お勧め映画ベスト10

この連休中は休みなく働き、原稿を書き続けてきたけれど、何も終わらず、ヤヴァ過ぎる状態がヤヴァ過ぎてどうしようもない状態になっただけでしかなかった。しかしだからどうしたというのだろう。ソクラテスだって毒の杯を飲んだではないか。ぼくのブログでは、ソクラテスは毒の杯を飲まされてばかりいる。彼の健康が心配だ。
というわけで、連休の最後くらいは明るく楽しく、お勧め映画ベスト10。こういうのは考え出すと切りがなく、いまになってメトロポリスを入れていなかったなあとか、まあいろいろあるけれど、そういう漏れてしまったものが10個溜まったら、またお勧め映画ベスト10パート2とかを書けばよい。では早速いってみよう。どこへ? どこでもいい、どこか素敵なところへ。それが映画の良さだからね。

*下記の映画情報、大半が記憶頼りなので、あまり信用しないで欲しい。結局のところこのブログで映画紹介などできるはずもなく、映画紹介のふりをした物語でしかないのです。興味があったら、amazonとか何とか、まあ、そういうアレでアレしてください。

1.『バーディ』(1984)

出演:ニコラス・ケイジ、マシュー・モディーン、監督:アラン・パーカー
ベトナム戦争で精神を病んでしまった友人と、顔面にひどいやけどを負った主人公の物語。何が異常で何が正しいのか分からないままにもがく若者たち。けれどもただ深刻になるのではなく、突き抜けたエンディングに向けた疾走感がさわやかな余韻を残す。挿入歌のラ・バンバで有名だが、ピーター・ガブリエルのサウンドトラックも素晴らしい(音楽の題名を「ランバダ」だと思い込んだまま彼女と会話をして、限りなくとんちんかんになっていったのも、いまとなっては良い思い出だ)。
原作のウィリアム・ウォートンは優れた小説家。『バーディ』の原作ラストは、映画とはまた少し違う形でシュールな感じ。『クリスマスを贈ります』は最高の青春小説であり、反戦(という単純な言葉では表現しきれない)小説。『晩秋』は映画化されている(いま調べたらスピルバーグが制作総指揮だ。何かがっかり……)、森の中で突然混乱し、帰り道が分からなくなってしまったジャック・レモンの演技だけで一見の価値あり。
あとは役者繋がりで言うと、同じくニコラス・ケイジ主演の『赤ちゃん泥棒』もお勧め。これは『バーディ』から暗さを取り除いた感じの、シュールで楽しい映画。ニコラス・ケイジは、困惑と狂気とコメディを同時に演じさせたら右に出る者はいない俳優。

2.『キリング・フィールド』(1984)

出演:サム・ウォーターストン、ハイン・S・ニョール、監督:ローランド・ジョフェ
カンボジア内戦を描いた、実話に基づいた反戦映画の傑作(反戦、という言葉の安っぽさには違和感を覚えるが)。アメリカ人ジャーナリストと現地ガイドの友情と、同時に、絶対的な国力によって守られたジャーナリストと、現地に残されたガイドとのどうしようもない断絶も描かれている。帰国したジャーナリストはピューリッツァ―賞を受賞し、一方、ガイドはクメール・ルージュに囚われ地獄を経験する。二人が再会したときの言葉に胸を打たれる。「赦してくれるか」「赦すことなどありません」。
現地ガイドを演じたハイン・S・ニョールは、実際にクメール・ルージュに囚われ強制労働を経験した人。俳優未経験のまま本映画に出演し、アカデミー賞を受賞した。後にアメリカにて強盗に射殺された(この事件はリアルタイムでぼくも覚えている)。地味ながらも悲しみに満ちたサウンドトラックも忘れがたい。

3.『カジュアリティーズ』(1989)

出演:マイケル・J・フォックス 、ショーン・ペン、監督:ブライアン・デ・パルマ
反戦映画の3本目。ある時期、ベトナム戦争を題材にした「反戦」映画がハリウッドで大量制作されたが、その多くが「善人な主人公と国の暗部」という二項対立を通してしか戦争の悪を描けないという点において、「反戦」映画の難しさを露呈していた。その中で一線を画していたのが、この『カジュアリティーズ』。恐らくそれは、ベトナム戦争を超えて、一人の人間の苦悩を描くことに成功したマイケル・J・フォックスの演技に(その一点のみに)拠るもの。ラストシーン、アメリカに帰還しだいぶ経つマイケル・J・フォックスと、見知らぬアジア人少女の一瞬の邂逅が美しくも悲しい。
ちなみに、マイケル・J・フォックスはコメディ映画(ドラマ)で名前が知られており、シリアスな役柄は評価されていない(別の映画中で、本人がそれをメタ的な冗談にしているセリフがある)が、シリアスな役柄こそ彼の演技力が生かされている。それが分からず批判をする連中は地獄へ堕ちろとぼくは思う。
シリアスな役柄のマイケル・J・フォックスといえば、『愛と栄光への日々』(出演:マイケル・J・フォックス、ジーナ・ローランズ、脚本:ポール・シュレイダー)、また、『Bright Lights, Big City』(出演:Michael J. Fox、Kiefer Sutherland、監督:James Bridges)が必見の名作。『Bright Lights, Big City』はそのまま『ブライトライツ・ビッグシティ』として、高橋源一郎翻訳で新潮文庫より出ている。80年代アメリカ青春小説の金字塔。ぼくの大学時代は、これと『ニューロマンサー』でだいたい説明できる。どうでも良いが。

4.『C階段』(1985)

出演:ロバン・ルヌッチ、監督:ジャン・シャルル・タケラ
新進気鋭の絵画評論家である主人公は、才能に溢れてはいるが女たらしで冷酷非情などうしようもない男。そんな彼が住む「C階段」と呼ばれるアパートでの、そこに暮らす住人たちとの交流を描いている(ぼくは未読だが原作もベストセラーになったらしい)。ルノワールを評価していない彼だったが、ある天才的な画家と知り合い、その画家に勧められて改めてルノワールを観にいくシーン、そして何より、アパートの住人である老婆が亡くなった後、彼女の遺言に従いイェルサレムへ行き、彼女の遺灰を砂色の大地に踊るようにして振りまくシーン(そして音楽とともに暗転)が素晴らしい。映画史上に残る名シーン。彼を愛するギャラリーの女性と、同じく彼を愛するアパート住人のゲイの男、その他魅力的な登場人物たち。まさにフランス映画中のフランス映画。

5.『バスキア』(1996)

出演:ジェフリー・ライト、デヴィッド・ボウイ、監督:ジュリアン・シュナーベル
同じく芸術を扱った映画であればこれも外せない。アンディ・ウォーホルに見出されたストリートアーティストであるジャン=ミシェル・バスキアの短い生涯を描いている。ちなみにアンディ・ウォーホルはデヴィッド・ボウイが演じているが、ウォーホル本人にしか思えないほどの適役。この映画もラストが美しい(基本的にぼくはラストの美しくない映画は糞だと思っている)。時代の寵児となり傲慢になっていくバスキアと、同じくアーティストだが売れないままの友人。一度は仲違いをするが、ウォーホルも死に、自身も薬物でぼろぼろになっていくバスキアのところへその友人が現れ、二人で昔の無名だったころのように街をオープンカーで疾走する。このシーンは涙なしには見られないが、それは哀れだからというだけでは決してなく、あまりにも美しすぎるからでもある。

6.『スウィート・ヒア・アフター』(1991)

出演:サラ・ポーリー、イアン・ホルム、脚本:アトム・エゴヤン
イアン・ホルムは言わずと知れた『炎のランナー』のコーチ役。名優中の名優にもかかわらず、『エイリアン』、『バンデッドQ』(怪作かつ名作)、『未来世紀ブラジル』(名作の評価はあれどもぼくの評価は最悪)、『裸のランチ』(原作がそもそも屑)等、挙げるに困惑するほど変な映画にも出ている人。スクールバス事故で多くの子どもたちが亡くなった直後のカナダの片田舎に、イアン・ホルム扮する弁護士がやってきて、親たちに訴訟を持ちかける。けれど彼の思うようには事態は進まず、また彼自身も自らの生活に大きな悲劇を抱えていて……。
本映画は何のサスペンスも衝撃もないにもかかわらず、かつ何も記憶に残らないにもかかわらず、ただただ物悲しい静けさと一面の雪景色だけがいつまでも心に留まるような、そんな不思議な雰囲気を持っている。ラスト、事故を起こしたバス運転手とイアン・ホルムが偶然出会い、目を合わせる。ただそれだけで、イアン・ホルムの名優の名優たる所以が表れている。

7.『刑事ジョン・ブック 目撃者』(1985)

主演:ハリソン・フォード、ケリー・マクギリス、監督:ピーター・ウィアー
同じく静けさに満ちた映画。ただしこちらは純粋に娯楽作品として非常に良く作られている。殺人事件を目撃してしまったアーミッシュの未亡人とその息子、そしてそれを守るために命をかける(アーミッシュの暮らしとは対極にある都市の)刑事ジョン・ブック。その対比を乗り越えて深まっていく女性と刑事の愛情とか、そんなものはどうでも良い。とにかくアーミッシュの生活の描かれ方が美しく、殺伐とした刑事の目を通してそれが描かれるというのもうまい。結局ふたりが結ばれることはないのだが、ラスト、事件が解決して村を去っていくジョン・ブックに、息子の祖父がかける言葉が良い。「イギリス人には気をつけるんだぞ」
なお、同じくハリソン・フォードでは『フランティック』(1988)も名作。単なるハリウッド・スターと莫迦にするなかれ。本作はフランスを舞台にしたサスペンス。娯楽作品としても良くできているが、ミシェル役のエマニュエル・セニエの存在が大きい。ラスト、ハリソン・フォードが、機密データを、怒りを込めて川へ投げ込むシーン、そしてタクシーの中で妻に「I love you, I love you」というシーンが良い。

8.『イギリスから来た男』(1999)

主演:テレンス・スタンプ、ピーター・フォンダ、監督:スティーブン・ソダーバーグ
同じく不思議な静けさを湛えた作品。テレンス・スタンプは往年の名優だが、本作でも過去の作品の登場シーンを用いており、若かりし頃の姿を見ることができる。ストーリーはどうということもなく、イギリスで収監されていた老人が、刑期中に亡くなった娘の死因を調べるべくアメリカに行き……、というもの。正直ほとんど覚えていない。けれども不思議と心に残る映画。名作かと言われれば駄作の気がするが、しかし何とも……。やはりこれはテレンス・スタンプの存在感によるものか。いやしかしやはりこれは駄作か……。
不思議と心に残る静かな映画としては、『途方に暮れる三人の夜』(1987)も似た系列。これも、ストーリーはほとんど覚えていない(男と恋人、男を愛するゲイの友人の奇妙な関係を描いた、という程度)が、なぜかいまでも時折思いだす。

9.『ローカル・ヒーロー』(1983)

出演:ピーター・リガート、バート・ランカスター、脚本:ビル・フォーサイス
イギリス映画らしいイギリス映画。コメディだが、ちょっとひねりがきいている。『フル・モンティ』(1997)も同じような雰囲気のイギリス映画らしいイギリス映画だが、こちらはちょっと色が濃すぎて疲れてしまう。『ローカル・ヒーロー』は何度観ても疲れない。けれど、もしかするとそれは時代のせいかもしれない。
アメリカの石油会社に勤める如何にもヤッピーな主人公が、コンビナート建設の予定地であるスコットランドの片田舎に調査のためにやってくる。仕事のことしか頭になかった主人公だが、しかしやがてエキセントリックな住民たちに感化されていき、開発計画の妥当性を疑うようになる、というストーリーは、これだけ見れば素朴だが、なかなか一筋縄では行かないのがイギリス映画。
アメリカの自宅に戻り、高層マンションから煌びやかな街灯りを見下ろす主人公。この時の表情が良い。やがてスコットランドの片田舎に場面が戻り、無人の電話ボックス(町の公共電話みたいなもの)で電話が鳴り始める……、というラストシーンに心が温まる。露骨でもなく感動を押しつけるでもないヒューマンコメディの名作。

10.『初恋』(1997)

出演:金城武、カレン・モク、監督:エリック・コット
前半は何とも奇妙な監督(本人)の独白と、彼が作ろうとしている映画の断片的シーンの連続。かなり実験的で何だこれはと思っていると、やがてストーリーは二つの男女の物語に分岐していく。どちらもちょっと風変わりな恋愛もの。ただしべたべたなラブストーリーではまったくない。夢遊病の少女に恋をしてしまった金城武が、(本人の誤解で)彼女と結婚式を挙げるつもりになり、レストランを借り切って彼女を待ち続けるシーンが恥ずかしくも切ない。けれども最後は救いの予感がある。
タイトルの「初恋」は、監督の映画に対する「初恋」でもあって、それを(再び登場した)監督が語り切るラストシーンが、映画愛に溢れていて最高に格好良く、愛しく、切ない。

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