彼は落第のプロフェッショナルだ。

何せ教授の顔が気に食わないと言い放ち期末試験開始直前に席を立って教室をふらりと出てしまうくらいだ。しかしそんなときになって顔が気に食わないなどとのたまうのであるのなら、要するにそれまで彼はその講義に出ていなかったにもかかわらず、もしかすると期末試験さえ受ければ単位を取れるかもしれないなどと舐めたことを考えてのこのこ教室に来たのかもしれず、だとすればその浅ましさたるや見るに堪えないものがあるが、書いていて思いだしてきた、あのとき隣の席には彼女が居て――どうでも良いが生まれついてのストーカーたる彼は、そのときの、いやあらゆるときの彼女の表情を写真のように記憶している――唖然とした顔で彼を見上げていた。しかし当時の彼があまりに恰好悪い若造だったとしても、あの教授の顔が気に食わないというのはいま思い返しても妥当な判断で、そもそもあのエリートぶった大学そのものが気に食わなかった。いまとなってはある理由から、あの大学のエリート臭はますますひどくなっているだろう。

ともかく、彼は落第のプロフェッショナルだ。単位を取るための姑息なスキルを身につけている、ということではない。とにかく、ひたすら落第しまくる。彼女に無理矢理連れられて教室まで行き、突如体調を崩し脱兎のごとく逃げ出す。彼女が卒業した後は、もはや普段キャンパスのどこに居たのか、微塵も思いだせない。あれ? ほんとうにどこに居たのかな。後になって大学に入りなおして何を思ったのか彼女を追って博士課程にまで行き――何しろ彼は骨の髄からストーカーなのだ――いまは本職の傍ら、非常勤講師として何やらもぞもぞごそごそ、いわゆる「応用倫理」に区分されるであろうことをしゃべったりしている。これが楽しい。「応用」なんて地獄へ堕ちろ、倫理に応用も糞もあるか、と彼は思う。倫理は倫理だろ。死ね! 彼は自分を極めて高潔で教養があり倫理的な人間だと思っている。目がイっている。ひとは皆、きみは絶対に権力を持つべきではないね、と彼にいう。

ふたたび、ともかく、彼は落第のプロフェッショナルだ。単位を取ろうとあさましく這いずり回る学生たちの取る手段は、「武士道でござる!」と叫んでひたすらまっすぐ落第し続けていた彼にとっては許されざる非道であり、目を向けずとも臭いで分かる。もはや達人でござる。車種もスポーツのルールもTVタレントも分からない。地理についても税金についても歴史についても知らない。定職もない。だが、代返も代筆もすぐに見抜くし、顔を挙げていないときでも、いちばん後方に座っている学生がスマートフォンを弄って遊んでいるのも分かる。正直に言うと、ちょっと怖いことだ。教壇に立つ、という言葉はほんとうに偉そうで反吐が出るけれども、実際に立ってみると、学生だったころの彼が思っている以上に、学生のことが良く見えてくる。たぶんそれは物理的な状況によるものではなく……、何だろう、でも精神的なものでもないように感じるし、とても不思議だ。そうして、それは他の研究者に訊いてみても、だいたい同じように感じているらしい。何かもう、達人関係ないな。まあいいか。

でも、ぼくが言いたかったのはそういうことではなく、昔ぼくは、せこせこ単位稼ぎに卑怯なことをする連中を嫌悪していた。試験が近づくとノートを借りに来る「友人」とか、まったく信じがたい恥知らずに思えた。でも、不思議なことに、いま、自分が(ほんとうに下種な言い方だけれども)単位を出す立場になってみると、何もかもがどうでも良くなっている。どうでも良いというのは興味がないということでは決してなく、それぞれの、それぞれなりのスタイルや必死さ、嘘のつき方や言い訳の仕方、手抜き加減や世の中の舐めくさり具合が、ある面において微笑ましく思える、ということだ。もちろん、一生懸命講義に出席してノートを取ってレポートを書いて、という学生からすれば、そんな連中は許せないだろうし、そんな連中を特に厳しく評価しない講師はもっと許せないかもしれない。もっとも、ぼくだってあまりに出席状況がひどすぎたりする場合は、さすがにフォローできないし、きちんと講義を受けている学生には、きちんと高評価をつけてはいる。

だけれど、そういうことを超えて、やっぱり、大学は自由だ。落とすのも自由だけれど、でもそれはあまりに下らない。その先には退学や中退があるのだろうけれど、自分の経験から言っても、けっこう、それは取り戻すのがとてもとても、とても大変なマイナスになる。そしてまた他方で、「まじめにやったから評価されて当然」というのは、学問としては何の意味もない。高校までならそれで良いけれど、大学は、本来、唯一、評価とは無関係に自分のしたい勉強をできる場だ。言うまでもなくこれは理想論に過ぎない。現実を無視したまったくの戯言だし、様々な問題や穴がある。でも、こういっては何だけれども、所詮は非常勤講師の持つ一コマの話に過ぎない。だからその限りにおいて無責任であることを認めつつ、ぼくはむしろ、真面目に一生懸命やっている学生さんたちにこそ、とにかく自由にやろうよ、と言う。まじめでない学生さんには、聴く気がないなら大学のカフェテリアにでも行っておいでよ、と言う。本当に自由なのだ、学ぶということは。

その上で、いったい何の話をしたいのかと思われるかもしれないけれど、ぼくが昔は許せなかったようなことをする連中を見て微笑ましく思うのは、その阿呆くさい図太さや(自分がそう思っているだけの)したたかさなどが、昔ぼくが思っていた以上に大事なものだということを、いまのぼくは知っているからだと思う。そういうものがなかった人間は、結局、途中で潰れて死んだりする。いや、死ぬのではなくて、殺されるのだ。人生のあらゆる物事において、そこまでの罪もそこまでの価値も、ぼくらは絶対に持っていはしない。そういった弱さや不適応、あるいは無駄な潔癖や美意識。ぼくらはそういうものを持っていたけれど、でも、それは糞の役にも立ちはしなかった。とはいえ同時に、それは選べるものではない。持ってしまったのであれば、もうどうしようのないものでもある。だからせいぜい多少のフォローくらいしかできないし、きっと、ほとんど意味もないのだろう。

生き延びること、そのために自由であること。自由であること、そのために生き延びること。自分のなかではあまりにクリアだけれど、誰にとっても人生がそうであるように、そのビジョンもまたあまりに巨大で、言葉にするのは途轍もない労力が必要になる。だけれども、下らない「応用」倫理について話をしつつ、時折「魂のヴァイブレイシォン!」などと叫んだりしながら、それを伝えようと気楽に講義をしている。

脆弱な生き物

仕事帰り、家の近くでたまたま空を見上げたとき、数年ぶりに流れ星を見ました。普段は地面をしか見ないで歩ているから、それはほんとうに偶然でした。硬い雲の合間を強い赤の線が鋭く引かれ、すぐに雲の向こうに消えていきます。でもそれはほんとうに偶然なのでしょうか? 偶然です。でも、偶然って、偶然なのでしょうか。

しばらくのあいだ、普段は遠くにいる友人が戻ってきており、彼女と三人で、少ない時間を無理矢理遣り繰りしつつ、何度か食事をしました。最近は年に一度くらいそういうふうに会えれば良い、という状況で残念なのですが、それはそれとして、毎回、会うたびに何かしら会話にテーマのようなものが出てきます(無論、そんなに堅苦しく話しているわけではまったくないのですが)。今回のテーマの一つは、頭の後ろに眼がついているかどうか、でした。ちょっと、これだけ書くと何のことやら分かりませんが、要は、物理的、心理的、あるいは社会状況的な諸々をすべて含めた周囲の状態にどれだけそのひとが開かれているか、ということです。ぼくはそれを頭蓋骨センサーと呼ぶのですが、意味は同じようなものです。

頭蓋骨センサーは面倒なもので、まったくこれがないと困ったひとになってしまいますが、あまりに鋭敏に過ぎると、病気になってしまいます。ぼくはもともと若干病的に(などとは本人はまったく思っていないのですが)被害妄想気味な世界を生きているので、自分の身を守るという点において、この頭蓋骨センサーの感度を高めることをつねに意識してきました。とはいえこれは諸刃の剣で、感度を高めすぎると、ノイズの影響が強くなりすぎます。おかげで最近は、外に出ればノイズ――表層的にはそれは幻聴や、思い込みとしての他人からの視線や嘲笑、侮蔑への過剰な反応でしかないのですが――に打ちのめされてしまうので、ますます引きこもりぎみです。けれども、ひとつ良いことがあるとすれば、それは、頭蓋骨センサーの感度が高くなればなるほど、必然とか偶然という言葉から意味が失われていく、ということです。見上げたときに流れ星が流れるのも、要は必然と偶然が混じり合った揺らぎのなかでの、ひとつの不可思議でしかありません。ノイズの向こうには、ぼくらには理解できない生のままの世界が現れます。

だけれども、それはそれで、やっぱり困ったことです。最近はもうまったく参ってしまうことばかり。昨日、偶々数年前ニューヨークに行ったときの写真が出てきました。その友人と、彼女と、そして僕の三人で、タイムズスクエアで撮ったものです。通りかかった自転車乗りのあんちゃんにお願いをしてシャッターを押してもらいました。いまから見ると、何やらとても雰囲気の良い写真です。彼女はそれを見て、ぼくの顔つきがいまとまったく違っている、と言います。ニューヨークに行ったのは東日本大震災直後のことでしたので、たかだかこの数年で、どうやらぼくはだいぶ擦り切れてきてしまったようです。だけれども、彼女も友人も良く写っていますし、またナルシストでもあるまいし、自分の顔つきのことなどは、別段どうでも、かまいません。

この一年は、ほんとうに限界を超えていました。数年にわたってつけてきた日記も、この数か月は、とうとう記録する気力さえなくなり、停止中になっています。もっとも、いまぼくの研究はちょうど「記録」と「記憶」の問題を扱い始めているところなので、そういった意味では日記の停止というのも、ちょうど良いタイミングではあるかもしれません。すべてがただ剥き出しのリアルだけになり、瞬間瞬間のうねりにだけになっていきます。それでも、そこに誰かが居る限り、生の世界のただなかにおいて、嘘であっても虚構であっても、「記憶」は「記憶」で在り続けます。

* * *

研究と日記、ということでいえば、今年は、研究においてもまったく新しいところへ踏み込み始めた年でもありました。仕事や私事のこともあったので時期的には相当に厳しいなかでの挑戦でしたが、それでも、納得のいくものは残せたと思います(あくまでスタートラインに立つためのものですが)。だけれども、そうして苦しんで書いたものをいま読み返すと、明らかに自分の能力を超えたものになっていることに気づきます。ブログや日記とは異なり、論文は幾度も幾度も重ね書きをしていきます。言葉の積層性というのは要するに精神の階段を作りだすものですから、普段の自分がジャンプしても届かないようなところへ、積算された努力が連れて行ってくれます。そしてその高みから見下ろせば、その景色は、もはや自分には何が何やらまったく分からないものになっていたりします。そうして同時に、それが言葉を書くということのすばらしさでもあるのです。書くことが持つ超越性や普遍性というのは、案外、そんなところにあるのかもしれません。それもまた、神にさえ優る人間にのみ到達可能な生の世界と言語の虚構の交点です。

ともかく、その論文の完成稿は年末年始に集中して仕上げようと思っていますし、今年から新規で始まった非常勤の講義のほうも、とりあえず年内は明日でおしまいです(いま、このブログを書きながら必死にレジュメを作っているところです)。これでだいたい、今年は店じまい。あとは私事と仕事が残ってますが、これはもう、どうしようもありません。どうしようもないことはどうしようもない。別段殺されるわけでもありませんし、殺されるのであればそれはそれで、結局自分ではどうしようもないという点においては何の変りもありません。

努力をすれば報われるとか、そうでなくとも報われたその背景には必ず努力があるとか、苦労もいつかは終わるとか、すべては糞の戯言です。しかしいずれにせよ、生き延びなければなりません。ぼくらは所詮、土塊から作られた被造物です。だけれども、そもそも被造物がどうとか、そんなものは糞喰らえです。言葉がある限りにおいては、どのみちぼくは、へらへらにやにや、しぶとく生き残っていることでしょう。

気づけばすっかり育っている冬毛、やがてすぐに冬眠。

けっこう、死物狂いでいろいろな原稿を書いていたような気がします。科研費の申請書や、いま参加している研究会用の論文、それから同人誌に掲載する小説など、とにかく、徹底して零から書くことが求められるものだったので、だいぶ苦しみました。それ自体は楽しい苦しみなのですが、同時に、食べていくための仕事がピーク続きであったり、あとは新しい講義が二つ始まってしまっているので、その準備に追われ続けているということもあり、精神的にも体力的にも、だいぶ疲労困憊しました。

それでも、とにかく書き続ければ、書いたものは残ってくれます。それが良いのか悪いのかは分かりませんし、別段、「自分」が書いたもの、という意味で残ってほしいと思う訳でもありません。それでも、やはり、言葉というものの良いところは、時間も空間も超えて、誰かに届けることができるし、誰かから受け取ることができるということです。そしてもちろんそれは、届ける意味のある言葉だから、でなければなりません。意味がある、というと少々驕っているようにも思えますが、しかしそれは徹底的に主観的で、徹底的に一対一のものです。そしてその限りにおいて伝える意味があるという確信がなければ、誰も言葉など書けないだろうとぼくは思います。

そういった意味のある言葉に、この数か月書いてきたものは、ほんの一歩でしかないとしても、少し近づいたという自負はあります。

最近は、同人誌に書く文章も論文も、その文体においては、かなり一致してきているのを感じます。良いことなのでしょうか、悪いことなのでしょうか。言うまでもなく、研究者としては良くないことです。というよりも、恐らく、ますます、ぼくが何を書いているのかが、研究者相手には伝わらなくなっていくことでしょう。それはそれで、仕方のないことです。文体は、選べるものではない。そうであるのなら、ぼく自身の人生としては、論文と小説の文体が一致し始めているというのは、避けようもないことでもあり、望ましいことでもあるはずです。

そんなつもりはないのですが、ぼくはけっこう、ひとに不快感を与える人間のようです。能動的に不快感を与えようと思うほどには興味のない連中に限ってぼくを嫌うので、要するに、無関心であることをあまりにも露骨に現してしまっているのかもしれません。ちょっとばかり子供っぽいようですが、しかし、この年になると、残り少ないリソースを何に割くのかに対して自覚的になるのはある面において仕方のないことです。仕方のないことは仕方がない。そういった諦めを、これは他人に強要するのではなく、自も他もなく単なる事実として受け入れてしまうということ。でもそれは、やはり、ある人びとにとってはとても耐えがたく不愉快なのだろうということも分かります。

そうして、そういう傾向が強くなることと、自分の書くなにかしらがすべて等しい文体になっていくこととは、不思議と、どこかでシンクロしているようです。

所属している学会で、オンラインジャーナルが発行されました。今回も表紙は自分の撮った写真。これで三年目になるのですが、彼女には「メモリアル三部作」と言われています。要するに、葬儀社のパンフレットの表紙に使われるような写真ということで、自分でもそうだなあ、という気がしないでもありません。ともかく、これで三年間面倒を見てきたので、もう手を放そうと思っています。もっとも、二年目以降からは屑のような論文を本気で校正するだけの熱意も既になく、それだけの時間も与えられなかったので、とっくに気持ちは離れていたのかもしれません。オンラインジャーナルには自分の投稿論文も掲載されているのですが(もちろん査読を通ったものです)、もう、この学会に論文を投稿することもないでしょう。

アカデミズムというのは、ほんとうに嫌なものです。ひとりひとりの研究者を見ると、不思議と、三人に一人くらい……いえ、五人に一人くらいは、まあ多少はまともな人も居るには居ます。しかし、研究者の集団で見ると、これはまず間違いなく、糞のようなものです。ぼくはちょっと、耐えられそうもありません。ただ、同じように感じている連中も確かに居て、しかも彼ら/彼女らはその世界においてがんばろうとしている。だから決してそのすべてが糞なわけではない。ないのだけれども……。まあ、文体を選べないのと同様、どのみち、人生も選べません。いまのところ手にしている文体がただひとつにまとまっていくのであれば、それが指し示しているその先にいくより他に、恐らく、ぼくだけではなく誰もが、どうしようもないのだと思います。少なくともそれは、指し示してくれる文体がないよりも、遥かにましなことではあるのでしょう。

お勧め映画ベスト10

この連休中は休みなく働き、原稿を書き続けてきたけれど、何も終わらず、ヤヴァ過ぎる状態がヤヴァ過ぎてどうしようもない状態になっただけでしかなかった。しかしだからどうしたというのだろう。ソクラテスだって毒の杯を飲んだではないか。ぼくのブログでは、ソクラテスは毒の杯を飲まされてばかりいる。彼の健康が心配だ。
というわけで、連休の最後くらいは明るく楽しく、お勧め映画ベスト10。こういうのは考え出すと切りがなく、いまになってメトロポリスを入れていなかったなあとか、まあいろいろあるけれど、そういう漏れてしまったものが10個溜まったら、またお勧め映画ベスト10パート2とかを書けばよい。では早速いってみよう。どこへ? どこでもいい、どこか素敵なところへ。それが映画の良さだからね。

*下記の映画情報、大半が記憶頼りなので、あまり信用しないで欲しい。結局のところこのブログで映画紹介などできるはずもなく、映画紹介のふりをした物語でしかないのです。興味があったら、amazonとか何とか、まあ、そういうアレでアレしてください。

1.『バーディ』(1984)

出演:ニコラス・ケイジ、マシュー・モディーン、監督:アラン・パーカー
ベトナム戦争で精神を病んでしまった友人と、顔面にひどいやけどを負った主人公の物語。何が異常で何が正しいのか分からないままにもがく若者たち。けれどもただ深刻になるのではなく、突き抜けたエンディングに向けた疾走感がさわやかな余韻を残す。挿入歌のラ・バンバで有名だが、ピーター・ガブリエルのサウンドトラックも素晴らしい(音楽の題名を「ランバダ」だと思い込んだまま彼女と会話をして、限りなくとんちんかんになっていったのも、いまとなっては良い思い出だ)。
原作のウィリアム・ウォートンは優れた小説家。『バーディ』の原作ラストは、映画とはまた少し違う形でシュールな感じ。『クリスマスを贈ります』は最高の青春小説であり、反戦(という単純な言葉では表現しきれない)小説。『晩秋』は映画化されている(いま調べたらスピルバーグが制作総指揮だ。何かがっかり……)、森の中で突然混乱し、帰り道が分からなくなってしまったジャック・レモンの演技だけで一見の価値あり。
あとは役者繋がりで言うと、同じくニコラス・ケイジ主演の『赤ちゃん泥棒』もお勧め。これは『バーディ』から暗さを取り除いた感じの、シュールで楽しい映画。ニコラス・ケイジは、困惑と狂気とコメディを同時に演じさせたら右に出る者はいない俳優。

2.『キリング・フィールド』(1984)

出演:サム・ウォーターストン、ハイン・S・ニョール、監督:ローランド・ジョフェ
カンボジア内戦を描いた、実話に基づいた反戦映画の傑作(反戦、という言葉の安っぽさには違和感を覚えるが)。アメリカ人ジャーナリストと現地ガイドの友情と、同時に、絶対的な国力によって守られたジャーナリストと、現地に残されたガイドとのどうしようもない断絶も描かれている。帰国したジャーナリストはピューリッツァ―賞を受賞し、一方、ガイドはクメール・ルージュに囚われ地獄を経験する。二人が再会したときの言葉に胸を打たれる。「赦してくれるか」「赦すことなどありません」。
現地ガイドを演じたハイン・S・ニョールは、実際にクメール・ルージュに囚われ強制労働を経験した人。俳優未経験のまま本映画に出演し、アカデミー賞を受賞した。後にアメリカにて強盗に射殺された(この事件はリアルタイムでぼくも覚えている)。地味ながらも悲しみに満ちたサウンドトラックも忘れがたい。

3.『カジュアリティーズ』(1989)

出演:マイケル・J・フォックス 、ショーン・ペン、監督:ブライアン・デ・パルマ
反戦映画の3本目。ある時期、ベトナム戦争を題材にした「反戦」映画がハリウッドで大量制作されたが、その多くが「善人な主人公と国の暗部」という二項対立を通してしか戦争の悪を描けないという点において、「反戦」映画の難しさを露呈していた。その中で一線を画していたのが、この『カジュアリティーズ』。恐らくそれは、ベトナム戦争を超えて、一人の人間の苦悩を描くことに成功したマイケル・J・フォックスの演技に(その一点のみに)拠るもの。ラストシーン、アメリカに帰還しだいぶ経つマイケル・J・フォックスと、見知らぬアジア人少女の一瞬の邂逅が美しくも悲しい。
ちなみに、マイケル・J・フォックスはコメディ映画(ドラマ)で名前が知られており、シリアスな役柄は評価されていない(別の映画中で、本人がそれをメタ的な冗談にしているセリフがある)が、シリアスな役柄こそ彼の演技力が生かされている。それが分からず批判をする連中は地獄へ堕ちろとぼくは思う。
シリアスな役柄のマイケル・J・フォックスといえば、『愛と栄光への日々』(出演:マイケル・J・フォックス、ジーナ・ローランズ、脚本:ポール・シュレイダー)、また、『Bright Lights, Big City』(出演:Michael J. Fox、Kiefer Sutherland、監督:James Bridges)が必見の名作。『Bright Lights, Big City』はそのまま『ブライトライツ・ビッグシティ』として、高橋源一郎翻訳で新潮文庫より出ている。80年代アメリカ青春小説の金字塔。ぼくの大学時代は、これと『ニューロマンサー』でだいたい説明できる。どうでも良いが。

4.『C階段』(1985)

出演:ロバン・ルヌッチ、監督:ジャン・シャルル・タケラ
新進気鋭の絵画評論家である主人公は、才能に溢れてはいるが女たらしで冷酷非情などうしようもない男。そんな彼が住む「C階段」と呼ばれるアパートでの、そこに暮らす住人たちとの交流を描いている(ぼくは未読だが原作もベストセラーになったらしい)。ルノワールを評価していない彼だったが、ある天才的な画家と知り合い、その画家に勧められて改めてルノワールを観にいくシーン、そして何より、アパートの住人である老婆が亡くなった後、彼女の遺言に従いイェルサレムへ行き、彼女の遺灰を砂色の大地に踊るようにして振りまくシーン(そして音楽とともに暗転)が素晴らしい。映画史上に残る名シーン。彼を愛するギャラリーの女性と、同じく彼を愛するアパート住人のゲイの男、その他魅力的な登場人物たち。まさにフランス映画中のフランス映画。

5.『バスキア』(1996)

出演:ジェフリー・ライト、デヴィッド・ボウイ、監督:ジュリアン・シュナーベル
同じく芸術を扱った映画であればこれも外せない。アンディ・ウォーホルに見出されたストリートアーティストであるジャン=ミシェル・バスキアの短い生涯を描いている。ちなみにアンディ・ウォーホルはデヴィッド・ボウイが演じているが、ウォーホル本人にしか思えないほどの適役。この映画もラストが美しい(基本的にぼくはラストの美しくない映画は糞だと思っている)。時代の寵児となり傲慢になっていくバスキアと、同じくアーティストだが売れないままの友人。一度は仲違いをするが、ウォーホルも死に、自身も薬物でぼろぼろになっていくバスキアのところへその友人が現れ、二人で昔の無名だったころのように街をオープンカーで疾走する。このシーンは涙なしには見られないが、それは哀れだからというだけでは決してなく、あまりにも美しすぎるからでもある。

6.『スウィート・ヒア・アフター』(1991)

出演:サラ・ポーリー、イアン・ホルム、脚本:アトム・エゴヤン
イアン・ホルムは言わずと知れた『炎のランナー』のコーチ役。名優中の名優にもかかわらず、『エイリアン』、『バンデッドQ』(怪作かつ名作)、『未来世紀ブラジル』(名作の評価はあれどもぼくの評価は最悪)、『裸のランチ』(原作がそもそも屑)等、挙げるに困惑するほど変な映画にも出ている人。スクールバス事故で多くの子どもたちが亡くなった直後のカナダの片田舎に、イアン・ホルム扮する弁護士がやってきて、親たちに訴訟を持ちかける。けれど彼の思うようには事態は進まず、また彼自身も自らの生活に大きな悲劇を抱えていて……。
本映画は何のサスペンスも衝撃もないにもかかわらず、かつ何も記憶に残らないにもかかわらず、ただただ物悲しい静けさと一面の雪景色だけがいつまでも心に留まるような、そんな不思議な雰囲気を持っている。ラスト、事故を起こしたバス運転手とイアン・ホルムが偶然出会い、目を合わせる。ただそれだけで、イアン・ホルムの名優の名優たる所以が表れている。

7.『刑事ジョン・ブック 目撃者』(1985)

主演:ハリソン・フォード、ケリー・マクギリス、監督:ピーター・ウィアー
同じく静けさに満ちた映画。ただしこちらは純粋に娯楽作品として非常に良く作られている。殺人事件を目撃してしまったアーミッシュの未亡人とその息子、そしてそれを守るために命をかける(アーミッシュの暮らしとは対極にある都市の)刑事ジョン・ブック。その対比を乗り越えて深まっていく女性と刑事の愛情とか、そんなものはどうでも良い。とにかくアーミッシュの生活の描かれ方が美しく、殺伐とした刑事の目を通してそれが描かれるというのもうまい。結局ふたりが結ばれることはないのだが、ラスト、事件が解決して村を去っていくジョン・ブックに、息子の祖父がかける言葉が良い。「イギリス人には気をつけるんだぞ」
なお、同じくハリソン・フォードでは『フランティック』(1988)も名作。単なるハリウッド・スターと莫迦にするなかれ。本作はフランスを舞台にしたサスペンス。娯楽作品としても良くできているが、ミシェル役のエマニュエル・セニエの存在が大きい。ラスト、ハリソン・フォードが、機密データを、怒りを込めて川へ投げ込むシーン、そしてタクシーの中で妻に「I love you, I love you」というシーンが良い。

8.『イギリスから来た男』(1999)

主演:テレンス・スタンプ、ピーター・フォンダ、監督:スティーブン・ソダーバーグ
同じく不思議な静けさを湛えた作品。テレンス・スタンプは往年の名優だが、本作でも過去の作品の登場シーンを用いており、若かりし頃の姿を見ることができる。ストーリーはどうということもなく、イギリスで収監されていた老人が、刑期中に亡くなった娘の死因を調べるべくアメリカに行き……、というもの。正直ほとんど覚えていない。けれども不思議と心に残る映画。名作かと言われれば駄作の気がするが、しかし何とも……。やはりこれはテレンス・スタンプの存在感によるものか。いやしかしやはりこれは駄作か……。
不思議と心に残る静かな映画としては、『途方に暮れる三人の夜』(1987)も似た系列。これも、ストーリーはほとんど覚えていない(男と恋人、男を愛するゲイの友人の奇妙な関係を描いた、という程度)が、なぜかいまでも時折思いだす。

9.『ローカル・ヒーロー』(1983)

出演:ピーター・リガート、バート・ランカスター、脚本:ビル・フォーサイス
イギリス映画らしいイギリス映画。コメディだが、ちょっとひねりがきいている。『フル・モンティ』(1997)も同じような雰囲気のイギリス映画らしいイギリス映画だが、こちらはちょっと色が濃すぎて疲れてしまう。『ローカル・ヒーロー』は何度観ても疲れない。けれど、もしかするとそれは時代のせいかもしれない。
アメリカの石油会社に勤める如何にもヤッピーな主人公が、コンビナート建設の予定地であるスコットランドの片田舎に調査のためにやってくる。仕事のことしか頭になかった主人公だが、しかしやがてエキセントリックな住民たちに感化されていき、開発計画の妥当性を疑うようになる、というストーリーは、これだけ見れば素朴だが、なかなか一筋縄では行かないのがイギリス映画。
アメリカの自宅に戻り、高層マンションから煌びやかな街灯りを見下ろす主人公。この時の表情が良い。やがてスコットランドの片田舎に場面が戻り、無人の電話ボックス(町の公共電話みたいなもの)で電話が鳴り始める……、というラストシーンに心が温まる。露骨でもなく感動を押しつけるでもないヒューマンコメディの名作。

10.『初恋』(1997)

出演:金城武、カレン・モク、監督:エリック・コット
前半は何とも奇妙な監督(本人)の独白と、彼が作ろうとしている映画の断片的シーンの連続。かなり実験的で何だこれはと思っていると、やがてストーリーは二つの男女の物語に分岐していく。どちらもちょっと風変わりな恋愛もの。ただしべたべたなラブストーリーではまったくない。夢遊病の少女に恋をしてしまった金城武が、(本人の誤解で)彼女と結婚式を挙げるつもりになり、レストランを借り切って彼女を待ち続けるシーンが恥ずかしくも切ない。けれども最後は救いの予感がある。
タイトルの「初恋」は、監督の映画に対する「初恋」でもあって、それを(再び登場した)監督が語り切るラストシーンが、映画愛に溢れていて最高に格好良く、愛しく、切ない。

やっぱりヤンキースは最高だぜ! 野球は観たことがないけれど。

とある大学で非常勤をやっているのですが、非常勤講師室というのがあります。そこにインスタントコーヒーのサーバーがあるのです。当然、おいしくはありません。ぬるい、茶色の絵の具を溶かした砂糖水みたいなものです。でも、そのまずさが好きなんだな(『オネアミスの翼』の森本レオのように)。何よりもタダというのが良い。タダのもの大好き! そんなことを言いながら、クラウドリーフさんは用もないのに非常勤講師室に行きます。本当は、講義終了直後の女子大生の波に飲み込まれて駅まで歩いて行くのが耐えられないので、道が空くまで講師室に隠れているのです。そうして、読みかけの小説をふんふん眺めながら泥水をちびちび飲んでいると、視界の端を大きな人間がよぎりました。見ているようで見ていない、コミュ障独特の処世術によって顔を向けつつ背けつつ「お疲れさまでーす!」などと、業界人か! という感じで挨拶をします。挨拶だけは欠かさないクラウドリーフさん。そんな彼がまさかあんな事件を起こすとは。するとその人影も「オハヨウゴザイマース!」と返してきました。そうして共有パソコンの前に座り、「コノパソコン、ダレカツカッテイマスカ?」と尋ねてきました。ぼくも良く分からなかったので、(いや、どうでしょう、分かりませんね)と答えようと思いつつ相手の顔を初めてしっかり見ると、白人の中年男性でした。道理で流暢だけれどちょっとイントネーションが不思議な感じだったわけです。極度の英語恐怖症で人生を棒に振ってきたぼくは、もうその時点でパニック状態です。前もって準備していた(いや・・・)という部分が、パニックフィルターを通して「Yeah!!!」などと、お前はヤンキースが勝ったときのヤンキースファンか! という感じのノリの良い発声になってしまいました。そのままやけになってぎょっとする男性にさむずあっぷをして見せ、残りのコーヒーをがっと一気に飲みほしてから、すごすごと講師室を後にしました。

別の大学で講義が始まるのですが、いまだにシラバスを提出していません。いやこれはぼくのせいではなく、諸々の手続き上の仕方のないタイミングが重なった結果なのですが、ともかく、もう怖いから提出期限見ない。ぼく見ない。しかもシラバスを英語でも書けと言う。何という邪智暴虐でしょう。必ず、かの王を除かなければならぬと決意した。メロスには学問がわからぬ。タダのインスタントコーヒーを啜り、さむずあっぷなどをして遊んで暮らして来た。けれども女子大生の蔑む目線に対しては、人一倍に敏感であった。しかし、英語でシラバスを書けということは、もしかすると、英語しか理解できない留学生が受講する可能性もあるということでしょうか。そうかもしれません。死を悟った彼の顔は、既に無限の慈愛を秘めたブッダのようです。「空だ」と微笑みます。彼が言うと、何となく腹を空かせた狸がドングリを見つけて「喰うだ」と言っているようです。おら、ドングリ喰うだ。冬に備えるだ。外の世界は怖ろしいだ。仏陀。悟り。そしてただ、あとに残るは静寂。

もやもや、書く描く

とにかく追い込まれている。ぐいぐいぐいぐい狭い路地へと追いやられ、もはや方向転換さえできない。どのみち戻るのも癪なので頑丈な骨格で押し切り進んでいくと両側の塀を壊してしまい訴えられる。ほとんどターミネーターのようで、昔、淀川長治さんが、ターミネーターの映画の紹介で、登場時のシュワルツェネッガーのお尻がきれいだと言っていたのをなぜか良く覚えている。いや、あれは別の映画のジャン・クロード・ヴァン・ダムのお尻だっただろうか? などと言っている暇があったら明日の講義資料をまずは作らねばならぬ。作らねばならぬのだが、集中してあるていどガッと書くと気力がなえ、ひたすらぼんやりして、しばらくしてからやおらまたガッと書き始める。壊れかけのロボットゥみたいでちょっと怖いが、レトロな感じがして意外にウケる、などと女子高生のふりをしたりする。

書いているときには、様々な妄念が渦を巻き、そのうちの幾つかは救い上げておくとあとあと何かの種になったりする。とはいえ、そういったものをすべて救い上げるぞ、などと思ったりすると、突然それは腐敗をし始めるので難しい。完全に放置し忘却のままにするのと偏執狂じみた執着心ですべてを記録するのとのあいだをバランス良く進んでいかなければならない。中庸。怪しげなアルカイック・スマイルを浮かべ、悟ったようなことを言う。だがこのバランス、案外難しい。そのためのツールとしては手書きのノートはいちばん良いとは思うが、やはりデジタルにはデジタルの良いところがある。特に大量の論文を読みながら自分の論文の構想を練っていくときなどは、紙ベースよりも、読む論文と書く論文が同じ空間内にあって、統一されたリンクやタグで構造化されていく方が、ぼくの感覚的にはやりやすい(お話を書くときはまた別)。そうすると、それはやはりデジタル化された文書データの方が断然扱いやすくなる。

だけれど、まだ、それを完全に理想的に実現するようなハードウェアは存在していない。その0.01%ほどは、SONYのDPT-S1で具体化されているけれど、まだまだ、全然ダメだ。お金がたくさんあって、自分の研究室でもあるというのならほとんど机に据え置く感じで欲しいけれど、そうでなければあまり魅力はない。紙のように軽く、自由に書け、消せ、大量の文書データを素早く直感的に扱える、そこまでいけば、ほんとうに新しいメディアになってくれると思う。誰かそういうの作ってくれないかなあと他力本願にごろりと寝そべりつつ、amazonでnu boardというのを見つけてポチった。退廃の極み。

しかしこのnu board(A4サイズを購入した)、当然アナログツールなのでpdfデータを扱うとかはできないけれど、なかなかに使い勝手が良い。どんなものかというと、厚紙でできたホワイトボード部分と透明なシートが組になったノート。厚紙が4枚で、その裏表にそれぞれ1枚ずつ透明シートがあるので、合計8組。ホワイトボードに付属のペン(通常のホワイトボード用のペンと同じだと思う。キャップ部分がイレイザーになっている)でベースになる何かを書いて、透明シートには可変的な情報を書くというのが、とりあえずのぼくの使い方。例えばホワイトボードには月日、曜日を升目に書いておいて、上にかかる透明シートにはそれぞれの日における予定を書き込むと、予定だけ変わったときには透明シートの該当箇所だけを消せば良い。(ちなみに、透明シートの枚数やペンの付属の有無はサイズによって異なるので注意。)

もちろん、他にいくらでも使い道はある。ぼくの場合はアイデアをまとめる時も、核になる情報があって(絶対的な締切や文字制限、あるいは核心部分のアイデアなど)、その周囲にぐるぐるもやもやとしたアイデアが刻々と変化しつつ群がる感じになるので、このレイヤー2層だけでも十分強力な道具になる。あと、何しろ書きやすいし、所詮は紙だから落としてもぶつけても安心というのが大きい。でも重いか……。電車の中とかなら、もっと小さなホワイトボードマーカーを探してきて、A5サイズくらいの方が使いやすいかもしれない。などと、しばらくはnu boardで遊んでいた。この原稿の締め切りはいついつ、などと書いていると、それだけで仕事をした気持ちになってくるから良いですね。良くないです。

兎にも角にも、ぼくは技術(ツール)がすべてだとも思わないし、かといって生身の身体だけで常に十分だとも思わない。どちらもイデオロギー化してしまったらつまらないし、世界に対して開けていない。その境目を危うく進み続ける姿を描くアイデア自体を問うことこそが、いまのぼくにはどうやら面白いようだ。などと、中庸的不審者はアルカイック・スマイルを浮かべつつのたまっていた。早く原稿を書かねばならない。

ビッグ・サーの冬

もちろん、ほんとうは夏だ。ケルアックの、例によっての自伝的小説。同人誌は、書いた小説の後半部分が没を喰らった。それはもちろん納得のいく没だったので、とにかく締め切りまでに良いものになるように書き直すしかない。だけれど、カリフォルニアに関する特集(自画自賛だけれど、次号の同人誌では、これがけっこうおもしろい)の方に書いた原稿は自分でもけっこう良かったのではないかと思う出来栄えだった。特集用に書いた短編小説も気に入っているけれど、特にブックレビューが良い感じだ。ぼくがそこで紹介したのは、『ビッグ・サーの夏』と『ハツカネズミと人間』、そして『クール・クールLSD交感テスト』の3本だ。カリフォルニア・ブックレビューと言われたときに、これがぱっと思いついて、だから書くのも一瞬だった。カリフォルニアは、ある種の時代の空気を(一つの時代である必要はない)共有していないと、たぶんピンと来ないかもしれない。だけれど、来るひとには来る。いや別に、これは来るのが良いとか悪いとかいう話ではなくて、相撲と言えば大鵬みたいな、そんな感じだ。例えの意味が分からない。共有というのは、難しい。ぼくの場合は、最初の大学時代、大学に行っても(彼女と部室で無駄に過ごす時間以外には)何も面白いことはなくて、時折、時間つぶしに東京の本屋に行っていた。その本棚に並んでいる本たちを、いまでも覚えている。そして、その一部は、確かにこの「カリフォルニア」の匂いを持っていた。そのとき購入した本の何冊かはいまでも残っているし、そのとき買わなくて、あとになってだいぶ苦労して手に入れた(だけれど、実際読んでみると下らなかった)本も幾冊かはある。買わなかった本は、記憶に、背表紙だけを残している。でも、その背表紙の記憶に手を差し入れれば、それはその本のなかの世界に簡単につながっていく。「カリフォルニア」なんて莫迦みたいだし、誰だってそんなことには気づいているけれど、でも、それはリアルで、ぼくらの、少なくともぼくの一部を構成している莫迦らしさだから、ノスタルジーとかそういう感傷的な話ではなく、単純に、懐かしい。

仕事帰りに読む本がなくて、緊急避難的に町の本屋に寄って、「怪盗ニック全仕事」とかいう文庫本を買った。何とも言えない下らない小説だったけれど、ぼくは結構、こういう下らなさが好きだ。そうして、読み終わると、彼女に貸す。彼女も、何とも言えないような顔をして読み、ぼくに返す。だけれどそのとき、ねえねえ、と言って、ぼくにある箇所を指し示した。そこには、前後の文脈は忘れたけれど、「カリフォーニア」という単語があった。カリフォーニア。良い響きだ。莫迦ばかしくて、寂しくて、夢のようで、でもいつでも既に終わっている。

最近、彼女と下らないホラー映画を観る。たいていはぼくが古本屋で買ってきた中古DVDで、でもそれにも飽きて、何かないかなと漁っていたら、テレンス・スタンプの「イギリスから来た男」が出てきた。これはなかなか良い映画。全体的に静かで、暴力シーンですら静かだ。その俳優でなければ成り立たなかった映画というのが、ぼくは好きだ。そういえばしばらく前に、知人に、ぼくの勧める「映画top10」というのを書いて送った。ハイ・フェデリティか。あれも意外に下らなく楽しい文章になったので、こんどブログに載せようと思う。ともかく「イギリスから来た男」だ。何気なくジャケットを眺めていたら、チャプタータイトルで「ビッグ・サー」というのがあった。そうか、あれはカリフォーニアだったのか。

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夏もとうに終わり、これからまた、ひたすら言葉を書いていかなければならない時期が到来する。合間合間に講義がある。後期から、もうひとつ別の大学で新しく始まるものもあり、その準備もしなければならない。ぼくは小心者なので最初は憂鬱だし、心配で不安で手が震える。年齢的にも、仕事と研究の割り振りはもう限界に近い。けれど、ある一線を超えると開き直ってどうでも良くなってきて(「なーに、ソクラテスだって毒の杯を飲んださ」)、むしろその全体が楽しくなってくる。同人誌の原稿なんて書いている場合か! と、まともな研究者からは怒られてしまうかもしれないけれど、カリフォーニアの莫迦らしさ、寂しさ、その刹那のきらめきだけが持つ美しさは、コミュ障なぼくが挙動不審になりつつ学生たちに伝えたい「倫理」とやらの根本に、案外、近いものがあるような気がしている。