大した話じゃないけどさ

いやだなあ、と思うのです。先ほど、ようやく成績をつけ終えました。機械的にやれば良い、というひとも多いですし、それが正解だとは思うのです。そうして、ぼくも仕事としてやるということがどういうことかは理解していますから、もちろん機械的につけていきます。それでも、いやだなあ、という思いを消すことはできません。そもそも大学に来てまで成績を評価することの意味が分かりません。就職予備校ということなのでしょうか。成績とか単位とか、ほんとうにどうでも良いとしか思えません。出席をしたからどうとか、担当教員に受けそうなレポートを書いたからこうとか、意味が分からなすぎてほとんど異文化コミュニケーションです。異文化コミュニケーションっていやな言葉ですね。それって、ある文化と文化があって、そこには明確に見いだし得る差異が存在するという前提がある。阿呆くさいですね。大仰に目を剥いて「××文化!」とか叫ぶひとをみると本当に恐ろしい。個人的なアイデンティティの揺らぎを強要するなよ、と思ってしまう。文化なんてものはもしあるとすれば、自然に生きて在る、あるひとりの人間の姿以外に見いだされるはずがないのであって、言葉にした瞬間イデオロギーに転じてしまう。かどうかは知らないけれど、まあ、そうでもしなければアイデンティティとやらを確保できないというのであれば、大丈夫です。別段怯える必要はありません。そういうことをいうひとは、いつだってマイノリティだと思い込んでいるマジョリティだから。あなたのアイデンティティとやらを脅かすことは誰にもできません。保証します。

どうだっていいんです。単位を落としたって、大学を中退したって、良い成績を取ったって。そんなん、ほんとうにどうでも良すぎて、けれどもそれが社会のルールだから、ヘラヘラ笑いながら成績をつけます。「ぼくは先生って呼ばれるの凄い嫌なんだよね、莫迦みたいだよね、みんなの前に立っているだけで先生とか呼ばれて何も感じないとか、人間としてどうかしているとしか思えないよね」と言っても、やはり学生さんから届くメールには××先生とか書いてある。輝かんばかりの笑みを浮かべつつ「よし、死のう!」とか叫んで、でもきょうも元気です。頭がどうかしそうですね。どうかしていますね。どうかするといえば、ずっと昔、もう二十年近く昔でしょうか。ある地下鉄の駅で、そのときぼくは精神的な疲労の極致にあったのですが、ある瞬間、そのホームにいた人びとがすべて、何ていうのかな、いちばん近いのはキノコの胞子なんですけれども、それに見えたのです。いや違うな、ちょっとうまく言えないのだけれど、人間の姿は姿としてそのままぼくにも見えているのだけれど、でもその「人間」が、ぼくの頭のなかでは「キノコの胞子」に置き換えられていたという感じ。あの瞬間の感覚というのは、もう凍った映像と言葉でしか記録されていないんですけれども、世界はもの凄く静かで、そしてぼくはもの凄く冷静だったんですよね。でも次の瞬間、坂の頂上に辿りつきかけ、向うの景色を一瞬覗いて、でも登り切れないでまたこちら側にずり落ちてくるように、あるいは別の次元へ狭い穴から潜り込みかけていたのが、柔らかい透明な塊にむにゅっと押し返されるように、ぼくはこちら側に戻されてしまいました。そうすると、そこにはさっきと同じ光景のまま、でもそこに居るのは人間で、喧騒に満ちていて。ようするにこの世界。

あとになって思ったのは、ああ、俺にはあっちの世界に行く通行許可証みたいなものがないんだな、ということ。そうして、それはもしそのとき持っていなかったのであれば、きっと死ぬまで持てないであろうものなのだということも感じていました。そうなることの善悪とか正否とかあるいはそのひとの精神的な強弱とか、そんなことが言いたいのではないし、言えるものでもない。単なる事実として、ぼくはこう在らざるを得ないということを、あのときのぼくはどうしようもなく理解しました。

けっこう、ぼくはつねに、全力で生きています。ヘラヘラヘラヘラ薄気味の悪い笑顔を浮かべながら、どうでも良いよね、などと言うと、全方位から攻撃を喰らいます。だけれども、少しばかり寂しい気持ちになるだけです。何もかもどうでも良いし、どうしようもない。それは事実です。所詮はこちらの世界に留まっている愚鈍な人間同士の戯言、戯言に過ぎないんだから。ざれごとたわごと。でも、それでもぼくは全力でやっているし、だから恥じることもありません。

大学へ行って講義に出席してうまいことやって単位を取って、就職するか大学院へ進むか。そうやって「誰それさん」とやらになっていく。社会のルールとかアイデンティティとか。強固にしたり揺らいだり、揺らぐことに固執したり固執することに揺らいだり。やれやれ、まったく莫迦みたいです。

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さてさて、クラウドリーフさんはそんなふうに言いますが、ぼくはと言えば、彼にほんの少しだけ同意しつつ、同時にどこかで、それが人間なんだよなあ、とも思うのです。クラウドリーフさんはたいていの場合何を言いたいのか、そもそも何を言っているのか良く分かりません。それでも、彼と共有しているのは、社会のルールとやらで人間を評価して、その評価によってのみ自らの存在に対する確信を得ようとすることの無意義さ、不可能さについてです。この世界に在る限り、ぼくらはどうしようもなくこの世界に在るぼくらです。生きている限り、ぼくらはどうしようもなく生きるしかないぼくらです。ヘラヘラ笑って不可とか優とか他人を評価しつつ、あまりに深刻で救いがなくて、でもその深刻さが可笑しくて思わずヘラヘラ笑ってしまったりします。

胃が痛いねえ、とクラウドリーフさんにぼくは言います。胃が痛いねえ、とクラウドリーフさんがぼくに言います。

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