ともあれ、技術者倫理というとけっこう枠が決まっていて楽じゃな~い? みたいなイメージがありますが、いやあるのかな、けれどいちばん最初にプロフェッションについて話すとき、いつも苦労するところがあります。それはプロフェッションとは何かというお話。ぼくはナイチンゲールの〝Notes on Nursing for the Labouring Classes〟からの引用、といっても『誇り高い技術者になろう[第二版]』からの孫引きですが、次の箇所を使います。
これはなかなか普段ひとに伝わることがなくて、だいたいぼくが博士課程のときにいた研究室なんてマルクスがベースですから、っていうかぼくは(中退しなかった)二つ目の大学は神学士なので何でマルクス系なんかに行ったのだろう。とてもとても良い研究室でしたけれども。そう、だから伝わる必要はない。でも伝わるとやはり面白い。リヒターの演奏には神が居る。間接的にぼくはそれを感じる。けれどもそれは、リヒターを、彼の演奏を通して間接的にということではなくて、ぼくには決して知ることができないそれそのものがそこに顕現していることを、繰り返しますがその空白を通して直接にということです。Karl Richter、Toccata & Fugue In D Minorで検索していただければ、どこかで動画が見られるかもしれません。真に驚くべき存在。
と、そこまで深刻な話でなくても単に「この音楽良いよね!」ということでもぜんぜん問題なくて、たまたまひさしぶりに坂本龍一のアルバム『左うでの夢』を聴いていたら、「あ、これcallingじゃん!」というのがあったので、そのお話を。『左うでの夢』は1981年のアルバム。もう40年以上昔のものとは思えない、時代を超越した音楽です。と同時に、この時代のテクノの音って凄く懐かしい。いまこういう音ってないのではないでしょうか。あ、いかん、話がずれる病が。このアルバムに「Tell’em To Me」という曲があって、この歌詞、昔ぼくは凄く怖かった。曲調も怖いのですが、当時ぼくはchrysanthemumという単語を知りませんでした。歌詞も知らずただあやふやに聴き取るだけだったので、坂本龍一の歌う「yellow chrysanthemum」というのを、何か全身黄色い毛がもさもさ生えているイエティみたいな生き物の母親(しかもそれは母親的なものの元型でさえあるような……)だと思っていました。少し離れたところに山脈の見える茫漠とした荒野、そこに立つ一軒の家。ふと窓の外を眺めるとイエローなchrysanteマムがニヤニヤ笑ってこちらを覗いている。そしてただひたすら、彼女の物語を異言語で物語っている。途轍もない怖さです。あ、ぜひ、正しい歌詞を探してみてください。
ここしばらく集中して書いていた草稿がほぼできあがり、少しだけほっとしました。今回は自分の単著の原稿ではなく、ある翻訳書の解題なのですが……、とここまで書いてそういえばそもそも解題って何だ? と思い調べてみたら、いやこれ、ぼくの書いた内容は解題なのだろうか……。ちょっと心配になってきました。でも編集者さんからはGOサインをいただけたので、大丈夫でしょう。というか大丈夫です。名文です。Read it, Want to weep.
「Read it, Want to weep.」というのはウィリアム・ウォートンの『クリスマスを贈ります』(雨沢泰訳、新潮文庫、1992年)の解説から。『クリスマス…』は名著です。これは裏表紙のあらすじから引用。「第二次大戦中、はからずも無人の城を占拠し、ドイツ軍と対峙することになった少年兵たちが体験した、寒さと恐怖と空しさと、そして無意味な死」。この突き放した感じ。実際、そうなのです。「無意味な死」。どこか明るくさえある青春小説でありつつ、徹底して乾いている。乾いてしまう。小説冒頭に置かれている詩を、最後まで読んでからぜひ読み直してほしいのです。物語の最後で描写される世界はひたすら「無意味」で、あるいはもはやそれすら超えてただひたすら乾いてしまった「ぼく」の視線だけがある。あるのはただ、死、そのものであって……。冒頭の詩はこのラストと見事に呼応している。だから実は「Read it, Want to weep.」はあんまり適切だとは思えないのですが、でもほんとうに読んでほしい一冊です。