Yes, I can fly!

ここ数年トレッキングシューズをずっと履いていて、もちろんお風呂に入ったり布団に潜ったりするときはちゃんと脱ぐんだけれど、とにかくトレッキングシューズが大好きだ。いちばん上までしっかり紐を結んだときの安定感がいい。それになにより、極度に用心深いぼくにとって、万一災害が起きたときのことを考えると、どのような状況下でも移動しやすい靴は絶対的に必要で、あとブドウ糖と懐中電灯とペットボトルと医薬品も必需品。これさえあればまあ数日はどうにかなるだろうと思っている。本当はロープとかバールとかも持ち歩きたいのだけれど、ただでさえ身分が怪しいので、職質にでもあったらどえらいことです。

で、そのトレッキングシューズなんだけれど、先日雨の中をカメラを抱えて散歩していたらすっかり濡れてしまった。ついでにカメラも濡れてしまって、ファインダーの中に水滴が! ああ水滴が、水滴が! と風流にも川柳を詠んでしまうほど動揺した。それはともかくトレッキングシューズで、ぐっちょんぐっちょんの汚れ放題になってしまったので洗うことにしました。

けれどもこれ、ゴアテックスのそれなりのやつなのですが、どうもこれは丸洗いしてはいけないらしい。しかし水洗いするのだ。いやしないのだけれど、例えばあれです、たまたま水道水みたいな水が流れている川に落ちてしまって、しかもたまたまそこに洗剤の箱が沈んでいてそれを踏み抜いてしまう、などということは、まあ山に登っていればしばしばあることです。あるのです!

というわけで、そんな感じのシチュエーションにいま俺は置かれているのだ! と強烈な自己暗示をかけつつ、何しろ自己暗示にかけては天才的ですから、洗っているんじゃないよ、川の水は冷たいなあ、などと思いつつ丸洗いしました。そうして天日に干すのは駄目、とかいううろ覚えの知識に従い、玄関の内側に放置。それが確か三日前くらいで、どうもいまだに乾きません。えへへ。キノコさんこんにちは! 悲しみよこんにちは! コンニチハコンニチハ!

とかわいい子のふりをしつつ、履いていく靴がない。仕方がないので、埃を被っていたウォーキングシューズを出してきて、埃を払い、ここ数日はそれで歩き回っているのです。すると何しろ、これが軽い! 数年間トレッキングシューズで歩き回っていた感覚のままだと、歩くつもりが走り出し、走るつもりが空を飛ぶ勢いです。大統領にならって”Yes, I can fly!”です。そんな大統領は嫌だ。

そう言えば、昔まだがんばって「社会性」とやらを堅持しようとしていたころ、ぼくもちゃんと床屋さんに行って髪を切ってもらっていたのです。そうして、髪を切ったあとの頭の軽さたるや! 自分の脳みそがいかに軽く、頭と思っていたものの大半が髪でしかなかったことに気づくときの絶望感がぼくは好きでした。そんな感じで、いま足が軽いです。

GWですか? ぼくは何も予定がありません。庭のカエルくんを撮るくらいですね。あと帽子を買ったんですけど、相棒に「変質者みたいだからやめた方がいいよ」と言われました。

そんな感じです。ぼくは元気です。Yes, I can fly!

ある日見た光景

あれは一昨日だったか、珍しく定時に会社をあがり、普段とは少しだけ違う道を歩いて帰ることにしました。朝の電車はたいてい本を読んでいるし、会社につけば一日モニタを睨んでいるだけだし、けれども仕事が終わって遠くの駅まで散歩をするときは、一日の中で初めてゆっくりと周りを見回す余裕ができます。すると風景が途轍もなく鮮やかに見えたのです。だいぶ日も長くなり、ちょうど夕暮れ時で、空は赤みがかった金色に燃え立ち、雲やビルがその光を反射して、世界は恐ろしいまでに、その1ドット1ドットすべてが鋭く立ち上がっていました。

ぼくはいつも、いまこの瞬間に死んでも後悔しないようにと思って生きています。大げさに言っているのではないし、格好をつけているのでもありません。ただ単に、無為に生きることに対する恐怖感が強すぎるだけで、それはむしろ、格好悪いことでさえあるかもしれません。けれども、とにかくこの一瞬一瞬を全力で生きていたいし、感じていたい。だから、いま死んでも恐れずにそれを受け入れる、というより、いま死ぬとしてもその瞬間まで生き続けている自分を感じていたいのです。目に映るすべての光景は、ぼくがぼくとして見るこの世界の最後の光景です。

けれども、頭でそう思っていても、やはり身体はまた別の論理(でさえないかもしれないもの)で動いていて、だからすべての瞬間においてその光景が美しくかけがえのないものとして見えているわけではありません。残念だけれど。でもその日は、本当にすべての光景が最後の瞬間に目にするもののように、美しくぼくの目には映ったのです。美しいというのは、何て言うのかな、単にきれいだ、ということではなく、その一瞬にしか存在しないもののみが持ち得る絶対的な永遠性みたいな、自分でも何を言っているのか分からないけれど、でもみなさんにそれが伝わるであろうことは結構確信しているのです。

そうして一時間くらい歩いて電車に乗って、地元について、その頃にはもう真暗になっていたのですが、街灯に照らされた街路樹の枝々に、まだ先ほどまでの異様な感覚の残滓が残っていました。

別に薬をやっていたわけではありません。ぼくは薬でハイになるとか感覚が鋭敏になるとか、そういった考え方自体が大嫌いです。薬を飲んで世界を見ると云々みたいなことを言う自称芸術家とかっていますけど、てんで可笑しい。普段の自分の目に映る世界が真の世界で、そこに美を見出せないなら、それはきみ、才能がないんだよ、とぼくは思う。特別なことをしていないのに特別になってしまうのが天才の悲劇であって、ひとと違うことをしたいというだけでするのであれば、それは単に肥大化した自己愛の醜い自慰行為に過ぎない。

父が最後のころ、入院していた病室からは海を見ることができました。いま思えば船乗りだった父にとって、それは本当に良かったなあと思うのだけれど、ともかくそこから変な形をした建物が見えていたのです。父を支えて窓際まで行って、あれは何だろうねえ、などと話したのですが、ぼくはあれは江戸東京博物館だろうと主張しました。父はそんなはずはないと言ったのですが、でも江戸博っぽい。みなさんは呆れるかもしれませんが、ぼくは何しろ地理感覚がなくて、自分が自分の足で歩き回ったその範囲のことしか分からない。いまだに神奈川県がどんな形をしているのか知らないし、興味もありません。町田が東京か神奈川かも良く分からない。ああいま、ぼくは全町田市民を敵に回したかもしれない。

ともかく、その建物は東京ビックサイトというものだったのです。ずっと後になって、たまたま地図を見ていて知りました。でも、何となく形が似ていませんか?

そうしてもうひとつ思い出すのは、やはり同じとき、壁に幻覚が見えてきていた父が、ほらあそこに××が、と言って指を指して不安がるので、彼が指を指すその壁際に立って腕を振り回し飛び跳ねて、ほらぼくしか居ないだろう、何が見えたってそれは嘘さ、と父に繰り返し繰り返し言い聞かせたことです。もちろんそんなことで幻覚が消えるものではないことくらい知ってはいますが、しかしその幻覚の世界にぼくが登場することで、少しでも日常的な光景を割り込ませることができればと思っていました。

いまでも、そのときの事々を思い出すと、名づけ様のない感情に気が狂いそうになります。仕事柄使い慣れた双眼鏡すら動かせなくなった父に、ピントを合わせたそれを手渡し、けれどやはりうまく使えない彼とああだこうだと言い合ったこと、あるいはその他すべての、恐らく一生誰にも語ることのないであろう事々。

言うのも恥ずかしい当たり前のことですが、人間は常に独りでいるものです。愛という奇跡は確かにそれを乗り越えるだろうけれど、それはあくまで奇跡であって、ぼくらはまずそれを手にすることはない。独りであることをことさら声高に叫ぶマッチョも、逃避としての甘っちょろい愛を語る嘘つきも、ぼくは好きではない。事実は、単に事実としてそこにあるだけです。

それでも、窓から見えたあの光景が、せめてある一瞬においてだけであっても、彼にとって美しいものであれば良かったと、ぼくは願わずにはいられません。

あらゆる一瞬は、それが始まりから終わりに至るまでのすべての時間においてただその一瞬のみに存在するが故に、永遠性を内包しています。きょう、ぼくの目に映る光景はいつもどおりの日常です。蟻が這い、マンホールが鈍く光り、葉の上では蛾の幼虫が食事をし、緑の落ち葉が見えない風の動きを教えてくれます。それでも、その光景の向こうにある永遠をぼくは知っています。神も救いも存在しないこの世界で、それでも永遠を見る目を持ったぼくらもまた同様に不壊であることを、ぼくは、ある日見た光景にかつて存在した、死んでいったすべての人たちに語りかけるのです。

良い論文を書こう

きょうは一日論文を書いていました。締め切りは三月一杯なのですが、その前に教授に目を通していただくことになっているので、そろそろ仕上げなければなりません。しかし論文の引用数などが少々弱いですし、まあ今回は査読で落とされるだろうと思っています。とは言えここで一本まとめておくのは他の投稿予定の論文にも役立ちますし、六月にある学会発表の準備にもなりますので、最後までしっかり書くつもりです。

とか言っておいてあれなのですが、来週末に京都へ行くのです。先だって鹿児島へ行ったばかりですが、普段は仕事やゼミがない限り家に引きこもっているので、まあこんな月があっても良いでしょう。っていうかですね、遊びに行くのではないのです! 学会があるのでそれに参加するのです。参加するっていっても自分の発表は何もないので、まあ適当に見るものを見て、あとは観光するつもりですが。わあやっぱり遊びに行くのか!

でも一日論文を書いていて、ちょっと飽きたなあとぼんやりするときなど、ふと昔のことを思い出したりするのです。きょうはたまたま細野さんのメディスン・コンピレーションを聴きながら書いていたので、人形劇をやっていたころのある日の夕方のことを思い出しました。

その日は特に公演が近いわけでもなく、いつも通りのメンバーで、ぼくらはだらだらと部室でくつろいでいました。そもそもぼくはほとんど講義というものに出なかったので、芝生でのんびりするか部室で遊んでいるか、で、相棒が(彼女は何だかんだ言ってぼくとは正反対に真面目な人なので)講義から帰ってくるのを待っていたりするのです。

彼女が部室に帰ってきて、何だかニコニコしながら紙コップを持って近づいてくる。どうしたのかな、なんてのんびり思っていたらアウトでして、「戻ってくるときに見つけたの」とか言って中を見せてくれると、ぼくの嫌いなひーさんとかがとぐろを巻いていたりする。本当に怖い目にあうと、自分のあげた悲鳴がまるで知らない誰かさんが叫んでいるように聴こえるのが不思議です。

まあそんなことをしながらぼくらは過ごしていたのですが、その日はなぜか部室にあったダンボールを漁ろう、ということになりました。意外に歴史のある部でしたので、入り浸っているぼくらでさえ知らないようなモノのつまった箱がけっこうあったのです。そうしてごそごそと荷物をひっぱりだしたりしていたら、大きなスピーカーが出てきました。

もちろんぼくらは劇をやっているわけですから、すでに巨大なスピーカーやアンプはあるのです。でももうワンセットあるとは思っていなかったので、ちょっとびっくり。何しろ暇なぼくらですので、早速みんなで線をつないで、いままで使っていたスピーカーと合わせて四つ、部屋の四隅において音楽をかけることにしました。

良く知りませんが、何かサラウンドとか5.1chとか7.1chとか言いますよね、でも貧乏だったぼくらにはそんなもの別世界の話です。でもぼくらにだって、おお見よ! 巨大スピーカーが四つもある!

そうしてかけたのが、細野晴臣のメディスン・コンピレーションでした。最初のイントロ、深く澄んだ音が部屋に溢れたときの衝撃ははっきり覚えています。感動すると、ぼくは思わず笑ってしまう人間でして、思わず「えっへっへ」と鬼太郎のエンディングテーマみたいに笑ってしまいました。

あのとき、あの部室に居た人たちと、もうぼくは相棒以外には何のつながりもないし、今後もつながりを持つことはないけれど、でもやっぱり、それはぼくの中に一生残る光景です。そしてたぶん、それだけで十分だったのだと思います。

けれども、人生はどこでどうつながるかは分りません。先日、うちの研究室から事務方や発表者としてだいぶ参加した学会がありました。ぼくは仕事がつまっていたので参加しなかったのですが、あとでそのときの発表者一覧を見て驚きました。人形劇で一緒だった子が、いま他大の院に所属して、その大会で発表していたのです。年齢もたしかぼくと同じだったはずだから、この年齢で互いに博士課程に在籍しているというのも、なかなかに面白い共時性です。

もしぼくが参加していて彼と会っても、恐らく互いに「お久しぶり」とか「やあ」とかもごもご言って、それで終りだったとは思います。けれども、その想像は、ちょっとだけ楽しいのです。いつかその学会で彼に会い、「やあ」と言っている自分を想像すると、なぜか、ぼくは少し笑ってしまいます。

良い論文を、書かなくてはね。

退路を絶つな!

という訳で何かこうブログというと、その人のカラーとか得意なこととか専門分野とか、そういった中心的なテーマみたいのがあるそうでして、じゃあこのブログって何かあるのかしらというと何もない。自分で書いていて、本当に脈絡がないなあなどと思っていたのですが、きょう凄い発見をしました。これはね、日本全国、ぼくのブログがトップだと胸を張って言えることです。知りたいですよね! ね! うん、あなたが知りたくないことは分っているのですが、寂しいので言わせてください。googleで「デッキブラシ」を検索すると、製品としてのデッキブラシ関連が幾つか出てきた後、このブログが堂々の8 位でヒットするのです(2009年2月29日現在)。凄い、ブログとしてはトップですよ!

はあ疲れた。精神的に。で、きょうの話題ですが、とても真面目な話です。去年の暮れにぼくの数少ない友人である彫刻家が一時帰国しまして、一月くらい滞在してすぐにニューヨークに戻ってしまったのですが、けれどもその一月の間にずいぶんと夕食を共にすることができました。毎週一度か二度、昼過ぎくらいから相棒と二人でお邪魔して、終電近くまでゆっくりと料理をしたり(するのは彼なのですが)お話をしたり。これだけ一緒に過ごしたのは、ぼくらが大学生で彼女がモデルのバイトをしていたとき以来ではないかと思います。ぼくと相棒の関係というのは非常に閉鎖的で歪んだものではあるので、こうして時折彫刻家と会っていろいろな話をするのは、改めて生きていく上でのバランス感覚のようなものを取り戻すとても良い機会となります。もちろんそんなことを超えて、純粋に彼と会うのが楽しいのはもちろんですが。

とにかく彼はしたたかで、あれほど強い心を持った人間をぼくはあまり知りません。けれどもユーモアもあるし、何より人間に対する愛情(などと言うと彼に怒られそうですが)がある。そして極めてユニークな人生を過ごしているし、その独自の視点から語られる彼が見た彼の世界というのは本当に面白い。ぼくに才能があったら、彼を主人公にドキュメンタリーを撮りたいと思うほどです。でもそんな才能は残念ながらぼくにはないので、いま一生懸命「ブログを書いてください」と説得しているところです。彼の語りを独占するのは本当に惜しい。けれどいずれにせよ作品集を載せたサイトの準備もできているので、近々公開する予定でいます。

さて、暮れに彼と三人で食事をしているときのことです。ふとしたことから、ぼくが自分の人生に関して「でも、ぼくはいつでもプログラマとして食べていけるっていう逃げ道があって、だからそういった点では自分に甘えがあると思っているんですよね」云々、というようなことを彼に言いました。すると彼は強い口調で「何を言っているんだ、それは当たり前のことだ」と答えたのです。

ぼくはいま博士課程に在籍しています。まあそれなりに研究はしていますし、自分の才能とセンスにも自信はある。人生の貴重な数年間をかけるのですから、自信がなければ博士課程にいても無駄だとぼくは思います。けれども同時に、当然ですがぼく程度の才能を持った人間などごろごろしている。いやぼく以上の才能を持った人間が、ですね。しかも連中の大半はぼくよりはるかに若い。だから、ぼくが研究者としての職を得る可能性は限りなく0に近いでしょう。それは当然ぼくよりもっと若くて才能溢れる彼ら/彼女らにしても同様であって、だからみんな必死です。

けれども、ぼくはそもそも研究者として食べていくことにそれほど魅力を感じていない。下らないという意味ではなく、それはどちらでも良いと思っているのです。博士号をとるということは独り立ちできる研究者になるということであって、研究者というのは研究職についているからそうであるようなものではない。その人の考え方、世界の捉え方こそがその人を研究者として規定するのです。

などとのん気なことを言っていられるのは、しかし実は、ぼくがプログラマとして食べていけるという(いまのところは)保証があるからです。ぼくはそこに、本気で研究職を目指している人たちに対する引け目というか、申し訳ない気持ちがどこかにありました。もちろん、ぼくとていい加減な気持ちで学んでいるわけでは決してない。それは誤解のないようにお願いしたいのです。ある枠組みの中で自分の考えを鍛え上げていくというのは、自分自身を鍛えることだし、世界と戦う武器を錬成するということでもある。それについて妥協したことは一切ない。ただ、繰り返しますが、これはまあ本当にのん気な主張でもあります。研究職につけなくたって、ぼくはプログラマとしてやっていけるし、プログラマでありつつ研究者であることはまったく矛盾がない。少なくともぼくの中では。けれどやはりそれは逃げではないのか。

と、そんなことをうじうじと思っていたら、先ほどの彫刻家の言葉が出てきたのです。常に退路を確保するのは当然で、それをしないのは挑戦ではなく愚行だ、と言う。もしかしたら当たり前なのかもしれませんが、ぼくは結構驚いたのです。例えば芸術家というと、日常生活なんて破綻していて、常に崖っぷちというか崖から落ちながらこそ創造が可能だ、みたいなイメージがありませんか? いやもちろんぼくもそれほど極端かつステレオタイプに考えているわけではないのですが、でもそんな先入観がまったくないと言えば嘘になる。破滅型の天才、というやつですね。

けれども彼は強い言葉でそれを否定しました。どんなときでも、人は必ず退路を確保しなくてはならない。ちょっと、それを聞いて納得したのです。彼は、もちろん彫刻を創るから彫刻家なのですが、しかしそれ以前に、魂の在り方として芸術家なのです。これはちょっと本人に会わないと伝わらないけれど。自然に生きて、自然に(というのは無理なく、ということではなく、その人にとって苦闘を伴うあり方がその人の本然であるのならそれが自然だという意味で)芸術家である。そんな彼にとって、退路を絶って一か八かで芸術家たらんとする、作品を創るというのは、ナンセンスの極みなのかもしれません。いやもしかしたらもの凄い誤解しているかもだけれど、ぼくはそう理解したということですね。これ後で彼に「全然違うよ!」と怒られるかもしれないけれど。

そうして、生きるということを全力で楽しんでいる彼にとって、そういった破滅型の創作というのは、あるいはそれに対する幻想というのは、まったく馬鹿馬鹿しく、自己愛に満ちたものにしか見えないのかもしれない。

当然ですが、これは「言い訳をする」ということとはまったく違うのです。例えばぼくが「研究職に就けなかったけれどプログラマとしては一流 (済みませんちょっと法螺を吹きました)だし!」と、言い訳として言うのであればそれはみっともないし、自分を貶めることになる。そんな生き方では何も得ることはできないでしょう。けれどもそうでない在り方は、例えば「研究職に就けなかったからもう後は野垂れ死ぬ」というものではないし、そうであってはならない。

念のため申し上げますと、ここで言っているのは、日本において博士号取得者に対する待遇があまりにも悪いとか、そういった社会的な構造の問題ではないのです。そうではなく、何者かになろうとか何物かを創ろうなどと言ったとき、そこに破滅の美学を持ち込んではならない、ということなのです。ぼくは、それはとても納得しました。ぼくらはしぶとく生き延びなければならないし、そうやって人生に(良い意味でみっともないまでに)しがみつきつつ、あるいはふてぶてしい笑みを浮べつつ、進路を変えて生き延びるべきだし、また生き延びて良いのです。

「退路を絶つな!」。そう考えてみると、これはあらゆる場面でぼくらが思い出してみる価値のある言葉だと、ぼくはそんな気がしているのです。

後先考えずにエントリーする勇気

という訳で最近あまり良いことがない。例えば今年のバレンタインデーは誰にもチョコを貰わなかった。と思ったが先週か先々週、プロの店で業務用板チョコみたいのを自分に買っていたのでぎりぎりセーフ。やたら硬いのでいまだに結構残っている。そう言えば大学時代はバレンタインデーというと人形劇部の女の子たちにチョコをあげていた。最近は男もチョコを買うのが流行っているらしいがそれなら俺は時代の最先端だったのか。でも当時は女性に混じってチョコを選んでいるとひたすら変質者だった。また例えば防水だというので喜んで買ったWX330Jの電波のつかみ具合があまりに酷く音質も悪い。話していてもぶちぶち切れるし、メールを受信しようにもネットワークエラーが頻発する。防水だというその一点のみで我慢してきたがそろそろ堪忍袋の尾も切れた。堪忍袋とはオーストラリアに住む有袋類の一種だ。尻尾をつかまれるとそれを切り捨てて逃げると見せかけ激怒する。だから緒でなくて尾で正しいのだそれはともかく。昼休みにwillcomのサイトを見たらWX330Jのバージョンアップのお知らせがあり、これで少しはまともになるかと思ってバージョンアップしていたら昼休みの半分が過ぎた。さてあと10分しかないのだがこのブログを書き終えることができるのか。無論書き終えることができなかったところで人類の歴史には何の影響もないのだが。さてバージョンアップがいま終わり、いそいそとメールを受信してみたら「[楽●天]トラベルニュース ○○様婚活はじめに、ほにゃらら以下略」というのが一通だけ届いていた。婚活はじまらねーよ! っていうかそもそも何の略だよ! と切れてみたものの空しいだけで、しかしきょうのぼくは落ち込むだけではない。なぜかと言えばカメラを持ってきているのです。寒いけれどふかふかのセーターも着ているし、仕事が終わったら海にでも行って写真を撮ろう。暗いことばかり多かった昨年だけれど、改めて写真を趣味にできたことは大きな支えになった。以下写真について感動的なことを書こうと思っていたが案の定昼休みが終わっていまは15:00。仕事はちょっと一段落だが感動的なフレーズはすべて消えた。けれど諦めが悪いのがぼくの良いところなので無理やり書いてみる。最近マクロレンズを買ったと前に書いたけれど、なかなか撮るものがない。仕方がないので自分の指紋を撮ったりする。自分の人生の意義について考えたりもできるので超オススメ。ちなみにぼくは指紋に関しては一家言あって、いやないんだけど、手足を合わせればほとんどすべての指紋の種類を一人で網羅している。ちょっと自分の身体が怖い。あれ全然感動的な話題にならないな。もう一度やり直し。写真を撮るようになってから、以前よりいっそう歩くようになった。仕事帰りに二、三時間カメラ片手に歩くなんてこともある。もともと歩くのは好きだったけれど、面白いもの、美しいものはないかと探しながら歩くのはとても楽しい。身の回りのものに対する視線が鋭敏になった気がするし、自然の移り変わりにも注意深くなったように思う。おおなかなかに良い話っぽい流れ。まあそんなふうにして身体は鍛えられ、精神は研ぎ澄まされる。終いには悟りを啓くか武道の達人になりそうな勢いだ。スティーブン・セガールだって倒せるかもしれない。セガールと言えば「沈黙の聖戦」だったかであまりに肉々しくおなりになっていたのに衝撃を受けた。ぼくはてっきりあれは CGで、怠惰と安逸を貪り肉々していたセガール(CG)が仲間の危機を前に心を入れ替え身体を鍛えなおしセガール(リアル)になり云々というストーリーを予想していたら最後まで肉セガ(CG)だった。アクションスターも大変だ。アクションスターと言えば珍しく見たい映画があって、「その男ヴァン・ダム」。タイトルは違うかもしれない大体こんな感じだったはず。久々に名作の予感がしている。どのくらいしているかと言うと、ぼくの予感って当たったことないんだよなと絶望するくらいにビシバシ予感がしている。とは言えいまは映画どころではなく仕事どころでさえなく、空腹なのです。朝ちょっとしんどいことがあって食べる時間がなくて、まあお昼に会社の自販機のカップラーメンでも食べれば良いやと思っていたら財布の中に五千円札一枚と一円玉六枚しかない。これでは何も買えないではないか。駅前にあったコンビには去年潰れた。先週買い置きしていたアップルティーと緑茶のペットボトルだけを希望に生きていこう。そう誓ったは良いけれどやはり空腹で、どうやら昨日の晩飯以降24時間何も食べずに過ごすことになりそうだ。けれどまだ新人だったころ、とあるメーカーの仕事を請け負ったときは辛かった。右も左も分からぬ状況でさあバグを直せバグを直せいま直せと言われ、36時間飲まず食わず眠らずで他人のプログラムを解析したことがあった。まあ飲まず食わず眠らずなんてどうということもないが、トイレにも行かなかったと言えば結構みなさん尊敬してくれるでしょうか。してくれませんね。だから世界でぼくだけがぼくを尊敬することします。俺凄い! 俺凄いけどこのブログひどい! けれどもぼくはかなりええかっこしいなところがあって、どうも最近ブログで格好つけているというか気取っているというかそんな気がする。そんなこんなで、そろそろ定時。たまにはこんな、自然体。ここまで読んでくれた人が誰も居ないことに賭けるけれど、その賭け金は、ここまで読んでくれた奇特なあなたに対する、惜しみない、愛。

我に囚われた我々に赦しはあるのか III

ここまで、ぼくらは罪と赦しについて、神を出発点として考えてきました。我を捨て神との合一に立ち帰るのか、それとも我に固執して存在しない神を告発し続けるのか。けれども、それはどちらも、結局のところ鏡に映った自分の姿に過ぎません。どちらが本質ということもなく、それは互いに向き合ったまま口を開き、音もなく何かを叫んでいるだけです。ぼくらの生きるこの日常は、そのような極限的な形を取るわけではないし、また取らなければならないわけでもない。

以前、ぼくがブログに書いた、神学を学んでいて気づいてしまった恐ろしいことというのは、実は恐ろしくも何ともない、極自然で、もしかしたら愛すべきでさえあることでした。ぼくは、存在しないにも関わらず、あるいはそれ故、ぼくから大切なものを奪った(わけですらない)存在しない神を憎んでいました。そうして、神を信じる人間もまた、ぼくにとってすれば敵でしかありませんでした。けれどその人々は存在しない神と違い、間違いなくそこに存在する。だから、ぼくは戦えるはずでした。自分の魂を懸けて、ぼくは戦いたかった。けれど神学を学ぶ過程で、各地の各教派の教会に行き、幾人もの信者やあるいは神学生たちと話す中で、ぼくは彼らの大半の心に神がいないことに気づきました。これはとても失礼な言い方かもしれません。あるいは極当然のことだと思われるかもしれません。けれども、ぼくは本当に怖かった。神を信じるという人々の中に神は存在せず、ただ、神に存在してほしいという願望があるだけだったのです。そして一方で、神を信じないという人々においてもそれは同様でした。神を信じると言う人も信じないと言う人も、つまるところその中身はまったく同じで、ただただ神に存在してほしいという思いしかなかったのです。それは神が存在すればという甘えであり、存在しないかもしれないという怯えでもあります。ぼくはそんな彼らを嫌悪し、そして恐怖しました。神への信仰も拒絶も、それは人間が人間としてぎりぎりの状況下で問われるものです。彼らは敵ですらなかった。ぼくは彼らのそのような弱さを心の底から恐怖しました。

彼らの救いは、そして赦しは、ではどこにあるのか。絶対的なものが存在する/しないからこそ、ぼくらは赦しを得る/得ないことができる。信じているのでも信じていないのでもない、ただ中途半端に神の愛に頼り、神の不在に怯えるのであれば、そこにはそもそも赦すことも赦さないことも存在し得ないのです。死という絶対性を前にしたとき、そこには一切の逃げ道がない。ぼくらがそれでもなおまっすぐに立ち続けるには、存在する神に合一するか存在しない神に憎しみを抱き続けるか、ふたつにひとつです。教会に行こうが洗礼を受けようが祈ろうが、あるいは神は存在しないと嘯こうが、その最後の瞬間に至ったとき、彼らは自分をごまかしどっちつかずの態度を取り続けてきたつけを払うことになる。圧倒的な、絶望的な恐怖に泣き叫んでも、そこには神も、それどころかあなた自身さえもいない。本当に神とともにある人間はあまりにも少なかった。その事実にぼくは最初怒り、そしてすぐに怯えました。そのような形で「神が居ない」とは、ぼくは思ってもいなかった。世界にはあまりにも救いがなかった。

強姦されAIDSにかかりまともな治療を受けることもなく病と餓えの中で汚物にまみれ死んでいく誰かさん、生まれて初めて目にしたきれいなものを手に取ったらそれが爆発して両手を失い失明した誰それさんを前にして、ぼくは語る言葉を持てない。だからこそぼくは、それでもなおかつ神の愛を語る狂信者が敵として必要だったし、敵として存在して欲しかった。だけれど、ぼくが目にしたのは、神に対する不信を必死に、自らにさえ隠しながら、このぼくに対して「あなたにもいつか神の愛が分かります」などとしたり顔で話す、惨めな人間だった。神の愛などと、ぼくは彼ら/彼女らに、軽々しく口にして欲しくはなかったのです。神の愛とは、そんな安易なものでは断じて、ない。

けれども、もしここまで読んでくださった方がいるとすれば同意してくださると思うのですが、明らかにこれはおかしな考え方です。おかしいだけではなく、ひどく倣岸ですし、浅薄です。ぼくはいったい、人間を何だと思っていたのか。人間を神にでも仕立て上げるつもりだったのか。そう、その通りです。ぼくはすべての人間に、神と並び立つ位置に居て欲しかった。けれども、人間は神ではない。神ではないからこそ、人間は人間なのです。だから素晴らしいということではまったくなく、価値判断すら超えて、人間は人間だし、人間でしか有り得ないし、そして人間で「良い」のです。ぼくは長い間それを受け入れることができませんでした。(もちろん、いまでもできているわけではないのですが)。

ぼくはそうとうに偏った人間です。自分のことになると笑ってばかりいるけれど、外に出たとたんに憂鬱になるようなつき合いにくい人間です。みんなが本当に幸せに生きているのか、笑ったまま死ねるのか、なぜか分かりませんが、それが気になって仕方がない。そして心の中に住んでいる決して語らない死者たちへの強迫観念に囚われています。それでも、そんなぼくにさえ、尊敬できる友人が、生者死者を問わず幾人かいます。そんな彼ら/彼女らを通して、少しずつ、分かってきたことがあります。あらかじめ申し上げますと、ぼくが数十年を要して理解し始めたことは、みなさんが普段の生活の中で当然のこととして感じられていることだと思います。ですから、あまり読む意味はないかもしれません。

日常生活における信仰というものを考えるとき、いつもぼくが思い起こすのは、銀河鉄道の夜(中でも第三次稿)なのです。ぼくはあまりカムパネルラが好きではない。誰かを救うために命を捨てるというのは、ぼくは容易なことだと思っています。しかしそれは自らにとって大切な者のためであればであって、ザネリを救うために、恐らくぼくであれば一切の危険を冒すことを拒否するでしょう。神の存在しない世界において、世界に対して圧倒的に無力であるぼくは、自分の限られた力を自分が選んだものに対してのみ向けざるを得ないし、そうやって極限まで力を一点へ収束させてさえ、ぼくはなおあまりに無力なままです。ぼくは選ばなければならないし、常にその覚悟を持っています。そういった意味では、ぼくは自分の死というものにさほど関心がありません。けれども、では愛する者のために死ねば良いのかと言えば、無論そんな馬鹿な話はありません。自分の命そのものに価値がないのであれば、当然、それを捨てたところで自分が愛する人に対しても何ら喜びを与え得るはずがない。そうではなく、むしろ生き抜くことにこそ意味がある。命など、死ねば消えるだけのものでしかない。けれど生きれば、ぼくらは常に、人間としての限界にさえ挑むことができる。だから愛する者のために死ぬなど、ナンセンスも良いところです。カムパネルラの決意はあまりに安易であり、選ぶということをしなかったという点において、ぼくから見れば冒涜的でさえある。もちろん、それがぼくにとって冒涜的であったとしても、それはカムパネルラが彼自身の信仰を持っていたが故のものです。そして同時に、カムパネルラが自らの信仰に従ってザネリを救い自らが死んだことを受け入れたとしても、彼が残してきた者たちに対して悲しみを感じなかったわけでもない。繰り返しますが、神との合一というのは何も考えないということではなく、何が起きても神の被造物としてそれを受け入れることにあります。悲しみ、苦しむかもしれませんが、それは不信仰ではない。それにも関わらず神にすべてを任せることが信仰です。

その上で、ぼくはやはりカムパネルラを認められない。カムパネルラの答えは、あまりに単純明快過ぎます。それを信仰だというのであれば、手を出せなかったカトウは、あるいはもしカムパネルラが居なかったとして、溺れて死ぬことになったであろうザネリは、そしてあるいは…要するにあの世界に生き残ったすべての人々にとっての救いとは、赦しとは何なのか。死んでいったすべての人々にとっての救いとは何だったのか。カムパネルラの生き方は、恐らく彼らに対する答えにならない。

だから、ぼくはジョバンニが好きなのです。特に第三次稿においてより明確にされているのは、ジョバンニの生活における救いのなさです。父の存在もカムパネルラとの交友もぼんやりとしか窺えません。母へ持ち帰る牛乳が最後まで手に入らないのは象徴的です。けれどそれでも、彼はこの世界に戻り、病気の母と不在の父が待つ暗い家へと帰っていく。明日から始まるのはこれまでと同じ日常であり、未来への希望はありません。それでも、では彼が惨めであり弱い人間であるかと言えば、そのようなことはない。それどころではない! 彼の人生において、すべてに答え得る万能の答えは存在しません。悩み、苦しみ、怯え、あるいは怒り、けれどそれに応答してくれる声はどこにもない。それでも、彼はその日常に自ら戻っていく。

「ああマジェランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのためにみんなのためにほんとうのほんとうの幸福をさがすぞ。」ジョバンニは唇を噛んでそのマジェランの星雲をのぞんで立ちました。そのいちばん幸福なそのひとのために!(『ポラーノの広場』、宮沢賢治、新潮文庫、p.324-325)

カムパネルラの死に比べて、ぼくはジョバンニの生にこそ、より尊い輝きを見るのです。

神を失っているぼくの強さは、要するに、論理だけで動くテロリストの強さであり、目的と手段を混同したテロリストの暴力であり、そして抑圧された他者を作り出す神装置としてのテロリストの愉悦です。そこにぼくらの生活はない。答えがあるというのは、要するに狂気によってこの世界を測るということです。

「おれは心ならずも指揮をとる。だが、けっして途中ではやめぬ。おれを信じろ、この戦いを勝つ機会が一つあれば、おれはかならず勝つ。[中略]しゃべるな。ゆけ。[中略]これから人間の支配がはじまるのだ。美しい門出だ。[中略]おれは屠殺者と死刑執行人になろう。[中略]心配するな。おれは途中で、まいりやせん。 それ以外に愛し方がないから、おれはあの連中をおびえさせるのだ。ほかに服従しようがないから、命令するのだ。このほかに、みんなとともにいるしか仕方がないから、おれは頭上のあのからっぽの天を相手に孤独にとどまるのだ。なすべきこの戦いがある。おれはやるつもりだ」(『悪魔と神』、サルトル、新潮文庫、p.248)

それはぼくの心を強く惹きつけます。けれど、ぼくは繰り返し、自分に言い聞かせなければならない。答えがないことは弱いことではない。愚かなことでもない。それこそが人間の在り方なのです。

「雄々しく堪え忍ばねばならぬ。ここが神よりお前たちのすぐれているところである。神は災難に堪えることの埒外にあるが、お前たちは災難に堪えることを乗り越えているからである」(『怒りについて 他一篇』、セネカ、岩波文庫、p.216)

まさにそうだと思うのです。ぼくらの生活には、答えなどない。あるとき神が現れてぼくらを赦してくれることもなければ、断罪してくれることもない。そんな安易な解決は、ぼくらには与えられていない。そして無論、ぼくらの方から神のところで出向いて跪くか唾を吐くか、そのような極端さもまた日常からはかけ離れたことでしょう。救いも赦しもない日々において、ぼくらは堪えるしかない。時折風や光に神を感じるかもしれないし、あまりにも堪え難くつらい出来事に神の不在を想うかもしれない。憎むかもしれないし、それでもなおかつ、なおかつ、愛さえあるかもしれない。ぼくらはそのすべてを堪え、受け入れ、またこの日を生きていきます。

前回引用した安部公房の書く物語が、多くの場合そのラストにおいて、ある種透明で開放された孤独感を帯びているのは示唆的です。神を失った世界で、ぼくらは最終的に、人間としてただ独りになる。それは神を得たとしても同じことだとぼくは思います。そうして、いまもうひとつ思い浮かべるのは、大江健三郎の『洪水は我が魂に及び』のラストにおいて発せられる「すべてよし!」という言葉です。それは静かだけれども、叩きつける水の只中にあってさえなお世界に響き渡り、過ちを犯し、怯え、疑い、諦め、それでもなおかつ生き/死んでいったすべての人間に対する肯定が込められています。それは(大江健三郎の物語がいかに宗教的な外衣をまとっていたとしても)信仰者の声ではなく、ましてテロリストの声でもなく、そこにあるのは疑いもなく人間の声なのです。そしてまたそれは、創世記における「神がその造られたすべてのものを御覧になると、見よ、非常によかった」(『創世記』, 関根正雄訳, 岩波文庫, p11)という言葉と美しい対比を見せています。神が創った世界の摂理を、ぼくらが知ることは永遠にない。それでも、その中でもがき苦しみ、這いつくばって死んでいくとき、ぼくらは死んでいったすべてのものと生き残るすべてのものとに対して、「すべてよし!」と叫ぶことさえできる! 答えがでないまま、それをそのまま受け入れる。いえそれどころか、答えが出ずに悩んだまま終わりを迎えることさえ受け入れる。それはぼくの思い描いていたものとは違うにしても、確かに神を超えた強さであり、また同時に、神を捨てていない強さでもあります。
我に囚われた我々に赦しはあるのか

そろそろこのお話も終わりに近づいてきました。今回のエントリーのタイトルは『我に囚われた我々に赦しはあるのか』でした。ぼくらは、信仰と不信仰、その極限の位置からそれを考え、そのどちらもが結局は同じであることを見てきました。人が人であることとは、そのような極限からではなく、むしろ日常の中でこそ考えるべきであるということに気づくまで、ぼくは長い長い時間を必要としました。赦しはあるのか? あるかもしれない。ないかもしれない。あるときぼくらは神を信じるかもしれない。またあるときは神を疑うかもしれない。死は恐れるべき何ものでもないように思えるかもしれないし、恐ろしさのあまり死にたくなるかもしれない。愛はあるかもしれないし、けれどそれは憎しみかもしれない。答えがでないまま、ぼくらは生きてきたし、きょうも生きているし、そして運さえ良ければ(あるいは悪ければ)明日も生きているかもしれない。良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとか、そんなことをすべて超えて、それこそが人間であり、それがぼくらの持っているすべてなのだと、いま、ぼくはそう考えています。

これで、ぼくのお話はお終いです。当然ですが、ぼくはいまだに神を見ることはできないし、ぼくがぼくである限りにおいて、存在しない神を赦すことは決してありません。神についてどれだけ考えても、それはぼくを変えることにはなりません。鳥が飛ぶ姿を見て、ぼくらは流体力学を理解するかもしれない。けれども鳥は物理を理解するが故に飛んでいるわけではないし、ぼくらは物理を理解したからといって飛べるようになるわけではない。それでも、例えぼくに神が見えないとしても、人間を見ることはできます。そして人間は間違いなく、そこに居ます。人間を見なければならない。存在しない神だけを見つめ続けてきたこのぼくに、そもそも人間の赦しを語る資格などなかったのです。

けれども、希望はあります。最後にひとつだけ、ルターについて触れてみましょう。ぼくはあの頑固そうな顔が大嫌いなのですが、それでも、信仰の極北へ至った人間の一人として、彼がどのようにそこを突き抜け人々との関わりに戻ってきたのかを追ってみるのは、決して無駄ではないはずです。

ルターについて学んでいく上で最も疑問に感じるのは、修道院時代における前期ルターの内省的性格と、宗教改革運動に身を投じた後期ルターの異常なまでに活発な行動力との間にある、大きな差異についてです。前期ルターは厳しい修道僧としての戒律を守りつつ、それでもなおかつ、どうしようもなく罪深い自分の存在に苦悩し、懺悔の日々を過ごしていました。しかしやがて自らが宗教改革の大きなうねりの中心となってしまったとき、ルターは突然変貌を遂げます。彼は各地を転々としながらも膨大な手紙を書き幾冊もの重要な書を著して宗教改革を強力に牽引し、しかも聖書の独語訳まで成し遂げてしまうのです。その変貌の原因はどこにあったのでしょう。

『キリスト者の自由』においてルターは、旧約(律法)によって定められた戒律は、人間には絶対に実行不可能なものである、と言います。それは人々に、自らの救い難い罪深さを認識させるために存在するに過ぎません。しかし、その認識によって自己を砕かれ謙虚になったとき、神からの呼びかけとしての新約が与えられ、人は救われるのです。当時の一般的な理解によれば、人は善行を積むことによって救いへと導かれるとされていました。従ってその前提として、当然律法を守ることが人間には可能であるとされていたのです。しかし、これは信仰理解に歪みを与えてしまいました。つまり、人々が善行を「貯蓄」し、それと交換に神から「救い」を得るという、ある種の取引的な観念を与えてしまったのです。取引である以上、人は自分を神と対等の存在として考えてしまいます。「これだけの善行をあなた(神)に渡すのだから、あなたには私を救う義務がある」というわけです。そして、いったん善行(あるいは悪行)や救済が商品として捉えられてしまったなら、教会や民衆の間でさえ、それは取引の対象となってしまうでしょう。これが贖宥符などを生み出す原因となりました。

しかし、もしルターの言うように、人間には律法を守ることが絶対に不可能であるならば、十戒の第一戒である「あなたはただひとりの神を崇むべきである」ということすら人には守れないことになってしまいます。神を信じることなしに、いったいどこに救いを求めれば良いのでしょうか。これに対してルターはこう答えます。「呪われるべきわたしにさえも、純粋な憐れみから、キリストを通し全き富を与えたもうた」。つまり、信仰によって人は救われるのであると同時に、しかしその信仰さえも揺らいでいるような罪深い自分に対して、救いが一方的に神から与えられ、それ故に人は神を信仰せざるを得ないのだ、と彼は言うのです。

こうして考えてみると、後期ルターの異常な活動力の原因が分ってきます。自らの罪深さにおののきつつ必死に救済を求めていたときのルターは、他人のことなど考える余裕がなかったのではなく、むしろ恐れていたのではないでしょうか。戒律によって縛られていたルターにとって、その関わりは当然、善行として現れなければなりません。しかし、罪深い者としての自分がその善行故に神に救われるのだという誤謬を犯す可能性があることに、鋭敏なルターは気づいていたはずです。けれど、あるとき神の救いが一方的に与えられているのを知ったとき(それはまさに啓示です)、彼の善行は突然、全くの自由に解放されます。既に神によって救われてしまったルターにとって、善行は、もはや神との取り引きに使われる商品にはなりようがない。彼は完全な自由のもと、好きなだけ人と関わり、キリスト教徒として人に善き行いをすることが可能になったのです。

無論、ぼくはルターとは違い、神の赦しなど糞食らえと思う人間です。それでも、信仰者の鏡像としてのぼくにもまた、他者と関わる可能性が必ずあります。誰よりも「人間」であることに懸け、「人間」であることに誇りを持っていたサン・テグジュペリはこう言っています。

「努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じあうことだ」(『人間の土地』、サン・テグジュペリ、堀口大學訳、p.6)

混乱と錯誤に満ちた文章だったかもしれませんが、これがいまの時点における、ぼくの結論です。まずは人間を見ること。そして共に在ること。その先に、きっとぼくら人間の、救いと赦しが見えてくるはずです。

ここまで読んでくださった方に、心からのお礼を。どうもありがとう。

我に囚われた我々に赦しはあるのか II

前回、我の極北まで突き進み神を告発し、なおかつその我を投げ捨て神へと回帰したヨブを通して、人間の原罪の起源や信仰について考えてみました。今回は、ではそのような信仰を持てない、あるいは持たない者にとっての罪と救いについて考えてみたいと思います。

さて、けれどそもそも、神を持たない人間にとっての罪とはいかなるものなのでしょうか。当然、ここで言っている罪とは法的な罪のことではありません。信仰を持った人にとっての原罪(すなわち神からの離反)に相当するような罪を指しています。

以前にも少し書いたことがありますが、ぼくはある時期、神学を学ぶために会社を辞め、大学に入り直しました。何しろぼくは徹底した無神論者ですし、それを公言していましたから、神学を学ぶその場に馴染んでいたとは到底言えなかったと思います。それでも幾人かの先生方には非常に良くしていただき、神学を学ぶことによってぼくの中で何かが変わったということはなかったかもしれませんが、けれどその四年間を後悔することがないのは、そういった素晴らしい人たちと出会えたということがあるからだと思っています。

中でもぼくが尊敬していたのは、長く牧師をしていた経験のある先生でした。穏やかだけれども、信仰と、そして人間が人間であるということについては極めて厳しく、ぼくのような神を見ることのまったくできない人間においてさえ、(これは信仰のある人々に失礼な表現だとは思いますが)確かに人はその魂に神を持ち得るのだということを確信させるような方でした。講義は無論のこと、個人的にも何度かお宅にお伺いし、いろいろなお話をすることができました。今回はそうしたお話の中で、特に印象深かったことを手がかりにして、罪と赦しについて考えてみようと思います。

内村鑑三は『余は如何にして基督教徒となりし也』で、この宇宙の神秘を前にしたとき、それをただの偶然と見なすことはできない、そこに神を見ざるを得ないと書いていた、ような気がします。実はぼくは内村鑑三が嫌いでして、いま改めて『余は~』をぱらぱらと捲ってみたのですが、これとても改めて読む気力が沸きません。ですからあやふやなまま話を進めます。いやあやふやでも話の大筋には影響しないのでご安心下さい。

あるとき、それが先生とお会いした最後でしたが、何の話題からそうなったのか、「けれどきみとて、この宇宙の神秘については感じざるを得ないだろう?」と先生が仰いました。それはもう夕暮れ時で、先生のお宅からお暇する直前だっとことは、はっきり覚えています。そのとき、ぼくらは互いに、はっきりと互いの間に横たわる深い断絶を理解したと思うのです。

ぼくのような神を信じない人間にとっても、あるいはいかにこの世界に人間の理解を超えた不幸があったとしても、それでもぼくらは、この宇宙を前にしたとき、その圧倒的な謎に、人間の限界を感じざるを得ない。その謎が厳然としてぼくらの眼前に存在することから、神を感じざるを得ない。無論、理屈としてはそれは分かるのです。それはまさにヨブが通った道でしょう。けれどもぼくは、宇宙の謎や神秘になど、実はほとんど興味がないのです。いや、興味がないわけではない。とても面白いとは思います。けれども、それは単にこの「ぼく」にとって面白いに過ぎない。この「ぼく」にとって謎であるに過ぎない。ぼくが神に問いたいのは、そんなことではないのです。

これはちょっと伝わるかどうか分からないのですが、常に、ぼくを悩まし、激怒させていることがあります。良く見る光景ですが、夏になると、ミミズが焼けたアスファルトの上で悶え苦しんでいます。もし、お前にとって神とは何かと訊かれたら、ぼくはその光景こそがぼくにとっての神の在り方だと応えるでしょう。それはまさに神の不在の象徴なのです。

当然ですが、ぼくは無数の犠牲(というよりむしろ収奪)の上に自らの生が成り立っていることを知っています。だから単にミミズの苦しみに同情をしているとか、そういったことを言っているわけではありません。ぼくは偽善も偽悪も心の底から嫌悪します。ぼくらの生が罪深いのは当たり前のことです。ことさらそれをあげつらうことに意味はない。ぼくが言いたいのは、そこには、つまり焼けたアスファルトの上でのたうち回って死んでいくミミズの姿には、二重の意味で絶対的に説明不可能な苦しみがあるということです。二重の意味とは、すなわち説明不可能性と他者性です。

ぼくらの生が罪に塗れていようがどうであろうが、そんなものは所詮主体の問題に過ぎない。ヨブもぼくも、既に答を得てしまった人間です。ヨブは答など必要ないと答え、ぼくは答などないと答えるでしょう。それはつまるところ、どちらも究極的にある個人の魂の物語であって、要するに信仰でしかありません。どちらも、それを他者に強要するとき(実際の行動として強要しなくとも、そのようにして世界を捉えるということ自体が既に強要だとぼくは思います)、暴力として現れます。しかしその上で、ヨブは神を通して世界を見るが故に、一匹のミミズの死に対して暴力的に答えることが可能です(言うまでもなく、これはヨブが他者の苦しみに対して共感しないとか同情しないとか悲しみを感じないということを意味しているのではまったくありません)。一方ぼくは、神を認めないが故に、一匹のミミズの死に対して答えない、答えられない、答えられないことだけが真理であるという暴力をふるうことになります。

ちょっと話がずれていると思われるかもしれません。そもそも神を信じない人間にとっての罪と赦しとは何か、を話しているはずなのに、どうして他者の問題が出てくるのか。例えばヨブ記であれば、作者にとって突然家が崩れて死んでしまうヨブの子供たちのことなど、はなから眼中にないですよね。問題はあくまでヨブ個人の苦しみでしかない。ただ、そういった意味でいうと、ぼくは自分自身のことで悩んだり苦しんだりということはほとんどないのです。もちろん肉体的な苦痛とか、まあ人並みの悩みはあるのかもしれないけれど、そういったことにはあまり関心がない。ひとつ例を挙げると、ぼくはちょっと常軌を逸して自信過剰な面がありまして、いままで生きてきて試験に落ちたり就職活動(ほとんどやっていませんが)に失敗したりもするわけです。けれどもそのようなときでも、心の中ではぼくを落とした企業や大学の担当者に向かって「俺を落として後悔するのはお前だ。自分の過ちを悔いながら泥に塗れて這いつくばって死ね」と、負け惜しみではなくかなり本気で思うほどに自信過剰なのです。そうしてまた極端に楽天的だし、ささやかなことで幸福を感じるし、自分の生に対して徹底的に肯定的です。道を歩いていて風を感じてお日様が暖かくて、そんな一瞬があっただけで俺の人生はもう完璧だ、と、そんなふうに思って生きています。だから悩みとか苦しみとか不安とか後悔とかがあんまりない。あくまで自分自身に対しては。

けれども、だからこそ、ぼくは他人の人生が怖い。ぼくの生に対する喜びというものが、自分の異常性(もちろんぼくはかなりの常識人だと思っていますが)に根ざしたものであることを知っているから、そういった異常性を持たない他の人々がどうやって生きているのか、その苦しみや悲しみ、悩みや不安と戦っているのか、そもそも戦い得るのか、それが分からない。本当に分からないのです。だから、とても怖い。そこに救いはあるのか。本当にみんな幸福に生きているのか。あるいは幸福になれる可能性はあるのか。

いやはや、非常に高慢で倣岸で他者に対する侮蔑に満ちた考え方ですね。ここには根本的に、他者を自分より劣ったものだとする思想が露骨に現れています。それはその通りだと思います。ですから、こういった考え方からいかに脱却するか、それは要するに他者に対する信頼をいかに持つかということなのでしょうが、それがぼくにとって非常に重要なことになってきます。ですが、それはまた次回触れることにして、ここでは、あくまでそういった偏った考え方をする人間がいるとして、その位置から何が見えるのかをもう少し追ってみましょう。

神というのは要するに、原理的に不条理であるこの世界と、その不条理に耐えるほど強くない人間との仲立ちをしてくれるものだとぼくは思っています。その不条理さに、それでも/それ故神を見出すのか、あるいはすべてを偶然だと捉えるのか。そしてぼくは偶然だと捉えます。あらゆる存在がこうむってきたすべての苦痛に、必然的な理由などない。もちろん、死後の世界など(ぼくにとっては)存在しませんから、その無数の苦痛は取り返しのつかないものとしてぼくらの前に突きつけられることになります。

神を信じないぼくにって、終末論的証明など糞の戯言に過ぎません。そして死を見ることのできないぼくにとって、死に対して他者の抱く恐怖は理解できず、それ故それを共有して共に苦しむこともできません。ですから、苦しみ恐怖しながら死んでいったすべての人々が、絶対的に救いのないものとしてぼくに迫ってきます。その死を無駄にしないとか、何でも良いのですがそういった理由づけは、繰り返しますが生者の言葉であって、死者の言葉ではない。あらゆる死は究極的に個人的な体験であり、それを前にして語られるいかなる言葉も高慢であり暴力です。あるひとつの苦痛は、絶対に消えることのない、赦されざる罪なのです。安部公房は『死に急ぐ鯨たち』の中でインタヴュアーのある質問に対してこう答えています。

「そこで救いとして宗教を持ち出したら、途端に死ぬやつは生き延びるやつを許さなきゃいけなくなってくる。[中略]神を試すなかれですよ。おまえが選ばれないからといって、嘆いてはいけない、これも神の試練なのだと言われれば、もうどうしようもないじゃないか(笑)」(『死に急ぐ鯨たち』安部公房、新潮文庫、p.111-112)

ぼくも、そう思うのです。

しばしば、礼拝において聞く話に、「いかにして神の救いが私に与えられたか」というものがあります。悩み、恐れ、苦しんでいたとき、神の愛によって救われたと彼ら/彼女らは言います。ぼくはそのような人々を見るたびに激怒しました。では彼らは、救われなかった無数の人々に対して同じように語れるのか。彼らの取り返しのつかない恐怖を前にして、それでも薄ぼんやりとした笑みを浮かべて神の愛について語れるのか。自分には救われる価値があったがお前にはなかったと言うのか、それとも苦しんで死んだお前にも救いがあったと言うのか。どちらにせよそれは暴力です。もちろん、この批判はまったく裏返しのものとしてぼく自身に跳ね返ってきます。ぼくはどのような権利を持って、ある救いのない人間が存在したと断言できるのか。その人間の魂が救われなかったと、いかなる立場からぼくは断じることができるのか。彼らが神の愛によって暴力を振るうと言うのであれば、同じようにこのぼくも、存在しない神に対する怒りによって暴力を振るっている。

その先生の言葉でぼくが深く共感したことがあります。まだ若かったころ、彼が事故に巻き込まれ、九死に一生を得たことがあったそうです。そのとき彼はどうしてもやらなければならないある仕事を抱えていて、瞬間、神に祈ったと言います。どうかまだ、いまは死なせないでください、と。そうして彼は、奇跡的に助かりました。だけれども、先生は仰いました。そこに理由をつけること、すなわち自分に救われる価値があったとか、自分のやらなければならない仕事に価値があったとか、そういうふうに考えるのは間違っている。神の恩寵というのは、それぞれの人の、それぞれの一瞬一瞬においてさまざまな形で一回限りのものとして現れるのであって、それは人間にははかり知れないものだ。だから人は、与えられたすべての毎瞬を全力で生き抜かなければならない。そこにあるのは、神に代わって世界を説明しようとする高慢さではなく、神に与えられたものを(それが苦しみであれ喜びであれ)ただ平らかに受け入れる、神に対する純粋な信頼です。

あるとき、世界のどこかで、誰かさんが苦痛にのたうち回って死んだとする。何故か、と訊かれると困るのですが、ぼくはどうしてもそれに対して答える義務を感じるのです。そしてぼくは、そこに回答の絶対的な欠落を見てしまう。意味づけることの暴力に対して、病的な怒りを感じるのです。無論、繰り返しますが、他者の苦痛に対して意味づけができないとするぼくの態度もまた、ひどく暴力的なものです。おそらくそこには、ぼくが人間というものを徹底的に独りであるものとして考えているということが反映されています。それはたぶん間違っていて、普通の人であれば誰もが自然に理解しているのでしょうが、人間は独りではない。けれどもぼくは、どうも器質的にそれが理解できないらしい。

そんなぼくにとって、ですから神というものは究極の暴力として顕現することになります。しかもそれは存在しない神ですから、その暴力に対抗しようとするあらゆる努力は、どこにも焦点を結ぶことができない。永遠に遠ざかりつづける敵を殺すための矢を射るためには、つまるところ永遠に弓を構え続けるしかない。絶対的に神を認めないとするとき、ぼくらは、すべてを神で説明しようとするのと(鏡像的な意味で)まったく同じ暴力によって他者を蹂躙することになります。そしてそれを純粋に個人の内面から捉えるのであれば、このように言うこともできるでしょう。すなわち、信仰とは神を赦すことによって自らが赦されることであり、非‐信仰とは存在しない神を赦さないことによって自らを赦さないことである、と。

結局のところ、これはぼくにとっての信仰の物語でしかありません。ぼくの世界には、徹底的に他者が存在しない。他者が存在しない限りにおいて、ぼくの信仰は極めて強力です。神の見えないぼくにとって、存在しない神に対する憎しみは真理としてあり続けます。けれども、同時に、ぼくはこうも言わなくてはなりません。ここに書いてきたことはすべて嘘である、と。信仰とは、決して論理的に導かれるものではない。そしてここに書かれたことは、あまりにも論理的に過ぎるのです。ぼくの存在しない神に対する怒りというものが、存在しないが故に神を素通りして自分に跳ね返り、そしてぼくはその赦されないということによってぼくという存在を成立させている。赦されないというその一点のみにおいて、ぼくはぼくたり得る。そして当然、それは自己矛盾であり、やがては破綻するだろうと思うのです。

ヨブは神との合一により「我」を捨て、その魂は不壊のものとなりました。ぼくは神との離反によって「我」に固執し、それ故必ず崩壊することになります。どちらも、結局、同じことです。そうして、どちらも、他者との関係を究極的には放棄しています。ぼくはそう感じています。

けれど、ぼくらはこの世界で独りで生きているわけではない。そしてぼくらは、誰もが「我」を捨てられるわけではないし、「我」だけを武器に神と戦おうとするほど病的なわけでもない。神はいるかもしれないし、いないかもしれない。世界は美しいかもしれないし、醜いかもしれない。

という訳で、次回はようやく最終回です。ぼくらにとっての罪とは、そして赦しとは何なのか。それは、いままで語ってきたような極端な形の中に在るようなものでは決してないはずです。ぼくらが生きる日常において、ではそれはいったいどのような形で現れてくるのか。答えは恐らく出せませんが、長く深い憎しみを経て、最近ほんの少しだけ、見えてきたものがあります。それはみなさんが聞いたら、恐らく驚き呆れるような単純なお話ですが、たぶん、真理なんていうものは、そこら辺に転がっているありきたりなものなのだと思うのです。