記憶は頭の外に在って、だからどうしようもなく

合宿に行ってきました。自分の発表があるわけでもなく、仕事は仕事でなかなかに大変な状況なのですが、無理を言って平日にお休みをお願いして全日参加です。場所は伊東。ネットで調べたところ、スーパービュー踊り子号というものがあるらしく、生まれてはじめてグリーン車なるものに乗ることにしました。このひと月ふた月、論文その他にだいぶがんばった気がしています。そのうちの一本は、自分でも(無論まだまだとはいえ)現時点で書きたいことをある程度書けたので、ある程度は満足しています。仕事と論文とその他もろもろで、さすがに頑健さと気合と根性と粘着気質な怒りの塊であるクラウドリーフさんも、少々お疲れ気味です。我ながら嫌な性格ですが、とにかく、ちょっとグリーン車などに乗って気分転換とか思ったわけです。プチブル。

出発日の朝、行きがけに地元の郵便局に寄り、まずはその日の消印有効という投稿論文をぎりぎりで提出しました。そのまま横浜に出て、いよいよスーパービューです。ななんと二階建ての電車。これもまたはじめてでワクワク。クワクワとアヒルのように鳴きつつ電車に乗り込みます。座席は窓際海側一人掛け。さすがにグリーン車だけあって、ゆったり座ることが可能です。行きがけに読もうと思っていた論文をリュックから取り出していると、何と呼ぶのか分りませんが、乗務員のひとがやってきて、「コーヒー飲むか、紅茶飲むか、オレンジジュースもあるぞ」とお勧めしてくれます。ぼくは飲めもしないのにお願いしてしまいます。見栄を張って「コーヒーを。ブラックで」などと。倒置法。

ところでいま、すでに合宿は終わり、自宅でこのブログを書いているのですが、さっきまで頭痛で倒れていました。身体というのは面白いもので、無理を超えると強制的に電源が落とされる。

それはともかくグリーン車です。最初はゆったりした座席で、無駄に贅沢して、なんてのん気に思っていたのですが、やはりやめた方が良かったとつくづく後悔をしました。こういう言い方をすると嫌がられるというのはよく分っているのですが、基本、ぼくは自分をクソ野郎だと思っています。実際、ぼく以上に性格の捻じ曲がった人間をぼくは知りませんし、目的のためなら手段を選ばないその非道徳性にも、我ながら怖気をふるいます。たまたま真面目そうな見た目と雰囲気を持って生まれてしまったため、たいていの場合ぼくの腐り加減に気づかれないということにもまた気が滅入ります。

「死にたくなる」とかいう表現は、ほんとうに嫌いです。生きている限りにおいて、ぼくらは全力で生きなければならない。ただ生きるだけであったとしても、真剣に呼吸し、歩き、腕を広げてくるりと回る。それだけでも、一生懸命、まさに命を懸けて生きることは可能です。それでも、他人に丁寧な口調で接せられると、「死にたくなる」のです。それは憂鬱になるなどといった言葉では表現しきれない何かです。ちょっと、病的かもしれません。普通のことかもしれません。分らないけれど、でも、乗務員のひとに「何かお飲み物は」などと言われた瞬間、確かにぼくは死にたくなります。ぼくは、そんな人間ではない。ひとを平気で見捨て一切の後悔をしない、小器用なだけの才能と誠実そうな見た目と、そんなものでひとを騙して、ここまで生きてきました。「何かお飲み物は」という呼びかけは、自分のクソさ加減に対する告発として、ぼくに突きつけられます。ちょと何をいっているのか良く分らないですね。まあでも、「死にたくなる」はそのままで、「生きなくてはならない」ということでもあるはずです。どのみち、生きることは、少なくともその一部は、死者に対する義務としてぼくらに課せられたものだと、ぼくは思います。

淹れてもらったコーヒーを「にがーい」などと思いつつちびちびと飲みながら、他人の論文に目を通します。けれどもやはり、あまり興味のない論文を読むのは苦痛です。今朝方出してきた自分の論文のコピーをひっぱりだして、やっぱりこの結語が素晴らしいよね、などと独りでにやにやしながら眺めたりします。

そうして、少し眼が疲れ、ふと窓の外を見やると、見覚えのある光景が目に映りました。低い山に囲まれ海に面した、こういっては何ですが少々うら寂しいような小さな街。駅前のお土産物屋さんの並びを見て、すぐに思い出しました。湯河原です。子供のころ、夏になるとぼくらの家族は、母方の祖母と一緒に(船員だった父は居ないことが多かったのですが)数日間ここで逗留したものです。毎年毎年。いまは立派に腐ったぼくがグリーン車の窓から眺めるだけですが、そのころは湯河原に行くのが楽しみで、その道中すら楽しみで、鈍行の電車のなかで食べる冷凍みかんのおいしさときたら、他に比類すべき何ものもないほどでした。子どもだったぼくは湯河原の街を走り回り、だから、いま高架の上を走りながら見下ろす街の道々は、そのまま、ぼくの記憶となって立ち現われてきます。風景が、二重写しになります。子供だったぼくが街のそこかしこに居るのが、はっきりと見えています。

伊東につくころには、もう、へとへとです。あまりにへとへとなので、合宿のあと、ちょっとした魔法で彼女を召還しました。もちろん、召還するということは、召還されるということでもあります。お互いを召還し合い、そのまま遊びに行ったり、あるいは帰宅したりする研究室のひとたちとは別れ、ぼくは伊東に残りました。その晩、台風の影響で、雨が強く降っています。宿の窓を、雨が強く叩いています。個人的に雨の音は耐え難いのですが、彼女がいるので、大丈夫です。節電のせいか、宿には常夜灯もありません。だけれども、どんなに真暗であっても、となりにその存在を感じます。

翌日の帰りもまた、こんどは踊り子号ですが、グリーン車です。クラウドリーフさん、こう見えてそんなにやわではありません。がらがらの車内、ゆったりと伸ばせる足。平気でグリーン車に乗り込んで、「死にたくなるなんて莫迦みたーい」と嘯きつつ、ふんふんとのん気にはなうたなんぞを唸っています。グリーン車には、人っ子一人乗っていません。だから背もたれだって倒してしまったりもするのです。ちなみに、電車にせよ飛行機にせよ人生初、背もたれを倒しました。信じてもらえないかもしれませんが、彼は普段、そのくらい慎み深く遠慮深い人間なのです。

結局、グリーン車には最後まで誰も乗ってきませんでした。子供のころ、湯河原に行く鈍行列車は、もっともっと混雑していて、もっともっと楽しそうな喧騒に満ちていたように思います。嘘か本当かは分りませんが、所詮、頭の中にあることの真偽など、問うだけ無駄だというものです。それは永遠に真であり、かつまた、つねに偽でもあるのですから。

***

まだ論文の翻訳や学会発表などはありますが、今年締め切りの自分の論文は一段落しました。後期の講義資料を作ったりもしなければなりませんが、またしばらく、二週間に一度くらい物語を書いていこうと思います。

All existence you’ve never dreamed

羽
60mm、F3.2、1/125秒、ISO200、AWB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

顔
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葉‐硝子
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なぜそんなありきたりの日常をわざわざブログに書くのさ

プリンタを買いました。モノクロレーザー。いままではプリントアウトするものがあれば、わざわざそれだけのために四谷にでも出てFedExへ行くか、あるいは大学へ行っていたのですが、最近は学会の雑務その他でプリントアウトする必要が増えてきたのと、あとは論文などの執筆量も若干増えてきているので、思い切って買ってしまったのです。場所は取るけれど、やっぱり便利ですね。夜中に論文を改稿して明け方プリントアウト。翌朝出勤途中と昼休み、帰宅時に読み直し。帰宅後改稿して明け方プリントアウト、翌朝出勤。そういったサイクルで無駄なく動けているように思います。クラウドリーフさん、いったいいつ寝ているのでしょうか。無論仕事tyげほんごほん!

ここまで書いて思ったのですが、これ、本当にどうでもいい話ですね。以前誰かに言われたのですが、まあそのひとはブログに対して批判的なひとで、自分の日常生活なんてインターネットで公開して何の意味があるの? という極めてヴィヴィッドな問いかけをされました。ヴィヴィッドとか格好良いから使ってみましたけど別に格好良くないですね。そのときぼくが何といってブログ的なものを弁護したのかもう忘れてしまいましたが、案外弁護なんてしなかったかもしれません。そうそう、ブログで日常生活を書くなんて意味わかんなーい、みたいに。

だけれど日常生活を書いてしまうのです。最近はなかなかに勤勉な日々を過ごしています。仕事はあいかわらずですが、それ以外の時間は論文を書いているか、論文を読んでいるか。飽きると筋力トレーニングに励んでいます。食事も節制して、ほとんど禅僧のような生活です。禅僧の生活なんて知りませんけれど。

冷却ファン
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クリップ
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下の写真のクリップは、先日ひさしぶりに相棒と少し散歩をしたときに、彼女に連れられて入った文具店で購入したものです。最近はなかなかそういった時間もとれないので、……などという言い方はあまり好きではない。とれないのならとれば良いので、だからとるのです。嘘も不義理も平気です。睡眠時間だっていくらでも削れます。まだまだ、いろいろ余裕です。最近、眼鏡が妙にずれると思っていたら、顔がやつれて少しだけ細くなってしまっていたからでした。細く、といえば聞こえは良いですが、何のことはない、朝方、薬を飲む前の自分の顔を洗面所でぼんやり眺めると、これはもう薬中のチンピラ以外の何ものでもない。

けれども、楽しいことばかりです。今回の論文は書いていてほんとうに楽しいし、9月からはいよいよ講義も始まります。女子大で教えるなんて、女性恐怖症のぼくには不可能犯罪、いや犯罪はいらないですね、不可能ですが、心の平穏を守るために被っていくお面の準備もばっちりです。やはり犯罪ですね。

なぜそんなありきたりの日常をわざわざブログに書くのさ、と昔あるひとに訊かれましたが、答えは簡単。ありきたりは、ありきたりではないからです。きょうも一日、良く生きました。それは途轍もなく大したことで、途方もない喜びです。誰もが知っているように、ぼくもまた、ありきたりではなかった日々を知っています。だから、ありきたりの日常を書くということは、それ自体で、ありきたりではないものをぼくらに強要してくる世界に対する、ぼくらの勝利の記録なのです。

今朝、数ヶ月ぶりにコーヒーを飲みました。

ごくありふれた日々の生活。

そんな、感じです。

The days of 136 degC and 5km/h

CPU温度が136℃になっていました。あまりに騒音が凄いので切っていたファンのひとつを復活させたのですが、案の定うるさい。うるさいというより、もはや周囲の音が何も聴こえない。まるでマシンのなかで、三百人の反抗期の若人が暴走行為に励んでいるようです。しかもそんなに反社会的活動に勤しんでいるにもかかわらず、あいかわらずの136℃。しかし考えてみれば当たり前でして、そもそも連中の乗っているバイクなんてものは市場経済システムのなかで生産された、資本主義のひとつの成果であり象徴のようなものです。そんなんできみ、反体制、反社会を気取るのか、莫迦ではないのか? という話でして、だからCPUの冷却効果だって望めるはずがありません。ぼくは本当に嫌いなんですよ。与えられたもので、与えられた場所で遊んでいるだけなのに、それがシステムへの反抗だ、みたいにのほほんと思い込んでいる連中が。走れよ、自分の足で。お前たちが見下している大人たちが作った社会でこそ初めて生産可能となった靴を履かず、服を着ず、裸で、洗っていない髪を振り乱し、言葉でない言葉を叫びつつ舗装された道路ではないどこかを走れよ。とそこまでいってしまえば、もはやそれは判りやすく二元化された世界観を超え、要するに生きること、それ自体が顕れてきます。CPUの冷却効果です。

ちょっと怒りますけれども、だからさっきからCPUが136℃のままなんですけれども、要するにそれは単なる通過儀礼以上のものではなく、それがまさに「通過」である以上、彼ら/彼女らは最初から社会に対する根源的かつ本質的な「反」など欠片も持ち合わせてはいなかった。本当の「反」というのは、ただの反発などではなく、反れ、逸脱し、どこかへ行ってしまったきり行方不明となってしまうようなものでしかあり得ません。

そういうわけで、話はまったくつながっていないのですが、ぼくは超のつく安全運転主義者です。超安全ウンテニスト。平均的な人間の歩行速度である5km/h以上では自転車を運転しません。速度を出すのは嫌い。そんなんで「格好良い自分を演出」とか「社会のルールに逆らう俺格好良い」とか、本当に阿呆ではないでしょうか。もうこの時点で、相棒に「悪い言葉遣いをしたらダメ、絶対!」と容赦ない制裁を喰らっているところですが、安っぽい反抗ごっこに対する憎しみというのは我ながら不思議なほど根深く強くありまして困ったものです。けれども、金属の塊である自転車と自分の肉体だけで、かなりの重量になります。それで5km/hというのは、まあ、予想外の何かに遭遇したときに対応可能なぎりぎりの範囲です。ぼくは目は悪いのですが動体視力は良いほうなので、道を這う蟻んこだって数mm単位のあざやかなハンドル捌きで避けて走れるレベルです。

けれども土砂降りに遭遇したのです。こういうときはさすがに困ります。さっさと大学へ戻りたい。けれど雨のときこそ用心しなければなりません。みんなヒャーなんていいながら速度を上げて顔は下げて突っ込んでくる。危ないですね。ぼくが最初にいた大学は自転車のマナーがあまりにひどく、学生たちの通り道に「自転車はマナー良く乗りましょう」とかいう看板が立てかけてある。恥ですね。恥辱です。おっとCPUの温度が136℃です。さっきから一向に下がらない。だから土砂降りの雨も良いのですが、雨に煙る向うから時速5km/hの自転車が近づいてくる。しかも背筋を伸ばして顔をまっすぐ前に向け、辺りを睥睨しながら近づいてくる。何のホラーだよ、と思いつつも時速5km/hです。ずぶ濡れで、でも何だかひどく愉快です。

ひどく愉快で、ようやくCPUの温度も下がり、マシンの調子も良くなってきたようです。いちおう今日締め切りの論文がありまして、だいたい1万文字+αなのでそれほど分量はないのですが、まだ3000文字程度しか書いていません。大丈夫なのでしょうか。きっと大丈夫です。安っぽい反抗は反吐が出るほど嫌いです。ルールが与えられたのであれば、そのルールの中で、かつルールを逸脱するほどに勝てばよい。判りやすい敵、判りやすい反抗の対象なんて、在るはずもありません。自転車の航行速度は、5km/hで十分です。進路の先にいる小さな虫を避ける極わずかな足捌きに、ぼくにとっての反抗が存在します。

Stay normal

ある日、雑務を片づけるために神保町を歩いていました。土曜日の昼過ぎ、道はなかなかに混んでいます。ぼくは何しろ地味で目立たないという才能の持ち主ですので、どんなに混雑している通りでも、ひとにぶつかることなく、ひとの進路を妨げることなく、空気のように歩いていきます。すると向こうから、何かの圧力のようなものが近づいてくるのに気づきました。人びとがその圧力に押されるように左右に分かれていきます。見れば、夏場であるにもかかわらず、おそらく彼の一切であろう衣服を厚くまとったホームレスの男性が、何やら呟き時折喚きながら歩いているのです。道を往く恋人同士、休日出勤の会社員、あるいは近くの大学の学生たちは、みな目を背けるか露骨に嫌な顔をするかあるいは完全に無視をするか、いずれにせよみごとなまでになめらかに、彼を中心とした空白を作りつつ流れていきます。

良くある光景、といえばそれはその通り。けれども、彼の眼をふと見たとき、そこに浮んでいた世界との断絶に、やはり言葉を失わざるを得ないのです。

言うまでもなく、眼は、受動的であると同時に能動的でもある器官です。それは、ぼくらの魂と世界をつなぐ、もっとも直接的でもっとも透明な通路です。けれども、彼の眼は既に、何も受け取らず何も与えない、ただ真黒に燃え上がる怒りの熾火をその向うに見せる分厚いガラス窓でしかありませんでした。それはとても寂しく悲しい光景です。

けれども、こんな言い方が許されるのであればですが、ぼくは、彼を見やるある人びとの眼に浮ぶ嘲笑、軽蔑、唾棄あるいは侮蔑のほうにこそ、よりいっそう深く徹底した断絶を感じます。

ぼくは、別段ヒューマニストでもモラリストでもありません。むしろ相当に低い人間性を持っていることを自覚しています。他人のことなど、基本的には知ったことではありません。自分にとって大切なひと以外と交流するほど人生に余裕があるわけでも、彼ら/彼女らの苦境に手を貸せるほどの才能を持っているわけでもなく、そもそもそれだけの関心をさえ持ってはいません。

それでも、ぼくは、自分と、異臭を放ち無意識のうちに罵詈雑言を垂れ流しながら歩く彼との間に、原理的な差異などまったくないことを知っています。ぼくはいつでも、容易にそちらに踏みだすことができたし、それは恐らく、いまでも変わらないのです。ぼくはたまたま、鈍感で愚鈍で倣岸で、そしてさらに/にも関わらず友人に恵まれていたに過ぎません。彼に対する侮蔑の視線が、もし自分もまたそうなり得ることへの不安の裏返しとしてではなく純粋な蔑視であるとするのであれば、ぼくはその自らは安全であるという無根拠な自信こそ理解できません。

***

昔、ぼくは本ばかり読んでいるような子どもでした。あまりひとと話すこともなく、いつでも本を通して、その登場人物たちと会話をしていました。特に翻訳文学が好きだったので、気がつけば、どこか翻訳調でしか喋れないような人間になっていました。

それに気づいたのは、ずっとずっと後になってからのことです。あるとき知り合い、そしてすぐにとても大切な友人となったひとに、ぼくの話し方のおかしさ(それは異常さということではなく、可笑しさとしてでしたが)を指摘されたのです。そのひとと話すたびに、ぼくは彼女に、そんな話し方をするひとはいないよ、と笑いながら(これもまた、嘲笑う、ではなく、笑うでしたけれども)言われたものです。

そしてまた、当時のぼくは、ある独特なボディ・ランゲージを使っていました。これもまた、他人とまともにつきあったことがないが故のものだったのかもしれません。いまにして思えば我ながら確かに相当奇妙なものでしたが、そのときのぼくとしては極自然にそうなってしまっていたわけで、やはりそれをそのひとに指摘されるたびに困惑し、笑ってごまかすしかありませんでした。

それはきっと、ある種のリハビリだったのではないかと思うのです。そのひとに根気良く、優しく笑いながら指摘され、ぼくは少しずつ、目立たない、普通の人間になっていきました。

普通というのは、けれども、決してありきたりなことでもありふれたことでもありません。むしろそれは、途轍もない幸運と透徹した意志によってこそ、はじめて可能となるものです。いえ、きっとそれだけはまだ足りず、ぼくらはどれだけ努力をし、注意をしても、容易に普通ではないところへと逸脱していってしまいます。ましてや、自分という立ち位置に安穏とし惰眠を貪るような者には絶対に為し得ることではありません。ぼくらは容易に逸脱し、そしていつか、眼が分厚いガラスの牢獄となり、その向うで永劫の火に燻る魂を閉じ込めることになる。普通であるということはそれだけで奇跡であり、従ってバタイユの言葉を真似ていうのであれば、「ただ生きる、そのためには神であることが必要」なのです。

彼とすれ違い、ほんの数歩進んだとき、ぼくの後を歩いていた若者たちが、口々にその匂いや見た目について、口さがなく罵倒していました。心から楽しそうに。ぼくは少し歩を緩め彼らを先に行かせ、その足下を眺めます。堅く舗装された歩道などどこにもなく、見えるのはただ、綱渡りの綱のように危うく崩れた瓦礫の上を、そうとも気づかず、あるいは決して認めずに歩んでいく彼らの姿です。

そしてもちろん、ぼくの足下もまた、何ら変わるところはありません。

――普通でいるということは、やはり、恐ろしく難しいことだね。ぼくは頭のなかで、いつものように、もうそこでしか会話をすることができない無数の人びとのひとりとなったそのひとに語りかけます。――その話し方、変だよ。あたたかなそのひとの声が、ぼくを、この世界にそっと、つなぎとめてくれます。

弘前旅行

弘前に行ってきました。思いがけずねぷたまつりを見ることもでき、ひさしぶりに、仕事と研究から解放された数日間を過ごすことができたように思います。というのは嘘で、ぼくはお祭りの熱狂というのがどうも苦手でして、でもいまの研究テーマは原初的な共同性とは何かを問うことであって、ではこの群集のなかで独りであると感じるのはなぜかとか、そもそもここに現われているのは本当に共同性なのかとか、結局、いつでも頭のどこかでがりがりがりがり、「なぜ」の歯車が回り続けています。

とはいえ、旅行らしい写真はあまり撮れなかったにせよ、バッテリーが切れるまで写真を撮り、ほんの少し、気持ちに余裕が戻ってきたのを感じます。

ねぷた
30mm、F2.0、1/50秒、ISO400、WB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

日本基督教団弘前教会
30mm、F2.2、1/60秒、ISO200、WB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

蓮
60mm、F3.5、1/400秒、ISO200、WB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

天空と鳥
30mm、F11、1/640秒、ISO200、WB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

鴎
60mm、F11、1/500秒、ISO200、WB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

弘前、良いところでした。また来年、訪れようと思っています。

叫ぶ

先日、学部時代の恩師に会いに、自転車に乗って昔通っていた大学へ行ってきました。いま席を残している大学から、ぼくの超安全運転で30分ほどのところです。ひさしぶりに自転車を整備して、のんびり、散歩がてらの訪問です。待ち合わせは、ぼくが最初に通っていた大学。どうもぼくのようにあちこちの大学を流れてきた人生を送っていますと、このような場合に分りやすい表現をするのが難しくなってしまいます。などと書くと本当にそう受けとめられてしまって悲しいのですが、なかなかどうも、レトリックというのは難しいですね。

それはともかく、約束の時間より少しだけ早く到着したので、大学食堂前にあるベンチの脇に自転車を停め、しばらく、ベンチでぼんやりとしていました。背中側には、昔、ぼくらが人形劇をしていた部活棟があります。いまはすべての部屋が暗く、まだ使用しているのかどうかも定かではありません。ぼくは別段、その部活に対しては何の感傷も義理もありません。そもそも感傷を覚えるような人間でさえないのですが、しかしそれでもやはり心にかかるものがあるとすれば、それはあのときあの場所を共有していた誰かさんたちに対してだけであって、抽象的な集団なり歴史なりではない。だから、ぼくらが昔、講義にも出ず(出なかったのはぼくだけですが)日がな一日無意味なお喋りに興じていたあの部屋が死んだような薄暗さに沈んでいるのを見ても、特に何も感じません。

頭痛薬を飲み忘れたので、落ち窪んだ目で虚ろに空を眺め、ベンチにだらしなく凭れて口を開けているぼくを、若い学生たちが胡乱気に眺めながら歩いていきます。彼らが入っていく食堂も、もう、ぼくと相棒がバイトをしていた食堂ではなく、そしてまた大学をやめてからだいぶ経って、友人の披露宴の司会を相棒とふたりでやったときの食堂でもありません。ずいぶんと長い時間が経ったということでしょう。その自覚もないまま、昔はなかった小奇麗な広場の小奇麗なベンチに、死んだように肢体を投げ出しているぼくがいます。

***

最近、叫ぶことがなくなったなと、ふと思いました。じゃあ昔はそんなに叫んでいたのかといえば、実際、ぼくらは子供のころ、些細なことですぐに叫んでいたように思うのです。それは、そのときのぼくらでは言葉として表現できないような、けれど表現せざるを得ないようなナニモノカに出くわしたとき、そしてぼくらは毎日、毎瞬、そういったナニモノカかに出くわしていたのですが、その訳の分らない感動に突き動かされるままに、その衝動そのものが叫びとしてぼくらの口から湧き上がっていたのではないでしょうか。

大人になるにつれ、ぼくらは、そういったナニモノカに「形」を与える術を覚えていきます。それが大人になるということで、それが社会性を持つということです。誰もが共有できる「形」。衝動を衝動として、感動を感動として、誰に伝えようとするのでもない生の衝撃として、叫び声としてそれを発する。そんなことをすれば、ぼくらは普通に、この社会から外れたものにならざるを得ません。そうならないために、ぼくらは自分の心の内側に向け、複雑怪奇な迂回ルートを、解析不能な変換機構を組み上げていきます。そういった緩衝材を経て現われたとき、すでにその原初的な衝撃は、おやおや不思議、規格化され製品化され共有可能な、この社会の構成部品のひとつになっています。

ずいぶん以前の話ですが、キレやすい17歳とやらが社会的な問題となっていたとき(しかしぼくは、それは社会的な虚構に過ぎないとも思っていましたが)、井上ひさしが新聞に書いていたことが印象に残っています。正確には覚えていないのですが、若者たちがキレるのは、自分の感情を「キレる」としてしか表現できないからだ、というものでした。これは卓見だとぼくは思います。キレる17歳が事実かどうかはさておき、人間が自分の感情を自ら分析できないことの危険性は、間違いなくあります。何だか分らない怒り、何だか分らない不安、何だか分らない悲しみ。そういったものも、自己を冷静に客観視し、言葉で切り刻んでいけば、案外、その正体はごくありふれた、つまらない、ささやかなものであることが多いでしょう。そうして、そのように暴かれてしまった何かは、解決はできないにしても、少なくとも他者と共有でき、共感されるものになるかもしれません。

これは、とてもとても大事なことです。言葉の変化を嘆くひとがいますが、恐らく、それ自体は別段問題ではない。若者言葉というのが低俗化する一方だというのは、いずれにせよ、いつの時代にも語られてきたことでしょう。もし問題があるとすれば、若者であれ老人であれ、自分の中に渦巻く光の届かない粘つくうねりを、鋭く切り取り解剖するだけの精緻な刃を持った言葉を持っているかどうか、そこにこそあるはずです。

そして同時に、それでもなお、ぼくらは言葉だけでは自分のなかにあるすべての衝動、名づけようのない混沌、すなわちナニモノカを征服することはできません。そもそもそれは、「征服できないもの」としてのみ定義される定義不可能なものなのです。それはつねに、ぼくらの身体として、ぼくらの魂として、そしてぼくらの素振、誰かに向ける視線、息遣いのなかに在り続けます。

だからこそ、演劇や音楽、あらゆる芸術、人間との関係性、あらゆるものとの唯一、一回限りの無限の関係性をぼくらは求めます。

けれどもそれが社会のなかに現われた瞬間、それは他者と共有可能な、言葉として表現される(自然言語かどうかはともかくとして)商品に置き換わっていってしまいます。

ぼくらは、ぼくらの中心に在り続けるナニモノカを閉じ込めます。閉じ込められないにも関わらず閉じ込め、閉じ込めることによって初めてひととして定義されるぼくらは、従ってつねにその存在それ自体が矛盾に曝され続けています。

***

弾けもしないコントラバスの、調弦もしていない弦を、いつまでもはじき続けること。何を描くべきかも分らないまま真っ白なカンヴァスに叩きつける最初の一筆。

それは、酔って大声を張り上げるのでもなく、カラオケで濁った声を轟かせストレスやらとを発散させることでもなく、仲間内でけたたましく莫迦笑いを響かせることでもありません。

ぼくは昔、仲間たちと一緒にけれど独りで、独りでけれど仲間たちと一緒に、発声練習のふりをして部活棟のベランダから薄暗い木立に向かって叫んでいました。

最後に本気で叫んだのがいつだったのか、もう、思い出すこともできません。

原初の混沌として在り続ける、極身近な、けれどまったくありきたりではない何かに触れるたびに爆発的な官能と喜びに震えるそのナニモノカを解き放 つ。ジェリコの城壁を打ち崩した角笛のように叫び声が魂の鎧を壊し、眩い光が差し込んでくる。

叫ぶこと。そして叫ぶこと。そしてなお、叫ぶこと。