と、言う訳で、何だか最近軽い話をしていないので、軽い話をします。ぼくは根が軽いので、軽い話をしないと息ができなくなって死んでしまうのです。
週に一度、教授を囲んで原書講読をする自主ゼミに参加しています。で、自分の担当部分をやるときにまずいったん原文を読んでから訳すわけですが、これが我ながら酷い発音なのです。相当酷い。ひどいというか、もはやむごい。
こう見えて、ぼくは英語の教育に関してはかなり有名な大学に行っていたらしいです。伝聞なんですけれども。どうもそうだったのではないかというのが最近の学説です。当然、案の定というか、落ちこぼれもいいところで、挙句の果てには中退したのですが。まあもちろん、中退の理由はそれだけじゃないですけど。まあそんな大学生活の中でいまでも覚えていることがありまして、あれは入学してすぐ位かなあ、英語の授業があるんですね。っていうか英語の授業ばっかりあるみたいな感じ。でもって、何か相手の目を見て話せとか言われる。アイコンタクトから始めよう、みたいな。困るんですよ、そんなこと言われても。ぼくは英語を読むということなら、多少はできます。ですから、純粋に翻訳とかであるのなら、そうそう酷いことにはならない。でも会話になるとですね、そもそも日本語による会話だって危ないのに、いきなり周囲には田んぼしかないような高校から出てきてですね、何かもの凄いおしゃれな学生に囲まれて、みんな英語できるみたいな雰囲気が溢れているわけですよ。もう床に滴るくらい溢れている。で、目の前に女の子が座って、もの凄い大きな目を見開いてですね、こっちを見てくる。その授業では二人一組になって、相手の目を見ながら自己紹介とかするのです。何の拷問なんだよ! と叫びたいけれど、いやそれどころではない。息をするのがやっとです。正直、女性の顔なんて真直ぐ見たことないんですよ、こっちは。でいきなり相手の目を見て英語を話せとか、ああ、ぼくは一生忘れないだろうなあ。このときの苦しみ。苦しすぎて変な世界に目覚めそうなくらいの苦痛ですよ。で、目を伏せると、相手の女の子が、わざわざ下から覗き込んでくる。じっと目を見つめてくる。
ぼくは中退しました。
いやそれが理由じゃないけど。で、それから数年働いて、今度は働きながら大学に入り直すんですよ。そうしたら、例によってぼくは読み書きテスト的なものはできてしまう。これは基本的に話す能力とは無関係ですから。そうして入学して、オリエンテーションがありました。バスに乗ってどこかへ行って、バーベキューをするんです。もちろんきちんとオリエンテーション的なこともするけれど。そうしたらそのバーベキューのときに、ぼくの在籍することになる科の先生がいらして、「cloud_leafくん、悪いけれどあそこにいる先生のお相手をしてくれない?」と仰る。見ると、アメリカ人(このときは何人かは知らなかったのですが)の先生が所在無げに立っていらっしゃる。新任の先生で、日本語はまったく喋れないらしい。けれども他の先生方は忙しいので相手をできない。だから、入学試験で英語ができたぼくに相手をしろと、そう命令が下されたのです。
もうね、あれです。オリエンテーション中に退学したら結構伝説だよね! とか、冷や汗流しながら考える訳ですが、向こうから様子を伺っていたらしいアメリカ人が近づいてくる。アメリカ人が近づいてくる! けれどもある一線を越えると、小心者のぼくは妙に冷静になりまして、なあにソクラテスだって毒の杯を飲んだではないか、などと開き直るのです。とは言え、英語が話せないことに変わりはないので、「あわわ、あわあわ、おわああ」とか、月に吠える状態になる。向こうは前もって学生が相手をしてくれると聞いていたらしく、もの凄い期待を込めた目つきでいろいろ話しかけてくる。ぼくはコスモポリタンでいたいと願っているけれど、このときばかりは攘夷派の気持ちが分かりましたね。最後は、ひたすら気まずい沈黙、沈黙、沈黙。
でもこの大学はがんばって四年で卒業した(当たり前だ)。
それからしばらくして、正確にはいつ頃のことか忘れましたが、とある天気の良い日曜日、ぼくは地元を散歩していました。当時その辺りはまだ宅地が多く、お昼前後のその時間は人っ子一人居なくなります。結構、白昼夢みたいな不思議な空間です。すると、道を曲がったところに、巨大な白人の中年男性が立っていました。一瞬ぎょっとしたのですが、地図とにらめっこをして、どうやら道に迷っているようです。嫌な予感がして、瞬間的に気配を殺したのですが、やはり手遅れでした。向こうはぼくに気づいて、「へいぼーい、うんにゃらかんにゃら、ほにゃららほっほーい!」とか話しかけてきます。もちろん、黙って逃げるとか、ヘブライ語で挨拶し返すとか、とりあえず失禁するとかいろいろ選択肢はある訳です。人間には常に選択肢がある。けれど例によってソクラテスです。毒杯を飲むことに比べれば何ほどのこともない。で、とにかくボディランゲージで(一切英語は話さなかった!)、彼が行きたがっているらしい地点を地図上で指してもらった。ぼくも良く分からない場所でしたが、町名的にそう遠くはないところのようです。何しろ散歩に出るくらいでしたから時間はありましたし、連れて行くことにしました。こういうところから草の根外交とか広がったり世界平和の種がまかれたりするんですよ。本当かなあ。
で、このとき既に妙なスイッチが入ってしまっていて、俺はもう絶対に英語を喋らないでこの男を連れて行くぞと思い決めてしまっている。だから「あいうぃるていくゆーでぃすぷれいす」とか、拙くても言えば良いのに、何か(自分なりにタフガイっぽい笑みを浮かべて)ついてこい! みたいな身振りをして歩き始める。相手が困惑しているのが良く分かる。そうして、二人でてくてく歩き始めました。いまだに人っ子一人見かけない中、無言で歩く東洋人と、巨大な白人が一列になって無言で歩いていく。たまに地図を借りて番地を確かめながら、だんだん不安そうになっていくおじさんに、こう、ニヒルな感じの笑みを浮かべて、サムズアップしたりする。俺に任せておけ! みたいな。でもぼく自身、本当にぼくに任せられるのかどうか疑問なんですよね。相手の警戒と不安がどんどん高まっていくのが手に取るように分かる。
けれども、そんなこんなで二十分くらい歩いて(よくもまあ、あのおじさんもついてきてくれたものです。異国で、言葉も通じない、訳の分からない男の後についていくというのは、相当の度胸がいるでしょう)、おじさんが何か言いました。どうやら、自分が行きたかった家が見えたようです。で、急に緊張が解けたのか、もの凄い喜びながらぼくの手をつかんでぶんぶん振ります。さんきゅーとか言っています。こっちは手が離れたときに、またサムズアップですよ。ぐっどらっく! みたいな感じ。
先日、あてどなくてくりてくりと散歩をしていたら、そのときおじさんが入っていったお家を再発見しました。数年前に見たままで、ぼくは何だか、嬉しいような懐かしいような、けれどそのどこにでもある小さな日本の建売住宅に入っていった大きな白人のことを考えると、なぜだか少し寂しくなったのでした。