符のような関係にあるのだとぼくは思っている。ぼくは (フロイト式のたわ言を抜きにして)物心がついて以来、彼女に会うまで誰かを愛したことはなかった。これからも、彼女を愛するような意味で愛することはない。そんなことはないだろう、と言われることもあるが、しかしそういう誰かさんの生き方とぼくの生き方はあまりに違いすぎる。だからぼくはただ笑ってやりすごす。もちろん、何度でも繰り返すけれど、ぼくとは違う価値観を持った人を否定するつもりはまったくない。愛には、それこそ人間の数だけの種類があるはずだ(そして同時に、「人間」の数しか愛はないとも思っている)。

ぼくが彼女との関係性を表すのに「彼女」や「恋人」ではなく「相棒」と言うのは、この世界でぼくらがぼくらであり、人間である、あるいは人間になるために絶対に必要な存在であると、相手のことを思っているからだ。存在しない神を相手にした、ぼくらが人であるための戦いの、彼女は唯一の相棒だ。

だから、ぼくがぼくの言葉を語る上で、相棒の存在を抜きにして語ることは原理的にできない。それでは、ぼくがぼくである意味がないし、ぼくになれるであろう可能性もない。

と、そんなことを言うとですね、いつも相棒に、「そんなことないんじゃない? 楽しいから一緒にいるだけでしょ」と言われまして、なるほどなあ、そりゃそうだよなあ、と思ったりするのです。まあそんなこんなでして、何かものすごいアンチクライマックスなんですけれども、どうなんでしょうね、やっぱりこれ、のろけなんでしょうか。良く分かりません。

虚ろ

きょうはですね、あまり明るくないお話です。ですから、もしこれをお読みになる方がわははと笑いたいな、とお思いになっているようでしたら、どうぞここでお読みになるのをお止めください。

さて、と改めるほどでもないのですが、ぼくはいわゆる善人ではありません。むしろ、ぼくはかなり冷酷な性格をしていますし、倫理観というものもほとんどありません。ところが、ぼくは見た目が真面目で優しそうに見えるらしくてですね、しばしば誤解を受けます。ぼくにも常識はありますので、初対面の人に向かって「ぼくは真面目ではないですし優しくもないので勘違いをなさらぬように」などと言ったりはしません。で、第一印象があまりに真面目で丁寧なので、後で本性に気づかれたとき、そのギャップの激しさからより一層嫌悪されることになります。困っちゃうよねー、えへへ、などと笑ってやり過ごすには、あまりにも双方にとって残念な結末を迎える場合が多いのです。とは言え、これがぼくという人間の出来具合でして、変えるのはなかなかに難しい。ま、それは今回の本題ではないのですが、ぼくが善人ではないということはこれからのお話の大前提になります。

次です。ぼくはいままでに、駅のホームから転落した人を引き上げたことが三回あります。三回、というのは、十五年程度に渡ってであることを考慮しても、恐らく相当な数字なのではないでしょうか。もっともそのそれぞれにおいて、ぼく一人で助け上げた訳ではなく、居合わせた何人かがかりで引き上げたのですが。
この三回とも、時刻は終電近く、落ちたのは酔ったサラリーマンでした。で、この話をするために先ほどの前提が必要になるのですが、これを読んでですね、「わあ、落ちた人を引き上げるなんて偉いなあ」などとは、絶対に思わないで下さい。こんなことはですね、愚の骨頂です。昔はともかく、いまは駅のホームに緊急ボタンみたいのがありますよね、あれを押せば良いのです。慌てて手を貸して自分までホームから転落したら、それこそ誰にとっても良いところなしです。それに、酔っ払った大の大人を引き上げるというのは、口で言うのは容易いですが、実際にやってみると途轍もなく重い。正直、全力で引っ張ってもびくともしません。逆にこちらが引き込まれます。最初のときは、五人くらいの男が全力で引っ張って電車の連結部に落ちた一人の男を引き上げました。そのくらい重い。ですから、決して手を出してはいけません。あなたも道連れになるのが落ちですし、そもそも、繰り返しますがいまはホームに緊急ボタンがある。

第一、本当にあなたが身体を張って助ける価値があるのか。ぼくは人前で酔っ払う人間が嫌いです。仮に辛いことがあったとしても、そんなのは誰もが同じです。みんなそれでも全力で戦っている。それでも、たまには酔いたくなるときもあるかもしれない。けれどその挙句に無様にふらついてホームから落ちて、真直ぐに立って世界と戦っているあなたに道連れの危険を冒させる権利など誰にもない。いや権利とかじゃないのかもしれないけれど、ぼくはそう思います。生きるというのは戦いです。誰もが戦っている。どんな理由があれ、自分の弱さ故他人を危険にさらして良いはずがないとぼくは思います。もちろん、そこに特別な関係がある場合は別です。そんなことは言うまでもないですね。

第二に、ぼくは手を出しますが、しかしいざとなったら、すなわち万一電車が進入してきて、もう引き上げることができないと判断したら、落ちた相手の顔を全力で蹴り飛ばしてでも、自分の身の安全をはかる覚悟をしています。その瞬間、絶望に歪んだ相手の表情を目にしてしまったとしても、決して後悔しないだけの覚悟を持って、手を出します。ぼくはそんなに優しい人間ではない。相手を殺すだけの決意がなければ、救うことなどできないと思っています。けれども、恐らく、あなたはそうではない。あなたは、きっとそんなに冷酷ではない。だから最後の瞬間に相手を切り捨てることが出来ずに巻き込まれて死ぬか、あるいは切り捨ててしまったことを一生後悔しながら、毎晩相手の最後の表情を夢に見ながら生きることになる。そうであるのなら、最初から手を出してはいけない。あなたがそんなリスクを負う義務はどこにもない。

それでも、そういった場面に遭遇したとき、ぼくがどうしても走り寄って落ちた誰かを引き上げようとするのは、要するにそれが、ぼくがぼくであるために必要なことだからです。ぼくは自分が人間でないことを知っている。だから、ぼくにとっての「人間らしい」行為に自分を懸けなければならない。極めてエゴイスティックな理由でやっているにすぎません。

もう一度繰り返します。誰かが転落しているのを見ても、あなたは決して手を出してはいけません。もちろんそれがあなたの信念であるのなら、ぼくには何も言う権利はありませんが、しかしそこに何の価値もないことを、ぼくは断言します。

これが前提の二つ目。ここまで来て、ようやくきょうの本題に入ることができます。

あるとき、とある駅で終電を待っていると、急に大きな物音がしました。しばらくはぼんやりしていたのですが、はっとしてそちらを見ると、男の人が線路に転落しています。酔っ払っているらしく、ふらふらしながらホームに上がろうとしていますが、まったく力が入らない様子です。瞬間、ぼくは走り出しました。二十メートルくらい離れていたでしょうか。走り寄る間に、誰かがボタンを押したのか、ベルが鳴り始めます。
昔は、こういうことがあると、近くに居るサラリーマン達がいっせいに集まって引き上げようとしたものですが、最近はそんなこともなくなりました。前述の通り、これは正しいことです。むしろ手など出さない方が良い。緊急ボタンを押せば電車は止まりますし、下手に手を出せば、万一の場合犠牲者が増えるだけにしかならない。電車が緊急停止したとしても、慌てて手を貸して自分も転げ落ちて、足でも折ったら大変です。だから手を出さないのは絶対に正しい。

と言いつつ、もう一人若い男も手を貸してくれ、二人がかりでその酔っ払いを引き上げることに成功しました。その酔っ払いは、そもそも何が起きたのかを正しく把握できていないのでしょう、そのまま逆側の壁に凭れて何やら不機嫌そうにぶつぶつ言っています。ぼくはさっさとその場を離れました。繰り返しますが、あなたがこんな奴のために少しでも危険を冒す価値はない。そもそも、これは人を救うことにすらなっていない。電車は緊急停止してくれるはずですから。

やがて駅員がのんびりした足取りで現れ、これはぼくにはちょっと意外だったのですが、離れたところからその酔っ払いが無事であることを確認し、そのまま去っていきました。緊急ボタンが押された時点から、監視カメラか何かで見ていたのかもしれません。この辺はちょっと記憶が曖昧ですが、とにかく、その酔っ払いを駅長室に連れて行くでもなく、壁に凭れて酔いつぶれたままにしておいたのは確かです。まあ、ぼくにとってもそんなことはどうでも良いことなのですが。ぼくは外で無様に酔っ払う人間に同情するつもりは一切ないのです。そんなに、心優しい人間ではない。

その場で起きたことは、これですべてです。けれども、本当に恐ろしい話は別にあるのです。もう一人の人と酔っ払いを引き上げているときに、ぼくは見ました。もがいているぼくらのすぐ後に立っていた若い男が、何とも表現しようのないニヤニヤ笑いを浮かべながら、ぼくらを、というより転落したその酔っ払いを、携帯電話のカメラで撮影していたのです。信じられますか? 残念ながら、ぼくは信じられます。ぼくは、もうその男の姿を一切覚えていません。そもそも最初から、そんなものは目に入っていなかったのかもしれません。けれども、彼の眼だけははっきりと覚えています。そこには、真黒な穴がぽっかりと開いていました。真の虚無。ただ、虚ろなニヤニヤ笑いだけが浮かんでいる本物の闇がそこにはありました。

ぼくは、ぼくほど最低な人間をまず見たことはありません。けれども、ぼく以上に異様な何かが、確かにぼくらの間に紛れ、普通の顔をして暮らしているのです。

ぼくは、それがとても怖い。本当に怖いのです。

紳士教育

昼に相棒と落ち合って、大学近くの喫茶店へ行く。値段や味はともかく、眺めは良かった。帰りに大学の周りを少し散歩。馬術部の女の子が馬に乗っていて、隣ではヤギが何やら互いに話し合うように頭を寄せ合っていた。別れた後、しばらく自分の院生室で勉強をして、夕方、相棒の院生室にお邪魔してお茶を飲んだ。
昔ぼくは、バイクに乗って世界を旅するフィールドワーカーになりたかった(別にモーターサイクル・ダイアリーズの影響を受けたわけではない)。いま、何故か日本の大学の院生室の片隅で、机に向かって本を読んでいる。いまだに免許は持っていない。けれども、きょう、本を読みながらノートをとっていて、それはそれで、十分ぼくは幸せだった。

という訳で、何か明るい話を書きます。

子供の頃、ぼくはとにかくよく転ぶ子供でした。どたばた走り回っては、しばしば階段から転げ落ちるのです。小学校に上がるまでは平屋暮らしだったので、自宅の階段を転がり落ちることはなかったのですが、すぐ近くの団地に母方の祖母が住んでおり、お祖母さん子だったぼくはしばしばそこへ遊びに行きました。で、何しろ古い団地ですから、階段はいつも湿ったコンクリートの匂いがしているような感じで、ぼくはそこをしょっちゅう転がり落ちました。いまの場所に引っ越してからは、家が二階建てになりましたので、もう思う存分自宅で階段から転がり落ちることができる。

いやもちろん、落ちたくて落ちるわけではありません。不注意な上に、成長期には良くあることらしいですが、足の長さが左右で違うということもあったようです。しかし幸いにして身体が柔らかかったのと、子供の頃は背が低かったのと、あと何しろ頭が硬かった。パキケファロサウルス並に硬い。いやさすがにこれは嘘だけれど。

で、さすがに両親が見かねて、もっと静かに慎重に歩きなさいとぼくに言いました。紳士たるもの、どたばた足音を立てて歩くなど論外である、と。ぼくはとても素直な子供だったので、なるほど、足音を立てずに歩かなくてはいけないのか、と思い、それからはもうあれですよ、ロッキー(第一作)のトレーニングシーンを思い浮かべてください、あんな感じでですね、いかに静かに歩くかの特訓をするわけです。お肉屋さんで肉をパンチしたりして。あれ商品買わされるお客さんからしたら困った話ですよね。それとも逆に肉が柔らかくなって好評なのかな。もしかしてあれ、肉を柔らかくするバイトだったのかな。もうストーリなんて全然覚えていないや。まあともかく、そんなこんなの血の滲むような努力の結果、ぼくはついに足音をほとんど立てずに歩けるようになったのです。あれ、紳士を目指していたはずが、日常が忍者! みたいに。

ぼくは誰かと歩くときは右斜め後に位置するのが好きでして、これだと相手からはぼくを直接視認できない。しかも足音を殺しているので、ちょっとあれですね、想像すると結構不気味かもしれない。そういえば大学時代、ぼくは人形劇のサークルに入っていて、まあそこは女の子が多かったんですけれど、そのうちの一人とサークル棟の中を歩いているときに、「cloud_leafくんと歩いていると、居るのか居ないのか分からない」と言われたことがあります。何故かそのことをいまでもはっきり覚えているのですが、考えてみるとこれ、その後に「正直言ってcloud_leafくんってちょっと不気味!」とか、きっと彼女の心の中ではそんな台詞が続いていたに違いない。凄いよ父さん、紳士って不気味な存在だったんだね! この年になってようやく分かったよ。

けれども、恐ろしいことに、いまぼくは、足音を立てて歩くことができないのです。そりゃもちろん、一歩一歩意識して、四股でも踏むようにどすんどすん歩けばできますよ。でもそれじゃあ不気味を通り越して変な人です。

いちばん困るのが、夜道で少し前を女性が歩いているときとかです。いまのぼくは身長が伸びてしまい、また歩く速度も速いので、大抵の人が歩いているのを追い越してしまうことになります。想像してみてください、暗い道を歩いていると、後から足音も立てずに一人の紳士が迫ってくるのです。これは怖い。かと言ってですね、追いついたりしないようにゆっくり歩くと、これはこれでまた怖い。相当にふらーりふらりと歩く感じにしないと追いついていしまいますから、もの凄くふらーりふらーりとしなくてはならない。別に酔っ払っている訳ではないのですがひどい文章ですね。

相手がぼくに気づけば(当然ぼくも、完全に無音で移動しているのではありませんから)、足を速めて距離を取ろうとします。けれど生半可な早足では、ぼくは追いついてしまう。逆に気づかれないと、ある瞬間、突然黒い影が、すっと自分の隣を通り過ぎていくことになる。相手がぎょっとするのが良く分かります。ちょっとですね、気分はフランケンシュタインですよ。ぼくはただ普通に道を歩きたいだけなのです。でもみんな怯える。もういっそのこと、拍子木持って火の用心火の用心絶叫しながら家に帰ろうかな。

だから皆さんもですね、もしお子さんを育てることがありましたら、あまり極端に紳士教育をしない方がよろしい。ぼくみたいに訳の分からない生き物が育ってしまいますからね。

よし、今日は明るい話を書いたぞ! 書いた、ぞ……?

愛のためにぼくは戦う!

と言う訳でですね、きょうはあれです、ぼくの愛の深さについて語ろうと思うのです。普段このブログをお読みの方なら、どうせまたバカな話をするのだろうとお思いでしょうが、もちろんそれは正しい。

さて、いまぼくは、とある大学の農学研究科で環境思想を勉強しています。まあその内容に関してはまたいずれ書くとして、ここの大学院には相棒も在籍しているのです。仕事をやめて大学に入りなおしたのは彼女と同時期ですが、ぼくは院に進む前にある理由から一年のブランクがあり、いまは彼女の方が一年先輩です。

でまあ、相棒は調査だ何だと言っては海外に行ってしまう。あとかなり天気の悪いときでも国内の研究林に行ったりする。林とは言え実質山ですから、もう相当に心配です。土砂崩れとか。もともとぼくは病的に心配性なので、これは早死にするよねと思うくらい心配して、結局彼女の近くにいれば安心だよねという結論に達しました。博士課程でここの大学院に転学した理由の一つには、こういったことがあります。研究科は違いますが、大枠は同じですから、ある程度調査に同行したり同じフィールドで研究したりできるだろうと踏んでいる訳です。不純ですね。いやそんなことはない!

ところがここに一つ問題がありまして、ぼくは環境思想なんてやっているにも関わらず、ある種の虫が極めて苦手なのです。はっきり言うと、カタツムリとか、カタツムリから殻を取ったあれ、あれです、やっぱりはっきり書けないので、なあさんと呼びましょう、そのなあさんがダメなのです。どのくらいダメかと言いますと、それを見てしまってから一週間は悪夢にうなされ、食欲がなくなり、些細なことで奇声を発して走り出してしまうくらいダメなのです。会社も休みます。あとひいさんもダメ。血を吸うやつね。なあさんとひいさんに関しては幾らでも奇妙なお話をしてさし上げられるのですが、きょうはそれは割愛。

で、彼女がしばしば登る研究林には、このなあさんとひいさんがたくさんいる。もの凄いたくさんいるらしい。ちょっとですね、この世の話とは思えないほどです。俺騙されているのかな? いやそんなことはないでしょう。どうせこの世界は悪夢です。それは間違いない。

だから彼女にくっついて研究林に行くとか熱帯のジャングルに行くとか、そりゃ言うのは簡単ですし、実際もう博士課程に来ちゃいましたし、後には引けないんですけれど、これは怖い。いまから怖い。想像しただけで失禁しそうです。と言うか、ジャングルに行って帰ってきて、そのぼくがいまのぼくと同じ人格を保有しているという自信がない。恐怖のあまり別の存在に変わってしまうかもしれない。

ただ、無駄なことばかりに頭が働くことで有名なこの私です、たかが数センチの軟体動物になど負けてなどいられない。数十センチのもいるよ、などと言わないで下さい。言わないで下さい!

で、まず考えたのは宇宙服です。ソビエトが崩壊して、恐らくかなりの数の宇宙服が流出したはずです。闇オークションで五百万円も出せば買えるのではないでしょうか。宇宙服さえ着ていれば、あれは完全密閉されていますから、なあさんもひいさんも怖くはない。見ちゃうのは嫌だから、赤外線センサーか何かを取りつけて、外界はそれで認識する。問題は闇オークションなんてものがあるのかどうかぼくは知らないということ、そして知っていても五百万なんてお金はないということ。何しろ昨日お財布を覗いたら、四円しかありませんでしたから。いやスイカがなかったら危なかった。

次に考えたのが、とりあえずジャングルを焼き払うことです。そうすればぼくも安心してジャングルについていける。けれどそれでは彼女の研究対象がなくなってしまうし、そもそもこれ、環境保全を何年も勉強してきた人間の発想ではない。ちょっと落ち着こう。

最後に考えたのが、結局正攻法です。苦手なら、少しずつ慣れていけば良いじゃない。そこでいかにも環境を学んでいる人間っぽく、IUCNのサイトから2004年度版のレッドリスト(2004 IUCN Red List of Threatened Species “A Global species Assessment”)をダウンロードしました。これ面白いので、みなさんもお時間があるときにぜひご覧になると楽しいと思います。

で、ここにはいろいろな絶滅危惧種が写真つきで載っています。とても勉強になります。みんな、いつまでも元気に地球上で暮らして欲しいと思う。それは本当にそう思いますし、そのためにもがんばって研究しないといけない。ぼくはなあさんもひいさんも苦手ですが、しかし嫌いではない。この区別は重要で、だからぼくは、なあさんもひいさんも元気に過ごせるのであれば、それは素晴らしいことだと思います。

しかしですね、51ページをご覧下さい。想像を絶する生き物がいる。殻に毛の生えたカタツムリと、何だか虹色っぽいバーコード模様の入ったなあさん。嘘じゃないって! ぎゃあ、何だこれ! ここは地球ですか!? 風はどうですか!? 探し物は何ですか!?

と、錯乱しながらも、毎日これを少しずつ眺めて身体と心を慣らしていく。最初はpdfの表示倍率を12.5%くらいにして、片目だけ、しかも薄目にして、当該ページを高速スクロールしながら見る。いやこれほとんど見ていないけど。でもって、少しずつ倍率を上げて、スクロールを遅くして、目を開いていく。

長々と書いてきましたが、結論を申し上げます。相棒と同じ大学院に行くと決めてから数ヶ月間、ずっとこれをやってきましたが、いまだに状況は改善しません。今朝、我が家の庭になあさんがいることが判明し、出家を決意しました。相変わらずぼくはなあさんがダメなままです。ああ、ダメなのはぼくの人間性ですか、そうですか。それではみなさん、さようなら。

ニコラス・ケイジ・メソッド

ただでさえ憂鬱なことが続いているときに、さらなる一撃を喰らうということはしばしばあります。血を吐く思いで学費を払い込んで家に帰ってみれば税金の督促状が届いていたり、雨の日に車に水を撥ねかけられてずぶ濡れになったと思ったら、突風が吹いて傘の柄で額を強打したり。いやまあそのくらいのことならどうということもありませんが、実際問題、これは人として我慢の限度を超えているだろうと思うときもあるでしょう。

そんなとき、決してキレてはなりません。いまさら新聞の一面を自分の雄姿で飾るような暴挙に走っては、せっかくこの年まで重ねてきた辛抱が水の泡です。キレやすい十七歳なら社会現象とも言えるかもしれませんが、キレやすい三十云歳にはいかなる言い訳も許されないのです。

そこで、そんなあなたにとっておきの方法をお教えしましょう。何を隠そう、常に憤怒にかられているこのぼくが、幾年にもわたって自分を抑えるのに成功し続けてきたという折り紙つきの方法です。名づけてニコラス・ケイジ・メソッド。ニコラス・ケイジ。みなさんもご存知の俳優です。バーディのアル、素晴らしかったですね。赤ちゃん泥棒も良かったですね。で、そのニコラス・ケイジを利用します。

いま、あなたが、我慢の最後の限界を超えたとします。その瞬間、時間を少し巻き戻して下さい。そしてあなたをニコラス・ケイジに置き換えます。耐え難い人生の雑事に耐えるニコラス・ケイジ。あの気弱そうな、けれどどこか危うさを秘めたヘラヘラ笑いのクローズ・アップ。あなたが耐えてきたあらゆる不幸を、ニコラス・ケイジが代わりに耐えています。困ったようにヘラヘラ笑っています。そして時間がいまに追いつき、ついに我慢がある一線を超えます。ニコラス・ケイジのヘラヘラ笑いに、ある種の輝きが溢れ出します。笑みを浮かべたまま、彼は狂気に突っ走ります。周りにあるすべてのものを、容赦なく破壊し始めます。

どうぞ、あなたの頭の中で、突き抜けてしまったニコラス・ケイジを、思う存分暴れさせてやってください。そしていままでの我慢すべてを怒りに転化し世界にぶつけるニコラス・ケイジを良く観察してください。あの気弱げな笑顔のまま、けれどその目はぼくらには見えない何かを見据え、どす黒く冷たい憤怒で満たされています。

やがてニコラス・ケイジは、あなたを置いて、怒りに全身を燃やし尽くしつつ、世界の果てに向かって走り去っていきます。それが、一線を越えてしまったあなたの姿です。

あなたは本当に、そんな風になりたいのでしょうか? どうか彼の笑顔を、思い出してください。あなたは決して、そうなりたい訳ではないはずです。耐え難い怒りはニコラス・ケイジに任せ、ぼくらはもう一度だけ、耐えてみようではありませんか。これが、ニコラス・ケイジ・メソッドです。

まさかとは思いますが、ここまでまじめに読んでくださった方がいらしたら、ぼくは言いたい。本当にごめんなさい。いやでも、ぼくは結構まじめに、このニコラス・ケイジ・メソッド、役に立つと思っています。

で、これ、ニコラス・ケイジでなくては駄目なんです。ジャック・ニコルソンでは最初からキレまくっています。ゲイリー・オールドマンでは最後まで狂気を貫くには気弱すぎます。クリント・イーストウッドでは狂気に取りつかれるまでもなくマグナムをぶっ放します。テレンス・スタンプでは悲しみが大きすぎます。チャールズ・ブロンソンとチャック・ノリスの違いがぼくはいまだに分かりません。

敢えて言えば、アル・パチーノとサモ・ハン・キンポーはかなり良い線行っています。まあその辺はお好みに合わせて改変してくださって結構です。要は限界を超えてしまった自分の姿を何者かに移し、あるいは映し、その蛮行を外から観察することで、キレることを未然に防ぐことさえできれば良いのです。

えっと……駄目ですか? そうですか……。ぼくは結構良いと思うんですけれど。

天才の悲劇

先日、TVで”Pollock”をやっていました。有名な映画ですので、ご存知の方も多いかと思いますが、ジャクソン・ポロックの生涯を描いた映画です。けれども、ぼくはどうにも好きになれませんでした。非常にまじめに作られた映画であることは間違いありません。しかし結局のところ、これは昔からある「天才の悲劇」を扱った陳腐な物語に過ぎません。

もちろん、それはあくまでぼくの主観でしかありませんから、あの映画を良いと思う方がいらしても、それを否定するつもりはまったくないのです。ただ、生き残ることだけを目的に生きているぼくのような人間からすれば、「天才の悲劇」という物語構造はもっとも唾棄すべきものなのです。

“Basquiat”もそうですね。確かにとても胸を打たれる。特にラストの、友人の運転する車に乗って街を疾走するシーン、ぼくは涙なくしては観られない。それでも、観終った後でふと疑念が生じます。なぜ、悲劇で終わらなければならなかったのか。

当然それは、バスキアの生涯がそうであったから、ということになりますが、ここで言っているのはあくまでも物語としての「バスキアの生涯」です。どちらの物語も、「天才の悲劇」である前にひとりの人間としての悲劇を描いているのも事実でしょう。しかしそれなら、そこにポロックやバスキアのような天才を持ってくる必然性はない。

繰り返しますが、このような物語には価値がない、と言っている訳ではまったくありません。 あくまでぼくの主観の問題として受け入れることができない、ということです。なぜ、悲劇で終わらなければならないのか。

ぼくは、多くの人間がそうであるように、特別な才能のない凡人です。けれどもそれは、決して恥ずべきことではない。とんでもない! むしろそれは誇るべきことでさえあるとぼくは思います。ぼくには、恐らく世界と戦うような機会は一生与えられないでしょう。ありきたりの日常を生き、老い、死んでいくのでしょう。

けれども、その平凡な人生を送るということは、決して平凡ではない。特別なことが何もない日々を生き、自分で在り続けること、それはぼくらが考えるよりも、遥かに困難で、その一瞬一瞬が奇跡的な勝利の連続だとぼくは思います。

「天才の悲劇」という物語を楽しむのは誰でしょう。それはぼくら凡人です。だからこそ、ぼくは言いたいのです。そんな物語よりも、ぼくの、あなたの日常の方が、比較にならないほど英雄的であるのだ、と。あなたが今日目覚め、人生の雑事に立ち向かい、あるいは逃げ出し、恥をかき、惨めに這いつくばり、ほんのささやかな喜びに微笑み、そしてとにかくも、夜再び眠りにつく。生きて、また明日を迎える。それはもはや悲劇的という言葉すら超えた、死で終わることを約束されてなお戦い続ける、気高い、凡人の勝利の物語です。

「天才の悲劇」など、ぼくには必要ありません。

さて、けれども、ここまで書いてきたことがすべて、単にロジックの問題でしかないことを認めなければなりません。ぼくはぼくの限界として、論理を超えることはできない。そして論理で語れるあらゆるものは、政治システムや宗教と同様、大して意味のないことです。

「天才の悲劇」は、論理を超えたところに確かに存在する。それを、例えばシーレやゲルストルの絵を観たとき、魂の直感として感ぜざるを得ません。ぼくがシーレの絵を初めて観たのは、確か東京ステーションギャラリーでした。あの時の衝撃は、いまでも忘れることができません。何を描いても、誰を描いてもどうしようもなく自画像になってしまう、シーレが抱えた圧倒的な孤独。それでもなおかつ昂然と立つその悲しいまでの美しさ。最も好きな画家です。

ゲルストルについては、ぼくが無知なだけかもしれませんが、日本ではそれほど有名ではないようです。しかし彼もまた、「天才の悲劇」を生きたひとりでしょう。もしご覧になったことがなければ、googleの画像検索で”Richard Gerstl Self Portrait Laughing”を検索してみてください。

「笑う自画像」。これほど恐ろしい笑顔を、ぼくは見たことがありません。この笑顔を説明する言葉をぼくは持ちません。けれどこれが、ぼくの知っているこの世界とは断絶したどこかへ向けたものであることは分かります。あるいはそのどこかを垣間見てしまった者がふとこの世界を振り返ったときに見せる笑顔。いずれにせよ、このような笑みを浮かべた者が、この世界で生きていられないことは、明らかです。シーレもゲルストルも、若くして死にました。

凡人たるぼくには視えない世界を視てしまうのが天才なのだとすれば、確かにこれは天才の悲劇です。

だから生きることに全力を尽くすぼくのような凡人からすれば、天才というのは―それに憑かれた人間を、名もないどこかへ連れ去っていく―まさに生に対立する敵でしかないのです。

ロシアの地を踏む

1989年11月、というと、何を想像するだろうか。ぼくは当時高校生になったばかりで、いまとなってはほとんどのことが薄やみの彼方に消えてしまったが、それでも幾つかの事柄と、そのときにぼくが感じたことだけはいまだにはっきりと心に残っている。1989年11月、それはもちろん、ベルリンの壁が崩壊した時だ。ぼくは資本主義が素晴らしいとも、共産主義が人類の理想だとも思わない。そんなものは所詮、人間が作り出した下らないイデオロギーに過ぎない。それでも、あのとき、東西を分断していた壁が壊され、人々が出会い、抱き合い、歓喜し歌を歌い合っていた光景は、ブラウン管越しに見ているぼくにもリアルに伝わってきた。無論、そんな希望が長続きするはずもなく、東西統合の熱気が冷めたあと、様々な問題が噴出した。そして1990年には湾岸戦争が始まり、1991年ソビエト連邦が崩壊。翌年、ぼくは大学に入った。

時が過ぎて、2000年の12月、ぼくは相棒とともに、ロシアの地を踏んでいた。と言っても、ユーラシア大陸へ行った訳ではない。麻布台にあるロシア大使館に行ったということ。相棒がどこからか、ロシア大使館でロシアの若手芸術家による絵画展をやると聞いてきたのだ。大使館の周辺には警官が何人も警備に立っており、扉も建物も異様なまでに堅牢で他者を拒絶する雰囲気に満ち、重苦しい。それでも、ぼくらのような一般市民が、絵画を観にその中へ入るなど、ほんの数年前には想像すらできないことだった。いや本当はそういったイベントが開かれていたのかもしれない。ぼくらが知らなかっただけかもしれない。それでも、普通に生活をしていてそういった情報に触れることができるようになったのは、やはり時代の変化だと言って良いだろう。

ぼくらは二人で、大使館の中をうろうろした。もちろんルートは決められているし、要所要所には明らかに文官とは思えない雰囲気を発散させている男たちが立っている。そして肝心の絵は、こういっては何だけれど、少なくともぼくらの魂をふるわすようなものではない。先入観かもしれないが、やがて来るべき資本主義社会に対する熱気と言うか、非常に俗っぽいものが感じられた。あるいはどこかで見たような画風。

けれども、ぼくらにはそれを否定する権利はない。腐敗は自由との引き換えで、それは決してぼくらが非難できるものではない。その自由に対するある種純朴なまでの信仰、期待、切望。ぼくらはその向こうにあるものが虚ろで空しいものだと知っているけれど、だからこそ、彼らの純粋な思いを否定できない。

結局、ここまで書いてきて何が言いたかったのか、自分でも実は良く分からない。それでも、ぼくらが子供だった頃には想像もつかないほど、世界は変わった。ぼくは、ほんの一瞬、世界が希望に満ちたときのことを忘れない。その後世界は悪くなった。それでも、ぼくが感じたあの希望は、決して嘘ではない。そしてぼくは、確かにロシアの地を踏んだ。ぼくらが入ることなど想像もできなかったところに行き、そこでぼくらと変わらない人間の欲望を見た。それは救いのない話ではあるけれど、ぼくらが同じであることは唯一の希望でもある。

ぼくらが子供の頃、冷戦というのは確かに存在して、けれどもそれは壊れて、そしてまた訳の分からない壁が無数に造られた。けれど一瞬垣間見えたその向こうに、ぼくらと同じ、どうしようもない人間の姿が見えた。世界は複雑に見えるけれど、でも、その一枚向こうには、案外シンプルな希望がある。