アーロン・パーザナウスキー(Aaron Perzanowski) ケニオン大学卒業後、カリフォルニア大学バークレー校法科大学院を修了。現在はミシガン大学教授として著作権や商標、財産法などについて教鞭をとる。専門はデジタル経済圏における知的財産法や物権法について。これまでの著作として『所有の終焉(The End of Ownership)』や、共編著『法なきクリエイティビティ(Creativity without Law)』がある。
それなりに分厚いですが、手で持った感触もとても良いです。これはとても重要なことです。モノとしての質感が優れているということは、紙の本の持つすばらしさの一つだから。装丁は北岡誠吾氏。実際に見ると分かりますが、帯が一部透けていて”The Right to Repair”のタイトルが薄く見えています。とてもお洒落。表紙を外してもまた美しいですので、ご購入なさったらぜひご覧ください。
ぼくは偶々青土社さんの『現代思想』のメタバース特集に原稿を書いた際、そこで原著の”The right to repair : reclaiming the things we own”を参照していた関係で、今回の翻訳本の解題を書かせていただくことになりました。ぼく自身は研究者をやりつつ技術者をやっています。技術者としてのぼくにとっても、あるいは子供のころから工作好きでいろいろ分解/組み立てばかりしていたぼくにとっても、「修理する権利」を日本に紹介する本書に少しでもかかわれたのは本当に嬉しいことです。
近年注目されている「修理する権利(The Right to Repair)」は、あらゆる製品が企業や国家に支配され、ひたすら有限のリソースの消尽を強制されるこの状況に対抗し、自らの手でそれらの製品を修理し、自律的に使用できるようにすることを目指している。[…しかし]これは修理のしやすさという設計思想の変革を求めるだけのものではなく、ここまで見てきたような、日常的な理解を超え複雑化した技術によって支配された私たちの生を取り戻すことを目的としており、さらには気候変動や経済格差など、現代技術が内包する様ざまな構造的問題への抵抗運動でもある。
ともあれ、技術者倫理というとけっこう枠が決まっていて楽じゃな~い? みたいなイメージがありますが、いやあるのかな、けれどいちばん最初にプロフェッションについて話すとき、いつも苦労するところがあります。それはプロフェッションとは何かというお話。ぼくはナイチンゲールの〝Notes on Nursing for the Labouring Classes〟からの引用、といっても『誇り高い技術者になろう[第二版]』からの孫引きですが、次の箇所を使います。
これはなかなか普段ひとに伝わることがなくて、だいたいぼくが博士課程のときにいた研究室なんてマルクスがベースですから、っていうかぼくは(中退しなかった)二つ目の大学は神学士なので何でマルクス系なんかに行ったのだろう。とてもとても良い研究室でしたけれども。そう、だから伝わる必要はない。でも伝わるとやはり面白い。リヒターの演奏には神が居る。間接的にぼくはそれを感じる。けれどもそれは、リヒターを、彼の演奏を通して間接的にということではなくて、ぼくには決して知ることができないそれそのものがそこに顕現していることを、繰り返しますがその空白を通して直接にということです。Karl Richter、Toccata & Fugue In D Minorで検索していただければ、どこかで動画が見られるかもしれません。真に驚くべき存在。
と、そこまで深刻な話でなくても単に「この音楽良いよね!」ということでもぜんぜん問題なくて、たまたまひさしぶりに坂本龍一のアルバム『左うでの夢』を聴いていたら、「あ、これcallingじゃん!」というのがあったので、そのお話を。『左うでの夢』は1981年のアルバム。もう40年以上昔のものとは思えない、時代を超越した音楽です。と同時に、この時代のテクノの音って凄く懐かしい。いまこういう音ってないのではないでしょうか。あ、いかん、話がずれる病が。このアルバムに「Tell’em To Me」という曲があって、この歌詞、昔ぼくは凄く怖かった。曲調も怖いのですが、当時ぼくはchrysanthemumという単語を知りませんでした。歌詞も知らずただあやふやに聴き取るだけだったので、坂本龍一の歌う「yellow chrysanthemum」というのを、何か全身黄色い毛がもさもさ生えているイエティみたいな生き物の母親(しかもそれは母親的なものの元型でさえあるような……)だと思っていました。少し離れたところに山脈の見える茫漠とした荒野、そこに立つ一軒の家。ふと窓の外を眺めるとイエローなchrysanteマムがニヤニヤ笑ってこちらを覗いている。そしてただひたすら、彼女の物語を異言語で物語っている。途轍もない怖さです。あ、ぜひ、正しい歌詞を探してみてください。