数日前、夜中に大学時代の先輩からメールが届いた。大学といってもぼくが最初に通ったところの話だから、もう十何年も昔の話だ。先輩とは一年に一度くらい会い、どこかで食事をしながら互いの近況を話すような関係が続いていたけれど、去年はまったく会うことができなかった。メールのやりとりも、本当に数回だけ。だから、ひさしぶりの連絡は嬉しかった。先輩はぼくのブログを読んでくれたらしく、メールには、昔のように、短いけれど的確で、そして励まされるようなコメントが書いてあった。
ぼくらは、先輩とぼくと、そして相棒は、みんな人形劇の部員だった。部員はたいてい真面目で優秀だった。それはそうだろう。偏見かもしれないが、可愛らしい手袋人形を作って、近くの幼稚園へ公演に行こうなんて若者ばかりが集まっているのだ。真面目で、優しいひとが多かった。そしてもちろん、ぼくは突出した落ちこぼれだった。ぼくの知るかぎり、あの部で退学したのはぼくだけだったのではないだろうか。それでも、ぼくらは毎日楽しく過ごしていた。
卒業してみれば、もう、ぼくらはほとんど関わることもなくなる。何か、起きなくて良いことでも起きないかぎり、ぼくらが多少なりとも集まることはもうないだろうと思う。別に何があったという話でもなく、学生時代のつき合いには、少なからずそういう面があるのではないだろうか。何もネガティブな話をしているのではない。むしろそれは、もの凄くポジティブなことなのだろう。学校という特殊な環境で、ある特殊な年齢のときに出会う。その特別な環境が、もしそれ以外の場所、それ以外のときに出会っていれば口さえきかないであろうような人びとを仲間として、ほんの一時のものに過ぎないとしても仲間として、ぼくらを結びつける。
ぼくはいま、ふたたび大学生をやっている。けれど、昔ぼくが本当の学生だったころのような関係性は、いまの大学のひとたちとは決して結ばないだろうと思っている。それは昔の彼らとの方が気が合ったからでもないし、いまの彼らと気が合わないからでもない。そんなことはまったくない。けれど、当たり前だけれど、ぼくはもう、本当の意味で学生ではない。大人になったということではなく、単にその時期を過ぎたというだけのこと。
先輩や相棒や、一部のひとを除いて、そのとき仲間だったたいていのひととは、いま会っても、きっと互いに気まずくなるだけだと思う。それは誰が悪いとか、関係が悪くなったということではない。繰り返すけれど、要するに、その一瞬に働いていた奇跡のような力が失われたというだけのことだ。それは少しばかり寂しいけれど、仕方のないことだし、その時代を失うことによって得たもの、失わなければ得られなかったものもたくさんある。
初めの大学を受験したとき、隣に女の子が座った。とはいえそれを意識していたわけではない。ぼくは田んぼしかないような土地から出てきたばかりで、試験だけでなくすべてに対する緊張のあまり、胃が痛くて周囲を見回す余裕などなかった。そのとき、その子がぼくに話しかけてきた。どうやら、鉛筆削りを忘れてしまったらしい。とんでもないところで大ポカをやらかすが、そういう細かいところでは抜かりがないのがぼくだ。もちろん鉛筆削りは持っていた。ぼくはその子との間に鉛筆削りを置いて(席はひとつ分空いているだけだった)、気にせず使ってね、と伝えた。
それからしばらくして、どうにかこうにか合格していたことが分って、さらにひとつきが過ぎたころ、ぼくはとあるきっかけで人形劇部に入った。そこで幾人ものひとと知り合い(そのころは女の子ばかりで、ぼくはまた胃を痛くした)、さらに数ヶ月が過ぎることには、すっかり部室に入り浸るようになっていた。そんなとき、同級生の女の子がぼくに言った。あのとき、鉛筆削りを借りたのは私だったんだよ、と。無論、ぼくはそのことは覚えていた。覚えていたけれど、まさかそれが彼女だとは思いもしなかった。彼女は笑って、あのとき鉛筆削りを忘れてすごくどきどきしていたんだけど、貸してもらって、少しお話をして、気分がおちついたんだよ、と言った。
いま、ぼくの手元には一枚の写真がある。等身大の人形を使った人形劇の、劇中の一枚だ。それ以外の写真はすべてどこかへいってしまったけれど、これだけがなぜか手元に残っている。人間と人形が同じ舞台で共演するという、ぼくらとしてははじめての試みで、ずいぶんと無茶をしたし、無茶を言った。楽しかったけれど、きっとずいぶん迷惑もかけただろう。それでも、やはりそれは大切な記憶だ。
振り返ってみれば愕然とするほど多くの大切なものを切り捨てて、いまの糞のようなぼくに辿りついた。それはそれでいい。後悔するということは、切り捨ててきたすべてのものに対する裏切りであり、礼を失することだ。だからネガティブな意味ではなくどこまでもポジティブな意味で、信じてもらいたいと本当に心の底から願うのだけれど、あのとき仲間だったすべての人たちと笑い合った記憶は、いまでも確かに眩く、ぼくの心のなかに残っている。