愛のためにぼくは戦う!

と言う訳でですね、きょうはあれです、ぼくの愛の深さについて語ろうと思うのです。普段このブログをお読みの方なら、どうせまたバカな話をするのだろうとお思いでしょうが、もちろんそれは正しい。

さて、いまぼくは、とある大学の農学研究科で環境思想を勉強しています。まあその内容に関してはまたいずれ書くとして、ここの大学院には相棒も在籍しているのです。仕事をやめて大学に入りなおしたのは彼女と同時期ですが、ぼくは院に進む前にある理由から一年のブランクがあり、いまは彼女の方が一年先輩です。

でまあ、相棒は調査だ何だと言っては海外に行ってしまう。あとかなり天気の悪いときでも国内の研究林に行ったりする。林とは言え実質山ですから、もう相当に心配です。土砂崩れとか。もともとぼくは病的に心配性なので、これは早死にするよねと思うくらい心配して、結局彼女の近くにいれば安心だよねという結論に達しました。博士課程でここの大学院に転学した理由の一つには、こういったことがあります。研究科は違いますが、大枠は同じですから、ある程度調査に同行したり同じフィールドで研究したりできるだろうと踏んでいる訳です。不純ですね。いやそんなことはない!

ところがここに一つ問題がありまして、ぼくは環境思想なんてやっているにも関わらず、ある種の虫が極めて苦手なのです。はっきり言うと、カタツムリとか、カタツムリから殻を取ったあれ、あれです、やっぱりはっきり書けないので、なあさんと呼びましょう、そのなあさんがダメなのです。どのくらいダメかと言いますと、それを見てしまってから一週間は悪夢にうなされ、食欲がなくなり、些細なことで奇声を発して走り出してしまうくらいダメなのです。会社も休みます。あとひいさんもダメ。血を吸うやつね。なあさんとひいさんに関しては幾らでも奇妙なお話をしてさし上げられるのですが、きょうはそれは割愛。

で、彼女がしばしば登る研究林には、このなあさんとひいさんがたくさんいる。もの凄いたくさんいるらしい。ちょっとですね、この世の話とは思えないほどです。俺騙されているのかな? いやそんなことはないでしょう。どうせこの世界は悪夢です。それは間違いない。

だから彼女にくっついて研究林に行くとか熱帯のジャングルに行くとか、そりゃ言うのは簡単ですし、実際もう博士課程に来ちゃいましたし、後には引けないんですけれど、これは怖い。いまから怖い。想像しただけで失禁しそうです。と言うか、ジャングルに行って帰ってきて、そのぼくがいまのぼくと同じ人格を保有しているという自信がない。恐怖のあまり別の存在に変わってしまうかもしれない。

ただ、無駄なことばかりに頭が働くことで有名なこの私です、たかが数センチの軟体動物になど負けてなどいられない。数十センチのもいるよ、などと言わないで下さい。言わないで下さい!

で、まず考えたのは宇宙服です。ソビエトが崩壊して、恐らくかなりの数の宇宙服が流出したはずです。闇オークションで五百万円も出せば買えるのではないでしょうか。宇宙服さえ着ていれば、あれは完全密閉されていますから、なあさんもひいさんも怖くはない。見ちゃうのは嫌だから、赤外線センサーか何かを取りつけて、外界はそれで認識する。問題は闇オークションなんてものがあるのかどうかぼくは知らないということ、そして知っていても五百万なんてお金はないということ。何しろ昨日お財布を覗いたら、四円しかありませんでしたから。いやスイカがなかったら危なかった。

次に考えたのが、とりあえずジャングルを焼き払うことです。そうすればぼくも安心してジャングルについていける。けれどそれでは彼女の研究対象がなくなってしまうし、そもそもこれ、環境保全を何年も勉強してきた人間の発想ではない。ちょっと落ち着こう。

最後に考えたのが、結局正攻法です。苦手なら、少しずつ慣れていけば良いじゃない。そこでいかにも環境を学んでいる人間っぽく、IUCNのサイトから2004年度版のレッドリスト(2004 IUCN Red List of Threatened Species “A Global species Assessment”)をダウンロードしました。これ面白いので、みなさんもお時間があるときにぜひご覧になると楽しいと思います。

で、ここにはいろいろな絶滅危惧種が写真つきで載っています。とても勉強になります。みんな、いつまでも元気に地球上で暮らして欲しいと思う。それは本当にそう思いますし、そのためにもがんばって研究しないといけない。ぼくはなあさんもひいさんも苦手ですが、しかし嫌いではない。この区別は重要で、だからぼくは、なあさんもひいさんも元気に過ごせるのであれば、それは素晴らしいことだと思います。

しかしですね、51ページをご覧下さい。想像を絶する生き物がいる。殻に毛の生えたカタツムリと、何だか虹色っぽいバーコード模様の入ったなあさん。嘘じゃないって! ぎゃあ、何だこれ! ここは地球ですか!? 風はどうですか!? 探し物は何ですか!?

と、錯乱しながらも、毎日これを少しずつ眺めて身体と心を慣らしていく。最初はpdfの表示倍率を12.5%くらいにして、片目だけ、しかも薄目にして、当該ページを高速スクロールしながら見る。いやこれほとんど見ていないけど。でもって、少しずつ倍率を上げて、スクロールを遅くして、目を開いていく。

長々と書いてきましたが、結論を申し上げます。相棒と同じ大学院に行くと決めてから数ヶ月間、ずっとこれをやってきましたが、いまだに状況は改善しません。今朝、我が家の庭になあさんがいることが判明し、出家を決意しました。相変わらずぼくはなあさんがダメなままです。ああ、ダメなのはぼくの人間性ですか、そうですか。それではみなさん、さようなら。

ニコラス・ケイジ・メソッド

ただでさえ憂鬱なことが続いているときに、さらなる一撃を喰らうということはしばしばあります。血を吐く思いで学費を払い込んで家に帰ってみれば税金の督促状が届いていたり、雨の日に車に水を撥ねかけられてずぶ濡れになったと思ったら、突風が吹いて傘の柄で額を強打したり。いやまあそのくらいのことならどうということもありませんが、実際問題、これは人として我慢の限度を超えているだろうと思うときもあるでしょう。

そんなとき、決してキレてはなりません。いまさら新聞の一面を自分の雄姿で飾るような暴挙に走っては、せっかくこの年まで重ねてきた辛抱が水の泡です。キレやすい十七歳なら社会現象とも言えるかもしれませんが、キレやすい三十云歳にはいかなる言い訳も許されないのです。

そこで、そんなあなたにとっておきの方法をお教えしましょう。何を隠そう、常に憤怒にかられているこのぼくが、幾年にもわたって自分を抑えるのに成功し続けてきたという折り紙つきの方法です。名づけてニコラス・ケイジ・メソッド。ニコラス・ケイジ。みなさんもご存知の俳優です。バーディのアル、素晴らしかったですね。赤ちゃん泥棒も良かったですね。で、そのニコラス・ケイジを利用します。

いま、あなたが、我慢の最後の限界を超えたとします。その瞬間、時間を少し巻き戻して下さい。そしてあなたをニコラス・ケイジに置き換えます。耐え難い人生の雑事に耐えるニコラス・ケイジ。あの気弱そうな、けれどどこか危うさを秘めたヘラヘラ笑いのクローズ・アップ。あなたが耐えてきたあらゆる不幸を、ニコラス・ケイジが代わりに耐えています。困ったようにヘラヘラ笑っています。そして時間がいまに追いつき、ついに我慢がある一線を超えます。ニコラス・ケイジのヘラヘラ笑いに、ある種の輝きが溢れ出します。笑みを浮かべたまま、彼は狂気に突っ走ります。周りにあるすべてのものを、容赦なく破壊し始めます。

どうぞ、あなたの頭の中で、突き抜けてしまったニコラス・ケイジを、思う存分暴れさせてやってください。そしていままでの我慢すべてを怒りに転化し世界にぶつけるニコラス・ケイジを良く観察してください。あの気弱げな笑顔のまま、けれどその目はぼくらには見えない何かを見据え、どす黒く冷たい憤怒で満たされています。

やがてニコラス・ケイジは、あなたを置いて、怒りに全身を燃やし尽くしつつ、世界の果てに向かって走り去っていきます。それが、一線を越えてしまったあなたの姿です。

あなたは本当に、そんな風になりたいのでしょうか? どうか彼の笑顔を、思い出してください。あなたは決して、そうなりたい訳ではないはずです。耐え難い怒りはニコラス・ケイジに任せ、ぼくらはもう一度だけ、耐えてみようではありませんか。これが、ニコラス・ケイジ・メソッドです。

まさかとは思いますが、ここまでまじめに読んでくださった方がいらしたら、ぼくは言いたい。本当にごめんなさい。いやでも、ぼくは結構まじめに、このニコラス・ケイジ・メソッド、役に立つと思っています。

で、これ、ニコラス・ケイジでなくては駄目なんです。ジャック・ニコルソンでは最初からキレまくっています。ゲイリー・オールドマンでは最後まで狂気を貫くには気弱すぎます。クリント・イーストウッドでは狂気に取りつかれるまでもなくマグナムをぶっ放します。テレンス・スタンプでは悲しみが大きすぎます。チャールズ・ブロンソンとチャック・ノリスの違いがぼくはいまだに分かりません。

敢えて言えば、アル・パチーノとサモ・ハン・キンポーはかなり良い線行っています。まあその辺はお好みに合わせて改変してくださって結構です。要は限界を超えてしまった自分の姿を何者かに移し、あるいは映し、その蛮行を外から観察することで、キレることを未然に防ぐことさえできれば良いのです。

えっと……駄目ですか? そうですか……。ぼくは結構良いと思うんですけれど。

天才の悲劇

先日、TVで”Pollock”をやっていました。有名な映画ですので、ご存知の方も多いかと思いますが、ジャクソン・ポロックの生涯を描いた映画です。けれども、ぼくはどうにも好きになれませんでした。非常にまじめに作られた映画であることは間違いありません。しかし結局のところ、これは昔からある「天才の悲劇」を扱った陳腐な物語に過ぎません。

もちろん、それはあくまでぼくの主観でしかありませんから、あの映画を良いと思う方がいらしても、それを否定するつもりはまったくないのです。ただ、生き残ることだけを目的に生きているぼくのような人間からすれば、「天才の悲劇」という物語構造はもっとも唾棄すべきものなのです。

“Basquiat”もそうですね。確かにとても胸を打たれる。特にラストの、友人の運転する車に乗って街を疾走するシーン、ぼくは涙なくしては観られない。それでも、観終った後でふと疑念が生じます。なぜ、悲劇で終わらなければならなかったのか。

当然それは、バスキアの生涯がそうであったから、ということになりますが、ここで言っているのはあくまでも物語としての「バスキアの生涯」です。どちらの物語も、「天才の悲劇」である前にひとりの人間としての悲劇を描いているのも事実でしょう。しかしそれなら、そこにポロックやバスキアのような天才を持ってくる必然性はない。

繰り返しますが、このような物語には価値がない、と言っている訳ではまったくありません。 あくまでぼくの主観の問題として受け入れることができない、ということです。なぜ、悲劇で終わらなければならないのか。

ぼくは、多くの人間がそうであるように、特別な才能のない凡人です。けれどもそれは、決して恥ずべきことではない。とんでもない! むしろそれは誇るべきことでさえあるとぼくは思います。ぼくには、恐らく世界と戦うような機会は一生与えられないでしょう。ありきたりの日常を生き、老い、死んでいくのでしょう。

けれども、その平凡な人生を送るということは、決して平凡ではない。特別なことが何もない日々を生き、自分で在り続けること、それはぼくらが考えるよりも、遥かに困難で、その一瞬一瞬が奇跡的な勝利の連続だとぼくは思います。

「天才の悲劇」という物語を楽しむのは誰でしょう。それはぼくら凡人です。だからこそ、ぼくは言いたいのです。そんな物語よりも、ぼくの、あなたの日常の方が、比較にならないほど英雄的であるのだ、と。あなたが今日目覚め、人生の雑事に立ち向かい、あるいは逃げ出し、恥をかき、惨めに這いつくばり、ほんのささやかな喜びに微笑み、そしてとにかくも、夜再び眠りにつく。生きて、また明日を迎える。それはもはや悲劇的という言葉すら超えた、死で終わることを約束されてなお戦い続ける、気高い、凡人の勝利の物語です。

「天才の悲劇」など、ぼくには必要ありません。

さて、けれども、ここまで書いてきたことがすべて、単にロジックの問題でしかないことを認めなければなりません。ぼくはぼくの限界として、論理を超えることはできない。そして論理で語れるあらゆるものは、政治システムや宗教と同様、大して意味のないことです。

「天才の悲劇」は、論理を超えたところに確かに存在する。それを、例えばシーレやゲルストルの絵を観たとき、魂の直感として感ぜざるを得ません。ぼくがシーレの絵を初めて観たのは、確か東京ステーションギャラリーでした。あの時の衝撃は、いまでも忘れることができません。何を描いても、誰を描いてもどうしようもなく自画像になってしまう、シーレが抱えた圧倒的な孤独。それでもなおかつ昂然と立つその悲しいまでの美しさ。最も好きな画家です。

ゲルストルについては、ぼくが無知なだけかもしれませんが、日本ではそれほど有名ではないようです。しかし彼もまた、「天才の悲劇」を生きたひとりでしょう。もしご覧になったことがなければ、googleの画像検索で”Richard Gerstl Self Portrait Laughing”を検索してみてください。

「笑う自画像」。これほど恐ろしい笑顔を、ぼくは見たことがありません。この笑顔を説明する言葉をぼくは持ちません。けれどこれが、ぼくの知っているこの世界とは断絶したどこかへ向けたものであることは分かります。あるいはそのどこかを垣間見てしまった者がふとこの世界を振り返ったときに見せる笑顔。いずれにせよ、このような笑みを浮かべた者が、この世界で生きていられないことは、明らかです。シーレもゲルストルも、若くして死にました。

凡人たるぼくには視えない世界を視てしまうのが天才なのだとすれば、確かにこれは天才の悲劇です。

だから生きることに全力を尽くすぼくのような凡人からすれば、天才というのは―それに憑かれた人間を、名もないどこかへ連れ去っていく―まさに生に対立する敵でしかないのです。

ロシアの地を踏む

1989年11月、というと、何を想像するだろうか。ぼくは当時高校生になったばかりで、いまとなってはほとんどのことが薄やみの彼方に消えてしまったが、それでも幾つかの事柄と、そのときにぼくが感じたことだけはいまだにはっきりと心に残っている。1989年11月、それはもちろん、ベルリンの壁が崩壊した時だ。ぼくは資本主義が素晴らしいとも、共産主義が人類の理想だとも思わない。そんなものは所詮、人間が作り出した下らないイデオロギーに過ぎない。それでも、あのとき、東西を分断していた壁が壊され、人々が出会い、抱き合い、歓喜し歌を歌い合っていた光景は、ブラウン管越しに見ているぼくにもリアルに伝わってきた。無論、そんな希望が長続きするはずもなく、東西統合の熱気が冷めたあと、様々な問題が噴出した。そして1990年には湾岸戦争が始まり、1991年ソビエト連邦が崩壊。翌年、ぼくは大学に入った。

時が過ぎて、2000年の12月、ぼくは相棒とともに、ロシアの地を踏んでいた。と言っても、ユーラシア大陸へ行った訳ではない。麻布台にあるロシア大使館に行ったということ。相棒がどこからか、ロシア大使館でロシアの若手芸術家による絵画展をやると聞いてきたのだ。大使館の周辺には警官が何人も警備に立っており、扉も建物も異様なまでに堅牢で他者を拒絶する雰囲気に満ち、重苦しい。それでも、ぼくらのような一般市民が、絵画を観にその中へ入るなど、ほんの数年前には想像すらできないことだった。いや本当はそういったイベントが開かれていたのかもしれない。ぼくらが知らなかっただけかもしれない。それでも、普通に生活をしていてそういった情報に触れることができるようになったのは、やはり時代の変化だと言って良いだろう。

ぼくらは二人で、大使館の中をうろうろした。もちろんルートは決められているし、要所要所には明らかに文官とは思えない雰囲気を発散させている男たちが立っている。そして肝心の絵は、こういっては何だけれど、少なくともぼくらの魂をふるわすようなものではない。先入観かもしれないが、やがて来るべき資本主義社会に対する熱気と言うか、非常に俗っぽいものが感じられた。あるいはどこかで見たような画風。

けれども、ぼくらにはそれを否定する権利はない。腐敗は自由との引き換えで、それは決してぼくらが非難できるものではない。その自由に対するある種純朴なまでの信仰、期待、切望。ぼくらはその向こうにあるものが虚ろで空しいものだと知っているけれど、だからこそ、彼らの純粋な思いを否定できない。

結局、ここまで書いてきて何が言いたかったのか、自分でも実は良く分からない。それでも、ぼくらが子供だった頃には想像もつかないほど、世界は変わった。ぼくは、ほんの一瞬、世界が希望に満ちたときのことを忘れない。その後世界は悪くなった。それでも、ぼくが感じたあの希望は、決して嘘ではない。そしてぼくは、確かにロシアの地を踏んだ。ぼくらが入ることなど想像もできなかったところに行き、そこでぼくらと変わらない人間の欲望を見た。それは救いのない話ではあるけれど、ぼくらが同じであることは唯一の希望でもある。

ぼくらが子供の頃、冷戦というのは確かに存在して、けれどもそれは壊れて、そしてまた訳の分からない壁が無数に造られた。けれど一瞬垣間見えたその向こうに、ぼくらと同じ、どうしようもない人間の姿が見えた。世界は複雑に見えるけれど、でも、その一枚向こうには、案外シンプルな希望がある。

雑踏で口笛

きょうは会社を休み、家関係の雑事を片づけることにした。いま動けるのは実質ぼくひとりなので、しばらくは仕事を休むことが増えそうだ。まあ、開発の進捗状況はかなり進んでいるので、とりあえず問題はない。

せっかく休みを取ったので、用件よりも少し早めに家を出て、相棒に会っていくことにした。彼女は今日はゼミの日だから、その前に落ち合って、大学近くの公園で一緒にお昼を食べることにした。コンビニに寄ると、店長の住居も兼ねている建物なのか、脇で犬が飼われている。けっこう年な感じのする穏やかそうな白の雑種。ぼくは何しろ犬が好きなので、ふんふん鼻を鳴らしながらにじり寄ってみた。犬は何だろうという顔をして、すぐにまた寝てしまう。日差しも暖かいし、風もない。昼寝にはちょうど良い時間だろう。しばらく「かまってかまって」オーラを放出してみたけれど、犬は相変わらず眠ったままなので諦めた。

いくつか食べ物を買い、相棒とふたりで公園へ。ベンチに座って、のんびりご飯を食べた。すると小さな鳥が凄い勢いで近づいてくる。尾っぽが長くて、白いラインが入っている。ちょっと種類は分からない。相棒が小さくパンをちぎって投げる。一瞬驚いて飛び退くが、すぐに舞い戻ってパンを啄む。そして何を考えているのか、再び凄い勢いで走り回る。やあこれはかわいい、などと思ってぼくもパンを投げたら、どこからともなく鳩が集まりだした。飛んでくるならともかく、集団の鳩がこっちに向かって走り寄ってくるのは、正直ちょっと怖い。

彼女とふたりで、しばらくの間、いかに鳩に奪われないように、あの小さな鳥にパンをやるかに挑戦した。途中からヒヨドリが来て、こいつがいちばんはしっこい。パンを投げた瞬間、枝から一直線に降下してくわえていってしまう。でも、名前も分からない小さな鳥も鳩もヒヨドリも、ぼくはみんな好きだ。みんな一生懸命で、したたかで、かわいい。

一昨日は本社に寄り、その帰りに相棒と落ち合って夕食を食べた。食べ終えてから、仕事を終えたサラリーマンで混雑する、駅へと向かう道を歩きながら、どちらからともなく、相手にしか聴こえないくらいの小さな音で、口笛を吹き始めた。周りは人ごみだけれど、ぼくらだけが切り離されているような、それは寂しいけれど穏やかで、幸福な時間。雪ん子みたいに着膨れた彼女と寄り添って歩きながら、たぶん生きる意味というのはこんなことで十分すぎるんだろうなと、ふと思った。

そんな感じで、少しずつ日常を取り戻しています。

自分のために嘘をついている訳ではない。

このひと月はなかなかに大変だった。恐らく、いままでの人生の中で最も長いひと月だっただろう。いや、まだすべてが終わった訳ではなく、大変なのはむしろこれからなのかもしれないが、それでも、少なくとも能動的にこちらからしなければならないことのピークは一段落したと言える。

体重計に乗って、去年の暮れに72kgあった体重が65kgになっていたのには驚いた。骨が太いのでそれほど目立たないが、身長から考えてもさすがにこれはちょっとまずい。ただどちらかと言えば、これは不眠と精神的なストレスの表れだろうから、まあゆっくりと、生活のペースを取り戻していくしかないとも思う。

いま、少し状況が落ち着いて、ほんの少しだけれど自分の時間を持てるようになった。けれどそうしてみると、やりたいことが何もないことに気づく。本屋に行って読みたい本を買い込むほどの気力もないし、遊びにでかけるような気分でもない。まあ、時間をみて近所を散歩をするくらいか。そうやって、少しずつ痛んだ魂を回復させるしかないのだろう。

本当は友人にいろいろ連絡をしなければならないのだけれど、いざメーラーを立ち上げると、途端に言葉がでなくなる。それはとても困ったことだ。普段はいくらでも適当な言葉があふれてくるけれど、さすがに今回は疲れた。

ところで、ぼくは結構嘘をつく。嘘については、かなりのプロフェッショナルだと言っても良いだろう。このひと月、いやもう数年になるのか、ぼくはある人に嘘をつき続けてきた。大丈夫、大丈夫、絶対に良くなるよ。もちろん、そんなはずはない。それはぼくだって、相手だって知っていること。けれども、それでも、嘘をつく。全身全霊を込めて、ぼくは嘘をつく。

それは決して、祈りなどというものではない。冗談ではない。存在しない神に祈るほど、ぼくは落ちぶれてはいない。ただ自分の技術を、人を騙す最低の技を信じて、ぼくは嘘をつく。だから相手に最後まで本当のことを言えなかったけれど、でも、後悔はない。真実が救いとなるのは、ごく一部の超人的な強さを持った人間にとってのみだ。

それにどのみち、そうやって嘘をつき続けると、ある瞬間、真実かどうかなど、どちらでも良くなる瞬間が訪れる。大丈夫。駄目だと思っているあなたの認識は間違っている。絶対に、大丈夫。ぼくが保証する。それは嘘とか願いとか祈りとか、そんな言葉では説明できない、ぼくの魂の叫びになる。

ぼくを知っている人間は、ぼくを嘘ばかり、口先ばかり、信用できない人間だと言う。それで結構。嘘つきと言いたければ言えば良い。ぼくは自分を恥じたことは一度もない。だいたいそれでは、ぼくを責める人間はいったい何をしたというのだろう。何もしなかったではないか。祈るだけでいいなら簡単だ。それで救われるのなら、いくらでも祈ってやろう。

ぼくは、そんなものは信じない。信じるのは、ただ自分の嘘だけ。この世界に救いはない。けれども、救いは必要だ。だから、ぼくは嘘をつく。自分の人生をかけて、存在しない救いのために嘘をつく。

大丈夫、大丈夫。絶対に大丈夫。いま最悪に思えても、必ず良くなるよ。ぼくが保証する。絶対に、大丈夫。

階段を登りきればその向こうには

時間というのは不思議なもので、どうしたって進んでしまう。それで困ることもあれば、助かることもある。家族の病気のことを考えれば、できれば時間は止まってくれた方が良いんだよなあ、と思う。時間が進めば進むだけ、病状は悪くなる。まあもちろん、最後には誰もが死ぬ訳だけれども、少なくともそこに至るまでが安楽であってほしいとは思う。一方、いまのように、いろいろ良くないことが一気に押し寄せてくるようなときであっても、とにかく必死になってもがいていれば、もがいた分だけは前に進む。それが無限に続くのでは大変だけれど、気がついてみればすべてが終わっていて、終わってから振り返ると、無様に転がっていたかもしれないけれど、それでも、転がった分だけは前に進んでいたことが分かる。

いろいろ疲れると、買い物に行く。買い物というのは口実で、散歩に行くのが本当の目的。いや別に、口実を設けなければ外に出られないなどということではないけれど。ぼくは散歩が好きだ。春と梅雨以外のどのような季節も、外を歩くのは気持ちが良い。朝でも昼でも夕方でも夜でも、外を歩くのは気持ちが良い。ぼくの住んでいるのは少し山沿いの地域で、坂しかない。昔はいまよりももっと山しかなかったけれど、人間というのはまあ恐ろしいもので、山の一つや二つ、簡単に削ってしまう。ある日突然、いままで見えなかった山の向こうの街の灯が見える。愚公山を移すのは壮大な話だが、こちらはただの宅地造成に過ぎない。とは言え、まだまだ家の周りは山ばかり。どこへ行くにも、登って下って、また登る。

高校までは本当に地元から出ないような暮らしをしていて、それこそ田んぼと山の中で過していた。電車にもほとんど乗ったことがなく、だから、大学に入って初めて、自分で電車に乗ってどこかへ行く、ということを経験して、慣れるまでが大変だった。そしてとにかく、大学周辺が平らであることに驚いた。どこまで行っても、とにかく平らなのだ。本当に、これなら世界一周だってできるとさえ思うくらいに真っ平らだった。ぼくが東京で育っていたら、きっと天動説を主張していただろう。大地は円盤で、その端からは海水が轟々と流れ落ちている。

けれども、散歩をするなら、ぼくは坂道だらけの地元を歩くのが好きだ。平地の散歩は、どこまでも行けるけれど、少なくともぼくにとっては、何も遠くへ行くのが散歩の目的ではない。竹やぶに挟まれた狭い坂を上りきると、突然、眼下に町が開けている。昼過ぎの穏やかな町、どこか遠く、それとも近くから聴こえてくる子供たちの声。夜の寝静まった町、風に乗って届く車のクラクション。息をつきながら、足元だけを見つめ、階段を一段一段登る。登りきって目を上げれば、いつの間にかぼくは町の最も高いところにいて、どこまでも遠くを見通すことができる。小さな町が少しずつ広がっていくのを、十年、二十年と眺めてきた。

先が見えなくて、何が見えるのだろうかと、いつもそれが楽しい。知っている道でも、飽きるほど眺めたはずの景色でも、それが坂の向こうに突然開けるとき、ぼくはいつでも、かすかな胸の高鳴りを感じる。急な坂を一歩一歩登るとき、ぼくはいつでも、歩いていることをこの上なく実感する。その一歩一歩が、ぼくの人生を刻む時間になる。先の見えない不安、そして喜び。それがぼくを、一歩前に進ませる。

いろいろなことを考えているようでもあり、まったく空っぽになれるようでもある。そうして、心の中に溜まった余計なものが消える頃、ぼくの散歩も終り、坂道を下って家に戻る。

ぼくは散歩が好きだ。それはここを捨ててどこかに逃げ出そうということではなく、何と言えば良いのだろう、登ったり下ったり、思いもかけないものが見えたり先が見えなかったり、要するに、生きることそのものに対するぼくの在り方を再確認させてくれるからだと、ぼくは思う。

家の裏の階段を上りきったところに、街灯がひとつ立っている。ぽつんと点いたその明かりの下に、はるか向こうの街の光が広がり、晴れていればその上には、星空も広がっている。ぼくはほっと息をつく。吐く息は真っ白で、また少し、がんばることができるような気がする。