狙う

書こうと思っていきなり躓いたのですが、さてどう書こうかな……。以前のエントリーで触れたことがありますが、ぼくはアーチェリーで全国第三位になったことがあります。ちゃんと竹下登とか書いてある賞状もある。あほらしいですね。でまあ実際あほらしい記録なんですけれども、いかにあほらしいかというのはここではもう触れません。あんまり言うと自分が寂しくなるから。人生、ちょっとしたはったりも大事です。ぼくの場合ははったりだけで九割超えるのが問題ですが、ばれなければはったりではない。

とにもかくにも、アーチェリーは意外にまじめに打ち込んだ時期があります。アニマル的(まと)を射ろとか言われてうんざりしたのと、あと紳士淑女のスポーツだから女子は白のスカート、男子は白のスラックスを着用とかわけの分らないことを言い出して、しかもそれに関する下品な冗談とかもあって、本当に気味が悪くなってやめてしまったけれど、でも浅い経験なりに、やっていてすごく良かったな、と思えることもありました。

ぼくは、何かを狙うということが自分の性格の大きな属性だと思っています。などと書くと何やらストーカー的な感じがしないでもありませんが、そういうつけ狙う的なものではありません。何ていうのかな……。これは感覚の問題だからなかなか言語化しづらいのですが、ある種の集中に近いものです。ひとつの概念に焦点を合わせるということ、あるいは概念そのものになるということ。と書くと、こいつまたおかしなことを言い出した、と思われるかもしれません。けれどそうでもないのです。例えば写真を撮るとき、特に小さな虫とか花を撮るひとは、カメラを構えてファインダーに被写体を写して、シャッターを押すまでの時間、それがこの「狙う」なんじゃないかな、とぼくは思います。ぼく自身、写真を趣味にするようになってから、あらためて自分の中にある「狙う」という感覚に興味を持つようになりました。

そのとき、ぼくらは恐らく、自分の眼とカメラと、そして被写体そのものとさえ一致している。一体化、というのとは違う。本当にひとつになってしまっている。世界に存在するすべてのものが持つそれぞれの固有のリズムが、その瞬間、眼とカメラと一匹の虫において完全に共振している。そしてたぶん、それはカメラだけではなくて、例えば自動車の運転とか楽器の演奏とか、それぞれにおいて同じような感覚があるとぼくは想像します。論文を書いたり、プログラムを組むのも同じです。

もともと自分のなかにあったそういった性質を、アーチェリーを通して、具体的なイメージとして描くことができるようになりました。具体的、というとちょっと違うな。何だろう、何かに向うとき、射場で的に向って立っていたときの感覚、それを身体に呼び戻すような感じ。

そのとき、確かにそこにはぼくがいて、弓を構えていて、的に向ってはいるのだけれど、その物理的な位置関係においては確かに狙うということが現れているのだけれど、でもそれだけではない。狙うということは同時に、狙うものと狙われるものという関係を突き抜けて、すべてをひとつのものにするようなものでもある。一致すること。ひとつのリズムになること。

いま、ぼくはアーチェリーそのものに対する関心はまったくありません。けれども、もしもう一度やるとすれば、当時よりもはるかに腕を上げているだろうということを確信しているのです。それは、いかに的の中心を射るか、いかに高得点を得るか、ということではありません。狙うということに、昔よりいっそう近づいているという確信です。そしてそのとき、ぼくは弓を持つ必要を感じません。ただ的があり、それに向って立つ自分さえいれば、狙うには、もうそれだけで十分なのです。

写真も同じで、いつかきっと、カメラがなくても何かを撮れるようになるかもしれません。それは中途半端に悟った気持ちになる、ということではありません。技術がある水準に達するということでもありません。そうではなく、狙うということは最終的に、きっと自分自身を狙うということ、自分自身と一致するということに行き着くでしょう。

それは究極的に自己のうちに閉じてしまうことなのでしょうか。そうではないとぼくは思います。自分自身を狙い、自分自身のリズムと一致したとき、きっとぼくは初めて、他の誰でもないこのぼくになれるのです。そしてそのときこそ、初めてぼくは、このぼくとして、世界に語りかけるぼくの言葉を持てる。写真を撮るということ、論文を書くということ、狙うということ。それはぼくになったぼくを世界に向けて放つことなのかもしれない。そんなふうに、いま考えています。

ほんの一瞬の、けれど特別な

数日前、夜中に大学時代の先輩からメールが届いた。大学といってもぼくが最初に通ったところの話だから、もう十何年も昔の話だ。先輩とは一年に一度くらい会い、どこかで食事をしながら互いの近況を話すような関係が続いていたけれど、去年はまったく会うことができなかった。メールのやりとりも、本当に数回だけ。だから、ひさしぶりの連絡は嬉しかった。先輩はぼくのブログを読んでくれたらしく、メールには、昔のように、短いけれど的確で、そして励まされるようなコメントが書いてあった。

ぼくらは、先輩とぼくと、そして相棒は、みんな人形劇の部員だった。部員はたいてい真面目で優秀だった。それはそうだろう。偏見かもしれないが、可愛らしい手袋人形を作って、近くの幼稚園へ公演に行こうなんて若者ばかりが集まっているのだ。真面目で、優しいひとが多かった。そしてもちろん、ぼくは突出した落ちこぼれだった。ぼくの知るかぎり、あの部で退学したのはぼくだけだったのではないだろうか。それでも、ぼくらは毎日楽しく過ごしていた。

卒業してみれば、もう、ぼくらはほとんど関わることもなくなる。何か、起きなくて良いことでも起きないかぎり、ぼくらが多少なりとも集まることはもうないだろうと思う。別に何があったという話でもなく、学生時代のつき合いには、少なからずそういう面があるのではないだろうか。何もネガティブな話をしているのではない。むしろそれは、もの凄くポジティブなことなのだろう。学校という特殊な環境で、ある特殊な年齢のときに出会う。その特別な環境が、もしそれ以外の場所、それ以外のときに出会っていれば口さえきかないであろうような人びとを仲間として、ほんの一時のものに過ぎないとしても仲間として、ぼくらを結びつける。

ぼくはいま、ふたたび大学生をやっている。けれど、昔ぼくが本当の学生だったころのような関係性は、いまの大学のひとたちとは決して結ばないだろうと思っている。それは昔の彼らとの方が気が合ったからでもないし、いまの彼らと気が合わないからでもない。そんなことはまったくない。けれど、当たり前だけれど、ぼくはもう、本当の意味で学生ではない。大人になったということではなく、単にその時期を過ぎたというだけのこと。

先輩や相棒や、一部のひとを除いて、そのとき仲間だったたいていのひととは、いま会っても、きっと互いに気まずくなるだけだと思う。それは誰が悪いとか、関係が悪くなったということではない。繰り返すけれど、要するに、その一瞬に働いていた奇跡のような力が失われたというだけのことだ。それは少しばかり寂しいけれど、仕方のないことだし、その時代を失うことによって得たもの、失わなければ得られなかったものもたくさんある。

初めの大学を受験したとき、隣に女の子が座った。とはいえそれを意識していたわけではない。ぼくは田んぼしかないような土地から出てきたばかりで、試験だけでなくすべてに対する緊張のあまり、胃が痛くて周囲を見回す余裕などなかった。そのとき、その子がぼくに話しかけてきた。どうやら、鉛筆削りを忘れてしまったらしい。とんでもないところで大ポカをやらかすが、そういう細かいところでは抜かりがないのがぼくだ。もちろん鉛筆削りは持っていた。ぼくはその子との間に鉛筆削りを置いて(席はひとつ分空いているだけだった)、気にせず使ってね、と伝えた。

それからしばらくして、どうにかこうにか合格していたことが分って、さらにひとつきが過ぎたころ、ぼくはとあるきっかけで人形劇部に入った。そこで幾人ものひとと知り合い(そのころは女の子ばかりで、ぼくはまた胃を痛くした)、さらに数ヶ月が過ぎることには、すっかり部室に入り浸るようになっていた。そんなとき、同級生の女の子がぼくに言った。あのとき、鉛筆削りを借りたのは私だったんだよ、と。無論、ぼくはそのことは覚えていた。覚えていたけれど、まさかそれが彼女だとは思いもしなかった。彼女は笑って、あのとき鉛筆削りを忘れてすごくどきどきしていたんだけど、貸してもらって、少しお話をして、気分がおちついたんだよ、と言った。

いま、ぼくの手元には一枚の写真がある。等身大の人形を使った人形劇の、劇中の一枚だ。それ以外の写真はすべてどこかへいってしまったけれど、これだけがなぜか手元に残っている。人間と人形が同じ舞台で共演するという、ぼくらとしてははじめての試みで、ずいぶんと無茶をしたし、無茶を言った。楽しかったけれど、きっとずいぶん迷惑もかけただろう。それでも、やはりそれは大切な記憶だ。

振り返ってみれば愕然とするほど多くの大切なものを切り捨てて、いまの糞のようなぼくに辿りついた。それはそれでいい。後悔するということは、切り捨ててきたすべてのものに対する裏切りであり、礼を失することだ。だからネガティブな意味ではなくどこまでもポジティブな意味で、信じてもらいたいと本当に心の底から願うのだけれど、あのとき仲間だったすべての人たちと笑い合った記憶は、いまでも確かに眩く、ぼくの心のなかに残っている。

恐怖と自由

先日のゼミで、何の話からか映画「アバター」の話題になりました。教授も珍しくご覧になったそうで、娯楽映画は娯楽映画だと前提したうえで、共生という観点から見てもそれなりに良く作られている映画だったよ、とかなり好意的に評価なさっていました。ぼくは「アバター」を観ていませんし、関心のないことは徹底的に忘れてしまうのですが、ともかく自然と共生する先住民が何とかで、そこに悪い地球人が来て、でも良い地球人もいて先住民と共闘して愛が芽生えちゃったりして、それでどうせ最後は肉弾戦に違いない。全然違うか。

でまあ、教授が仰るには、異星人の見た目というのが、最初は違和感があるけれど、観ているうちにそれに馴染むというか、それはそれとして美しいものとして見えてきて、それが面白い、ということでした。ぼくは精神的にも肉体的にも疲弊しきっていたときに教授に拾ってもらったという恩義を感じていますし、また実際に学識豊かであり紳士でもあり、紛れもなく日本を代表する環境思想家の一人だろうと思っているので、これは決して教授に対する批判ではないのですが、根が偏屈なので、偏屈魂がムラムラムラムラと湧いてくるわけです。で、教授に訊ねたのです。以下意訳。

「そう仰いますが、それってやはり凄い計算されてデザインされた「異星人」なわけですよね。最初は違和感があるけれど途中でその美しさに気づくよう緻密に計算された。しかもその美っていうのは、つまるところベースをぼくらの見た目と共有しているような美であって。それで、もしそんなものから始まる「共生」なんてものがあったら、それは例えばもの凄い勢いでゲロみたいなものを吐きまくって、首をぐるぐる回しながら吠え立てるような怪物にぼくらがであったときにですね、そういったものに対しても同じことを言えるんでしょうか。言えないとしたらそれはやっぱり、単に自分と共有するものがあるものに対する共生でしかないし、もうね、括弧を閉じるのやめて地の文にしてしまいますが、ぼくはそう思うのです。安全な枠内で作られた「異なる」他者なんて、それ他者ではないですよ。いや急にそんな話をしだしてどうしたの、という感じですが、ぼくらの研究室は共生概念が中心テーマでして、この話題もそういった文脈ででてきたのです。

もちろん、これは別にアバター批判ではないんですけれども、まあちょっと絡んでしまったわけです。クラウドリーフさんはとても好青年ですが、ちょっと病的なところもある。自分ではそんなこと思わないけれど、客観的にみたらちょっと気味が悪いかもしれない。で、教授のお答えは、そこで語られている共生というものはぼくが言うものとは次元の異なるものであるというような内容でして、これはこれで面白いお話だったのですが、いまは触れません。ぼくはそれを聞いてなるほどと思いました。思ったのですが、やはりそれは(ぼくが関心を持っている)共生ではないよなあ、とも思いました。

基本的に、「想像もできないような他者との共生」っていうのは、関心を共有しにくいようです。最近特にそれを感じます。それはある意味もっともでもあって、ぼくらは現実の世界に対して、現に他者との差異が争いを無限に生み出し続けているような社会のなかで、意味のある思想を構築しなければならない。そしてその他者っていうのは、まったく理解不可能で共通性を持たないような「ナニモノカ」ではなくて、やはり、同じ人間なんだよ、ということなんだとも思うのです。

だけれどぼくはどうしてもそんなものに関心を持てないし、それに意味があるとも思えない。もし何かを共有しているのであれば、それはもうわざわざ考えるまでもなく、普通に地道に話し合っていけばいいんじゃない、と思ってしまう。個人的には、それほど切迫感を感じないのです。けれども、共有するものが何もない他者ということを考えると、これはぼくにとっては(ぼくの主張はしばしば抽象的だと指摘されるのですが)非常に現実的なレベルにおいて、生死のかかった危機的な問題として迫ってくる

さらに考えてみれば、ぼくはどうも、「共有する」ということ自体を信じていないようなのです。ぼくにとってのぼくも、ぼくにとってのあなたも、それはまったくわけの分らない他者として現前に存在している。逃げようと思ったって逃げようがない。どうしてだかは分らないけれど、その異質性に対する恐怖というものがぼくに刻み込まれている。

しかしその一方で、その異なる他者を自らに引きこんで「理解」しようとしたり、あるいはその相手を無批判に「受容」しようとする、そういったことをしようと思っているのでもない。それは結局、共有するものがないという現実から目を背けた、体のいい自己保身と他者の拒絶に過ぎないし、そんなことをしなくたって、どのみちぼくらは誰もが、そういった他者とどうしようもなく共に存在しているのです。だから、不可能だけれど理解しなければならないし (理解できる、ということとはまったく異なります)、無茶苦茶恐ろしいし苦痛でもあるけれど受け入れざるを得ない。

けれども、ぼくは思うのです。それはもの凄く自由なことなんだ、と。ぼくは、無数に存在するあらゆる存在物と、いっさい共有するものを持たない。ぼくはどこまでいっても、ただこのぼくでしかないんです。どんなものによっても定義づけされないし、「普遍」的な人間性なり道徳性なりに縛られることもない。でも同時に、ぼくは孤絶しているわけではなく、異なる他者のただ中で絶えず変化している。どうしようもなく関わっている。共有するものがない無数の他者のなか、ただ独りで在るということは気が狂いそうな恐怖だけれど、同時にその自由こそがぼくがぼくであることを保証してくれるし、そして同時に、ぼくらは皆そういうものとして、確かに関わって生きている。そういった他者なしに、恐怖を感じる「ぼく」は存在しようもなかったのです。それは、魂が存在するということの、まさに存在するということに対する喜びの源泉になっている。

ぼくはそんなふうに思っています。

希望

先日新聞を読んでいて、ある記事が目にとまりました。「アルツハイマー病記憶回復ワクチン」が実験段階ですが成功したというものです。記事そのものはしばしば見かける――などと表現してしまってはいけないのですが――新たな治療法に関するものです。けれどもその記事が他の類似した記事と異なっていたのは、研究チームに所属する教授のコメントでした。それは「人間にもワクチンが有効となることを期待している。患者さんには希望を持ってほしい」というものでした。ぼくはこれを読んで、珍しいなと思うと同時に、単純な話ですが、やはり胸を打たれたのです。「患者さんには希望を持ってほしい」。普通、こういったコメントというのは、なかなか現れてこないようにぼくは思います。特に治療法の開発というのは科学に関するものですから、コメントも大抵、慎重かつ客観的なものとなりがちです。例えばこの記事でも、第三者的な立場にいる他の教授は、この発見の重要性を認めつつも「ただし、ホモシステイン酸を除去した場合の人体への影響を確認する必要はある」という、まさに慎重かつ客観的コメントの見本のようなコメントをしていました。

もちろん、大半の研究者や医者が抽象的な「患者」をしか意識していない、自分の研究にしか関心がない、などということはないとぼくは思います。そしてまた、この記事において前者は患者のことを真剣に考え、後者は冷淡に研究対象としてしか捉えていない、などという話でもありません。実際、ネット版でのこの記事においては、「患者さんには希望を持ってほしい」というコメント自体がカットされていました。同様に、後者の教授が本当にひとりひとりの患者の苦しみをなくしたいと思い、日々血の滲むような努力をしている可能性だってあるわけです。ですから、どういう発言をしたからどうとか、しなかったからどうとか、そういうことを言いたいわけではありません。ぼくが思ったのはただ、「患者さんには希望を持ってほしい」という言葉の持つ力、それを信じたいということだったのです。

個人的な話ですが、父が病気になったとき、その病状が深刻であることは歴然としていたのですが、それでもなおかつ「希望を持ちましょう」と励ましてくれたお医者さんに、ぼくはいまでも感謝しています。それは何よりも父を、そして母を力づけてくれたからです。言うまでもないことですが、それは例えば、医者が患者に事実を伝えることを非難している、ということではありません。また一方で、嘘をついてでも本人を力づけるべきだという考えを否定するつもりもありません。それは本当にケースバイケースで、神ならぬ身である以上、間違えることも失敗することもあるでしょう。ただ少なくとも、そこには患者のことを真剣に考えるということが前提とされるべきではあると思いますが、それは現場を知らない人間の理想論に過ぎないのかもしれない。ぼくには何かを断言することはできません。

けれども、繰り返しますが、ぼくが言いたいのはそういうことではないのです。医者の不足、病院で死ぬのが当たり前になっている現代社会、あるいは最新の医療ですら治療できない病、そういったさまざまな問題に対して、しかもそれに直面している無数の人々のそれぞれの苦しみに対して、ここで「こうすれば解決だ」、「こうすべきだ」ということなど書くことはできない。けれども、それでもなおかつ、ぼくは希望を語りたいし、人間には絶対的に希望が必要だと思う。だから、「患者さんには希望を持ってほしい」というコメントに胸を打たれるのです。もし、放っておいてもすべてが良くなっていくのであれば、希望なんて必要でも何でもない。そうでないからこそぼくらは戦っているのだし、そこにはやはり、語られる「希望」がなくてはならない。希望がなくても戦えるほどの狂気を持った人間など、恐らく数えるほどしかいないでしょう。そう、それは強さではなく、まさに狂気です。だから、希望を求めるということは、弱さではない。人間として自然で、正しいことです。「患者さんには希望を持ってほしい」。それは、すでに失われてしまった人には届かないし、いま失われつつある人、その人の隣にいる人の恐れ、痛みを和らげることができるかどうかは分からないけれど、それでも、その理不尽な恐怖と苦痛に対する、ぼくら人間の「ふざけるな!」という存在しない神に対する怒りの叫び声であり、そして確かに、そこには希望があるのです。

先日戻ってきた論文の手直しをあと二、三日で仕上げなければならないのですが、ある査読者のコメントを読み、かなり意外に感じたことがあります。その査読者はぼくの論文のラストについて、決して否定的な意味でではないのですが、「ペシミスティックである」と書いていました。ぼくは、少なくとも自分が論文を書くときには、希望がないような話なら書かないほうがましだと思って書いています。希望がないなんてことは分りきっているわけで、それならわざわざ書く意味などない。けれどだからこそ、その希望がない世界を無理やりこじ開け、その向こうに隠された希望を力づくにでも引きずりだしてくる、そのくらいの覚悟と執念を持って書くべきだとぼくは思っています。そして実際、それは可能なのです。だからその査読者のコメントは、かなり意外に思いました。

ただ、一方でこうも思うのです。父が亡くなる(本当の)最後の瞬間まで、ぼくはとにかく、絶対に大丈夫だと父を励まし続けました。それが正しかったかどうかは分りません。もしかしたら、駄目だということを認めた上で、共にただ悲嘆にくれるということも一つの方法だったのかもしれない。それはきっと、決してどちらが正解だったかなど分らないことなのだろうと思っています。けれども、大丈夫だよ、大丈夫だよと言っているなかで、本当は駄目なんだな、という瞬間がやはりある。それはどうしても、避けようもないものとして現れてしまう。

それでも、ぼくは思うのです。どんなに駄目な瞬間であっても、それはただ駄目なわけではない。ちょっと何を言っているのか伝わらないかもしれませんが、例えば、ぼくらは誰もが死ぬわけです。けれども、確かに死は恐ろしいし悲しいし寂しいことかもしれないけれど、それはそうなんだけれど、でもそれだけではない。それを貫いてなおかつ、確かにぼくらが生きていたという事実を肯定できる何かを、ぼくらは持ち得たし、そして持っていたと思う。ぼくはそう思うのです。だから、その駄目な瞬間においても、駄目かもしれないけれど、でもそれだけじゃないんだよと、ぼくは父に伝えたかった。それはある一面においてはペシミスティックに見えるかもしれないけれど、けれど本当はそこに、たぶん真の意味でのオプティミスティックな希望があるはずです。

「希望を持ってほしい」ということは、誰もが知っているように、そんなに簡単に言える言葉ではないでしょう。けれどもやはり、ぼくらはそう言わなければならないし、実際希望はある。そしてもしその希望が届かない深淵にぼくらが直面したとしても――遅かれ早かれぼくらはそれに直面することになるのですが――それでもなおかつ、ぼくらはきっとまたもうひとつの希望を持ち得るはずです。

そんなことを考えながら、いま論文を直しています。

好奇心

激怒したエントリーが多すぎると指摘を受けているこのブログですが、今回も再び激怒します。自分と異なる在り方に対して不寛容であるのは愚かなことですが、けれど自分の美意識に反するものに妥協するのは醜いことです。醜さを許容すれば、それは自分の魂に伝染します。ぼくは立派な人間ではないけれど、しかし魂の戦いにおいて妥協するつもりはない。

時折、ダイアリのトップページに行き、新着ブログのなかでタイトルに惹かれるものを覗いたりします。そしてそのついでに人気記事というところも見るのですが、ここは大抵、タイトルを見ただけでうんざりするようなものが多い。とはいえこれは個人的な感覚の問題であり、本屋に行ってビジネス書が平積みになっているからといって怒ってみても、それは詮無きことかもしれません(そうは言ってもやはりぞっとしますが)。けれどある記事には珍しく興味を持ち、開いてみました。その記事について直接批判したいわけではないので、ここでは触れません。ただ、ある文化における葬儀の形式についての記事だったと言えばお分かりいただけると思います。そしてこれはぼくが迂闊だったのですが、以前どこかで、その状況を撮影するのは禁止されていると聞いたことがあったので、まさか写真が載っているとは思わなかったのです。その葬儀に立会い感じたことを言葉で綴っているのかという先入観がありました。けれど開いた瞬間、青い空の一部がモニタに描かれ始め、ぼくはすぐにブラウザを閉じました。こういうときだけは、超低速回線に感謝します。そして改めてブラウザを起動し、今度は記事そのものではなくブックマークのコメントを読んで、予想通りの写真がそこにあったことを確認しました。

その記事を書いたひとが、どういう意図で写真を載せたのか、それは分りません。またどういう意図で写真を撮ったのかも分りません。もしかしたら、ぼくらが通常は見ることのできない光景を純粋に見せたかったのかもしれないし、生や死について真剣に考えるきっかけになってほしいと願ってのことだったのかもしれない。それはそれで、どうでもいいことです。少なくともぼくはそういった場面に立ち会ったとき、写真を撮ろうとは思わないし、撮るひとと友人になりたいとも思わない。そして相手も同様でしょうが、それで結構。そしてその記事を、その写真が載っていると聞いたが故に見に行くような連中とつきあいたいとも思わない。

ぼくは、例えば自分の愛する誰かが死んだとき、それを弔う場面を見ず知らずの誰かに撮ってもらいたいなどとは決して思わない。例えばそれが (そんなものがあり得るとして)極めて独特の文化に基づいた形式であり、文化人類学的に、あるいはそうでなくともその文化とやらを他の文化とやらに属する不特定多数に「知ってもらうため」に差しだすつもりになど決してならない。ぼくの愛するひとは、そんなことのために生き、死んだのではない。そしてもし立場が逆であり、その誰かを弔うひとが撮影されることを許可してくれたとしても、ぼくはそれを撮影しようとは思わない。もしその葬儀に立ち会うのであれば、亡くなった誰かの死を悼み、その死に打ちのめされている誰かのために悲しむだけにしたい。不可能であったとしても、そうしたいと思う。

下世話な興味など論外だが、上っ面だけの「生と死の厳かな云々」などというコメントで誤魔化すのはやめてほしい。あるいは本気でそう思っているのであれば、それこそ救いがたい。要は好奇心に過ぎない。それも極めて低俗な好奇心だ。一輪の花が咲き、雲が流れ、草木がざわめき、日が蔭る。それはとても不思議なことで、ぼくはそれを一日飽かずに眺めているひとを知っている。謎に惹きつけられるのは自然であり、美しい。けれども、他人の悲しみ、苦しみ、恐怖に対して抱く関心は、痛みの共有がないのであれば、極論だと言われるだろうが断言しよう、それはひどく下世話なものだ。

好奇心は、人間だけに与えられたものではないかもしれないが、しかし少なくともぼくら人間の何ものにも変えがたい能力であり、才能であることに違いはない。けれどあらゆる能力がそうであるように、ぼくらはそれを抑制する力も同時に得たはずだ。人間の好奇心こそが科学や文明を発達させてきた? 冗談ではない。ごく一部の、自分の天才にどうしようもなく突き動かされた人びとならいざしらず、ぼくを含めた大部分は凡人に過ぎず、しかしそれは卑下などではなくむしろ偉大なことなのだ。ぼくらは自分を抑制することができる。自分の在るべき魂の姿を目指し、醜い行為を断じて拒否するだけの力さえ持っている。それが凡人であるということだ。そしてそのぼくらによって作られてきた人間の世界は、進むことだけではなく、醜い方向へ進む欲望を前にして断固として立ち止まることによってもまた、逆説的にだが前進してきたはずだ。

前にも書いたかもしれないが、もう十数年昔、ある朝ぼくは大学へ行くために駅へと向った。すると駅前の高層マンションの前に人だかりがある。何かといえば、その屋上に自殺をしようとしているひとがいるらしい。すでに警察も消防も来ており、いまさら手を貸すようなことがないと判断したぼくはそのまま通り過ぎることにした。何かを期待するかのようにビルを見上げる人びとの呆けたような無表情さがほんとうに薄気味悪かったのを覚えている。けれど何より嫌悪を感じたのは、そこにいた三人の小学生たちが「死んじゃだめだ!」とか「お母さんが悲しむぞ!」とか、どこかで聞き覚えたのであろうセリフをにやにやと笑いながら叫んでいたことだ。

そこで死を迎える、迎えたひと、その人生の総体。あるいはその死によって生へと取り残される彼/彼女を愛した人びと。たとえ不可能であったとしても、それを自分のものとして受け止め、そのために全力で何かをできないのであれば、あるいは少なくとも自分の痛みとして共感しようとする覚悟がないのであれば、ぼくらは口を噤み、立ち去るべきだ。

そもそもきみは、きみの隣にいま生きている誰かを愛しているのか? そもそも虚構としての「異文化」の向こうで死んでいく誰かさんの死体を不特定多数の好奇心の目に曝さなくては、きみは死すらを想像することができないのか?

好奇心のまま数枚の写真を眺めて揺らぐ程度の薄っぺらな死生観など、どぶに捨ててしまえ。

怯えるな、恥じて死ね。

相棒と会えて良かったなと思えることのひとつに、「寂しさ」の感覚がかなり近いということがあります。ぼくは自分自身のことで寂しいと感じることはない人間です。少しでも寂しくなったら、自分の腸内細菌のことを考えると良いですね。もうわんさかわんさか大騒ぎで、そんなものが自分の中にあるのだから、寂しいどころの話ではない。だから余計にかもしれませんが、自分の外にある寂しさには脆弱です。ふたりで道を歩いているとき、ときおりふと、そこにひどく寂しさを感じさせるもの――ぼくらが寂しくなるということではなく、それ自体が寂しさとしてあるもの――を目にすることがあります。そんなとき、つないでいる手を通して、ぼくらがそこに同じ感覚を見出していることを伝え合うのです。

これから書くことは少々奢っているととられるかもしれません。そしてたぶん、それは当たっています。ぼくは非常に奢った人間です。

道を歩いているとき、あるいは電車に乗っているとき、しばしば、「ああ、醜いなあ」と思う人びとを目にします。相棒は人間の良い面ばかりを見ようとします。友人の彫刻家は、醜い面も愚かな面も含めて、それが人間の面白さであり美しさだと言います。どちらもぼくが尊敬する数少ない友人ですが、これに関してばかりは見習うことができません。ぼくはどうにも、人間の醜い部分ばかりを糾弾しようとしてしまう。いうまでもなく、それは自分自身を含めてですが。

怯えている人びとがいます。しかも極めて数多く。表面的には、それは集団から外れることに対する怯えです。仲の良さそうに見える集団。けれどそのひとりひとりの顔を見れば、顔にはその人の魂のありようが隠しようもなくあらわれるものですが、そこにはただ集団から弾かれまいとする怯えだけがあります。当然、それは集団外に対する敵対行動につながりますし、集団内における自己保身のために(例えば非国民を密告することが、自分が愛国者であることを表す最も安易な方法であるように)他の人を攻撃するということにもなります。それを互いに行うわけですから、集団というのは結局、安寧を求める場所などではなく、ひたすら抑圧し抑圧される場でしかありません。これは別に表面だけの友人関係(しかし友人と呼ばれるいかに多くが偽物であることか!)に限らず、およそあらゆる集団に見られることです。

そしてこの怯えは、そのまま恥知らずな行動へとつながります。仲間内でかたまり道を塞ぐように歩く人びと。電車の中で傍若無人に振舞う人びと。これは、必ずしも集団行動においてのみ見られるものではありません。個人でいるときも同様です。しかしこれは語弊があり、彼らは本当の意味で個人でいることなどないのです。それは結局、仲間でない人びとなど人間ではないという意識の発露でしかない。だからこそ、彼ら/彼女らは少しでも他のひとに注意されると、異常なほどの激怒を持って反応するかあるいはまったくの無反応を決め込みます。仲間内でない人びとに対して、異常とも言える冷酷さや侮蔑を持って踏みにじろうとしてくる。なぜなら、そのような人びとこそが、彼ら/彼女らのアイデンティティ(しかも何とも安っぽいアイデンティティ)に対する直接的な危機をもたらす故にそうせざるを得ないのです。自己の属する集団外の人間を人間として認めるわけにはいかない。そしてそうしなければ、彼ら/彼女らはその属する集団から排除されてしまうでしょう。

これは特定の性、年齢、社会的位置などには関係なく、どこにでも容易に見て取れる普遍的な情景です。要するにそれは、独りで立つことのできない人間の抱える怯えです。やがて死に直面したとき――そのとき人間は必ず独りで立たざるを得ないのですが――自分の人生をすべてよしとして肯定できない人間の抱える怯えです。だから人間は神に頼るのか? 違います。本当に神に頼ることができる人間がいるとすれば、そしてそれは確かにいるのですが、それは途轍もなく強い人間です。普通は、神ではなく宗教に頼る。個人の信仰ではなく集団としての宗教。そして結局、それ以降はいままで書いてきたのろ同じことが起きるだけです。宗教に限らず、国家も民族も会社も家族も友人も本質的には同じです。

言うまでもなく、ぼくはそれらのものを否定しているわけではありません。仲の良い家族とはどういったものかなど想像するのも難しいですが、けれどそういったものが奇跡的にしか存在しないとは思わないし、あるいは宗教や国家というものが人間にとって害毒でしかないなどと思っているわけでもありません(ぼくにはいまひとつぴんと来ないものであるとしても)。けれどやはり、それらが成立する前提として、まずぼくら一人一人が個人として存在しなければならないとぼくは思うのです。誤解のないようにつけ加えれば、これは人が人として成るために社会が必要だとかそういった議論をしたいのではなく、自分が生きた、生きているということの確証を得るためには、もちろん自分以外の集団的な何かが必要なのですが、しかし何よりもまずそこには自分で立つ個人が存在しなければならない。存在しないものに対して何かを与えることなど、誰にもできはしないのです。

大抵のひとは、もしかしたらここに書いてあることを当たり前のことだと思うかもしれません。そうでないかもしれません。確かにぼくは、当たり前のことばかり言うとしばしば言われます。けれど同時に、やはり当たり前のことではないともぼくは思うのです。独りで立つということは、あまりにも難しい。

けれど、それでもやはり、ぼくは思うのです。ぼくらは、個でなければならない。独りであることに怯えてはならない。なぜなら、どのみちぼくらは、どうしようもなく個だからです。「みんな違っていて、それぞれが素晴らしい」などという戯言を聴くと反吐が出そうになります。誰もが徹底して誰とも異なるのです。そしてそれは、途轍もなく恐ろしいことです。この宇宙で、すべての時間を通して、ぼくらはそれぞれが本当の意味でただ独りでしか存在していません。その取り返しのつかなさこそ、ぼくらが感じるべき唯一の恐怖です。そして同時に、だからこそぼくらは、それに怯えて集団に逃げ込んではならない。絶対的に異なるぼくらが集団を構成することなどそもそも原理的に不可能であるからだけではなく、その恐怖に立ち向かい、乗り越え、ただ独りの私であり続ける以外に、まさにこの「私」であることなどできようはずもないからです。

そしてそのとき、ぼくらは恥を知ることができます。あらゆるすべての一瞬においてただこの私にしか可能でない形を世界に刻み込む者としての「私」は、自分の存在に対して恥じるようなことをするわけにはいかない。その一瞬は全歴史を通して唯一の点として永遠に残されるが故に、ぼくらは決して自分に対して恥ずかしく思うようなことをするわけにはいかなくなる。けれどもそれは不可能なことです。すべての瞬間において恥じることのない生を送るなど、もはやそれは人間業ではないし、もしできると言うのであれば、それはすでに、単なる恥知らずに過ぎないでしょう。だからこそ、ぼくらは自分の生を恥じることになる。常に恥じ続けることになる。唯一のものとして存在したぼくらがその唯一性に見合うだけのことを為しえていないことに対する根源的で原理的な恥。

不可能とも思える恐怖を乗り越えた向こうにあるのがただ無限に連なる恥に塗れた生だとするのであれば、そこにどんな価値があるというのでしょうか。けれども、ぼくは、それこそがこの世界に生きるということが意味している唯一の価値だと思うのです。怯えることなく、恥を知り、そして死ぬこと。もしそれを成し遂げられるのであれば、そのとき初めて、ぼくらはきっと、他の誰のものでもない自分の生を誇ることができるようになる。

さて、そんなことを話すと、相棒はぜんぜん納得しないのです。「生きるってそういうことじゃない気がする」と彼女は言います。うん、ぼくもそんな気はするのです。どうもぼくは、人間としてどこか基本的なところが抜けているようです。それが何なのかと訊かれるといまだに良く分からないのですが、けれど彼女と手をつないで歩いていると、何となく、ぼくに欠けている何かが掴めるような、そんな希望が持てるのです。

いまだ見知らぬ誰かを愛すること

子供のころから音が聴こえなくなることに対して大きな恐怖を感じていました。身を守るためには、自分の周囲をつねに警戒していなければなりません。視覚と違い、聴覚は全方位性の感覚ですから、背後から誰かが近づこうとしても、注意さえ怠らなければ容易に気づくことができます。小学校低学年のころはすでにそんなふうにして生きていました。いまでも聴覚に干渉されるのは非常に苦手ですし、不安になります。どんなにおいしいというレストランでも、うるさい音楽がかかっていたり酔っ払いが騒いだりするようなところには行きたくありません。自動車が嫌いな理由も、そのひとつにはあの暴力的なエンジン音があります。声の大きいひと(単に大きいのは良いのですが、暴力的な威圧感を持った大声のひと)も苦手です。そうして、周囲の音が聴こえなくなるので、耳までかかる帽子も嫌いです。耳に触られるのも嫌いです。

じゃあ音楽なんて聴けないだろうという話になりますが、確かにそうでして、ヘッドホンで音楽を聴くのは、ふだんはあまりしません。聴いているとき後から誰かに襲われたら防ぎようがないからです。けれど同時に、爆音で音楽を聴くときもあります(もちろんヘッドホンでですが)。たいていそれは、精神的な疲労がピークに達してるときです。だいたいにおいてそこにはある種の自己破壊衝動がともないますので、そういうときは普段ハリネズミのように身を守る、潜在意識レベルにまで刷り込まれた防衛本能が疎ましくなるのです。大音量の音楽で、自分のけちくさい自己保存欲を吹き飛ばしてしまいたい。

もうすぐ父の納骨なので、きょうは骨壷に父の好きだったいろいろな小物を入れました。ぼくに似て、いや逆ですね、ぼくが似たのですが、骨格の頑丈な背の高いひとだったので、骨壷はけっこう一杯です。けれどもああこりゃこりゃちょっと失礼、などと呟きつつ父の骨を詰めなおし、音楽をいれた携帯プレーヤーや万年筆などを詰め、また蓋を閉めました。何故かその後頭痛がひどくなり、しばらく身体を休めていました。けれども、そんなときにぼんやりと物語を考えるのはとても楽しいです。書けるかどうかはともかく、きょうもひとつ、お話を思いつきました。そうして、少し論文の手直しをしました。とある出版社から、自分の論文が片隅に載った本が郵便で届きました。きょうも一生懸命生きたといえる日だったような気がします。

前に書いたかどうか覚えていませんが、ぼくはいま、共生倫理を学んでいます。共生といっても、ただ隣のひとと仲良くしようとか、そんなことには、ぼく自身はあまり関心がありません。いや関心がないわけではないけれど、「隣のひと」っていう言葉をあまり信用していないんですね。そんなひと、本当にいるんでしょうか? 異なるというのであれば、何よりもまずこのぼくからして、ぼく自身と異なっているはずです。そうして同時に、ぼくのまだ見ぬ、想像さえできない誰かさんこそ、どのように共にこの世界で生きることができるのかを考えなければならない相手であるはずです。隣人って、何でしょうね。

この前ゼミ発表がありまして、こんど投稿予定の論文について話したのですが、その後の質疑応答でおもしろいなあと感じることがありました。あまり詳しくは書けないのですが、その論文で、ぼくはバトラーをひきつつ、自分が想像もできないような規範に従い生きる他者への開かれこそに、自らの規範に囚われた「わたし」が持つ人間という概念の幅を広げる可能性があるのだということを書いています。ちょっと乱暴なまとめ方ですが、まあそんなようなお話です。けれども、あるひとがこのように言いました。想像もできないような他者との共生といっても、それを本当に想像するのはとても難しい。むしろそれより、自分の身近な、想像できる人びととの共生から話を始めるべきではないのか?

なるほど、それはまったく正しい意見だと思います。けれどもやはり、ぼくは思ってしまうのです。隣人って何だろう。そんなひと、本当にいるんでしょうか。『倫理〈悪〉の意識についての試論』において、バディウはこう言っています。

「無限の他性とは、端的には、あるいということce qu’il y aなのだ。いかなる経験であれ、無限の差異の無限に配備されている。私自身についての反省であるかに見える経験でさえ、ある統一の許でなされる直感といったものではなく、さまざまな差異化の迷宮であり、それゆえ「私はひとつの他者である」と宣言するランボーは間違ってはいないのだ。例えば、中国人の農夫とノルウェイ人の若い将校とのあいだには、私自身および私自身を含めた誰でもよい誰かとのあいだにあるのと同じだけの差異があるのだ。

同じだけの、だがしたがってまた、それ以上でも以下でもない、差異が」(『倫理〈悪〉の意識についての試論』アラン・バディウ、長原豊、松本潤一郎訳、河出書房新社、p.48)

要するに、すべてのひとが徹底して他者だと、ぼくは思うのです。存在しない身近な隣人などよりもむしろ、想像さえできないけれど確かに存在している他者をこそ、ぼくは出発点にしたい。身近な隣人という言葉に、ぼくは何か、共生とは別のイデオロギーが隠されているように(無論それを非難しているわけではなく、たんにぼくはそうしたくない、というだけの話ですが)思えてしまうのです。

バディウはむしろぼくが書いているような共生倫理に対する鋭い批判をしているひとで、だからその批判を乗り越えるようなものを書かなければならないし書いているつもりではあるのですが、しかしやはりその主張は非常に鋭いものがあります。

「旧ユーゴスラヴィアでの戦争を全面的に取り扱ったあらゆる記事やコメントでいつも繰り返されたある所感から、普通そう思われている以上の驚きが感じ取られねばならない。ある種の主観的興奮やけばけばしい悲壮感に動かされて書かれたのだろうが、そこでは旧ユーゴスラヴィアでの残虐行為の数々が「パリから飛行機でたった二時間」の場所で起きているという指摘が示されている。もちろんこうした記事の書き手たちは、人権、倫理、ヒューマニズムにもとづく介入、〈悪〉が恐るべき回帰を暴力の悪循環として操っているという事実、こうしたことすべてを自然なものとして引き合いに出している。だがこうした観察は即座にその不条理を曝すことになる。すなわち、倫理的諸原則、人間の犠牲的本質、「権利は普遍にして侵すべからず」という事実がそんなに大事なら、なぜ飛行機旅行でかかる時間が重要だというのか? 「他者の承認」が大切なのはこの他者がある意味で身近なときだけ、とでもいうのか?」(同書、p.61-62)

その通りだと思うのです。ぼくはやはり、自分の「身近な人間」から始まる共生倫理というものを信用することはできません。

けれども、きょう、父の骨壷の周囲を掃除していたとき、ふと、そこにお供えしておいた加藤周一の『私にとっての二〇世紀』を手に取り、ぱらぱらとめくっていたら、次のような文章にいきあたりました。ちょっと長いですが、引用します。

「たとえば、孔子の牛のはなしを考えてみましょう。孔子は重い荷物に苦しんでいる一頭の牛を見て、かわいそうに思って助けようと言った。すると弟子は中国にはたくさんの牛が荷物を背負って苦しんでいるのだから、一頭だけ助けたってしようがないのではないかという。孔子は、しかしこの牛は私の前を通っているから哀れに思って助けるのだと答える。それは第一歩です。

第一歩というのは、人生における価値を考えるためには、すでに出来上がった、社会的約束事として通用しているものから、まず自らを解放することです。たとえば牛に同情するのだったら、統計的に中国に何頭の牛がいて、それに対してどういう補助金を与えるとか動物虐待をやめるような法律を作るとかさまざまな方法でそれを救う必要がある。それは普通の考え方です。その普通の考え方から解放される必要があるのです。どうしてその牛がかわいそうなのかという問題です。たくさん苦しんでいるのだから一頭ぐらい助けてもしようがないという考えには、苦しんでいる牛全部を解放しなければならないということが前提にある。なぜ牛が苦しんでいるかへの答にはなっていない。牛が苦しんでいるのは耐えがたいから牛を解放しようと思う、どうしてそう思うかというと、それは目の前で苦しんでいるのを見るからです。だから出発点になる。やはり一頭の牛を助けることが先なのです。

一人の人の命が大事でない人は、ただ抽象的に何百万の人の命のことをしゃべっても、それはただ言葉だけであって、本当の行動につながっていかない。行動につながるのはやはり情熱がなければならない。その情熱の引き金はやはり一人の人間、良く知っている人たちの存在です。アンゲルプロスの自伝的な感じのする映画『永遠と一日』に出てくる偶然町で出会った見ず知らずの少年です。一日の中に永遠を見なければ永遠はない。一日は一日であって大したことはないというのだと、永遠というものは見えない。だから、もし永遠というものがあるとすれば、一日の流れが永遠なわけです。難民となったたくさんのアルバニア人と一人の少年とは同じです。だから『永遠と一日』では、主人公の男は危険を犯して一人のアルバニア人の少年を助ける。どうしてかというと、一人の少年の運命は、アルバニア人全体の運命と同じだからです。そこから事が始まるということをアンゲロプロスは言っている。孔子からアンゲロプロスまで流れている考えの原点は同じだと思います。文学の目的はそういうことがわかるためにあると思う。」(『私にとっての二〇世紀』加藤周一、岩波現代文庫、p.245-246)

父は加藤周一が好きだったので、父の死後出版されたこの本をお供えし、そのままにしていたのですが、たまたまきょう手にとり、開いたページにこのようなことが書かれていたことを不思議に思いました。

一人の少年から無数の人間へとつながっていくこと。たしかに、そうかもしれません。ぼくには一人の人間を想像することがとても難しい。自分の思想が、つねに抽象性へと引きずられているのを感じます。それはもしかしたら目的ではなく手段を愛するテロリストの論理かもしれません。けれど、ぼくはやはり、そうではない! と言いたいのです。想像もできない人びとを想うことは、決して不可能ではないはずです。恐らく一生出会うこともないであろう人びとに与えられている苦しみに対して心底怒ることも、決して不可能ではないないはずです。具体的な「誰か」を愛せないとしても、だからといって愛そのものがないとは、ぼくは決して思わない。

爆音でライヒを聴きながら論文を手直ししつつ、そんなことを考えていました。