眼鏡を新調しようと思うんだ。良い考えじゃないかな。

いろいろ書きたい言葉はあったけれど、そんなものはみな消えてしまった。けれども、それでいい。何でもかんでも残そうと思えば残せる。けれども、それはとても寂しいことだ。そうして、消えるものが消えるままにまかせることもまた、寂しいことだ。だけれど、それはほんとうは諦念なのだ。どうにかできる、どうにかしなければと思っているのなら、そこには醜い自己愛しかない。

きょうは相棒とふたりで、新国立美術館にメディア芸術祭とかいうものを観にいった。場所も名前も、ぜんぶ違うかもしれない。ぼくは固有名詞がまともに覚えられないけれど、大した問題ではない。行って、観て、帰ってくることができる。ともかく、メディア芸術祭だ。そうだ、文化庁メディア芸術祭だったかもしれない。「文化庁」「メディア」「芸術」「祭」。いろいろ莫迦かと思うが、そういうぼくだって莫迦なのだ。卑下でも自嘲でもなく、それはそれでリアルだ。

面白いものもあった。糞のようなものもあった。古いものもあった。新しいものは例外を除いてほとんどなかった。個人的には、芸術的には、致命的。的、的、的。所詮はお役所の名を冠したものだ。けれども、隠しようもなく、何かが起きている、その予兆のような、微かな匂いはあったかもしれない。それはそこにあった「作品」よりも、むしろそれを観に来ていたひとびとの総体のうえに漂っていた。かもしれない。違うかもしれない。ただ少なくともその予兆は、良い意味ではない。良い意味だとしたら、むしろそれは救いようがなく悪い意味だ。悪い意味ならそれはリアルで、ぼくはそのリアルが好きだ。

途中で頭痛が始まった。最近、休む時間がなかったし、無理が出たのかもしれない。痛みのあまり身体が動かなくなる。彼女に手を引いてもらって歩く。喫茶店で彼女の声に耳を傾ける。身体も傾ける。まわりの糞のような下品な音に掻き消され、よく聴こえない。寂しいことだ。それならお前はどれだけ上品なのかと問われれば、そうではない。下品で糞で、しかもタフではないというだけだ。それはほんとうにどうしようもないことだ。

少し前、一年ぶりに友人の彫刻家に会った。ずいぶんとたくさんの話をした。彼女を除けば、いまのところ唯一関係が残ったひとだ。ぼくら三人の関係は思えば奇妙なもので、誰かひとりが欠けてもアンバランスになるかもしれない。彼の家で三人で話すのは、数少ない、周囲の音に煩わされずに済む空間であり時間だ。何かやりなよ、何かやろうよ、と彼がいう。漠然としているけれど、その問いの意味は途轍もなくシリアスでシビアでリアルだ。

査読に応答した論文を提出して、受理された。しばらくして読み返してみるとと、自分でも何を書いているのかよく分からない。けれどもまあ、そうじゃねえんだよ、という叫びだけはあるような気がする。

所属している研究会誌に掲載する見知らぬ誰かさんたちの原稿を、義理で校正している。もう少ししたら、本業の学会でも校正が始まる。言葉に対する愛のない連中の言葉を校正するという絶望的な作業に絶望する。愛のない言葉を幾ら直したところで、それは綺麗な糞を作るだけのことでしかない。彼ら/彼女らの言葉を書くことへの必然性がどこにあるのか分からず、それが途轍もない恐怖を生む。それは途轍もない、途轍もない、恐怖だ。

recreationっていうのは恐ろしい言葉だ。re-creation。その恐ろしさは畏怖であり、そこには確かにぼくらを魅了するものがある。けれども、ぼくはやはりそれを断る。ぼくはこの世界の糞のような、恐怖に塗れたリアルさに惹かれる。それが何なのか、言葉にしたい。

ストレンジ・アトラクター

あの夏からもうずっとあと、必要な資料を紀伊国屋本店で探していたとき、偶然、笹塚さんに出会った。もう二十代も後半だろうに、相変わらず奇妙な魅力を放っている彼女に、やはり相変わらずぼくは理由の分からない恐怖心を抱く。けれど隠れる間もなく彼女もすぐぼくに気づき、躊躇いもなく近づいてくる。「ひさしぶりだね、元気にしていた?」「おひさしぶりです。まあ何とか生きていますよ。笹塚さんこそお元気そうで何よりです」「また他人行儀なんだから。ぜんぜん変わってないね」そう言って笑うと、せっかくだからどこかでお茶でもしようよ、時間があればさ、時間はあるでしょ、と無理やりぼくを引っぱっていく。その強引さに昔を思い出し、思わず苦笑しながら彼女に連れて行かれる。

世界堂の上にある喫茶店に落ち着き、しばらく互いの近況を話したりする。笹塚さんもぼくと同様、時間に縛られるような生活を送ってはいなかった。だってそう願ってもさ、時間の方が相手をしてくれないんだよね、と、彼女は屈託なく笑う。

しばらく他愛のない話をしてから、やがてそろそろ帰ろうかというとき、不意に彼女が身を乗りだし、避ける間もなく顔を近づけてくる。あの時も感じた、幻想としての彼女の匂いに、思わず身をこわばらせる。「きみってさ、結構、私と似ているんじゃないかなって思っていたんだよね。あのとき一緒にバイトしていた連中はみんなどこか似ていたし、いまはどんどんそういう奴らが増えているけど、でもやっぱり、いまでもきみがいちばん近いと思うんだ。だからさっきも書店ですぐきみに気づいたんだよ」それを聞いてぼくは、ああそうか、そうだったのかと、衝撃もなく納得している。

外に出ればもう夜だが、昼の熱気はいまだに街に篭っている。携帯の番号を交換するとか、何か私たちの柄じゃないよね、という笹塚さんに、会う奴にはどうせまたどこかで会いますよ、と答える。それは彼女に通じたらしく、そうだね、と懐かしげに微笑む。新宿駅へと向かう彼女を見送り、ガードレールに凭れかかってほっと息をつく。彼女に感じていた匂い、目の前を行き交う人びとの匂い、少しずつ世界に拡がっていく匂い、ぼく自身の匂い。ずっと知ってはいたけれど、ようやく分かった。だけれども、それがぼくらの生き方なら、ぼくらはそうして生きていくしかない。道路に開けられた通気口から、地下鉄の空虚な振動が伝わってくる。

あの時走り出したぼくの熱量はまだ残っているだろうか。身を起こすとぼくは、脚に力を込めてみる。怪訝な視線を向ける人びとのなかで軽く前傾姿勢を取り、ビームのように走りだす。

大学二年の夏休みに入ると同時に、ぼくは青山の怪しげな会社でアルバイトを始めた。夏の間だけ借りたという古いマンションの一室がぼくらの職場で、監督役の若い社員が一人居る他は、大学生やら、当時現れ始めていたフリーターやらが十人ほど集まっていた。そのマンションはコンクリートと植物が罅割れを戦場として拮抗し、あと二年もすれば取り壊されるのだと、どこか崩れた雰囲気の社員が言っていた。そいつの趣味なのか、朝から夕方までラジカセでビートルズが流れていることを除けば、胡乱な連中ばかりのなかで、案外ぼくはうまく溶け込んでいたと思う。働き始めて三日目にはビートルズにうんざりし、ぼくらはその社員をイマジンと呼ぶことにした。ぼくらに肉体労働を押しつけ、自分だけは暇そうにしている彼に対するあてつけもあった。

昼休みになれば殺風景な休憩室でコンビニ弁当を食べつつ、他の連中の無駄話に耳を傾ける。たぶん二十半ばくらいだったのだろうが、バイトのなかでも年配の山岸という男がいた。いつも黒尽くめの服に身を包み、世界に対する怯えを虚勢で隠せていると思い込んでいるような下らない奴だったが、下らなさで言えばもちろんぼく自身を含めた誰もが同じだった。山岸はヘビースモーカーで、中途半端に吸い終えた煙草の吸殻を、揉み消しもせずに灰皿代わりの飲み終えた缶コーヒーに突っ込むのが癖らしかった。ある日の昼休み、何を勘違いしたのか、奴はぼくが飲みかけていた缶コーヒーに吸殻を放り込む。「わりいわりい間違えちまったよ」と悪びれもせずいう山岸に、気にしないでいいですよどうせほとんど飲んでましたしと答え、翌日の昼休み山岸が席を外した隙に、やつの空き缶に、切り取っておいたぼくの髪の毛の束を放り込んでから弁当を買いに出かけた。近くの公園で弁当を食べ、昼休みが終わる直前に休憩室に戻ると、山岸に「まじ臭せえよ何してんだよおめえは」と言われ、頭を叩かれる。結構、ぼくらは楽しくやっていた。

六時になればバイトはお終いだ。やる気なくにやけたイマジンに追いやられ、ぼくらは朽ちたコンクリートの匂いを嗅ぎつつ階段を下りマンションを出る。夏の日差しに通りはまだ明るい。少し歩けば青山通りで、青学の正門から流れてくる華やかな学生たちを憎悪しつつ通り過ぎ、渋谷駅に着く前に宮益坂上の中古レコード店を覗くのがいつものルートだ。ポップがべたべた貼られた窓ガラスの片隅にはいつでもバイト募集中の張り紙があるが、ラジオで流れる流行曲を聴く程度にしか音楽に興味のないぼくには関係のない話だ。それでも客の少ないその店は、時間を潰すにはちょうど良く、聞いたこともない外国のミュージシャンのアルバムのジャケットを眺めているだけでも楽しめた。そういえばある日そこでイマジンに遭遇したことがあった。咄嗟に少し離れたところに隠れ観察していると、案の定彼はビートルズが置かれた棚まで真直ぐ進むと、その前でしばらくじっと思案していた。結局、何も買わなかった。

時折ぼくは、バイトのあとに渋谷駅とは逆方向に向かい、青山墓地をうろつくことがあった。このバイトを始めるまで青山墓地など聞いたこともなかったが、ある昼休みに何の目的もなく散歩をしていて、ふいに自分が広大な墓地に紛れ込んでいるのに気づいた。通りから離れた奥まで入ってしまえば、都心の昼時とは思えないほど人気がなくなる。一等地であろうに意外なほど荒れ果てた区画もある。何故かそんなところに居ると、心が安らぐのを感じた。

大学へも行かず、かといって金もないままにアパートで寝転がる。不意に電話が鳴るが、どうせ大学の教務か母親のどちらかでしかないし、そうであれば出るつもりもない。自動で留守電に切り替わり、予想通り母の声が聴こえてきて、盆には実家に帰ってこいと言っている。通話が終わると即座にその録音を消す。

赤字路線の電車の終点からさらにバスで四十分程山道を揺られると、ようやくぼくの生まれ育った村に着く。そんな辺鄙な場所にも拘わらず、意外にしぶとく過疎には縁がない。さすがに大学に行くには都会に出るしかないが、だいたいの連中がまた村に戻っていく。ぼくには信じられないが、まあ、それはそれでそいつの人生だ。帰ってこいと母は言っていたが、それはぼくが出来損ないだからであって、そもそも村の連中は、言われるまでもなく、どこに居ようが盆には村に帰ってくる。何故なら、盆にはぼくらがするべき祀りがあるからだ。

奇妙な目で見られる趣味がある訳でもなし、あまり人に話したことはないけれど、あの村には他では見られない独特の墓地がある。墓地というか、墳墓というか、とにかくそんなものだ。裏山の中腹にせいぜい一反ほどの空き地があり、そこに石で組まれた小さな塔がある。それが村でただ一つの墓だ。塔は中空になっていて、内側は井戸のように深く掘り下げられている。壁沿いには大人がどうにかすれ違えるほどの螺旋階段が刻まれているが、万一落ちれば命はない。実際、何十年か前には祀りの間に死者が出たらしい。それをむしろ目出度いことででもあるかのように村の老人たちは語っていた。気が狂っているとしか思えないが、諏訪の御柱祭だって死人が出るのだ。案外どこでも、それが普通であるのなら普通なのかもしれない。

バイト先のマンションの階段を上っていると、途中に一葉の写真が落ちている。安っぽいポラロイド写真だ。いかにも適当なフラッシュに照らされたその光景が安っぽさに拍車をかけている。既に出社しビートルズをかけながら雑誌を読んでいるイマジンに挨拶をし、始業までの間、控室で缶コーヒーを飲む。やがて笹塚さんが入ってきた。今回のバイトのなかでは唯一の女性で、年齢はたぶん二十歳を少し超えたくらいだろう。年に似合わない妙な色気があり男連中からは人気があったが、ぼくはどうしてだか彼女のことが少し恐ろしく、理由も分からないままに敬遠していた。彼女は荷物をロッカーに入れるとぼくの方にやってくる。「ねえねえ、階段に落ちてた写真、見た?」悪戯っぽい笑みを浮かべて訊いてくるので、「ああ、あの男女がセックスしているやつですよね」と答える。笹塚さんは「無表情でそんなこと言わないでよ」と一頻り笑い転げてから、声を潜めて、「あれさあ、四階の空き部屋にある写真だと思う。凄い変な部屋なんだよ。始まるまでまだ時間あるから見に行こうよ」と言い、興味がないというぼくを強引に引っ張っていく。

ぼくらが働いているのは二階で、三階にはまだちらほら住人がいる。時折コンビニの袋を下げた外国人を見かけるし、奥には医院まである。黄ばんだカーテンがいつも引いてあり、いまでも開院しているのかどうかは分からない。一度だけカーテンの隙間から覗いたことがあるけれど、白衣を着た老人が東欧のコマ撮りアニメに出てくる人形のような動きで、黄ばんだ光のなかを歩いていた。それが四階になると、もう完全に廃墟だ。以前山岸とふたりで行ったのだが、開きっ放しの扉の向こうに明らかに不法に住み着いている誰かの雰囲気があったり、床に得体のしれない液体がぶちまけてあったりして、ぼくらは早々に引き揚げたのだ。けれど笹塚さんは度胸があるのかどこかおかしいのか、平気な顔で空き部屋の一つに土足のまま入っていく。当然電気は通っていないが、塵の散らばった部屋には朝日が差し込んでいる。「ちょっと、大丈夫なんですか」「平気平気。日中は誰も居ないっぽいし」と答え「ここ、見てごらんよ」と開いたガラス戸の向こうのユニットバスを指す。見るまでは解放されそうもなく、仕方なく風呂場に足を踏み入れ覗き込んでみる。黒ずんで汚れた風呂桶の底には、階段にあったのと同じような写真が何百葉となくばら撒かれ積もっていた。その数自体がすでに狂気だ。そして見える限りそのすべてに、この部屋だろうか、ベッドの上で濡れて交合する男女の姿が、形を変え幾度も映しだされている。周囲は薄暗く、計算もなく焚かれたフラッシュに肌が蒼白く浮かんでいる。深海で見る悪夢のような情景。いつの間にか隣に来ていた笹塚さんが、狭いバスルームでぼくに身体を寄せつつ囁く。「ね、きっとこの写真を誰かが持ちだしたんだよ。それとももしかしたら、誰かが定期的に写真を補充しに来ていて、あれは途中で落としちゃった一枚なのかもしれないね」確かに彼女の言うとおり、底にある写真は酷く汚れ、上にあるものほど新しく見える。だが写っているのは恐らくいつも同じベッド、いつも同じ二人だ。「ね、凄く変でしょ」笑顔で呟く彼女の身体に、ふとぼくは死臭を感じる。ぼくの知らないぼくが嗅ぎなれている匂い。薄暗い風呂桶の底の薄暗い写真のなかへ、ぼくは墜ちていく気がする。

東京の大学に入るまで、ぼくはあの村で過ごした。数えで十四歳を過ぎると祀りに参加できるようになるのだが、それが子どもながらに誇らしかったのを憶えている。けれど祀りといっても、実際のそれはむしろ土木工事に近い。塔の下に伸びる深い竪穴の壁面には、螺旋階段沿いに無数の窪みが掘られており、その一つ一つに死者の遺骨を納めた壺が置かれている。どれが誰の壺だったのかは時が経つにつれ忘れられていくが、墓そのものが一つしかないのだから、そんなことを気にする者はいなかった。一年が巡る間に誰かしらは死者の群れに加わる。窪みはいつでも壺と同じ数しか作られないから、祀りになるとぼくらは穴の底まで降りて行き、さらに深く掘り下げ、螺旋階段を刻み、新たな死者の分だけ壁に窪みを穿つ。

遙か昔から引き継がれているという祀りの手順は単純なものだ。十四歳以上の村人が宮司を先頭に一列となり塔に入る。塔のなかでは決して声を出してはいけない。まずは螺旋階段を下りながら、先頭の宮司が一定間隔で壁に灯燭をともしていく。太く長い蝋燭が一つともされるたびに、後ろの者から前の者にまた一つ、蝋燭が手わたされていく。そうして穴底に辿りつくと小さな麻袋を満たすくらいに土を掘り起こし、それを背負って階段を上っていく。下りは壁に沿い、しかも底は完全な暗闇なので恐ろしさもさほど感じないが、帰りは細い螺旋階段の端を上り、底も薄暗く見えているので、酷く恐ろしい。

必要なだけ穴を深くし、死者の数だけ窪みを掘ると、次には骨壺を移していく。ぼくらは再び一列に並び、一人が一つずつ、新しい死者の数だけ壺を穴の底に向かってずらしていく。当然、いま生きている人びとよりも死者の方が多いから、すべての壺を移動し終えるまで、ぼくらは何度でも地上に戻り、また地下へ降りることを繰り返す。

だから、最も古い骨壺が、いつでも穴のいちばん底にあり、最も新しい死者の壺が、いちばん地上に近いところにあることになる。最初の死者の壺には宮司しか触ることが許されず、老人たちはそのなかの死者のことをでぇじばぁ様と呼び、殊に敬意を払っているようだった。

バイトの仕事内容は相変わらず意味不明なものだった。どこからかトラックで定期的に運ばれてくる大量の段ボールに、建物の図面のようなものが詰め込まれている。そこに書かれた記号を見ながら機械的に分類し、ファイルに綴じ、再び別の新しい段ボールに詰める。それをトラックがまた持ち去っていく。とは言え、あからさまな違法行為でない限り、給料さえ支払われるのなら、ぼくにはどうでも良いことだった。相変わらずにやけたイマジンは朝からビートルズを流し、笹塚さんはコケティッシュな笑顔を振りまき、山岸は煙草を中途半端に吸っていた。ぼくは青山墓地を歩き回ることが多くなっていた。夏はいよいよ暑く、蝉の鳴き声も断末魔の叫びでしかない。ある日の昼休み、普段とは違う小道を進んでいくと、小さな墓石が草叢に倒されている。ありふれた御影石の墓石に某家代々の墓とありふれた苗字が刻まれている。それほど古いものではなさそうだった。見る限り周りに墓石のない墓はなかったから、どうしてこんなところに打ち捨てられているのかは分からないが、不思議と陰惨な感じもなく、むしろ照りつける日差しの下、強烈な生命力さえ感じさせていた。磨き抜かれ透明にさえ見えるその石は内部で光を束ね、籠められている魂を強力なビームとして空に放つ。そんな空想をしてみる。

仕事が終わり、中古レコード店で時間を潰し、渋谷から東横線に乗って家に帰る。留守電のランプが点滅している。再生すると、教務からの呼び出しと盆には帰ってこいという母からの伝言だけが残されている。そのどちらも消去し、TVをつける。深海の生き物が映しだされ、その風変わりな姿をしばらくぼんやり眺めている。

祀りに参加して三回目の盆、十五歳のとき、ぼくは墜ちた。前日から少し熱があるのに気づいてはいた。祀りに参加するのは強制ではないから、理由があれば参加しなくとも責められることはない。けれど当時のぼくは大人になるということへ憧れ、日常では感じることのできないその責務を果たすことを、何より大事に思っていた。そして無理をして土を詰め込んだ袋を背負い螺旋階段を上っているとき、一瞬、重力を失い、気がつけば物凄い勢いで土壁が迫り上がっていく。いや、ぼくが墜ちているのだ。けれどぼくが恐怖したのは墜ちていることではなく、墜ちていくぼくを見つめる人びとの、無表情な、けれどどこか狂おしいまでの官能に満ちた目つきだった。

結局、どうしてだかぼくは掠り傷一つ負うことはなかった。地面に叩きつけられた瞬間の記憶がなかったぼくは、幾度かそのときのことを訊こうとしたが、大人たちは何も答えてはくれなかった。それから三年間、どこかずれた気持ちを抱えたまま過ごし、大学合格と同時に村を出た。ぼくがあのとき死ななかったのは、決して奇跡などではない。あの村の連中も、そしてぼく自身も、きっとどこかでそれに気づいている。

いよいよ盆も近づいてきたある日、ぼくらが働いていると、隣の部屋からイマジンが怒鳴る声が聞こえてきた。「そんなにやる気がねえんなら辞めちまえよ、こっちは人手は足りてんだよ!」どうやら、遅刻が増えていた山岸に、ついにイマジンが切れたようだった。だが、山岸も負けてはいない。「朝から晩までビートルズ聴かされる身にもなってみろよ! イマジンしろよ!」と怒鳴り返している。イマジンしろよ、のところでぼくらはみな思わず笑ってしまう。好きな音楽を貶されたら余計に激怒するんじゃないかと思ったが、イマジンはなぜか急に冷静な口調に戻ると、「じゃあきみきょうで馘首ね。きょうまでの賃金は払うから。ご苦労さまでした」という。何故か山岸も丁寧に「あ、どうもお世話になりました」などと言っている。しばらくして作業場に顔を出すと、山岸はぼくらにニヤッと笑いかけ、「じゃ、そういうことだから。会う奴にはどうせまたどこかで会うだろ」とだけ言うと、控室に置きっ放しだった荷物を取りまとめ、さっさと出て行ってしまう。その身軽さを少しだけ羨ましく感じる。

仕事を終え、ひさしぶりにまっすぐ渋谷駅を目指す。楽しげに囀りながら正門から溢れてくる学生たちに呪詛の言葉をひっそりと投げ当てつつ、そういえば俺もまだ学生なんだよな、と思う。何となくレコード屋を覗く気分でもなく、宮益坂上の交叉点を通り過ぎようとすると、通りに面したビルの段差に腰を下ろし、例によって空き缶を灰皿代わりに煙草を吸っている山岸が居た。よお、と手を挙げる彼に近づき、何をしているのかを問う。「いやお前を待ってたんだよ。あのマンションの前で待ってると他の連中に会っちまうし、それも何だか恥ずかしいしさ」そう言うと、ほら、とぼくに缶コーヒーを放り投げてきた。咄嗟に掴み、その冷たさから、彼の意外な繊細さに気づく。「何ですかこれ」「前にさ、お前の飲みかけのコーヒーに間違えて吸殻入れちまっただろ、その弁償だよ」と言う。律儀な男だ。彼の隣に腰を下ろし、缶の口を開けながら訊ねる。「それで山岸さん、バイト辞めてどうするんですか?」山岸は笑って、「実はもう次のバイト決まっているんだよね。知ってるかどうか知らねえけど、そこの角にある中古レコードの店。俺音楽好きだし、ある程度だったら自分の好きな曲流してもいいって言うしさ」そうなんですか、と相槌を打ち、缶コーヒーを啜る。「そうだ、コーヒーのお礼に一つ良いことを教えましょう」「何だよ」「あのレコード店、時折イマジンが来ているみたいですよ」「マジで?」「マジです」うんざりした表情を浮かべた山岸だったが、やがてそれを苦笑に変える。「ま、イマジンが来たらビートルズでもかけてやるさ」そうしてしばらく無駄話をしてから、ぼくらは別れた。

夜、電話が鳴る。留守電の向こうで、母が盆には帰ってこいと、留守応答の合成音声よりも無感情に喋っている。よくよく聴いてみれば、そこには戻るはずのない誰かに呼びかける者の諦念が込められている。あの村でともに育った誰もが、育ててくれた誰もが、ぼくにとっては既に死者だった。死者による死者のための祀り。そして彼らからすれば、ぼくこそが死者だった。母の声は死人の呟きに聴こえる。けれども、母はきっと、死んだ息子に届かない声で語りかけているのだろう。ふと、無表情にレンズを見つめる、何万年も姿を変えないで生きてきた深海魚を想いうかべる。宮司に運ばれる壺のなかのでぇじばぁ様が、ぴちゃぴちゃ、ぼくには分からない言葉で何かを喋り続けている。そうして途切れることのない軌跡を残しつつ、どこまでも深く降りていく。

別れを告げたあと、少し歩きかけてから山岸が振り返り、やけに透る声でぼくに言った。何だかさ、こんな街でこんな生活をしていると、どこまでもどこまでも続けられるんじゃないかって気がしてこねえか? 俺たちは不老不死なんだ。実際、俺はもう始まりがいつだったかなんて憶えちゃいないし、いつ終わるかも想像できない。問いかけるような彼の眼差しに、少し考えてからぼくは答える。どうでしょうね、いややっぱりぼくらは、きちんと年取って、きちんと死ねると思いますよ。そう願いましょうよ。でもって最後は空に向かってビームみたいに魂を打ちだすんです。こう、ばばっとね! そうして、踊るようにステップを踏み、大げさに手を拡げてみせる。山岸は呆れたような顔をするが、やがてにやりと笑い、そうか、ビームみたいにばばっとか、と言うと、もう振り返ることもなく再び歩きだす。

会う奴にはどうせまたどこかで会う。しばらく自分の影を相手に残りのステップを踏んでから、ぼくはビームのように走りだす。

人間の匂い

大掃除の合間に辞書の原稿を書いています。けれども老骨に鞭を打ちすぎたのか、ここ数日の労働ですっかり腰を痛めてしまいました。原稿のバージョンを上げるたびにレーザープリンタを部屋の隅から持ち出してきて印刷をするのですが、変な拳法の使い手のように身体をそろそろとくねらせ、たった一枚プリントアウトし、律儀にまたそろそろとプリンタを部屋の隅に持っていきます。

* * *

投稿論文の査読が戻ってきました。ひとりの査読者の査読コメントはどうしようもない質でしたが、もうひとりの査読者はぼくの論文本体に匹敵するくらいの分量のコメントを書いてくれ、読んでいて楽しいものでした。基本、掲載は確定しているのですが、できる限りコメントに応答できるよう、期日まで手を入れていこうと思います。

何だかんだで、それなりに研究をしているような気がします。何だかんだで、それなりに哲学をやっているような気がします。仕事先からはいつまでこんなふらふらした生活をしているのかという圧力を受けますし、老後どころか五年後のことを考えれば会社の言っていることの方が正しいのは分かります。最近ますます、自分のなかにある「明るい自暴自棄」みたいなものが大きくなっているのを感じます。まあ、それはそれで仕方のないことです。明るい自己肯定なんて薄気味の悪いものに比べれば、数段マシなことには違いありません。

資本主義市場経済システムと情報技術と、人間を抽象化してしまうという点において何が違うの、と訊ねられ、それ自体で完全に自足し抽象化された空間でぐるぐると渦を巻き溶けていく貨幣=金融のイメージが湧きます。それは人間を苗床にして生まれた何かなのですが、けれどもその美しいまでに純化されたデータの渦に、もはやいかなる人間の痕跡も残されてはいません。くんくんくんくん、犬のように利く鼻で人間の匂いを辿り、やっぱり居ないなと確認して巣穴に戻ります。

だけれども、情報技術がコミュニケーションと結びついている限り、そこには必ず人間の匂いが残されています。無論、それは良い匂いなどではなく反吐が出そうになるものです。情報技術なんていうものもまあ、阿呆な技術論者でもない限り誰もが知っているように、糞のようなものです。糞のなかから胸の悪くなる匂いを探しだす。その嗅覚のない人間があまりにも多すぎます。悪趣味なようですが、決してそんなことはありません。何故ならそこで問われているのは、単に在るか無いか、ただそれだけだからです。

どんなに糞でも、そこに人間の匂いがある限り、それは糞のような人間の世界であり、糞のような人間が存在しています。けれど、最近、徐々に人間の匂いがしない世界が拡大してきているのを感じるのです。人間だったものから、生命を持たない無数の生命が羽化し、飛び立っていきます。

* * *

腰が痛くて眠れないまま、布団のなかで奇妙に丸まりつつ、来年の研究テーマがどこからか降りてくるのをじっと待ちます。自分でもある程度納得のいく論文としては、存在論で3本、情報論で3本、他者について考えてきました。これからしばらくは芸術にシフトしつつ、人間の匂いとしての他者が消え始めている「芸術」について、つらつらと考えていこうかななどと夢想しています。

登山靴を洗ったんだ

ひさしぶりに本業の忙しい日々が続いています。忙しいといっても泊まり込みではありませんし、どうということもないのですが、いいかげん髪の毛を切りたいのに床屋へ行く時間がなく、ぼさぼさのもさもさで会社に行きます。髭を剃り忘れたことに気づき、よけいに気持ちがもそもそします。帰り道、時期が時期であるだけに、電車には酔っ払いがあふれ、彼らのなかからは別のものもあふれ、それを眺めていると気持ちが落ちこんだりします。駅を出て暗い道をてくてく歩きながら彼女に電話をして、年末が近づくたびに酔っ払いの身体からでてきた何かが歩道橋に増えていくんだ何か理由があるのかな、などというと、彼女が笑いながら、何だか嫌な冬の風物詩だねえ、と言います。心が少し軽くなります。

それでも、忙しい忙しいといいつつ、きょうはお休みをもらい、年末締切の辞書項目を書くための資料をそろえたりしていました。そうして、夕方、登山靴を洗いました。登山靴を洗うと、なぜだかとても幸せです。体調はいまひとつですが、それでも履きなれた登山靴があれば、どこまでも歩いていくことができそうな気持になります。

今年は、論文を二本と論文もどきを一本、同人誌に誘われそれ向けに短編を二本(一本は没原稿になりましたが)、あとは単著の原稿をまとめはじめ、これから辞書原稿を書き、年末年始にはベンヤミンで一本書こうと思っているので、なかなかに良い年だったのではないかと思います。講義も、三年目にしてようやく少しは満足できる質になってきました。

けれども、肝心のことは、何もできませんでした。肝心のことって、何でしょうか。それは、毎日登山靴を洗うような生活です。いえもちろん言葉通りということではありませんけれど、でも、そういうことです。

論文に使う自分にとって美しい一文が思い浮かび、原稿の端にそれを書き込み、ひとりでにやにやしたりします。けれども、それがいったい何なのかといわれると、何でもないのです。まっとうな人間としてすべきまっとうなことなど、何もしませんでした。

夕食後、相棒と、クロマニヨンズを歌ったりします。腕をもぞもぞと動かして、ばばんばーん、と歌います。人気者チーム? 彼女がそう訊き、人気者チーム! とぼくが答えます。

きょうは最高の日だ。

相変わらず人生豆腐モードで、豆腐メンタルにナイフ一本でもう魂が真っ赤だぜという感じですが、何とか元気にやっています。女子大では昨年までと教室が変わり、何故か男子トイレのない講義棟になってしまいました(あるのかもしれませんがよく分からないしトイレを探してウロウロするのも逮捕されそうで怖い)。仕方なく、休み時間になると勝手を知っている遠くの本部棟まで手洗いに行きます。休憩は10分しかないので走って戻ってきて、ハァハァと息を荒げながら「じゃあこれから(ハァハァ)きみとぼくの間に生まれる(ハァハァ)責任=倫理について考えてみようかフヒヒ」などと言ったりします。それでも、講義でレポートを書いてもらうときに「何を書いても舐めるように(「舐めるように」はホーミーで発声する)読むから自由に書いてねフヒヒ」と言ったら「先生の講義わりと好きです」とか書いてあって「わりと」かよと思いつつ、それでもけっこう嬉しかったりします。

先日、ガイガーカウンターを買いました。SOEKS-01Mというもの。ピコピコと計測しているのを眺めていると、ああほんとうにこの世界はSFだよなあという気持ちになります。でも、そのリアリティのなさこそが、ぼくらにとってのリアリティなのだと思うのです。自分自身、哲学と呼ばれているもの(あるいは自分でそう名乗っているもの)をやっていて何ですが、哲学と呼ばれているもの(あるいは自分でそう名乗っているもの)の大半が屑であるのは、「いま・ここ」を「いま・ここ」として扱う覚悟があまりにもなさすぎるからです。

これまた先日、講義で使おうかと思って”LIFE IN A DAY”を買いました。結局講義で使うのはやめたのですが、そのなかで印象に残ったシーンがありました。状況はちょっとよく分からないのですが(何しろ原稿を書きながら横目で一度観ていただけなので)、ハンディカムを持った女性が夜の公園に行き、酔っぱらった男性に話しかける場面です。それが何故だか凄く良いんですよ。その酔っぱらった男が、公園のベンチで独りでぐでぐでに酔いながら、話しかけられて、「きょうは人生で最高の日だ」とか何とか繰り返し喋っていて。それだけですし、そもそも記憶がいい加減なのでぜんぜん違うかもしれないけれど、ともかくその雰囲気がとても心に残っているのです。何となく分かる気がします。それは、最高の日ではない。最低の日だし、最低の日々です。きっとね。だけれども、それでもそれは、やっぱり最高の日なんです。

それがリアリティだと、ぼくは思うのです。それをどう批判されようと、そんな言葉には力がない。その瞬間、きょうは最高だというその最低で最高の瞬間、ただそれだけ。そうして、それだけでいいんです。

I say hello to my soul

相棒の借りてきた本に、体力やら柔軟性やらバランスやらを測るテストが載っていた。筋力と柔軟性には問題なかったが、バランス感覚は致命的だった。目を瞑り、片足立ちをして上げた足の裏を軸足の膝脇あたりにつける。0.5秒でバランスを崩した。

最近は、彼女と夕食を作ることが増えた。いや、いままでだってできる範囲では手伝っていたのだけれど、言われるままに簡単な作業をするのがせいぜいだった。けれども、いまはけっこう主体的に、クックパッドなどを参考にしつつ料理をしたりする。ぼくはすべてを独りで準備して彼女に食べてもらいたいのだけれど、彼女は一緒に作りたいという。鶴の恩返しのように台所に篭り、彼女が近づいてくると裏声で「コナイデ! ミナイデ!」と叫ぶのだけれど、やはりそれはだめらしい。

いま、何故か声をかけてもらった××という集まりに参加している。正直、ぼくの研究上の立ち位置とはずいぶん違う集団なんじゃないかという気がしているのだけれど、でも、自分の殻が並外れて硬いのは知っているので、そういうところに混じるのも何かしら必然なのだろうと思っている。ともかく、なかなか、そこのリズムに合わせるのは難しい(そうしてまた、意識的に合わせようなどとすることに意味はないのだろう)。

それとは別に、ある糞のようなテーマで原稿依頼が来て、しばらくどう書いたら良いのか苦しんでいた。けれど、ある瞬間ふいにタイトルが思いつき、それで全体が見えて、少し楽になった。ものすごく喧嘩を売っているようなタイトルになってしまったけれど、それはそれで仕方がない。器用な生き方ができるのなら、いまごろ庭付きの家で、子どもと犬にでも囲まれて暮らしている。

ともかく、先に書いた××の一人にそのタイトルのことを話したら、それってすごく××的で良いじゃない、と言われた。××に向けて書いた原稿は××っぽくないと批判をされるのだけれど、そうじゃないところに向けて書こうと思っていることが××っぽいと言われるのは、何だか純粋に面白い。たぶん、無理に合わせるとかではないところで、××に誘われた理由としての通奏低音みたいなものがあるのだろう。

LAMAのParallel SignのPVが気に入って、何度も眺めている。独りで論文や講義のレジュメを書いているのに飽きると、画面の向こうの人びとと一緒に踊ったりする(上半身裸で近づいてくる男のシーンが特に良い。ズームアップに合わせ、ぼくも同じように踊りながらモニターに近づいていく)。途中、お爺さんが砂時計をひっくり返しているシーンが短く挿入されるのだけれど、ぼくはそこがとても好きだ。そこには、老いることの寂しさ(でも、それは個人の感情としての「寂しさ」を遥かに超えて、魂に対する愛しさともつながるものだ)と同時に、すべてを受け止めているいま、この瞬間が顕れている。

憎悪は、簡単に自分自身を吹き飛ばす。この数か月、多くの物事に対する嫌悪と憎しみを募らせた。それは物理的なもので、ストレスなどではなく、直接体調を悪化させる。仕事も研究仲間との付き合いも、そろそろだいたい破綻しかけているのを感じる。まあ、嘘と笑顔だけで何十年も生きてきたので、何だかんだいってもまだまだ粘るのかもしれない。けれども、所詮はみな、下らない現世のできごとだ。戦うべき姿は救いのない日常へ戻るジョバンニのなかにあるが、それはおしるこ万才を意味するのでは決してない。その違いが分からない者には、何を言っても通じはしない。

夜、家に帰る途中、裏山の階段でがさがさと草叢を何かが通っていった。あれは絶対にヤマカガシだった。

穴の開いた傘

いまはもう零時を過ぎ、明後日始まる後期の講義が、既に明日始まる後期の講義になっています。会社から帰宅後、レジュメを手直しして、印刷し、ホッチキスで留め、気づいたら深夜になっています。外では雨が降り続き、寝不足のまま明日も山積みの仕事を片づけるのかと思うと少々憂鬱なのですが、まあ、講義自体は楽しいことですし、どこかしらから体力と気力を前借しつつ、乗り切っていくしかありません。

いまはもう寝床に潜りこみ、真暗ななかでキーボードを叩いています。最近はストレスのせいか体調はいまひとつで、夜中から明け方にかけ、しばしば痛みで目が覚めてしまいます。いま、叩いている途中で眠ってしまい、例によって痛みで目が覚めました。痛みの少ない体勢になるように、座布団や枕を組み合わせて鋳型をつくり、そこに身体を流し込みます。自分が遙か古代の銅鐸にでもなったような気がして、思わず苦笑しながら、ふたたび眠ります。

いまはもう明け方です。さっきまで見ていた悪夢のせいで、いまだに心臓が激しく脈打っています。悪夢のなかでぼくは、路上に打ち捨てられた穴だらけの傘を拾いました。それが生き残るためのアイテムであることをぼくは直観していましたが、夢のなかでは不思議と、なぜ生き残らなければならないのかなどとは一切自分に問うこともなく傘をつかんでいました。たとえ悪夢であっても、そのシンプルさには心が休まります。

いまとなってはもう取り消しようのないものごとのつらなりの先に、いまのぼくがいます。暗闇のなかで不安定に揺れる鼓動と雨音の重なりに耳を澄ませていると、そんなものごとたちがじっと、ぼくを見つめているのが見えてきます。ぼくもじっと見つめ返します。多くのひとには糞のような愚かさと失敗ばかりの人生に見えるかもしれませんが、結局のところ自分の弱さは自分の弱さですし、自分の愚かさは自分の愚かさです。それはそれで、その全体を引き受けるしかありません。ぼくらはみな、責務としてではなくたんなる事実として、生きている限りにおいてどうしようもなくそれを引き受けています。

いまだにぼくは、案外能天気に、生き延び続けたりしています。ゲームでもあるまいし、この世界には生き延びるためのアイテムなど落ちているはずもありませんが、悪夢のなかで拾ったあの穴だらけの傘は、いつだって、かたちを変えて、ぼくの心のどこかに落ち続けているのでしょう。