いまだ見知らぬ誰かを愛すること

子供のころから音が聴こえなくなることに対して大きな恐怖を感じていました。身を守るためには、自分の周囲をつねに警戒していなければなりません。視覚と違い、聴覚は全方位性の感覚ですから、背後から誰かが近づこうとしても、注意さえ怠らなければ容易に気づくことができます。小学校低学年のころはすでにそんなふうにして生きていました。いまでも聴覚に干渉されるのは非常に苦手ですし、不安になります。どんなにおいしいというレストランでも、うるさい音楽がかかっていたり酔っ払いが騒いだりするようなところには行きたくありません。自動車が嫌いな理由も、そのひとつにはあの暴力的なエンジン音があります。声の大きいひと(単に大きいのは良いのですが、暴力的な威圧感を持った大声のひと)も苦手です。そうして、周囲の音が聴こえなくなるので、耳までかかる帽子も嫌いです。耳に触られるのも嫌いです。

じゃあ音楽なんて聴けないだろうという話になりますが、確かにそうでして、ヘッドホンで音楽を聴くのは、ふだんはあまりしません。聴いているとき後から誰かに襲われたら防ぎようがないからです。けれど同時に、爆音で音楽を聴くときもあります(もちろんヘッドホンでですが)。たいていそれは、精神的な疲労がピークに達してるときです。だいたいにおいてそこにはある種の自己破壊衝動がともないますので、そういうときは普段ハリネズミのように身を守る、潜在意識レベルにまで刷り込まれた防衛本能が疎ましくなるのです。大音量の音楽で、自分のけちくさい自己保存欲を吹き飛ばしてしまいたい。

もうすぐ父の納骨なので、きょうは骨壷に父の好きだったいろいろな小物を入れました。ぼくに似て、いや逆ですね、ぼくが似たのですが、骨格の頑丈な背の高いひとだったので、骨壷はけっこう一杯です。けれどもああこりゃこりゃちょっと失礼、などと呟きつつ父の骨を詰めなおし、音楽をいれた携帯プレーヤーや万年筆などを詰め、また蓋を閉めました。何故かその後頭痛がひどくなり、しばらく身体を休めていました。けれども、そんなときにぼんやりと物語を考えるのはとても楽しいです。書けるかどうかはともかく、きょうもひとつ、お話を思いつきました。そうして、少し論文の手直しをしました。とある出版社から、自分の論文が片隅に載った本が郵便で届きました。きょうも一生懸命生きたといえる日だったような気がします。

前に書いたかどうか覚えていませんが、ぼくはいま、共生倫理を学んでいます。共生といっても、ただ隣のひとと仲良くしようとか、そんなことには、ぼく自身はあまり関心がありません。いや関心がないわけではないけれど、「隣のひと」っていう言葉をあまり信用していないんですね。そんなひと、本当にいるんでしょうか? 異なるというのであれば、何よりもまずこのぼくからして、ぼく自身と異なっているはずです。そうして同時に、ぼくのまだ見ぬ、想像さえできない誰かさんこそ、どのように共にこの世界で生きることができるのかを考えなければならない相手であるはずです。隣人って、何でしょうね。

この前ゼミ発表がありまして、こんど投稿予定の論文について話したのですが、その後の質疑応答でおもしろいなあと感じることがありました。あまり詳しくは書けないのですが、その論文で、ぼくはバトラーをひきつつ、自分が想像もできないような規範に従い生きる他者への開かれこそに、自らの規範に囚われた「わたし」が持つ人間という概念の幅を広げる可能性があるのだということを書いています。ちょっと乱暴なまとめ方ですが、まあそんなようなお話です。けれども、あるひとがこのように言いました。想像もできないような他者との共生といっても、それを本当に想像するのはとても難しい。むしろそれより、自分の身近な、想像できる人びととの共生から話を始めるべきではないのか?

なるほど、それはまったく正しい意見だと思います。けれどもやはり、ぼくは思ってしまうのです。隣人って何だろう。そんなひと、本当にいるんでしょうか。『倫理〈悪〉の意識についての試論』において、バディウはこう言っています。

「無限の他性とは、端的には、あるいということce qu’il y aなのだ。いかなる経験であれ、無限の差異の無限に配備されている。私自身についての反省であるかに見える経験でさえ、ある統一の許でなされる直感といったものではなく、さまざまな差異化の迷宮であり、それゆえ「私はひとつの他者である」と宣言するランボーは間違ってはいないのだ。例えば、中国人の農夫とノルウェイ人の若い将校とのあいだには、私自身および私自身を含めた誰でもよい誰かとのあいだにあるのと同じだけの差異があるのだ。

同じだけの、だがしたがってまた、それ以上でも以下でもない、差異が」(『倫理〈悪〉の意識についての試論』アラン・バディウ、長原豊、松本潤一郎訳、河出書房新社、p.48)

要するに、すべてのひとが徹底して他者だと、ぼくは思うのです。存在しない身近な隣人などよりもむしろ、想像さえできないけれど確かに存在している他者をこそ、ぼくは出発点にしたい。身近な隣人という言葉に、ぼくは何か、共生とは別のイデオロギーが隠されているように(無論それを非難しているわけではなく、たんにぼくはそうしたくない、というだけの話ですが)思えてしまうのです。

バディウはむしろぼくが書いているような共生倫理に対する鋭い批判をしているひとで、だからその批判を乗り越えるようなものを書かなければならないし書いているつもりではあるのですが、しかしやはりその主張は非常に鋭いものがあります。

「旧ユーゴスラヴィアでの戦争を全面的に取り扱ったあらゆる記事やコメントでいつも繰り返されたある所感から、普通そう思われている以上の驚きが感じ取られねばならない。ある種の主観的興奮やけばけばしい悲壮感に動かされて書かれたのだろうが、そこでは旧ユーゴスラヴィアでの残虐行為の数々が「パリから飛行機でたった二時間」の場所で起きているという指摘が示されている。もちろんこうした記事の書き手たちは、人権、倫理、ヒューマニズムにもとづく介入、〈悪〉が恐るべき回帰を暴力の悪循環として操っているという事実、こうしたことすべてを自然なものとして引き合いに出している。だがこうした観察は即座にその不条理を曝すことになる。すなわち、倫理的諸原則、人間の犠牲的本質、「権利は普遍にして侵すべからず」という事実がそんなに大事なら、なぜ飛行機旅行でかかる時間が重要だというのか? 「他者の承認」が大切なのはこの他者がある意味で身近なときだけ、とでもいうのか?」(同書、p.61-62)

その通りだと思うのです。ぼくはやはり、自分の「身近な人間」から始まる共生倫理というものを信用することはできません。

けれども、きょう、父の骨壷の周囲を掃除していたとき、ふと、そこにお供えしておいた加藤周一の『私にとっての二〇世紀』を手に取り、ぱらぱらとめくっていたら、次のような文章にいきあたりました。ちょっと長いですが、引用します。

「たとえば、孔子の牛のはなしを考えてみましょう。孔子は重い荷物に苦しんでいる一頭の牛を見て、かわいそうに思って助けようと言った。すると弟子は中国にはたくさんの牛が荷物を背負って苦しんでいるのだから、一頭だけ助けたってしようがないのではないかという。孔子は、しかしこの牛は私の前を通っているから哀れに思って助けるのだと答える。それは第一歩です。

第一歩というのは、人生における価値を考えるためには、すでに出来上がった、社会的約束事として通用しているものから、まず自らを解放することです。たとえば牛に同情するのだったら、統計的に中国に何頭の牛がいて、それに対してどういう補助金を与えるとか動物虐待をやめるような法律を作るとかさまざまな方法でそれを救う必要がある。それは普通の考え方です。その普通の考え方から解放される必要があるのです。どうしてその牛がかわいそうなのかという問題です。たくさん苦しんでいるのだから一頭ぐらい助けてもしようがないという考えには、苦しんでいる牛全部を解放しなければならないということが前提にある。なぜ牛が苦しんでいるかへの答にはなっていない。牛が苦しんでいるのは耐えがたいから牛を解放しようと思う、どうしてそう思うかというと、それは目の前で苦しんでいるのを見るからです。だから出発点になる。やはり一頭の牛を助けることが先なのです。

一人の人の命が大事でない人は、ただ抽象的に何百万の人の命のことをしゃべっても、それはただ言葉だけであって、本当の行動につながっていかない。行動につながるのはやはり情熱がなければならない。その情熱の引き金はやはり一人の人間、良く知っている人たちの存在です。アンゲルプロスの自伝的な感じのする映画『永遠と一日』に出てくる偶然町で出会った見ず知らずの少年です。一日の中に永遠を見なければ永遠はない。一日は一日であって大したことはないというのだと、永遠というものは見えない。だから、もし永遠というものがあるとすれば、一日の流れが永遠なわけです。難民となったたくさんのアルバニア人と一人の少年とは同じです。だから『永遠と一日』では、主人公の男は危険を犯して一人のアルバニア人の少年を助ける。どうしてかというと、一人の少年の運命は、アルバニア人全体の運命と同じだからです。そこから事が始まるということをアンゲロプロスは言っている。孔子からアンゲロプロスまで流れている考えの原点は同じだと思います。文学の目的はそういうことがわかるためにあると思う。」(『私にとっての二〇世紀』加藤周一、岩波現代文庫、p.245-246)

父は加藤周一が好きだったので、父の死後出版されたこの本をお供えし、そのままにしていたのですが、たまたまきょう手にとり、開いたページにこのようなことが書かれていたことを不思議に思いました。

一人の少年から無数の人間へとつながっていくこと。たしかに、そうかもしれません。ぼくには一人の人間を想像することがとても難しい。自分の思想が、つねに抽象性へと引きずられているのを感じます。それはもしかしたら目的ではなく手段を愛するテロリストの論理かもしれません。けれど、ぼくはやはり、そうではない! と言いたいのです。想像もできない人びとを想うことは、決して不可能ではないはずです。恐らく一生出会うこともないであろう人びとに与えられている苦しみに対して心底怒ることも、決して不可能ではないないはずです。具体的な「誰か」を愛せないとしても、だからといって愛そのものがないとは、ぼくは決して思わない。

爆音でライヒを聴きながら論文を手直ししつつ、そんなことを考えていました。

蓮根トハ蓮ノコトトミツケタリ

先日相棒に「レンコン買ってきてちょうだい」と言われまして、ふんふん鼻歌を歌いながら大学帰りにスーパーに寄ったのです。ところが野菜売り場をいくらうろうろしても、レンコンのレの字も見つかりません。おかしいなあ、おかしいなあと思っていたら、なにやらレンコンそっくりの野菜が売っています。おやおや、と思ったのですが、プレートを見ると「ハス」と書いてありました。そっか、これレンコンじゃないんだ、間違えて買わないで良かった良かった、俺、買い物上手。などと自画自賛しながら彼女の家に行き、「レンコン売っていなかったよ、でもハスっていうそっくりな野菜が売っていたよ^^」と報告をしたところ、なぜかとても哀れむような目で見られました。

っていうかですね、ぼくだって生きるか死ぬかという状況で、全身全霊を込めて考えれば、「レンコン」が「蓮根」で「ハス」が「蓮」だということくらいは分るのです。たぶん。でもいきなり「ハス」とか書かれたら混乱するじゃないですか。しないか。大根買ってきてと言われて八百屋に行ったら「オオ」とか書かれた野菜しかない、けどどう見ても大根そっくりとか、そんな話ですよ。ハスが蓮根って、そのくらい途轍もないことですよ。と力説したのですが、誰も同意してくれなかったのです。

最近は頭痛がひどくて、ずっと薬を飲んでいます。もちろん市販薬を用量を守って飲んでいるのですが、やはり相当にぼんやりしてしまいます。ぼんやりしているのは自分でも分っているので、安全第一でのんびりゆっくり歩くようにしているのですが、それでもあちこちにぶつかってしまいます。数日前は車どめの金属製の柵に激突してしまい、しばらく足を引きずっていました。とはいえ薬のせいで痛みもあまり感じず、あとで足がカラフルになっているのを見てぎょっとしたりします。薬でぼんやりというのはけっこう怖いことで、これは一昨日でしたでしょうか、お風呂に入ってひさしぶりに息を止めてみようと思ったのです。まあ最近は走ってもいないし、せいぜい一分も止めていられれば良いほうかな、などと思いながら鼻をつまんで水に潜りました。お風呂の壁にかけてある時計の秒針の音に耳を澄ませ、時間を計ります。三十秒、余裕です。一分、まだまだ平気。一分三十秒、あれ、こんなに楽で良いのかな。二分、いまだにまったく苦しくありません。二分三十秒……、さすがにこの辺りでおかしいと思い始めました。これ、単に薬でぼんやりしているせいで、苦しいと感じないだけなんじゃないかしら。慌てて水面下から顔を上げ、息を吸いました。あのまま潜っていたら、そのままインスマウスに還ってしまっていたかもしれません。危ない危ない。

とまあ、あまりぱっとしない日常ですが、けれどそんなぼくにも良いことがありました。この前仕事の帰りに墓地の脇を歩いていて、ふと空を見上げたら生まれて初めてというくらいに眩しく強い流れ星を見たのです。はい、良かったことのお話おしまい。

昨日はひさしぶりの休日で、午前中は家で雑事を片づけていたのですが、午後は新宿御苑で写真を撮りました。御苑は芝生でのんびりも良いですが、ぼくは外周をぐるりと散歩するのが好きです。閉園後は近くの喫茶店で論文の手直しをして、夜、相棒と落ち合って登山用品店に行きました。キャンプ用品みたいなところで、見てみてヒル避けの薬があるよーぼく買おうかな、などと言いつつ彼女に見せようとしたら、薬のビンにヒルのリアルな絵が描いてあって、思わず「ニャヒー!」などと変な声をあげてしまいました。夕食のあと、タイムズスクエア近くでクリスマスの飾りつけをしている工事の人たちを眺めながらふたりでぼんやり。十年前もそうだったように、きっと十年後も、ぼくらはこうやってふたりでぼんやりしているような気がしました。そう思えることはきっと、とても幸福なことなのでしょう。やがて電飾の一部に光が点るのを見てから、ふたりで帰りました。

そんな感じで、日々を過ごしています。

きみは元気だったかい?

一月半ちかくブログを書いていなかったのですが、ちょっとそんな感じもしないのです。たぶんネットとは別のところで毎日言葉を書いていたからでしょう。とはいえしばらくブログから離れていると、どうもどんな文体で書けばいいのか、ちょっと戸惑ってしまいます。まあ、書いているうちに調子が戻ってくるでしょう。

ぼくは普段、あまりひとと話すことはありません。もちろん仕事上必要であるとか、大学で誰かに会ったときなどは、極普通に話すほうだろうとは思います。けれども、積極的にだれかと話したいという気持ちはほとんどありません。PHSに電話があっても、よほどのことがないかぎりでることはありません。留守電にメッセージが入っていなければ、こちらから連絡をしかえすこともありません。最低ですね、と言われれば、たぶんそれは、そのとおり。

最近、かなり忙しい日々とを過ごしていたのですが、ある日、ふと手が空いてしまったことがありました。そういうとき、ぼくは掃除をします。べつだん広い家ではないのですが、ひとりで掃除をするには少々手がかかります。やるとなったら、一日がかりです。そうして少し頭をクリアにして、翌日、まだ時間が空いていたので、ひさしぶりに友人にメールを書くことにしました。

ぼくにはほとんど友人がいません。というと語弊があり、ぼくほど友人に恵まれた人間も珍しいだろうとも思っています。仲良しごっこなど、見ただけで反吐がでそうになります。たった一人でも友人と呼べる人間に出会えたのなら、それは本当の奇跡でしょう。

けれども、友人だからといって、その人がいま何をしているのか、むろんそんなこと、ぼくに分るはずもありません。毎晩電話をしているわけでもなく、メールをやりとりしているわけでもない。数年間会っていない人だっています。であれば最悪、もしかしたらすでに死んでいる可能性だってあるでしょう。これは決して、言葉遊びでいっているわけではありません。

ぼくはたいてい、その友人とは完全に個人的なつきあいをしていますから、その家族からぼくに連絡がくることなどまずないでしょう。そもそもぼくの存在を相手の家族が知っているかどうか疑問ですし、連絡先となれば間違いなく知られていないことには確信があります。そう書くとなにやら不気味に思われるかもしれませんが、さてどうでしょう。そうかもしれませんが、ぼくはそれでよいと思っているのです。誰かが友人であったとしても、その家族や知人など、ぼくの知ったことではありません。人間の関係はつねに個と個のものであり、それを超えたところにあるものはすべてノイズにすぎないのです。

だからいま、相手が元気に暮らしているかどうか、ぼくには何の手がかりもありません。それは相手にとっても同様で、ぼくが本当に元気で暮らしているのかどうかは知りようがないでしょう。ぼくらはふだん、電話やメールでやりとりをすることによってつながっているわけではない。友人とは、少なくともぼくにとっては、そのようなものではない。物理的なつながりに保証されるようなものではない。したがって死んでいようが生きていようが、きっとそれも、大した問題ではない。

とはいえ、もちろん、元気で暮らしているのならそれに越したことはありません。ぼくはメールを何通か書きました。返事は来るでしょうか? 数日おいて、ぽつりぽつりと、地球上のどこかからか、ばらばらとメールが返ってきます。返ってこない場合もあります。向こうからある日ふいに連絡があることもあります。そうして数年ぶりにあったりすることもあります。そうでないこともあります。

お互い、誰もが、つねに独りです。あるときたまたまひさしぶりに顔をあわせ、何気ない言葉を交わします。元気だった? もちろんさ。きみは? ぼくも元気だったよ。ある日、気がつけば誰かがいなくなっています。それは決して避けようのないできごとです。稀に出合ったその瞬間を永遠にすること。たぶんそれだけが、ぼくらが死に打ち勝つ方法であり、それに確信を与えてくれることこそが友情なのです。

きみは元気だったかい? ぼくはいつもどおり元気だよ。たぶん千年後も一万年後も熱的死のあとでさえも、ぼくはきっと、元気だよ。

矛盾に耐え続けるということ

なぜ書くのか、などと言うと偉そうに聞こえてしまいますが、そういうわけでもなく、ぼくの書く文章はあまりに拙いかもしれませんが、それでも書かなければならないという衝動がある限り、なぜ書くのかということは、つねに自分に対して問わなければならないことです。

去年から今年にかけて、ぼくは幾つかの死に関係しました。しばしば、死者は生者の心の中で生き続けると言います。これはたしかに真理かもしれません。けれどぼくは同時に、生者こそが死者によって心を、少なくともその一部を殺されるのだと思っています。誰かと関わるということは、自分の心が変化し、それまでとは異なる新たな命を手にする、ということです。また、そうでないのであれば、ぼくらが誰かと関わる意味などないでしょう。自分が変化しないのであれば、それは要するに、ただ独りでいるのと同じことです。けれど他者と関わるとき、ぼくとその誰かさんとの交わりによって生まれた新たな自分というものは、その二人の存在によって保証されるものです。ある人は、だからこそその片割れが死んだ後でも、その一部が残った片割れの心の中に生き続ける、と言うのでしょうし、またある人は、だからこそ片割れが死んだとき、生き残った片割れの心もまた同時に死ぬのだ、と言うでしょう。どちらが正しく、どちらが間違っているということではありませんが、しかしぼくは、いつも後者の見方に囚われています。ぼくらは生きるためには人と関わらざるを得ませんが、同時に、だからこそぼくらは、生きようとすれば生きようとするほど、常に、絶え間なく、自分の中に死を内包し続けていかざるを得ません。

死は自分の外に独立してあるものではなく、ぼくらの内側に、ぼくらの一部として存在しています。にもかかわらず、それは完全な暗闇で、無で、そしてそれらでさえありません。だからこそ、それはぼくらが認識できる、認識そのものとしての「ぼくら」であることの基盤を根源的に揺るがします。そしてだからこそ、ぼくらはそれに形を与えようとする。どうにかして表現しようとする。それは言葉でも写真でも絵でも音楽でも、いやもっと漠然とした、生き方とか笑い方とか、そういったことを通して形を与えようとする。けれどもちろん、そもそも形を持たないものを形として表現しようとする以上、それは最初から矛盾しており、不可能な営みであることが約束されてしまっています。

誰かが死んだときに、それをそのまま悲しいと、ぼくは言えません。それは、悲しいという言葉によっては(あるいはそうでなくとも、要するに悲しみを直接的に表現することによっては)、ぼくが感じているもの、あるいは感じることができなくなってしまったものを表すことは決してできないとぼくが思っているからです。それはぼくにとってあまりに安易で、失われたものへの想いを放棄することにしか感じられません。念のため申し上げれば、他の人が悲しみを悲しいという言葉によって表すことに対しては、まったく違和感を感じません。むしろ、例えば相棒がストレートに悲しみを表現するのを見ると、それは人間として自然で、美しくさえあると感じます(これは別段、彼女を理想化しすぎているとかそういった話ではありません)。ですから、ぼくがここで書いていることは、あくまでぼくの個人的な感覚の問題であり、ぼくがとるべき態度の問題です。

結局のところ、ぼくは表現できないものの周りを、いつまでもぐるぐる、一向に近づくことなく回り続けることになります。しかし考えてみればそれは表現と言われるものすべてに共通することでしょう。絵を描くとき、もし目の前にあるものをそのまま表現したいのであれば、それは写真を撮れば良い。同時に、写真を撮ったところで、それは自分が見たもの、表現したいと思ったものをそのまま写し撮れるわけでもありません。ぼくらはある対象をそのままに表現したいと思ってるわけではないし、かつまた、そのままに表現できるわけでもありません。それはどのような表現にも共通して言えることですし、その断絶があるからこそ、あらゆる表現は唯一独自のものであり、表現は無数のバリエーションを生み出すことができます。けれども、その対象が死であるとき、ぼくらはさらに重ねて、もうひとつの断絶を抱え込まざるを得ません。すなわち、対象をそのまま表現できるわけではなく、表現したいわけでもなく、なおかつその対象自体が存在しないという断絶です。

ぼくらはぼくらである限りにおいて、自分自身を表現しなくてはなりません。表現するためには他者が必要ですし、また他者なくしては表現すべき自己も存在し得ません。けれど自己認識が生存を前提としたものである以上、他者はやがて必ず死者として現れることになり、それはぼくらの中に絶対的に表現し得ないものとしての死を導きます。ここでぼくらは初めに戻ることになります。ぼくらは、ぼくらである限りにおいて、自分自身を表現しなくてはなりません。しかしそのぼくらとは、決して表現し得ない他者の死を内包したものであって、要するに、生きるということは、つねにかつ必然的に、矛盾に耐え続けるということなのだとぼくは思っているのです。

ひさしぶりのお出かけ

「ごめん、待った~?」「ううん、いまきたところ」みたいなシチュエーションに、昔あこがれてた。いやそうでもないけど。ぼくの相棒は約束の時間に来るということがまずなくて、一方ぼくは遅刻するということがない。こう書くとよくある話っぽいが、ぼくらはこれに関して命を削るような闘争を二十年近くにわたり繰り広げてきた。だがいまだに彼女は遅れてくるし、ぼくは時間前に来て無駄に待つことをやめようとしない。ほとんど不死の神々の戦に近いのではないだろうか。と思いつつ、きょうはひさしぶりに二人で美術館に行ってきたのだが、相棒はめずらしく、というより奇跡的に約束の時間の十分前に到着した。だがまだまだ甘い。ぼくはさらにその四十分前には到着しており、暇だったので母方の墓地まで歩いていってお参りをしてしまった。デート前に墓参り! これは流行るね。「ごめん、待った~?」「ううん、いま拝んできたところ」

というわけで、きょうのお目当ては国立新美術館で展示中の「野村仁 変化する相 ― 時・場・身体」。地下鉄千代田線の乃木坂からすぐだけれど、まずはお昼ご飯。我が家の墓地がすぐ近くなので、せっかくなので幼稚園のころから墓参りの後に親戚一同で昼食を取るのが恒例だった中華料理店に彼女を連れて行った。ここには年取った鸚鵡がいて、ぼくが幼稚園のころすでに年取った感じだったけれど、きょうもちゃんとお出迎えしてくれた。ちょっと嬉しい。でもこの鸚鵡はなかなか喋ってくれなくて、ぼくが毎回一生懸命話しかけても、答えてくれたのはこの三十余年で恐らく三、四回しかない。けれどきょう、帰りがけに相棒が何やら話しかけたら、お返事をしてくれた。これは天運というかまあ、嫉ましかったです。ぎちぎちぎち(歯を噛み鳴らしている音)。だいぶおなか一杯になってしまったので、しばらく墓地を散歩。墓石の上の黒猫にガンを飛ばされた。再び国立新美術館に戻り、企画展へ。

結論から申し上げますと、ぼくはあまり感心しませんでした。その原因は大まかにふたつありまして、一つは暴力性を感じたということ。例えばぶった切られた木に化石化した木を継ぎ足した作品は、恐らく作者の意図とは正反対に、生命への冒涜、死体を弄ぶ不気味さ、「芸術」を自称するものの傲慢さをしか、ぼくは感じられませんでした。あるいは幾つかの色のLEDで照らされた植物たち。まるで生体実験の生々しい現場を見せられているようで不快です。漏れ出した水が痛々しい。それが狙いであれば、悪趣味であれ少なくとも製作意図に沿ったものであると言えるのでしょうが、しかし本人が書いたものではないにせよ「自然に寄り添い、宇宙のリズムに従う」とか「自然と科学技術との共生」などといったキャッチコピーを見るに(少なくとも作者自身が了承したはずですし、していないとすればそれは無責任です)、強い違和感だけが残ります。ソーラーカーのプロジェクトも、何故わざわざアメリカまで行って、トラックを随行させながら走らなければならないのか。それがどうして自然との共生につながるのか、ぼくにはまったく理解できません。

もう一つは、これは先のものと重なるかもしれませんが、物事の捉え方があまりに恣意的でしかも浅く、かつ押しつけがましく思えます。例えば月の運行や鳥の飛行の軌跡から音楽を作り、そこに万物を支配する調和とか何とかを見出すのですが、ちょっとこれはどうでしょう。どうしてその「音楽」が「五線譜」に表され、ある特定の「楽器」で演奏されるのか。五線譜や楽器、そして音楽という言葉の歴史や背景を無視して宇宙の摂理などに結びつけるのであれば、それは無神経も良いところです。星の運行が「音楽」になるその過程すべてにおいて存在するのは、ただひたすら、人間の恣意のみです。そしてもちろん、それはそれで良いんです。あるものに何を見出そうが、それはその人の自由です。それを芸術だと言うのも勝手でしょう。しかし「宇宙の摂理」とか何とか、そんなことを言い出した瞬間、その言説は暴力性を帯びたものにならざるを得ません。芸術家を名乗る者が、暴力を肯定するにせよ否定するにせよ、少なくとも無自覚であってはお話にならないとぼくは考えます。

いやまあ、この方の作品が好きだという方がいるのなら、それはそれで良いのです。別に批判したいわけではない。批判しなければならないほど力がある作品だとも感じませんでした。それにどちらかと言えば、ぼくの感じ方の方が異様で病的なのかもしれません。それもまたどうでも良いことです。彼のアプローチによって自然との共生とやらが可能になるのであれば、それはそれで良し。ぼくはぼくの感じ方に従って進むのみです。

それよりも深刻に感じられたのは、地下のミュージアムショップです。これは本当に最低だった。あそこの担当者だか責任者だかは、恥じるべきですね。卑しくも国立の美術館として、美術館が果たすべき機能を果たしていないどころか、むしろ穢しています。「売らんかな主義」の圧力の下ぎりぎりの努力だと言うのなら、そんなん、ぼくらの誰もがそういった中で、なおかつ自分の技術や知識に誇りを持って戦っているのだから、言い訳にもなりやしません。心の底から、あの売り場の荒廃した雰囲気にはぞっとしました。

そんなこんなで、国立新美術館でした。とりあえずしばらくは行くこともないでしょう。でも、展示室の中を巡る相棒は本当に格好良く美しかった。ぼくは美術館に行っても、基本、作品を見るより、作品を見る彼女を見ているのがいちばん好きなんです。いろいろな美術館に行ったけれど、記憶に残っているのはごく一部の作品と、あとはどこでも、作品を前にした彼女の立ち姿の美しいラインだけです。

ま、のろけではなくて深刻な話なんですけれども。

いかにして死者に語らしめるか

最近どうもお話が書けません。例えば論文を書いているときというのは自分の書きたいことのすべてを、というより書きたいという欲求のすべてを論文に叩きつけることになるので、お話を書けなくなるのはむしろ当然ではあるのです。けれど、それ以外のときにもなかなかお話が書けません。まあぼくにとってはこのブログ自体がひとつの物語ですし、どのみち、あらゆるものごとはある誰かさんを通して、そのひとの言葉で語られることによって、ただそのひとだけの物語として再構築されることになる。それは物語に対するすごく素朴な捉え方だけれど、ぼくはそんな風に思っています。でもやっぱり、論文は論文で、ブログはブログで、いまぼくが言っている「お話」とはちょっと違う。それはすべて、ぼくというフィルタを通して世界を映すことには変わりないのだけれど、でもやっぱり違うんですね。

で、この前、ある方々と物語を書くということについてお話をする機会があって、そのときにふと気づいたのですが、ここ数年、というより十数年でしょうか、ぼくは自分のことで悩んだり苦しんだりということがなくなってしまっているんです。

最初の大学に行っていたとき、ありふれた青春の悩みというやつなのか、とにかくいろいろなことが少しずつずれてしまいました。それは誰にでもある(傍から見れば)つまらない話で、でもまわりの連中は「誰だってそんなもんだよ」とか言いながら結局平気な顔をして卒業して就職していく。

そのころから、ぼくは結構、真剣にお話を書くようになりました。ぼくと世界との間にあるギャップを(ある意味において)客観的に測るためには、ぼくが見る世界の形を、他のひとに伝わるように記していかなければならないと感じたからです。いや他人がどうであれ知ったことではないのですが、けれど自分の立ち位置っていうのは、それが結局は主観に過ぎないとしても、できる限りこの世界の中で客観的に把握できるようにしないといけないとぼくは思っています。そのためには、表現しなければならない。別に書くだけではなく、どんな形式でも良いから、世界につながる形で表現しなければならない。生き残るためには、表現しなければならないんです。

けれども、あるとき以降、ぼくは自分のことで悩むということができなくなってしまって、これは人間としては進歩や退歩っていうよりある種の欠落だったのですが、とにかく悩まなくなってしまいました。いやもちろんいろいろ悩みますが、それは例えば、ぼくはブラックジーンズが好きなんですね。でも、何か買うブラックジーンすべて、もの凄い染料が臭いんですよ。臭くないですか? 履いていて気持ち悪くなってしまう。でもブラックジーンズが好きだから、毎回ジーンズを買いに行くたびに(イトーヨーカドーですけれどね!)延々悩む。履きたいけど、どうせこれも黒の染料が臭いに決まっている。でも履きたい。まあ悩みと言えばそんなものです。

いまぼくが悩んでいるのは…いや悩むっていうのは違うな、引っかかってしまっているのは、自分と世界の間のギャップではなく、他人(ひと、ですね)と世界との間にあるギャップ、それも、死者と世界との間にある根本的な断絶についてなのです。というと何やらひどく偉そうですが、けれど物語というものは、おそらくその根っこのところに、死者を語るということがあると思います。ぼくがアーヴィングやオブライエンの小説が好きなのは、彼らが死者の語りについて自覚的で、そこに書くという行為を自然に位置づけているからです。いやもちろん単にお話が面白いから、というのがいちばんの理由ですけれども。

たぶん、そういうことなんだろうなあ、とは思うのです。けれどもそのとき、当たり前なんですけれども、ぼくらは死者を語ることしかできない。例え死者が語るように語ったとしても、それは語ると言う時点で死者を生者に引き戻してしまっている。でも確かに他にどうしようもなくて、死者っていうのはそもそも語ることができない存在だから、それが語るのは、矛盾ではなく、単に生者に転移してしまうことになるんですね。もちろんそれはそれで良くて、なぜかと言えばそれを読むぼくらは生者だからです。けれども、それは分かっていても、いまの時点でぼくは、そこに囚われてしまっています。いかにして死者に語らしめるか。明らかに不可能ですね。

誰かが物語りを物語る、その理由のひとつは、ある断絶を埋めるためだとぼくは思います。けれどもし、その断絶が決して埋めることのできないものだとしたら、その時点で、物語は生起すると同時に消滅せざるを得ません。繰り返し生気しつつ消滅し、いつまでも足踏みを続けます。

とは言え、死者に語らしめることの不可能性をいかに乗り越えるかについては、論文としてはひとつの結論に達して(などと書くと、お前はいったい何について書いているんだと言われそうですが、極普通に、まっとうな共生倫理について書いているのです。本当だってば! 査読でもそう言われたもん!)、そろそろ、物語においても踏み出さないとなあ、と思っています。

というわけで、これからしばらく、一週間にひとつを目標に、1000文字程度の短いお話を書いていくことにします。もちろん内容はここで書いたこととは何の関係もないものになるでしょうけれど。以前、長いお話を書くためにしばらく短いお話はお休み、などと書いた気がかすかにするのですが、ハードボイルドです。今朝何を食べたかすら覚えていないのです。

ま、どこまで書けるか分かりませんが、目標は10週連続。こう宣言すれば退路を断つことになるでしょう。とか言って、絶った退路を平然と退却していくのがcloud_leafさんの良いところです。この方向性のまったく定まらないブログをお読みくださっている奇特な方々におかれましては、一切の希望を捨てた上でお待ちいただければ、幸い。

愛について、ほにゃらら

物質は光速を超えては移動できない、らしい。ぼくの物理に関する知識は等速直線運動止まりのままで、けれどいまさら物理の教科書を紐解くのも億劫なのであやふやな知識のまま話を進める。この話を聞くたびにぼくがいつも考えるのは、名づける、ということについてだ。例えば夜、空を見上げる。もし街の灯りもなく、晴れてさえいれば、そこには無数の星々が浮かんでいるだろう。ぼくらは、その星々に名前をつけることができるし、実際、そうしてきたのだ。そして、名づけた瞬間、その星はその名前を持つ。それは何百何千という光年すら超えて、瞬間的にぼくから星へと伝えられる、関係性の絶対的な変化だ。

もちろん、それは一方的な思い込みであって、名づけるという行為がその星に伝わるには、それこそ光速の限界があるのかもしれない。けれどもそれは物理学者たちのパラダイム内における言説でしかなく、詩人には詩人の、長距離走者には長距離走者の、そしてぼくにはぼくの世界があり、論理がある。物理は存在の原因となり得るかもしれないが、愛は存在の理由だ。そしてぼくは原因ではなく理由を愛する。

ぼくが名づけたその星が、いま、この瞬間にも存在しているかどうか、そんなことの保証はどこにもない。ただ、ぼくらはそれを信じることができる。そこに星があると信じ、それに名をつけることが、できる。

無論、それは極めて一方的な関係で、レヴィナス的に言えば迫害でさえあるだろう。その通り。ぼくが言っているのは愛の問題で、愛とは常に暴力的なものだ。言うまでもなく、暴力は決して愛ではない。しかしもし愛が理性によってコントロールできるのであれば、それもまた、決して愛ではないのだ。

地球の裏側に住む誰それさんが、いまこの瞬間存在することを信じ、それに名づけること。それはひどく倣岸で暴力的で、しかも孤独な営為だ。しかし恐らく愛とは、例え互いに向かい合っていたとしても本質的にはそれと同じことをしているに過ぎない。そして世界に、それぞれただ独りとしてしか存在しない無数のぼくらから放たれる無数の軌跡が、ある一瞬偶然交わり鋭く輝くとき、例えそれを見るものが誰もいないとしても、やはりそれは美しいとしか表現しようのない何かなのだ。

ふらりとやってきた野良猫はそこで一息つくと、「そういうわけで、きょうからきみは『モンプチくれるひと』ね!」と言った。ぼくは「断る」と答え、彼の口にカリカリをひとつ、放り込んでやったのさ。