Yes, I can fly!

ここ数年トレッキングシューズをずっと履いていて、もちろんお風呂に入ったり布団に潜ったりするときはちゃんと脱ぐんだけれど、とにかくトレッキングシューズが大好きだ。いちばん上までしっかり紐を結んだときの安定感がいい。それになにより、極度に用心深いぼくにとって、万一災害が起きたときのことを考えると、どのような状況下でも移動しやすい靴は絶対的に必要で、あとブドウ糖と懐中電灯とペットボトルと医薬品も必需品。これさえあればまあ数日はどうにかなるだろうと思っている。本当はロープとかバールとかも持ち歩きたいのだけれど、ただでさえ身分が怪しいので、職質にでもあったらどえらいことです。

で、そのトレッキングシューズなんだけれど、先日雨の中をカメラを抱えて散歩していたらすっかり濡れてしまった。ついでにカメラも濡れてしまって、ファインダーの中に水滴が! ああ水滴が、水滴が! と風流にも川柳を詠んでしまうほど動揺した。それはともかくトレッキングシューズで、ぐっちょんぐっちょんの汚れ放題になってしまったので洗うことにしました。

けれどもこれ、ゴアテックスのそれなりのやつなのですが、どうもこれは丸洗いしてはいけないらしい。しかし水洗いするのだ。いやしないのだけれど、例えばあれです、たまたま水道水みたいな水が流れている川に落ちてしまって、しかもたまたまそこに洗剤の箱が沈んでいてそれを踏み抜いてしまう、などということは、まあ山に登っていればしばしばあることです。あるのです!

というわけで、そんな感じのシチュエーションにいま俺は置かれているのだ! と強烈な自己暗示をかけつつ、何しろ自己暗示にかけては天才的ですから、洗っているんじゃないよ、川の水は冷たいなあ、などと思いつつ丸洗いしました。そうして天日に干すのは駄目、とかいううろ覚えの知識に従い、玄関の内側に放置。それが確か三日前くらいで、どうもいまだに乾きません。えへへ。キノコさんこんにちは! 悲しみよこんにちは! コンニチハコンニチハ!

とかわいい子のふりをしつつ、履いていく靴がない。仕方がないので、埃を被っていたウォーキングシューズを出してきて、埃を払い、ここ数日はそれで歩き回っているのです。すると何しろ、これが軽い! 数年間トレッキングシューズで歩き回っていた感覚のままだと、歩くつもりが走り出し、走るつもりが空を飛ぶ勢いです。大統領にならって”Yes, I can fly!”です。そんな大統領は嫌だ。

そう言えば、昔まだがんばって「社会性」とやらを堅持しようとしていたころ、ぼくもちゃんと床屋さんに行って髪を切ってもらっていたのです。そうして、髪を切ったあとの頭の軽さたるや! 自分の脳みそがいかに軽く、頭と思っていたものの大半が髪でしかなかったことに気づくときの絶望感がぼくは好きでした。そんな感じで、いま足が軽いです。

GWですか? ぼくは何も予定がありません。庭のカエルくんを撮るくらいですね。あと帽子を買ったんですけど、相棒に「変質者みたいだからやめた方がいいよ」と言われました。

そんな感じです。ぼくは元気です。Yes, I can fly!

ある日見た光景

あれは一昨日だったか、珍しく定時に会社をあがり、普段とは少しだけ違う道を歩いて帰ることにしました。朝の電車はたいてい本を読んでいるし、会社につけば一日モニタを睨んでいるだけだし、けれども仕事が終わって遠くの駅まで散歩をするときは、一日の中で初めてゆっくりと周りを見回す余裕ができます。すると風景が途轍もなく鮮やかに見えたのです。だいぶ日も長くなり、ちょうど夕暮れ時で、空は赤みがかった金色に燃え立ち、雲やビルがその光を反射して、世界は恐ろしいまでに、その1ドット1ドットすべてが鋭く立ち上がっていました。

ぼくはいつも、いまこの瞬間に死んでも後悔しないようにと思って生きています。大げさに言っているのではないし、格好をつけているのでもありません。ただ単に、無為に生きることに対する恐怖感が強すぎるだけで、それはむしろ、格好悪いことでさえあるかもしれません。けれども、とにかくこの一瞬一瞬を全力で生きていたいし、感じていたい。だから、いま死んでも恐れずにそれを受け入れる、というより、いま死ぬとしてもその瞬間まで生き続けている自分を感じていたいのです。目に映るすべての光景は、ぼくがぼくとして見るこの世界の最後の光景です。

けれども、頭でそう思っていても、やはり身体はまた別の論理(でさえないかもしれないもの)で動いていて、だからすべての瞬間においてその光景が美しくかけがえのないものとして見えているわけではありません。残念だけれど。でもその日は、本当にすべての光景が最後の瞬間に目にするもののように、美しくぼくの目には映ったのです。美しいというのは、何て言うのかな、単にきれいだ、ということではなく、その一瞬にしか存在しないもののみが持ち得る絶対的な永遠性みたいな、自分でも何を言っているのか分からないけれど、でもみなさんにそれが伝わるであろうことは結構確信しているのです。

そうして一時間くらい歩いて電車に乗って、地元について、その頃にはもう真暗になっていたのですが、街灯に照らされた街路樹の枝々に、まだ先ほどまでの異様な感覚の残滓が残っていました。

別に薬をやっていたわけではありません。ぼくは薬でハイになるとか感覚が鋭敏になるとか、そういった考え方自体が大嫌いです。薬を飲んで世界を見ると云々みたいなことを言う自称芸術家とかっていますけど、てんで可笑しい。普段の自分の目に映る世界が真の世界で、そこに美を見出せないなら、それはきみ、才能がないんだよ、とぼくは思う。特別なことをしていないのに特別になってしまうのが天才の悲劇であって、ひとと違うことをしたいというだけでするのであれば、それは単に肥大化した自己愛の醜い自慰行為に過ぎない。

父が最後のころ、入院していた病室からは海を見ることができました。いま思えば船乗りだった父にとって、それは本当に良かったなあと思うのだけれど、ともかくそこから変な形をした建物が見えていたのです。父を支えて窓際まで行って、あれは何だろうねえ、などと話したのですが、ぼくはあれは江戸東京博物館だろうと主張しました。父はそんなはずはないと言ったのですが、でも江戸博っぽい。みなさんは呆れるかもしれませんが、ぼくは何しろ地理感覚がなくて、自分が自分の足で歩き回ったその範囲のことしか分からない。いまだに神奈川県がどんな形をしているのか知らないし、興味もありません。町田が東京か神奈川かも良く分からない。ああいま、ぼくは全町田市民を敵に回したかもしれない。

ともかく、その建物は東京ビックサイトというものだったのです。ずっと後になって、たまたま地図を見ていて知りました。でも、何となく形が似ていませんか?

そうしてもうひとつ思い出すのは、やはり同じとき、壁に幻覚が見えてきていた父が、ほらあそこに××が、と言って指を指して不安がるので、彼が指を指すその壁際に立って腕を振り回し飛び跳ねて、ほらぼくしか居ないだろう、何が見えたってそれは嘘さ、と父に繰り返し繰り返し言い聞かせたことです。もちろんそんなことで幻覚が消えるものではないことくらい知ってはいますが、しかしその幻覚の世界にぼくが登場することで、少しでも日常的な光景を割り込ませることができればと思っていました。

いまでも、そのときの事々を思い出すと、名づけ様のない感情に気が狂いそうになります。仕事柄使い慣れた双眼鏡すら動かせなくなった父に、ピントを合わせたそれを手渡し、けれどやはりうまく使えない彼とああだこうだと言い合ったこと、あるいはその他すべての、恐らく一生誰にも語ることのないであろう事々。

言うのも恥ずかしい当たり前のことですが、人間は常に独りでいるものです。愛という奇跡は確かにそれを乗り越えるだろうけれど、それはあくまで奇跡であって、ぼくらはまずそれを手にすることはない。独りであることをことさら声高に叫ぶマッチョも、逃避としての甘っちょろい愛を語る嘘つきも、ぼくは好きではない。事実は、単に事実としてそこにあるだけです。

それでも、窓から見えたあの光景が、せめてある一瞬においてだけであっても、彼にとって美しいものであれば良かったと、ぼくは願わずにはいられません。

あらゆる一瞬は、それが始まりから終わりに至るまでのすべての時間においてただその一瞬のみに存在するが故に、永遠性を内包しています。きょう、ぼくの目に映る光景はいつもどおりの日常です。蟻が這い、マンホールが鈍く光り、葉の上では蛾の幼虫が食事をし、緑の落ち葉が見えない風の動きを教えてくれます。それでも、その光景の向こうにある永遠をぼくは知っています。神も救いも存在しないこの世界で、それでも永遠を見る目を持ったぼくらもまた同様に不壊であることを、ぼくは、ある日見た光景にかつて存在した、死んでいったすべての人たちに語りかけるのです。

良い論文を書こう

きょうは一日論文を書いていました。締め切りは三月一杯なのですが、その前に教授に目を通していただくことになっているので、そろそろ仕上げなければなりません。しかし論文の引用数などが少々弱いですし、まあ今回は査読で落とされるだろうと思っています。とは言えここで一本まとめておくのは他の投稿予定の論文にも役立ちますし、六月にある学会発表の準備にもなりますので、最後までしっかり書くつもりです。

とか言っておいてあれなのですが、来週末に京都へ行くのです。先だって鹿児島へ行ったばかりですが、普段は仕事やゼミがない限り家に引きこもっているので、まあこんな月があっても良いでしょう。っていうかですね、遊びに行くのではないのです! 学会があるのでそれに参加するのです。参加するっていっても自分の発表は何もないので、まあ適当に見るものを見て、あとは観光するつもりですが。わあやっぱり遊びに行くのか!

でも一日論文を書いていて、ちょっと飽きたなあとぼんやりするときなど、ふと昔のことを思い出したりするのです。きょうはたまたま細野さんのメディスン・コンピレーションを聴きながら書いていたので、人形劇をやっていたころのある日の夕方のことを思い出しました。

その日は特に公演が近いわけでもなく、いつも通りのメンバーで、ぼくらはだらだらと部室でくつろいでいました。そもそもぼくはほとんど講義というものに出なかったので、芝生でのんびりするか部室で遊んでいるか、で、相棒が(彼女は何だかんだ言ってぼくとは正反対に真面目な人なので)講義から帰ってくるのを待っていたりするのです。

彼女が部室に帰ってきて、何だかニコニコしながら紙コップを持って近づいてくる。どうしたのかな、なんてのんびり思っていたらアウトでして、「戻ってくるときに見つけたの」とか言って中を見せてくれると、ぼくの嫌いなひーさんとかがとぐろを巻いていたりする。本当に怖い目にあうと、自分のあげた悲鳴がまるで知らない誰かさんが叫んでいるように聴こえるのが不思議です。

まあそんなことをしながらぼくらは過ごしていたのですが、その日はなぜか部室にあったダンボールを漁ろう、ということになりました。意外に歴史のある部でしたので、入り浸っているぼくらでさえ知らないようなモノのつまった箱がけっこうあったのです。そうしてごそごそと荷物をひっぱりだしたりしていたら、大きなスピーカーが出てきました。

もちろんぼくらは劇をやっているわけですから、すでに巨大なスピーカーやアンプはあるのです。でももうワンセットあるとは思っていなかったので、ちょっとびっくり。何しろ暇なぼくらですので、早速みんなで線をつないで、いままで使っていたスピーカーと合わせて四つ、部屋の四隅において音楽をかけることにしました。

良く知りませんが、何かサラウンドとか5.1chとか7.1chとか言いますよね、でも貧乏だったぼくらにはそんなもの別世界の話です。でもぼくらにだって、おお見よ! 巨大スピーカーが四つもある!

そうしてかけたのが、細野晴臣のメディスン・コンピレーションでした。最初のイントロ、深く澄んだ音が部屋に溢れたときの衝撃ははっきり覚えています。感動すると、ぼくは思わず笑ってしまう人間でして、思わず「えっへっへ」と鬼太郎のエンディングテーマみたいに笑ってしまいました。

あのとき、あの部室に居た人たちと、もうぼくは相棒以外には何のつながりもないし、今後もつながりを持つことはないけれど、でもやっぱり、それはぼくの中に一生残る光景です。そしてたぶん、それだけで十分だったのだと思います。

けれども、人生はどこでどうつながるかは分りません。先日、うちの研究室から事務方や発表者としてだいぶ参加した学会がありました。ぼくは仕事がつまっていたので参加しなかったのですが、あとでそのときの発表者一覧を見て驚きました。人形劇で一緒だった子が、いま他大の院に所属して、その大会で発表していたのです。年齢もたしかぼくと同じだったはずだから、この年齢で互いに博士課程に在籍しているというのも、なかなかに面白い共時性です。

もしぼくが参加していて彼と会っても、恐らく互いに「お久しぶり」とか「やあ」とかもごもご言って、それで終りだったとは思います。けれども、その想像は、ちょっとだけ楽しいのです。いつかその学会で彼に会い、「やあ」と言っている自分を想像すると、なぜか、ぼくは少し笑ってしまいます。

良い論文を、書かなくてはね。

退路を絶つな!

という訳で何かこうブログというと、その人のカラーとか得意なこととか専門分野とか、そういった中心的なテーマみたいのがあるそうでして、じゃあこのブログって何かあるのかしらというと何もない。自分で書いていて、本当に脈絡がないなあなどと思っていたのですが、きょう凄い発見をしました。これはね、日本全国、ぼくのブログがトップだと胸を張って言えることです。知りたいですよね! ね! うん、あなたが知りたくないことは分っているのですが、寂しいので言わせてください。googleで「デッキブラシ」を検索すると、製品としてのデッキブラシ関連が幾つか出てきた後、このブログが堂々の8 位でヒットするのです(2009年2月29日現在)。凄い、ブログとしてはトップですよ!

はあ疲れた。精神的に。で、きょうの話題ですが、とても真面目な話です。去年の暮れにぼくの数少ない友人である彫刻家が一時帰国しまして、一月くらい滞在してすぐにニューヨークに戻ってしまったのですが、けれどもその一月の間にずいぶんと夕食を共にすることができました。毎週一度か二度、昼過ぎくらいから相棒と二人でお邪魔して、終電近くまでゆっくりと料理をしたり(するのは彼なのですが)お話をしたり。これだけ一緒に過ごしたのは、ぼくらが大学生で彼女がモデルのバイトをしていたとき以来ではないかと思います。ぼくと相棒の関係というのは非常に閉鎖的で歪んだものではあるので、こうして時折彫刻家と会っていろいろな話をするのは、改めて生きていく上でのバランス感覚のようなものを取り戻すとても良い機会となります。もちろんそんなことを超えて、純粋に彼と会うのが楽しいのはもちろんですが。

とにかく彼はしたたかで、あれほど強い心を持った人間をぼくはあまり知りません。けれどもユーモアもあるし、何より人間に対する愛情(などと言うと彼に怒られそうですが)がある。そして極めてユニークな人生を過ごしているし、その独自の視点から語られる彼が見た彼の世界というのは本当に面白い。ぼくに才能があったら、彼を主人公にドキュメンタリーを撮りたいと思うほどです。でもそんな才能は残念ながらぼくにはないので、いま一生懸命「ブログを書いてください」と説得しているところです。彼の語りを独占するのは本当に惜しい。けれどいずれにせよ作品集を載せたサイトの準備もできているので、近々公開する予定でいます。

さて、暮れに彼と三人で食事をしているときのことです。ふとしたことから、ぼくが自分の人生に関して「でも、ぼくはいつでもプログラマとして食べていけるっていう逃げ道があって、だからそういった点では自分に甘えがあると思っているんですよね」云々、というようなことを彼に言いました。すると彼は強い口調で「何を言っているんだ、それは当たり前のことだ」と答えたのです。

ぼくはいま博士課程に在籍しています。まあそれなりに研究はしていますし、自分の才能とセンスにも自信はある。人生の貴重な数年間をかけるのですから、自信がなければ博士課程にいても無駄だとぼくは思います。けれども同時に、当然ですがぼく程度の才能を持った人間などごろごろしている。いやぼく以上の才能を持った人間が、ですね。しかも連中の大半はぼくよりはるかに若い。だから、ぼくが研究者としての職を得る可能性は限りなく0に近いでしょう。それは当然ぼくよりもっと若くて才能溢れる彼ら/彼女らにしても同様であって、だからみんな必死です。

けれども、ぼくはそもそも研究者として食べていくことにそれほど魅力を感じていない。下らないという意味ではなく、それはどちらでも良いと思っているのです。博士号をとるということは独り立ちできる研究者になるということであって、研究者というのは研究職についているからそうであるようなものではない。その人の考え方、世界の捉え方こそがその人を研究者として規定するのです。

などとのん気なことを言っていられるのは、しかし実は、ぼくがプログラマとして食べていけるという(いまのところは)保証があるからです。ぼくはそこに、本気で研究職を目指している人たちに対する引け目というか、申し訳ない気持ちがどこかにありました。もちろん、ぼくとていい加減な気持ちで学んでいるわけでは決してない。それは誤解のないようにお願いしたいのです。ある枠組みの中で自分の考えを鍛え上げていくというのは、自分自身を鍛えることだし、世界と戦う武器を錬成するということでもある。それについて妥協したことは一切ない。ただ、繰り返しますが、これはまあ本当にのん気な主張でもあります。研究職につけなくたって、ぼくはプログラマとしてやっていけるし、プログラマでありつつ研究者であることはまったく矛盾がない。少なくともぼくの中では。けれどやはりそれは逃げではないのか。

と、そんなことをうじうじと思っていたら、先ほどの彫刻家の言葉が出てきたのです。常に退路を確保するのは当然で、それをしないのは挑戦ではなく愚行だ、と言う。もしかしたら当たり前なのかもしれませんが、ぼくは結構驚いたのです。例えば芸術家というと、日常生活なんて破綻していて、常に崖っぷちというか崖から落ちながらこそ創造が可能だ、みたいなイメージがありませんか? いやもちろんぼくもそれほど極端かつステレオタイプに考えているわけではないのですが、でもそんな先入観がまったくないと言えば嘘になる。破滅型の天才、というやつですね。

けれども彼は強い言葉でそれを否定しました。どんなときでも、人は必ず退路を確保しなくてはならない。ちょっと、それを聞いて納得したのです。彼は、もちろん彫刻を創るから彫刻家なのですが、しかしそれ以前に、魂の在り方として芸術家なのです。これはちょっと本人に会わないと伝わらないけれど。自然に生きて、自然に(というのは無理なく、ということではなく、その人にとって苦闘を伴うあり方がその人の本然であるのならそれが自然だという意味で)芸術家である。そんな彼にとって、退路を絶って一か八かで芸術家たらんとする、作品を創るというのは、ナンセンスの極みなのかもしれません。いやもしかしたらもの凄い誤解しているかもだけれど、ぼくはそう理解したということですね。これ後で彼に「全然違うよ!」と怒られるかもしれないけれど。

そうして、生きるということを全力で楽しんでいる彼にとって、そういった破滅型の創作というのは、あるいはそれに対する幻想というのは、まったく馬鹿馬鹿しく、自己愛に満ちたものにしか見えないのかもしれない。

当然ですが、これは「言い訳をする」ということとはまったく違うのです。例えばぼくが「研究職に就けなかったけれどプログラマとしては一流 (済みませんちょっと法螺を吹きました)だし!」と、言い訳として言うのであればそれはみっともないし、自分を貶めることになる。そんな生き方では何も得ることはできないでしょう。けれどもそうでない在り方は、例えば「研究職に就けなかったからもう後は野垂れ死ぬ」というものではないし、そうであってはならない。

念のため申し上げますと、ここで言っているのは、日本において博士号取得者に対する待遇があまりにも悪いとか、そういった社会的な構造の問題ではないのです。そうではなく、何者かになろうとか何物かを創ろうなどと言ったとき、そこに破滅の美学を持ち込んではならない、ということなのです。ぼくは、それはとても納得しました。ぼくらはしぶとく生き延びなければならないし、そうやって人生に(良い意味でみっともないまでに)しがみつきつつ、あるいはふてぶてしい笑みを浮べつつ、進路を変えて生き延びるべきだし、また生き延びて良いのです。

「退路を絶つな!」。そう考えてみると、これはあらゆる場面でぼくらが思い出してみる価値のある言葉だと、ぼくはそんな気がしているのです。

後先考えずにエントリーする勇気

という訳で最近あまり良いことがない。例えば今年のバレンタインデーは誰にもチョコを貰わなかった。と思ったが先週か先々週、プロの店で業務用板チョコみたいのを自分に買っていたのでぎりぎりセーフ。やたら硬いのでいまだに結構残っている。そう言えば大学時代はバレンタインデーというと人形劇部の女の子たちにチョコをあげていた。最近は男もチョコを買うのが流行っているらしいがそれなら俺は時代の最先端だったのか。でも当時は女性に混じってチョコを選んでいるとひたすら変質者だった。また例えば防水だというので喜んで買ったWX330Jの電波のつかみ具合があまりに酷く音質も悪い。話していてもぶちぶち切れるし、メールを受信しようにもネットワークエラーが頻発する。防水だというその一点のみで我慢してきたがそろそろ堪忍袋の尾も切れた。堪忍袋とはオーストラリアに住む有袋類の一種だ。尻尾をつかまれるとそれを切り捨てて逃げると見せかけ激怒する。だから緒でなくて尾で正しいのだそれはともかく。昼休みにwillcomのサイトを見たらWX330Jのバージョンアップのお知らせがあり、これで少しはまともになるかと思ってバージョンアップしていたら昼休みの半分が過ぎた。さてあと10分しかないのだがこのブログを書き終えることができるのか。無論書き終えることができなかったところで人類の歴史には何の影響もないのだが。さてバージョンアップがいま終わり、いそいそとメールを受信してみたら「[楽●天]トラベルニュース ○○様婚活はじめに、ほにゃらら以下略」というのが一通だけ届いていた。婚活はじまらねーよ! っていうかそもそも何の略だよ! と切れてみたものの空しいだけで、しかしきょうのぼくは落ち込むだけではない。なぜかと言えばカメラを持ってきているのです。寒いけれどふかふかのセーターも着ているし、仕事が終わったら海にでも行って写真を撮ろう。暗いことばかり多かった昨年だけれど、改めて写真を趣味にできたことは大きな支えになった。以下写真について感動的なことを書こうと思っていたが案の定昼休みが終わっていまは15:00。仕事はちょっと一段落だが感動的なフレーズはすべて消えた。けれど諦めが悪いのがぼくの良いところなので無理やり書いてみる。最近マクロレンズを買ったと前に書いたけれど、なかなか撮るものがない。仕方がないので自分の指紋を撮ったりする。自分の人生の意義について考えたりもできるので超オススメ。ちなみにぼくは指紋に関しては一家言あって、いやないんだけど、手足を合わせればほとんどすべての指紋の種類を一人で網羅している。ちょっと自分の身体が怖い。あれ全然感動的な話題にならないな。もう一度やり直し。写真を撮るようになってから、以前よりいっそう歩くようになった。仕事帰りに二、三時間カメラ片手に歩くなんてこともある。もともと歩くのは好きだったけれど、面白いもの、美しいものはないかと探しながら歩くのはとても楽しい。身の回りのものに対する視線が鋭敏になった気がするし、自然の移り変わりにも注意深くなったように思う。おおなかなかに良い話っぽい流れ。まあそんなふうにして身体は鍛えられ、精神は研ぎ澄まされる。終いには悟りを啓くか武道の達人になりそうな勢いだ。スティーブン・セガールだって倒せるかもしれない。セガールと言えば「沈黙の聖戦」だったかであまりに肉々しくおなりになっていたのに衝撃を受けた。ぼくはてっきりあれは CGで、怠惰と安逸を貪り肉々していたセガール(CG)が仲間の危機を前に心を入れ替え身体を鍛えなおしセガール(リアル)になり云々というストーリーを予想していたら最後まで肉セガ(CG)だった。アクションスターも大変だ。アクションスターと言えば珍しく見たい映画があって、「その男ヴァン・ダム」。タイトルは違うかもしれない大体こんな感じだったはず。久々に名作の予感がしている。どのくらいしているかと言うと、ぼくの予感って当たったことないんだよなと絶望するくらいにビシバシ予感がしている。とは言えいまは映画どころではなく仕事どころでさえなく、空腹なのです。朝ちょっとしんどいことがあって食べる時間がなくて、まあお昼に会社の自販機のカップラーメンでも食べれば良いやと思っていたら財布の中に五千円札一枚と一円玉六枚しかない。これでは何も買えないではないか。駅前にあったコンビには去年潰れた。先週買い置きしていたアップルティーと緑茶のペットボトルだけを希望に生きていこう。そう誓ったは良いけれどやはり空腹で、どうやら昨日の晩飯以降24時間何も食べずに過ごすことになりそうだ。けれどまだ新人だったころ、とあるメーカーの仕事を請け負ったときは辛かった。右も左も分からぬ状況でさあバグを直せバグを直せいま直せと言われ、36時間飲まず食わず眠らずで他人のプログラムを解析したことがあった。まあ飲まず食わず眠らずなんてどうということもないが、トイレにも行かなかったと言えば結構みなさん尊敬してくれるでしょうか。してくれませんね。だから世界でぼくだけがぼくを尊敬することします。俺凄い! 俺凄いけどこのブログひどい! けれどもぼくはかなりええかっこしいなところがあって、どうも最近ブログで格好つけているというか気取っているというかそんな気がする。そんなこんなで、そろそろ定時。たまにはこんな、自然体。ここまで読んでくれた人が誰も居ないことに賭けるけれど、その賭け金は、ここまで読んでくれた奇特なあなたに対する、惜しみない、愛。

床に残る記憶

学園祭の時期ですね。いやもう終わったか。まあいいや。いま、ぼくは勉強することが好きでして、またとても楽しいとも感じています。それは自分が生きるということと自分の研究テーマが、極めて強く結びついている、結びついてあるようになったからだと思います。呼吸をするように研究テーマを考えることができるようになって、だいぶいろいろと楽になった気がするのです。最初の大学では情報科学というものを形ばかり専攻していましたが、このときは辛かった。周りの連中は、確かに優秀なのもいる。けれどではいったい彼らが何のために勉強しているのか、それが全然見えてこない。単なるマニアにしか見えないのです。そういう自分も結局は同じで、知識を自分の生にとっての武器にできていなかった。自分の魂を表現するものとしての学問を持てていなかった。だから中退したのはある種当然の結果であって、まあ適当にやって卒業して、良い企業に就職してさっさと結婚していまごろ役職についていて、もしかしたら子供もいて、そういう人生もあったかもしれませんし、それを否定しようとも思わないのですが、けれどやはりぼくはいまの人生を送らざるを得なかったし、それがぼくの在り方なのだなあといまは思っています。もちろんそれは現状肯定ということではなく、いまのぼくの生活には深刻な問題が多々ありますし、それには立ち向かっていかなければならないけれども。

何の話でしたっけ……。そうそう、学園祭です。だからいま、ぼくは学園祭というものにあまり関心がない。まあ当たり前でして、三十過ぎの男が「学園祭だーいすき☆」とか言っていたらそれはそれでちょっとやばい。けれども昔はぼくも学園祭が好きでした。学園祭そのものというより、そこでぼくらは人形劇を公演するのですが、それが楽しかったのですね。

先日、相棒とふたり、とある大学の学園祭を覗いてきました。ぼくらとは縁もゆかりもない大学ですが、たまたまやっていたのです。時刻はもう夕方で、ほとんどの企画や展示は終わりかけていたのですが、まだ校内にはその日最後の盛り上がりが残っており、その中を二人で歩きました。ただ、ぼくらはあまり賑やかなのは苦手でして、流されるように賑やかな表から裏側に入り込んでしまいました。そこは製作棟のような雰囲気の建物でした。その、ペンキ跡に汚れた床を見て、ぼくはふいに、昔自分がまっとうな大学生だったころのことを思い出していたのです。

大学時代、ぼくは相棒他何人かの部員と人形劇をやっていました。だいたいは子供向けで、たまに近所の幼稚園へ出張公演をしたりもしました。けれども学園祭では、どちらかと言えば子供向けよりも少し大人向けの演目をやることが多いのです。子供向けには子供向けの、学生向けには学生向けの、それぞれなりの難しさ、楽しさがあるのですが、まあそれはいずれ。

学園祭が近づくにつれ、当然ですが部室はだんだん修羅場になっていく。ぼくらは弱小な部でしたから、大抵脚本と演出は兼任になります。で、人形劇ですから人形を作らなければならないし、同時に役者も演じなければならないから台詞の通し練習や立ち位置の確認、発声練習もある。大道具小道具の製作もあるしパンフやポスターの作成もある。みんながひとり何役も持っているから、とにかくてんやわんやになります。手が足りないので、公演前になるとヘルパーさんも来る。狭い部室に作りかけの人形や大道具小道具、裁縫道具や工具が散らばり、ポスターやパンフの原稿、脚本も積んである。ベランダでは発声練習をする者もいるし、部屋の中では裁縫をしたり鋸で木材を切っている者もいる。何故か単に遊んでいるだけのやつもいる。

ぼくは、その雰囲気が好きでした。そしてもちろん、公演直前の緊張感、真暗なけこみの中にしゃがんでいるとき、あるいは音響/照明担当で開幕のタイミングをはかりつつスイッチに手をかけているときの緊張感も、あるいは舞台が終わり、お客さんのはけた後の客席にぼんやりと座っているときの開放感も好きでした。

だけれど、いま、ぼくの記憶に何よりも残っているのは、公演が終わりすべての後片づけが終わった後、再び見えるようになった冷たいコンクリート剥き出しの、部室の床なのです。そこには長年にわたってついた傷、塗料などの跡が点々と残っています。そして今回の公演準備の間についた新しい汚れや傷も増えています。ぼくはそれを見るのが好きでした。堅く、ひび割れ冷え切ったコンクリートに、けれど確かに、生き生きとしたぼくらの活動の跡が残されていたのです。

いま、もうその部室は使われていません。もしかしたら建物すら、すでにないかもしれません。けれどもし、あの部室をもう一度訪れることがあったら、ぼくはきっと、あの床を写真に撮るだろうと思っているのです。

旅に出たって自分なんか見つからないってお母さんいつも言ってるでしょ!

いや、先日とある映画の試写会に行ったのですが、これがまあひどい映画でした。タイトルは”Into The Wild”。基本的にぼくはレビューとかしないんですけれども、あまりにひどいのでちょっと書きます。内容どころかラストにまで触れていますので、映画を観ようと思っている方は以降お読みにならないでください。

とか言ってですね、まあみなさんご存知のように、ぼくにレビューができるはずがない。絶対に話がずれるに決まっています。それから、いつも書いている通り、ぼくは自分の主観と他人の主観を厳密に分けています。ですから、ぼくにとってつまらなかったからと言って、その映画に価値がないというつもりはありませんし、あなたがその映画を観てもつまらないかどうかは分かりませんし、あなたが面白いと思うのであれば、それを否定するつもりもまったくありません。ぼくが書けるのは、ただ、ぼくがその映画をどう思ったのかだけであって、このブログも、ぼくが何をどう感じるか以上のことは書けるはずもありません。

今回この映画を観に行ったのは、相棒が試写会の抽選に応募して、それが当たったからです。相棒は結構こういう試写会とかに応募するひとで、たまに当たると、二人で観に行きます。で、おんぶにだっこの状態で申し訳ないのだけれど、これが大抵、つまらないどころか無茶苦茶な映画であることが多い。いや『ダーウィンの悪夢』は面白かったな。でも『中国の植物学者の娘たち』はひどかった。あまりにひどくて憤激して、これは絶対ブログに書くぞと思っていたのだけれど、基本的につまらないことはすぐに忘れるたちなので、きょうのきょうまですっかり忘れていました。まあそれは良いや。で、どのみちぼくは映画そのものよりも相棒と映画を観に行くという行為自体を楽しむので、映画の内容がひどくても、行ったこと自体を後悔することはないのです。

で、今回の”Into The Wild”。これもひどかった。これはクリス・マッカンドレスという実在のアメリカ人の若者が、親との反目やら何やらが原因で、「本当の自分」を探しに「すべてを捨てて」荒野を目指し、けれどもその途中で毒の豆を間違えて食べて死ぬ、という、現実の話を元にした映画です。90年代初めですから、年代的にもぼくに近い。彼の方が半回りくらい上ですけれども。

誤解されがちなのですが、ぼくは決して優しい人間ではありません。むしろまったく逆だとお考えいただいた方が良いでしょう。ぼくが恐れるのは偽物の生です。ぼくにとっての悪とは本当の生を腐食させるあらゆる偽物のことであり、それを認めてしまったら、人間、もう後は生きたまま死ぬだけになります。それは絶対に嫌なのです。そして”Into The Wild”にはぼくの敵たる「偽物」の匂いが芬々としている。だからぼくはぼくに対して、それを告発しなければならない。

と言いつつなかなか本題に入らないのですが、映画だけでなくて、試写会全体もひどかった。最初に配給会社の宣伝部か何かの担当者が出てきて能書きを垂れたのですが、サイトでこの映画の広告をしているから見てくださいと言うのです。それだけなら、ああそうですか、という話ですが、何かですね、繰り返し繰り返し「このサイトには著名人の方々も参加して云々」と言う。その俗悪さたるや! だいたい「著名人」って何ですか? ぼくらは名もなき衆愚ですか。そりゃ結構。けれどもですね、あの、人を見下したような、私はセンスがある! みたいな虚飾の自信に溢れた宣伝担当者を見ていると、とても悲しくなってくるんです。「著名人」ねえ……。それからしばらく、相棒とぼくの間では「チョメイジーン!」というのが流行っていました。

そしてもうひとつ、ラウンジで登山靴を展示していたんです。何だろうと思っていたのですが、その担当者によればどこかのメーカーとタイアップして、まあ要するに映画を観て”Into The Wild”したくなったらその靴を買え、と。はっきり言えばそういうことです。莫迦らしい! ハイテク登山靴なんて、まさにこの資本主義に塗れた世界の成果として生れたもののひとつな訳ですよね。悪くないですよ? ぼくだって登山靴は好きです。出勤時にまで履いているくらい好きです。でもね、それは決して、”Into The Wild”じゃあないんです。繰り返しますが、悪いことじゃない。むしろぼくらは、そういったもので武装してWildに乗り込んで良いんです。でも、それは自然と自分との一対一の闘いなんかでは決してない。人類の総体が、自然を破壊してきた工業社会の歴史全体を背負った人類の総体が、自然と「一対一で」向かい合っているなどとたわ言を吐く誰かさんの背後に間違いなく存在するんです。それを誤魔化してはいけない。

で、いきなり本題に入るのですが、要するに主人公もそうなんですよ。家族との軋轢に悩んで、大学では南北問題とか人権問題とかを学んで、卒業するときに「本当の自分」「ありのままの自分」を求め、”Wild”に行こうとする。でもそのとき、彼の装備は、何度も言いますが、彼が否定したつもりになっている資本主義経済が生み出した製品なんです。銃とか、服とか、靴とか、あらゆるものが。それはね、全然否定になっていないし、自然との闘いにもなっていない。自分がそういった世界の中にあり、そこから離れがたくあることを認めた上で、初めてぼくらは自然と戦える。もし戦うというのなら、ですけれども。どんな御託を並べたところで、それが分からないなら、そりゃあピクニックですよ。

そして第二に、結局彼は最後、食べられない毒のある豆を間違って食べて死ぬんですけれども(まあこれもですね、自然を甘く見すぎだろうと思うのですが)そのときにですね、心の中で両親と和解するんですよ。ちょっと待てよ! と思うのです。何か最後の章のタイトルは「偉大なる英知」とか何とか、たぶん違うけれどそんな感じでした。おいおい、資本主義を否定して家族を否定して、そのくせ工業製品で武装して”Wild”に行って、そのすぐ入り口で挫折して(彼は結局、最後まで遠くに見える山の麓にすら辿り着きません)、豆食って死んで最後「お父さんお母さん仲良くしたかったです」かよ! それが最後につかんだ偉大な智慧かよ!

ちょっとね、おい、なめるのもいい加減にしろよ、という話ですよ。権威に、親に、社会に唾を吐いたなら、死ぬまで反抗し続けろよ。そうでなきゃ、そんなんただの若気の至りで、大人になってですね、いやああのころは私も若くてねえあっはっはとか、そんな大人になりたいのか。それでいいのか? 恥ずかしくないのか、自分の人生に対して、自分自身に対して? 反抗って、そんな適当なものなんですか?

だからですね、もの凄い保守的なんですよ。結局のところ。最後は家族の愛(笑)かよ、みたいな。あえて不快な言い方をしますけれど。これはね、凄く危険ですよ。第一に、自分というのがここではないどこかにあるという安易な思考。そんなん、「いま、ここ」で戦えないお前の姿が本当のお前の姿な訳です。当たり前ですよ。第二に、「自然の中でたった独り」というこれまた安易な思考。たった独りじゃないっつーの。じゃあお前が履いているその靴を、お前は作れるのか? そして第三に、死ぬ間際に頼るのが結局家族の愛かよ、という安易な思考。もう考えるのが面倒くさいんで「安易な思考」を連発するぼくの方こそ「安易な思考」なんですけれど。戦うことを選んだならね、すべてを殺す覚悟を持たなけりゃならないんですよ。和解するくらいなら、最初から戦うべきではない。何もかもが中途半端。最初から親を許すか、最後まで許さないか、それができて初めて戦ったと言えるんです。いや、ぼくらは大抵、そのどちらもできない。それで良いんです。人間ってそういうものです。けれど、そのときに、その結果をですね、「偉大な智慧」だか何だか、そんなお為ごかしで誤魔化してはいけない。それはぼくらの弱さなんです。戦い辿りついた偉大な結論ではなく、逃げた結果、負けた結果であることを認めるからこそ、ぼくらはそれを智慧と呼べる。

まあとにかく滅茶苦茶でした。何が言いたいのかさっぱり分からない。主人公も、ちょっとそのストーリーで表そうとしているらしい「繊細さ」を表現するにはあまりに鈍い演技だったし。最後、気合で痩せれば良い訳ではない。役者はボクサーではない。断食芸人でもない。

そしてもしあの映画のテーマが馬鹿な若者の過ちを描いたものであるのなら、それこそふざけるな、と思います。最後まで親を許さず、社会のすべてを否定しつつ荒野の中で死んでいくのか、あるいはヘラヘラと笑いながら荒野に行き、ヘラヘラと笑いながら社会に戻ってきて一生を過ごすのか、あるいは最初から荒野になど「逃避」せず、真正面から家族の問題と取っ組み合うのか。そこで初めて、ぼくらは人間の強さ、独りで戦うことの意味、全力で戦った結果その向こうに現れる巨大な悲劇を見ることができる。

とか何とかですね、激怒していたのです。そうしたらタイトルバックで、彼が生前に撮ったポートレートが出てきました。おいおい、お涙頂戴かよ、と思ったのですが、相棒がですね、映画館を出た後でぽつりと、「彼は戻るつもりだったんだよね」と言ったのです。「戻るつもりがない人間なら、写真など撮らない」、と。

そのとき、何か少し、彼に共感できた気がしました。映画は糞です。それは間違いない。けれども……。そう、やはり……、何とも言えないな。ぼくは彼に同情する気は一切ない。けれど同時に、やはり、やはり、帰る気があるのなら、帰させてやりたかったなあ、と思うのです。

正しいとか戦うとか、そんなん、普通の人間にはどうでも良いんです。生きて帰って、たまに楽しいことがある。まあでも、だいたいはくだらなくつまらない、何も起きない日常生活。そんな人生で良いんだともっと早くに気づけば良かったのに。そう思うのです。戦いっていうのは、結構、そんな日常生活そのものにある。分不相応な背伸びをしなくたって良いんです。そのままで、この場所で、いやこの場にこそ、世界でいちばんハードな戦いがある。

もっと早く彼がそれに気づいていればと、そんなことを思いました。