それはまるで珈琲のような

こんにちは。きょうはとても疲れているので、とっておきのコーヒーを飲むことにしましょう。ぼくはとにかく何かを描写するのが苦手でして、じゃあ描写以外は得意なのかと言えばもちろんそんなこともありませんが、でも何しろ描写力がない。というわけで、きょうは先日明治屋で購入したコーヒーについて描写してみようと思うのです。その見た目、その味。皆さんの脳裏にまざまざと浮かび上がるかのように描き出す。ま、無理に決まっているのですが、人間、何ごとも鍛錬です。

さて、コーヒーです。”Hawaii Kona 100%”。Cocktail-Do Coffee co., Ltd.と書いてあります。興味のある方は調べてくださいね。グーグルで検索する気力もないのです。瓶詰めのコーヒー。珍しいですね。写真を撮れば良いのでしょうが撮る気力もないのです。えー、ラベルはシンプルです。白地に青くHawaii Konaと書いてある。夏っぽいです。賞味期限は今年の10月05日。けっこう保ちますね。でも早い方が美味しいでしょう。容量は900ml。アイスコーヒーだそうです。わ、冷やしていないや。まあいいでしょう。とりあえず飲んでみます。

おっと、その前にまず見た目を描写しなくてはならぬ。何かほら、「何とかのように黒くてほにゃらら」とか、小説を読むと書いてあるじゃないですか。良く分からないけど。積んである小説をあさればどこかにコーヒーについて描写した箇所があるかもしれませんが、探す気力がないのです。きょうは気力のないクラウドリーフさんです。でも良いのです。自分の力を信じる! じっくりとコーヒーを観察してみましょう。……黒いですね。コーヒーのように黒い。ねえ見て! まるでコーヒーのように黒い! ……もうやめていいですか? いいですか。ありがとう。だいたいコーヒーの見た目を描写して誰が得するというのでしょうか。莫迦らしい。

いやしかし諦めてはいけない。では封を切ってみましょう。ちゃんと封がしてあるところ、なかなかに高級感が漂います。でも容赦なくびりびりと封を切ります。クラウドリーフさんのがさつな性格がうかがえます。切りました。蓋もあけました。ううむ、いかにもコーヒーの香りがしますね。少し甘い感じ。ところで描写ってどうすれば良いんでしょうかね。いまさらですけれど。

では飲んでみましょう。考えてみると、瓶からコーヒーを注ぐのって生まれて初めてですね。コポコポ、良い音がします。でもね、これ、個人的な感覚ですけど、あんまりこういう音を描写するのって品がない気がしてしまう。いや音だけじゃなくて、もうここまでのこと全部かなぐり捨てて言いますけどね、コーヒーなんて飲んでおいしければそれで良くないですか。で、美味しいね、って静かに思って、それで十分じゃないですか。何かね、こうぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ書くと、お前は徳大寺有恒か北方謙三か! という気がしてくる。いやどちらも読んだことがないのだけれど、何となくコーヒーとかにうるさいイメージがある。「男がコーヒーを飲むときは……」とか。ぼくは軟弱なのでそういうのは苦手。ちなみにwikipediaで徳大寺有恒をみると「外国語の日本語表記に独特なセンスを持つことで知られる」と書いてあって、例として「メルツェデス」とある。これはもうメルセデスですね。車なんてまったく知らないぼくでも分る(どっちが正しいとかではないですよ)。「ジャグァー」はジャガーだ。これも分る。父も確か「ジャグァー」と言っていた気がする。三段論法で言えばぼくの父は徳大寺有恒だったことになる。これはもう、論理的に考えてどうしてもそうなる。でもね、「ドゥシヴォ」、ぼくはこれ、絶対「東芝」だと思った。東芝って車作っているんだってびっくりしましたよ。2cvって何のことでしょう。そしてコーヒーの話はどこに行ったのでしょう。

それではいよいよ飲んでみましょう。うっ、苦い。かな? うん、苦い。香りには甘さがあるのに不思議。しかしいつも思うんですけど、相棒と何かを食べたりしたとき、時折「どんなふうに美味しかった?」とか訊かれるんですね。で、これ、ぜんぜん答えようがない。「何か分らないけどおいしかった!」といつも泣きながら答えます。塩を舐めたらしょっぱいし、砂糖を舐めたら甘いですね。それ以上どう言えっていうんだ! と思うのです。みなさん思いませんか? 思いますか。ありがとう。

とりあえず、でも、とても丁寧な味だとは思います。コーヒー好きな人にはお勧め。うん。よし、じゃあちょっとここまでまとめて書いてみましょう。描写。描写。描写。

彼は瓶に入ったコーヒーを見た。それはまるでコーヒーのように黒く、しかし光に透かすと少し茶色かった。「すかす光にすかすと……」彼は部屋の片隅で独り呟くとフヒヒ、と笑いを漏らした。栓を開けると、コーヒーの匂いがした。なぜならそれはコーヒーだったからだ。かすかに甘く、だが口に含むと、あたかもコーヒーのごとく苦かった。「ガムシロップガムシロップ」彼はわたわたと辺りを探った。できればこれはのび太が「メガネメガネ」という感じでやってもらいたいのよね、と彼は思うのであった。

何かハードボイルドしてね!? 俺マジ北方謙三じゃね!? と彼は思うのであった。ちなみに彼の普段の言葉遣いはこのブログにおけるそれとは違い、そうとうに崩れているのであった。

でまあ、突然シリアスになるのですが、自分にとっての表現というもの、最近良く考えるのです。ぼくの文章っていうのはかなりニュートラルだと感じていて、基本的に個性がない。語る内容でかろうじてぼくらしさみたいなものがあるかもしれないなあと思うくらいで、根本的に何かが欠けている。とは言え別段暗い話ではなくて、じゃあどうしたらいいのかな、ということをいろいろ試行錯誤しています。幾つになっても、言葉を書くっていうのは難しいし、完成しないし、でも言葉っていうのはこの「ぼく」自身のかたちでもあるし、だからこうやって悩む、変えていく余地があるっていうのも、やっぱり楽しいことなんですよね。ではまた!

アウトバーン

怖い話が好きだけれど、さてほんとうに怖い話となるとなかなか思いつかない。怖くないだけならまだしも、人間性を冒涜するような話、いやそこまでいかなくても人間を馬鹿にしたような話は面白くもおかしくもない。たとえば有名な都市伝説で道路を高速で走るお婆さんの話がある。有名な、などと言っておいてなんだけれどほとんど覚えていない。とにかくまあ、もの凄い速さで高速道路を走りぬけ、あらゆる車を追い抜いていくらしい。それはそれで好きにすればよいのだが、どうにも話の底が浅い。

だいたい、肘をついて走ろうがブリッジしながら走ろうが、そんなことでいちいちぼくらは驚くだろうか? 怖がるだろうか? そんなはずはない。ぼくらの日常は、毎日がもっと想像を絶するような愚行や残酷な行為に満ち満ちている。お婆さんが元気に時速100kmで走るなら、むしろそれは喜ぶべきことだ。けれども同時に、夜中、独りで走る老婆の心のうちを考えると、そこには言葉を失うほどの痛みと悲しみもまたある。よし、とぼくは思う。この話にできる限りの美しさと悲しみ、そして救いを与えてみせようではないか。

なぜこのお婆さんは走っているのか。まずはそこから考えてみよう。このお婆さんには昔、最愛の結婚相手がいたのだ。そして子供もいた。幸福な家庭だった。けれどあるとき、家族で楽しく近くのレストランで食事をした帰り道、信号無視の車に夫が轢かれた。お婆さんは(もちろんそのときはまだ若かったのだけれど)逃げていく車を必死に追った。死に物狂いで。けれども追いつけなかった。夫は死に、犯人は捕まらなかった。彼女は少しばかりおかしくなってしまい(しかしそのような目にあってなお正気を保てるような強さを持ったひとが果たしてどれだけいるだろうか)、道を往く車を眺めていたかと思うと突然凄まじい形相で追いかけ始め、疲れ果て転倒するまで追うのをやめようとはしなかった。やがて彼女は老い、走ることもままならなくなり、ある日亡くなる。それからしばらくして、高速道路を車より早く走る老婆の噂が囁かれるようになる。そうして抜き去りざまにじっと運転手を見つめると、――お前じゃない、と言い残して走り去っていく。

さて、ここで夫婦の一人息子に話は移る。子供を育てられるような状態ではなくなってしまった母に代わり、妹夫婦がその子を引き取って育てることになった。幸い、妹夫婦は優しく思いやりがあり、子供がいなかったこともあって彼を我が子と同じように育てた。夫はある企業の社長であり、家は裕福だった。何一つ不自由のない生活のなかで、けれどその子は幼いなりに自分の両親を襲った悲劇を理解し、どこかに陰を隠したまま成長していった。大人になり、自身の努力もあって相当な財を成した彼は自動車を趣味とするようになった。クラシックカーを整備し、夜の高速を飛ばす。どこか他人を遠ざけるような雰囲気をまとい、いまだ独身の彼にとって、それは唯一自分を解き放てるときだったのかもしれない。明りに照らされる遠くの路面に目を据え、アクセルを踏み込む。窓を開け放ち、ただ轟々と響く風の音に耳を澄ませる。

ある晩、彼が高速を走らせていると、老婆が猛スピードで後から走り寄ってくる。少々常軌を逸して冷静な彼は、そのようなこともあるか、などとぼんやり感じながら運転し続ける。老婆はまたたく間に彼の車に追いつき、開け放した窓からほとんど顔を突っ込むようにして彼の顔を覗き込んできた。ここで二人は互いのことに気づくべきだろうか。いや気づかないほうが良いだろう。二人は気づかない。相手がかつて母であり、息子であったことに。老婆は一瞬奇妙な表情を浮かべる。人間だったころの記憶の残骸が一瞬光り、けれどすぐに鈍く沈む。――お前じゃ、ない。そして老婆は走り去る。老婆の顔を見て、彼もほんの一瞬、何かを思い出しかけたような、思い出さなければならないことを思い出せないようなもどかしさを覚える。そして走り去る老婆を見送り、瞬間、アクセルを一気に踏み込んで追いかけ始める。

こう見えてぼくはモラリストだ。彼が法定速度を大幅に超えて走るのを見過ごすわけにはいかない。よしこれは独逸の話にしよう。アウトバーンだ。であれば老婆の名前もドイツ名にしなければならない。アウレーリエにしよう。老アウレーリエ。アウレーリエが苗字か名前かも分らぬがかまわぬ。ヴィルヘルムマイスターの修行時代などという一度読んだきりになっていた本が役にたっただけでぼくは嬉しい。

何が彼を惹きつけたのかは彼にも分らない。ちなみにぼくにも分らないのだが、そういうことは黙っているほうが良い。ただ、彼は追わなければならないと思ったのだ。自分の人生に何かが欠けていることを漠然と感じてきた。何故かは分らないが、アクセルを踏み抜いても追いつけないあの老婆の背中に、彼が失い続けてきた何かがあると彼は信じた。アウレーリエってつけたけれどあんまり意味ないな。

まあいろいろあって、毎晩彼はアウトバーンで老婆と命がけのレースを続けるわけです。老婆を抜かなければならない。老婆よりも早く走らなければならない。そうでなければきっと、彼は失った何かを知ることはできないと思ったんですね。でもういろいろあって最後。

その瞬間、彼は自分の命から手を離した。死んでもいいと思ったのではない。生死などを超え、老婆との勝負さえも超え、そこにはただ自由があった。すぐ先にはカーブが見えている。その向こうにはどこまでも続く深い闇。それでも彼はアクセルを踏み続けた。そこには絶対的な自由があった。彼自身が気づきもしなかった彼の魂のなかに巣くう虚無。それはすでに、彼のはるか後方へと去っていた。彼は笑っていた。そしてふと気づけば、老婆もまた笑っていた。彼女を突き動かしていた憎しみも怒りも、すでにそこにはなかった。彼らは互いが母であり息子であることを最後まで知らなかったが、それでも、彼らは彼らが本当に求めていたものを、そのとき確かに手にしていたのだった。

結局、彼は助かった。カーブを曲がりきれずに車は大破したが、彼だけはまったくの無傷だった。どうして助かったのかは分らないが、きっとあの老婆が救ってくれたのだと彼は思った。それ以来、あの老婆を見たものはいない。

やがて彼は、老人ホームを巡り、クラシックカーに老人を乗せるボランティアを始めた。それは老人たちにとても喜ばれた。飛ばせ、飛ばせとせがむ元気な老人もいたが、彼はもう無茶なスピードを出すようなことは決してなかった。窓の外を流れる風景を眺め、老人が生きいきとした笑顔を浮かべるのを見るのが彼は好きだった。ホームの職員をしていた女性と親しくなり結婚をした。娘と息子が生まれ、孫ができるころには彼もまた老人になっていた。

ある日、彼は孫娘をお気に入りのクラシックカーに乗せ、アウトバーンを走っていた。友人たちと旅行に行く彼女を途中まで送るのだ。老いてもいまだに矍鑠としている彼の運転は危なげない。孫娘は老人に訊ねる。――お祖父ちゃん、何か怖い話ない? 無邪気な彼女は、友人たちと過ごす夜のための、ちょっとした刺激が欲しかった。――怖い話、かい? ――そう、うんとうーんと怖い話! 彼は微笑む。――そうだな。よし、じゃあ私が知っているたったひとつの怖い話をしてあげよう。怖くて、悲しくて、でも救いのある話を、ね。不思議そうな顔をする孫娘を横目に見て愉快そうに笑うと、彼はそっとアクセルを踏み込み、アウトバーンの先を目指した。

きみに生きる価値はない

先日、相棒に頼まれた用事があり、めずらしく都心を歩き回った。混雑した街中を歩くのは、好きではないけれど、だからこそ普段目にしないようなさまざまなできごとに遭遇する。あるデパートのなかを歩いていたとき、端のほうで何やら騒ぎが起きていた。店員らしきふたりの男女が、暴言を吐きつつ暴れる客の女性を抑えつつ、バッグの中身を確認しようとしている。要するに、万引きの現場を押さえられたらしい。店員側の態度は暴力的なものではなかったし、また、これはあくまで印象だけれど、客(と呼べるかどうかはともかく)の女性の態度は無実のものとは到底思えなかった。繰り返すけれど、これはあくまでぼくの推測であって、事実はまったく逆かもしれない。

万引きそのものは恥ずべき行為だと思う(無論、そこにもまた様々な、個人にのみ帰すには無理がある状況が存在する場合もあるだろうが)。ただ、ぼくが嫌に感じたのはそのことではない。原則として、ぼくは自分が解決に手を貸せるわけではないと判断した場合、いっさい関わりを持たないことにしている。でなければそれは、単に下世話な好奇心に過ぎないからだ。だからぼくは、数秒状況を確認してからすぐに立ち去った。けれどそのとき、その騒ぎを(安全圏内から)取り囲むようにして、多くの人びとが薄ら笑いを浮かべながら見物していた。何やら自分たちのために用意された見世物を眺めるように。

それはとても恐ろしい光景だった。

これはまた別のお話。相棒が話してくれた。彼女がとある道を歩いているとき、少々奇抜なファッションをしたお婆さんがいた。そうして、その後を歩いている男女が、携帯電話のカメラでそのお婆さんを撮っていたという。言うまでもないけれど、例えばそのお婆さんに被写体としての魅力を感じて、ということではない。なぜその場にいなかったぼくが断言できるのかと言えば、ぼくはぼくの相棒の感性を知っているからだ。少し話はずれるが、どれだけ長くつきあい、愛しあっていてさえ、相手のことを真に理解することはできない云々ということをしたり顔に言うひともいるし、それはそれで正しい面もあるのだろう。だけれど、それだけであるはずはない。愛することによって、ぼくらは相手よりもより深く相手を知ることができる。信頼などではなく、単純な事実として、ぼくは彼女の感性のかたちを知っている。だから断言できる。彼らがお婆さんに向けたカメラに、愛情はなかった。ただ侮蔑だけがあった。

それもまた、とても恐ろしい光景だ。

ぼくは、自分にとって美しくないことに対してはいっさいの容赦をできない冷酷で偏った人間だ。犯罪そのものより、そういったものに逃避する人間の弱さを嫌悪するし、自己を客観視できない自己愛の押しつけにもうんざりする。万引きをした誰かに対して「きみにそういった行為を取らせた社会が悪い」というつもりはないし、悪目立ちする服装を着た誰かに対して「きみ独自の感覚が独自であるがゆえに素晴らしい」と言うつもりもない。それでも、そうであってなおかつ、そこにはぼくが手を触れることのできない何かがある。要するにそれは、そこに至るまでのそのひとの人生全体だ。

それは、そのひとに対する、そのひとのみに向けられた愛がなければ、触れてはならないものだ。しかしもしそうであれば、ぼくらは社会を営むことなどできない。だからこそぼくらは法を持つのだし、社会的な(すなわち糞のような)常識を持たざるを得ない。

どこかに正義があるわけではない。真理があるわけでもない。断罪する権利が、他人を嘲笑ってよい権利があるわけではないのだ。

なぜ、自分だけは特別で、安全な場所に立ち、愚鈍で無価値な他者を見下すことができると思うのだろうか。ぼくらは誰もがそうなのだ。無価値で、愚かで、生きている価値などない。なぜそんなに、自分が生きているということに対して自信を持っているのか?

ぼくにはまったく分らない。

***

あるとき、ぼくと相棒はある場所にいた。そこには緑がたくさんあった。道を歩く人びとはみな、口々に自然の良さやら何やら、そんなことを話していた。多くのひとが木々を見上げ、その癒しとやらについて語っていた。けれども、舗装された道の上で、何匹もの虫たちが、彼ら/彼女らに踏み潰されて死んでいた。稀にそれに気づくひとがいても、嫌そうな顔をして避けるだけだった。

世界は、きみのためにあるのではない。ぼくらはみな、ただ偶然によってのみ生きている、生きる価値も必然性もない存在だ。だからこそ尊いのだし、だからこそ、他の生き物もみな同じように尊ばないといけないのだとぼくは思う。ぼくとて、無論、聖人ではない。そんなものにはなれないし、なりたいとも思わない。多くの生き物を自覚的/無自覚的に殺してきたし、無数の生き物を見殺しにしてきたし、数え切れない生き物を見下して生きてきた。これからもそれは変わらない。だけれど、そのことに居直るのであれば、それは途轍もなく醜いことだ。

他人を嘲笑いたければそうすれば良い。足元の生き物など踏み潰せば良いと思うのであれば踏み潰せば良い。けれど、ぼくがそうであるようにきみにもまた生きている価値などないのだ。もしそれを忘れるようなら、そのときこそ、きみには本当の意味で生きる価値がなくなるだろう。

研究する喜び

あるエントリーで、研究というものは役に立つか立たないかという次元で評価されるべきではなく、むしろ研究者個人が楽しいからこそやるのであり、その結果偶然として文明が進歩したり人類の役に立つものが発見されたりする、と書かれていた。ぼくはそれを読んで、どうも趣旨がよく分からなかった。そのいちばんの理由は、そのエントリーが「役に立つ研究」と「研究者が純粋に楽しいと思ってやる研究」のふたつを対置して考えているからだと思う。でもほんとうにそうなのだろうか。

それが社会に有用でない研究だからといって切り捨てるのは正しくないことだと、ぼくも思う。けれど、もしその研究が社会の役に立つのであれば、それは研究者が純粋に楽しいと思ってやる研究と同じように素晴らしいことだ。

ここで、それはおかしいと思うひとも多いだろう。確かにそのとおりで、「社会の役に立つ」と安易に書いたけれど、実はこれはけっこう問題がある。何が「社会」で、何が「役に立つ」ことなのか、その普遍的な定義は難しい(というより不可能だろう)。そしてしばしば、「社会の役に立つ」ことが危険な場合さえある。一方で、研究者が純粋に楽しいと思ってやる研究というものも、当然だけれど無垢で祝福されたものなどではない。それはたまたま誰かの何かの役に立つかもしれない。しかし逆に誰かの何かを傷つけるかもしれない。科学者本人にはそのつもりがなくても、結果的にその研究成果が人間を傷つけることに利用された例は枚挙に暇がない。

そのエントリーの目的が、何かを知るということがそれ自体で純粋に喜びであることを伝えたいというところにあるのなら、ぼくはそれに同意する。あるいは基礎研究が即座に有用でないからといって否定されるべきではないということにあるのなら、それにも同意する。けれども、その対立項として「楽しいからやる研究」を持ち出し、楽しいことが第一義であるとするのであれば、首を傾げざるを得ない。それはとても危険なことだ。科学者として、いやそれ以前に人間として、ぼくらは(人間以外の存在も含めた)他者に対する責任を持っているはずだと、ぼくは思う。単に楽しいからやるというのであれば、それは子供の遊びでしかない。楽しい先に何があるのかを考え、その危険性を想像し、場合によっては自らの好奇心さえ抑制できるからこそ、ぼくらは人間足り得るのではないだろうか。

少なくとも、ぼくは修士と博士の時代を通して、楽しいからという理由だけで研究をしている人間を見たことがない。無論、自らの研究に喜びを見出している学生はたくさんいた。けれどそれ以上に、あるいはそれに先行して、やはりこの世界に対する疑問、苦しんでいる人びとが存在するという事実に対する怒り、そういったものが彼らを研究に突き進ませていたことをぼくは断言できる。そしてそれは何も研究者に限らず、多くの人間がそう思って自分の仕事をしているはずだ。

誰だって、自分が楽しいから、自分が知りたいからという理由からだけで、自分の人生を削って何かに懸けることなどできはしない。子供の遊びであれば、叱られれば泣きながらやめるだろう。楽しいということにはそれ以上の重みはない。けれどもぼくらが研究をするとき、そこには人間としての責任が伴う。それは投げ出したり無視したりするわけにはいかないものだ。ゲバラはキャンプが好きだったから地を這ってまで戦ったのか? サン・テグジュペリは飛行機に乗るのが楽しいから負けると分かっていた戦線に加わったのか? そんなはずはない。それでは自己をなげうった彼らの精神をまったく理解していないことになるだろう。

研究とは違う、というひともいるかもしれないが、ぼくはそうは思わない。何かをしなければならないという思いがあって、その上でぼくらはそれをどう表現するかを選ぶ。それが論文であっても音楽であってもプログラミングであっても、それ自体は出力フォーマットの問題に過ぎない。

何が正しく、何が間違っているかなどはわからない。自分の研究は人類の役に立つものだ、などと決め込むことほど恐ろしいことはない。それは自分さえ楽しければその結果がどうなろうと知ったことではないというのと同じくらい無責任であり、潜在的な暴力だ。だからこそ、ぼくらは(現実の、あるいは想像上の)他者との議論を通して、絶えず自己検証を続けていかなければならない。普遍的な答えがなくても、完結した答えがなくても、いやないからこそ、それをし続けなければならないのだ。

人類とか責任とか、そんなものを超越し、自分でも制御できない何ものかに突き動かされたまま創造するごく一握りの天才を除き、ぼくらは(決して卑下して言うのではなく)凡人なのだ。凡人であるということは、己を律することができるということでもある。けれどもそれは、研究をただの苦行として、何の喜びもないものとして行うということではまったくない。基礎研究だとか応用研究などといった枠組みを超え、自分の研究が確かにこの世界に存在するあらゆるもの、あらゆる人びとにつながっているものだということを知ることこそ、ぼくは研究をする最大の動機であり、喜びなのだと信じている。

ある日のshopping expedition

きょうはとても不快なことがあった。いまもまだ気分が冴えない。ついでに頭痛も始まった。きょうは痛み止めを飲まないと決めたので、正直、けっこうつらい。けれども、きょうのこのエントリーは徹底的にばかげたことを書くと決めたのです。以前、あるところでそう約束した。気がする。物忘れの激しいメロスですが、とにかくセリヌンティウスとの約束を果たさねばならぬ。メロスはそんな気が漠然としている。友の元へ行かねばならぬ気がする! というわけでばかげたお話です。でもちょっと悲しいお話です。

先日、アートフェア東京というイベントが東京の何とかいうところでありました。きょうはですね、何かを調べて書くということをしないつもりなのです。ですからイベントの名前がアートフェア東京かどうかもよく覚えていないのですが、まあいいでしょう。父が生前つき合いのあった画廊があり、そこから招待状が来たのです。というと何やらよほどハイソサエティな感じがしますが、そんなことはありません。招待状だって前売りで1,200円です。もちろんせっかくいただいたものに文句を言っているわけではなく、要するに気軽に行けるイベントだよ、ということですね。この画廊に関しては少し面白いお話があるので、それは五月の終りか六月の初めころにブログに書くと思うのですが、まあいまはアートフェア東京です。いいですね、こういう文体でブログを書くのひさしぶり。

で、招待状は一枚だったので(繰り返しますが、文句を言っているのではありません。この一枚というところにも実は意味があるのです)、もう一枚を前売りで購入し、相棒とふたりで行くことにしました。何か良い絵でもあれば彼女の博士号取得祝いに買おうかしらなどとブルジョアなことを考えていたのですが、結論から言えばとんでもない。そうとうにアレなイベントでした。玉石混交ならまだ良いのですが、屑が99、石が 0.9、残りの0.1が玉という感じです。お前にそんなことを断言する権利があるのかと言われれば、もちろんあります。そしてそうではない、すべては玉だという権利も、もちろんきみにはある。

けれどもあれですね、モスクからシナゴーグまで、どんなところにでも(というには偏りがありすぎるけれど)とけこんで目立たない特殊能力を持っているといわれる私ですが、同時にどんな服を着てもぼろに見えるという特殊能力の持ち主でもあり、この日もひさしぶりの彼女とのデートだよへへへ、などと思いつつ決めた格好をして行ったのですが、ガラスに映った自分を見ると、やはり途轍もなくぼろっちく見える。なあに褌一丁でも心は錦さ、などと警察に捕まりそうなことを考えながら彼女と会い、少し散歩をしてから会場へ。

思い出した、会場はたしか東京国際フォーラムとかいうところでした。前にアグリカルチャー何とか、というイベントで行ったことがある。で、ビルの中に入ると、地下のフロアでやっているアートフェアを見下ろすことができます。見おろして、さっそくぼくと彼女はげんなりしました。ちょっとこれ、アートという感じではない。フェアという感じです。だからアートフェアなんですけれども、気持ち的にはアートが6ポで、フェアが64ポくらい。――でもさ、とぼくは彼女に話しかけます。――こんなぼろを着たやつに何かを売りつけようとする画商がいれば、そいつの目は節穴だよね! そしてははは、と乾いた笑いをもらします。ここで、そんなことないよ、きみは世界でいちばん格好良いよ、などという返事を期待しつつ、もう十数年が過ぎようとしているのですが、案の定クールに――そうね、節穴ね、と返され、とぼとぼと階段を降りて会場へと向います。

まずは招待状をくれた画廊のブースへ行って挨拶。少しお話をして、あとは自由に会場を巡ります。最初に申し上げたとおり、大半が屑でした。こんな書き方をすると不快になる方もいらっしゃるかもしれませんが、けれど、自分にとって駄目なものはやはり駄目です。馴れ合いをしても仕方ないし、作っている人間が本当に誇りをもってやっているなら、ぼくの書くことなど気にもとめないでしょう。ぼくもまた、自分の美的なセンスに確信を持っているので、相手が何を言おうと気にはならない。友だちごっこをしているのではないのだから。ただそれはあくまでぼくにとっての基準であって、他のひとからみて紛れもなく芸術であるのなら、それはそれでかまわない。

おっと、気力が萎えて話が暗くなってきましたね。大丈夫です。ぼくらはさっさとトンズラしました。その日はもうひとつ目的があったのです。彼女のリュックを買うのです。これから毎週調査のために山へ行く彼女に、ぼろぼろになってしまった古いリュックの代わりに新しいリュックを買おうというのです。頭痛がひどいために文章が乱れ始めているのですが大丈夫です。

最初は新宿の、あれ何でしたっけ、南口の登山用品店。リ、リ、リ、リー、リー、リー! それじゃ『ピンチランナー調書』だ。あ、エルブレスだっけ。全然リ関係ないし。あそこに行きました。で、ちょうどよいものがなかったので中央線で吉祥寺へ行き、丸井の裏手にある登山靴とかも売っている、あれ何でしたっけ、リ、リ、リ、まあいいや、とにかくふたつほど巡って、ようやくリュックを買えました。ぼくは本当に人ごみが苦手で、休日の東京~新宿~吉祥寺とまわるなど正気の沙汰とは思えませぬ、という感じなのですが、この日はがんばった。ひとは愛ゆえに自らの弱点を克服するのです。

吉祥寺と言えば、丸井のすぐ近くにぼくの旧友が住んでいました。さすがにいまはもういないと思うのですが、倫敦日本人学校で一緒だった子です。ぼくにとって初めて親友と呼べる、変わり者の男の子でした。何しろ頭が切れる子だった。あれほど切れる子は、いまでもぼくは、他に知りません。日本に帰ってきてから一度だけ会ったけれど、相変わらずの変わり者ぶりがおかしかった。元気に暮らしているでしょうか。元気に暮らしていると良いですね。

ぼくと彼女は、もうへとへとになって家に帰りました。手をつないでいても、相手の手に力がないのが分ります。でも、暖かくて、とても幸せです。アートフェアは莫迦みたいだったし、せっかく買ったリュックだって、どうせすぐにぼろぼろになります。けれども、大切な相手と過ごした記憶というのは決して消えません。だから、とても疲れたけれど、この日の買い物遠征は良い記憶になるだろうと、ぼくは思っているのです。

凡庸な生を誇れ

数日前、彼女がとある手続をするために担当窓口に行ったところ、ずいぶんと失礼な対応をされたという。彼女からその話を聞き、ずいぶんプロフェッショナルとしての意識が低いひとがいるものだなと嘆息したのだが、しかしそこには案外根深い問題があるようにも思う。おそらくその担当者は、自分の仕事に対する本質的な喜びや誇りを持っていないのだろう。あるいはより悪く、心のどこかで自分の仕事を侮蔑してさえいるのかもしれない。それは結局のところ、自分の生を侮蔑するということだ。世界には、もっと素晴らしい仕事がある。他人に評価される仕事、いやそうでなくとも社会の役に立つ仕事、真に有意義な仕事。けれど、本当にそうなのだろうか?

ぼくが所属している研究室は環境思想が中心テーマで、そこでは現代において極度に分業化、合理化された仕事が人間を疎外する、といったような考え方がけっこう共有されている。それはそれで、そういった面もあるのかもしれない。けれどそれだけだとはどうしても思えない。現に、プログラマーという (彼らの基準でいえば)もっとも人間性からかけ離れたような仕事をしているぼく自身が、自分の仕事に対して喜びと誇りを持っているのだから。無論、そこには多くの問題がある。ぼくとて、やりたい仕事だけをやりたい時間にやりたい場所でやってきたわけではない。むしろその逆だ。無茶苦茶な労働条件を生き抜いてきたと断言できるし、それを肯定するつもりはさらさらない。けれどそれはシステムの問題であって、そのなかで戦っているぼく自身の誇りの問題とはまったく次元の異なる話だ。

繰り返すけれど、労働者を搾取するようなシステムは無条件に否定されるべきだ。しかし一方で、では労働者に対して喜びや誇りを抱かせるようなシステムが存在するのか、あるいは望ましいのかと聞かれれば、ぼくはそれもまた冗談ではないと答えるだろう。喜びや誇りは、誰かに与えられるものではない。システムによって与えられた誇りなど、考えただけでもおぞましいものだ。喜びも誇りも、ただ自分の魂の内からしかもたらされることはない。

自分の仕事に誇りを持つ、そこに喜びを見出すということは、何もごく一部の英雄や天才たちにのみ与えられた特権ではない。そんなはずはない! ぼくらがしていることは、世界を救うとか歴史を変えるとか、そんな大それたものでは決してない。けれども、以前にも書いたけれど、ぼくはカムパネルラの犠牲よりも、再び日常へと戻っていくジョバンニの勇気を愛する。そこに救いはない。父が戻り、母の病が治り、級友たちと楽しく過ごすような日々がジョバンニに訪れることはついにないだろう。それでもなおかつ、きょうという一日を生き抜き続けるジョバンニにこそ、ぼくは人間に可能なもっとも気高い姿を見る。

それは、既存の社会体制の維持をはかることの大切さなどではない。システムなど、糞喰らえだ。人間としての情が大切だということでもない。それはただ自分の魂の戦いの枷としかならない。小さなところに幸福を見出そうなどというような下らない日常主義でもない。そんな連中はおしるこ万才を叫んでいれば良いのだ。

そうではない。ぼくらの仕事は、大抵の場合は下らない。誰の役にも立たない。にも関わらず、ぼくらはそこに他の誰のものでもない、自分自身の魂をかけて勝負をするのだし、自分自身の魂をかけて戦わざるを得ないのだ。そしてきょう、きみは仕事を終え、例えつまらぬ無意味なものであったとしても仕事を終え、生きて帰ってきた。ぼくらはきょう、また一つの勝利を手にした。そして明日もまた戦うために、身体を休める。それが偉大でなくて何だと言うのだろう。そしてそう言うためにぼくらは、ただそれを言うためだけにぼくらは、プロフェッショナルとして、自分の仕事を遂行しなければならない。不貞腐れ、本当に自分にふさわしい仕事はこんなものではないなどと呟きながら働くのではなく、自分のすべてをかけ、その仕事を完遂しなければならない。それが戦うということだ。それがプロフェッショナルであるということだ。

もし、いまの仕事がひとを傷つけるようなものであるとしたら、あるいは自分を損ねるようなものであるとしたら、無論、それでもなおかつその仕事を続けることに意味はない。そのような状況を耐えること自体に意味はない。あると言うのであれば、それは奴隷労働や犯罪の肯定でしかない。そして一方では、それでも仕事を続けなければ食べていけないという事実もあるだろう。残念だけれど、それに対する簡単な答えはありそうにない。

けれど、ひとつだけ断言できることがある。誇りも喜びも、仕事それ自体にあるのではない。それはただの幻想に過ぎない。目立つ仕事、格好良い仕事、ひとの上に立つ仕事、収入の良い仕事。ひとの役に立つ仕事、歴史に名を残す仕事、文明をより高める仕事。みな、幻想に過ぎない。何度でも繰り返そう。誇りも喜びも、それは自らの内側からしか生まれないのだ。

ぼくらは、天才ではない。英雄でもない。世界を救う機会など、恐らく一生与えられることはないだろう。だからこそ、尊いのだ。無意味で無価値な日々の生を、にもかかわらずぼくらは最大限、全力を振り絞って生き抜いている。決して勝利のない戦いを、死ぬその瞬間まで続けている。それは狂気じみた戦いであり、それ故、それだけですでに瞬間瞬間の勝利の連続なのだ。

ぼくは、ぼくの凡庸さを誇る。ぼくの凡庸な仕事を誇る。そして誇るために戦い続けるとき、ぼくの魂はたしかに、かけがえのない喜びを感じているのだ。

狙う

書こうと思っていきなり躓いたのですが、さてどう書こうかな……。以前のエントリーで触れたことがありますが、ぼくはアーチェリーで全国第三位になったことがあります。ちゃんと竹下登とか書いてある賞状もある。あほらしいですね。でまあ実際あほらしい記録なんですけれども、いかにあほらしいかというのはここではもう触れません。あんまり言うと自分が寂しくなるから。人生、ちょっとしたはったりも大事です。ぼくの場合ははったりだけで九割超えるのが問題ですが、ばれなければはったりではない。

とにもかくにも、アーチェリーは意外にまじめに打ち込んだ時期があります。アニマル的(まと)を射ろとか言われてうんざりしたのと、あと紳士淑女のスポーツだから女子は白のスカート、男子は白のスラックスを着用とかわけの分らないことを言い出して、しかもそれに関する下品な冗談とかもあって、本当に気味が悪くなってやめてしまったけれど、でも浅い経験なりに、やっていてすごく良かったな、と思えることもありました。

ぼくは、何かを狙うということが自分の性格の大きな属性だと思っています。などと書くと何やらストーカー的な感じがしないでもありませんが、そういうつけ狙う的なものではありません。何ていうのかな……。これは感覚の問題だからなかなか言語化しづらいのですが、ある種の集中に近いものです。ひとつの概念に焦点を合わせるということ、あるいは概念そのものになるということ。と書くと、こいつまたおかしなことを言い出した、と思われるかもしれません。けれどそうでもないのです。例えば写真を撮るとき、特に小さな虫とか花を撮るひとは、カメラを構えてファインダーに被写体を写して、シャッターを押すまでの時間、それがこの「狙う」なんじゃないかな、とぼくは思います。ぼく自身、写真を趣味にするようになってから、あらためて自分の中にある「狙う」という感覚に興味を持つようになりました。

そのとき、ぼくらは恐らく、自分の眼とカメラと、そして被写体そのものとさえ一致している。一体化、というのとは違う。本当にひとつになってしまっている。世界に存在するすべてのものが持つそれぞれの固有のリズムが、その瞬間、眼とカメラと一匹の虫において完全に共振している。そしてたぶん、それはカメラだけではなくて、例えば自動車の運転とか楽器の演奏とか、それぞれにおいて同じような感覚があるとぼくは想像します。論文を書いたり、プログラムを組むのも同じです。

もともと自分のなかにあったそういった性質を、アーチェリーを通して、具体的なイメージとして描くことができるようになりました。具体的、というとちょっと違うな。何だろう、何かに向うとき、射場で的に向って立っていたときの感覚、それを身体に呼び戻すような感じ。

そのとき、確かにそこにはぼくがいて、弓を構えていて、的に向ってはいるのだけれど、その物理的な位置関係においては確かに狙うということが現れているのだけれど、でもそれだけではない。狙うということは同時に、狙うものと狙われるものという関係を突き抜けて、すべてをひとつのものにするようなものでもある。一致すること。ひとつのリズムになること。

いま、ぼくはアーチェリーそのものに対する関心はまったくありません。けれども、もしもう一度やるとすれば、当時よりもはるかに腕を上げているだろうということを確信しているのです。それは、いかに的の中心を射るか、いかに高得点を得るか、ということではありません。狙うということに、昔よりいっそう近づいているという確信です。そしてそのとき、ぼくは弓を持つ必要を感じません。ただ的があり、それに向って立つ自分さえいれば、狙うには、もうそれだけで十分なのです。

写真も同じで、いつかきっと、カメラがなくても何かを撮れるようになるかもしれません。それは中途半端に悟った気持ちになる、ということではありません。技術がある水準に達するということでもありません。そうではなく、狙うということは最終的に、きっと自分自身を狙うということ、自分自身と一致するということに行き着くでしょう。

それは究極的に自己のうちに閉じてしまうことなのでしょうか。そうではないとぼくは思います。自分自身を狙い、自分自身のリズムと一致したとき、きっとぼくは初めて、他の誰でもないこのぼくになれるのです。そしてそのときこそ、初めてぼくは、このぼくとして、世界に語りかけるぼくの言葉を持てる。写真を撮るということ、論文を書くということ、狙うということ。それはぼくになったぼくを世界に向けて放つことなのかもしれない。そんなふうに、いま考えています。