いまはもういないきみに、存在しない神の祝福を

ほんの数日前、仕事から疲れ切って帰宅して布団に潜りこんでいるとき、ふいに、とてもひさしぶりに心が穏やかであることに気づいた。客観的にいえば、落ち着いているような状況ではない。いろいろな物事はむしろ悪化しているといってもよいくらい。にもかかわらず、やはりぼくの心はとても穏やかだった。

ブログには書いていなかったけれど、博士号を取得した。Ph.D.(agriculture)。 Ph.D.の扱いに関してはいろいろな指摘もあるけれど、教授陣のひとりが「Doctor of AgricutureではなくPh.D.であることに誇りを持て」と言っていたことが印象に残っている。どちらが上という話ではない。農学研究科にある思想系の研究室を出たのだという自覚を持て、という叱咤だろう。博論は、政治的な配慮で書いた部分もあるけれど、それも含めて、自分の戦いの痕跡だ。既にいま読み返しても拙いところばかりだが、恥じることだけはないだろう。

幾つかの幸運がかさなり、今年度から都内のとある女子大で非常勤講師をすることになった。無論、キャリアとしては非常勤講師に先はない。けれど、もとより先があると思ってこの道に進んだわけでもない。途轍もない時間とお金を、回収しようと思って研究などできるはずがない。それは何かの甘ったれた美学などということではなく、たんに、やらざるを得なかったから、やるより他にどうしようもなかったから、というだけに過ぎない。そしてそういった衝動のない研究など、そもそも在り得るはずがない。

この一年は在籍していた研究室に顔を出しつつ、相変わらず仕事と研究を並行させていくことになる。素朴に考えて、これは良いことではない。標準的な人間が自分の能力を仕事と研究に割り振れば0.5ずつにしかならない。自己満足でやっているつもりはないから、少なくとも残りの0.5をどこからか引っ張りださなければならず、要するにそれは、自分の身を削るということ。しかし考えてみれば、それは誰もがやっていることだ。結局のところ、自分の体力がある限り、進むしかない。

修士の最終口頭試問の当日に父が亡くなり、留年してもかまわなかったけれど、葬儀社の手配までしたところで大学に走り、ぎりぎりで試験を受けて号を取得した。博士の受験も、たまたま友引を挟んだため通夜の日に当たり、試験を受けに行くことができた。友引でなければ、告別式当日と受験が重なり、博士に進むこともしばらくは諦めていたと思う。

別に、号の取得などどうでも良い。急がなければならない理由もない。研究とは、そんな枠組に縛られるものではない。現実的にはそうでない部分が大きいとしても、現実を語る人間がこの年で大学を一からやり直すはずもない。ただ、できれば父に、自分の研究の一端でも伝える時間が残されていたらとは思う。それはいまでもそう思っている。

ぼくは、他人の死を消費するような下種を嫌悪する。あらゆる存在は、きみの娯楽のために存在しているのではない。きみの自己満足、自己愛の喉元を擽るために在るのではない。だからそういったつもりで書くのではないということを本当に信じてもらいたいのだけれど、この数年のあいだに触れてきた幾人かの死を通して、おかしくなりそうな怒りと苦痛で、実際しばらくはおかしかったと思うのだけれど(博士の二年目半ばまでくらい、実際、ぼくは連続して安定した記憶がない)、それでも、つねに自分の魂が求める何ものかがぼくを引きずって前に進ませてくれた。頼んでもいないのに。けれどそういうもので、そういうものがないのであれば、ぼくはそれは研究ではないと思う。

笑ってしまうくらい、将来なんてものは見えない。けれど、この「ぼく」という人格を超えたところで、それはぼくの魂が選んだものだ。だから、引き受けるしかない。

ぼくが考えるのは、既にいなくなってしまった人びとのこと。苦痛と恐怖のなかでのた打ち回り、救いのないまま死んでいった無数の人びとの声に、決して聴こえないとわかったうえでなお耳を澄ませること。存在しない神の前にいつか立つとき、存在しない神に唾を吐きかけ死ねと言うこと。

いつでもそうだったけれど、いまも、ぼくはとても楽しい。

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