生きている!

いま、自分が生きているということに対する絶対的な疑義。ぼくらが生きているということは、ある日海岸を歩いているとき、ふと波打ち際に打ち寄せられた人形を手に取れば、それが昔自分の失くした人形であったというのと同じくらいの偶然でしかない。

不思議なことに、講義をしていると、何十人かいる学生のうちの4、5人はぼくの人間性を強く嫌悪する。そして同じように不思議なことに、1、2人はぼくの講義スタイルを結構強く好いてくれる。憎まれ嫌われる方が慣れているぼくとしては、好意は苦痛でしかないけれど、それでも、無論、嬉しいことではある。けれども、ぼくを憎んでくれる学生の方が、ぼくには理解できる。なぜなら、ぼくも同じように、あるいはより強く、彼女らを憎んでいるからだ。

信じてもらおうとは思わないけれど、ぼくは、自分が生きていて当然だと思っている人間を見分けることができる。例えそこに不安や恐れがあったとしても、それは所詮、「自分は生きていて当然なのになぜそれを脅かすものがあるのか」という甘えの反射に過ぎない。そんなものには、何の意味もない。もちろん、それはすべてぼくの妄想だ。きみの世界がきみの妄想であるように、ぼくもぼくの妄想を抜けだすことはできない。だから、いうまでもないけれど、彼女たちを憎むとはいっても、それを成績に反映するとか態度に表すとか、そういう下らない次元の話をしているのではない。

それは単純な憎しみではなく、そこにはぼくにとっての倫理がある。自分が生きていて当然だと思う、当たり前のように光を纏った人間に対する全力の憎悪。けれども、恐らく、より正直に自分のなかを覗きこめば、ぼくら誰もが、きっと多かれ少なかれ自分の生を当然のものとして感じている。だから結局のところ、ぼくの憎悪は生きている人間すべてに対する憎悪になりかねないし、それはそのまま、自罰という逃避をしか生みださない。そうでないというのであれば、それは人間に対する憎悪であってはならない。だから、ぼくが憎むのはそういった人間それ自体ではない。ぼくのなかにある、そういったもののあらわれを憎んでいるということだ。

とはいえ、それはそれ自体としては憎しみであることに違いはなく、ぼくの憎悪は鏡像として彼女たちの憎悪を引き起こす。楽しいはずの大学生活に無遠慮に土足で入り込み、それは嘘だと唾を吐かれれば、誰だって良い気はしない。

だけれども、ぼくが本当に感じているのは、憎悪ではなく、恐怖だ。自分の生を前提にできる人間に対する本能的な恐怖。決して分かり合えない断絶と深淵。

1限などとい阿呆臭い時間にわざわざ大学へ行く。教室にはすでに何人か学生たちが座り、思い思いに、あるいは友人同士でそれぞれの時間を過ごしている。定刻になればそれなりに教室が埋まり、講義を開始する。いつも通り遅刻する子たちはいつも通り遅刻してくる。

本当は講義なんてする必要はない。ぼくはそう思う。そんなもの、本を読み、自分の足で歩き回り、人とぶつかり、最後に地面を踏み外して死んでいけば、それでけっこう、ぼくらはこの人生において学ぶべきことはすべて学べる。

狭く明るく白く空調の効いた教室で本当に伝えたいのは、「生きている!」ということだ。「存在している!」ということだ。ほんの一瞬、何の保証も支えもなく表れては消えてしまうその一瞬を、もし共有することさえできれば、ぼくらはもう、それ以上学ぶべき何ものもない。

生きている! ぼくは叫ぶ。学生たちがぎょっとしてぼくを見つめる。ぼくは何ごともなかったかのように笑みを浮かべ、おはよう、出席を取るよ、という。

じみじみ

証明写真のストックが切れたので、近所の写真屋さんに行ったのです。ひさしぶりにスーツを引っぱりだし、ネクタイを締めたりします(普段会社に行くときは、以前友人にもらったジャケットと黒ジーンズでごまかしているのです)。スーツなんぞを着るとまるで真っ当な社会人のようですが、下半身はカーゴパンツに登山靴です。はっきりいって不審者です。けれども、登山靴でがしがし歩くのは気分良く、どこまでもどこまでも歩いていけそうです。そういって彼は時折歩いて海まで出てしまったりするので要注意です。

彼の彼女はフィールドワーカーなのですが、登山靴のことを「ザングツ」などと言ったりします。プロっぽいね。彼はそう思います。彼は自分の分野でそういうプロっぽい感じの言葉使いができないかしらなどと考えたりします。マルティン・ハイデガーを「マルデガー」なんてどうでしょう。ちょっとキュートな感じがしませんか。しませんね。だいいち、マルデガーはナチだから嫌いなのです。あの業突親爺のような顔からして無理です。むりむりむりむり。何だかカタツムリの行列のようです。うふふ、カタツムリみたい、などと呟きながら、写真屋さんへと歩いていきます。ザングツにカーゴパンツ。ワイシャツにネクタイ。婉曲にいっても不審者です。

* * *

良い学者というのは、あたりまえですが、良い顔をしているものです。これは本当。まず間違いなく、学者として本物かどうかは一目で分かります。だいたい、お勉強が得意なのを研究だと勘違いしている研究者などというものは、「リアル」のない顔をしている。けれどもそういう自分だって、証明写真を撮る前に鏡を見せられると、別段リアルがあるわけでもありません。まあ、ぼくの場合はお勉強が得意ということはまったくなく、ただそれだけが救いです。それでもやっぱり、写真屋さんのひとに「レンズを見て、レンズを見て、トートトト」と何やら鶏を呼ぶように声をかけられながら、コーティングされたガラスに映る自分の顔を見るのが苦痛です。何とまあ気迫のないのほほんとした顔つきをしていることか。

そう、ぼくは顔を見るのも見られるのも苦手です。講義のとき、何十人と居並ぶ女の子たちを前に、いったいどこに目を向けたら良いのかいつも困惑しています。しかたがないので、白目を剥きながら「見るなっ! 俺をミルナーッ!」と裏声で叫びつつ、黒板に、鬼に追われるキース・ヘリング的赤ちゃんを書いたりします。いったい何の講義なのでしょうか。この前はシュミラクラ現象について話をしました。黒板に点を3つ描き、「これ顔に見えるじゃん? 見えるじゃん? これ顔、顔に見えるじゃん? 消せないじゃん、罪悪感すげーじゃんうわあああ!!」と絶叫しながら黒板消しで3つの点を消したりします。でも本当のことをいえば大丈夫。実際、起きて講義を聴いてくれている子はほとんどいません。みな嵐に倒れる稲穂のようにばたばたと眠りについていきます。「あの先生声が良いよね、すごくよく眠れる」ぼくは挫けません。だいいち、みんな眠っている方がぼくは安心なのさ、などと油断して顔を向けると、ぼくを凝視している生徒さんと目が合って失禁したりします。ぼくは講義が大好きです。

などと考えているうちに、証明写真も撮り終わったようです。6枚くらい撮られ、好きなものを選べといわれます。正直、みな白目を剥いて涎を垂らしているので、どれでも同じだろうという気がしますが、無難にいちばん最後のものにしておきます。「良いのを選んだな、小僧。そうでなければ死んでいた」みたい表情をした写真屋さんに怯えつつ、これでまたしばらくのあいだは、お祈りをされるためだけに公募に出すことができるでしょう。お祈りをされ過ぎて、最近どうも後光がさしてきたようです。もう少しすればきっと、雲間からレンブラント光線だってだせるでしょう。

会社も、来季の契約を無事に更新できそうです。あと1年、という区切りで考えるのであれば、これでどうやら、またもう少しだけ生き延びることができそうです。パスポート以外には身分を証明するものなど一切ない生活ですが、そもそも保証された身分なんて幻想にすぎません。

ああ、早く何もかもが滅茶苦茶にならないかなあ! などと思いつつ、でもやっぱりそうじゃないよね、などとも思いつつ、その「そうじゃないよね」にかけられた気が狂いそうなほどの凡庸な苦痛だけを誇りに、毎日じみじみ生きています。

drawing your face, drawing my eyes.

きょうは手洗いに立つとき以外はほぼ正座をしていました。ふと思ったのですが、これってなかなか凄いことではないでしょうか。食事のときも、椅子の上に正座をしています。どう考えてもおかしいのですが、最近笑いの少ない生活です。多少の可笑しさはあっても悪くはないでしょう。可笑しいといえば、先日眠っているとき、ふと気づくと腕を巨大なクモが這っていました。ぼくは土も虫も苦手ですが、フォルムのはっきりしている虫は平気です。なので、うわあこれは大きいなあと思いつつほいほいと放りだしたのですが、そのクモは、もう秋も終わりが近づいているからでしょうか、分かりませんが、だいぶ弱っており、足も4本しかありませんでした。可笑しさというものは、つねに、悲しみをともなっているものです。悲しくて、愛しいからこそ、可笑しさが生まれます。どうでしょう、伝わるかどうか分かりませんが、もちろんそれは、あははという意味ではありません。自転する地球の上のぼくらがみな大地とともに運ばれていくように、日が落ち、日が昇るたびに死へと向かって運ばれていくぼくらの人生を俯瞰する可笑しさです。

やれやれと思い、眼が覚めてしまったぼくは寝返りをうち、枕元のノートを開きます。暗い部屋のなかに蒼白い光があふれます。ヘッドフォンをして音楽を聴きつつブログなんかを書いたりします。それはきっと、外から見ればひどく閉じたものに見えるのかもしれません。でもほんとうにそうかな、といつも思います。モニタの向こうにあるのは何でしょうか。もちろん、ただの基盤です。でもやっぱり、それだけではありません。だけれども、そこにあるリアル、そこにある世界へとつながる経路というのは、なかなかに説明するのが難しいものです。芝生に寝っ転がって空を見上げて、背中がちくちくして風が心地よくて、日差しが眩しくてくしゃみをしたりして、でもそのリアルを、その空が地球上のどこにでもつながっていることの意味を、説明するのはとても大変なことです。

不思議なことに、きっとこの感覚は、こんなブログを読んでいる奇特な「きみ」にはおそらく何も言わなくとも通じるんじゃないかな、と「ぼく」は思うのだけれど、一歩アカデミズムの世界に入っていくと途端に通じなくなるのです。そこには何かユートピアなりディストピアなりがあり、そこに居ない人たちが語る世界にそこに居るはずのぼくはすっかり途方に暮れます。

でも、ぼくはここにあるリアルを知っています。知っている? いやそうではなくて、ぼくは感じています。それがリアルです。モニタとキーボードによってのみ接続された世界も、ノートを閉じて立ち上がり歩きだす世界も、どちらもシームレスにリアルな世界です。そうしてリアルな世界である以上、そこにあるのはただ苦痛だけで、のたうちまわるぼくらを、ぼくらは俯瞰して、そこに可笑しさと愛しさと、透明な寂しさを風のように魂と身体に受け取ります。

ぼくにとってのリアルを、きみにとってのリアルを、きみとぼくをつなぐリアルを、殺してほしくはないのです。だからぼくは、もう少しだけ、このくだらなくてどうしようもなくてでも「ぼくら」がそこに居るリアルとしてのインターネットについて、アカデミズムのなかで語ってみようと思うのです。

am 03:07

学会発表が終わり、これでことしの研究活動はとりあえず一区切りです。もちろん、一区切りというのはあくまで外的なスケジュールとしてはということで、研究そのものはいつでもいつまでも続いていきます。まともなプログラマなら誰でもそうだと思いますが(どう表現するかはそれぞれでしょうが)、頭のなかに一つの臓器を作り出して、それは心臓のようにいつでも眠っているあいだでも止まることなくアルゴリズムを組み続けています。その臓器に焼きつけたロジックを何度もなぞり直し、呼吸のようにバグがないかどうかをチェックし続けています。心臓の動きが不随意であるように、それはもうぼくには止めようのないものです。研究も同じです。頭のなかに独立した臓器を作り出す。研究臓器。どくどくどくどく、薄気味悪くけれど避けようもなく、それは何かを齧り続け吐き出し続けています。しかしそれらは同時に動くことはできません。仕事と研究。頭のなかに切り替えスイッチを思い浮かべて、そのスイッチを指で軽く弾きます。ぱちん。いまからぼくは研究頭。もちろん、もちろん、そんなこと、できるはずもありません。それは、つまらない話ですが、気が狂いそうになるほどの苦痛です。「仕事と研究の両立をしているなんて偉いね」と言われてそれはそれでありがとうと思うのですが、現実はそんなに良いお話でもありません。他人の0.6の能力しかないぼくが仕事と研究の双方をしようと思えば、オーバーヘッドの部分を除いておそらく0.2と0.2くらいしか成果を出せない。しかし出せないというのはただの私的な言い訳に過ぎないのでそんなことはおくびにもださず、吐き気がするほどすがすがしく罪悪感の欠片もない嘘によって片足立ちのまますり抜けていきます。とはいえしかし、そうはいってもそれにしても、やはりそれは気が狂いそうな苦痛です。最後は叫びながらへらへらへらへら笑いながら論文を書いたりします。存在しないスイッチを切り替えようと無理やり脳のどこかに指をねじ込むと指が折れたりします。ぼくはいったいどこに何を突っ込んでいたのか。ぶらぶらする指を眺めつつしばし呆然とします。呆然としつつ、明日はふつうに会社です。学会の雑務も山のように残っています。スイッチを切り替えすぎて、何だかどこからか焼け焦げた匂いがしてきます。それでも、講義のコメントシートに、先生のお話は面白いですなどと書かれているのを読むと、頼むから俺のような屑を先生と呼ばないでくれ俺は人間としての屑の極北に在ることに誇りを持っているんだと胸を抉るようにつかみつつごろごろ転げまわりつつ、それでもやはり嬉しかったりします。学会発表面白かったよと言われれば、夜中にげろを吐きつつ口からは出さず気合で飲み込んだりすつつ少しばかり無理をして良かったと思ったりもします。

生きている限り、ぼくらはつねに生きなければなりません。それは死者に対するぼくらの義務であり、生きる苦痛のなかでのみ死者とつながれるという意味においてそれはエクスタシーをぼくらにもたらします。苦しければ苦しいほど、そこには確かに何かがあります。表現できない何か。だけれども、だからこそ、ぼくらは目を閉じたまま、言葉を発しないまま、それに触れ、撫でまわし、漠然とその総体を想像したりします。それはきっと、死んだ後にぼくらの目の前に現れ、あり得ない解像度で見えるナニモノカの予兆でしょう。でもとりあえずは、生きている限りにおいて、走り続けなければなりません。

明後日には、執筆者の片隅に混ぜてもらった書籍が書店に並ぶそうです。出版社から直接購入する場合には著者割引というのがあるそうなのですが、なんとなく、一冊、書店でこっそりひっそり定価で購入し、いまはもういない誰かさんたちとともに、ささやかにお祝いをしようと思っています。

誰それさんの物語

来週からまた講義が始まります。前回よりは面白い講義にしたいので、それなりに資料を集めつつ、講義の準備をしなくてはなりません。今月締切の論文もあるので、なかなかに忙しいです。だけれどもまあ、それについてはどうとでもなります。一年近く……かどうかはもはや思いだせないのですが、ともかく長いあいだ関わっていた論文も、この10月半ばにはようやく出版されるそうです(そのなかの1章を書いているに過ぎませんが)。みなさんの目に触れることはまずないかと思いますが、このブログの雰囲気にかなり近い内容ですので、もしお読みいただければ、ああこれはあれが書いたものだなと、きっとお分かりいただけるだろうとも思ったりします。そういった偶然の出会いというか何というか、それがぼくは好きなんです。

名前とかって重いじゃないですか。ぼくは重いんですよね。声の大きさってつらいじゃないですか。ぼくはつらいんですよ(白目)。誰が、なんてことは本当にどうでもよくて、誰かさんでかまわないわけです。たまたま手に取った本のページの隙間から微かに聴こえてくる誰かさんの声。偶然それが誰それさんに届くことを夢想しているときが、何だかんだでいちばん幸福なのかもしれません。

話がずれていくわけですけれども、だから、ぼくはアイデンティティの危機云々というお話には、基本的にはほとんど関心がないのです。先日、相棒と二人でとある美術展に行ったとき、あるひとの作品に記されたサインが何故だか本当に嫌で嫌で、彼女とため息をついてしまいました。

アイデンティティなんてものは、在るとすればどうしようもなく在るのだし、同時に、別段なくたってどうということもないものです。もちろん、そんなことを言えるのは、「在るとすればどうしようもなく在るのだし、同時に、別段なくたってどうということもないもの」だと言いきってしまえる誰それさんだけであって、アイデンティティの危機に苦しむ誰かにとってそれは、在ることに確信を持てず、ないかもしれないことへの途轍もない恐怖を抱えているわけですから、話は平行線になってしまうのですが……。

ぼくは神を一切信じてはいませんが、人間の魂が不壊であることは知っています。この「ぼく」という、社会的に、言語的にあるいは生物学的に規定された特定の構造をはるかに超えたところにある、透明で無音で、だけれども荒々しくうねり、決して到達し得ない究極へと突き進み続けるナニモノかが在ることを確かに知っています。何か変な宗教みたいですね。

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最近あまりにも憂鬱なことが多いので、数日のあいだ、口をぱっくり開けて涎を垂らしながら、自分を自分だと意識している自分ってどこにいるのかな、などと身体のなかを探っていました。自分、要するに無音でも透明でもないこのぼくという有限で刹那的な誰かのことです。こういうのってチョータノシイ(裏声)! で、まあこれはあくまで主観ですけれども、どうも指先には「ぼく」はいないように感じる。肘とか腰にもいなさそうですし、背中にも肩にもいなさそうです。それはそうで、現代自然科学の影響下にあるぼくらは、それが頭にあると自然に思ってしまっている。でも頭といっても大きいわけで、もう少し場所を突き詰めたい。いや何のメリットもないのですが。

ぼくは頭痛持ちでして、頭痛が酷いときには脳の一部がブラックアウトしているのをリアルに感じます。他のひとはどうなんだろう……。で、そのブラックアウトしている部分というのは、頭の中心部分なのですね。あ、当然ですが、この話、一切の科学的根拠とかないですよ。もちろんブラックアウトしていても自分という意識はあって、それが、電源断で真暗になった脳の中心を眺めているのを感じます。誰、なんていう話は、所詮そんなものです。頭蓋骨の裏側をのたのた無様に這いまわっている幽霊みたいなもの。もちろん、だからこそ愛しいということもまた確かです。

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在郷軍人病ってご存知でしょうか。ぼくも知らないのですが、子供のころ、何かで読んだか聞いたかしたのです。いまWikipediaを読んでみると、1976年、ペンシルベニア州の在郷軍人会において、近くの冷却塔から排出されたエアロゾル経由で多くの人びとがレジオネラ肺炎となり、そこからこの名前がついたとのことです。どこでそんなことを知ったのかはもはや覚えていませんが、あるとき、ぼくは父に言いました。在郷軍人病って知っている? 父は即座に、そんな病気あるわけないよ、と言いました。確かに奇妙な名前ですが、どうもぼくの血筋というのは、根拠もなしに断言するひとが多いようです。ぼく自身そのサラブレッドなんですけれど、困ったものですね。ともかく、父に否定されたからといって大人しく引き下がるような子供ではありません。へへん、在郷軍人病も知らないなんてとんだ無知だね、困っちゃうね、恥ずかしいね。もちろん、そんなことを言うぼくだって、在郷軍人病が何かなんて知りもしないのです。昔はインターネットなどありませんでしたから、ちょちょっと調べることもできません。結局そのときは、互いの無知を憐れみあって終わりました。

それから何年もして、あれはもうぼくが会社に勤めたあとでしょうか。再びぼくは、父に在郷軍人病の話をしました。このときは、本だか新聞だか忘れましたが、ともかく何か資料があったのです。すると父は、ああそう、そういう病気があるの、ふーん、という極めて薄い反応しか示しませんでした。考えてみればこれは当然で、むしろあのときあるとかないとか言い争っていた必死さのほうが不思議なのですが、ぼくとしては何年か越しの怨念の持って行き場がありません。いやだってあのときあなた凄い否定したじゃないですか、と言っても、そうかしら、としか戻ってこないことの虚しさ、侘しさ。いやそこまで思っているわけでは無論なくて、コンコンチクチクコンチクショウ、くらいにしか感じてはいないのですが、それにしてもどうして在郷軍人病などという言葉がそこまでぼくにとって引っかかるものになったのか。

我ながら不思議ですが、いまでもぼくは、街を歩いていて空調の排気やら冷暖房の風がぶわっと吹いてくるところを歩くときなど(しかしこれ、関係があるのでしょうか、分かりません)、あっ、危ない、などと思いつつ、あの二度に渡る父とのやり取りを必ず思いだしながら息を止めて通り過ぎたりするのです。

* * *

それは、確かにぼくのなかにある、忘れることのできない記憶のひとつです。だけれども、誰の頭のなかにあったって良いのです。父とのやりとりや、ぼくが街中を歩いているときの奇妙な習性、そういったすべてのことを含め、それは誰でも良い誰それさんの頭のなかにあって、誰もが知っている、けれど誰のものでもないここではないどこかを漂っています。誰かさんと誰かさんの共有した時間として、それは永遠に在り続けています。

窓ガラスなんてぶち破れるよね、高いから躊躇っちゃうけど

数日前、ひさしぶりにオアゾの丸善を覗いてきた。いきなり少し脱線するけれど、書店の店員の劣化には毎回驚く。ぼくは過去を賛美するようなあらゆる言説に対して反吐がでる性質の人間だ。けれども、記憶にある限りでは行くたびにひどくなっているように思う。無論、すべての店員さんがそうだというのではない。でもかなり目につく程度に、本を商品として扱う人が多いように感じる。いや、書店で本が商品なのはあたりまえでしょ、ときみが思うのであれば、それはそれで良い。もちろん、きみは間違っていない。きみはこの世界の神に祝福されている。

ぼくが主に眺めるのは哲学、情報系の棚となる。昔は小説が中心だったけれど、もうそれはこの人生において十分すぎるほど手元にあるので、最近は昔ほどの熱意を持って知らない作家を探そうという気持ちにならない。問題は、哲学や情報系(メディア系も含む)を探しても、自分がほんとうに読みたいようなものが見つからないということだ。どれも、インターネットやらの新しい技術によって新しい理想的な――問題があるにせよ人間が乗り越えられる――社会が到来するとか、あるいはそういった技術が人間存在を脅かすと主張している。もうそれだけで、少なくともぼくは、読む気を失う。そこには何もリアルな生が書かれていない。あるメディアが現れたとき、そこにそのメディア特有のコミュニケーション形態が生まれるのは当たり前のことだ。そうして、コミュニケーション形態が変化するのであれば、社会構造が変化するのも当たり前だろう。だけれどもそれは、結局のところただそれだけのことでしかない。

ぼくにとって重要なのは、どのようなメディアによってであれ、何よりもまずそこにはそれによって何かを発しようとしてもがいている誰かさんが、あるいは望むと望まざるとに関わらず発せられた何かによって刺し殺されている誰かさんがいるということだ。その誰かさんの「どうしようもなく在ること」を問わずに為されるあらゆる言説は、所詮、肯定否定を問わずに技術論に過ぎない。テクノロジーはひとの役に立つかもしれないね。でも立たないかもしれないね。ぼくらはもっと利口になって、道具を使いこなさないといけないのかもしれないね。やっぱり使いこなせないからそういった技術は否定すべきだね。それはそれで結構なことだ。存分に議論をすればいい。朝のコーヒーを飲むマグカップをどうするか。マグカップで飲むべきか、マグカップとは何か、それによってコーヒーの味は変わるのか、そもそもコーヒーを飲むべきか? それはそれで、もちろん十分に意味がある。けれども、それを飲む/飲まない誰かさんって、いったい誰なんだろう。

そこにあるものが何であれ、発し、発せられるぼくらが最後に死すべきぼくらであるということはつねに変わらない。最後に死すべきぼくらだから、ぼくらは発し発せられる。発し発せられるなかでのみ、ぼくらは最後に死すべきぼくらとして顕れる。そこに直接結びつけられたものとして語られるのではないネット社会の分析など、通販で手に入れたインテリア程度の意味しかない。要するに、そこにはリアルがいっさい存在しない。当たり前だ。通販で手に入れたインテリアに美を見いだすのも、これは芸術ではないというのも、あるいはどこをどう結んだのか、だから現代芸術はダメなんだと嘆くのも、みなあまりに莫迦げている。なぜなら、単にそれは、そんなものではないからだ。

多くのメディア論研究者が、モニタに映るものをまさにWindowsだと思っている。窓越しに眺める、このぼくとは切り離された世界。リアルとバーチャルの境界線。

ぼくはホラー映画がけっこう好きだ。後味の悪さがホラー映画の必須条件だなどという阿呆な意見には同意しないが、まあそれはどうでもいい。海外のホラー映画を観ていると、襲われているときに窓を閉め、これであんしーん、などと呑気に構えている人物が登場したりする。そして案の定、ガラス窓を破られてゾンビやシリアルキラーが入り込んでくる。ちなみに、ぼくが住んでいる家はスチール製の(古臭くて無駄に頑丈な)雨戸がある。雨戸のない窓にはすべて金属製の格子がついている。扉にはチェーンと2つの独立した鍵がついている。どんな監獄だよ! という気がしないでもないが、防御力はばっちりだ。などと思っていると火事になって家を出ざるを得なくなったりするから油断はならない。

ともかく、WindowsをWindowsだと思うこと、リアルとバーチャルには境界線があると思うことは、ホラー映画の登場人物と同じ愚を犯すことでしかない。確かに、バーチャルは存在するだろう。だけれども、それはリアルに対する「バーチャル」を想定するという枠組みそのもののなかにこそ存在する。ぼくはそういった言説を心底嫌悪する。それは結局のところ、リアルを否定するものだからだ。ぼくらの生はつねにリアルだし、同時につねにバーチャルでもある。リアルとバーチャルの入り混じり、その混沌のなかにこそ、本来の意味でのリアルが浮かび上がってくる。

などとまあ、自分でも何を言っているのかよく分からないけれど――本当はよく分かっているさ、この混乱した文章はあくまで計算し尽くされたレトリックだよ、と恰好をつけて言ってみたりする――いずれにせよ、ぼくはリアルなものを書きたい。いろいろな制約のなかで、それは必ずしも果たせないけれど、もがくだけの価値はある。いや、価値の有無を超えて、それしかやりようがないからそうするしかない。そして案外、ぼくは楽天的だ。大学やら学会やら、そんなところで通じなくとも、ぼくはけっこう、この訳の分からないものが訳の分からないまま、訳の分からないものとしてきみに伝わるのではないかと、無根拠に、そして寂しさを込めて楽観している。

生きているきみに生きているぼくは

例えば苦しい思いをしている誰かに対して、私も昔はつらい思いをしてね、と語りかけること。もしかすると、それは意味があることなのかもしれない。それが誰かを救うことになるのかもしれない。けれども、ぼくはどうしても、そういった言葉に対して違和感を感じてしまう。なぜなら、だってあんた所詮は生き残っているじゃねえか、と思ってしまうからだ。無論、それは素晴らしいことだ、きっと。そうして、そういった言葉によって救われる誰かさんがいるとすれば、それも素晴らしいことだ。だけれども、やはり違うとぼくのなかの何かが呟いている。そのときそれは、結局のところ生き残った人間が生き残った人間に語った言葉に過ぎない。伝えられたという事実は、成功した、正義の、善意の、理性によって理解できる、分かりあえる、希望に満ちた言葉をしか残さない。

でもそうではない。ぼくらが本当に言わなければならなかったのは、聴かなければならなかったのは、ついに届くことのなかった言葉だったはずだ。ついに誰にも聴かれずに消えてしまった言葉だったはずだ。誰にも聴かれない言葉を残してこの世界から退場した誰かさんを前にして(しかしそれは決して前にできないという意味でのみ前にするということだ)、ぼくらは、生き残っているというただそれだけで暴力の波動を撒き散らしている。そうして時折、あるいはつねに、厚顔無恥にも言葉を発しさえする。きみを救う言葉などと思い上がり、残酷な暴力の塊を気分よく嘔吐する。

それはぼくとて同じことだ。ぼくにはどこかで、自分自身を含め、生き残った人間に対する憎悪がある。生きているということは、あまりにも醜い。それがぼくらの原罪だ。そして原罪である以上、ぼくらはそれを抱えたまま、なお生き残っていかなければならない。生きることは、生きている限りにおいて、ぼくらの義務だ。だからといってそれを当然のこととして居直るのであれば、それは本当の意味で救いのない醜さとなる。

「私も昔はとてもつらい思いをしてね……」「あのとき、あの言葉によって救われました」何れにせよ何にせよ、結局きみは生き残っているじゃないか。

最後には頭がどうかしていると思われるばかりだから、もう半分は伝わらないのだと諦めているけれど、ぼくがいつでも強迫観念のように追いつめられているのは、では、つらい思いをしてそこでお終い、死んでいった誰かさんはどうなのかということだ。あのとき、あの言葉によって、あの出来事によって、あの出会いによって救われなかった誰それさんはどうなのか、ということだ。だけれど、この世界から神を差し引いたとき、ぼくらは絶対にこの問いに答えることはできない。答えることができないから、ぼくらはそれを「議論の出発点」とか「解決すべき問題」とか「不幸な歴史」にしてしまう。そうして、聴こえない言葉は聴かないことにする。届かない言葉は言わないことにする。未来のことにだけ眼を向けることにする。だからぼくらには可能になる。恥知らずにも、きみを救うための言葉、などというものを発することが。

いや、きっとそれだけではないのだろう。もっと、人間性とやらを信頼すべきなのかもしれない。誰かさんが誰かさんに何かを言って、それで誰かさんが(それはどっちの誰かさんだろう)救われてハッピーエンド。でも、どうしてもぼくにはそこに意味があるように思えない。人間性があるから信頼するのであれば、それは当たり前のことだ。もし信頼というものに意味があるのであれば、それは人間性がないにもかかわらず信頼するからこそではないのだろうか。

コミュニケーションについても同様。もう聴くことのできない誰かさんに何かを語ること、もう語ることのできない誰かさんの言葉に耳を傾けること。それをコミュニケーションだとぼくは思う。その初手で、もう、論文でも学会発表でも、誰にも理解はされなくなる。だけれども、それでいい。ぼくもきみも、所詮は醜く生き残った人間だ。生きているだけでいまはもういない誰かさんたちに対して暴力を振るい続けるしかない原罪を背負った人間だ。

少なくともぼくは、自分が醜く生き残り、醜く生き残るしかないということを知っている。