とにかく追い込まれている。ぐいぐいぐいぐい狭い路地へと追いやられ、もはや方向転換さえできない。どのみち戻るのも癪なので頑丈な骨格で押し切り進んでいくと両側の塀を壊してしまい訴えられる。ほとんどターミネーターのようで、昔、淀川長治さんが、ターミネーターの映画の紹介で、登場時のシュワルツェネッガーのお尻がきれいだと言っていたのをなぜか良く覚えている。いや、あれは別の映画のジャン・クロード・ヴァン・ダムのお尻だっただろうか? などと言っている暇があったら明日の講義資料をまずは作らねばならぬ。作らねばならぬのだが、集中してあるていどガッと書くと気力がなえ、ひたすらぼんやりして、しばらくしてからやおらまたガッと書き始める。壊れかけのロボットゥみたいでちょっと怖いが、レトロな感じがして意外にウケる、などと女子高生のふりをしたりする。
書いているときには、様々な妄念が渦を巻き、そのうちの幾つかは救い上げておくとあとあと何かの種になったりする。とはいえ、そういったものをすべて救い上げるぞ、などと思ったりすると、突然それは腐敗をし始めるので難しい。完全に放置し忘却のままにするのと偏執狂じみた執着心ですべてを記録するのとのあいだをバランス良く進んでいかなければならない。中庸。怪しげなアルカイック・スマイルを浮かべ、悟ったようなことを言う。だがこのバランス、案外難しい。そのためのツールとしては手書きのノートはいちばん良いとは思うが、やはりデジタルにはデジタルの良いところがある。特に大量の論文を読みながら自分の論文の構想を練っていくときなどは、紙ベースよりも、読む論文と書く論文が同じ空間内にあって、統一されたリンクやタグで構造化されていく方が、ぼくの感覚的にはやりやすい(お話を書くときはまた別)。そうすると、それはやはりデジタル化された文書データの方が断然扱いやすくなる。
だけれど、まだ、それを完全に理想的に実現するようなハードウェアは存在していない。その0.01%ほどは、SONYのDPT-S1で具体化されているけれど、まだまだ、全然ダメだ。お金がたくさんあって、自分の研究室でもあるというのならほとんど机に据え置く感じで欲しいけれど、そうでなければあまり魅力はない。紙のように軽く、自由に書け、消せ、大量の文書データを素早く直感的に扱える、そこまでいけば、ほんとうに新しいメディアになってくれると思う。誰かそういうの作ってくれないかなあと他力本願にごろりと寝そべりつつ、amazonでnu boardというのを見つけてポチった。退廃の極み。
しかしこのnu board(A4サイズを購入した)、当然アナログツールなのでpdfデータを扱うとかはできないけれど、なかなかに使い勝手が良い。どんなものかというと、厚紙でできたホワイトボード部分と透明なシートが組になったノート。厚紙が4枚で、その裏表にそれぞれ1枚ずつ透明シートがあるので、合計8組。ホワイトボードに付属のペン(通常のホワイトボード用のペンと同じだと思う。キャップ部分がイレイザーになっている)でベースになる何かを書いて、透明シートには可変的な情報を書くというのが、とりあえずのぼくの使い方。例えばホワイトボードには月日、曜日を升目に書いておいて、上にかかる透明シートにはそれぞれの日における予定を書き込むと、予定だけ変わったときには透明シートの該当箇所だけを消せば良い。(ちなみに、透明シートの枚数やペンの付属の有無はサイズによって異なるので注意。)
もちろん、他にいくらでも使い道はある。ぼくの場合はアイデアをまとめる時も、核になる情報があって(絶対的な締切や文字制限、あるいは核心部分のアイデアなど)、その周囲にぐるぐるもやもやとしたアイデアが刻々と変化しつつ群がる感じになるので、このレイヤー2層だけでも十分強力な道具になる。あと、何しろ書きやすいし、所詮は紙だから落としてもぶつけても安心というのが大きい。でも重いか……。電車の中とかなら、もっと小さなホワイトボードマーカーを探してきて、A5サイズくらいの方が使いやすいかもしれない。などと、しばらくはnu boardで遊んでいた。この原稿の締め切りはいついつ、などと書いていると、それだけで仕事をした気持ちになってくるから良いですね。良くないです。
兎にも角にも、ぼくは技術(ツール)がすべてだとも思わないし、かといって生身の身体だけで常に十分だとも思わない。どちらもイデオロギー化してしまったらつまらないし、世界に対して開けていない。その境目を危うく進み続ける姿を描くアイデア自体を問うことこそが、いまのぼくにはどうやら面白いようだ。などと、中庸的不審者はアルカイック・スマイルを浮かべつつのたまっていた。早く原稿を書かねばならない。