ステップ

方向音痴なきみは、それでも道に迷ったことがない。いや、本当は迷っているのだろうが、ひたすら力任せに歩き続けるきみは、自分が迷っているなどとは考えもしない。だからきみは、自分が方向音痴であることにも気づかず、いつか行き倒れるまで、どこまでもうろうろと歩き続けている。

しばらく体調を崩していたけれど、ようやく起き上れるようになる。少し古くなった牛乳で薬を飲み、食料を求めて五日ぶりに外へ出る。食糧といっても、たいしたものを買うわけではない。カロリーメイトのフルーツ味を冷やしたものがきみは好きだ。あとは牛乳さえあれば困ることはない。もともと食べることに関心のある性格でもなかったが、それでも、時折冷やし忘れたカロリーメイトを食べ、その不味さに顔を思わずしかめるとき、きみはふと微笑んでいる。それは、いまだに食べることに一片の喜びを見出そうとしている自分に対して、他人事じみたほほえましさを感じるからかもしれない。

駅前のドラッグストアでカロリーメイトと薬を買い、それだけで病み上がりのきみは疲れてしまう。あとはコンビニで牛乳を買うだけだが、しばらく駅前のベンチで身体を休めることにする。ひさびさに浴びる日差しに、きみは目を眇める。昨晩の雨にまだ濡れているアスファルトから湿った空気が立ち昇る。こんな街中でも、空気には少しずつ夏の匂いが満ちてきている。雑踏。無数に行きかうひとつひとつの人生。普段は苦手なその光景が、薬でぼんやりしているいまのきみには、どこか懐かしく、温かいものとして感じられる。ふと、ずっと未来の自分を想像する。駅のコンコースのベンチに座り、自分とは無関係な世界を眺めているきみをきみはつかのま眺めている。

三人の若者が広場で演奏をしている。ロックだかポップスだかも分からない中途半端な音楽。反抗しているのか甘えているのか、愛しているのか憎んでいるのかも分からない中途半端な歌詞。それでもそこには熱気があった。いつものきみなら唾棄していたかもしれないが、いまはその中途半端ささえ、苦笑とともに愛おしさを感じる。いろいろなものごとから切り離されていけばいくほど、きみは寛容になっていった。それは誰にとっても無意味な寛容さだったけれども。

どうしようもなく素人じみたバンドだったが、それでも無論、きみよりよほど腕は良い。きみも少しは楽器を弾けたが、しかし音感もリズム感も致命的に欠けていた。きみは脈絡もなく大学時代のことを思いだす。きみが通っていた大学では体育の講義が必修だった。体力だけは人並み以上にあったけれど、それ以外のあらゆる才能に見放されていたきみにとって、体育など苦痛以外の何ものでもなかった。それでも、苦手なものは克服すべきだと妙に頑なに信じていたきみは、社交ダンスを選択した。その大学には、そんな変わった選択肢もあったのだ。

――だからさ、そうじゃなくて、もっとこういう感じでステップを踏むんだよ。ペアを組んでいる女の子に、きみはまた同じことを言われる。――いや、頭では分かっているんだけどさ……。やれやれ、という顔をする彼女に、きみは申し訳なさそうに頭をかいて謝る。社交ダンスを受講してすぐ、きみはダンスが苦手なだけではなく、女性に触れることすら苦手だったことを思い出していた。けれども幸い人形劇のサークルが一緒だった子も受講しており、多少なりとも慣れているその子に、きみはダンスのペアをお願いしていた。彼女にはこういったことが向いているのか、講師のお手本を見ただけですぐに踊れるようになってしまう。一方のきみは、いつまで経っても基本的なステップを踏むことさえできなかった。ため息をついて彼女がいう。――頭で覚えようとしちゃだめだよ。身体が自然に動くようにやってごらん。きみもため息をつきかえす。――そりゃさ、きみは踊れるからそういうけど、できない人間にはまずそこからひっかかるんだよ。頭で覚えなきゃ手足をどうしたらいいかなんて分からないじゃないか。だいたい、ひとが踊っているのを見て覚えろっていうこと自体が無理なんだよ。そうしてきみたちはしばらく言い合い、互いに少し不機嫌になって授業を終えるというのが、定番になっていた。無論、ほんの少し時間が過ぎれば、きみたちは簡単に仲直りをしたのだが。

とはいえ、きみは何しろ力技の人間だった。休日に都心に出て、講義でやっているのと同じダンスが載っている教本を探しだすと、翌週の授業を三日休み、ほとんど不眠不休でステップを暗記したのだ。――きょうは完璧だよ。寝不足でくまのできた目で、きみは彼女にいう。不敵に、というよりむしろ不審者のように笑うきみに若干引きつつ、そうなんだ、と彼女は答える。けれど、ペアを組んで踊り始め、踊り終えると、彼女はこらえ切れないように身をよじって笑い出した。なぜかきみまで一緒に講師から注意を受け、まじめに踊ったつもりのきみは憮然とした表情のまま小声で彼女に問う。――なんだよ、ちゃんと間違えずに踊れたろ。完璧だったじゃないか。まだ目じりに笑みを残したままの彼女は、同じように声をひそめて答えた。――確かにステップは間違えなかったけどさ、でもあれじゃロボットだよ。ギクシャクガタガタ、まるで私たちの操る人形みたい。そうして、自分の言葉に再び吹きだし、慌てて口を押える。最初はむっとしていたきみも、そんな彼女を見ているうちにふと可笑しくなり、一緒に笑いだしてしまっていた。

……いつの間にか、バンドの若者たちはいなくなっている。そろそろ夕刻が近づき、行きかう人びとのまとう空気もさっきまでとは異なり、家を感じさせるものになっている。きみも立ち上がり、誰もいない家へと戻っていく。結局のところ、彼女はあまりに繊細だった。だからこそ鋭敏な感覚できみには感じ取れない流れを感じ取り、それに合わせて踊ることができたのかもしれないが、それが幸せなことだったとは、きみにはどうしても思えない。無論、ギクシャクガタガタ、力任せにしか進めないきみが、彼女より幸福だったということでもない。そもそもきみは、前に進んでいるのかどうかすら分からなくなっていた。

近所のコンビニで牛乳を買い、アパートに帰り、階段を上る。ポケットから部屋の鍵がひとつだけぶるさがっているキーホルダーを取りだし、鍵を開け、扉を開く。薄暗い部屋。微かにかび臭い匂い。カロリーメイトと牛乳を冷蔵庫にしまう。もう、あとすることは何もない。

彼女は、きみとは対極にいるひとだった。きみにはついに彼女を救うことができなかった。いや、誰かを救うことなど、誰にもできないことなのかもしれない。それでもきみは、きみに欠けたものを持ち、きみにあるものを持たなかった彼女のことを、どうしてだか、いちばん近い仲間だと思っていたし、いまでもそれは変わらなかった。あのとき覚えたステップを、いまだにきみは忘れないでいる。薄暗いなか、きみは記憶をたどりつつそのステップを踏む。向かにいるのは、もう年を取ることのない彼女の幻。――見ろよ、この完璧なダンス。心から楽しそうに、彼女が身をよじって笑う。――ギクシャクガタガタ、まるでロボットみたいだよ。ほら、もう一度やろうよ。教えてあげるから。

スイッチを入れる。部屋に白く人工的な光が満ちる。漠然とした空腹を感じて、きみはまだ冷えていないカロリーメイトを取り出し、無表情に食べる。その不味さが、まだ彼女のところへ行くときではないと、きみに教えてくれる。

一瞬交差するぼくらの時間

相棒が陶器の小鳥をくれた。むくむくしていて小さくて、ちょっと尊大そうな顔つきが可笑しい。ぼくらが出会ってからの時間を記念してのものだという。

上の写真は、タムロンの60mmで撮ったもの。最近は細かな撮影データとかはどうでも良くなってきた。

昨日、注文していたマウントアダプターが届いた。数年前、彫刻家の家で発見した古いミノルタのAマウントレンズがα300に装着できたのには、(知識としては当然だと分かっていても)感動した。だけれど、父の遺したキヤノンのFDレンズが、いまぼくの使っているα700で使えるというのには、同じくらい感動する。感動というのは安っぽい言葉ではあるけれど、まあ、ぼく自身の感情が安っぽいものだから仕方がないし、安っぽいということが悪いことだというわけでもない。無論良いことでもなく、単にそうだというだけの話。安っぽさや嘘っぽさのなかにも、その奥に「どうしようもないこと」があるのなら、それはその言葉通り、どうしようもないことだ。

ともかく、下の写真は、そのFDレンズで撮った。ぼくが生まれた年に発売されたレンズ。描写の甘さとかなんとか、そういったことはあるかもしれないけれど、でもそんなことはどうでもいい。

相棒とであってから過ぎてきた時間、父がレンズを買ってから過ぎてきた時間、ぼくがみっともなく生き残ってきた時間。そういったあらゆる個別の、唯一の時間の流れが、ある写真の、薄っぺらい表面で、一瞬交差する。交差してまた離れ、それぞれの方向に向かって再びどこまでも流れていく。

ぼくが写真を好きなのは、きっと、ぼくら在るものがそれぞれにそうであるかたちの全体を、一葉の写真があらわしているからなのだとぼくは思っている。

黴て曇ったレンズの向こう

いつも通りノートを抱えて都心に出て、彼女の仕事が終わるのを待ちながら、喫茶店でブログを書いたりしています。のんきな生活。ストレスで耳が聴こえにくく、頭痛でしばしば吐いてしまったり(でも口から出したことはここ数年ないんだよ、と意志の強さを主張すると、むしろそれは頭がどうかしている感じだね、などと言われたりします)、階段から盛大に転げ落ちて足を捻挫したり。だけれど、それでも、ここ数年の柵を絶つなら絶ってしまって良いのだと思い極めてからここしばらくの生活は、わずらわしい雑務、片づけなければならない仕事が山積みではありつつ、どこか奇妙に静かでのんびりとしています。

ぼくは、春が嫌いです。などというと格好つけとか「人とは違う俺凄い」アピールとか思われて困ってしまうのですが、本当のことをいえば他人にどう思われようが困ることなど何もなく、ぼくは春が嫌いなのです。だけれど、小さな虫たちが元気に地面を這いまわり始めるのを見ると、やっぱり、それはそれで幸せだよね、などとも思ったりします。

こう見えて、クラウドリーフさんはけっこうしたたかなひとです。したたかって、強かと書くんですね。なんだか漢字で書くとちょっと印象が変わります。ともかく、忙しいとか体調が悪いとか、言葉通りに捉えない方が良いのです。彼はけっこう、嘘で自分の生活を塗り固め、ないところから時間を無理やり引きずり出し、彼女と旅行に行ったりもしています。普段彼は本を買う以外にお金のかかる娯楽というものを一切しませんし、身だしなみにも気を遣いません(洗濯はしていますが)。ですので、こういうときくらいしかお金を使うことはないのです。少しばかり値の張る旅館などに泊まって、でも、いろいろなものすべてがなんだか寂しくなって、彼女とふたりで、寂しいよね、などと笑いあったりします。

論文を書く暇もなく、仕事の合間に学会絡みの雑務を少しずつ片づけていきます。クラウドリーフさんは相棒が生きている限りは生きるつもりでいるのですが、彼女の家系は長命で、一方、彼の家系はそれほどでもありません。つき合うのはけっこう大変ですが、ともかく、下手をしたらあと60年以上は生きなければならない可能性もあります。いくら嘘に関しては、嘘に関してのみは天才的な技能を持つクラウドリーフさんでも、さすがにあと何十年かを嘘だけで乗り切っていけるだけの自信はありません。いったいどうしたものか。困ったものです。まあ、客観的には道に迷っていても、歩ける体力がある限りは迷ってはいないと思い込んでどこまでも歩いていく彼のことです。何かしらどうかしら、きっとなんとかしていくのではないでしょうか。

昨晩は少し疲れてしまい、公募用の証明写真を撮るついでに買ってきたクリーニングキットで、レンズの手入れをしていました。彼の部屋の押し入れには、昔彼の父が使っていたキヤノンのレンズが眠っています。父の晩年、既にそのレンズにはカビが生えていました。それでも、割れていない限りは、何かしら写るものです。クラウドリーフさんは、いくつかの理由からキヤノンが好きではありません。だけれども、父の若いころに使っていたレンズで何かを撮るというのは、それはそれで、ちょっとした冗談として――どのみち彼の人生など、相棒に関わる以外のことはすべて冗談なのです――洒落たものではないだろうか、などと思っているようです。

ネットで調べてみると、キャノンのレンズをαマウントに装着するためのマウントアダプターは、あまり種類がないようです。Fotodioxというアメリカのメーカーが出しているものがあるそうですが、これは日本で手軽に買えるという感じでもありません。あとは中国製のKT-MAFD-WLというのが手に入るそうで、早速注文してみました。来週には届くでしょうが、それが少しばかり楽しみです。届いたら、α700に父のレンズをつけ、ひさしぶりに御苑にでも行ってみようかと思っています。カビたレンズに無理やりのマウントアダプター。碌な写真など撮れないかもしれませんが、所詮、クラウドリーフさんの眼に映る光景など、世界がそうだから、ではなく、単純に彼自身が腐っているが故に、碌でもない光景ばかりです。

それでも、彼は彼なりにこの世界を愛していると言います。ほんとうかな、とぼくはちょっと疑ったりもしますが、彼の人生が相棒を中心としてまわっているものである以上、そこに冗談が紛れこむ余地はありません。そういった彼の狂気に若干恐怖を感じつつ、それでも、ぼくは彼のそんな生き方が、いまのところは気に入っているのです。

居場所がないなんて言うけどさ

思想系の良いところは……などと一概にいうことはできないけれど、特定のフィールドがなくとも研究ができるというのは、少なくともぼくは気に入っている。もし考えることがあるのなら、そして考えることがあるからこそこんなことをやっているのだけれど、必要なのは自分の頭。あとはせいぜいノートと鉛筆があればこと足りる。読みかけの本を鞄に入れ、都心に出て、どこかしら空いている喫茶店でも探せば、とりあえず数時間はそこが自分の研究拠点になる。いや、研究拠点はいつだって自分の頭のなかにある。

とはいえ、やはり自分の研究室を持てるのであれば、それはそれでとても魅力のある話。正直なところ、関われば関わるほど大学という空間にはほとほと愛想が尽きる。それでも公募情報に目を通したりしているのは、きっと自分の「部屋」を持ちたいからだ。いや、もちろんいまだって自分の部屋くらいはあるのだが、そういう意味ではない。この頭のなかにあるものの具現化。でも、つまらない願望でもある。ほんとうのことを言えば、本だっていらないし、何かを書きのこす必要もないし、場所を持つ必要もない。

いずれにせよ、これはもうはっきりしていることだけれど、千にひとつの偶然でどこかの大学に潜り込めたとしても、ぼくはきっと三年間で弾きだされる/自分を弾きだすことになる。相棒を唯一の例外として、ぼくはそれ以上の期間に渡って、誰かとまともな関係性を保つことができない。いままで所属していた研究室との関係性も、これ以上は続けていくことはできそうもないことがいよいよ明確になってきた。無論、義がある限りにおいては協力を惜しむつもりはないけれど、何人かとの個人的なつながりが微かにでももし残るのであれば、いまはそれで十分だ。

いったい、これは何なのだろうか、と思うことがある。ぼくはそれほど特殊な育ち方をした訳ではない。むしろ平凡の赤道直下を歩き続けてきたような人生だ。にもかかわらず、どこかに居つくことができない。そして、そのことを後悔したことも、苦しいと思ったこともない。いや、存在している以上は苦しいのはあたりまえで、ことさら苦しい苦しいと叫ぶ人間をみても、ぼくは侮蔑と嫌悪しか感じない。生きている限り、ぼくらには義務と苦痛と罪だけがある。義務と苦痛と罪がある限りにおいてのみ、ぼくらは生きている。ぼくは、そう思っている。

ぼくがいた研究室では、脱近代というのがキーワードのひとつだった。らしい。ぼくは落ちこぼれの上に外様だったので、結局最後までその辺の議論にはうまく波長を合わせることができなかったのだけれども、ともかく、そういうことらしい。それはそれで、きっととても重要な論点なのだろう。けれど、ぼくにはどうもそういうものが感覚的によく分からなかった。

ぼくらの生き方や考え方は、なるほど確かにぼくらが生きている時代、あるいは社会によって方向づけられ、制限されている。でも、どちらが正しいということではなく、ぼくは、社会や時代から語り始められる何かに、つまるところあまり興味がない。ぼくの目に映るのはただ、あるひとつの魂の痛みであり、恐怖であり、要するにその魂が存在するということ、それ自体だ。それはあらゆる時代や社会を超えてつねに普遍的に在り続けるもので、かつその瞬間瞬間にのみしか現れない、取り返しのつかないものだ。そこにあるのは価値でも善でも希望でもなく、どうしようもなく、取り返しもつかない、恐ろしいまでに単純な事実としての「在ること」でしかない。

脱近代の話に戻れば、ぼくは仕事柄もあるのか、近代というものに対する肯定的な立場にあるように思われているし、実際、そうなのかもしれない。ただ、本音をいえば、どうだって良いんだよね、とも思っている。どのみち、ネットによって可能になったコミュニケーションが……、などと語るとき、明らかにぼくが指しているものと、肯定否定を問わずそれを語る人びとが指しているものと、一致する部分はほとんどない。肯定的に語るときでも、ぼくに見えているのは、そこにあって剥きだしのまま傷つき、潰されていくひとつの魂だ。肯定的、という言葉自体が問題で、ぼくはそこに、しつこいようだけれども、希望や善をいっさい含むつもりはない。

最近ようやく気づき始めているのは、そして何をいまさらと言われそうだけれど、近代を問い、それに批判的なひとは、これは誤解をしてほしくはないのだけれど、責めているわけでも批判しているわけでもなく、きっと根っからの近代人なのだ。ぼくには、やはり良く分からない。風土や伝統や共同体。実際のところ、ぼくはそういったものの必要性を感じたことはない。場所も、歴史も、仲間もいないけれど、それでも、どうしようもなく「いま、ここ」にぼくの魂が在り、どうしようもなくきみの魂もある。

倫理というものは、究極的には、すべてを剥がされ、剥きだしになった状態で、存在しない神と対峙するときにぼくらに突きつけられる何ものかだ。ぼくらは存在しない神に対して、何もないにも関わらず、にも関わらずだからこそ、俺は俺だ、と答える。そうして、そのただ独りであるということには同時に、独りというものを照射するきみの存在が分ち難く映し出されている。その三角形それ自体にこそ、おそらく倫理が存在している。

***

この数年は、時折訪れる例外的な時期で、いま、ひさしぶりにぼくはぼくなりのかたちに戻りつつあるのを感じる。もちろん、雑務は相変わらずたくさんあるし、公募にだってしつこく応募していくつもりだ。だけれど、それは場所や帰属を求めてのことではない。誰もがそうであるように、ぼくもまた、どこにも結びついてはいないし、同時にどうしようもなくきみに縛りつけられている。真実は、たぶん、ただそれだけだ。

いま、喫茶店にいる。近くの席にはきたならしい声で何かを話している誰々さんたち。きたならしいというのは、声の質のことではない。その存在の在り方だ。

ぼくはもう、自分にとって醜いものに容赦をするのをやめることにした。

いつかきみの乗る舟

まだ誰も乗っていない始発電車。薄暗い窓ガラスに荒んだ顔をした男が映っている。何かを諦めたような、すべてを見下したような、自らを嘲笑しているような目つき。きみは自分の顔から目を逸らす。眺めていて楽しいものではない。もっとも、眺めていて楽しいものなど、既にはるか以前からきみは失ってしまっていたけれど。

日が昇るにつれ、外は徐々に明るくなっていく。もう、窓ガラスに自分の顔は映らない。きみは少しだけほっとして顔を上げる。窓の向こうに流れる景色は、いつしか郊外のものへと移り変わっていく。ごとん、ごとん、と電車はやけに静かに走り続ける。車両に人影はわずかしかなく、どこか霞んで見える。誰も居ないホームに立ち電車を待っていたのはほんの今朝方のことだったような気もするし、何年も昔のことのようにも思える。どのみち、きみをあの世界に繋ぎとめていたすべてをぼんやりとしか思い出せないきみには、何の関係もないことなのかもしれなかった。――つまりこれは……。きみは呟くが、別にその後に続けたい言葉があったわけではない。空腹も眠気も感じないまま、やがて夜が訪れ、再び朝がくる。電車は静かに走り続け、きみは座り続ける。

けれども、やがて電車はとある駅へと到着した。くぐもったアナウンスに耳を澄ませれば、どうやらここが終点らしい。晴れわたっているのに妙に寒々しいホームへときみは降り立つ。駅には改札もなく、ホームの反対側には手すりがあり、その向うの眼下には真青な海が拡がっている。狭く急な階段が海へと続き、他の乗客たちは声もなく並び海へと向かって下りていく。古びて罅の入ったコンクリートを踏みしめ、きみも彼らのあとについていった。

覆うように茂った木々の下を歩き続け、やがて階段を下り切れば、そこはもう突然に砂浜だ。海風は強く、けれども波は穏やかに寄せている。幾艘かの小舟が沖に向かって進んでいくのに気づき、ふと周りを見回せば、さっきまではいたはずの乗客たちはもう誰もいない。波打ち際には一艘の舟が残されており、老人がその傍らに佇んでいた。――あんたも乗るのかい。どこかで見たような気がするその老人をぼんやりと眺めつつ、きみは答える。――どうしようかな……。この舟、どこに行くんですか。老人は苦笑したようだった。――そんなもの、私が知るはずがないだろう。そうして、あんたが知らないはずがないだろう。そんなものなのかもしれないな、ときみは思う。そしてふいに、自分でも思いがけず笑みを浮かべる。――どうした、何か愉快なことでもあったのかね。特に興味もなさそうに訊ねる老人にきみは言った。――いえ、たいしたことでもないんですが……。ぼくはね、子供のころ、船乗りになるのが夢だったんですよ。父がそうだったからっていうだけの、単純な話ですけどね。船乗りになって世界中を旅したかった。結局、そんなものは夢でしかなかったけれど……。嘘みたいな話ですけど、世界中を旅した船乗りの息子がこの国を一歩も出たことがないんです。でもこんなときになって思いがけず舟に乗れて、海の向こうの向こうのもっと向こうにまで行けることになるなんてね。それが少し可笑しくて……。よくよく考えてみれば、可笑しくも何ともないのだが、きみは気が抜けたように俯き、ふふふ、と息を漏らすように笑う。

――むかつくな、あんた、凄えむかつく。突然、押さえてはいるが激しい怒気をこめた言葉を叩きつけられ、きみははっと顔を上げる。そこには先ほどまでいた老人の姿は見えず、少年がひとり、きみを鋭く睨みつけていた。――この舟にあんたは乗せてやらないよ。これは俺の舟だ。昔の夢だ? 莫迦らしい。腐ったやつには腐ったやつにふさわしい行き場があるんだ。さっさと失せろ。その小さな子どもにきみが反論できなかったのは、その子の声にこめられていた蔑みのせいではなかった。そうではなく、そこに隠しようもなく滲みでてしまっていた鋭い悲しみが、きみを黙らせたのだ。――この舟は、楽になりたい、いまから逃げたいなんて思っているやつが乗れるような舟じゃないんだ。どうしても乗りたければ、もう一度、初めから自分で作り直せ。

急に強い風が吹き、潮が強くきみの顔を打つ。思わず両腕で顔を守り、ふと我に返れば、きみは再び電車のなかにいた。正面の薄暗い窓ガラスには、荒んだ顔をした男の顔が映っている。よく知っているその顔には、けれどもいまはただ困惑だけが貼りついている。走行音はうるさく、さらにそれを圧するほどの音量で、車掌が次の停車駅を告げていた。きみの降りる駅だった。

きみはもう誰も居ない駅に降り立つ。どうやら終電だったようだ。眠そうな顔をした駅員の脇を通り、きみは駅の外へと出る。風は冷たく、町は既に眠りに沈んでいる。

――いつかさ、ぼくも自分の船に乗って、父さんみたいに世界中を冒険して周るんだ。記憶の底で、まだ幼いころのきみが楽しそうに話しているのが聴こえる。――ぼくだけの船で、ぼくだけの旅! あ、でも父さんは乗せてあげよう。記憶ではないどこからか、もう誰のものか思い出せない、けれども懐かしい誰かの声が聴こえる。――そうか、それは楽しみだな。そんな日が来るといいな。――絶対来るに決まっているよ。じゃあ、約束しようよ! むきになった子どもの声と、誰かの暖かい笑い声。

暗い道で立ち止まり、きみは呟く。――そんな日が来ると、いいな。

これから

この3月で、いままで在籍していた大学から席がなくなります。ここ最近は学会の雑務を片づけつつ、大学に寄っては少しずつ荷物を整理していました。たった4年間(博士号を取ったあとも1年間は席を残しておいたので)しか居ませんでしたし、もともとぼくは大学で研究するというタイプではないので、片づけるといっても、それほど荷物があるわけでもありません。幾冊かの本を相棒の家に移動し、だいたい、それでお終いです。場所に居つく性質ではないので、別段、何の未練もありません。むしろ最近は夾雑物ばかり増えているように感じていたので、この辺でいったんリセットしてしまう方が良いのです。もともと、ぼくはこの研究室では外様でしたので、そろそろ、本来の立ち位置に戻ろうと思います。

いま、一本論文を書いています。はじめは情報倫理について書こうと思っていたのですが、書いているうちにメディア論寄りになってきました。昨年講義をしながら考えていたことを、少しずつ論文という形に置き換えているところです。基本的な主張は極めて単純で、メディアというものが身体性を捨象するという言説は虚構であり、かつ/それ故他者への責任=倫理の放棄に過ぎないということです。ぼくのやっているようなジャンルにおいて、これは老若を問わず、マシン(そしてマシンによって媒介される労働)に対する嫌悪感、拒絶反応というのはなかなかに凄まじいものがあります。だけれどもこれは本当にナンセンスな話で、そういうことを語る大半のひとが、そもそも企業での労働経験を持っていないし、マシンといえばせいぜいパソコンでメールのやりとりをしたりインターネットをしたりTwitterで呟いたりWordで論文を書いたり、要するにそんなものなのです。その程度で情報化社会が人間性を云々、と言われても、ぼくはそこに説得力が生じるのかどうか、ちょっと疑問に感じます。

もちろん、そんなことを言い始めたら、死刑反対は死刑囚でなければリアルに語れないのかとか、そういうことになりかねません。それに何より、ぼく自身、農業の経験もないのに博士(農学)を持っているし、この1年はエッセイなり科研費論文なりで農業について書いたりしてしまっている。これはもう本当にどうしようもない感じです。読み返す気にもならないような、表層的で無内容なものばかり書いてきました。もちろん、何について書くかとか、どのように書くかということに対して、ぼくらは選べるほど強い立場にあるわけではない。機会を与えられたのであれば、それがどんなに自分にとって興味のないものであったとしても、あるいは書くだけの知識や能力がなかったとしても、なりふりかまわず書かなければなりません。それはまったく恥じることではないし、むしろそこで選好みをする方が、よほど恥ずべきことだとぼくは思います。

ただ、やはりそれは苦しいものですし、つまらないことですし、誇れないことです。博士の1年目と2年目に書いた論文は、読み返しはしませんが、いまでもある程度は評価できるものだと思っています。それは(いまになって振り返れば)コミュニケーションが本質的に持つ暴力性について語ったものでした。たとえ論文としてのできが拙いものであったとしても、それはたいした問題ではありません。書かなければならないことを1/10でも書くことができたのであれば、それは十分意味のあることです。

いま、メディアについてなぜこんな必死になって(実際、必死なもので、ぼくの発表などちょっとどうかしているのではないかという気が薄々はしているのですが)書いているのかというと、やはりそれは、電子的なメディアを介してであっても、現にこのぼくが、恐怖を感じ、この身体が痛むのを感じているからです。画面を超えて迫ってくる他者への責任=倫理、それは、その痛みによって根拠づけられます。それは決してナイーヴな話ではありません。ただどうしようもないこととしてぼくらがそうで在るというだけのことです。

相棒と帰るとき――そういえば、彼女と再び一緒の大学にでも行くかと思ってここの博士課程に来たのですが、それももうそろそろお終いというのは、少しばかり寂しいことです――とある公園を抜けて行きます。毎年この時期になると、公園の池にかえるたちがわらわら集まってきます。ぼくらはかえるたちを踏んでしまわないように慎重に池に近づき、くんずほぐれつしているかえるたちをしばらくこっそり観察します。みなさんも、もし近くにそのような場所があったら、せめてこの時期だけでも、特に夜は、ぜひ足下に注意をしてあげてください。偽善、といえばその通り。だけれども、ぼくはその偽善がとても大事だと思います。「敢えて」何々をする必要があるのかどうか。動物の権利とか何とか、そういったことを考えるとき、ぼくはそこに注目します。極論というのは議論の枠組全体を明らかにしてくれることもしばしばありますが、敢えてする必要がないことはしないという常識的判断もまた、同じくらいに必要です。たしかにぼくもまた大量の生命を犠牲にして生きているけれど、だからといって、敢えてかえるが居ると分かっている道を無神経に歩いて、自転車に乗って、かえるを踏んでしまう理由などまったくありません。偽善と思うのならそれでけっこう。

研究の話からずれてしまったのでしょうか。いいえ、そうではありません。農業とか労働とか、正直なところ、そういったものごとについて書けと言われて書いたものは、ほんとうに下らないものばかりでした。無論、いまでもさまざまな制約はあります。けれどもそれはいつだってあって当然のものですし、あるからこそ、書きたいこととの摩擦によって、書かれるものが磨かれていくということもまた確かです。だけれど、それが制約ではなく、与えられたテーマでしかなかったのなら、やはりそこからは書くべき論文は生まれそうにありません。メディアについて書いていて楽しいのは――無論それは、面白い、ということだけではなく、書くべきことを書いているということへの魂の感じる喜びです――それがぼくにとって見えている世界を描いているからです。

でも、もともとぼくがコミュニケーションについて書こうとしていたのは、聴こえない声を聴かなければならないし、そうして確かにそれは聴こえるのだ、ということでした。そのコミュニケーションの相手は、誰にも看取られずに死んでいった無数の死者たちであり、画面の向こうの誰かさんたちであり、そして声もなく踏み潰されていく無数の小さな生き物たちです。前の二つに関しては、兎にも角にも、論文としてまとめ、自分のなかで考えるための出発点は確保しました。だから次は、最後のものについて改めて考えていこうと思います。

もう、研究室はなくなるので、いろいろリセットです。ぼくはもともと、場所に居つく性質ではないので、あとはもう独りで、あるいは相棒とふたりで、本を読み、野原に出て、美術館に行き、そしてたまに非常勤で若い子たちにちょっとどうかしてしまった感じで講義をしつつ、自分なりのかたちで研究をしていこうと思っています。

ユーモレスク

先日、十数年ぶりに床屋に行ってきました。床屋とか、何だか懐かしい響きですね。すっかり自分で切ることに慣れてしまっていたので、まさか生きているうちにまた床屋に行くことがあるとは思いませんでした。最後に床屋へ行ったとき、まあぼくはコミュニケーションを専門としているだけあってコミュニケーションなんてお手の物なのですが、「どういうふうに切りますか?」「ぁ……ぁ゛の、揃える程度に、短めに切って(あまりたくさんは切らないで)くだしあ」「え、揃える程度なの、短くしちゃうの、どっち!?」「あふっ、みじゅかめに……」というハートフルなやりとりを経て、泣く泣く坊主頭にされて以来、ぼくにはもはや床屋に対する憎悪しかありませんでした。

けれども、今回はきっと大丈夫です。床屋さんへの憎しみだけで生きることに救いはないとぼくは悟ったのです。人間は赦しあわなければならない。そうして、あえて名前は出しませんが、ある低コストの床屋さんへ行って、今度こそ揃える程度に切ってもらえ、ふんふん喜びながら家に戻り、Yシャツを脱いだら首の周りが血まみれになっていました。我ながら痛みに鈍いとは思っていたのですが、これは酷い。きっとバリカンで襟足を刈られたときのことでしょう。やはりぼくは床屋に対する憎しみだけを支えに生きていくしかないようです。

***

そう、ぼくは何を隠そうコミュニケーションが得意です。人と話すのが大好きです。仕事中におなかが痛くなりました。今朝、出勤途中で拾って食べたアレが原因かもしれません。ともかく、ぼくは洋式のトイレでなければ生きていけない。おお、何やら格好良いですね。ハードボイルド。しかしいまぼくが働いている研究開発室には洋式のトイレがありません。だから、敷地内をてくてく歩いて、洋式トイレのある建物まで行かなければならないのです。おなかが痛くて、けれども表情には決して出しません。この弱肉強食の世の中で、弱音など吐いたが最後、周りの連中に殺される。少々被害妄想気味のクラウドリーフさんは、けっこう本気にそう思ったりしています。「がんばれ、ぼくらこそが救援隊だ!」などと、サン・テグジュペリの真似をしつつ、ようやく洋式トイレのある建物に辿りつきました。

すると、何故かトイレの扉の前にはぼくを雇っている会社のお偉いさんが居て、他の社員さんと談笑しています。クラウドリーフさんはにっこり笑って挨拶をすると、そのまま回れ右をして戻っていきます。あまりの苦しさに文章が三人称化していますが、どうして彼はそこでトイレに入らなかったのでしょうか。分かってくれるひとには分かってもらえるでしょう。そしてもしあなたがそうでないのなら、きっとあなたには一生分かってもらえないでしょう。クラウドリーフさんは、フェンスにつかまりつつ、よろぼい歩いていきます。魔の山の最後のように、画面全体がズームアウトしていきます。どこかにある洋式トイレを求めて、いまや蟻のように小さくなったクラウドリーフさんが歩いていきます。

***

そんな彼がなりたかったのは、フィールドワーカーです。これは本当。っていうかここまで書いたこともすべて本当なのですが、ともかく、文明的な生活から離れられず、虫が苦手で(昆虫は大丈夫なのですが)、農学の博士号を持っているにもかかわらず土に触ることさえ苦手な彼が、バイクにまたがって中南米を旅し、ジャングルに分け入って人跡未踏の地で新たな発見をしようなどと考えていたのです。ちなみに彼は免許も持っていません。

土曜日、日曜日、月曜日と、仕事を休んで、延々学会や研究会の雑務を片づけていました。日曜日には街まで出かけ、学会誌をお願いしている出版社の編集者さんと打ち合わせ。相棒以外の女性と二人きりで会話とか、もう「あふっ、みじゅかめに……」としか言いようのない感じです。きょうはきょうで一日研究会のお金の計算と名簿の整理で終わりました。一日正座をしていたので、さすがにちょっと膝が痛みます。世界の片隅で、何やらごそごそやっているうちに、気がつけばフィールドワーカーになる夢なんてどこかへ行ってしまいました。

だけれども、クラウドリーフさんは徹底的に能天気なひとです。研究なんて地味なものかもしれませんが、それでもあるとき、自分でも驚くようなアクロバティックな(だけれどもきっとどこかで必然性を持った)経路を辿って、自分が語れるとは思っていなかったようなことを語れるようになったりします。

心配事も雑事も山積みです。業績をあげるのは大変ですし、そもそもパーマネントな職につける可能性もほとんどありません。それでも、別段悲愴ぶっているわけではなく、そんなわけでは決してなく、他人の論文の誤字脱字をチェックしたり、会員名簿を整理したり予算のつじつまを合わせたり、そんなことをしているときにでも、目の先に映っているのは、ぼくが行って、この目で見なければならない、無数の面白い何かなのです。