良い論文を書こう

きょうは一日論文を書いていました。締め切りは三月一杯なのですが、その前に教授に目を通していただくことになっているので、そろそろ仕上げなければなりません。しかし論文の引用数などが少々弱いですし、まあ今回は査読で落とされるだろうと思っています。とは言えここで一本まとめておくのは他の投稿予定の論文にも役立ちますし、六月にある学会発表の準備にもなりますので、最後までしっかり書くつもりです。

とか言っておいてあれなのですが、来週末に京都へ行くのです。先だって鹿児島へ行ったばかりですが、普段は仕事やゼミがない限り家に引きこもっているので、まあこんな月があっても良いでしょう。っていうかですね、遊びに行くのではないのです! 学会があるのでそれに参加するのです。参加するっていっても自分の発表は何もないので、まあ適当に見るものを見て、あとは観光するつもりですが。わあやっぱり遊びに行くのか!

でも一日論文を書いていて、ちょっと飽きたなあとぼんやりするときなど、ふと昔のことを思い出したりするのです。きょうはたまたま細野さんのメディスン・コンピレーションを聴きながら書いていたので、人形劇をやっていたころのある日の夕方のことを思い出しました。

その日は特に公演が近いわけでもなく、いつも通りのメンバーで、ぼくらはだらだらと部室でくつろいでいました。そもそもぼくはほとんど講義というものに出なかったので、芝生でのんびりするか部室で遊んでいるか、で、相棒が(彼女は何だかんだ言ってぼくとは正反対に真面目な人なので)講義から帰ってくるのを待っていたりするのです。

彼女が部室に帰ってきて、何だかニコニコしながら紙コップを持って近づいてくる。どうしたのかな、なんてのんびり思っていたらアウトでして、「戻ってくるときに見つけたの」とか言って中を見せてくれると、ぼくの嫌いなひーさんとかがとぐろを巻いていたりする。本当に怖い目にあうと、自分のあげた悲鳴がまるで知らない誰かさんが叫んでいるように聴こえるのが不思議です。

まあそんなことをしながらぼくらは過ごしていたのですが、その日はなぜか部室にあったダンボールを漁ろう、ということになりました。意外に歴史のある部でしたので、入り浸っているぼくらでさえ知らないようなモノのつまった箱がけっこうあったのです。そうしてごそごそと荷物をひっぱりだしたりしていたら、大きなスピーカーが出てきました。

もちろんぼくらは劇をやっているわけですから、すでに巨大なスピーカーやアンプはあるのです。でももうワンセットあるとは思っていなかったので、ちょっとびっくり。何しろ暇なぼくらですので、早速みんなで線をつないで、いままで使っていたスピーカーと合わせて四つ、部屋の四隅において音楽をかけることにしました。

良く知りませんが、何かサラウンドとか5.1chとか7.1chとか言いますよね、でも貧乏だったぼくらにはそんなもの別世界の話です。でもぼくらにだって、おお見よ! 巨大スピーカーが四つもある!

そうしてかけたのが、細野晴臣のメディスン・コンピレーションでした。最初のイントロ、深く澄んだ音が部屋に溢れたときの衝撃ははっきり覚えています。感動すると、ぼくは思わず笑ってしまう人間でして、思わず「えっへっへ」と鬼太郎のエンディングテーマみたいに笑ってしまいました。

あのとき、あの部室に居た人たちと、もうぼくは相棒以外には何のつながりもないし、今後もつながりを持つことはないけれど、でもやっぱり、それはぼくの中に一生残る光景です。そしてたぶん、それだけで十分だったのだと思います。

けれども、人生はどこでどうつながるかは分りません。先日、うちの研究室から事務方や発表者としてだいぶ参加した学会がありました。ぼくは仕事がつまっていたので参加しなかったのですが、あとでそのときの発表者一覧を見て驚きました。人形劇で一緒だった子が、いま他大の院に所属して、その大会で発表していたのです。年齢もたしかぼくと同じだったはずだから、この年齢で互いに博士課程に在籍しているというのも、なかなかに面白い共時性です。

もしぼくが参加していて彼と会っても、恐らく互いに「お久しぶり」とか「やあ」とかもごもご言って、それで終りだったとは思います。けれども、その想像は、ちょっとだけ楽しいのです。いつかその学会で彼に会い、「やあ」と言っている自分を想像すると、なぜか、ぼくは少し笑ってしまいます。

良い論文を、書かなくてはね。

退路を絶つな!

という訳で何かこうブログというと、その人のカラーとか得意なこととか専門分野とか、そういった中心的なテーマみたいのがあるそうでして、じゃあこのブログって何かあるのかしらというと何もない。自分で書いていて、本当に脈絡がないなあなどと思っていたのですが、きょう凄い発見をしました。これはね、日本全国、ぼくのブログがトップだと胸を張って言えることです。知りたいですよね! ね! うん、あなたが知りたくないことは分っているのですが、寂しいので言わせてください。googleで「デッキブラシ」を検索すると、製品としてのデッキブラシ関連が幾つか出てきた後、このブログが堂々の8 位でヒットするのです(2009年2月29日現在)。凄い、ブログとしてはトップですよ!

はあ疲れた。精神的に。で、きょうの話題ですが、とても真面目な話です。去年の暮れにぼくの数少ない友人である彫刻家が一時帰国しまして、一月くらい滞在してすぐにニューヨークに戻ってしまったのですが、けれどもその一月の間にずいぶんと夕食を共にすることができました。毎週一度か二度、昼過ぎくらいから相棒と二人でお邪魔して、終電近くまでゆっくりと料理をしたり(するのは彼なのですが)お話をしたり。これだけ一緒に過ごしたのは、ぼくらが大学生で彼女がモデルのバイトをしていたとき以来ではないかと思います。ぼくと相棒の関係というのは非常に閉鎖的で歪んだものではあるので、こうして時折彫刻家と会っていろいろな話をするのは、改めて生きていく上でのバランス感覚のようなものを取り戻すとても良い機会となります。もちろんそんなことを超えて、純粋に彼と会うのが楽しいのはもちろんですが。

とにかく彼はしたたかで、あれほど強い心を持った人間をぼくはあまり知りません。けれどもユーモアもあるし、何より人間に対する愛情(などと言うと彼に怒られそうですが)がある。そして極めてユニークな人生を過ごしているし、その独自の視点から語られる彼が見た彼の世界というのは本当に面白い。ぼくに才能があったら、彼を主人公にドキュメンタリーを撮りたいと思うほどです。でもそんな才能は残念ながらぼくにはないので、いま一生懸命「ブログを書いてください」と説得しているところです。彼の語りを独占するのは本当に惜しい。けれどいずれにせよ作品集を載せたサイトの準備もできているので、近々公開する予定でいます。

さて、暮れに彼と三人で食事をしているときのことです。ふとしたことから、ぼくが自分の人生に関して「でも、ぼくはいつでもプログラマとして食べていけるっていう逃げ道があって、だからそういった点では自分に甘えがあると思っているんですよね」云々、というようなことを彼に言いました。すると彼は強い口調で「何を言っているんだ、それは当たり前のことだ」と答えたのです。

ぼくはいま博士課程に在籍しています。まあそれなりに研究はしていますし、自分の才能とセンスにも自信はある。人生の貴重な数年間をかけるのですから、自信がなければ博士課程にいても無駄だとぼくは思います。けれども同時に、当然ですがぼく程度の才能を持った人間などごろごろしている。いやぼく以上の才能を持った人間が、ですね。しかも連中の大半はぼくよりはるかに若い。だから、ぼくが研究者としての職を得る可能性は限りなく0に近いでしょう。それは当然ぼくよりもっと若くて才能溢れる彼ら/彼女らにしても同様であって、だからみんな必死です。

けれども、ぼくはそもそも研究者として食べていくことにそれほど魅力を感じていない。下らないという意味ではなく、それはどちらでも良いと思っているのです。博士号をとるということは独り立ちできる研究者になるということであって、研究者というのは研究職についているからそうであるようなものではない。その人の考え方、世界の捉え方こそがその人を研究者として規定するのです。

などとのん気なことを言っていられるのは、しかし実は、ぼくがプログラマとして食べていけるという(いまのところは)保証があるからです。ぼくはそこに、本気で研究職を目指している人たちに対する引け目というか、申し訳ない気持ちがどこかにありました。もちろん、ぼくとていい加減な気持ちで学んでいるわけでは決してない。それは誤解のないようにお願いしたいのです。ある枠組みの中で自分の考えを鍛え上げていくというのは、自分自身を鍛えることだし、世界と戦う武器を錬成するということでもある。それについて妥協したことは一切ない。ただ、繰り返しますが、これはまあ本当にのん気な主張でもあります。研究職につけなくたって、ぼくはプログラマとしてやっていけるし、プログラマでありつつ研究者であることはまったく矛盾がない。少なくともぼくの中では。けれどやはりそれは逃げではないのか。

と、そんなことをうじうじと思っていたら、先ほどの彫刻家の言葉が出てきたのです。常に退路を確保するのは当然で、それをしないのは挑戦ではなく愚行だ、と言う。もしかしたら当たり前なのかもしれませんが、ぼくは結構驚いたのです。例えば芸術家というと、日常生活なんて破綻していて、常に崖っぷちというか崖から落ちながらこそ創造が可能だ、みたいなイメージがありませんか? いやもちろんぼくもそれほど極端かつステレオタイプに考えているわけではないのですが、でもそんな先入観がまったくないと言えば嘘になる。破滅型の天才、というやつですね。

けれども彼は強い言葉でそれを否定しました。どんなときでも、人は必ず退路を確保しなくてはならない。ちょっと、それを聞いて納得したのです。彼は、もちろん彫刻を創るから彫刻家なのですが、しかしそれ以前に、魂の在り方として芸術家なのです。これはちょっと本人に会わないと伝わらないけれど。自然に生きて、自然に(というのは無理なく、ということではなく、その人にとって苦闘を伴うあり方がその人の本然であるのならそれが自然だという意味で)芸術家である。そんな彼にとって、退路を絶って一か八かで芸術家たらんとする、作品を創るというのは、ナンセンスの極みなのかもしれません。いやもしかしたらもの凄い誤解しているかもだけれど、ぼくはそう理解したということですね。これ後で彼に「全然違うよ!」と怒られるかもしれないけれど。

そうして、生きるということを全力で楽しんでいる彼にとって、そういった破滅型の創作というのは、あるいはそれに対する幻想というのは、まったく馬鹿馬鹿しく、自己愛に満ちたものにしか見えないのかもしれない。

当然ですが、これは「言い訳をする」ということとはまったく違うのです。例えばぼくが「研究職に就けなかったけれどプログラマとしては一流 (済みませんちょっと法螺を吹きました)だし!」と、言い訳として言うのであればそれはみっともないし、自分を貶めることになる。そんな生き方では何も得ることはできないでしょう。けれどもそうでない在り方は、例えば「研究職に就けなかったからもう後は野垂れ死ぬ」というものではないし、そうであってはならない。

念のため申し上げますと、ここで言っているのは、日本において博士号取得者に対する待遇があまりにも悪いとか、そういった社会的な構造の問題ではないのです。そうではなく、何者かになろうとか何物かを創ろうなどと言ったとき、そこに破滅の美学を持ち込んではならない、ということなのです。ぼくは、それはとても納得しました。ぼくらはしぶとく生き延びなければならないし、そうやって人生に(良い意味でみっともないまでに)しがみつきつつ、あるいはふてぶてしい笑みを浮べつつ、進路を変えて生き延びるべきだし、また生き延びて良いのです。

「退路を絶つな!」。そう考えてみると、これはあらゆる場面でぼくらが思い出してみる価値のある言葉だと、ぼくはそんな気がしているのです。

後先考えずにエントリーする勇気

という訳で最近あまり良いことがない。例えば今年のバレンタインデーは誰にもチョコを貰わなかった。と思ったが先週か先々週、プロの店で業務用板チョコみたいのを自分に買っていたのでぎりぎりセーフ。やたら硬いのでいまだに結構残っている。そう言えば大学時代はバレンタインデーというと人形劇部の女の子たちにチョコをあげていた。最近は男もチョコを買うのが流行っているらしいがそれなら俺は時代の最先端だったのか。でも当時は女性に混じってチョコを選んでいるとひたすら変質者だった。また例えば防水だというので喜んで買ったWX330Jの電波のつかみ具合があまりに酷く音質も悪い。話していてもぶちぶち切れるし、メールを受信しようにもネットワークエラーが頻発する。防水だというその一点のみで我慢してきたがそろそろ堪忍袋の尾も切れた。堪忍袋とはオーストラリアに住む有袋類の一種だ。尻尾をつかまれるとそれを切り捨てて逃げると見せかけ激怒する。だから緒でなくて尾で正しいのだそれはともかく。昼休みにwillcomのサイトを見たらWX330Jのバージョンアップのお知らせがあり、これで少しはまともになるかと思ってバージョンアップしていたら昼休みの半分が過ぎた。さてあと10分しかないのだがこのブログを書き終えることができるのか。無論書き終えることができなかったところで人類の歴史には何の影響もないのだが。さてバージョンアップがいま終わり、いそいそとメールを受信してみたら「[楽●天]トラベルニュース ○○様婚活はじめに、ほにゃらら以下略」というのが一通だけ届いていた。婚活はじまらねーよ! っていうかそもそも何の略だよ! と切れてみたものの空しいだけで、しかしきょうのぼくは落ち込むだけではない。なぜかと言えばカメラを持ってきているのです。寒いけれどふかふかのセーターも着ているし、仕事が終わったら海にでも行って写真を撮ろう。暗いことばかり多かった昨年だけれど、改めて写真を趣味にできたことは大きな支えになった。以下写真について感動的なことを書こうと思っていたが案の定昼休みが終わっていまは15:00。仕事はちょっと一段落だが感動的なフレーズはすべて消えた。けれど諦めが悪いのがぼくの良いところなので無理やり書いてみる。最近マクロレンズを買ったと前に書いたけれど、なかなか撮るものがない。仕方がないので自分の指紋を撮ったりする。自分の人生の意義について考えたりもできるので超オススメ。ちなみにぼくは指紋に関しては一家言あって、いやないんだけど、手足を合わせればほとんどすべての指紋の種類を一人で網羅している。ちょっと自分の身体が怖い。あれ全然感動的な話題にならないな。もう一度やり直し。写真を撮るようになってから、以前よりいっそう歩くようになった。仕事帰りに二、三時間カメラ片手に歩くなんてこともある。もともと歩くのは好きだったけれど、面白いもの、美しいものはないかと探しながら歩くのはとても楽しい。身の回りのものに対する視線が鋭敏になった気がするし、自然の移り変わりにも注意深くなったように思う。おおなかなかに良い話っぽい流れ。まあそんなふうにして身体は鍛えられ、精神は研ぎ澄まされる。終いには悟りを啓くか武道の達人になりそうな勢いだ。スティーブン・セガールだって倒せるかもしれない。セガールと言えば「沈黙の聖戦」だったかであまりに肉々しくおなりになっていたのに衝撃を受けた。ぼくはてっきりあれは CGで、怠惰と安逸を貪り肉々していたセガール(CG)が仲間の危機を前に心を入れ替え身体を鍛えなおしセガール(リアル)になり云々というストーリーを予想していたら最後まで肉セガ(CG)だった。アクションスターも大変だ。アクションスターと言えば珍しく見たい映画があって、「その男ヴァン・ダム」。タイトルは違うかもしれない大体こんな感じだったはず。久々に名作の予感がしている。どのくらいしているかと言うと、ぼくの予感って当たったことないんだよなと絶望するくらいにビシバシ予感がしている。とは言えいまは映画どころではなく仕事どころでさえなく、空腹なのです。朝ちょっとしんどいことがあって食べる時間がなくて、まあお昼に会社の自販機のカップラーメンでも食べれば良いやと思っていたら財布の中に五千円札一枚と一円玉六枚しかない。これでは何も買えないではないか。駅前にあったコンビには去年潰れた。先週買い置きしていたアップルティーと緑茶のペットボトルだけを希望に生きていこう。そう誓ったは良いけれどやはり空腹で、どうやら昨日の晩飯以降24時間何も食べずに過ごすことになりそうだ。けれどまだ新人だったころ、とあるメーカーの仕事を請け負ったときは辛かった。右も左も分からぬ状況でさあバグを直せバグを直せいま直せと言われ、36時間飲まず食わず眠らずで他人のプログラムを解析したことがあった。まあ飲まず食わず眠らずなんてどうということもないが、トイレにも行かなかったと言えば結構みなさん尊敬してくれるでしょうか。してくれませんね。だから世界でぼくだけがぼくを尊敬することします。俺凄い! 俺凄いけどこのブログひどい! けれどもぼくはかなりええかっこしいなところがあって、どうも最近ブログで格好つけているというか気取っているというかそんな気がする。そんなこんなで、そろそろ定時。たまにはこんな、自然体。ここまで読んでくれた人が誰も居ないことに賭けるけれど、その賭け金は、ここまで読んでくれた奇特なあなたに対する、惜しみない、愛。

床に残る記憶

学園祭の時期ですね。いやもう終わったか。まあいいや。いま、ぼくは勉強することが好きでして、またとても楽しいとも感じています。それは自分が生きるということと自分の研究テーマが、極めて強く結びついている、結びついてあるようになったからだと思います。呼吸をするように研究テーマを考えることができるようになって、だいぶいろいろと楽になった気がするのです。最初の大学では情報科学というものを形ばかり専攻していましたが、このときは辛かった。周りの連中は、確かに優秀なのもいる。けれどではいったい彼らが何のために勉強しているのか、それが全然見えてこない。単なるマニアにしか見えないのです。そういう自分も結局は同じで、知識を自分の生にとっての武器にできていなかった。自分の魂を表現するものとしての学問を持てていなかった。だから中退したのはある種当然の結果であって、まあ適当にやって卒業して、良い企業に就職してさっさと結婚していまごろ役職についていて、もしかしたら子供もいて、そういう人生もあったかもしれませんし、それを否定しようとも思わないのですが、けれどやはりぼくはいまの人生を送らざるを得なかったし、それがぼくの在り方なのだなあといまは思っています。もちろんそれは現状肯定ということではなく、いまのぼくの生活には深刻な問題が多々ありますし、それには立ち向かっていかなければならないけれども。

何の話でしたっけ……。そうそう、学園祭です。だからいま、ぼくは学園祭というものにあまり関心がない。まあ当たり前でして、三十過ぎの男が「学園祭だーいすき☆」とか言っていたらそれはそれでちょっとやばい。けれども昔はぼくも学園祭が好きでした。学園祭そのものというより、そこでぼくらは人形劇を公演するのですが、それが楽しかったのですね。

先日、相棒とふたり、とある大学の学園祭を覗いてきました。ぼくらとは縁もゆかりもない大学ですが、たまたまやっていたのです。時刻はもう夕方で、ほとんどの企画や展示は終わりかけていたのですが、まだ校内にはその日最後の盛り上がりが残っており、その中を二人で歩きました。ただ、ぼくらはあまり賑やかなのは苦手でして、流されるように賑やかな表から裏側に入り込んでしまいました。そこは製作棟のような雰囲気の建物でした。その、ペンキ跡に汚れた床を見て、ぼくはふいに、昔自分がまっとうな大学生だったころのことを思い出していたのです。

大学時代、ぼくは相棒他何人かの部員と人形劇をやっていました。だいたいは子供向けで、たまに近所の幼稚園へ出張公演をしたりもしました。けれども学園祭では、どちらかと言えば子供向けよりも少し大人向けの演目をやることが多いのです。子供向けには子供向けの、学生向けには学生向けの、それぞれなりの難しさ、楽しさがあるのですが、まあそれはいずれ。

学園祭が近づくにつれ、当然ですが部室はだんだん修羅場になっていく。ぼくらは弱小な部でしたから、大抵脚本と演出は兼任になります。で、人形劇ですから人形を作らなければならないし、同時に役者も演じなければならないから台詞の通し練習や立ち位置の確認、発声練習もある。大道具小道具の製作もあるしパンフやポスターの作成もある。みんながひとり何役も持っているから、とにかくてんやわんやになります。手が足りないので、公演前になるとヘルパーさんも来る。狭い部室に作りかけの人形や大道具小道具、裁縫道具や工具が散らばり、ポスターやパンフの原稿、脚本も積んである。ベランダでは発声練習をする者もいるし、部屋の中では裁縫をしたり鋸で木材を切っている者もいる。何故か単に遊んでいるだけのやつもいる。

ぼくは、その雰囲気が好きでした。そしてもちろん、公演直前の緊張感、真暗なけこみの中にしゃがんでいるとき、あるいは音響/照明担当で開幕のタイミングをはかりつつスイッチに手をかけているときの緊張感も、あるいは舞台が終わり、お客さんのはけた後の客席にぼんやりと座っているときの開放感も好きでした。

だけれど、いま、ぼくの記憶に何よりも残っているのは、公演が終わりすべての後片づけが終わった後、再び見えるようになった冷たいコンクリート剥き出しの、部室の床なのです。そこには長年にわたってついた傷、塗料などの跡が点々と残っています。そして今回の公演準備の間についた新しい汚れや傷も増えています。ぼくはそれを見るのが好きでした。堅く、ひび割れ冷え切ったコンクリートに、けれど確かに、生き生きとしたぼくらの活動の跡が残されていたのです。

いま、もうその部室は使われていません。もしかしたら建物すら、すでにないかもしれません。けれどもし、あの部室をもう一度訪れることがあったら、ぼくはきっと、あの床を写真に撮るだろうと思っているのです。

旅に出たって自分なんか見つからないってお母さんいつも言ってるでしょ!

いや、先日とある映画の試写会に行ったのですが、これがまあひどい映画でした。タイトルは”Into The Wild”。基本的にぼくはレビューとかしないんですけれども、あまりにひどいのでちょっと書きます。内容どころかラストにまで触れていますので、映画を観ようと思っている方は以降お読みにならないでください。

とか言ってですね、まあみなさんご存知のように、ぼくにレビューができるはずがない。絶対に話がずれるに決まっています。それから、いつも書いている通り、ぼくは自分の主観と他人の主観を厳密に分けています。ですから、ぼくにとってつまらなかったからと言って、その映画に価値がないというつもりはありませんし、あなたがその映画を観てもつまらないかどうかは分かりませんし、あなたが面白いと思うのであれば、それを否定するつもりもまったくありません。ぼくが書けるのは、ただ、ぼくがその映画をどう思ったのかだけであって、このブログも、ぼくが何をどう感じるか以上のことは書けるはずもありません。

今回この映画を観に行ったのは、相棒が試写会の抽選に応募して、それが当たったからです。相棒は結構こういう試写会とかに応募するひとで、たまに当たると、二人で観に行きます。で、おんぶにだっこの状態で申し訳ないのだけれど、これが大抵、つまらないどころか無茶苦茶な映画であることが多い。いや『ダーウィンの悪夢』は面白かったな。でも『中国の植物学者の娘たち』はひどかった。あまりにひどくて憤激して、これは絶対ブログに書くぞと思っていたのだけれど、基本的につまらないことはすぐに忘れるたちなので、きょうのきょうまですっかり忘れていました。まあそれは良いや。で、どのみちぼくは映画そのものよりも相棒と映画を観に行くという行為自体を楽しむので、映画の内容がひどくても、行ったこと自体を後悔することはないのです。

で、今回の”Into The Wild”。これもひどかった。これはクリス・マッカンドレスという実在のアメリカ人の若者が、親との反目やら何やらが原因で、「本当の自分」を探しに「すべてを捨てて」荒野を目指し、けれどもその途中で毒の豆を間違えて食べて死ぬ、という、現実の話を元にした映画です。90年代初めですから、年代的にもぼくに近い。彼の方が半回りくらい上ですけれども。

誤解されがちなのですが、ぼくは決して優しい人間ではありません。むしろまったく逆だとお考えいただいた方が良いでしょう。ぼくが恐れるのは偽物の生です。ぼくにとっての悪とは本当の生を腐食させるあらゆる偽物のことであり、それを認めてしまったら、人間、もう後は生きたまま死ぬだけになります。それは絶対に嫌なのです。そして”Into The Wild”にはぼくの敵たる「偽物」の匂いが芬々としている。だからぼくはぼくに対して、それを告発しなければならない。

と言いつつなかなか本題に入らないのですが、映画だけでなくて、試写会全体もひどかった。最初に配給会社の宣伝部か何かの担当者が出てきて能書きを垂れたのですが、サイトでこの映画の広告をしているから見てくださいと言うのです。それだけなら、ああそうですか、という話ですが、何かですね、繰り返し繰り返し「このサイトには著名人の方々も参加して云々」と言う。その俗悪さたるや! だいたい「著名人」って何ですか? ぼくらは名もなき衆愚ですか。そりゃ結構。けれどもですね、あの、人を見下したような、私はセンスがある! みたいな虚飾の自信に溢れた宣伝担当者を見ていると、とても悲しくなってくるんです。「著名人」ねえ……。それからしばらく、相棒とぼくの間では「チョメイジーン!」というのが流行っていました。

そしてもうひとつ、ラウンジで登山靴を展示していたんです。何だろうと思っていたのですが、その担当者によればどこかのメーカーとタイアップして、まあ要するに映画を観て”Into The Wild”したくなったらその靴を買え、と。はっきり言えばそういうことです。莫迦らしい! ハイテク登山靴なんて、まさにこの資本主義に塗れた世界の成果として生れたもののひとつな訳ですよね。悪くないですよ? ぼくだって登山靴は好きです。出勤時にまで履いているくらい好きです。でもね、それは決して、”Into The Wild”じゃあないんです。繰り返しますが、悪いことじゃない。むしろぼくらは、そういったもので武装してWildに乗り込んで良いんです。でも、それは自然と自分との一対一の闘いなんかでは決してない。人類の総体が、自然を破壊してきた工業社会の歴史全体を背負った人類の総体が、自然と「一対一で」向かい合っているなどとたわ言を吐く誰かさんの背後に間違いなく存在するんです。それを誤魔化してはいけない。

で、いきなり本題に入るのですが、要するに主人公もそうなんですよ。家族との軋轢に悩んで、大学では南北問題とか人権問題とかを学んで、卒業するときに「本当の自分」「ありのままの自分」を求め、”Wild”に行こうとする。でもそのとき、彼の装備は、何度も言いますが、彼が否定したつもりになっている資本主義経済が生み出した製品なんです。銃とか、服とか、靴とか、あらゆるものが。それはね、全然否定になっていないし、自然との闘いにもなっていない。自分がそういった世界の中にあり、そこから離れがたくあることを認めた上で、初めてぼくらは自然と戦える。もし戦うというのなら、ですけれども。どんな御託を並べたところで、それが分からないなら、そりゃあピクニックですよ。

そして第二に、結局彼は最後、食べられない毒のある豆を間違って食べて死ぬんですけれども(まあこれもですね、自然を甘く見すぎだろうと思うのですが)そのときにですね、心の中で両親と和解するんですよ。ちょっと待てよ! と思うのです。何か最後の章のタイトルは「偉大なる英知」とか何とか、たぶん違うけれどそんな感じでした。おいおい、資本主義を否定して家族を否定して、そのくせ工業製品で武装して”Wild”に行って、そのすぐ入り口で挫折して(彼は結局、最後まで遠くに見える山の麓にすら辿り着きません)、豆食って死んで最後「お父さんお母さん仲良くしたかったです」かよ! それが最後につかんだ偉大な智慧かよ!

ちょっとね、おい、なめるのもいい加減にしろよ、という話ですよ。権威に、親に、社会に唾を吐いたなら、死ぬまで反抗し続けろよ。そうでなきゃ、そんなんただの若気の至りで、大人になってですね、いやああのころは私も若くてねえあっはっはとか、そんな大人になりたいのか。それでいいのか? 恥ずかしくないのか、自分の人生に対して、自分自身に対して? 反抗って、そんな適当なものなんですか?

だからですね、もの凄い保守的なんですよ。結局のところ。最後は家族の愛(笑)かよ、みたいな。あえて不快な言い方をしますけれど。これはね、凄く危険ですよ。第一に、自分というのがここではないどこかにあるという安易な思考。そんなん、「いま、ここ」で戦えないお前の姿が本当のお前の姿な訳です。当たり前ですよ。第二に、「自然の中でたった独り」というこれまた安易な思考。たった独りじゃないっつーの。じゃあお前が履いているその靴を、お前は作れるのか? そして第三に、死ぬ間際に頼るのが結局家族の愛かよ、という安易な思考。もう考えるのが面倒くさいんで「安易な思考」を連発するぼくの方こそ「安易な思考」なんですけれど。戦うことを選んだならね、すべてを殺す覚悟を持たなけりゃならないんですよ。和解するくらいなら、最初から戦うべきではない。何もかもが中途半端。最初から親を許すか、最後まで許さないか、それができて初めて戦ったと言えるんです。いや、ぼくらは大抵、そのどちらもできない。それで良いんです。人間ってそういうものです。けれど、そのときに、その結果をですね、「偉大な智慧」だか何だか、そんなお為ごかしで誤魔化してはいけない。それはぼくらの弱さなんです。戦い辿りついた偉大な結論ではなく、逃げた結果、負けた結果であることを認めるからこそ、ぼくらはそれを智慧と呼べる。

まあとにかく滅茶苦茶でした。何が言いたいのかさっぱり分からない。主人公も、ちょっとそのストーリーで表そうとしているらしい「繊細さ」を表現するにはあまりに鈍い演技だったし。最後、気合で痩せれば良い訳ではない。役者はボクサーではない。断食芸人でもない。

そしてもしあの映画のテーマが馬鹿な若者の過ちを描いたものであるのなら、それこそふざけるな、と思います。最後まで親を許さず、社会のすべてを否定しつつ荒野の中で死んでいくのか、あるいはヘラヘラと笑いながら荒野に行き、ヘラヘラと笑いながら社会に戻ってきて一生を過ごすのか、あるいは最初から荒野になど「逃避」せず、真正面から家族の問題と取っ組み合うのか。そこで初めて、ぼくらは人間の強さ、独りで戦うことの意味、全力で戦った結果その向こうに現れる巨大な悲劇を見ることができる。

とか何とかですね、激怒していたのです。そうしたらタイトルバックで、彼が生前に撮ったポートレートが出てきました。おいおい、お涙頂戴かよ、と思ったのですが、相棒がですね、映画館を出た後でぽつりと、「彼は戻るつもりだったんだよね」と言ったのです。「戻るつもりがない人間なら、写真など撮らない」、と。

そのとき、何か少し、彼に共感できた気がしました。映画は糞です。それは間違いない。けれども……。そう、やはり……、何とも言えないな。ぼくは彼に同情する気は一切ない。けれど同時に、やはり、やはり、帰る気があるのなら、帰させてやりたかったなあ、と思うのです。

正しいとか戦うとか、そんなん、普通の人間にはどうでも良いんです。生きて帰って、たまに楽しいことがある。まあでも、だいたいはくだらなくつまらない、何も起きない日常生活。そんな人生で良いんだともっと早くに気づけば良かったのに。そう思うのです。戦いっていうのは、結構、そんな日常生活そのものにある。分不相応な背伸びをしなくたって良いんです。そのままで、この場所で、いやこの場にこそ、世界でいちばんハードな戦いがある。

もっと早く彼がそれに気づいていればと、そんなことを思いました。

ぼくはあなたの家畜ではない

しばらく体調を崩していた。といっても、長年にわたる過負荷とストレスの結果だから、これはすぐにどうなるというものでもない。身体のあちこちに問題が出てきて、正直ちょっと参った。とは言え、根が頑健にできているので、少しずつ調子は戻ってきている。面白いことに、具合が悪いときには、自分の身体の中のことがまったく見えなくなる。まるでウィルスの培地が一杯に詰まったみたいに、透視しても何かモアレのようなものが見えるだけ。いまは少しずつ、内臓や筋肉の形が見えるようになってきた。

さて、きょうはちょっと怒っているお話です。いえ、本当は滅茶苦茶に激怒しています。

先日、相棒と二人で大学の近くへ買い物に行きました。で、少し遅めの昼食でもとろうかという話になったのですが、その辺りにはレストランはあまりありません。ぼくは基本的には何を食べるかより誰とどう食べるかを重視します。これが相棒には少々不満のようなのですが、ぼくとしては相棒とゆっくり話しながら食べられれば、コンビニの肉まんだって良いと思っているわけでして、どうしてそれが不満なのか、本当のところは良く分からない。まあそれはどうでも良くて、いやどうでも良くないですね。今回書く内容は、食べるということから始まるので。

とにもかくにも食べるところがないのであれば仕方がありません。幸い近くの大きなオフィスビルの一階にコンビニが入っていましたので、そこでお弁当を買い、外の広場のようなところで食べることにしました。その日は土曜日だったので、人影もほとんどありません。

お弁当を買って、相棒が手を洗うというので、ぼくだけ先にベンチに座って待っていたのですが、戻ってきた彼女が変なものがあったと言いました。トイレに、「ここで食事をするのはやめてください」と書いてあったというのです。

どことは書きませんが、整備された区画にある、まだ新しい大きなオフィスビルです。立地から考えても、それなりに名の通った企業が入っているのだろうと思います。

ぼくも、すでに十年以上会社員をやっています。酷いことも体験したし、惨い話も見聞きしてきました。ですから、いまさら驚愕するようなことではないのかもしれない。

それでも、やはり、これはあまりに異常です。誰が好き好んで、少ない休み時間にわざわざトイレで弁当を食べたいと思うのか。「やった、お昼休みだ! きょうも楽しくトイレでお弁当だよ!」などと思う人間が、どれだけいるというのか。あのですね、理想は大事ですが、確かに実際問題、ぼくらは全員が全員天職について、楽しく働いているわけではないですよね。それぞれに生活があって、いろいろ大変なこともあって、それでも一生懸命働いているわけですよね。それで、そんな風に働いている誰かが、どうして食事を、トイレで食べなければならないのか。なおかつ、どうしてそんな境遇に置かれた上で、置いているシステム側から「食べるな」と命令されなければならないのか。

これは、そういった張り紙をするのがビルのメンテナンスをする人々であるとか、そんな無意味な反論を認めるような問題ではないのです。確かに、ビルの清掃をしているのはぼくらと同じ誰それさんです。彼ら/彼女らからすれば、トイレで弁当を食べ散らかされれば、それは本当に困ったことです。けれども、ぼくが言っているのはそういうことではない。ぼくらをそういった奴隷以下の存在へと押し込めようとしているシステムそのものの話なんです。

ぼくらは、奴隷ではない。家畜ではない! 狭いコンクリートの中に押し込められ、人間性を導き育てるようなことからかけ離れた仕事さえ、もしかしたらしていて、それでも必死に生きている。そうした人間に対して、トイレでしか食べる場所、時間がないような環境を与え、なおかつそれを禁止する。そのようなことに対して恥じることのない人々を、ぼくは唾棄します。それは、もはや人間ではない。ぼくらを人間以下の存在に貶めようとするあなたがたこそ、人間ではない!

これは、人間性に対する重大な犯罪です。ぼくらは、もしそうできるのであれば、誰だってゆっくり時間を取り、自分の好きなところに行って、おいしいものを食べたいと思う。もちろんそれはとても贅沢なことですし、一歩間違えれば傲慢や退廃に堕するかもしれない。けれども、それは彼らの犯罪を正当化する理由にはまったくならない。ぼくらが自らに対する誇りと、他者に対する責任とを忘れるのであれば、それはぼくら個々人の罪です。まだ起きてさえいないその罪を、無関係なシステムに責められる謂れはまったくない。

あなたがペットを飼ったとします。例えば番犬だとしましょう。あなたは番犬としての仕事を彼に要求する。けれどあなたは最低限の散歩しかしない。仕方なく彼が庭でウンチをしてしまったら、あなたは激怒し、彼を折檻する。庭でうんちをするなと言ったろう、と。

けれども、彼をそうさせたのは、他ならぬあなたなのです(ブログを読んでくださっているあなたではないですよ)。ぼくらは、誰も、トイレでお昼ご飯を食べたいなどとは思っていない。そうせざるを得なくしているのは、誰でもない、あなたなのです。そのあなたに、「トイレで弁当を食べるな」などと、ぼくは絶対に言われたくない。

これはお昼ごはんの話でしたが、それ以外にも、こういった例はいくらでもあります。けれども、ではどうしたら良いのかと言うと、残念ながら答えは、ありません。ぼくらは確かに、働かなければ生きていけない。残念ながら現代社会において、ぼくらは自分の好きな生き方を選ぶことはできない。もし、現実社会においてそれが可能である、できないとすればそれはお前の努力や才能が足りないのだ、と言う人がいるのなら、おめでとう、あなたは御立派な人間様なのですね。どうやらぼくは、あなたから見れば人間ではないようだ。別段、それでかまわない。ぼくもあなたを人間だとは思わないから。

人間は、確かに戦わなければならない。ぼくがぼくであるために、自分の全存在をかけて戦わなければならない。けれど、それとこれとは、まったく別の話だ。現実社会における成功しか基準を持てないのであれば、それはその人の「現実」という仮想に囚われた奴隷でしかない。ぼくらの本当の生は、ブルトンの言う通り、もっと別のところにある。

繰り返すけれど、答えは、ない。そんな職場をやめろとは言えない。ぼくは次の職を紹介することはできないし、そもそもこれは、どこか特定の企業だけに限った話ではないだろうから。それでも、ひとつだけ、この世界において意味があるかどうかは分からないけれど、ぼくらにひとつだけ、できることがある。

それは、心の中で、「これは人間に対する挑戦だ」と叫び続けることだ。それ自体に救いはない。何も解決する力はない。それでも、ぼくらは、それを忘れないことによって、どんなに泥に塗れ頭を彼らの足で踏みつけられても、人間でいることができる。人間で在り続けることができる。人間で在るということは、楽しいことでも、救いの在ることでもない。それを受け入れることができる者だけが人間になれるとぼくは思っている。

それは誰にでもできる容易な、かつ不可能であるとすら思われるほど難しいことだ。けれど、それがぼくらの戦いなのだ。ぼくらは、家畜ではない。

Let’s speak English, DAGA KOTOWARU!

と、言う訳で、何だか最近軽い話をしていないので、軽い話をします。ぼくは根が軽いので、軽い話をしないと息ができなくなって死んでしまうのです。

週に一度、教授を囲んで原書講読をする自主ゼミに参加しています。で、自分の担当部分をやるときにまずいったん原文を読んでから訳すわけですが、これが我ながら酷い発音なのです。相当酷い。ひどいというか、もはやむごい。

こう見えて、ぼくは英語の教育に関してはかなり有名な大学に行っていたらしいです。伝聞なんですけれども。どうもそうだったのではないかというのが最近の学説です。当然、案の定というか、落ちこぼれもいいところで、挙句の果てには中退したのですが。まあもちろん、中退の理由はそれだけじゃないですけど。まあそんな大学生活の中でいまでも覚えていることがありまして、あれは入学してすぐ位かなあ、英語の授業があるんですね。っていうか英語の授業ばっかりあるみたいな感じ。でもって、何か相手の目を見て話せとか言われる。アイコンタクトから始めよう、みたいな。困るんですよ、そんなこと言われても。ぼくは英語を読むということなら、多少はできます。ですから、純粋に翻訳とかであるのなら、そうそう酷いことにはならない。でも会話になるとですね、そもそも日本語による会話だって危ないのに、いきなり周囲には田んぼしかないような高校から出てきてですね、何かもの凄いおしゃれな学生に囲まれて、みんな英語できるみたいな雰囲気が溢れているわけですよ。もう床に滴るくらい溢れている。で、目の前に女の子が座って、もの凄い大きな目を見開いてですね、こっちを見てくる。その授業では二人一組になって、相手の目を見ながら自己紹介とかするのです。何の拷問なんだよ! と叫びたいけれど、いやそれどころではない。息をするのがやっとです。正直、女性の顔なんて真直ぐ見たことないんですよ、こっちは。でいきなり相手の目を見て英語を話せとか、ああ、ぼくは一生忘れないだろうなあ。このときの苦しみ。苦しすぎて変な世界に目覚めそうなくらいの苦痛ですよ。で、目を伏せると、相手の女の子が、わざわざ下から覗き込んでくる。じっと目を見つめてくる。

ぼくは中退しました。

いやそれが理由じゃないけど。で、それから数年働いて、今度は働きながら大学に入り直すんですよ。そうしたら、例によってぼくは読み書きテスト的なものはできてしまう。これは基本的に話す能力とは無関係ですから。そうして入学して、オリエンテーションがありました。バスに乗ってどこかへ行って、バーベキューをするんです。もちろんきちんとオリエンテーション的なこともするけれど。そうしたらそのバーベキューのときに、ぼくの在籍することになる科の先生がいらして、「cloud_leafくん、悪いけれどあそこにいる先生のお相手をしてくれない?」と仰る。見ると、アメリカ人(このときは何人かは知らなかったのですが)の先生が所在無げに立っていらっしゃる。新任の先生で、日本語はまったく喋れないらしい。けれども他の先生方は忙しいので相手をできない。だから、入学試験で英語ができたぼくに相手をしろと、そう命令が下されたのです。

もうね、あれです。オリエンテーション中に退学したら結構伝説だよね! とか、冷や汗流しながら考える訳ですが、向こうから様子を伺っていたらしいアメリカ人が近づいてくる。アメリカ人が近づいてくる! けれどもある一線を越えると、小心者のぼくは妙に冷静になりまして、なあにソクラテスだって毒の杯を飲んだではないか、などと開き直るのです。とは言え、英語が話せないことに変わりはないので、「あわわ、あわあわ、おわああ」とか、月に吠える状態になる。向こうは前もって学生が相手をしてくれると聞いていたらしく、もの凄い期待を込めた目つきでいろいろ話しかけてくる。ぼくはコスモポリタンでいたいと願っているけれど、このときばかりは攘夷派の気持ちが分かりましたね。最後は、ひたすら気まずい沈黙、沈黙、沈黙。

でもこの大学はがんばって四年で卒業した(当たり前だ)。

それからしばらくして、正確にはいつ頃のことか忘れましたが、とある天気の良い日曜日、ぼくは地元を散歩していました。当時その辺りはまだ宅地が多く、お昼前後のその時間は人っ子一人居なくなります。結構、白昼夢みたいな不思議な空間です。すると、道を曲がったところに、巨大な白人の中年男性が立っていました。一瞬ぎょっとしたのですが、地図とにらめっこをして、どうやら道に迷っているようです。嫌な予感がして、瞬間的に気配を殺したのですが、やはり手遅れでした。向こうはぼくに気づいて、「へいぼーい、うんにゃらかんにゃら、ほにゃららほっほーい!」とか話しかけてきます。もちろん、黙って逃げるとか、ヘブライ語で挨拶し返すとか、とりあえず失禁するとかいろいろ選択肢はある訳です。人間には常に選択肢がある。けれど例によってソクラテスです。毒杯を飲むことに比べれば何ほどのこともない。で、とにかくボディランゲージで(一切英語は話さなかった!)、彼が行きたがっているらしい地点を地図上で指してもらった。ぼくも良く分からない場所でしたが、町名的にそう遠くはないところのようです。何しろ散歩に出るくらいでしたから時間はありましたし、連れて行くことにしました。こういうところから草の根外交とか広がったり世界平和の種がまかれたりするんですよ。本当かなあ。

で、このとき既に妙なスイッチが入ってしまっていて、俺はもう絶対に英語を喋らないでこの男を連れて行くぞと思い決めてしまっている。だから「あいうぃるていくゆーでぃすぷれいす」とか、拙くても言えば良いのに、何か(自分なりにタフガイっぽい笑みを浮かべて)ついてこい! みたいな身振りをして歩き始める。相手が困惑しているのが良く分かる。そうして、二人でてくてく歩き始めました。いまだに人っ子一人見かけない中、無言で歩く東洋人と、巨大な白人が一列になって無言で歩いていく。たまに地図を借りて番地を確かめながら、だんだん不安そうになっていくおじさんに、こう、ニヒルな感じの笑みを浮かべて、サムズアップしたりする。俺に任せておけ! みたいな。でもぼく自身、本当にぼくに任せられるのかどうか疑問なんですよね。相手の警戒と不安がどんどん高まっていくのが手に取るように分かる。

けれども、そんなこんなで二十分くらい歩いて(よくもまあ、あのおじさんもついてきてくれたものです。異国で、言葉も通じない、訳の分からない男の後についていくというのは、相当の度胸がいるでしょう)、おじさんが何か言いました。どうやら、自分が行きたかった家が見えたようです。で、急に緊張が解けたのか、もの凄い喜びながらぼくの手をつかんでぶんぶん振ります。さんきゅーとか言っています。こっちは手が離れたときに、またサムズアップですよ。ぐっどらっく! みたいな感じ。

先日、あてどなくてくりてくりと散歩をしていたら、そのときおじさんが入っていったお家を再発見しました。数年前に見たままで、ぼくは何だか、嬉しいような懐かしいような、けれどそのどこにでもある小さな日本の建売住宅に入っていった大きな白人のことを考えると、なぜだか少し寂しくなったのでした。