あの日きみの飛ばした紙飛行機はまだ空のどこかを

昔、というほどでもないけれど、はてなを使っていたとき、とても素敵なブログを書いているひとがいた。嫉妬するようなレベルにすらぼくはなく、どうしたらこんな言葉を書けるのだろうかとひたすら不思議に思うばかりだった。しばらくして、実際にそのひとに会う機会があって、もちろんそのひとはブログに書かれている言葉、そこに描かれている世界とはまた別の素敵な雰囲気のひとで、けれども同時に、ああ、このひとだからこそああいった言葉を書けるのだな、というのも実感した。ぼくと同じく、そのひともはてなはやめてしまったけれど、また別のところで書き始めて、それがとても嬉しい。どこまでも流れていく、けれども変わらず静かで暖かく、どこか寂しい世界がそこにある。

ぼくの周囲のひとたちは、みなネットというものに対して批判的だ。それはそれで良く分かるし、それを悪くいうつもりはない。ただ、技術論を超えるようなものではないとも思うけれど……。

だけれども、思うのは、ぼくはそういう批判をする彼ら/彼女らの言葉の使い方そのものに、ほとんど共感できないということ。その語り方に何か、暴力を感じてしまうのだ。無論、いつも書いていることだけれど、あらゆる言葉は暴力性をともなっている。でもそういうことではなくて、何だろう、ひとを傷めるような言葉の使い方。小さい声の振りをして声高に叫ぶ言葉。ぼくはそういうのは苦手だ。

怒り、ということでいえば、ぼくはかなり問題含みの性格をしている。それでも、だからこそ、なのかもしれないけれど、ぼくは言葉を攻撃のために使いたくない。防御のための攻撃であったとしても。そうではなく、純粋に伝えるためだけに声を発したい。どこにも届かなくとも。そして、届かないと知りつつも発せられた無数の消えてしまった声を聴きとりたい。

そのひとの言葉をぼくが好きなのは、そういったかたちで言葉が語られているからだ。

***

J.マキナニーの『ブライ・トライツ、ビッグ・シティ』(高橋源一郎訳、新潮文庫)は、主人公が「きみ」として語られる文体が一貫して取られている。そのどうしようもなく胸に迫るストーリーがぼくは本当に好きなのだけれど、その小説の訳者あとがきで、どこからの引用かは分からないけれど高橋源一郎がこんなことを書いていた。

おそらく、この作品の最大の仕掛けは、主人公が「YOU(きみ)」であることだ。「きみはそんな男ではない。夜明けのこんな時間に、こんな場所にいるような男ではない」と書きはじめられる、この小説の二人称現在形という叙述のスタイルは、現在形が頻出する「新しい波」の作品の中にあっても異彩を放っている。二人称現在形という、考えうるもっとも直接的な読者への語りかけの作品は[…]マキナニーにとっては文字通り、読者と「直接取り引き」をするためにどうしても必要な手段だったのである。この作品にメッセージを寄せたカーヴァーは「心に真っ直ぐ突き刺さる小説」と評したが、ここに登場する主人公の揺れ動く感情、虚栄心、嫉妬、プライド、小心さ、絶望には、上から見下ろすような作者の驕りは感じられない。信じるものも、頼るべき自我もなく、そしてそんな自分を表現すべき声もなく、「きみ」はちんぴらのように虚勢をはって、賑やかな街角を一晩中あてどなく歩きまわる。

取り引き、というのは、たとえばぼくの研究上でいえば、必要ではあるけれども評価されるべきものではない。他者というものは、取り引きの対象でも数値化できる対象でもない。どうしようもなくぼくらの眼前に迫り、根源に在り続けるものとして前存在論的に現われる。ぼくはそういうふうに考えている。まあ、別にたいしてめずらしい主張でもない。

だけれど、マキナニーのいう「取り引き」は、いわゆる経済学的な意味での取り引きではない。いや、そういう意味を含んでいてもいい。そんなことを超えて、どうしようもなくきみに対してこのぼくが、すべてを曝け出し、持てるすべてを賭け、けれども曝け出す何かも賭ける何かも持たない、そんな極限的に切羽詰ったなかで、なおきみに語りかけなければならないということを意味しているのだとぼくは思う。

どうなんだろう。ぼくは若手研究者を名乗っても良いのかどうか。分からないし、興味もない。けれど、誰もがそうであるように、ぼくもぼくなりのかたちで研究者ではある。人間は誰だってそうだ。ともかく、職業的な研究者かどうかといえばだいぶ危ういけれども、ほんとうのことをいえば、業績とか論文とか、そんなことはどうだっていいと思っている。もちろん、そういった世界にいる以上はそのルールに従って戦うつもりはあるし、戦っている。

でもぼくがしたいのは、ただ単純に、きみに伝えたいということだけでしかない。社会でも世代でも文化でも国でも、他の何でもない、いまどこかにいる、あるいはもういないただひとりのきみに。そしてもしそれができれば、それは途轍もない奇跡でもある。ぼくらにはきっと、そんな大それたことはできないのかもしれない。だけれども、やはりそうではない。そうでないかたちで語る誰かさんたちを、ぼくは知っている。自分がそうでないとしても、確かにそういうひとたちはいる。

だから、諦めずに語ろうと思う。きみにぼくは語る。語るきみの声をぼくは聴く。いまはもういないきみ。いるかもしれないきみ。届かない声。届かなかった声。その不可能性の向うでいったい何が起きるのだろうか。もちろん、何も起きない。だけれども、どこかにきっときみが存在していて、どこかにきっとぼくが存在している。

そして、それだけで十分なのだと思う。

小さな綿毛がいつまでも空中に留まっているのを見た

不思議なものを見た。彼女とひさしぶりに幾つかのギャラリーや美術館を巡ったときのこと。見知らぬ女の子が、天井から吊り下げられた作品の前でパンフレットを落としてしまった。落ちたパンフレットはその作品の下にするりと入り込んでしまう。けれども、女の子が腰をかがめ手を伸ばすと、フィルムを逆回しするようにパンフレットが女の子の手に戻ったのだ。不思議なことは不思議なことで、それ以上でもそれ以下でもない。合理的あるいは非合理的な理由を考ようと思えば幾らでも思いつくけれど、そうすることに意味はないし、面白みもない。

彼女とぼくは、行こうと思っていた美術館を見つけられず、少しばかりぐるぐると歩き回っていた。するとビルの狭間に稲荷神社があるのを彼女が見つけた。ぼくらは壁の間を擦るように進む。ぼくは財布から五円玉を出してお賽銭箱に入れ、彼女は、何というのだろうか、あの鈴のついた縄を振ってジャラジャラと鳴らし、そしてしばらく、二人で手を合わせていた。ぼくに信仰心はないけれど、まあ、挨拶だけは欠かさずする。とてもあんな事件を起こすような人には見えませんでした。いつも爽やかに挨拶をしていました。いま思えばその爽やかさがどこか不気味でした。いつか知り合いの誰かさんたちにそう言われるようになるのがぼくのささやかな夢だ。ともかく、あの細い隙間に、けれどもきちんと祭られていたお稲荷さんもまた、不思議な光景だった。

美術館で絵を観る彼女をぼくは観る。既に人生の半分以上を、彼女だけを眺めて過ごしてきたけれど、いまだにその存在は不思議で、美しい。

いろいろなかたちの不思議がある。それぞれに唯一のかたちを持った不思議。

不思議を抱えたものはたいてい美しく、美しいものはたいてい不思議を抱えている。ぼくたち人間は不思議を不思議のままにしておくことに耐え切れるほど強くはない。それ故、人間の世界は不思議が存在することを許さない。ぼくらはすぐにそこに理由をつけようとする。名前をつけようとする。超常現象、などというのは、不思議を受けとめるものではまったくない。そう名づけた箱のなかに不思議を投げ込み、それでお終いにしようというだけの倣岸で浅薄な愚行に過ぎない。ぼくはそういった愚かさを嫌悪する。

不思議を抱えているということは、それだけで常軌を逸した強さを持っているということだ。だから、ぼくにとっての美しさというのは、不思議を不思議として抱え続ける強さのなかにこそ生まれるものらしい。いうまでもなくその強さとは、物理的な力や知力などを指しているわけではない。それは存在の強度だ。ただ在るように在ること。

ただ在るように在ること。そうであるのなら、そこに不思議はないということだ。すべては曝けだされている。在りのままが、ぼくらの前で剥きだしになっている。けれども、やはりそこには不思議がある。何も隠されていないにも関わらず、そこには不思議がある。つまり、存在することにはそれ自体で不思議が在る、ということなのだろう。

存在することは、不思議で、強くて、そして美しい。そしてそれらすべてが同時的に顕れている。絵を観終わったとき、彼女がぼくに、どれがいちばん印象に残ったのかを訊く。それはいつものこと。そしてぼくが、――やっぱり絵を観ているきみが……、といいかけ、彼女に――はいはい、と流されるのもいつものこと。美術館を出れば、外はもう暗く、風が体温を奪う。ぼくは彼女と手をつなぐ。彼女の、冷たいけれど暖かい手。

それは、そこに、確かに存在している。

プンクトゥム

先週でようやく講義が終わりました。いちおう毎週レジュメを作成し、気がつけばA4で200枚超。内容は大学1、2年生向けですが、量だけでいえば博論よりも書いたことになります。前半は仕事のピークが重なり、後半はお手伝いや業務で読まなければならない論文が相当数あったので、振り返ってみればよく乗り切ったものだという気もします。まあ実際のところは、まだ終わったという実感がわかないのですが。ともかく、これでベースはできたので、来年は今回よりももう少しだけ楽しい講義になるようにしたいと思っています。

まだこれから忙しくなる作業も残ってはいるのですが、少しずつ、自分の論文も進めています。先日の発表は、ぼくとしては初めての試みだったのですが、写真論をやりました。講義の際にとある研究者の映画論を扱ったのですが、面白いと思う反面、納得のいかないところもあったのです。そうして、その日の講義が終わった後ふと書店により、気がつけばバルトの『明るい部屋 ― 写真についての覚書』、そしてソンタグの『他者への苦痛のまなざし』を手に取っていました。これ、どちらもとても面白い本ですので、お勧めです。

何かもやもやしたものがあるとき、自分でも分からないままに手を伸ばすと、そのもやもやにかたちを与えてやることができるような本にであえる。そういった直感があるかぎりは、ぼくもまだ、いまの生き方を変えることはできないように思います。

***

発表では、特に近現代におけるメディアの進展というものが他者との関係性を抽象的で空虚なものにしていくといったような、いわばありきたりな批判に対する反論をしました。まだまだ荒い議論ですが、いいたいことは描きだせました。ちょっと最後のところを抜き出してみましょう。

メディアは、まさに目を逸らしようもないものとして存在する他者を我々の眼前に映しだす。そうして、それだけでしかない。しかしそれこそが、他の誰でもないこの私の固有性を照らしだすのである。私は私である限りにおいて、私を私たらしめた他者に対して責任があるし、またそこにしか私を私たらしめる実感はない。
電子的なメディアの上を無数に流動する消費されるものとしての他者たち。だがそれは幻想に過ぎない。メディアの向こうにいる他者は、この私が本来そうである――そして同時にかつてそうであったことなど一度もない「私」へと私を立ち返らせるひとつの無力な契機に過ぎない。しかしそれは、私と他者を責任の名において結ぶ、確かな強度を持った奇跡でもあるのだ。

ぼくの発表というのは、良いのか悪いのかはわかりませんが、まあだいたいいつもこんな感じです。研究室のひとたちはみな正統派というか、まっとうな感じでレジュメを作ってまっとうな感じで発表をするので、自分の発表のときにふと我に返ったりすると恥ずかしいのですが、でも良いのです。親戚にひとりくらいいる困った伯父さんぼくの伯父さんみたいなものです。それに、ぼくなりのかたちでですが、ほんとうの意味で力を持った言葉を書きたいし、発したいと願っている以上、どうしてもこういうやりかたでしか発表ができないのだから、もうそれはしかたのないことです。

けれども、実は今回はじめてソンタグを読んだのですが、やはり凄いですね。とてもとても、足下にも及ばないのを実感します。

これは地獄だと言うことは、もちろん、人々をその地獄から救い出し、地獄の業火を和らげる方法を示すことではない。それでもなお[…]悪の存在に絶えず驚き、人間が他の人間にたいして陰惨な残虐行為をどこまで犯しかねないかという証拠を前にするたびに、幻滅を感じる(あるいは信じようとしない)人間は、道徳的・心理的に成人とは言えない。(p.114)

ちょっと省略の位置があれですが、興味のある方はぜひ手にとってお読みください。バトラーにしろソンタグにしろ、あるいはバディウやリンギスでも良いですが、虚仮脅しでも自己陶酔でもない、凄まじいまでの気迫をこめた言葉を書けるというのがすばらしい。いつか自分もその地点にまで到達できればと願っています。

ともあれ、これでしばらく講義はありません。また少し、ブログの更新頻度をあげられたら、いいなあ。

疾走

ある一瞬のために生きろというのは、ある一瞬のために死ねということだ。生も死も所詮は人間の作った言葉に過ぎず、それは本当は等価だ。そして恐ろしいことに、ぼくらはそのような一瞬を無数に持っている。無数に。

ぼくには相棒以外に仲間はいないし、別段、欲しいと思ったこともない。もし一人でも仲間を得たのであれば、それは途轍もない幸運だ。幸運というのは、いうまでもなく幸福ではない。それもまた恐怖のひとつのかたちだ。在ることと無いことの狭間を、支えるものもないままにぼくら全力で疾走する。そうして最後にどこかへ落ちていく。

もし救いを語る哲学というのがあれば、ぼくはそんなものを唾棄するし、そもそもそれは哲学ではないだろう。希望、人間性、善、正義、倫理。しかし絶望というのもまたひとつの救いの在り方だ。虚無というのも、きっとそうだろう。けれども、そうではない。やはり希望はあるし、絶望も虚無もある。それらすべてをひっくるめて世界はどうしようもなく在って、ぼくらは自分の世界線の上を支えもなしに疾走する。ストロボのように走るぼくらのフォームが一瞬一瞬浮びあがり、焼き付けられ、永遠に残る。暗室につりさげられた無数のネガ。それを誰かが世界の外から眺めている。だけれども、それはぼく自身の眼だ。

***

最近、言葉を話すのがひどく億劫だ。別に、疲れているわけではない。ぼくはいつでも絶好調だし、絶好調以外ではいられないことに疲れることさえできない。絶好調とはつまり、存在している、ということだ。ぼくは存在している。どうしようもなく、存在している。

スイッチを想像して、指で軽く弾く。気味が悪いくらい器用だよねと言われてきたぼくのなかにある無数の会話パターンの一つが自動的に選ばれ、必要とされる反応を返してくれる。あまりにも絶好調すぎて、存在しているものがはるか後方に過ぎ去っていく。

あたりまえのことだけれど、自分の家のなかであれば、目を瞑ったままでほぼあらゆることができる。いつもとは異なることをするのでなければ、一度も目を開けることなく一日を過ごすこともできるだろう。目を瞑ったままインスタントコーヒーを淹れ、自室に戻り、一口啜る。蹲り、呼吸を止め、疾走するイメージに集中する。限りなく加速する。

だけれども、ただまっすぐ立っていることができない。両足を踏みしめても、あっという間に平衡感覚を失い、よろけてしまう。それがやけに可笑しい。

***

精神の風が粘土の上を吹いてこそ、初めて人間は創られる、とサン・テグジュペリは言った。そうだろう。ぼくもそう思う。だけれども、ではその風はどこから吹いてくるのか。それはきっと、ぼくらが疾走するからだ。ぼくらは疾走するからこそ風を受けぼくらになる。ぼくらはぼくらになったからこそ疾走して風を受ける。走り続け風を受け続けることによりぼくらは粘土から削りだされぼくらになり、走り続け風を受け続けることによりぼくらは削り取られ砂に還る。すべては両義で、同義だ。

頭痛が止まらない。ぼくは冬が好きだ。風が強く吹き、穴だらけのセーターから容赦なく冷気が侵入してくる。頭がどうかしそうなほどに身体が凍え、震えが止まらない。腐ったように熱を持つ脳が凍り、その瞬間、自分の魂が全方向に向かって疾走を始める。

いつか疾走する自分を追い抜き、世界の外から自分を眺める自分を眺めている。

これは再生ボタンですか? いいえ、この部屋にベッドはありません。

いつも書いていることだけれど、ぼくはある特定の日に意味を持たせて何らかの区切りにするような考え方が嫌いだ。そういう外的な要因によって人間の在りようが変わるなどというのは虫唾が走る。ものすごい勢いで走り回って、出会い頭にぶつかって恋が芽生えたりする。成人式とか、最たるものですね。莫迦じゃないかしらと思う。だいたい、ああいった体制側の作ったシステムに乗る若者っていうのがひどく不気味だ。人間はみな非‐体制であるはずなのに、反‐体制ですらない。などと書きながら、でもこれもやっぱり極端な意見で、べつにきみに押しつけるつもりはない。成人式に出てひさしぶりに友人に会ってやあ、なんていうことにも、あるいは会いたい友人はいないけれど母が遺してくれた振袖に初めて袖を通して話す相手もないままけれど誇らしげに式に参加するということにも、そこにはそれぞれの物語があり得るし、実際あるのだとも思う。ただ、ぼくは成人式と言った瞬間、そういった個々のかけがえのない物語がのっぺりとした何かに塗り潰されてしまう気がするし、むしろ塗り潰されるものであるからこそ参加するひとたちがいるということも経験的に感じている。同じように、年末年始というのも別段それほど意味があることだとは思えない。繰りかえすけれど、そこには個別の、固有の物語は生じ得る。さまざまな苦労や苦痛を乗り越え、何も解決はしていないけれど、とりあえず生き残ってやれやれ、などと言いつつ炬燵で年越し蕎麦を食べる。それはそれで美しい光景だろう。けれどももしそこに美しさが生まれたのであれば、それは1月1日0時0分0秒という外的な形式によって生まれたものなのではない。そうではなく、そのある一瞬に永遠と無限を見いだした誰かさんの心のなかからこそ生みだされたものだ。ぼくらの前には、つねに代替不能な一瞬が永遠に連なっている。1月1日0時0分0秒だから特別だと思うのは、2011年7月23日13時51分27秒が持っていた絶対的な唯一性に対する責任と覚悟の放棄であるとしかぼくには思えない。今年も、けっきょくクリスマスがいつか分らないままで終わった。これで神学士だというのだから我ながら驚いてしまう。けれどもともかく、ぼくはある特定の意味づけをされた日の意味を理解することができないし、だから覚えることもできない。まあ、ぼくが真剣に話すと、たいていの場合はおかしいひとだと思われるだけなので、きみもそう思ってくれてまったくかまわない。

同じように(ところで、何が同じなのだろうか)、「思想」などと呼ばれるものをしていると、東西の云々みたいな話がでてくるが、それも虫唾が走る。走り回って転げまわってじゃれついて興奮のあまり引っくり返っておなかをみせて撫でろ撫でろと要求してきたり、もう可愛いといったらない。ともかく、西洋的な何かとかそれに対する東洋的な何かとか、何を言っているのかまったく意味が分らない。ポストコロニアリズムが自らに投げかけた批判というのがこれだけ簡単に忘れ去られてしまう状況というのが恐ろしい。在るのはただある一人の人間の思想であって、そこに聴くべき何かがあるのなら聴けば良い。西洋の、というのが愚かしいことであるのと同じように、それを批判するために東洋の、というのを持ちだすことにも意味があるわけではない。一神教に対する多神教の寛容さ、などという極端な排他主義、イデオロギーでしかない多神教の乱用などにはあまりの倣岸さに目が眩み、お父さん、まるで万華鏡を覗いているみたいだよキラキラしているよなどといって実はそれは街が燃えている火なのだ。いやもちろん、そこに誰かがリアリティを感じるというのであれば、そこから語れば良いのだし、それを批判するつもりはない。ぼくにとっては、それはそのひと独自のリアルな語りとして聴こえるだろう。ただ、「東洋」などといったものがあるとは、ぼくは本当には思っていない。それは実在ではなく所与にすぎない。

線を引いてしまえば、いろいろなことが分りやすくなる。でもたぶん、そんなことには何の意味もない。

もうずっと昔の話。卒論で文化変容について書いた。アクセルロッドとか。そうして、プログラムを組んでシミュレーションをした。いま考えれば幼い限りだが、いまやっていることも幼い限りなので恥じてもしかたがない。院試で卒論の話をするとたいていその大学の教授陣に受けて笑われていたから、ともかく可笑しいものではあったのだろう。それでいい。ただ、いまでも自分なりにおもしろく思うことがある。ぼくは文化というものを混沌とし続けるその過程のなかにしか存在しないものだと思っている。ありふれた考え方だ。そのシミュレータでは抽象化された文化的特性を色で表現するのだけれど、だからぼくは当初、時間の経過とともにその色の分布はより混乱を極めた百花繚乱的なものになっていくと予想していた。しかし実際にそのシミュレーションを走らせると、最終的にその小さな虚構の世界における文化の状態は砂嵐のような像に行き着くのだ、何度走らせても必ず。それは、ぱっとみるとどうしようもなく単調で一様なものだ。さまざまな色がわきたつようにモニターから溢れだすことを期待していたぼくは酷く気落ちした。けれどもしばらくして気づいたのだけれど、砂嵐というのは決して単調なものではない。現実にはそうではないにしても、原理的には一瞬現われた状態は二度と現われない。恐ろしいまでの一回性がどこまでも続いていく。その取り返しのつかない一回性こそがこの世界の本質なのだとぼくは感じた。子どもじみた妄想ではあるけれど、その直感はいまでも正しいと思っている。

ぼくらはこの世界にさまざまな線を引くことで、社会を形作っていく。そしてそうでなければ、ぼくらは生きていけない。だけれども、世界はそもそも、どうしようもなくそれそのものとして在るものだ。この「私」が存在するのは、絶対的な唯一性を持ったある一瞬における世界の総体を、それ自体として引き受けるときで、またそのときのみなのだ。ぼくらは線を引くことによってしかこの世界を理解することができないのかもしれない。けれどもそれは所与のなかでしか在り得ないことに対する諦めとして考えるべきではない。線を引く、ということが可能なのは、ぼくらがある一瞬一瞬にうねり続ける原初の混沌を感じとり、手で触れているということの証左なのだと、ぼくは思っている。

世界は存在する。そうして、だから「私」も存在する。それは宙ぶらりんで在り続けることに対する恐怖を引き受けるということだ。信仰であれ科学であれ思想であれ、その宙ぶらりんであることへの恐怖が出発点にないのであれば、ぼくはそれを侮蔑する。

***

愛だの寂しさだの触れるだの、ほんとうは途轍もない恐ろしさを持った言葉を、けっきょくのところ自己愛の発露としてしか理解していないような言葉を書き連ねて歌詞とやらにして「ロック」だなどとのたまっている連中をみるとほんとうに反吐がでる。この「ほんとう」は宮沢賢治的な意味で理解してもらいたいのだけれど、ほんとうに、反吐がでる。女子大の講義でも「反吐がでるよね」とか言っているので来年の講義はないかもしれないけれどもそれはともかく反吐がでる。来年の生活さえどうなっているか見当もつかないけれども、ともかく、思想とやらをやっているのである以上、ぼくはロックで在り続けたい。

心からそう願っている。

いつかの記憶を写真にしてきみに送るよ

あれはもう一週間ほど前だろうか、ひさしぶりに熱帯植物園に行ってきた。ひさしく会っていないひとと駅前で待ち合わせる。ぼくはひとの顔を覚えるのが極端に苦手なので、大丈夫だろうかと内心不安だったけれど、大丈夫だった。あるひとりの人間が持つ雰囲気というものは、なかなか、記憶からは消えないものだ。というよりも、そういう人間としか、きっとひとは再会できないのだと思う。植物園に向かう道は車通りが激しく、耳の悪いぼくは、後を歩く彼女たちが何を話しているのか、ほとんど分らない。けれども、騒音や空気の寒さや、大通りの反対側に広がるがらんとした空間すべてを含めて、どこか心地よく暖かな空気で満たされていた。

ある関係性を三年以上維持することが、ぼくにはできない。それは人間として何らかの欠陥なのかもしれないし、単にそういう性格だというだけのことかもしれない。それでも残る関係というものは確かにあって、そういった人たちに共通するものは何かと考えてみると、その人たちもまた、どこかに定着できない人びとなのではないかと思う。違うかもしれないけれど。定着できるというのは幸せなことなのかもしれない。人間として必要なことなのかもしれない。だけれども、それが正義であるとか善であるとか、あるいはそうでなければならない何かだ、といわれると、ぼくはどうも、逃げだしたくなる。

ぼくたちの幾人かは、何かによってどこかへ流されていく。幾人かは最初から川底の石にしっかりと根を張っていたり、水を吸って沈んだり、あるいは淀みに入り込んでぐるぐるまわっていたりする。何が良いとか悪いとかではない。天動説と地動説のどちらを選ぶか問い詰め、敵と味方の線引きをしたいわけでもない。川の表面を流されていく幾葉かの落ち葉が、あるときしばらく隣りあって流れていき、離れ、またある日偶然、再会したりする。

まだ届くけれど受け取る誰かさんのいなくなったメールアドレスを、いまだにぼくはアドレスブックに残している。消せない、というわけでもない。消そうと思えば簡単だ。最低なことをひとつ告白すれば、ぼくは届いた手紙の大半を捨てる。物に囚われるのは、本当に恐ろしい。

もう受け取る誰かさんのいないメールアドレスを取っておくのは、別段、感傷からではない。ぼくにはそもそも、感傷などという高級な感情はない。単に、どこかで、いまでもまだこのメールが相手に届くのではないかと自然に感じているからだ。

受け取る誰かさんがまだいることが分っているメールアドレスが何かを届けてくれるとは思えないこともあるし、受け取る誰かさんがもういないことが分っているメールアドレスが何かを届けてくれると思えることもある。

おかしな話だ。おかしな、というのは、頭がどうかしている、ということでもあるし、可笑しくて暖かい気持ちになる、ということでもある。

植物園に行った日、めずらしく、一日穏やかな気持ちで過ごしていた。別れ際、彼女たちが握手をするのを眺めていた。出会うときの握手より、別れるときの握手のほうが暖かさを感じるのは何故だろうか。

落ち葉が流れていき、ある瞬間、偶然か必然か、そんな人間の作った概念など飛び越えて、ぼくらは誰かに出会う。誰かに出合ったという記憶は、あとになって振り返ってみると、何故かいつも静止画で、音もなく、別れの瞬間を刻んでいる。