この連休中に、論文を一本書こうと思っています。特に出かける予定も遊ぶ予定もないのですが、それでも、一つだけでも自分の考えていることをまとめられるのであれば、それはきっと良い休日だったと言えるでしょう。考えてみれば、昨年は博論に追われ、五月の連休もお盆もひたすら読むか書くかで過ごしていました。今年もいろいろな締め切りが迫っているのですが、この連休くらいは自分のペースで論文を書く余裕があります。
昔、人形劇をやっていたころ、何しろ少人数の部活でしたから、ぼくらはそれぞれ、仕事を兼任しなければなりませんでした。ぼくの場合は、たとえば脚本と役者と大道具小道具など。思えば、いまぼくは女性がひどく苦手でして、相棒以外の女性に近づくなど考えただけで胃が痛くなるのですが、当時は狭いけこみの中で、ほとんど女の子ばかりの部員に混じって人形を操ったりしていたのです。不思議です。もしかしたら、あのころのぼくはつねに幽体離脱状態で生きていたのかもしれません。
それはともかく、大道具を作るとき、自分の癖なのでしょうか、結局ごみになってしまう多くの試作品を無駄に作ってばかりいました。不器用だったということもないので、そういったスタイルでないとものを作れないということなのかもしれませんね。十の無駄から一の完成品。良いことではないのですが、どうしてもそうなってしまう。
それはいまも変わらないんですね。文章を書くとき、大量の下書きのなかで、残るのはせいぜいほんの少しの断片だけです。けれども、その断片だけをいきなり手にすることはできません。どうしても、無数の書き損じがなければならない。論文の最終稿にはまったく残らない多くの思いつき。けれども、最後には消えてしまうそれらすべてが、残ったひと欠けらに、確かにその痕跡を残しています。
当たり前のことですね。論文もそうですし、写真だってそうです。そもそも、ぼくらの人生そのものがそうではないでしょうか。忘れてしまった多くのものごと、いなくなってしまった多くの人びと。けれども、それらすべてが、いまこの瞬間ここに在るぼくというものを形づくっています。思い出せないすべての出来事が、確かに、このぼくという存在そのものに、直接その存在を記録している。
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論文には書けないような、ただの空想。例えば、こんなことを考えます。
ぼくらは、可傷性を通して他者に開かれています。この私がいまだ私でないとき、その私ならざる私に対して、お前は誰だときみが呼びかけます。呼びかけられることにより、この私はそれに応答を強要されるものとして、在ることを強制され、答えるものとして私になります。したがって呼びかけは暴力、根源的かつ最大の暴力です。けれどその暴力がなければ、それを暴力と呼ぶ私は存在し得なかった。そしてその暴力に対して互いに剥き出しに曝されているからこそ、ぼくらは真に(どうしようもなく)つながっているのだし、互いに責任を持つことができる。だから、この原初の呼びかけが、ぼくら人間にとって、倫理の根源にあるし、それは単に外在的な規範ではなく、ぼくらの存在そのものでもある(例えばバトラー)。
けれども、神は違います。出エジプト記でモーセが神に名を問うたとき(すなわちお前は誰だと呼びかけたとき)、神は答えます。「わたしはある。わたしはあるという者だ」(新共同訳 出エジプト記3:14)。これは様々な解釈が可能な箇所ですが、思うに、神はここで、自分が人間のように呼びかけられることによって存在を始める、存在が規定されるようなものではないことを明らかにしているのではないでしょうか。あらゆる関係性から切り離されている神は、何ものに対しても責任を負う義務を持ちません。むしろ神に呼びかけられ、侵害される我々人間こそが、神に対して一方的に責任を持たなければならないのです(例えばレヴィナス)。
けれども、神を信じるという能力の欠如したぼくからすれば、こんなことはまったくのたわ言です。思えば昔からぼくは倣岸不遜な人間でした。いつでもつねに、いつかぼくが死に、存在しない神の前に立つときのことを考えていました。そのとき神はぼくに訊ねるでしょう、「お前は誰か」と。ぼくらは、ただ独りで存在しない神の前に立ち、この世界のすべての歴史を引きうけ、答えなければなりません。ぼくの答えは決まっています。「俺は俺だ、這いつくばって死ね」。最後の瞬間、存在しない神に対してそう言い放つ。なぜ神がそう問いかけてくるのか、そしてなぜ自分がそう答えなければならないのか、ずっと分らないでいました(その理由を考えることもなかったというほうが正しいでしょう)。けれど、この数年間何か分らないものに突き動かされるまま考え続け、いまようやく、その理由が少し分ったように感じています。神というものは、それ自体で、ぼくの信じる責任と倫理に敵対しているのです。
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60mm、F4.0、1/30秒、ISO100、WB:オート、クリエイティブスタイル:AdobeRGB(一部モザイク)
大学へ行ったら、写真部が展示をしていました。新歓の案内もあります。ぼくらの研究室がある建物の一階に展示ができる小さなスペースがあり、写真部の人びとが時折そこで展示をしています。ぼくのようなイレギュラーな学生にとって、サークルとか部活とか、そういったものはもうまったく関心の対象にはなりません。もちろん、向こうだってぼくのような年嵩が入ったら扱いに困るでしょう。
けれども、そんなことではなく、ぼくはもう何かの集まりに入ることはないだろうと思っています。昔、ぼくは犬を飼っていました。ずっと昔です。昔、ぼくは人形劇のサークルに入っていました。これも、信じられないくらいずっと昔のお話です。もう、それで十分過ぎるほど十分な記憶を、ぼくは得ました。楽しいことを抱えきれないほど経験しました。「楽しいヨ!」と書かれた看板に見えるのは、ただ、過去の時間です。
だけれども、暗い話ではないのです。決して暗い話ではない。ぼくらはつねに何かに対して開かれています。すべてに対して、開かれています。あらゆるものがぼくに、そしてきみに呼びかけてきます。ぼくはその看板にカメラを向け、一枚だけ、写真を撮ります。きっと、伝わらないかもしれません。あるいは、伝わるかもしれません。けれどこの一枚の写真から、ぼくには、ぼくがいままで関わり、いまはもういないすべての存在と過ごしたときの声が、微かに聴こえてくるように思うのです。
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きょう、あちこちに配るために改めて製本した博論が届きました。謝辞に、このブログを通して知り合った人びとへの感謝を記しています。ネットはぼくにとって、他者への開かれのひとつの希望であり、ぼくらの頑迷な人間観を打ち壊す確かな可能性です。周りにはお気楽な主張だと言われ続けていますが、それで結構。もしもぼくがお気楽に生きているというのであれば、それはぼくにとって誇るべきことです。
個人名がたくさん出ているので、写真に撮って載せる訳にいかないのが残念ですが、せめて謝辞の一部を、これを読んでくれているきみに。多くのものごとをここでも切り捨ててきたけれど、それでもそのすべては、論文のなかの一つ一つの言葉に、見えないけれどはっきり見える足跡を刻んでいます。
他大に所属していた頃から数え、計十年近くに及んだ仕事と研究の両立は、時に大きな労苦を伴うものでした。そのようなとき、ネットの向こうから常に私を「書くこと」へと繋ぎとめ続けてくれた幾人もの仲間にも、心から感謝します。ネットは決して空虚なものではないという信念を、名前も知らないきみたちが証してくれた。
本当に、ありがとう。