これは再生ボタンですか? いいえ、この部屋にベッドはありません。

いつも書いていることだけれど、ぼくはある特定の日に意味を持たせて何らかの区切りにするような考え方が嫌いだ。そういう外的な要因によって人間の在りようが変わるなどというのは虫唾が走る。ものすごい勢いで走り回って、出会い頭にぶつかって恋が芽生えたりする。成人式とか、最たるものですね。莫迦じゃないかしらと思う。だいたい、ああいった体制側の作ったシステムに乗る若者っていうのがひどく不気味だ。人間はみな非‐体制であるはずなのに、反‐体制ですらない。などと書きながら、でもこれもやっぱり極端な意見で、べつにきみに押しつけるつもりはない。成人式に出てひさしぶりに友人に会ってやあ、なんていうことにも、あるいは会いたい友人はいないけれど母が遺してくれた振袖に初めて袖を通して話す相手もないままけれど誇らしげに式に参加するということにも、そこにはそれぞれの物語があり得るし、実際あるのだとも思う。ただ、ぼくは成人式と言った瞬間、そういった個々のかけがえのない物語がのっぺりとした何かに塗り潰されてしまう気がするし、むしろ塗り潰されるものであるからこそ参加するひとたちがいるということも経験的に感じている。同じように、年末年始というのも別段それほど意味があることだとは思えない。繰りかえすけれど、そこには個別の、固有の物語は生じ得る。さまざまな苦労や苦痛を乗り越え、何も解決はしていないけれど、とりあえず生き残ってやれやれ、などと言いつつ炬燵で年越し蕎麦を食べる。それはそれで美しい光景だろう。けれどももしそこに美しさが生まれたのであれば、それは1月1日0時0分0秒という外的な形式によって生まれたものなのではない。そうではなく、そのある一瞬に永遠と無限を見いだした誰かさんの心のなかからこそ生みだされたものだ。ぼくらの前には、つねに代替不能な一瞬が永遠に連なっている。1月1日0時0分0秒だから特別だと思うのは、2011年7月23日13時51分27秒が持っていた絶対的な唯一性に対する責任と覚悟の放棄であるとしかぼくには思えない。今年も、けっきょくクリスマスがいつか分らないままで終わった。これで神学士だというのだから我ながら驚いてしまう。けれどもともかく、ぼくはある特定の意味づけをされた日の意味を理解することができないし、だから覚えることもできない。まあ、ぼくが真剣に話すと、たいていの場合はおかしいひとだと思われるだけなので、きみもそう思ってくれてまったくかまわない。

同じように(ところで、何が同じなのだろうか)、「思想」などと呼ばれるものをしていると、東西の云々みたいな話がでてくるが、それも虫唾が走る。走り回って転げまわってじゃれついて興奮のあまり引っくり返っておなかをみせて撫でろ撫でろと要求してきたり、もう可愛いといったらない。ともかく、西洋的な何かとかそれに対する東洋的な何かとか、何を言っているのかまったく意味が分らない。ポストコロニアリズムが自らに投げかけた批判というのがこれだけ簡単に忘れ去られてしまう状況というのが恐ろしい。在るのはただある一人の人間の思想であって、そこに聴くべき何かがあるのなら聴けば良い。西洋の、というのが愚かしいことであるのと同じように、それを批判するために東洋の、というのを持ちだすことにも意味があるわけではない。一神教に対する多神教の寛容さ、などという極端な排他主義、イデオロギーでしかない多神教の乱用などにはあまりの倣岸さに目が眩み、お父さん、まるで万華鏡を覗いているみたいだよキラキラしているよなどといって実はそれは街が燃えている火なのだ。いやもちろん、そこに誰かがリアリティを感じるというのであれば、そこから語れば良いのだし、それを批判するつもりはない。ぼくにとっては、それはそのひと独自のリアルな語りとして聴こえるだろう。ただ、「東洋」などといったものがあるとは、ぼくは本当には思っていない。それは実在ではなく所与にすぎない。

線を引いてしまえば、いろいろなことが分りやすくなる。でもたぶん、そんなことには何の意味もない。

もうずっと昔の話。卒論で文化変容について書いた。アクセルロッドとか。そうして、プログラムを組んでシミュレーションをした。いま考えれば幼い限りだが、いまやっていることも幼い限りなので恥じてもしかたがない。院試で卒論の話をするとたいていその大学の教授陣に受けて笑われていたから、ともかく可笑しいものではあったのだろう。それでいい。ただ、いまでも自分なりにおもしろく思うことがある。ぼくは文化というものを混沌とし続けるその過程のなかにしか存在しないものだと思っている。ありふれた考え方だ。そのシミュレータでは抽象化された文化的特性を色で表現するのだけれど、だからぼくは当初、時間の経過とともにその色の分布はより混乱を極めた百花繚乱的なものになっていくと予想していた。しかし実際にそのシミュレーションを走らせると、最終的にその小さな虚構の世界における文化の状態は砂嵐のような像に行き着くのだ、何度走らせても必ず。それは、ぱっとみるとどうしようもなく単調で一様なものだ。さまざまな色がわきたつようにモニターから溢れだすことを期待していたぼくは酷く気落ちした。けれどもしばらくして気づいたのだけれど、砂嵐というのは決して単調なものではない。現実にはそうではないにしても、原理的には一瞬現われた状態は二度と現われない。恐ろしいまでの一回性がどこまでも続いていく。その取り返しのつかない一回性こそがこの世界の本質なのだとぼくは感じた。子どもじみた妄想ではあるけれど、その直感はいまでも正しいと思っている。

ぼくらはこの世界にさまざまな線を引くことで、社会を形作っていく。そしてそうでなければ、ぼくらは生きていけない。だけれども、世界はそもそも、どうしようもなくそれそのものとして在るものだ。この「私」が存在するのは、絶対的な唯一性を持ったある一瞬における世界の総体を、それ自体として引き受けるときで、またそのときのみなのだ。ぼくらは線を引くことによってしかこの世界を理解することができないのかもしれない。けれどもそれは所与のなかでしか在り得ないことに対する諦めとして考えるべきではない。線を引く、ということが可能なのは、ぼくらがある一瞬一瞬にうねり続ける原初の混沌を感じとり、手で触れているということの証左なのだと、ぼくは思っている。

世界は存在する。そうして、だから「私」も存在する。それは宙ぶらりんで在り続けることに対する恐怖を引き受けるということだ。信仰であれ科学であれ思想であれ、その宙ぶらりんであることへの恐怖が出発点にないのであれば、ぼくはそれを侮蔑する。

***

愛だの寂しさだの触れるだの、ほんとうは途轍もない恐ろしさを持った言葉を、けっきょくのところ自己愛の発露としてしか理解していないような言葉を書き連ねて歌詞とやらにして「ロック」だなどとのたまっている連中をみるとほんとうに反吐がでる。この「ほんとう」は宮沢賢治的な意味で理解してもらいたいのだけれど、ほんとうに、反吐がでる。女子大の講義でも「反吐がでるよね」とか言っているので来年の講義はないかもしれないけれどもそれはともかく反吐がでる。来年の生活さえどうなっているか見当もつかないけれども、ともかく、思想とやらをやっているのである以上、ぼくはロックで在り続けたい。

心からそう願っている。

いつかの記憶を写真にしてきみに送るよ

あれはもう一週間ほど前だろうか、ひさしぶりに熱帯植物園に行ってきた。ひさしく会っていないひとと駅前で待ち合わせる。ぼくはひとの顔を覚えるのが極端に苦手なので、大丈夫だろうかと内心不安だったけれど、大丈夫だった。あるひとりの人間が持つ雰囲気というものは、なかなか、記憶からは消えないものだ。というよりも、そういう人間としか、きっとひとは再会できないのだと思う。植物園に向かう道は車通りが激しく、耳の悪いぼくは、後を歩く彼女たちが何を話しているのか、ほとんど分らない。けれども、騒音や空気の寒さや、大通りの反対側に広がるがらんとした空間すべてを含めて、どこか心地よく暖かな空気で満たされていた。

ある関係性を三年以上維持することが、ぼくにはできない。それは人間として何らかの欠陥なのかもしれないし、単にそういう性格だというだけのことかもしれない。それでも残る関係というものは確かにあって、そういった人たちに共通するものは何かと考えてみると、その人たちもまた、どこかに定着できない人びとなのではないかと思う。違うかもしれないけれど。定着できるというのは幸せなことなのかもしれない。人間として必要なことなのかもしれない。だけれども、それが正義であるとか善であるとか、あるいはそうでなければならない何かだ、といわれると、ぼくはどうも、逃げだしたくなる。

ぼくたちの幾人かは、何かによってどこかへ流されていく。幾人かは最初から川底の石にしっかりと根を張っていたり、水を吸って沈んだり、あるいは淀みに入り込んでぐるぐるまわっていたりする。何が良いとか悪いとかではない。天動説と地動説のどちらを選ぶか問い詰め、敵と味方の線引きをしたいわけでもない。川の表面を流されていく幾葉かの落ち葉が、あるときしばらく隣りあって流れていき、離れ、またある日偶然、再会したりする。

まだ届くけれど受け取る誰かさんのいなくなったメールアドレスを、いまだにぼくはアドレスブックに残している。消せない、というわけでもない。消そうと思えば簡単だ。最低なことをひとつ告白すれば、ぼくは届いた手紙の大半を捨てる。物に囚われるのは、本当に恐ろしい。

もう受け取る誰かさんのいないメールアドレスを取っておくのは、別段、感傷からではない。ぼくにはそもそも、感傷などという高級な感情はない。単に、どこかで、いまでもまだこのメールが相手に届くのではないかと自然に感じているからだ。

受け取る誰かさんがまだいることが分っているメールアドレスが何かを届けてくれるとは思えないこともあるし、受け取る誰かさんがもういないことが分っているメールアドレスが何かを届けてくれると思えることもある。

おかしな話だ。おかしな、というのは、頭がどうかしている、ということでもあるし、可笑しくて暖かい気持ちになる、ということでもある。

植物園に行った日、めずらしく、一日穏やかな気持ちで過ごしていた。別れ際、彼女たちが握手をするのを眺めていた。出会うときの握手より、別れるときの握手のほうが暖かさを感じるのは何故だろうか。

落ち葉が流れていき、ある瞬間、偶然か必然か、そんな人間の作った概念など飛び越えて、ぼくらは誰かに出会う。誰かに出合ったという記憶は、あとになって振り返ってみると、何故かいつも静止画で、音もなく、別れの瞬間を刻んでいる。

ノックをしてくれ、その空に。

ひさしぶりに夜の新宿を歩いた。学会の仕事を終えたあと、何となく同僚と先生を新宿駅まで見送り、自分が乗る駅まで歩いて戻る。どこまで歩くかは決めていない。目立たない容姿、目立たない雰囲気。目立たないというのは簡単で、要は慾を消してしまえばいい。人びとの発する慾はノイズとなって空気中に発せられ、溢れるそのノイズの影に身を隠してしまえば、誰とも衝突せず、誰にも目を向けられないで済む。慾のない人間など、ここでは存在しないのと同じことだからだ。雑踏のなかを言葉でない言葉の切れ端が無数に飛び交う。ラジオのダイヤルをぐるぐるまわしているかのように何かが浮かび上がり、すぐにノイズの海に消えていく。

新宿から四谷に進路をとる。昔、よく歩いた道だ。ぼくの働いていた会社は御苑のすぐ近くにあり、仕事が終わると、数駅離れたところまで歩いて相棒を迎えに行った。彼女と落ち合い、途中で食事をし、どうということのない会話を交わしながら新宿へと散歩をする。駅につくと彼女を見送り、ぼくはまた、いまふたりで歩いた道を戻る。御苑前で丸の内線に乗ることもあったし、四谷三丁目まで歩くこともあったし、あるいはさらにその向う、四谷を越えて半蔵門まで行くこともあった。べつに、たいした距離というわけでもない。幾度となく通ってきた道だから、あらゆるところに、彼女と歩いたときの記憶が残されている。その記憶と対話をしながら歩く。

御苑まで行ってしまえば、もう人はだいぶ減る。右手には暗い御苑。土曜日のこの時間は帰宅する会社員もあまりいない。会社のビルの下まで来て、上を見上げれば、もう電気は消えている。昔、ぼくがまだ会社員だったころ、大晦日も会社にいることが幾度かあった。窓からみる新宿の高層ビル群は、きれいではあったけれど、それはきれいだからこそ汚いものでもあった。汚いからこそ美しいものでもあった。

いかなる意味においても、昔を懐かしむということに対して、ぼくは反吐がでる思いしか抱かない。ぼくの過去が悲惨なものであったということではない。言葉どおりの意味で、過去が幸福に満ちたものであったにせよ苦しみしかなかったにせよ、懐かしむ、ということそれ自体に対する嫌悪感。

過去は懐かしく思うようなものではない。ただ単に、いつまでも、どうしようもく在り続けるものだ。懐かしむ、ということには、距離をとれるという前提がある。距離など、とれるはずもない。それはつねにそこに在る。生きていけば生きていくほど、ぼくらは数え切れないほどの過去を抱え込んでいく。それは静かで澄んだ化石のようなもので、けれどいつでもぼくに何かを語りかけている。人ごみのなかで感じる、彼ら/彼女らの発する慾のノイズとはまったく異なる、絶えることのない透明な対話。

なぜ、失ったもののことばかり考えるのか、といわれた。そういうつもりでもないのだけれど、反論はしなかった。失うということは得ることでもあり、得るということは失うということでもある。ぼくらは、二元化しなければものごとを理解できないと思い込まされているけれど、そんなはずはない。ぼくはぼくとしてここに在るのだし、世界も、歴史もまた、それそのものとしてそこにある。ただ、それだけのことだ。

傍らを、若い男女が通り過ぎていく。一時ノイズが高まり、またすぐに止む。

地元の駅で降り、暗い住宅街を歩いていく。時折、暗がりのなかにひとが立ち、空を見上げている。思いだす、今晩は月蝕だった。若い女の子が、きっと自宅の塀なのだろう、背中をぴったりと寄せ目を空に向けているけれど、ぼくが通り過ぎるまで少しばかり身を固くしているのが分る。ぼくはひっそりと苦笑する。中年の男がふたり、向かい合った家の前に立ち、けれど互いに声を交わすでもなく空を見上げている。ぽつぽつと、そういった人びとがいる。ノイズは聴こえない。

家に降りていく階段のうえで、しばらくぼんやりと空を見上げる。暗闇のなかで、自分が完全に消えるのを待つ。消えることは在ることで、在ることは消えることでもある。

ぼくは、そんなふうに思っている。

こう見えてぼくは長生きをする男だ、もちろんクーリングオフだってできる

ほんのしばらく、相棒が動物の世話をすることになった。その生き物はどんぐりや杉の実を食べるかもしれないというので、数日のあいだ、ぼくもどんぐりを探しながら道を歩いていた。ひさしぶりに大学へ寄るとき、途中の道沿いの家で、庭師のお爺さんが剪定をしていた。ぼくはこれはちょうどよいと思い、杉の葉を幾束かもらうことにした。「すみません、ここにある杉の葉、少し分けていただいてもよろしいですか?」「松の葉だな」といわれ、はい、とにこにこしながら貰ったものの、自分の呆け具合に少々不安になった。確かにこれは松の葉で、杉の葉ではない。そもそもぼくは、杉の実がほしかったのではないのか。それがどうして松の葉っぱを抱えて歩いているのか。大学につき、構内で定年退職した老先生にばったりお会いする。「こんにちは!」元気に挨拶するのがぼくの良いところ。老先生は松の葉っぱを振り回しながら歩いているぼくをみて「はっはっは」と笑いながら挨拶を返してくれた。相棒の研究室に寄り、葉っぱを渡す。杉の実が松の葉に変わったところで、いまさら驚くような彼女ではない。まあ入れたら遊び道具にするかも、とフォローしてくれたので、とりあえず渡しておく。その生き物は夜行性なので、ぼくがいるあいだずっと眠っていた。それも先週の話で、彼(彼女?)は無事に怪我も手術してもらい、もと居た山へ相棒によって返されていった。

あるいはこんなこと。こうみえてぼくはかなりのええ格好しいだ。女子大へ行くとき、いつも同じ服ではまずいと思い(無論ちゃんと洗濯はしている。服など持っていないだけだ。自慢にもならないが)、仕事帰りに、乗換駅にできたユニクロなるものに寄り、カーディガンというか何というか、とにかくそんなものを買った。癖毛にちゃんとブラシを通し、洗いたてのワイシャツにほこほこしたカーディガンを羽織ると、あら不思議、驚くほどひとあたりの良さそうなお兄さんのできあがり。と思ってえへんえへんと彼女のところへ行くと、「それ新しく買ったの?」と訊いてくる。「そうそう、ユニクロってところに行って買ったの!」と勇んで報告。いくらかというので3,000円くらいだったと答えると「どうみてもその値段には思えない」という。そうだろうそうだろう、ぼくのように格好良いと、着ている服も何倍にも映えるのであろう、などとは思わない。「1,000円くらいに見える?」と訊けば、「500円くらい」と言われた。言い訳をすれば、ぼくは肩幅だけはあるのだけれど極端になで肩なので、たいていの服はすぐに格好悪く型崩れしてしまい、まるで着古して伸びてしまったようにみえるのだ。説得力のない公式見解。

講義のとき、めずらしく疲れきってしまっていて、思わず座ってしまった。もちろん、しゃがんだということではなく、教壇の椅子に、ちゃんと格好をつけて。少し早めに講義を終わらせてもらって、講師室で休憩。一息入れて大学へ戻り、幾つかの作業をこなす。研究仲間と少し飲んで、家に戻ってから幾冊かの本を読む。

どうということのない日常。けれども、充実した日常。

もう限界のような気もするし、まだまだいくらでもアクセルを踏めるような気もする。ぼくは、言葉で自分を鎧うことに関しては天才的な技能を持っている。天才「的」であって天才ではないところが悲しい話ではあるけれど、所詮は器用さだけが取り得の人間だ。ともかく、ぼくは言葉で自分を鎧う。イメージとしては、何枚もの鉄の板で自分の魂を幾重にも縛りつける。ぎりぎりと締めつける。ぼく自身はたいして強いわけでも頭が良いわけでもないけれど、そうして自己暗示にかけることによって、たいていのことには耐えられるようになる。縛りつけすぎて歪んでしまった鉄の壁のむこうに、いまでもぼくがいるのかどうかは、すでにずっと以前から分らなくなっている。どのみち、それは大した問題ではない。ぼくと呼ばれる何ものかが存在して、そうして、確かに存在している。それ以上の何かに必要は感じていない。必要なのは存在することであって、存在するものではない。

彼女とどんぐりを探していた日の昼、道端にいもむしが転がっていた。ぼくは目が悪いけれど、そういったものは目に留まる。ほらほら、と彼女に教えると、彼女はさっと掬って草叢の奥へそれを放す。同じ日の夜、彼女の家に歩いて行く途中、暗闇の中にうずくまるがまがえるがいる。夜目は利かないけれど何故だかぼくにはそれが見える。彼女にほらほら、と教えると、彼女はさっと掬って草叢の奥へそれを放す。

どうということのない日常。アクセルを踏み続けるけれど、穏やかな日々。天才というものは、驚くべきことだけれど、確かに存在する。だけれども、ある瞬間、何の才能も持たない凡人がその天才に並び立つ。さらにその一歩先へと踏みだす。ぼくはその瞬間があることを知っている。

ルーアッハ、ルーアッハ、ルーアッハ。

基本的にぼくは、太宰にならうわけではありませんが、「おしるこ万才」など糞喰らえだと思っています。別に破滅願望とか、そういうお話ではありません。むしろそれはぼくにとって徹底して生きることを意味しています。おしるこ万才には、どこか生に対する甘えと怠惰と驕りが隠されている。そういうものには、心底怖気をふるうのです。ぼくを支えてくれるのはつねに、ジョバンニの強さです。救いのない日常を日常として生き抜くこと。大仰な言葉とか分りやすい敵だとか、そういったものは必要ありません。そして同時に、戦いを矮小化したいわけでもありません。なぜ「魂の戦い」が抽象論とされ、理想論とされるようになってしまったのか。なぜぼくらは、生きているこの一瞬一瞬に魂を感じることができなくなってしまったのか。根源的な問題がそこにあります。

***

女子大に行く途中、たいていいつも、一人の老人が恐らく彼の住んでいるであろう家の前に立ち、群のように歩いていく彼女たちを眺めています。それは、ぼくの偏見かもしれませんが、微笑ましいような情景では決してありません。それはぼくに、どこか澱んだ寂しさを感じさせるのです。透明な寂しさが硬く美しいものだとすれば、澱んだ寂しさはただひたすら痛々しいものです。道を行く彼女たちの多くは、恐らくその老人を見てはいないでしょう(同じことは、残念ながら教室におけるぼくと一部の生徒に関してもいえます。彼女たちの眼に、おそらくぼくは映っていない)。そして同時に、その老人の目もまた、過ぎ去っていく彼女たちを「彼女たち」以上のものとしては見ていない。

先日、北海道に行きました。夜に到着し、翌日昼に帰着。ただ発表のためだけの移動。体力的にはともかく、精神的には少々つらいものがあります。発表は、最近自分にとって面白いと思うことに、ほんの少し新しいことをつけ加えたもの。というと聞こえが悪いですが、博論を提出し終えてからようやく自分なりの立ち位置というものが少し見え始め、いまはそこを基準点として幾つかのものごとを考えようとしているところです。だから見た目同じような話になってしまうし、実際まったく同じことを語ってもいるのだけれど、それぞれにベクトルが違うものでもある。なかなか、短い発表時間でそれを伝えるのは難しいですね。

けれどもそれ以上に、今回の発表ではいわゆる教授陣のような人々からは一切反応がなかったというのが、反省を通りこしてだいぶ不気味になりました(若い人たちからは鋭い指摘を受けて、それだけで十分だったのですが)。ぼく以外の発表者に対してはそれなりに意見が出ていたのが、ぼくのときだけ完全に彼らの目が死んでいるのです。まあ、学会の性質的にも仕方がないことかもしれないけれど、それにしても若干びっくりしてしまいます。いま、この瞬間を生きている少なくない人々が抱えているであろう問題に、ここまで無関心を決め込めるその神経が恐ろしい。そして彼らの発表や質問時におけるあまりの非常識さや失敬さ(その点、質問さえされなかったぼくは、むしろ幸福だったのかもしれませんが)。その人生において大学から一歩も外へ出たことがないひとであっても、当然ですが立派なひとはたくさんいます。けれども、そうでないひとも、残念ながらたくさん見てきました。そういった人々の眼には、どうやら「人間」なるものはまったく映ることがないようです。

ぼくとて、自分にとって意味のある人間としか関わるつもりがないと断言する程度には断絶した部分を持っています。けれどもそれは意識した断絶であって、無自覚的な欠落ではない。そして意識した断絶を超えて、人間というものがどうしようもなく開かれ、剥き出しに曝されたものであることをぼくは知っています。それは恐怖であり、悲しみであり、苦痛としてぼくに迫ってきます。それは決して自己のうちに閉じたものとしてではなく、開いている、曝け出されているが故のものです。けれども、年齢にも立場にも関係なく、完全に閉じてしまっている人びとが存在するのもまた、どうやら事実のようです。限られた才能と時間しか持たない意識されたものとしてのこのぼくには、いずれにせよそれはそうだとして諦めるより他ありませんし、またそれ以上のことをするいかなる義務もありません。ぼくは聖者でもなければ暇人でもない。その両者は同じことかもしれませんが。

先週、二つ目の大学でゲストスピーカーとして喋る機会をもらい、好き勝手なことを話してきました。やはり「死」や「神」や「魂」について話すのは、こういったブログであれば自由に書けるのですが、いまいる研究室ではなかなか(というよりきわめて)難しいのです。そういった意味で、いまはもうぼくがいた学部は存在しないのですが、それでも当時の雰囲気が欠片でも残っているところで話すのは、思っていた以上に楽しいことでした。当たり前ですが、学会によっては発表で「魂の苦しみと救済」とか言ったら頭がどうかしたと思われるのがおちでしょう。

その後、恩師と、その日が初対面のまだ若い牧師さんと食事をしたのですが、そういった場は、ぼくのように、どこにいっても器用だけれど器用なだけで終わるような中途半端な人間にとって、いちばん自然な言葉で話すことができる場でもあるのです。別に理想化しているわけではありません。むしろぼくは「神」的なるものに対して根源的に批判的な立場にいるし、だから仲良しごっこ的な意味で楽だということではまったくないのです。単純にそれは、勝ち負けやフォーマットを超えて、自分にとって話すべきことを話せる場というだけのことです。けれども同時に、なかなか得にくく、大切な場でもあります。

女子大での講義は、想像以上に準備が大変ですが、想像以上に楽しくもあります。自分がなにをもっとも伝えたいと思っているのか、それが見えてくるのが面白い。ぼくにとってのそれは結局のところ、考えるということは、答を出さず、断罪せずに耐え続けることだという、ただその一点なのかもしれないと感じています。答を出し、断罪を(あるいは救済を)するのは、そんなことは神野郎にでもやらせておけば良い。

***

また一つ非常勤をもらえる可能性があるようなないような雰囲気ですが、どんな形で研究をしていくのか、改めて考えなければいけません。しかしどうなるにせよ、最終的には魂の問題へと戻っていくことだけは、逃れようのない事実としてあるようです。

地球の裏側で蝶が羽ばたく音を

先日、とある集まりに参加するために、ひさしぶりに新宿へ出ました。集合の時間がちょっと中途半端だったため、新宿御苑で時間を潰すことにしました。きょうはカメラも持っています。本も、飲み物も装備して、冒険の準備はばっちりです。「そうやって油断した奴から死んでいったんだぜ」などと呟きつつ、フヒヒと笑って御苑に突入です。きょうは節電のため、大木戸門では自動券売機が止まっており、窓口のおじさんから切符を購入。ここで交わした会話が本日のハイライトでした。

新宿御苑前で地上に上がったときから、デモ行進がずっと続いていました。聞くともなしに聞いていると、どうやら脱原発を訴えての活動のようでした。デモ行進の列はなかなかに長く、御苑に入ってから閉園するまでの間ずっと、拡声器を通してその声が届いていました。

9.11とか3.11とか、そういった記号化された表現を、ぼく個人はあまり好きになれません。そしてまた、3.11を通して思想は変わらなければならない、変わらざるを得ないという哲学者たち、研究者たちは極めて多いのですが、ぼく自身はそうは思わないのです。無論、社会状況は変わるでしょう。人びとの意識も変わるかもしれません(しかし人びととはいったい誰のことでしょう? ぼくには分りません)。けれども哲学の在り方が根本的に変革を迫られているという言葉を聞くと、違和感を感じざるを得ないのです。ぼくら人類は、この世界において、その歴史のなかで、つねに取り返しのつかない、耐え難い悲しみや苦しみのなかで戦ってきました。そういった意味で、もし思想というものが在るのであれば、それはいままで通り戦い続けなくてはならないのだし、また同時に、それはルーチンワークなどではなく、あらゆる一瞬を生きる人びとの唯一性によって、瞬間瞬間に変わり続けることを原理的に強制されたものでもあります。それを抽象論だというのは容易いことです。けれどもまた、ぼくはどうしても、3.11という形でものごとを捉えるということに抽象性を感じてしまうのです。

とはいえ、これはとてもとても狭い、極一部の研究領域内におけるお話でしかありません。デモの声を聞いていて感じたのは、もっと別のこと。

その内容如何に関わらず、ぼくはやっぱり、デモというものが苦手です。斜に構える、ということではなく、恐らくもっと単純に性格的なこと。子どものころ、クラスにひとりかふたり、どうしてもみんなの仲間に入れない子がいましたよね。ぼくもそんな感じでした。それは別段、寂しいことでも何でもなく、本さえ読んでいれば楽しかったのです。それがそのまま、大人になってしまったということでしかないのでしょう。

形而下の生活、というものは、当たり前ですが、大切なものです。形而上的なことばかり考えているのが高尚だとか、そんなことを本気で考えている人間がいたら、それはちょっとばかり寂しいことです。みなで協力して、共同で、社会に働きかけていく、何かと戦うというのは、とても素晴らしいことです。

ただ、ぼくはその「みな」というものに、どうしても疑いの目を向けてしまう。それは価値判断を超え、要するに、そのひとの性質ということです。そうして、そういう性質というのは、別段、珍しいものでもひけらかすものでもありません。引け目に感じなければならないようなものでもありません。人間には様々なタイプがある。ただそれだけのことです。問題は、生まれつきか自分が選んだものか社会に強制されたものか、分らないけれどもともかく、自分のいまいる立ち位置から見える世界を見るということです。

大きな声、というものが苦手です。誰かが何かを拡声器を通して叫ぶ。そこで語られるのが何であれ、そしてそこに正当性があるにしても、さらにそれが自分も同意できるような内容を語る声であったとしてさえ、なお、ぼくはその声の大きさが持つ暴力に恐怖を感じます。

これは、ぼくが所属していた研究室でも(あ、いまでも形式的には所属していますね)、なかなかに伝わらなかったことですが、語るということは、つねにそれだけで、暴力的なものです。いえ、表面的には伝わります。伝わるけれど、でも、そこにこめられた恐怖というものは、どうにも伝わらない。それはそうで、そんなことを言っていたら、研究なんて不可能になってしまう。論文を書くということはそれだけで何かを殺すことにつながっているんだよ、などといわれても、じゃあどうしたらいいんだ、ということになってしまいます。

けれども、語るということは、やはり暴力です。とても恐ろしい、かつ根源的な暴力です。にもかかわらずぼくらは語らざるを得ないし、誰かが語る声に耳を傾けざるを得ない。そしてだからこそそれは暴力でもある。その無限の循環のなかでぼくらは他者と共にあるのだし、そこでしか共にあることはできない。だからこそぼくらはつねに悲しまざるを得ないのだし、だからこそぼくらは、他者に対する責任=倫理を持たざるを得ない。

世界を何色かに塗り潰そうとする大きな声が、ぼくは怖い。塗り潰されることに対する戦いとしてであってさえも、やはりぼくは、大きな声というものを持ちたいとは思わないのです。そこには、きっと、あるひとりの、たったひとりの誰かの声は、既に存在していません。

いうまでもなく、これはかなり一面的な理解でしょう。無数の集団のなかに、しかし必ずそこには差異があるはずです。拡声器越しの叫び声、繰りかえされるフレーズ。そういった戦術的な統一性を超えて、そこにはそこにいるひとりひとりの回収しきれない差異がつねに残り続けます。

だからやはり、もっと単純に、ぼくは大きな声が苦手だ、というだけのことなのかもしれません。クラスに馴染めない子どものようなものです。いまだに、ぼくはそんな感じで生きているのでしょう。

だけれども、それが孤独であるなどとは、ぼくは思いません。語るということの暴力に居座るのではなく、語るということが暴力であることを認めつつなおそこに希望を、そしてきみを見いだすこと。

御苑の奥で、トンボが木の枝にとまっていました。カメラを向けつつにじり寄ると、意外に厳しく、トンボに額を攻撃されました。やれやれ、痛い痛い、などと思って顔をしかめていると、お母さんに連れられた小さな女の子が、そんなぼくを見てきゃらきゃらと笑いながら通り過ぎていきます。

誰もいなくなった道。その瞬間、あらゆる音が、遠くから聞こえてくる拡声器の声さえもが消え、無限の静寂のなか、トンボが飛び立つ音が、確かに、ぼくの耳に届きました。

ある一瞬の、ある一点の

今週から始まる講義で使う資料が足りず、ひさしぶりに彼女と東京で落ち合い、本屋に行ったのです。彼女はフィールドワーカーなので、研究のデータは海外の熱帯雨林なり日本の森林なりに出向いて集めなければなりません。ぼくはまがりなりにも思想系で研究をしているので、基本的には論文や書籍が彼女でいうところのデータのようなものにあたります。いまは便利な世の中なので、論文も書籍もネットでも手に入れることができます。無論、図書館もありますし、時間があればこの日のように本屋さんに行っても良い。いわばそこが、ぼくにとってのフィールドです。本屋でフィールドワーク。研究者としては安直に過ぎますが、それでも、大げさに言えば、現代日本社会においてぼくらの研究している分野がどのように捉えられているか、資本主義というフィルターを通して、けっこう面白く見えてきたりもするのです。そうそう、OZONの丸善では「共生」フェアなるものをやっていました。共生って、何でしょうね。しばらくそのフェアをやっている本棚の前で茫然自失としていました。

それから数日後、大学の院生部屋にこもってレジュメを作っていました。最近は頭痛がいよいよ酷く、薬を飲み続けです。それでも、資料をひっくり返しつつ講義の構想を思い浮かべるのは、とても楽しいことです。勉強するというのは、とても楽しいことです。ぼくはそれに気づくのに、長い長い時間を必要としました。でも、それはそれで、きっと昔のままのぼくでは見えなかったものも見えるようになったと思っているので、別段、後悔することはありません。

暗くなる前に大学を出て、ちょっと遠出です。二年ほど前に彼女と自転車で散歩をしていたときにふと見つけた、鶏肉の専門店に行こうと思ったのです。専門店といっても、住宅街の細い路地に面した小さなお店。でも、そこでぼくらは鳥のから揚げを買い、大通りに面したベンチに座り、ふたりでむしゃむしゃと食べていました。ぼくを支え、ぼくを形づくる大切な記憶のひとつ。

二十年近くの昔、人形劇の部活で遅くまで残り、真暗な帰り道、コンビニで肉まんを買ってふたりで食べながら帰った冬の夜。そんなささやかなことこそがずっと記憶に残ります。いつまでもくっきりと輝き、ぼくの生を照らし続けてくれます。

ともかく、その鶏肉屋さんに行こうと思ったのです。頭痛が酷いので、きょうは自転車ではなく歩きです。彼女はいないので、足下を這う蟻んこなどを眺めつつ、ぼんやり歩いていきます。時折、散歩中の犬と出会うと挨拶をしたりして、飼い主さんに不気味がられたりもします。何だか、妙に幸せです。

ようやく着いた鶏肉屋さんは、けれども、閉店していました。数年前に彼女と行った際、既にだいぶお年寄りのご主人が営業していたので、もしかしたらもう、お店をたたむことにしたのかもしれません。寂しいことですが、所詮はただ通り過ぎるだけの人間であるぼくには、それに対して何かコメントする権利がないのもまた、確かでしょう。結局、そこからさらに歩いて、駅前で彼女と落ち合い、いつもどおりのスーパーでいつもどおりの買い物をして帰りました。けれども、いろいろなことすべてをひっくるめて、何だか良い一日だったなあと思ったのです。

良い一日。美しいものを見ました。寂しいものも見ました。寂しさのなかには美しさがあります。美しさのなかにもまた、寂しさがあります。良い、ということは、恐らく、とても厳しいものなのだと、ぼくは思います。

頭痛が酷くて、起きていられないとき、畳の上で転がり、頭を打ちつけ、殴りつけ、涎を垂らし、涙を流しつつ、けれどもふとそのぼやけた視界の向こうに、畳の目が見えます。その畳の目が、途轍もなく美しく見えるのです。それは、その美しさはきっと、その瞬間、その一点に集中するからこそ顕わになる美しさです。

それは、F値を開放したときの、レンズの向うに見える光景です。ある一瞬の、ある一点に集中したぼくらの視線。

東京で会ったとき、彼女が、ハリネズミをぼくにくれました。ぼくは彼女に、小さな小さなお話を渡しました。

すべての一瞬一瞬をかけがえのないものとして、記憶していたい。苦痛も恐怖も後悔もすべてひっくるめて、きっとそこに、人生の美しさが顕れてくるのだと、ぼくは思っています。