曝されることへの不安

最近、軽いことを書いていませんね。cloud_leafさんといえば、そのあまりの軽さ故に三年以上つき合ってくれる友人が絶無であるというほどなのです。でも性格は暗い。これはいちばん困りものです。それはさておき、何だかまじめなエントリーばかり続いてしまったので、きょうはちょっと明るいお話を書こうと思います。

ブログにも書きましたが、先日、相棒とふたりでNYに行ってきました。ぼくは(ぼくを知っているほとんどの人が信じてくれないのですが)昔イギリスに住んでいました。帰国子女。でも帰国子女って変な言葉ですね。どうして子女なのかな。帰国人間。でももっと言えば、ぼくは国という考え方が大嫌いなのです。いまはまだいいですね。「国という考え方が大嫌い」とか言っても、まだ何とか生活していける。いつまでそんな状況が続くのか分りませんし、ここで続くと言われる対象とはまさに国によって担保された「国民」の意識そのものなのですから、どうしたって自己矛盾を孕み続けるのでしょうけれど。

ともかく帰国子女なのです。でも本当に英語ができない。というと社交辞令というか遠慮というかへりくだりというか、そんなふうに捉えられてしまうけれど、本当にできない。どのくらいできないかといえば、NYで友人が住んでいるアパートメントに行ったときのことです。なかなかに立派なアパートメントで、フロントにちゃんと担当の人がいる。いま、このフロントにいる人のことを何と呼ぶのかを考えたのですが、だんだん分らなくなってきました。そもそもホテルとかで入ったすぐのところにあるあれ、フロントって言いましたっけ? 最近どうも言葉がよく分からなくなってきました。でも元気に生きています。

で、そのフロント(?)で、「お前は誰だ、何の用だ」みたいなことを言われる。何を言っているのか分らないが、ともかくそんなオーラを感じる。オーラで話す英会話。こっちも必死にオーラを返すわけです。この時点でもう会話ではない。でも、何かが伝わる。伝わって戻ってきた返事(オーラ返事) が「お前は新居を探しているのか、その隣にいる女性は妻なのか」でした。隣に相棒がいたんですね。凄い! オーラ英会話、何も伝わっていない! まあでも、こいつダメだみたいな目つきの相棒がぼくに代わってその人と話をして、そこに住んでいる友人に会いにきた旨を伝えてくれました。最初から俺にオーラ出させないでよ、と泣きながら思ったのですが、まあその冷たい目つきにゾクゾクできたので良しとしましょう。

そのくらいに英語ができませんので、今回のNY行き、最初は本当に憂鬱でした。ものすごく憂鬱。まじめな話、ストレスのあまりポルトガル人の霊に憑かれてポルトガル語が話せるようになったくらいです。どうせなら英語を!

けれどもこれ、よくよく考えてみると(こういうことをじとじと考えるから、一見軽いのに実は暗くてcloud_leafくん気持ち悪いと言われる所以ですね)、ただ単に言葉が通じないところに行くのがいや、というだけの話でもない。何というのかな、ぼくは、普段このブログをお読みくださっている方はご存知だと思うのですが、言葉というものに対する執着がとても強い人間です。昔、とても弱くて(いまでもそうですが)自分を守ることができなかったころ、そしてかつ死に対する恐怖が異常に強かったころ、ぼくは自分自身を守る術として、言葉しか持ちませんでした。と言っても、それは交渉や脅迫、あるいは阿諛追従によって自分を守るということではありません。物語を作ることを意味していました。物語を作るというのは、幻想の世界に逃げ込む、ということとは異なります。この世界を眺める、もうひとつ別の視点をかたちづくるということ、すなわちもうひとつ別の世界を作るということです。ぼくはまだまともに言葉を扱えないころから、必死にその技術を磨いてきました。生き残るために。おお危ない! 暗い話になりかけてきました。

でまあ、それはいまでも変わりないんですね。いまではぼくは自分自身の死を恐れることはなくなりました(無論、死にたい、ということではまったくありません。むしろその逆です)。でも、物語を通して世界をかたちづくるということはずっと変わらない。このブログもそうです。昔相棒が書いていましたが、cloud_leafさんって本当にいるんでしょうか。相棒って本当にいるんでしょうか。いるかもしれないし、いないかもしれません。「真実」なんてどうでもいいんです。そんなもの、どのみちないのですから。同時に、物語を物語ることによりその場で、一回限りの真実は生まれるし、そしてそれだけでいいのです。

もちろん、その物語とは、ぼくがどのようにこの世界を語るか、そういった自己中心的なもの(だけ)ではあり得ない。言葉というものが「語る」ことによってしか成立し得ない以上、そこには必ず語られるきみとの共同作業があるし、その共同作業こそ/のみが言葉だとも言える。同時にしかし、それはぼくときみの間で同一の言葉が語られるということではない。必ず、そこには差異や断絶が生じる。だからこそ「伝える」ということが可能になるのだし、そこに意味が生まれる。同一であれば、そもそも伝えることなんて不可能です。伝える前から伝わってしまっているのだから。

そういった意味で、海外に行くということは、ぼくにとって物語を物語ることにより自分の世界をきみに伝えるということが不可能になるということでもあるのです。すなわちそれは、ぼくがぼくとして在ることを極限まで危険に曝すということです。ぼくは物語る世界なしに、生の自分を相手に曝け出さなければならない。それは自分の魂を賭け金にした冒険です。それは途轍もなく恐ろしいことです。ポルトガル人に憑かれるレベルです。ボア ノイチ! エストウ マーウ チャウ、チャウ!

でもね、それで良いんです。だってオーラで語る英会話があるから。いや違う違う! ぼくらは、先に書いたとおり、同じ言葉を共有していると思っている相手とでさえ、実は同じ言葉など決して共有していないからです。「言葉の通じない」海外へ行くことはその極端なかたちではあるけれど、ぼくらは日常的に、それをやっている。そしてそれは、自分自身との会話においてさえそうなのです。そうじゃないでしょうか? だからこそ、ぼくらは自分自身にさえ問いかける意味を持ち得る。ぼくはそう思います。

友人のアトリエで、一人の少女と出会いました。友人も相棒も素知らぬ顔でぼくを放置です。でも泣かない。オーラです。彼女はぼくに、「facebookはやっているか?」と訊いてきます。なかなか友だち作りに積極的じゃない、さすがアメリカンじゃない。ポルトガル人であるぼくはそう思います。「OK、きみにぼくのfacebookアカウントを教えよう」ぼくはクールに答えます。すると友人と相棒が、冷静な(というより無表情な)顔でぼくに言いました。「彼女はきみに、『タバコを吸っても良いか』と訊いているんだよ」。

OK、表へ出ろ。ぼくは自分にそう呟きました。無論オーラで。

その後、何がどうなったのか、ピザの入った平箱を片手で肩の上に掲げ、人っ子一人いない街中を相棒とふたりで歩いたのも良い思い出です。何をしに行ったのかよく分かりませんが、いろいろ学ぶことがありました、アメリカ。もうしばらくは行きたくありません。

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