消しゴムパズル

AさんとBさんという人がいます。そしてここに、パズルがあります。良くありますよね、消しゴムでできていて、組み合わせて直方体にしたり球体にしたりするようなやつです。まずBさんがやってみました。彼はまじめなので、一生懸命直方体を作ろうとします。とても、難しいです。ですからBさんは、ヒントを見ることにしました。パズルが入っていたケースに、組み上がった写真が印刷されています。これ以外にも解き方はあるのかもしれませんが、まずはその形を目指して解こうと思ったのです。とてもまっとうですね。

ただ、その写真には直方体の三面しか写っていません。ですから、ただ見た通りに組めば解ける、というものでもないのです。あくまでヒントに過ぎません。それでも、パズルのパーツである一つ一つの消しゴムには色がついていて、写真と照らし合わせれば、解くのもそう難しくはなさそうです。

けれども、いくらやっても解けません。Bさんはしばらく挑戦して、諦めました。敗北宣言です。自分も天才ではない。世の中には、いくらがんばっても出来ないことはある。いえ、そこまでBさんが考えたかどうかは分かりませんが、とにかく彼は、もういいやと思ったのです。数百円分は、十分に楽しみました。

そこにAさんが帰ってきました。Bさんはカクカクシカジカと話します。Aさんもパズルは嫌いではないので、さっそくやってみることにしました。しばらく弄ってみましたが、やはり解けません。Bさんは先に寝てしまいます。そうそう、いまはもう、結構深夜なのです。

ひとりになったAさんは、本気を出します。彼の本気は、全力を尽くすというより、むしろ勝つためには手段を選ばない、という意味の本気です。自分に解けなければ、ネットを検索してでも答を見つけようなどと考えています。まったく、パズルの意味も、遊戯の本質も理解していません。ただ勝つことしか考えていないのです。けれどAさん、そもそも誰に勝つつもりなのでしょう。Bさんにでしょうか、パズルを作ったに人でしょうか、この腐りきった世の中にでしょうか。どうも違うようです。

ともあれAさんは、まず回答例の写真を見ました。Aさんは、Bさんが決して鈍い人間ではないことを知っています。そのBさんが写真を見て解けなかったのですから、そこに問題があるはずだとAさんは思いました。Aさんは、そもそも人を疑うことが大好きです。みんなが自分を騙そうとしていると思っているようなやつなのです。当然、彼は思いました。「回答例なんて言ってこんな写真をだして、俺を騙そうとしているに違いない」

皆さんはどう思いますか? ぼくははどうかしていると思います。けれどもそんな思いをよそに、Aさんはまず色が違うことを疑いました。疑ってみると、なるほど、これは解けそうです。それぞれのピースの形は、写真通りのようです。ただ、色だけが写真と違うのです。Bさんはそれに引っかかってしまったのでしょう。

結局、Aさんはそれから少ししてパズルを解くことが出来ました。いま、Aさんの前には、直方体に組み上がった消しゴムが置かれています。

ぼくは思います。パズルを解けなかったけれど、Bさんは純粋に楽しむことができました。ヒントとして出されていた写真を素直に信じました。それは、とても羨ましいことです。Aさんは、ただ解くことだけを目指しました。彼にとってのヒントとは、悪意のこもった罠であり、それを疑い、裏をかいて出し抜き、利用して捨てる、ただそれだけのものです。彼には遊戯というものが分かっていません。それだけではなく、どうやら根本的に、何かを信じたり、余裕を持って楽しむということができないようなのです。それは結局、彼の弱さの表れでしょう。ぼくは、そんなAさんを少し哀れに思い、そして同時に、少しばかり軽蔑しているのです。

Aさんは、周りからはしばしば、才覚があるとか頭が切れると言われます。けれども本当は、ただ単に卑怯で、小器用なだけなのです。

そんなAさんが、すなわちぼくです。父がさっき起きてきて、パズルが出来ているのを見ると、「大したものだ」と感心したように言います。ぼくは「偶然だよ」と答えて笑います。そして少し、ほんの少しですが、太陽の光が眩しすぎるな、と思うのです。