もちろん、ほんとうは夏だ。ケルアックの、例によっての自伝的小説。同人誌は、書いた小説の後半部分が没を喰らった。それはもちろん納得のいく没だったので、とにかく締め切りまでに良いものになるように書き直すしかない。だけれど、カリフォルニアに関する特集(自画自賛だけれど、次号の同人誌では、これがけっこうおもしろい)の方に書いた原稿は自分でもけっこう良かったのではないかと思う出来栄えだった。特集用に書いた短編小説も気に入っているけれど、特にブックレビューが良い感じだ。ぼくがそこで紹介したのは、『ビッグ・サーの夏』と『ハツカネズミと人間』、そして『クール・クールLSD交感テスト』の3本だ。カリフォルニア・ブックレビューと言われたときに、これがぱっと思いついて、だから書くのも一瞬だった。カリフォルニアは、ある種の時代の空気を(一つの時代である必要はない)共有していないと、たぶんピンと来ないかもしれない。だけれど、来るひとには来る。いや別に、これは来るのが良いとか悪いとかいう話ではなくて、相撲と言えば大鵬みたいな、そんな感じだ。例えの意味が分からない。共有というのは、難しい。ぼくの場合は、最初の大学時代、大学に行っても(彼女と部室で無駄に過ごす時間以外には)何も面白いことはなくて、時折、時間つぶしに東京の本屋に行っていた。その本棚に並んでいる本たちを、いまでも覚えている。そして、その一部は、確かにこの「カリフォルニア」の匂いを持っていた。そのとき購入した本の何冊かはいまでも残っているし、そのとき買わなくて、あとになってだいぶ苦労して手に入れた(だけれど、実際読んでみると下らなかった)本も幾冊かはある。買わなかった本は、記憶に、背表紙だけを残している。でも、その背表紙の記憶に手を差し入れれば、それはその本のなかの世界に簡単につながっていく。「カリフォルニア」なんて莫迦みたいだし、誰だってそんなことには気づいているけれど、でも、それはリアルで、ぼくらの、少なくともぼくの一部を構成している莫迦らしさだから、ノスタルジーとかそういう感傷的な話ではなく、単純に、懐かしい。
仕事帰りに読む本がなくて、緊急避難的に町の本屋に寄って、「怪盗ニック全仕事」とかいう文庫本を買った。何とも言えない下らない小説だったけれど、ぼくは結構、こういう下らなさが好きだ。そうして、読み終わると、彼女に貸す。彼女も、何とも言えないような顔をして読み、ぼくに返す。だけれどそのとき、ねえねえ、と言って、ぼくにある箇所を指し示した。そこには、前後の文脈は忘れたけれど、「カリフォーニア」という単語があった。カリフォーニア。良い響きだ。莫迦ばかしくて、寂しくて、夢のようで、でもいつでも既に終わっている。
最近、彼女と下らないホラー映画を観る。たいていはぼくが古本屋で買ってきた中古DVDで、でもそれにも飽きて、何かないかなと漁っていたら、テレンス・スタンプの「イギリスから来た男」が出てきた。これはなかなか良い映画。全体的に静かで、暴力シーンですら静かだ。その俳優でなければ成り立たなかった映画というのが、ぼくは好きだ。そういえばしばらく前に、知人に、ぼくの勧める「映画top10」というのを書いて送った。ハイ・フェデリティか。あれも意外に下らなく楽しい文章になったので、こんどブログに載せようと思う。ともかく「イギリスから来た男」だ。何気なくジャケットを眺めていたら、チャプタータイトルで「ビッグ・サー」というのがあった。そうか、あれはカリフォーニアだったのか。
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夏もとうに終わり、これからまた、ひたすら言葉を書いていかなければならない時期が到来する。合間合間に講義がある。後期から、もうひとつ別の大学で新しく始まるものもあり、その準備もしなければならない。ぼくは小心者なので最初は憂鬱だし、心配で不安で手が震える。年齢的にも、仕事と研究の割り振りはもう限界に近い。けれど、ある一線を超えると開き直ってどうでも良くなってきて(「なーに、ソクラテスだって毒の杯を飲んださ」)、むしろその全体が楽しくなってくる。同人誌の原稿なんて書いている場合か! と、まともな研究者からは怒られてしまうかもしれないけれど、カリフォーニアの莫迦らしさ、寂しさ、その刹那のきらめきだけが持つ美しさは、コミュ障なぼくが挙動不審になりつつ学生たちに伝えたい「倫理」とやらの根本に、案外、近いものがあるような気がしている。