仕事を終えて家に帰り少し身体を休めると、別の仕事を片づけ始める。0時を過ぎ、気がつけば1時を過ぎている。2時になり、眠気を覚ますために洗面所へ行き、電気もつけないまま凍るような水で顔を洗う。そのまま、窓越しに届く街灯の微かな灯りに浮かび上がる、鏡に映った自分の輪郭を眺めている。3時を過ぎ、布団に潜りこむと、しばらく真暗な天井に向けて突きだした手の甲を眺め、それから、ほんの少しだけ眠りにつく。
目覚ましをかけた3分前に、必ず目が覚める。枕元の湯冷ましで頭痛薬を飲む。脳に痛みを感じる神経はない、と、いつかどこかで読んだ、嘘か本当かも分からない言葉を思いだす。いつもと変わらない朝。けれども、そろそろ、いろいろな嘘が破綻しているのを感じる朝。
存在しない神からの召命がある限り、きみの身体にはどこからか熱が流し込まれ続ける。熱がある限りきみは動き続ける。そしてそれはもちろん祝福では、ない。
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ひさしぶりにぼくは、コーヒーを飲みたくなる。本物のコーヒーではなく、インスタントの、甘くてぬるい、絵具のような泥水のような、あれだ。けれども風邪をひいてしまい、裏手の山を登ったところにあるコンビニまで行く気力がない。身体のなかで熱をおこせない。古いセーターを二枚重ねて着、しかたなく本物の コーヒーなどを飲みながら、紙のノートに鉛筆で字を書いていく。誰にも届かない呼びかけ。ぼくが書きたいのは、どこにも届かないことでよってのみどこからも届かなかったところへ届く言葉だ。本物のコーヒーは熱いほどだけれど、ぼくの望む味ではない。
手元においたPHSが着信を告げ、震える。かかってくるはずのない相手からの、数年ぶりの着信。通話ボタンをそっと押す。スピーカーの向こうから届くホワイトノイズ。無言で耳を澄ませ、数分後にそっと切る。
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ぼくはきみにはなれない。きみはもう誰にもなれない。きみに呼ばれなかったぼくが、いつまでもきみの呼び声でない呼び声に耳を澄ませている。身体のなかからとっくに熱は失われているけれど、存在しない神に対する戦いにおいては、すべてが逆転する。
だから、届かない声は、きっときみに届く。きみではない誰かから、ぼくではない誰かに。