きみに生きる価値はない

先日、相棒に頼まれた用事があり、めずらしく都心を歩き回った。混雑した街中を歩くのは、好きではないけれど、だからこそ普段目にしないようなさまざまなできごとに遭遇する。あるデパートのなかを歩いていたとき、端のほうで何やら騒ぎが起きていた。店員らしきふたりの男女が、暴言を吐きつつ暴れる客の女性を抑えつつ、バッグの中身を確認しようとしている。要するに、万引きの現場を押さえられたらしい。店員側の態度は暴力的なものではなかったし、また、これはあくまで印象だけれど、客(と呼べるかどうかはともかく)の女性の態度は無実のものとは到底思えなかった。繰り返すけれど、これはあくまでぼくの推測であって、事実はまったく逆かもしれない。

万引きそのものは恥ずべき行為だと思う(無論、そこにもまた様々な、個人にのみ帰すには無理がある状況が存在する場合もあるだろうが)。ただ、ぼくが嫌に感じたのはそのことではない。原則として、ぼくは自分が解決に手を貸せるわけではないと判断した場合、いっさい関わりを持たないことにしている。でなければそれは、単に下世話な好奇心に過ぎないからだ。だからぼくは、数秒状況を確認してからすぐに立ち去った。けれどそのとき、その騒ぎを(安全圏内から)取り囲むようにして、多くの人びとが薄ら笑いを浮かべながら見物していた。何やら自分たちのために用意された見世物を眺めるように。

それはとても恐ろしい光景だった。

これはまた別のお話。相棒が話してくれた。彼女がとある道を歩いているとき、少々奇抜なファッションをしたお婆さんがいた。そうして、その後を歩いている男女が、携帯電話のカメラでそのお婆さんを撮っていたという。言うまでもないけれど、例えばそのお婆さんに被写体としての魅力を感じて、ということではない。なぜその場にいなかったぼくが断言できるのかと言えば、ぼくはぼくの相棒の感性を知っているからだ。少し話はずれるが、どれだけ長くつきあい、愛しあっていてさえ、相手のことを真に理解することはできない云々ということをしたり顔に言うひともいるし、それはそれで正しい面もあるのだろう。だけれど、それだけであるはずはない。愛することによって、ぼくらは相手よりもより深く相手を知ることができる。信頼などではなく、単純な事実として、ぼくは彼女の感性のかたちを知っている。だから断言できる。彼らがお婆さんに向けたカメラに、愛情はなかった。ただ侮蔑だけがあった。

それもまた、とても恐ろしい光景だ。

ぼくは、自分にとって美しくないことに対してはいっさいの容赦をできない冷酷で偏った人間だ。犯罪そのものより、そういったものに逃避する人間の弱さを嫌悪するし、自己を客観視できない自己愛の押しつけにもうんざりする。万引きをした誰かに対して「きみにそういった行為を取らせた社会が悪い」というつもりはないし、悪目立ちする服装を着た誰かに対して「きみ独自の感覚が独自であるがゆえに素晴らしい」と言うつもりもない。それでも、そうであってなおかつ、そこにはぼくが手を触れることのできない何かがある。要するにそれは、そこに至るまでのそのひとの人生全体だ。

それは、そのひとに対する、そのひとのみに向けられた愛がなければ、触れてはならないものだ。しかしもしそうであれば、ぼくらは社会を営むことなどできない。だからこそぼくらは法を持つのだし、社会的な(すなわち糞のような)常識を持たざるを得ない。

どこかに正義があるわけではない。真理があるわけでもない。断罪する権利が、他人を嘲笑ってよい権利があるわけではないのだ。

なぜ、自分だけは特別で、安全な場所に立ち、愚鈍で無価値な他者を見下すことができると思うのだろうか。ぼくらは誰もがそうなのだ。無価値で、愚かで、生きている価値などない。なぜそんなに、自分が生きているということに対して自信を持っているのか?

ぼくにはまったく分らない。

***

あるとき、ぼくと相棒はある場所にいた。そこには緑がたくさんあった。道を歩く人びとはみな、口々に自然の良さやら何やら、そんなことを話していた。多くのひとが木々を見上げ、その癒しとやらについて語っていた。けれども、舗装された道の上で、何匹もの虫たちが、彼ら/彼女らに踏み潰されて死んでいた。稀にそれに気づくひとがいても、嫌そうな顔をして避けるだけだった。

世界は、きみのためにあるのではない。ぼくらはみな、ただ偶然によってのみ生きている、生きる価値も必然性もない存在だ。だからこそ尊いのだし、だからこそ、他の生き物もみな同じように尊ばないといけないのだとぼくは思う。ぼくとて、無論、聖人ではない。そんなものにはなれないし、なりたいとも思わない。多くの生き物を自覚的/無自覚的に殺してきたし、無数の生き物を見殺しにしてきたし、数え切れない生き物を見下して生きてきた。これからもそれは変わらない。だけれど、そのことに居直るのであれば、それは途轍もなく醜いことだ。

他人を嘲笑いたければそうすれば良い。足元の生き物など踏み潰せば良いと思うのであれば踏み潰せば良い。けれど、ぼくがそうであるようにきみにもまた生きている価値などないのだ。もしそれを忘れるようなら、そのときこそ、きみには本当の意味で生きる価値がなくなるだろう。

研究する喜び

あるエントリーで、研究というものは役に立つか立たないかという次元で評価されるべきではなく、むしろ研究者個人が楽しいからこそやるのであり、その結果偶然として文明が進歩したり人類の役に立つものが発見されたりする、と書かれていた。ぼくはそれを読んで、どうも趣旨がよく分からなかった。そのいちばんの理由は、そのエントリーが「役に立つ研究」と「研究者が純粋に楽しいと思ってやる研究」のふたつを対置して考えているからだと思う。でもほんとうにそうなのだろうか。

それが社会に有用でない研究だからといって切り捨てるのは正しくないことだと、ぼくも思う。けれど、もしその研究が社会の役に立つのであれば、それは研究者が純粋に楽しいと思ってやる研究と同じように素晴らしいことだ。

ここで、それはおかしいと思うひとも多いだろう。確かにそのとおりで、「社会の役に立つ」と安易に書いたけれど、実はこれはけっこう問題がある。何が「社会」で、何が「役に立つ」ことなのか、その普遍的な定義は難しい(というより不可能だろう)。そしてしばしば、「社会の役に立つ」ことが危険な場合さえある。一方で、研究者が純粋に楽しいと思ってやる研究というものも、当然だけれど無垢で祝福されたものなどではない。それはたまたま誰かの何かの役に立つかもしれない。しかし逆に誰かの何かを傷つけるかもしれない。科学者本人にはそのつもりがなくても、結果的にその研究成果が人間を傷つけることに利用された例は枚挙に暇がない。

そのエントリーの目的が、何かを知るということがそれ自体で純粋に喜びであることを伝えたいというところにあるのなら、ぼくはそれに同意する。あるいは基礎研究が即座に有用でないからといって否定されるべきではないということにあるのなら、それにも同意する。けれども、その対立項として「楽しいからやる研究」を持ち出し、楽しいことが第一義であるとするのであれば、首を傾げざるを得ない。それはとても危険なことだ。科学者として、いやそれ以前に人間として、ぼくらは(人間以外の存在も含めた)他者に対する責任を持っているはずだと、ぼくは思う。単に楽しいからやるというのであれば、それは子供の遊びでしかない。楽しい先に何があるのかを考え、その危険性を想像し、場合によっては自らの好奇心さえ抑制できるからこそ、ぼくらは人間足り得るのではないだろうか。

少なくとも、ぼくは修士と博士の時代を通して、楽しいからという理由だけで研究をしている人間を見たことがない。無論、自らの研究に喜びを見出している学生はたくさんいた。けれどそれ以上に、あるいはそれに先行して、やはりこの世界に対する疑問、苦しんでいる人びとが存在するという事実に対する怒り、そういったものが彼らを研究に突き進ませていたことをぼくは断言できる。そしてそれは何も研究者に限らず、多くの人間がそう思って自分の仕事をしているはずだ。

誰だって、自分が楽しいから、自分が知りたいからという理由からだけで、自分の人生を削って何かに懸けることなどできはしない。子供の遊びであれば、叱られれば泣きながらやめるだろう。楽しいということにはそれ以上の重みはない。けれどもぼくらが研究をするとき、そこには人間としての責任が伴う。それは投げ出したり無視したりするわけにはいかないものだ。ゲバラはキャンプが好きだったから地を這ってまで戦ったのか? サン・テグジュペリは飛行機に乗るのが楽しいから負けると分かっていた戦線に加わったのか? そんなはずはない。それでは自己をなげうった彼らの精神をまったく理解していないことになるだろう。

研究とは違う、というひともいるかもしれないが、ぼくはそうは思わない。何かをしなければならないという思いがあって、その上でぼくらはそれをどう表現するかを選ぶ。それが論文であっても音楽であってもプログラミングであっても、それ自体は出力フォーマットの問題に過ぎない。

何が正しく、何が間違っているかなどはわからない。自分の研究は人類の役に立つものだ、などと決め込むことほど恐ろしいことはない。それは自分さえ楽しければその結果がどうなろうと知ったことではないというのと同じくらい無責任であり、潜在的な暴力だ。だからこそ、ぼくらは(現実の、あるいは想像上の)他者との議論を通して、絶えず自己検証を続けていかなければならない。普遍的な答えがなくても、完結した答えがなくても、いやないからこそ、それをし続けなければならないのだ。

人類とか責任とか、そんなものを超越し、自分でも制御できない何ものかに突き動かされたまま創造するごく一握りの天才を除き、ぼくらは(決して卑下して言うのではなく)凡人なのだ。凡人であるということは、己を律することができるということでもある。けれどもそれは、研究をただの苦行として、何の喜びもないものとして行うということではまったくない。基礎研究だとか応用研究などといった枠組みを超え、自分の研究が確かにこの世界に存在するあらゆるもの、あらゆる人びとにつながっているものだということを知ることこそ、ぼくは研究をする最大の動機であり、喜びなのだと信じている。

ある日のshopping expedition

きょうはとても不快なことがあった。いまもまだ気分が冴えない。ついでに頭痛も始まった。きょうは痛み止めを飲まないと決めたので、正直、けっこうつらい。けれども、きょうのこのエントリーは徹底的にばかげたことを書くと決めたのです。以前、あるところでそう約束した。気がする。物忘れの激しいメロスですが、とにかくセリヌンティウスとの約束を果たさねばならぬ。メロスはそんな気が漠然としている。友の元へ行かねばならぬ気がする! というわけでばかげたお話です。でもちょっと悲しいお話です。

先日、アートフェア東京というイベントが東京の何とかいうところでありました。きょうはですね、何かを調べて書くということをしないつもりなのです。ですからイベントの名前がアートフェア東京かどうかもよく覚えていないのですが、まあいいでしょう。父が生前つき合いのあった画廊があり、そこから招待状が来たのです。というと何やらよほどハイソサエティな感じがしますが、そんなことはありません。招待状だって前売りで1,200円です。もちろんせっかくいただいたものに文句を言っているわけではなく、要するに気軽に行けるイベントだよ、ということですね。この画廊に関しては少し面白いお話があるので、それは五月の終りか六月の初めころにブログに書くと思うのですが、まあいまはアートフェア東京です。いいですね、こういう文体でブログを書くのひさしぶり。

で、招待状は一枚だったので(繰り返しますが、文句を言っているのではありません。この一枚というところにも実は意味があるのです)、もう一枚を前売りで購入し、相棒とふたりで行くことにしました。何か良い絵でもあれば彼女の博士号取得祝いに買おうかしらなどとブルジョアなことを考えていたのですが、結論から言えばとんでもない。そうとうにアレなイベントでした。玉石混交ならまだ良いのですが、屑が99、石が 0.9、残りの0.1が玉という感じです。お前にそんなことを断言する権利があるのかと言われれば、もちろんあります。そしてそうではない、すべては玉だという権利も、もちろんきみにはある。

けれどもあれですね、モスクからシナゴーグまで、どんなところにでも(というには偏りがありすぎるけれど)とけこんで目立たない特殊能力を持っているといわれる私ですが、同時にどんな服を着てもぼろに見えるという特殊能力の持ち主でもあり、この日もひさしぶりの彼女とのデートだよへへへ、などと思いつつ決めた格好をして行ったのですが、ガラスに映った自分を見ると、やはり途轍もなくぼろっちく見える。なあに褌一丁でも心は錦さ、などと警察に捕まりそうなことを考えながら彼女と会い、少し散歩をしてから会場へ。

思い出した、会場はたしか東京国際フォーラムとかいうところでした。前にアグリカルチャー何とか、というイベントで行ったことがある。で、ビルの中に入ると、地下のフロアでやっているアートフェアを見下ろすことができます。見おろして、さっそくぼくと彼女はげんなりしました。ちょっとこれ、アートという感じではない。フェアという感じです。だからアートフェアなんですけれども、気持ち的にはアートが6ポで、フェアが64ポくらい。――でもさ、とぼくは彼女に話しかけます。――こんなぼろを着たやつに何かを売りつけようとする画商がいれば、そいつの目は節穴だよね! そしてははは、と乾いた笑いをもらします。ここで、そんなことないよ、きみは世界でいちばん格好良いよ、などという返事を期待しつつ、もう十数年が過ぎようとしているのですが、案の定クールに――そうね、節穴ね、と返され、とぼとぼと階段を降りて会場へと向います。

まずは招待状をくれた画廊のブースへ行って挨拶。少しお話をして、あとは自由に会場を巡ります。最初に申し上げたとおり、大半が屑でした。こんな書き方をすると不快になる方もいらっしゃるかもしれませんが、けれど、自分にとって駄目なものはやはり駄目です。馴れ合いをしても仕方ないし、作っている人間が本当に誇りをもってやっているなら、ぼくの書くことなど気にもとめないでしょう。ぼくもまた、自分の美的なセンスに確信を持っているので、相手が何を言おうと気にはならない。友だちごっこをしているのではないのだから。ただそれはあくまでぼくにとっての基準であって、他のひとからみて紛れもなく芸術であるのなら、それはそれでかまわない。

おっと、気力が萎えて話が暗くなってきましたね。大丈夫です。ぼくらはさっさとトンズラしました。その日はもうひとつ目的があったのです。彼女のリュックを買うのです。これから毎週調査のために山へ行く彼女に、ぼろぼろになってしまった古いリュックの代わりに新しいリュックを買おうというのです。頭痛がひどいために文章が乱れ始めているのですが大丈夫です。

最初は新宿の、あれ何でしたっけ、南口の登山用品店。リ、リ、リ、リー、リー、リー! それじゃ『ピンチランナー調書』だ。あ、エルブレスだっけ。全然リ関係ないし。あそこに行きました。で、ちょうどよいものがなかったので中央線で吉祥寺へ行き、丸井の裏手にある登山靴とかも売っている、あれ何でしたっけ、リ、リ、リ、まあいいや、とにかくふたつほど巡って、ようやくリュックを買えました。ぼくは本当に人ごみが苦手で、休日の東京~新宿~吉祥寺とまわるなど正気の沙汰とは思えませぬ、という感じなのですが、この日はがんばった。ひとは愛ゆえに自らの弱点を克服するのです。

吉祥寺と言えば、丸井のすぐ近くにぼくの旧友が住んでいました。さすがにいまはもういないと思うのですが、倫敦日本人学校で一緒だった子です。ぼくにとって初めて親友と呼べる、変わり者の男の子でした。何しろ頭が切れる子だった。あれほど切れる子は、いまでもぼくは、他に知りません。日本に帰ってきてから一度だけ会ったけれど、相変わらずの変わり者ぶりがおかしかった。元気に暮らしているでしょうか。元気に暮らしていると良いですね。

ぼくと彼女は、もうへとへとになって家に帰りました。手をつないでいても、相手の手に力がないのが分ります。でも、暖かくて、とても幸せです。アートフェアは莫迦みたいだったし、せっかく買ったリュックだって、どうせすぐにぼろぼろになります。けれども、大切な相手と過ごした記憶というのは決して消えません。だから、とても疲れたけれど、この日の買い物遠征は良い記憶になるだろうと、ぼくは思っているのです。

凡庸な生を誇れ

数日前、彼女がとある手続をするために担当窓口に行ったところ、ずいぶんと失礼な対応をされたという。彼女からその話を聞き、ずいぶんプロフェッショナルとしての意識が低いひとがいるものだなと嘆息したのだが、しかしそこには案外根深い問題があるようにも思う。おそらくその担当者は、自分の仕事に対する本質的な喜びや誇りを持っていないのだろう。あるいはより悪く、心のどこかで自分の仕事を侮蔑してさえいるのかもしれない。それは結局のところ、自分の生を侮蔑するということだ。世界には、もっと素晴らしい仕事がある。他人に評価される仕事、いやそうでなくとも社会の役に立つ仕事、真に有意義な仕事。けれど、本当にそうなのだろうか?

ぼくが所属している研究室は環境思想が中心テーマで、そこでは現代において極度に分業化、合理化された仕事が人間を疎外する、といったような考え方がけっこう共有されている。それはそれで、そういった面もあるのかもしれない。けれどそれだけだとはどうしても思えない。現に、プログラマーという (彼らの基準でいえば)もっとも人間性からかけ離れたような仕事をしているぼく自身が、自分の仕事に対して喜びと誇りを持っているのだから。無論、そこには多くの問題がある。ぼくとて、やりたい仕事だけをやりたい時間にやりたい場所でやってきたわけではない。むしろその逆だ。無茶苦茶な労働条件を生き抜いてきたと断言できるし、それを肯定するつもりはさらさらない。けれどそれはシステムの問題であって、そのなかで戦っているぼく自身の誇りの問題とはまったく次元の異なる話だ。

繰り返すけれど、労働者を搾取するようなシステムは無条件に否定されるべきだ。しかし一方で、では労働者に対して喜びや誇りを抱かせるようなシステムが存在するのか、あるいは望ましいのかと聞かれれば、ぼくはそれもまた冗談ではないと答えるだろう。喜びや誇りは、誰かに与えられるものではない。システムによって与えられた誇りなど、考えただけでもおぞましいものだ。喜びも誇りも、ただ自分の魂の内からしかもたらされることはない。

自分の仕事に誇りを持つ、そこに喜びを見出すということは、何もごく一部の英雄や天才たちにのみ与えられた特権ではない。そんなはずはない! ぼくらがしていることは、世界を救うとか歴史を変えるとか、そんな大それたものでは決してない。けれども、以前にも書いたけれど、ぼくはカムパネルラの犠牲よりも、再び日常へと戻っていくジョバンニの勇気を愛する。そこに救いはない。父が戻り、母の病が治り、級友たちと楽しく過ごすような日々がジョバンニに訪れることはついにないだろう。それでもなおかつ、きょうという一日を生き抜き続けるジョバンニにこそ、ぼくは人間に可能なもっとも気高い姿を見る。

それは、既存の社会体制の維持をはかることの大切さなどではない。システムなど、糞喰らえだ。人間としての情が大切だということでもない。それはただ自分の魂の戦いの枷としかならない。小さなところに幸福を見出そうなどというような下らない日常主義でもない。そんな連中はおしるこ万才を叫んでいれば良いのだ。

そうではない。ぼくらの仕事は、大抵の場合は下らない。誰の役にも立たない。にも関わらず、ぼくらはそこに他の誰のものでもない、自分自身の魂をかけて勝負をするのだし、自分自身の魂をかけて戦わざるを得ないのだ。そしてきょう、きみは仕事を終え、例えつまらぬ無意味なものであったとしても仕事を終え、生きて帰ってきた。ぼくらはきょう、また一つの勝利を手にした。そして明日もまた戦うために、身体を休める。それが偉大でなくて何だと言うのだろう。そしてそう言うためにぼくらは、ただそれを言うためだけにぼくらは、プロフェッショナルとして、自分の仕事を遂行しなければならない。不貞腐れ、本当に自分にふさわしい仕事はこんなものではないなどと呟きながら働くのではなく、自分のすべてをかけ、その仕事を完遂しなければならない。それが戦うということだ。それがプロフェッショナルであるということだ。

もし、いまの仕事がひとを傷つけるようなものであるとしたら、あるいは自分を損ねるようなものであるとしたら、無論、それでもなおかつその仕事を続けることに意味はない。そのような状況を耐えること自体に意味はない。あると言うのであれば、それは奴隷労働や犯罪の肯定でしかない。そして一方では、それでも仕事を続けなければ食べていけないという事実もあるだろう。残念だけれど、それに対する簡単な答えはありそうにない。

けれど、ひとつだけ断言できることがある。誇りも喜びも、仕事それ自体にあるのではない。それはただの幻想に過ぎない。目立つ仕事、格好良い仕事、ひとの上に立つ仕事、収入の良い仕事。ひとの役に立つ仕事、歴史に名を残す仕事、文明をより高める仕事。みな、幻想に過ぎない。何度でも繰り返そう。誇りも喜びも、それは自らの内側からしか生まれないのだ。

ぼくらは、天才ではない。英雄でもない。世界を救う機会など、恐らく一生与えられることはないだろう。だからこそ、尊いのだ。無意味で無価値な日々の生を、にもかかわらずぼくらは最大限、全力を振り絞って生き抜いている。決して勝利のない戦いを、死ぬその瞬間まで続けている。それは狂気じみた戦いであり、それ故、それだけですでに瞬間瞬間の勝利の連続なのだ。

ぼくは、ぼくの凡庸さを誇る。ぼくの凡庸な仕事を誇る。そして誇るために戦い続けるとき、ぼくの魂はたしかに、かけがえのない喜びを感じているのだ。

狙う

書こうと思っていきなり躓いたのですが、さてどう書こうかな……。以前のエントリーで触れたことがありますが、ぼくはアーチェリーで全国第三位になったことがあります。ちゃんと竹下登とか書いてある賞状もある。あほらしいですね。でまあ実際あほらしい記録なんですけれども、いかにあほらしいかというのはここではもう触れません。あんまり言うと自分が寂しくなるから。人生、ちょっとしたはったりも大事です。ぼくの場合ははったりだけで九割超えるのが問題ですが、ばれなければはったりではない。

とにもかくにも、アーチェリーは意外にまじめに打ち込んだ時期があります。アニマル的(まと)を射ろとか言われてうんざりしたのと、あと紳士淑女のスポーツだから女子は白のスカート、男子は白のスラックスを着用とかわけの分らないことを言い出して、しかもそれに関する下品な冗談とかもあって、本当に気味が悪くなってやめてしまったけれど、でも浅い経験なりに、やっていてすごく良かったな、と思えることもありました。

ぼくは、何かを狙うということが自分の性格の大きな属性だと思っています。などと書くと何やらストーカー的な感じがしないでもありませんが、そういうつけ狙う的なものではありません。何ていうのかな……。これは感覚の問題だからなかなか言語化しづらいのですが、ある種の集中に近いものです。ひとつの概念に焦点を合わせるということ、あるいは概念そのものになるということ。と書くと、こいつまたおかしなことを言い出した、と思われるかもしれません。けれどそうでもないのです。例えば写真を撮るとき、特に小さな虫とか花を撮るひとは、カメラを構えてファインダーに被写体を写して、シャッターを押すまでの時間、それがこの「狙う」なんじゃないかな、とぼくは思います。ぼく自身、写真を趣味にするようになってから、あらためて自分の中にある「狙う」という感覚に興味を持つようになりました。

そのとき、ぼくらは恐らく、自分の眼とカメラと、そして被写体そのものとさえ一致している。一体化、というのとは違う。本当にひとつになってしまっている。世界に存在するすべてのものが持つそれぞれの固有のリズムが、その瞬間、眼とカメラと一匹の虫において完全に共振している。そしてたぶん、それはカメラだけではなくて、例えば自動車の運転とか楽器の演奏とか、それぞれにおいて同じような感覚があるとぼくは想像します。論文を書いたり、プログラムを組むのも同じです。

もともと自分のなかにあったそういった性質を、アーチェリーを通して、具体的なイメージとして描くことができるようになりました。具体的、というとちょっと違うな。何だろう、何かに向うとき、射場で的に向って立っていたときの感覚、それを身体に呼び戻すような感じ。

そのとき、確かにそこにはぼくがいて、弓を構えていて、的に向ってはいるのだけれど、その物理的な位置関係においては確かに狙うということが現れているのだけれど、でもそれだけではない。狙うということは同時に、狙うものと狙われるものという関係を突き抜けて、すべてをひとつのものにするようなものでもある。一致すること。ひとつのリズムになること。

いま、ぼくはアーチェリーそのものに対する関心はまったくありません。けれども、もしもう一度やるとすれば、当時よりもはるかに腕を上げているだろうということを確信しているのです。それは、いかに的の中心を射るか、いかに高得点を得るか、ということではありません。狙うということに、昔よりいっそう近づいているという確信です。そしてそのとき、ぼくは弓を持つ必要を感じません。ただ的があり、それに向って立つ自分さえいれば、狙うには、もうそれだけで十分なのです。

写真も同じで、いつかきっと、カメラがなくても何かを撮れるようになるかもしれません。それは中途半端に悟った気持ちになる、ということではありません。技術がある水準に達するということでもありません。そうではなく、狙うということは最終的に、きっと自分自身を狙うということ、自分自身と一致するということに行き着くでしょう。

それは究極的に自己のうちに閉じてしまうことなのでしょうか。そうではないとぼくは思います。自分自身を狙い、自分自身のリズムと一致したとき、きっとぼくは初めて、他の誰でもないこのぼくになれるのです。そしてそのときこそ、初めてぼくは、このぼくとして、世界に語りかけるぼくの言葉を持てる。写真を撮るということ、論文を書くということ、狙うということ。それはぼくになったぼくを世界に向けて放つことなのかもしれない。そんなふうに、いま考えています。

ほんの一瞬の、けれど特別な

数日前、夜中に大学時代の先輩からメールが届いた。大学といってもぼくが最初に通ったところの話だから、もう十何年も昔の話だ。先輩とは一年に一度くらい会い、どこかで食事をしながら互いの近況を話すような関係が続いていたけれど、去年はまったく会うことができなかった。メールのやりとりも、本当に数回だけ。だから、ひさしぶりの連絡は嬉しかった。先輩はぼくのブログを読んでくれたらしく、メールには、昔のように、短いけれど的確で、そして励まされるようなコメントが書いてあった。

ぼくらは、先輩とぼくと、そして相棒は、みんな人形劇の部員だった。部員はたいてい真面目で優秀だった。それはそうだろう。偏見かもしれないが、可愛らしい手袋人形を作って、近くの幼稚園へ公演に行こうなんて若者ばかりが集まっているのだ。真面目で、優しいひとが多かった。そしてもちろん、ぼくは突出した落ちこぼれだった。ぼくの知るかぎり、あの部で退学したのはぼくだけだったのではないだろうか。それでも、ぼくらは毎日楽しく過ごしていた。

卒業してみれば、もう、ぼくらはほとんど関わることもなくなる。何か、起きなくて良いことでも起きないかぎり、ぼくらが多少なりとも集まることはもうないだろうと思う。別に何があったという話でもなく、学生時代のつき合いには、少なからずそういう面があるのではないだろうか。何もネガティブな話をしているのではない。むしろそれは、もの凄くポジティブなことなのだろう。学校という特殊な環境で、ある特殊な年齢のときに出会う。その特別な環境が、もしそれ以外の場所、それ以外のときに出会っていれば口さえきかないであろうような人びとを仲間として、ほんの一時のものに過ぎないとしても仲間として、ぼくらを結びつける。

ぼくはいま、ふたたび大学生をやっている。けれど、昔ぼくが本当の学生だったころのような関係性は、いまの大学のひとたちとは決して結ばないだろうと思っている。それは昔の彼らとの方が気が合ったからでもないし、いまの彼らと気が合わないからでもない。そんなことはまったくない。けれど、当たり前だけれど、ぼくはもう、本当の意味で学生ではない。大人になったということではなく、単にその時期を過ぎたというだけのこと。

先輩や相棒や、一部のひとを除いて、そのとき仲間だったたいていのひととは、いま会っても、きっと互いに気まずくなるだけだと思う。それは誰が悪いとか、関係が悪くなったということではない。繰り返すけれど、要するに、その一瞬に働いていた奇跡のような力が失われたというだけのことだ。それは少しばかり寂しいけれど、仕方のないことだし、その時代を失うことによって得たもの、失わなければ得られなかったものもたくさんある。

初めの大学を受験したとき、隣に女の子が座った。とはいえそれを意識していたわけではない。ぼくは田んぼしかないような土地から出てきたばかりで、試験だけでなくすべてに対する緊張のあまり、胃が痛くて周囲を見回す余裕などなかった。そのとき、その子がぼくに話しかけてきた。どうやら、鉛筆削りを忘れてしまったらしい。とんでもないところで大ポカをやらかすが、そういう細かいところでは抜かりがないのがぼくだ。もちろん鉛筆削りは持っていた。ぼくはその子との間に鉛筆削りを置いて(席はひとつ分空いているだけだった)、気にせず使ってね、と伝えた。

それからしばらくして、どうにかこうにか合格していたことが分って、さらにひとつきが過ぎたころ、ぼくはとあるきっかけで人形劇部に入った。そこで幾人ものひとと知り合い(そのころは女の子ばかりで、ぼくはまた胃を痛くした)、さらに数ヶ月が過ぎることには、すっかり部室に入り浸るようになっていた。そんなとき、同級生の女の子がぼくに言った。あのとき、鉛筆削りを借りたのは私だったんだよ、と。無論、ぼくはそのことは覚えていた。覚えていたけれど、まさかそれが彼女だとは思いもしなかった。彼女は笑って、あのとき鉛筆削りを忘れてすごくどきどきしていたんだけど、貸してもらって、少しお話をして、気分がおちついたんだよ、と言った。

いま、ぼくの手元には一枚の写真がある。等身大の人形を使った人形劇の、劇中の一枚だ。それ以外の写真はすべてどこかへいってしまったけれど、これだけがなぜか手元に残っている。人間と人形が同じ舞台で共演するという、ぼくらとしてははじめての試みで、ずいぶんと無茶をしたし、無茶を言った。楽しかったけれど、きっとずいぶん迷惑もかけただろう。それでも、やはりそれは大切な記憶だ。

振り返ってみれば愕然とするほど多くの大切なものを切り捨てて、いまの糞のようなぼくに辿りついた。それはそれでいい。後悔するということは、切り捨ててきたすべてのものに対する裏切りであり、礼を失することだ。だからネガティブな意味ではなくどこまでもポジティブな意味で、信じてもらいたいと本当に心の底から願うのだけれど、あのとき仲間だったすべての人たちと笑い合った記憶は、いまでも確かに眩く、ぼくの心のなかに残っている。

恐怖と自由

先日のゼミで、何の話からか映画「アバター」の話題になりました。教授も珍しくご覧になったそうで、娯楽映画は娯楽映画だと前提したうえで、共生という観点から見てもそれなりに良く作られている映画だったよ、とかなり好意的に評価なさっていました。ぼくは「アバター」を観ていませんし、関心のないことは徹底的に忘れてしまうのですが、ともかく自然と共生する先住民が何とかで、そこに悪い地球人が来て、でも良い地球人もいて先住民と共闘して愛が芽生えちゃったりして、それでどうせ最後は肉弾戦に違いない。全然違うか。

でまあ、教授が仰るには、異星人の見た目というのが、最初は違和感があるけれど、観ているうちにそれに馴染むというか、それはそれとして美しいものとして見えてきて、それが面白い、ということでした。ぼくは精神的にも肉体的にも疲弊しきっていたときに教授に拾ってもらったという恩義を感じていますし、また実際に学識豊かであり紳士でもあり、紛れもなく日本を代表する環境思想家の一人だろうと思っているので、これは決して教授に対する批判ではないのですが、根が偏屈なので、偏屈魂がムラムラムラムラと湧いてくるわけです。で、教授に訊ねたのです。以下意訳。

「そう仰いますが、それってやはり凄い計算されてデザインされた「異星人」なわけですよね。最初は違和感があるけれど途中でその美しさに気づくよう緻密に計算された。しかもその美っていうのは、つまるところベースをぼくらの見た目と共有しているような美であって。それで、もしそんなものから始まる「共生」なんてものがあったら、それは例えばもの凄い勢いでゲロみたいなものを吐きまくって、首をぐるぐる回しながら吠え立てるような怪物にぼくらがであったときにですね、そういったものに対しても同じことを言えるんでしょうか。言えないとしたらそれはやっぱり、単に自分と共有するものがあるものに対する共生でしかないし、もうね、括弧を閉じるのやめて地の文にしてしまいますが、ぼくはそう思うのです。安全な枠内で作られた「異なる」他者なんて、それ他者ではないですよ。いや急にそんな話をしだしてどうしたの、という感じですが、ぼくらの研究室は共生概念が中心テーマでして、この話題もそういった文脈ででてきたのです。

もちろん、これは別にアバター批判ではないんですけれども、まあちょっと絡んでしまったわけです。クラウドリーフさんはとても好青年ですが、ちょっと病的なところもある。自分ではそんなこと思わないけれど、客観的にみたらちょっと気味が悪いかもしれない。で、教授のお答えは、そこで語られている共生というものはぼくが言うものとは次元の異なるものであるというような内容でして、これはこれで面白いお話だったのですが、いまは触れません。ぼくはそれを聞いてなるほどと思いました。思ったのですが、やはりそれは(ぼくが関心を持っている)共生ではないよなあ、とも思いました。

基本的に、「想像もできないような他者との共生」っていうのは、関心を共有しにくいようです。最近特にそれを感じます。それはある意味もっともでもあって、ぼくらは現実の世界に対して、現に他者との差異が争いを無限に生み出し続けているような社会のなかで、意味のある思想を構築しなければならない。そしてその他者っていうのは、まったく理解不可能で共通性を持たないような「ナニモノカ」ではなくて、やはり、同じ人間なんだよ、ということなんだとも思うのです。

だけれどぼくはどうしてもそんなものに関心を持てないし、それに意味があるとも思えない。もし何かを共有しているのであれば、それはもうわざわざ考えるまでもなく、普通に地道に話し合っていけばいいんじゃない、と思ってしまう。個人的には、それほど切迫感を感じないのです。けれども、共有するものが何もない他者ということを考えると、これはぼくにとっては(ぼくの主張はしばしば抽象的だと指摘されるのですが)非常に現実的なレベルにおいて、生死のかかった危機的な問題として迫ってくる

さらに考えてみれば、ぼくはどうも、「共有する」ということ自体を信じていないようなのです。ぼくにとってのぼくも、ぼくにとってのあなたも、それはまったくわけの分らない他者として現前に存在している。逃げようと思ったって逃げようがない。どうしてだかは分らないけれど、その異質性に対する恐怖というものがぼくに刻み込まれている。

しかしその一方で、その異なる他者を自らに引きこんで「理解」しようとしたり、あるいはその相手を無批判に「受容」しようとする、そういったことをしようと思っているのでもない。それは結局、共有するものがないという現実から目を背けた、体のいい自己保身と他者の拒絶に過ぎないし、そんなことをしなくたって、どのみちぼくらは誰もが、そういった他者とどうしようもなく共に存在しているのです。だから、不可能だけれど理解しなければならないし (理解できる、ということとはまったく異なります)、無茶苦茶恐ろしいし苦痛でもあるけれど受け入れざるを得ない。

けれども、ぼくは思うのです。それはもの凄く自由なことなんだ、と。ぼくは、無数に存在するあらゆる存在物と、いっさい共有するものを持たない。ぼくはどこまでいっても、ただこのぼくでしかないんです。どんなものによっても定義づけされないし、「普遍」的な人間性なり道徳性なりに縛られることもない。でも同時に、ぼくは孤絶しているわけではなく、異なる他者のただ中で絶えず変化している。どうしようもなく関わっている。共有するものがない無数の他者のなか、ただ独りで在るということは気が狂いそうな恐怖だけれど、同時にその自由こそがぼくがぼくであることを保証してくれるし、そして同時に、ぼくらは皆そういうものとして、確かに関わって生きている。そういった他者なしに、恐怖を感じる「ぼく」は存在しようもなかったのです。それは、魂が存在するということの、まさに存在するということに対する喜びの源泉になっている。

ぼくはそんなふうに思っています。