書を捨てよ……捨てたらきっと、きみには何も残らないけれど

海外にいる友人がひさしぶりに一時帰国し、ここしばらく、友人と相棒と三人で何度か会っていた。ぼくにとって数少ない、スイッチを入れる必要のない時間。体力的には無理をしてしまったけれども、代えがたい時間だから、それはそれでかまわない。今回、なぜか分からないけれど、電子書籍(というのだろうか、興味がないから良く知らないのだけれど)についてずいぶんと話をした。友人はニュートラルな立場で、ああいったものが今後どうなっていくのか、純粋に興味を持っているようだった。ぼく自身も、電子書籍云々ということについては基本的にはニュートラルに、というより、どうでもいいと思っている。ただ、ぼくのなかでは、あれは読書ではない。否定するつもりはなく、単純に、電子書籍を専用端末で眺めるような行為を読書だといわれると、無性に不快になる。

読書というのは、あたりまえかもしれないけれど、ただ単にそこにある字を読んで理解するという機能によってのみ定義されるものではない。表紙や中紙の感触、頁を捲るときの微かな音、紙の匂い、それらのすべてだ。開いている頁の曲面に光が当たり、影を作る。データではなく「もの」として存在するそれは、複雑で繊細で、でも確かな感触をぼくらにもたらす。そこにはその本が作られてからぼくの手に届くまでの、ささやかかもしれないけれど歴史さえもが含まれている。自分にとって大切なある一冊の本を読んだときの記憶は、本とぼくを超え、そのときの周辺世界すべてを含め、その総体として、いつまでもぼくのなかに留まり続ける。ぼくにとっては、それが読書と呼べるようなものだ。

ぼくはいわゆる懐古趣味というものが嫌いだし、貴族趣味というものにも虫唾が走る。知識がより広く、より安く、より手軽に手に入るようになるのであれば、それ自体はすばらしいことだ。本読みとして、初版本に執着したり私家版に目の色を変えたりするのは、ひどく品のないことのように思える。もっとも、あまりに露骨な啓蒙主義というのも、それはそれで鼻につくものではあるけれど。だけれども、ぼくが思うのは、そもそもある側面において、レニングラード写本とグーテンベルク聖書を比べること自体がナンセンスだということだ。繰り返すけれど、電子書籍がどうなろうと、ぼくの知ったことではない。ただ、それを読書と呼ばれることに対する違和感があるということだけは確かだ。

……いや、違うな。電子書籍云々はどうでもいいのだ。紙媒体でそこに書かれている文字を読むというだけであれば、ぼくにとってそれもまた読書ではない。たとえば時折聞く読書教育など、ぼくはどうしても嫌悪感を感じてしまう。本を読む、ということは、教わるようなものではない。まして学校などというシステムの中で、さらにシステム化された方法で分かるものなどではない。第一、いかに「自由に読む」ことの重要性などが謳われたところで、それはシステムの許容範囲内における自由でしかない。そこでカーマスートラを音読しながら一人実技をしても良いというのだろうか。いやぼくだってそんなことをされたら困るけれど、その通りで、読書というのは本来、システムのなかでされたら困ることなのだ。例えぼくらが手に持っている本が、資本主義市場経済システムのなかで生みだされた商品でしかなかったとしても、読書というものがもしあるのだとすれば、それは軽々とそんな枠組みを逸脱していってしまう。

だから、いままでの話をぜんぶひっくり返してしまうけれども、(形式として)電子書籍と呼ばれているものを読むなかにも、きっと読書は生まれるのかもしれない。必然としてではなく、つねに偶然として。本の形態とかそういったものは置いておいて、それとはまったく独立してそこに通底して――メディアの固有性があることなどは分かり切っている――読書というものはつねに一回性を持って、天啓のように突然ぼくらの身にどうしようもなく降りかかってくる。その天啓を知らないひとを、ぼくは本読みだとは思わない。

もっとも、どのみち、読書などということは、それほど大したものでもない。というより、そもそも、他人に対して自慢するようなものではまったくないだろう。狂信者であれば、神の啓示を受けたと叫びつつ町を徘徊することには美しさと悲しさがあるのだろうが、たかだかシステムから脱落している程度でしかない人間が信仰とやらを声高にアピールする姿には、醜さと愚かさしか見てとることはできない。少なくともぼくは、所詮その程度の意味での本読みだ。

それでも、ぼくはけっこう、本が好きな人間だ。いつか、ぼくは持っているすべての本を処分しなければならないと思っている。

跳躍にはまだ足りないけれど

2ヶ月近くブログを書いていなかった。自転車の乗り方は忘れないというけれど、ブログの書き方なんて簡単に忘れてしまう。いや、そもそもぼくは、言葉の話し方でさえ、けっこう簡単に忘れてしまう。ともかく、書かないことには先に進まない。進み始めてしまえば、案外、自転車のようにぼくをどこかに連れていってくれるかもしれない。どのみち、どこかへ行かなければならないわけでもないし、いまさらどこかへ辿りつけそうな人生を送れるわけでもない。

しばらくの間は、学会の雑務と本職とに追われていた。それでも、とにかく学会発表を一つこなし――といってもぼくにとって学会発表というのは論文の構想を練る場としての意味合いしかなく、これはこれで問題なのだが――、9月に出版される本に載せる論文も一本、ほぼ書き上げた。本屋で、立ち読みでもいい、ラストだけでもいい、もしきみの目に留まってくれれば、これほどうれしいことはない。

昨日は執筆者の幾人かが集まり、それぞれの原稿を叩きあった。それなりに通じるところはあるし、通じないところもある。手の内を曝けだすところもあるし、隠し続けるものもある。自分が自分に何を隠しているのか分からないことさえある。だからこそ、語れば語った数だけ、書けば書いた数だけ、そこにはその瞬間だけ存在するかたちが浮かび上がってくる。

今回の論文では勇気という言葉をけっこう使った。だけれど、この勇気という言葉も、恐らくまったく伝わりはしないし、ある面においては、伝わらなくても良いと思って書いている。研究者としてはどうなのかという気もするが、そもそもぼくは研究者などと自己規定するつもりはない。

勇気という言葉には善なるイメージがつきまとう。だけれども、ぼくにとってはそうではない。勇気とは、究極的には、見知らぬ誰かに殺される瞬間に手を広げ受け止めることだ。そして、自分の人生には何の意味もなかったことを受け入れることだ。救いはなく、自分が塵屑であったことを認めることだ。だけれど、その殺される瞬間に、ぼくを殺す誰かさんが確かに存在し、恐怖と苦痛にのたうちまわるぼくが存在する。もちろんこれはメタファーだし、そして同時に、すべての瞬間において、ぼくらは存在しない神によってけれども殺され続けている。存在しない神をそれでもなお殺し続けている。その関係のただなかからこそ、またそこからのみ、責任=倫理とは何かということを問うことができる。

いったい何を言っているのだろうか。たぶん多くのひとには伝わらないし、ぼく自身にもきっと良くは分かっていない。そしてたぶん、分かるものではない。それでもそれはそこにある。

最近、また旧約聖書を読み直している。いろいろ好きな個所はあるけれど、なかでも好きなのは、やはり創世記とヨブ記だ。そこには、なぜかいつも戻ってきてしまう。自分が神学科などにいたから一般的な状況というものはよく分からないが、何も根拠がないことを承知で一般論をいえば、キリスト教徒ではない日本人の多くが、聖書などまったく読まないか、あるいは変にマニアックで歪んだ知識だけを持っていることが多いように思う。もちろん、ぼくだってそうなのだが、それでも地味に読み続けているうちに、何となく(自分にとって)見えてくることもある。ただ、それは積み上げれば見えるものではない。頭では分かっても感覚では理解しにくいこともあるし、逆に、感覚では理解していても、アカデミックな議論には耐えないこともある。レヴィナスの責任概念などを考えると、特にその難しさを感じる。どちらが正しいとかではなく、ただ、何だか面倒くさいなあと、最近漠然と感じている。

今季はあと二本論文を書かなくてはならない。学会誌の発行にかかわる雑務も一気に増えそうだし、後期の講義も、できればレジュメを大幅に書き直したい。いまから後期の惨状が目に浮かぶけれど、まあ、気持ちの上では余計なものとの接続をだいぶ断つようにし始めているし、どのみち、どうにかしなければならないことはどうにかしなければならない。どうにもならなければ、それはどうにもならなかったというだけのことだ。

何だか暗い雰囲気になってしまったけれど、そんなこともない。ぼくは徹底的に能天気な人間だ(何しろ、いかに取り立てられようと、ぼくらに支払えるのはたかだか自分の命に過ぎない。問題は、ぼくらが他者とつながるとき、それ以上のものをぼくらが手にしてしまうということだ。だからぼくらは、生きている限りにおいて生きるより他に選択肢を持ち得なくなる……)。相棒と二人で、近場に旅行に行こうなどと計画をしているし、今年の後半は再びN.Y.に行こうかなとも思っている。お金や時間をどうするかなどということは、まあ、その時に考えれば良い。しばらくは今回の論文に追われていて書く余裕がなかったけれど、また写真論についても読んでいきたい。少し長めの物語を書いてもみたい。

夜中、洗い物をしているとき、跳ねた水がシンクに足跡を残した。土踏まずの中に閉じ込められた気泡が消えるまでの間、マクロレンズを構え、写真を撮り続けた。

一瞬交差するぼくらの時間

相棒が陶器の小鳥をくれた。むくむくしていて小さくて、ちょっと尊大そうな顔つきが可笑しい。ぼくらが出会ってからの時間を記念してのものだという。

上の写真は、タムロンの60mmで撮ったもの。最近は細かな撮影データとかはどうでも良くなってきた。

昨日、注文していたマウントアダプターが届いた。数年前、彫刻家の家で発見した古いミノルタのAマウントレンズがα300に装着できたのには、(知識としては当然だと分かっていても)感動した。だけれど、父の遺したキヤノンのFDレンズが、いまぼくの使っているα700で使えるというのには、同じくらい感動する。感動というのは安っぽい言葉ではあるけれど、まあ、ぼく自身の感情が安っぽいものだから仕方がないし、安っぽいということが悪いことだというわけでもない。無論良いことでもなく、単にそうだというだけの話。安っぽさや嘘っぽさのなかにも、その奥に「どうしようもないこと」があるのなら、それはその言葉通り、どうしようもないことだ。

ともかく、下の写真は、そのFDレンズで撮った。ぼくが生まれた年に発売されたレンズ。描写の甘さとかなんとか、そういったことはあるかもしれないけれど、でもそんなことはどうでもいい。

相棒とであってから過ぎてきた時間、父がレンズを買ってから過ぎてきた時間、ぼくがみっともなく生き残ってきた時間。そういったあらゆる個別の、唯一の時間の流れが、ある写真の、薄っぺらい表面で、一瞬交差する。交差してまた離れ、それぞれの方向に向かって再びどこまでも流れていく。

ぼくが写真を好きなのは、きっと、ぼくら在るものがそれぞれにそうであるかたちの全体を、一葉の写真があらわしているからなのだとぼくは思っている。

黴て曇ったレンズの向こう

いつも通りノートを抱えて都心に出て、彼女の仕事が終わるのを待ちながら、喫茶店でブログを書いたりしています。のんきな生活。ストレスで耳が聴こえにくく、頭痛でしばしば吐いてしまったり(でも口から出したことはここ数年ないんだよ、と意志の強さを主張すると、むしろそれは頭がどうかしている感じだね、などと言われたりします)、階段から盛大に転げ落ちて足を捻挫したり。だけれど、それでも、ここ数年の柵を絶つなら絶ってしまって良いのだと思い極めてからここしばらくの生活は、わずらわしい雑務、片づけなければならない仕事が山積みではありつつ、どこか奇妙に静かでのんびりとしています。

ぼくは、春が嫌いです。などというと格好つけとか「人とは違う俺凄い」アピールとか思われて困ってしまうのですが、本当のことをいえば他人にどう思われようが困ることなど何もなく、ぼくは春が嫌いなのです。だけれど、小さな虫たちが元気に地面を這いまわり始めるのを見ると、やっぱり、それはそれで幸せだよね、などとも思ったりします。

こう見えて、クラウドリーフさんはけっこうしたたかなひとです。したたかって、強かと書くんですね。なんだか漢字で書くとちょっと印象が変わります。ともかく、忙しいとか体調が悪いとか、言葉通りに捉えない方が良いのです。彼はけっこう、嘘で自分の生活を塗り固め、ないところから時間を無理やり引きずり出し、彼女と旅行に行ったりもしています。普段彼は本を買う以外にお金のかかる娯楽というものを一切しませんし、身だしなみにも気を遣いません(洗濯はしていますが)。ですので、こういうときくらいしかお金を使うことはないのです。少しばかり値の張る旅館などに泊まって、でも、いろいろなものすべてがなんだか寂しくなって、彼女とふたりで、寂しいよね、などと笑いあったりします。

論文を書く暇もなく、仕事の合間に学会絡みの雑務を少しずつ片づけていきます。クラウドリーフさんは相棒が生きている限りは生きるつもりでいるのですが、彼女の家系は長命で、一方、彼の家系はそれほどでもありません。つき合うのはけっこう大変ですが、ともかく、下手をしたらあと60年以上は生きなければならない可能性もあります。いくら嘘に関しては、嘘に関してのみは天才的な技能を持つクラウドリーフさんでも、さすがにあと何十年かを嘘だけで乗り切っていけるだけの自信はありません。いったいどうしたものか。困ったものです。まあ、客観的には道に迷っていても、歩ける体力がある限りは迷ってはいないと思い込んでどこまでも歩いていく彼のことです。何かしらどうかしら、きっとなんとかしていくのではないでしょうか。

昨晩は少し疲れてしまい、公募用の証明写真を撮るついでに買ってきたクリーニングキットで、レンズの手入れをしていました。彼の部屋の押し入れには、昔彼の父が使っていたキヤノンのレンズが眠っています。父の晩年、既にそのレンズにはカビが生えていました。それでも、割れていない限りは、何かしら写るものです。クラウドリーフさんは、いくつかの理由からキヤノンが好きではありません。だけれども、父の若いころに使っていたレンズで何かを撮るというのは、それはそれで、ちょっとした冗談として――どのみち彼の人生など、相棒に関わる以外のことはすべて冗談なのです――洒落たものではないだろうか、などと思っているようです。

ネットで調べてみると、キャノンのレンズをαマウントに装着するためのマウントアダプターは、あまり種類がないようです。Fotodioxというアメリカのメーカーが出しているものがあるそうですが、これは日本で手軽に買えるという感じでもありません。あとは中国製のKT-MAFD-WLというのが手に入るそうで、早速注文してみました。来週には届くでしょうが、それが少しばかり楽しみです。届いたら、α700に父のレンズをつけ、ひさしぶりに御苑にでも行ってみようかと思っています。カビたレンズに無理やりのマウントアダプター。碌な写真など撮れないかもしれませんが、所詮、クラウドリーフさんの眼に映る光景など、世界がそうだから、ではなく、単純に彼自身が腐っているが故に、碌でもない光景ばかりです。

それでも、彼は彼なりにこの世界を愛していると言います。ほんとうかな、とぼくはちょっと疑ったりもしますが、彼の人生が相棒を中心としてまわっているものである以上、そこに冗談が紛れこむ余地はありません。そういった彼の狂気に若干恐怖を感じつつ、それでも、ぼくは彼のそんな生き方が、いまのところは気に入っているのです。

居場所がないなんて言うけどさ

思想系の良いところは……などと一概にいうことはできないけれど、特定のフィールドがなくとも研究ができるというのは、少なくともぼくは気に入っている。もし考えることがあるのなら、そして考えることがあるからこそこんなことをやっているのだけれど、必要なのは自分の頭。あとはせいぜいノートと鉛筆があればこと足りる。読みかけの本を鞄に入れ、都心に出て、どこかしら空いている喫茶店でも探せば、とりあえず数時間はそこが自分の研究拠点になる。いや、研究拠点はいつだって自分の頭のなかにある。

とはいえ、やはり自分の研究室を持てるのであれば、それはそれでとても魅力のある話。正直なところ、関われば関わるほど大学という空間にはほとほと愛想が尽きる。それでも公募情報に目を通したりしているのは、きっと自分の「部屋」を持ちたいからだ。いや、もちろんいまだって自分の部屋くらいはあるのだが、そういう意味ではない。この頭のなかにあるものの具現化。でも、つまらない願望でもある。ほんとうのことを言えば、本だっていらないし、何かを書きのこす必要もないし、場所を持つ必要もない。

いずれにせよ、これはもうはっきりしていることだけれど、千にひとつの偶然でどこかの大学に潜り込めたとしても、ぼくはきっと三年間で弾きだされる/自分を弾きだすことになる。相棒を唯一の例外として、ぼくはそれ以上の期間に渡って、誰かとまともな関係性を保つことができない。いままで所属していた研究室との関係性も、これ以上は続けていくことはできそうもないことがいよいよ明確になってきた。無論、義がある限りにおいては協力を惜しむつもりはないけれど、何人かとの個人的なつながりが微かにでももし残るのであれば、いまはそれで十分だ。

いったい、これは何なのだろうか、と思うことがある。ぼくはそれほど特殊な育ち方をした訳ではない。むしろ平凡の赤道直下を歩き続けてきたような人生だ。にもかかわらず、どこかに居つくことができない。そして、そのことを後悔したことも、苦しいと思ったこともない。いや、存在している以上は苦しいのはあたりまえで、ことさら苦しい苦しいと叫ぶ人間をみても、ぼくは侮蔑と嫌悪しか感じない。生きている限り、ぼくらには義務と苦痛と罪だけがある。義務と苦痛と罪がある限りにおいてのみ、ぼくらは生きている。ぼくは、そう思っている。

ぼくがいた研究室では、脱近代というのがキーワードのひとつだった。らしい。ぼくは落ちこぼれの上に外様だったので、結局最後までその辺の議論にはうまく波長を合わせることができなかったのだけれども、ともかく、そういうことらしい。それはそれで、きっととても重要な論点なのだろう。けれど、ぼくにはどうもそういうものが感覚的によく分からなかった。

ぼくらの生き方や考え方は、なるほど確かにぼくらが生きている時代、あるいは社会によって方向づけられ、制限されている。でも、どちらが正しいということではなく、ぼくは、社会や時代から語り始められる何かに、つまるところあまり興味がない。ぼくの目に映るのはただ、あるひとつの魂の痛みであり、恐怖であり、要するにその魂が存在するということ、それ自体だ。それはあらゆる時代や社会を超えてつねに普遍的に在り続けるもので、かつその瞬間瞬間にのみしか現れない、取り返しのつかないものだ。そこにあるのは価値でも善でも希望でもなく、どうしようもなく、取り返しもつかない、恐ろしいまでに単純な事実としての「在ること」でしかない。

脱近代の話に戻れば、ぼくは仕事柄もあるのか、近代というものに対する肯定的な立場にあるように思われているし、実際、そうなのかもしれない。ただ、本音をいえば、どうだって良いんだよね、とも思っている。どのみち、ネットによって可能になったコミュニケーションが……、などと語るとき、明らかにぼくが指しているものと、肯定否定を問わずそれを語る人びとが指しているものと、一致する部分はほとんどない。肯定的に語るときでも、ぼくに見えているのは、そこにあって剥きだしのまま傷つき、潰されていくひとつの魂だ。肯定的、という言葉自体が問題で、ぼくはそこに、しつこいようだけれども、希望や善をいっさい含むつもりはない。

最近ようやく気づき始めているのは、そして何をいまさらと言われそうだけれど、近代を問い、それに批判的なひとは、これは誤解をしてほしくはないのだけれど、責めているわけでも批判しているわけでもなく、きっと根っからの近代人なのだ。ぼくには、やはり良く分からない。風土や伝統や共同体。実際のところ、ぼくはそういったものの必要性を感じたことはない。場所も、歴史も、仲間もいないけれど、それでも、どうしようもなく「いま、ここ」にぼくの魂が在り、どうしようもなくきみの魂もある。

倫理というものは、究極的には、すべてを剥がされ、剥きだしになった状態で、存在しない神と対峙するときにぼくらに突きつけられる何ものかだ。ぼくらは存在しない神に対して、何もないにも関わらず、にも関わらずだからこそ、俺は俺だ、と答える。そうして、そのただ独りであるということには同時に、独りというものを照射するきみの存在が分ち難く映し出されている。その三角形それ自体にこそ、おそらく倫理が存在している。

***

この数年は、時折訪れる例外的な時期で、いま、ひさしぶりにぼくはぼくなりのかたちに戻りつつあるのを感じる。もちろん、雑務は相変わらずたくさんあるし、公募にだってしつこく応募していくつもりだ。だけれど、それは場所や帰属を求めてのことではない。誰もがそうであるように、ぼくもまた、どこにも結びついてはいないし、同時にどうしようもなくきみに縛りつけられている。真実は、たぶん、ただそれだけだ。

いま、喫茶店にいる。近くの席にはきたならしい声で何かを話している誰々さんたち。きたならしいというのは、声の質のことではない。その存在の在り方だ。

ぼくはもう、自分にとって醜いものに容赦をするのをやめることにした。

これから

この3月で、いままで在籍していた大学から席がなくなります。ここ最近は学会の雑務を片づけつつ、大学に寄っては少しずつ荷物を整理していました。たった4年間(博士号を取ったあとも1年間は席を残しておいたので)しか居ませんでしたし、もともとぼくは大学で研究するというタイプではないので、片づけるといっても、それほど荷物があるわけでもありません。幾冊かの本を相棒の家に移動し、だいたい、それでお終いです。場所に居つく性質ではないので、別段、何の未練もありません。むしろ最近は夾雑物ばかり増えているように感じていたので、この辺でいったんリセットしてしまう方が良いのです。もともと、ぼくはこの研究室では外様でしたので、そろそろ、本来の立ち位置に戻ろうと思います。

いま、一本論文を書いています。はじめは情報倫理について書こうと思っていたのですが、書いているうちにメディア論寄りになってきました。昨年講義をしながら考えていたことを、少しずつ論文という形に置き換えているところです。基本的な主張は極めて単純で、メディアというものが身体性を捨象するという言説は虚構であり、かつ/それ故他者への責任=倫理の放棄に過ぎないということです。ぼくのやっているようなジャンルにおいて、これは老若を問わず、マシン(そしてマシンによって媒介される労働)に対する嫌悪感、拒絶反応というのはなかなかに凄まじいものがあります。だけれどもこれは本当にナンセンスな話で、そういうことを語る大半のひとが、そもそも企業での労働経験を持っていないし、マシンといえばせいぜいパソコンでメールのやりとりをしたりインターネットをしたりTwitterで呟いたりWordで論文を書いたり、要するにそんなものなのです。その程度で情報化社会が人間性を云々、と言われても、ぼくはそこに説得力が生じるのかどうか、ちょっと疑問に感じます。

もちろん、そんなことを言い始めたら、死刑反対は死刑囚でなければリアルに語れないのかとか、そういうことになりかねません。それに何より、ぼく自身、農業の経験もないのに博士(農学)を持っているし、この1年はエッセイなり科研費論文なりで農業について書いたりしてしまっている。これはもう本当にどうしようもない感じです。読み返す気にもならないような、表層的で無内容なものばかり書いてきました。もちろん、何について書くかとか、どのように書くかということに対して、ぼくらは選べるほど強い立場にあるわけではない。機会を与えられたのであれば、それがどんなに自分にとって興味のないものであったとしても、あるいは書くだけの知識や能力がなかったとしても、なりふりかまわず書かなければなりません。それはまったく恥じることではないし、むしろそこで選好みをする方が、よほど恥ずべきことだとぼくは思います。

ただ、やはりそれは苦しいものですし、つまらないことですし、誇れないことです。博士の1年目と2年目に書いた論文は、読み返しはしませんが、いまでもある程度は評価できるものだと思っています。それは(いまになって振り返れば)コミュニケーションが本質的に持つ暴力性について語ったものでした。たとえ論文としてのできが拙いものであったとしても、それはたいした問題ではありません。書かなければならないことを1/10でも書くことができたのであれば、それは十分意味のあることです。

いま、メディアについてなぜこんな必死になって(実際、必死なもので、ぼくの発表などちょっとどうかしているのではないかという気が薄々はしているのですが)書いているのかというと、やはりそれは、電子的なメディアを介してであっても、現にこのぼくが、恐怖を感じ、この身体が痛むのを感じているからです。画面を超えて迫ってくる他者への責任=倫理、それは、その痛みによって根拠づけられます。それは決してナイーヴな話ではありません。ただどうしようもないこととしてぼくらがそうで在るというだけのことです。

相棒と帰るとき――そういえば、彼女と再び一緒の大学にでも行くかと思ってここの博士課程に来たのですが、それももうそろそろお終いというのは、少しばかり寂しいことです――とある公園を抜けて行きます。毎年この時期になると、公園の池にかえるたちがわらわら集まってきます。ぼくらはかえるたちを踏んでしまわないように慎重に池に近づき、くんずほぐれつしているかえるたちをしばらくこっそり観察します。みなさんも、もし近くにそのような場所があったら、せめてこの時期だけでも、特に夜は、ぜひ足下に注意をしてあげてください。偽善、といえばその通り。だけれども、ぼくはその偽善がとても大事だと思います。「敢えて」何々をする必要があるのかどうか。動物の権利とか何とか、そういったことを考えるとき、ぼくはそこに注目します。極論というのは議論の枠組全体を明らかにしてくれることもしばしばありますが、敢えてする必要がないことはしないという常識的判断もまた、同じくらいに必要です。たしかにぼくもまた大量の生命を犠牲にして生きているけれど、だからといって、敢えてかえるが居ると分かっている道を無神経に歩いて、自転車に乗って、かえるを踏んでしまう理由などまったくありません。偽善と思うのならそれでけっこう。

研究の話からずれてしまったのでしょうか。いいえ、そうではありません。農業とか労働とか、正直なところ、そういったものごとについて書けと言われて書いたものは、ほんとうに下らないものばかりでした。無論、いまでもさまざまな制約はあります。けれどもそれはいつだってあって当然のものですし、あるからこそ、書きたいこととの摩擦によって、書かれるものが磨かれていくということもまた確かです。だけれど、それが制約ではなく、与えられたテーマでしかなかったのなら、やはりそこからは書くべき論文は生まれそうにありません。メディアについて書いていて楽しいのは――無論それは、面白い、ということだけではなく、書くべきことを書いているということへの魂の感じる喜びです――それがぼくにとって見えている世界を描いているからです。

でも、もともとぼくがコミュニケーションについて書こうとしていたのは、聴こえない声を聴かなければならないし、そうして確かにそれは聴こえるのだ、ということでした。そのコミュニケーションの相手は、誰にも看取られずに死んでいった無数の死者たちであり、画面の向こうの誰かさんたちであり、そして声もなく踏み潰されていく無数の小さな生き物たちです。前の二つに関しては、兎にも角にも、論文としてまとめ、自分のなかで考えるための出発点は確保しました。だから次は、最後のものについて改めて考えていこうと思います。

もう、研究室はなくなるので、いろいろリセットです。ぼくはもともと、場所に居つく性質ではないので、あとはもう独りで、あるいは相棒とふたりで、本を読み、野原に出て、美術館に行き、そしてたまに非常勤で若い子たちにちょっとどうかしてしまった感じで講義をしつつ、自分なりのかたちで研究をしていこうと思っています。

ユーモレスク

先日、十数年ぶりに床屋に行ってきました。床屋とか、何だか懐かしい響きですね。すっかり自分で切ることに慣れてしまっていたので、まさか生きているうちにまた床屋に行くことがあるとは思いませんでした。最後に床屋へ行ったとき、まあぼくはコミュニケーションを専門としているだけあってコミュニケーションなんてお手の物なのですが、「どういうふうに切りますか?」「ぁ……ぁ゛の、揃える程度に、短めに切って(あまりたくさんは切らないで)くだしあ」「え、揃える程度なの、短くしちゃうの、どっち!?」「あふっ、みじゅかめに……」というハートフルなやりとりを経て、泣く泣く坊主頭にされて以来、ぼくにはもはや床屋に対する憎悪しかありませんでした。

けれども、今回はきっと大丈夫です。床屋さんへの憎しみだけで生きることに救いはないとぼくは悟ったのです。人間は赦しあわなければならない。そうして、あえて名前は出しませんが、ある低コストの床屋さんへ行って、今度こそ揃える程度に切ってもらえ、ふんふん喜びながら家に戻り、Yシャツを脱いだら首の周りが血まみれになっていました。我ながら痛みに鈍いとは思っていたのですが、これは酷い。きっとバリカンで襟足を刈られたときのことでしょう。やはりぼくは床屋に対する憎しみだけを支えに生きていくしかないようです。

***

そう、ぼくは何を隠そうコミュニケーションが得意です。人と話すのが大好きです。仕事中におなかが痛くなりました。今朝、出勤途中で拾って食べたアレが原因かもしれません。ともかく、ぼくは洋式のトイレでなければ生きていけない。おお、何やら格好良いですね。ハードボイルド。しかしいまぼくが働いている研究開発室には洋式のトイレがありません。だから、敷地内をてくてく歩いて、洋式トイレのある建物まで行かなければならないのです。おなかが痛くて、けれども表情には決して出しません。この弱肉強食の世の中で、弱音など吐いたが最後、周りの連中に殺される。少々被害妄想気味のクラウドリーフさんは、けっこう本気にそう思ったりしています。「がんばれ、ぼくらこそが救援隊だ!」などと、サン・テグジュペリの真似をしつつ、ようやく洋式トイレのある建物に辿りつきました。

すると、何故かトイレの扉の前にはぼくを雇っている会社のお偉いさんが居て、他の社員さんと談笑しています。クラウドリーフさんはにっこり笑って挨拶をすると、そのまま回れ右をして戻っていきます。あまりの苦しさに文章が三人称化していますが、どうして彼はそこでトイレに入らなかったのでしょうか。分かってくれるひとには分かってもらえるでしょう。そしてもしあなたがそうでないのなら、きっとあなたには一生分かってもらえないでしょう。クラウドリーフさんは、フェンスにつかまりつつ、よろぼい歩いていきます。魔の山の最後のように、画面全体がズームアウトしていきます。どこかにある洋式トイレを求めて、いまや蟻のように小さくなったクラウドリーフさんが歩いていきます。

***

そんな彼がなりたかったのは、フィールドワーカーです。これは本当。っていうかここまで書いたこともすべて本当なのですが、ともかく、文明的な生活から離れられず、虫が苦手で(昆虫は大丈夫なのですが)、農学の博士号を持っているにもかかわらず土に触ることさえ苦手な彼が、バイクにまたがって中南米を旅し、ジャングルに分け入って人跡未踏の地で新たな発見をしようなどと考えていたのです。ちなみに彼は免許も持っていません。

土曜日、日曜日、月曜日と、仕事を休んで、延々学会や研究会の雑務を片づけていました。日曜日には街まで出かけ、学会誌をお願いしている出版社の編集者さんと打ち合わせ。相棒以外の女性と二人きりで会話とか、もう「あふっ、みじゅかめに……」としか言いようのない感じです。きょうはきょうで一日研究会のお金の計算と名簿の整理で終わりました。一日正座をしていたので、さすがにちょっと膝が痛みます。世界の片隅で、何やらごそごそやっているうちに、気がつけばフィールドワーカーになる夢なんてどこかへ行ってしまいました。

だけれども、クラウドリーフさんは徹底的に能天気なひとです。研究なんて地味なものかもしれませんが、それでもあるとき、自分でも驚くようなアクロバティックな(だけれどもきっとどこかで必然性を持った)経路を辿って、自分が語れるとは思っていなかったようなことを語れるようになったりします。

心配事も雑事も山積みです。業績をあげるのは大変ですし、そもそもパーマネントな職につける可能性もほとんどありません。それでも、別段悲愴ぶっているわけではなく、そんなわけでは決してなく、他人の論文の誤字脱字をチェックしたり、会員名簿を整理したり予算のつじつまを合わせたり、そんなことをしているときにでも、目の先に映っているのは、ぼくが行って、この目で見なければならない、無数の面白い何かなのです。