とある大学で非常勤をやっているのですが、非常勤講師室というのがあります。そこにインスタントコーヒーのサーバーがあるのです。当然、おいしくはありません。ぬるい、茶色の絵の具を溶かした砂糖水みたいなものです。でも、そのまずさが好きなんだな(『オネアミスの翼』の森本レオのように)。何よりもタダというのが良い。タダのもの大好き! そんなことを言いながら、クラウドリーフさんは用もないのに非常勤講師室に行きます。本当は、講義終了直後の女子大生の波に飲み込まれて駅まで歩いて行くのが耐えられないので、道が空くまで講師室に隠れているのです。そうして、読みかけの小説をふんふん眺めながら泥水をちびちび飲んでいると、視界の端を大きな人間がよぎりました。見ているようで見ていない、コミュ障独特の処世術によって顔を向けつつ背けつつ「お疲れさまでーす!」などと、業界人か! という感じで挨拶をします。挨拶だけは欠かさないクラウドリーフさん。そんな彼がまさかあんな事件を起こすとは。するとその人影も「オハヨウゴザイマース!」と返してきました。そうして共有パソコンの前に座り、「コノパソコン、ダレカツカッテイマスカ?」と尋ねてきました。ぼくも良く分からなかったので、(いや、どうでしょう、分かりませんね)と答えようと思いつつ相手の顔を初めてしっかり見ると、白人の中年男性でした。道理で流暢だけれどちょっとイントネーションが不思議な感じだったわけです。極度の英語恐怖症で人生を棒に振ってきたぼくは、もうその時点でパニック状態です。前もって準備していた(いや・・・)という部分が、パニックフィルターを通して「Yeah!!!」などと、お前はヤンキースが勝ったときのヤンキースファンか! という感じのノリの良い発声になってしまいました。そのままやけになってぎょっとする男性にさむずあっぷをして見せ、残りのコーヒーをがっと一気に飲みほしてから、すごすごと講師室を後にしました。
別の大学で講義が始まるのですが、いまだにシラバスを提出していません。いやこれはぼくのせいではなく、諸々の手続き上の仕方のないタイミングが重なった結果なのですが、ともかく、もう怖いから提出期限見ない。ぼく見ない。しかもシラバスを英語でも書けと言う。何という邪智暴虐でしょう。必ず、かの王を除かなければならぬと決意した。メロスには学問がわからぬ。タダのインスタントコーヒーを啜り、さむずあっぷなどをして遊んで暮らして来た。けれども女子大生の蔑む目線に対しては、人一倍に敏感であった。しかし、英語でシラバスを書けということは、もしかすると、英語しか理解できない留学生が受講する可能性もあるということでしょうか。そうかもしれません。死を悟った彼の顔は、既に無限の慈愛を秘めたブッダのようです。「空だ」と微笑みます。彼が言うと、何となく腹を空かせた狸がドングリを見つけて「喰うだ」と言っているようです。おら、ドングリ喰うだ。冬に備えるだ。外の世界は怖ろしいだ。仏陀。悟り。そしてただ、あとに残るは静寂。