The sky in NY


SONY α700(DSLR-A700) + シグマ 30mm F1.4 EX DC, F1.4, 1/15秒, ISO200, WB:オート, CS:AdobeRGB

7年ぶりのアメリカ。以前に訪れたミネソタとは異なり、街全体が良くも悪くも尖っていた。いろいろなものを見たけれど、すべてが抽象的に渦を巻くひとつの印象に塗りこめられ、いまはそのひとつひとつを取りだすことはできない。それでも、幾つか記憶に残っているものを書いてみよう。肥満で膝を痛め杖をつく人びと。地下鉄のホームでギターを弾きつつ歌っていた少女。若いアーティストが集う街区のカフェテリアでは、男の店員が壜のキャップを手で空け、得意そうに笑っていた。おとなしすぎる犬たち。事故を起こしかけた歩行者と車の運転者が喧嘩をし、大通りの向こうからも人が野次を飛ばし見物する。巨大な鉄の塊でバリケードが組まれたウォールストリート近くの街路。タクシーの運転手はつねに、ヘッドセット越しに歌うように何かを連絡していた。Bellevue Hospital Center。アパートメント屋上のペントハウスから眺めたNYの夜景。ニイハオ、と挨拶をしてきたブロードウェイの呼び込み。
JFKに向かう地下鉄を乗換駅で降りたとき、若い黒人の車掌が身を乗りだし、ぼくにずっと手を振ってくれていた。ぼくも、手を振りかえした。

きみの弱さが罪だったのなら/ぼくの強さは醜さだろう

とあるピアノコンサートに行ってきた。といっても目的は音楽を聴くことではなく、そこである人に会うことだった。コンサートそのものは盛況で、早めに行ったぼくは隅の方に座ったけれど、ほどなく周囲もすべて人で埋まった。ブザーが鳴り、座席側の照明が落とされる。ざわめきが静まる。演奏が始まる。

するとすぐに、ぼくの心はここではないどこかへ漂い始めてしまう。無論、周囲への警戒はつねに怠らないけれど、それはほとんどサブルーチン化されている。おかしな素振をしている人間はいないか、天井に吊られた照明器具は手入れがされていそうかどうか、最短の避難ルートをどうとるか。そういったものごとを半分無意識に判断しつつ、けれど頭の中では、すでに勝手な会話が始まっている。いわゆる独り言とは少し違う。独り言はぼくも言うが、あれはまさに、独りで喋っているだけでしかない。

会話の相手は、ぼくが知らない/知っている/知っていたあらゆる人びとだ。もうこの世界には居ないひともいるし、いつも会っているひともいる。著書を通してしか知らないひとであり、あるいはぼく自身でもある。会話の内容は、研究に関すること。要するに、ぼくが世界をどう見ているかということ。ぼくにとっての研究とはつねに、ぼくが世界をどう見るか、その物語を語り続けるということでもある。

そしてこういうとき、ぼくはいつも、実際に自分がその会話を口に出してしまっているのではないかと不安になる。というと少々語弊があるかもしれない。ぼくは他人にどう思われようと知ったことではないと言い放つ程度には傲岸不遜な人間だ。仮にぼくが異言を語り、おかしな奴だと思われたところで、それがいったい何だというのだろう。所詮、彼ら/彼女らはぼくの人生に何の関わりもない。

けれど、ほんの十数年昔のぼくは、そうではなかった。すぐに自分の想念に囚われ、そこでの妄言を現実の世界に垂れ流しているのではないかということを恐れ、怯えていた。誰もが多かれ少なかれそういった面を持っているのかもしれない。けれど、その恐れを本当に共有できた相手は、極わずかしかいない。

***

そのとき、ぼくらは部室にいた。どうしてそんな話になったのかは覚えていないが、ぼくはその子に、ぼくの恐怖心について話した。彼女は目を大きく見開いて頷くと、――そうそう、私もそうなの、すごく怖いよね、と言ってくれた。うまく伝えられないけれど、彼女の仕草にぼくは、確かにその恐れが共有されていることを感じたのだ。そのころのぼくはひどくええかっこしいで、しかもその格好悪さに気づいていないほどに救いがたく格好悪い人間だった。それでも、彼女の、その開け広げな態度に、普段のぼくなら決して言わないような、そのときのぼくだったら格好悪いと思うようなことを素直に言ってしまっていた。――ずっと黙っているとさ、唇が乾いてくっついちゃうよね。つまらない講義を聴き流しながらぼーっと考え事をしていて、ふと我に返って、ああ俺いま考えていたことぜんぶ喋っていたんじゃないかとか思ったときに、乾いた唇がしっかりくっついているのに気づくとさ、すごくほっとするんだ。あ、喋っていなかったんだ、って。そうすると、彼女はまた強く頷き、――そうそう、私もそうなの、と言った。そしてそのすぐ後、ぼくらはほとんど同時にお互いが上唇と下唇を堅く合わせ、おかしな表情をしているのに気づき、思わず笑ってしまった。

たぶん、これを読んでくれたひとは、そんなことは誰だって感じているのだと思うかもしれない。きっとそうなのだとぼくも思う。大した話ではない。けれども、これもまたたぶん、大したことではないと言えることこそが、きっと大したことなのだ。ぼくは根が粗暴で、難しいことは良く分からないし、あまり物事を深く考えることもない。楽しいことも寂しいことも、みなすぐに忘れてしまう。他人にどう思われようと知ったことではない。そうやって、ぼくらは生き延びてきたし、生き延びていく。けれど、あり得たひとつの未来として、頭の中で延々繰り広げられるその会話を止めることができず、それが漏れることへの恐怖心から逃れられないぼく、というのもきっと存在していたのだ。ぼくはたまたま、自分の愚劣さゆえに、そちらへは行かずに済んだだけでしかない。そちらに行った彼女は、いま、ぼくの頭の中の会話相手として、しばしば現れる。現実と呼ばれるこの世界で、その子と話すことは、もう決してできない。

***

コンサートの会場で、ふと我に返る。あらゆる音、あらゆる光、あらゆる感触。そういったこの世界の無数の欠片が、あっという間にぼくをノイズのような想念に引きずり込んでいく。ぼくはその渦の中で、かつて知っていた/いまだ見知らぬ大勢の人びとと会話をしていた。

ぼくはそれを、声に出してしまっていただろうか? すっかりふてぶてしくなってしまったぼくは、まあ、もしそうなら、会場の係員がぼくをつまみだすか何かをするだろうなどとぼんやり考える。それでもふいに、ぼくは自分の唇の感触を確かめてみる。考えてみれば、今朝からひとことも発していないぼくの口は、堅く乾き、開こうとすればばりばりと音がしそうですらある。――ま、こんなもんだよね。そうぼくは思う。――そんなものよ、と、頭の中のどこかで、笑みを含んだ彼女の声が答える。

雑記

隣に座っていた女子高生たちが、合格発表をどうするか真剣に話していた。電車から降り地下からの階段を上りきると、ビルの合間から見える空が恐ろしいほどに美しかった。そういえばあれはいつのことだったか、昨日かもしれない。まだ日差しが明るいとき、道を歩いていて空を見上げたら、白と青のコントラストが信じられないほど精緻に空に描かれていた。本当に見た光景なのか、その瞬間ですら信じられないほどだった。ぼくらは、もしかしたら眼が可能にしてくれている以上の高解像度で、頭の中に映像を思い浮かべることができるのかもしれない。

けれども、どんなに美しいものでも、ぼくはほんの一瞬しか目を向けない。それは隙だ。ぼくらはつねに、どんな事故に巻きこまれないとも限らない。注意をしていても防げないことはあるけれど、防げることまで防ごうとしないのであれば、それは愚かだ。少なくともぼくは、そう思う。すぐに通りに目を戻し、無表情を装って道を歩く。

用があって、待ち合わせの喫茶店につくまでにある和菓子の店へ寄った。そこで可愛らしく作られた和三盆を買う。包んでもらうあいだ、入れてもらったお茶を飲む。無害で無意味な笑顔を浮かべ続ける。店を出ると、もう、先ほどの奇跡のように美しかった空は消えていた。

喫茶店につき、並んでいると、後ろに立った初老の会社員がぼくを妙にしつこく眺めている。いや、別段妙ではない。むしろ妙なのはぼくの方。何しろジーンズのポケットには穴が開いているし、着ているセーターときたらやはり擦り切れて穴だらけ。靴は履き古した登山靴。年齢も職業も不詳、身なりもぼろぼろというのでは、きっと彼の価値観では、相当に胡乱な人間だということになるのだろう。分らないでもないし、責めるつもりもない。だから薄ら笑いを浮べ、やり過ごす。

ぼくは冬が好きだ。朝、まだ暗いうちに目が覚め、布団から這いだし、着なれたぼろぼろのセーターに身体をもぐりこませる。とても幸福な一瞬。冷たい水で顔を洗い、雨戸を開け、新聞を取りに行き、牛乳を飲みながら見出しと天気予報だけを確認する。鞄に読みかけの論文や参考文献を突っ込み、会社か、あるいは大学へ行く。疲れていると、どちらへ行ったらいいのか、しばしば分らなくなる。けれども、それもまた幸福だ。自分には居場所がないということ。

居場所がないということは、けれど、許されないことでもある。大学に行き直すなんて凄いね、という人びとの目の奥にある侮蔑と嫌悪、困惑と憎悪。ぼくもそれは良く分かる。きょう、注文していた書籍が届いた。幾つかの文献における幾つかの用語の、原語での使われ方を確認するための、ただそれだけのもの。ただそれだけで、ほんの数冊の本だけで、カメラを一台買えるくらいの値段が軽くなくなる。ぼろぼろだけれど、暖かいこのセーターが、ぼくは好きだ。靴を見ればその人間の、などという人間をぼくはひっそりと嫌悪するし、彼らもぼくを嫌悪するだろう。いや、単に無視するだけかもしれない。

空いている喫茶店の片隅に座り、ノートを起動し、ぽちぽちと文字を打ち込んでいく。腐ったような音楽と人びとの声が混じり、ただうわーんというノイズとしてぼくの耳に届く。腐っていると思うものは腐っているというのが信条だけれど、まあ、それはぼく自身が腐っているということを如実に表しているに過ぎないのだろう。それでも、論文を書いていると、ある瞬間、思いもしなかったところで思いもしなかった論理がつながるときがある。無論、そうそうあることではないけれど、それはやはり、研究をする最大の喜びのひとつだろう。

気がつけば、彼女が向かいの席に座っている。篭ったノイズが、再びさまざまな音として認識されるようになる。ぼくはノートを閉じ、彼女とともに席を立つ。外に出て手をつなぐ。見上げれば空はもう暗く、雲は見えない。――セーターが穴だらけだね、と彼女は朗らかに笑い、穴に指を通す。そうだね、と答え、ぼくも笑う。

たぶん、ぼくはとても幸福なのだと思う。

ぼくらはあのバス停にいた

秩父で合宿をしてきました。

その年度に博論あるいは修論を提出する予定の院生が、自分の論文の進行状況を発表するというのが、合宿の主な目的となります。ぼくは一応今年度の博士号取得を目指していますので、発表をしなければなりません。ここ最近は論文の執筆に集中しており、このブログの更新もだいぶ滞っていたのですが、おかげさまで無事に発表を終えることができました。まだまだ完成までには稿を重ねていかなければなりませんが、今回の発表で、完成がだいぶ見えてきたのは確かだと思います。

秩父は、昔ぼくが最初の大学にいたころ、人形劇の合宿で何度も訪れたところです。ぼくらは西武秩父に集合し、少し離れたところにあるバス停からバスに乗り、ゴトゴト山道を揺られながら登っていきました。そしてとあるお寺の本堂に泊まり、みんなで自炊しながら、川で遊び、そして近所の子どもたち相手に人形劇を上演しました。もちろん舞台などありませんから、持参したプラパイプを組み立ててシーツで覆い、襖を外して枠にして、そんな簡易舞台で劇をするのです。

今回の合宿地はそこから少し離れたところなのですが、けれど西武秩父で集合というのは変わりありません。待ち合わせは11:20。けれども荷物が多かったこともあり(といっても原稿とカメラでふくれただけですが)、ぼくはかなり早めに行くことにしました。ラッシュで大荷物というのも、避けられるのであれば避けたほうが良いですからね。けれどもそれだけではなく、少し、昔ぼくらがうろうろしていたところを歩いてみたいということもありました。

考えてみれば、秩父に一人でくるというのは初めてです。いつもは少なくとも相棒と一緒か、他の部員たちと来ることが大半でした。西武秩父に到着し、まずはあのバス停へ。最後に来たのはもう十年くらい昔でしょうか。みんな卒業したあと(ぼくは退学でしたが)、一度か二度、当時の部員たちが集まって、あのお寺に泊まったことがあるのです。もうほとんど忘れてしまったけれど、それからもう十年は経っているのではないでしょうか。けれども、さすがにバス停の場所を忘れているということはありません。駅から歩いて五分程度のところですし、何度も歩いた道です。バス停はそのままありました。標識はきれいになっていますが、確かにこの場所です。すぐ近くの民家のガレージには、相変わらずツバメが巣を作っています。時期的にいまツバメがいるのかどうかは分りませんが、今年もそこに巣を作っていました。しばらくそれを眺めて、また歩き出しました。

ちょっと口調を変えましょう。

クラウドリーフさんは、驚くほど頑健なひとです。とにかく良く歩きますし、骨が頑丈です。重い荷物もへっちゃらです。ずんずんずんずん、どこまでも炎天下を歩いて行きます。もちろん、慎重な彼のことですから、水分補給も忘れません。汗だくですが、カメラを片手に、久しぶりの自由な時間をとことん歩いてやろうと思っているようです。といっても集合時間までのわずか二時間ほどですが、それでも、近くにある札所を二つ三つ巡ることくらいはできるでしょう。クラウドリーフさんはとにかくオプティミストです。というよりもまあ、少々残念なくらいに楽天的なのです。過去のことには囚われませんし、そもそも良く思い出せません。悲しいことも「悲しいね」と言って少し笑ってそれきりです。バス停を後にして、ずんずんずんずん、どこまでも歩いて行きます。

とりあえずの目的地は札所の十一番と十二番。駅からほんのすぐ近く。あちこちに看板があるので、道に迷う心配もありません。しばらく歩くと、早速札所十一番につきました。お寺の名前は忘れました。クラウドリーフさん、本当に記憶力が悪いのです。けれど、とても穏やかなお地蔵さんに出会いました。彼はこういうことだけはいつまでも覚えています。とても良いお地蔵さんでした。

それから、いま来た道を戻り、さらに行き過ぎ、今度は札所の十二番です。このお寺はとても面白かった。山門の両側に、幾つもの奇天烈な木像があります。写真も撮りましたが、それは割愛。いつか皆さんが秩父に行かれることがありましたら、西武秩父から歩いて十五分程度のところ(二十分くらいかな)ですので、興味があるかたはぜひ参拝なさってください。

さて、ここまで来て、だいぶ時間も経ってしまいました。実は昨日の夜からほとんど何も食べていないので、駅方面に戻り、ミスタードーナッツに寄ることにしました。そしてドーナッツを食べながら、しばらく発表原稿の確認。集合時刻の前まで、そこで論文のことを考えていました。

合宿では、基本的には一日中ゼミをしていることになります。それでも、朝は食事まで自由ですし、夕食後は宴会やら温泉やらとなります。ぼくは肉体的にも精神的にも疲労がピークに達していたので、結局温泉には入りませんでした(シャワーは何度も浴びましたよ)。飲み会も、そういうのはまあ、凄く好き、ということもないので、ある程度までにこにこ参加して、寝てしまいます。その分朝は早起きし、カメラを持って散歩に行きます。

早朝の秩父。少し歩くと河原へ降りることができます。ここではありませんが、昔、ぼくらも似たような河原で泳いでいました。

道端にあったお堂の番をするお狐様。おっかない表情を浮かべようとしていますが、仲良く並んでかわいらしいですね。お堂の中には、なぜか二人の達磨さん。

朝靄の中を飛ぶ鳥。何の鳥でしょう。何だってかまやしません。どうせクラウドリーフさんは覚えられないのです。

葉っぱ。ただそれだけですが、ぼくの眼は、けっきょくこういうものに向けられるようです。

そんな感じで、今回もいろいろなものを撮りました。といっても、草や昆虫や石や何かの糞や、要するにいつも撮っているようなものばかり。だけれど、そういったものに独りで静かに向かい合う時間というのは、かけがえのないものです。怒りと憂鬱しかない気持ちが、そういったときだけはとても静かに凪ぐのを感じます。いえ、もちろん、クラウドリーフさんは楽天的なひとです。他のひとの評価がどうであれ、論文を書くのは楽しいですし、発表も楽しい。空気は澄んでいますし、夜中、真暗な橋の上で蹲り、星空を撮るのも楽しい。ここはPHSの圏外なので、部屋の前にある公衆電話で彼女に電話をし、硬貨がカシャン、カシャンと音を立てて落ちるのを聴きながら、いつもより少し遠い彼女の声に耳を澄ませます。

***

三日間は、あっという間です。宿から西武秩父までは宿のバスを出してもらえるので、それに乗って、ぼくと数人は帰途に着きます。他の院生たちは、自分たちの車に分乗して、引き続きどこかへ観光に行くようです。けれども、ぼくは大学へ戻り、彼女と夕食を食べる約束をしているのです。貧乏学生だった昔とは違い、特急にだって平気で乗って、何の思い入れも感傷もなく、日常生活へ戻るのです。

昔、ぼくらが人形劇をやっていたころ、ぼくらは何度も秩父へ来ました。そのとき一緒だったひとたちは、誰かさんたちとは完全に縁が切れ、誰かさんはこの世界から縁を切りました。みんな、もう、ぼくにとっては誰かさんです。残ったのは相棒だけ。あるいは、ぼくらだけが残されたのかもしれませんが、そういうレトリックは、ぼくは、好きではない。

これは、ただのバス停です。昔、ぼくらはここからバスに乗り、そしてどこかへ行きました。ぼくは記憶力が悪いので、バス停の名前が同じかどうか、発着本数が同じかどうか、そんなことはまったく思い出せません。ま、本数の少なさだけは変わらないようでしたけれど。

だけれど、確かに、ぼくらはここから出発しました。バスが来るまでの間、今年もツバメの巣があったね、などと話し合いました。

***

宿からのバスに同乗した院生たちは、元気に何ごとかを話し合っています。ぼくは窓の外を眺めています。十数年が過ぎて、けれどいまだに何も変わらないぼくだけがここにいます。相変わらずへらへらへらへら、何が楽しいのかいい加減なことばかり言って暮らしています。けれども。

けれども、クラウドリーフさんの乗ったバスが西武秩父の駅へ着いたとき、彼は不思議なものを見ました。駅のベンチに座っていた若い女のひとが、ぼくらのバスを見ると、笑顔を浮かべて立ち上がり、軽く手をふったのです。それは、ぼくらと一緒に人形劇をやった誰かさんに、とてもとてもよく似た笑顔のひとでした。クラウドリーフさんはほんの一瞬、何か救われたような、泣きたくなるような気持ちになります。けれどもどれだけ頭の悪い彼でもこの世界に救いなどないことは知っていますし、第一、彼は泣くほど繊細な心など持ち合わせてはいません。ぼくはよく知っています。彼は、愚かで倣岸で、感傷とは無縁な人間です。

彼は荷物を背負い、バスを降ります。さっきの女性がどうしてこちらに手をふったのかは分りませんが、バスの向こうに知り合いの車があったか、あるいは単に勘違いをしただけか、いずれにせよ、クラウドリーフさんには何の関係もない話です。

良い論文を書くしかありません。それを選んだのだから、切り捨てたすべてのものを忘れずけれど迷わず、残りの時間を過ごそうと思っています。

夏の日々

先日、集中講義のTAをしてきました。授業のお手伝いです。いろいろな雑用をします。ぼくは会社員をしながら大学へ来ているということもあり、研究以外のことにはあまり関わることがありません。ですから、こういったお仕事もやってみるとなかなかに新鮮です。

けれども最近は仕事も忙しく、かつ博論執筆に向けていろいろ読まなければならないものも山積みになっていて、そうとうに眠いのです。ホワイトボード用のマーカーのインクが切れたとか、座席が足りなくなったとか、そういった問題が発生したときには教室から飛び出して走り回って解決するのですが、そうでないときは基本的に隅っこ(とはいえ教室前方の隅なので、生徒からは丸見えですが)に座り、ぼんやりしていることが大半です。

などと言えば聞こえが良いのですが、しかしこれ、ただぼんやりしているだけではない。クラウドリーフさんを甘く見てはいけません。何しろ不慣れなので、準備は念入りにと思っていても、変なところで抜けがあります。そうするとどたばた走り回ることになる。何しろ暑いさなかですから、問題を解決して教室に戻るころには汗だくです。先生が講義している脇で、「はあっ、はあっ」などと荒く息を吐きながら汗を拭います。

しかも初日は頭痛を併発してしまいました。通常は何とかコントロールできる範囲に抑えられるのですが、時折、ちょっと気を失いそうになるほど酷くなることがあるのです。今回は運悪くそれが講義中に始まってしまいました。しかし精神力です。じっと我慢の子です。クラウドリーフさんは、良いことなど何もない人生を三十云年に渡って耐えてきたのです。いまさら耐えられない何事があるというのでしょう。

「はあっ、はあっ、うっ!」白目を剥いて、頭を壁に打ちつけます。大丈夫。みんなが気づいていても、ぼくは気づいていない。世界は主観でできているというのが彼のモットーです。自分さえ気づいていないのであれば、それは存在しないのも同じなのです。

けれどあまりに痛みが酷くなると、こっそり教室を抜け出し(と言いつつ先生の脇を通り抜けざるを得ないのですが)、となりの院生部屋に行って頭から水を被ります。まるで江戸時代の拷問のようです。そして手ぬぐいで顔を適当に拭き、また講義に戻ります。濡れた髪の毛がマッドサイエンティストのように跳ねまくっていますが、彼はもはやすべてを諦めた男です。人の目を気にして、いつもええ恰好しいだった、自意識過剰な昔の彼はもういないのです。「死を恐れぬ武士に、もはや迷いはない」クラウドリーフさんはついに幻覚を見始めます。等身大の腐ったトマトと、あともうひとり、やはり腐った何かの野菜が、幻覚の中で彼に説教をしています。先生が講義をする傍らで、なぜ俺はこの腐ったトマトに説教されなければならないのか。クラウドリーフさんはぼんやりと困惑します。

けっきょく、講義のあと、院生部屋でしばらく気を失っていました。同期の子がやってきて、何やら冷蔵庫の中の腐ったジュースを元気が出るから「飲め、飲め」と勧めてきます。これも幻覚かと思っていましたが、後で聞いたところ、どうやら実際に腐ったジュースを勧められたようです。ぼく嫌われているんでしょうかね。しばらくして少し歩けるようになったので、相棒に駅まで送ってもらい、どうにか帰宅しました。

翌日は講義はお休みで、お仕事。その翌日が、また集中講義です。講義開始は十時なのですが、何ごとも完全主義なクラウドリーフさんは七時半には大学へ着いてしまいました。二日目ともなると特に準備はないのですが、しかし着いてしまったものは仕方ありません。彼は箒とちりとりを持ち出し、教室の掃除をすることにしました。この大学、何しろ汚いのです。修士のときの大学は、とにかく綺麗でした。さすが学費が二倍以上違うだけはあります。とにかくトイレが綺麗でした。ちなみに、その大学の近くへはいまでもしばしば行くのですが、クラウドリーフさん、トイレだけを借りにこっそり侵入していることがあるという噂があります。あくまでも噂です。彼は、「いや、恩師に挨拶に行くついでにさ」などと言葉を濁していますが、ぼくは知っています。彼は修士論文の口頭試問が終了して以来、その教授と一度も会っていないし、メールのやりとりさえしていないのです。絶縁。

それはともかく、二日目の朝です。掃除です。クラウドリーフさんは人格的に多くの問題を抱えているひとですが、綺麗好きなのと骨年齢の若さと体脂肪率の低さと頚動脈の美しさだけは保証つきです。人間ドックの結果を相棒と比べながら見ていたのですが、頚動脈の美しさときたらまるで芸術でした。ぼくは今後、それだけを支えに生きていこうと思っているのです。

などと呟きながら掃除をしていると、黒板の下にたまったチョークの粉に気づきました。やれやれ、誰も掃除していないからこんなになるんだ。彼は箒をずずいと伸ばしました。するとチョークの山が、ふいに猛スピードで動き始めました。そう、ぶりごきがいたのです。ストレートに言うと顰蹙を買いそうなのであえてひっくり返してみたのですが、かえって逆効果だという気がひしひしとしています。

しかしみなさん、カラフルなチョークの粉に塗れたあいつをご覧になったことがありますか? ぼくは初めて見たのですが、なかなかにパステルカラーがファンタスティックでエレクトリカルパレードでした。

そんなこんなで、TA、案外つらかったです。その翌日から普通に仕事に戻り、お盆に入ってからは基本的にずっと論文を書いています。合宿までにできれば第四部の草稿は書き上げたいと思っていますので、まだしばらくは休みなしで走り続ける日が続きます。この一月で参考文献を十五冊読み、資料を九万文字打ち込みました。が、まだまだ、勝負はこれからです。休みが明けたらまた仕事も増えてくるでしょう。

けれども、余裕です。クラウドリーフさんは、いつでも余裕です。ぼくは彼のそんな能天気さが、案外気に入っています。

きょうは大学へ行き、少しだけカメラを持ってうろうろしてきました。お盆休み、けっきょく一日もオフの日はありませんでしたが、それでも、地面に転がっているもの、這っている虫、ぶんぶん唸る蜂などを眺めていると、それで十分、ぼくにとっては旅行になるのです。

小説も読んでいませんし、みなさんのブログにもなかなか行く時間が持てませんが、もうしばらく、こんな感じで集中していくつもりです。みなさまにおかれましては、どうぞ良い夏休みを!

それはまるで珈琲のような

こんにちは。きょうはとても疲れているので、とっておきのコーヒーを飲むことにしましょう。ぼくはとにかく何かを描写するのが苦手でして、じゃあ描写以外は得意なのかと言えばもちろんそんなこともありませんが、でも何しろ描写力がない。というわけで、きょうは先日明治屋で購入したコーヒーについて描写してみようと思うのです。その見た目、その味。皆さんの脳裏にまざまざと浮かび上がるかのように描き出す。ま、無理に決まっているのですが、人間、何ごとも鍛錬です。

さて、コーヒーです。”Hawaii Kona 100%”。Cocktail-Do Coffee co., Ltd.と書いてあります。興味のある方は調べてくださいね。グーグルで検索する気力もないのです。瓶詰めのコーヒー。珍しいですね。写真を撮れば良いのでしょうが撮る気力もないのです。えー、ラベルはシンプルです。白地に青くHawaii Konaと書いてある。夏っぽいです。賞味期限は今年の10月05日。けっこう保ちますね。でも早い方が美味しいでしょう。容量は900ml。アイスコーヒーだそうです。わ、冷やしていないや。まあいいでしょう。とりあえず飲んでみます。

おっと、その前にまず見た目を描写しなくてはならぬ。何かほら、「何とかのように黒くてほにゃらら」とか、小説を読むと書いてあるじゃないですか。良く分からないけど。積んである小説をあさればどこかにコーヒーについて描写した箇所があるかもしれませんが、探す気力がないのです。きょうは気力のないクラウドリーフさんです。でも良いのです。自分の力を信じる! じっくりとコーヒーを観察してみましょう。……黒いですね。コーヒーのように黒い。ねえ見て! まるでコーヒーのように黒い! ……もうやめていいですか? いいですか。ありがとう。だいたいコーヒーの見た目を描写して誰が得するというのでしょうか。莫迦らしい。

いやしかし諦めてはいけない。では封を切ってみましょう。ちゃんと封がしてあるところ、なかなかに高級感が漂います。でも容赦なくびりびりと封を切ります。クラウドリーフさんのがさつな性格がうかがえます。切りました。蓋もあけました。ううむ、いかにもコーヒーの香りがしますね。少し甘い感じ。ところで描写ってどうすれば良いんでしょうかね。いまさらですけれど。

では飲んでみましょう。考えてみると、瓶からコーヒーを注ぐのって生まれて初めてですね。コポコポ、良い音がします。でもね、これ、個人的な感覚ですけど、あんまりこういう音を描写するのって品がない気がしてしまう。いや音だけじゃなくて、もうここまでのこと全部かなぐり捨てて言いますけどね、コーヒーなんて飲んでおいしければそれで良くないですか。で、美味しいね、って静かに思って、それで十分じゃないですか。何かね、こうぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ書くと、お前は徳大寺有恒か北方謙三か! という気がしてくる。いやどちらも読んだことがないのだけれど、何となくコーヒーとかにうるさいイメージがある。「男がコーヒーを飲むときは……」とか。ぼくは軟弱なのでそういうのは苦手。ちなみにwikipediaで徳大寺有恒をみると「外国語の日本語表記に独特なセンスを持つことで知られる」と書いてあって、例として「メルツェデス」とある。これはもうメルセデスですね。車なんてまったく知らないぼくでも分る(どっちが正しいとかではないですよ)。「ジャグァー」はジャガーだ。これも分る。父も確か「ジャグァー」と言っていた気がする。三段論法で言えばぼくの父は徳大寺有恒だったことになる。これはもう、論理的に考えてどうしてもそうなる。でもね、「ドゥシヴォ」、ぼくはこれ、絶対「東芝」だと思った。東芝って車作っているんだってびっくりしましたよ。2cvって何のことでしょう。そしてコーヒーの話はどこに行ったのでしょう。

それではいよいよ飲んでみましょう。うっ、苦い。かな? うん、苦い。香りには甘さがあるのに不思議。しかしいつも思うんですけど、相棒と何かを食べたりしたとき、時折「どんなふうに美味しかった?」とか訊かれるんですね。で、これ、ぜんぜん答えようがない。「何か分らないけどおいしかった!」といつも泣きながら答えます。塩を舐めたらしょっぱいし、砂糖を舐めたら甘いですね。それ以上どう言えっていうんだ! と思うのです。みなさん思いませんか? 思いますか。ありがとう。

とりあえず、でも、とても丁寧な味だとは思います。コーヒー好きな人にはお勧め。うん。よし、じゃあちょっとここまでまとめて書いてみましょう。描写。描写。描写。

彼は瓶に入ったコーヒーを見た。それはまるでコーヒーのように黒く、しかし光に透かすと少し茶色かった。「すかす光にすかすと……」彼は部屋の片隅で独り呟くとフヒヒ、と笑いを漏らした。栓を開けると、コーヒーの匂いがした。なぜならそれはコーヒーだったからだ。かすかに甘く、だが口に含むと、あたかもコーヒーのごとく苦かった。「ガムシロップガムシロップ」彼はわたわたと辺りを探った。できればこれはのび太が「メガネメガネ」という感じでやってもらいたいのよね、と彼は思うのであった。

何かハードボイルドしてね!? 俺マジ北方謙三じゃね!? と彼は思うのであった。ちなみに彼の普段の言葉遣いはこのブログにおけるそれとは違い、そうとうに崩れているのであった。

でまあ、突然シリアスになるのですが、自分にとっての表現というもの、最近良く考えるのです。ぼくの文章っていうのはかなりニュートラルだと感じていて、基本的に個性がない。語る内容でかろうじてぼくらしさみたいなものがあるかもしれないなあと思うくらいで、根本的に何かが欠けている。とは言え別段暗い話ではなくて、じゃあどうしたらいいのかな、ということをいろいろ試行錯誤しています。幾つになっても、言葉を書くっていうのは難しいし、完成しないし、でも言葉っていうのはこの「ぼく」自身のかたちでもあるし、だからこうやって悩む、変えていく余地があるっていうのも、やっぱり楽しいことなんですよね。ではまた!

アウトバーン

怖い話が好きだけれど、さてほんとうに怖い話となるとなかなか思いつかない。怖くないだけならまだしも、人間性を冒涜するような話、いやそこまでいかなくても人間を馬鹿にしたような話は面白くもおかしくもない。たとえば有名な都市伝説で道路を高速で走るお婆さんの話がある。有名な、などと言っておいてなんだけれどほとんど覚えていない。とにかくまあ、もの凄い速さで高速道路を走りぬけ、あらゆる車を追い抜いていくらしい。それはそれで好きにすればよいのだが、どうにも話の底が浅い。

だいたい、肘をついて走ろうがブリッジしながら走ろうが、そんなことでいちいちぼくらは驚くだろうか? 怖がるだろうか? そんなはずはない。ぼくらの日常は、毎日がもっと想像を絶するような愚行や残酷な行為に満ち満ちている。お婆さんが元気に時速100kmで走るなら、むしろそれは喜ぶべきことだ。けれども同時に、夜中、独りで走る老婆の心のうちを考えると、そこには言葉を失うほどの痛みと悲しみもまたある。よし、とぼくは思う。この話にできる限りの美しさと悲しみ、そして救いを与えてみせようではないか。

なぜこのお婆さんは走っているのか。まずはそこから考えてみよう。このお婆さんには昔、最愛の結婚相手がいたのだ。そして子供もいた。幸福な家庭だった。けれどあるとき、家族で楽しく近くのレストランで食事をした帰り道、信号無視の車に夫が轢かれた。お婆さんは(もちろんそのときはまだ若かったのだけれど)逃げていく車を必死に追った。死に物狂いで。けれども追いつけなかった。夫は死に、犯人は捕まらなかった。彼女は少しばかりおかしくなってしまい(しかしそのような目にあってなお正気を保てるような強さを持ったひとが果たしてどれだけいるだろうか)、道を往く車を眺めていたかと思うと突然凄まじい形相で追いかけ始め、疲れ果て転倒するまで追うのをやめようとはしなかった。やがて彼女は老い、走ることもままならなくなり、ある日亡くなる。それからしばらくして、高速道路を車より早く走る老婆の噂が囁かれるようになる。そうして抜き去りざまにじっと運転手を見つめると、――お前じゃない、と言い残して走り去っていく。

さて、ここで夫婦の一人息子に話は移る。子供を育てられるような状態ではなくなってしまった母に代わり、妹夫婦がその子を引き取って育てることになった。幸い、妹夫婦は優しく思いやりがあり、子供がいなかったこともあって彼を我が子と同じように育てた。夫はある企業の社長であり、家は裕福だった。何一つ不自由のない生活のなかで、けれどその子は幼いなりに自分の両親を襲った悲劇を理解し、どこかに陰を隠したまま成長していった。大人になり、自身の努力もあって相当な財を成した彼は自動車を趣味とするようになった。クラシックカーを整備し、夜の高速を飛ばす。どこか他人を遠ざけるような雰囲気をまとい、いまだ独身の彼にとって、それは唯一自分を解き放てるときだったのかもしれない。明りに照らされる遠くの路面に目を据え、アクセルを踏み込む。窓を開け放ち、ただ轟々と響く風の音に耳を澄ませる。

ある晩、彼が高速を走らせていると、老婆が猛スピードで後から走り寄ってくる。少々常軌を逸して冷静な彼は、そのようなこともあるか、などとぼんやり感じながら運転し続ける。老婆はまたたく間に彼の車に追いつき、開け放した窓からほとんど顔を突っ込むようにして彼の顔を覗き込んできた。ここで二人は互いのことに気づくべきだろうか。いや気づかないほうが良いだろう。二人は気づかない。相手がかつて母であり、息子であったことに。老婆は一瞬奇妙な表情を浮かべる。人間だったころの記憶の残骸が一瞬光り、けれどすぐに鈍く沈む。――お前じゃ、ない。そして老婆は走り去る。老婆の顔を見て、彼もほんの一瞬、何かを思い出しかけたような、思い出さなければならないことを思い出せないようなもどかしさを覚える。そして走り去る老婆を見送り、瞬間、アクセルを一気に踏み込んで追いかけ始める。

こう見えてぼくはモラリストだ。彼が法定速度を大幅に超えて走るのを見過ごすわけにはいかない。よしこれは独逸の話にしよう。アウトバーンだ。であれば老婆の名前もドイツ名にしなければならない。アウレーリエにしよう。老アウレーリエ。アウレーリエが苗字か名前かも分らぬがかまわぬ。ヴィルヘルムマイスターの修行時代などという一度読んだきりになっていた本が役にたっただけでぼくは嬉しい。

何が彼を惹きつけたのかは彼にも分らない。ちなみにぼくにも分らないのだが、そういうことは黙っているほうが良い。ただ、彼は追わなければならないと思ったのだ。自分の人生に何かが欠けていることを漠然と感じてきた。何故かは分らないが、アクセルを踏み抜いても追いつけないあの老婆の背中に、彼が失い続けてきた何かがあると彼は信じた。アウレーリエってつけたけれどあんまり意味ないな。

まあいろいろあって、毎晩彼はアウトバーンで老婆と命がけのレースを続けるわけです。老婆を抜かなければならない。老婆よりも早く走らなければならない。そうでなければきっと、彼は失った何かを知ることはできないと思ったんですね。でもういろいろあって最後。

その瞬間、彼は自分の命から手を離した。死んでもいいと思ったのではない。生死などを超え、老婆との勝負さえも超え、そこにはただ自由があった。すぐ先にはカーブが見えている。その向こうにはどこまでも続く深い闇。それでも彼はアクセルを踏み続けた。そこには絶対的な自由があった。彼自身が気づきもしなかった彼の魂のなかに巣くう虚無。それはすでに、彼のはるか後方へと去っていた。彼は笑っていた。そしてふと気づけば、老婆もまた笑っていた。彼女を突き動かしていた憎しみも怒りも、すでにそこにはなかった。彼らは互いが母であり息子であることを最後まで知らなかったが、それでも、彼らは彼らが本当に求めていたものを、そのとき確かに手にしていたのだった。

結局、彼は助かった。カーブを曲がりきれずに車は大破したが、彼だけはまったくの無傷だった。どうして助かったのかは分らないが、きっとあの老婆が救ってくれたのだと彼は思った。それ以来、あの老婆を見たものはいない。

やがて彼は、老人ホームを巡り、クラシックカーに老人を乗せるボランティアを始めた。それは老人たちにとても喜ばれた。飛ばせ、飛ばせとせがむ元気な老人もいたが、彼はもう無茶なスピードを出すようなことは決してなかった。窓の外を流れる風景を眺め、老人が生きいきとした笑顔を浮かべるのを見るのが彼は好きだった。ホームの職員をしていた女性と親しくなり結婚をした。娘と息子が生まれ、孫ができるころには彼もまた老人になっていた。

ある日、彼は孫娘をお気に入りのクラシックカーに乗せ、アウトバーンを走っていた。友人たちと旅行に行く彼女を途中まで送るのだ。老いてもいまだに矍鑠としている彼の運転は危なげない。孫娘は老人に訊ねる。――お祖父ちゃん、何か怖い話ない? 無邪気な彼女は、友人たちと過ごす夜のための、ちょっとした刺激が欲しかった。――怖い話、かい? ――そう、うんとうーんと怖い話! 彼は微笑む。――そうだな。よし、じゃあ私が知っているたったひとつの怖い話をしてあげよう。怖くて、悲しくて、でも救いのある話を、ね。不思議そうな顔をする孫娘を横目に見て愉快そうに笑うと、彼はそっとアクセルを踏み込み、アウトバーンの先を目指した。