人間の匂い

大掃除の合間に辞書の原稿を書いています。けれども老骨に鞭を打ちすぎたのか、ここ数日の労働ですっかり腰を痛めてしまいました。原稿のバージョンを上げるたびにレーザープリンタを部屋の隅から持ち出してきて印刷をするのですが、変な拳法の使い手のように身体をそろそろとくねらせ、たった一枚プリントアウトし、律儀にまたそろそろとプリンタを部屋の隅に持っていきます。

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投稿論文の査読が戻ってきました。ひとりの査読者の査読コメントはどうしようもない質でしたが、もうひとりの査読者はぼくの論文本体に匹敵するくらいの分量のコメントを書いてくれ、読んでいて楽しいものでした。基本、掲載は確定しているのですが、できる限りコメントに応答できるよう、期日まで手を入れていこうと思います。

何だかんだで、それなりに研究をしているような気がします。何だかんだで、それなりに哲学をやっているような気がします。仕事先からはいつまでこんなふらふらした生活をしているのかという圧力を受けますし、老後どころか五年後のことを考えれば会社の言っていることの方が正しいのは分かります。最近ますます、自分のなかにある「明るい自暴自棄」みたいなものが大きくなっているのを感じます。まあ、それはそれで仕方のないことです。明るい自己肯定なんて薄気味の悪いものに比べれば、数段マシなことには違いありません。

資本主義市場経済システムと情報技術と、人間を抽象化してしまうという点において何が違うの、と訊ねられ、それ自体で完全に自足し抽象化された空間でぐるぐると渦を巻き溶けていく貨幣=金融のイメージが湧きます。それは人間を苗床にして生まれた何かなのですが、けれどもその美しいまでに純化されたデータの渦に、もはやいかなる人間の痕跡も残されてはいません。くんくんくんくん、犬のように利く鼻で人間の匂いを辿り、やっぱり居ないなと確認して巣穴に戻ります。

だけれども、情報技術がコミュニケーションと結びついている限り、そこには必ず人間の匂いが残されています。無論、それは良い匂いなどではなく反吐が出そうになるものです。情報技術なんていうものもまあ、阿呆な技術論者でもない限り誰もが知っているように、糞のようなものです。糞のなかから胸の悪くなる匂いを探しだす。その嗅覚のない人間があまりにも多すぎます。悪趣味なようですが、決してそんなことはありません。何故ならそこで問われているのは、単に在るか無いか、ただそれだけだからです。

どんなに糞でも、そこに人間の匂いがある限り、それは糞のような人間の世界であり、糞のような人間が存在しています。けれど、最近、徐々に人間の匂いがしない世界が拡大してきているのを感じるのです。人間だったものから、生命を持たない無数の生命が羽化し、飛び立っていきます。

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腰が痛くて眠れないまま、布団のなかで奇妙に丸まりつつ、来年の研究テーマがどこからか降りてくるのをじっと待ちます。自分でもある程度納得のいく論文としては、存在論で3本、情報論で3本、他者について考えてきました。これからしばらくは芸術にシフトしつつ、人間の匂いとしての他者が消え始めている「芸術」について、つらつらと考えていこうかななどと夢想しています。

登山靴を洗ったんだ

ひさしぶりに本業の忙しい日々が続いています。忙しいといっても泊まり込みではありませんし、どうということもないのですが、いいかげん髪の毛を切りたいのに床屋へ行く時間がなく、ぼさぼさのもさもさで会社に行きます。髭を剃り忘れたことに気づき、よけいに気持ちがもそもそします。帰り道、時期が時期であるだけに、電車には酔っ払いがあふれ、彼らのなかからは別のものもあふれ、それを眺めていると気持ちが落ちこんだりします。駅を出て暗い道をてくてく歩きながら彼女に電話をして、年末が近づくたびに酔っ払いの身体からでてきた何かが歩道橋に増えていくんだ何か理由があるのかな、などというと、彼女が笑いながら、何だか嫌な冬の風物詩だねえ、と言います。心が少し軽くなります。

それでも、忙しい忙しいといいつつ、きょうはお休みをもらい、年末締切の辞書項目を書くための資料をそろえたりしていました。そうして、夕方、登山靴を洗いました。登山靴を洗うと、なぜだかとても幸せです。体調はいまひとつですが、それでも履きなれた登山靴があれば、どこまでも歩いていくことができそうな気持になります。

今年は、論文を二本と論文もどきを一本、同人誌に誘われそれ向けに短編を二本(一本は没原稿になりましたが)、あとは単著の原稿をまとめはじめ、これから辞書原稿を書き、年末年始にはベンヤミンで一本書こうと思っているので、なかなかに良い年だったのではないかと思います。講義も、三年目にしてようやく少しは満足できる質になってきました。

けれども、肝心のことは、何もできませんでした。肝心のことって、何でしょうか。それは、毎日登山靴を洗うような生活です。いえもちろん言葉通りということではありませんけれど、でも、そういうことです。

論文に使う自分にとって美しい一文が思い浮かび、原稿の端にそれを書き込み、ひとりでにやにやしたりします。けれども、それがいったい何なのかといわれると、何でもないのです。まっとうな人間としてすべきまっとうなことなど、何もしませんでした。

夕食後、相棒と、クロマニヨンズを歌ったりします。腕をもぞもぞと動かして、ばばんばーん、と歌います。人気者チーム? 彼女がそう訊き、人気者チーム! とぼくが答えます。

きょうは最高の日だ。

相変わらず人生豆腐モードで、豆腐メンタルにナイフ一本でもう魂が真っ赤だぜという感じですが、何とか元気にやっています。女子大では昨年までと教室が変わり、何故か男子トイレのない講義棟になってしまいました(あるのかもしれませんがよく分からないしトイレを探してウロウロするのも逮捕されそうで怖い)。仕方なく、休み時間になると勝手を知っている遠くの本部棟まで手洗いに行きます。休憩は10分しかないので走って戻ってきて、ハァハァと息を荒げながら「じゃあこれから(ハァハァ)きみとぼくの間に生まれる(ハァハァ)責任=倫理について考えてみようかフヒヒ」などと言ったりします。それでも、講義でレポートを書いてもらうときに「何を書いても舐めるように(「舐めるように」はホーミーで発声する)読むから自由に書いてねフヒヒ」と言ったら「先生の講義わりと好きです」とか書いてあって「わりと」かよと思いつつ、それでもけっこう嬉しかったりします。

先日、ガイガーカウンターを買いました。SOEKS-01Mというもの。ピコピコと計測しているのを眺めていると、ああほんとうにこの世界はSFだよなあという気持ちになります。でも、そのリアリティのなさこそが、ぼくらにとってのリアリティなのだと思うのです。自分自身、哲学と呼ばれているもの(あるいは自分でそう名乗っているもの)をやっていて何ですが、哲学と呼ばれているもの(あるいは自分でそう名乗っているもの)の大半が屑であるのは、「いま・ここ」を「いま・ここ」として扱う覚悟があまりにもなさすぎるからです。

これまた先日、講義で使おうかと思って”LIFE IN A DAY”を買いました。結局講義で使うのはやめたのですが、そのなかで印象に残ったシーンがありました。状況はちょっとよく分からないのですが(何しろ原稿を書きながら横目で一度観ていただけなので)、ハンディカムを持った女性が夜の公園に行き、酔っぱらった男性に話しかける場面です。それが何故だか凄く良いんですよ。その酔っぱらった男が、公園のベンチで独りでぐでぐでに酔いながら、話しかけられて、「きょうは人生で最高の日だ」とか何とか繰り返し喋っていて。それだけですし、そもそも記憶がいい加減なのでぜんぜん違うかもしれないけれど、ともかくその雰囲気がとても心に残っているのです。何となく分かる気がします。それは、最高の日ではない。最低の日だし、最低の日々です。きっとね。だけれども、それでもそれは、やっぱり最高の日なんです。

それがリアリティだと、ぼくは思うのです。それをどう批判されようと、そんな言葉には力がない。その瞬間、きょうは最高だというその最低で最高の瞬間、ただそれだけ。そうして、それだけでいいんです。

I say hello to my soul

相棒の借りてきた本に、体力やら柔軟性やらバランスやらを測るテストが載っていた。筋力と柔軟性には問題なかったが、バランス感覚は致命的だった。目を瞑り、片足立ちをして上げた足の裏を軸足の膝脇あたりにつける。0.5秒でバランスを崩した。

最近は、彼女と夕食を作ることが増えた。いや、いままでだってできる範囲では手伝っていたのだけれど、言われるままに簡単な作業をするのがせいぜいだった。けれども、いまはけっこう主体的に、クックパッドなどを参考にしつつ料理をしたりする。ぼくはすべてを独りで準備して彼女に食べてもらいたいのだけれど、彼女は一緒に作りたいという。鶴の恩返しのように台所に篭り、彼女が近づいてくると裏声で「コナイデ! ミナイデ!」と叫ぶのだけれど、やはりそれはだめらしい。

いま、何故か声をかけてもらった××という集まりに参加している。正直、ぼくの研究上の立ち位置とはずいぶん違う集団なんじゃないかという気がしているのだけれど、でも、自分の殻が並外れて硬いのは知っているので、そういうところに混じるのも何かしら必然なのだろうと思っている。ともかく、なかなか、そこのリズムに合わせるのは難しい(そうしてまた、意識的に合わせようなどとすることに意味はないのだろう)。

それとは別に、ある糞のようなテーマで原稿依頼が来て、しばらくどう書いたら良いのか苦しんでいた。けれど、ある瞬間ふいにタイトルが思いつき、それで全体が見えて、少し楽になった。ものすごく喧嘩を売っているようなタイトルになってしまったけれど、それはそれで仕方がない。器用な生き方ができるのなら、いまごろ庭付きの家で、子どもと犬にでも囲まれて暮らしている。

ともかく、先に書いた××の一人にそのタイトルのことを話したら、それってすごく××的で良いじゃない、と言われた。××に向けて書いた原稿は××っぽくないと批判をされるのだけれど、そうじゃないところに向けて書こうと思っていることが××っぽいと言われるのは、何だか純粋に面白い。たぶん、無理に合わせるとかではないところで、××に誘われた理由としての通奏低音みたいなものがあるのだろう。

LAMAのParallel SignのPVが気に入って、何度も眺めている。独りで論文や講義のレジュメを書いているのに飽きると、画面の向こうの人びとと一緒に踊ったりする(上半身裸で近づいてくる男のシーンが特に良い。ズームアップに合わせ、ぼくも同じように踊りながらモニターに近づいていく)。途中、お爺さんが砂時計をひっくり返しているシーンが短く挿入されるのだけれど、ぼくはそこがとても好きだ。そこには、老いることの寂しさ(でも、それは個人の感情としての「寂しさ」を遥かに超えて、魂に対する愛しさともつながるものだ)と同時に、すべてを受け止めているいま、この瞬間が顕れている。

憎悪は、簡単に自分自身を吹き飛ばす。この数か月、多くの物事に対する嫌悪と憎しみを募らせた。それは物理的なもので、ストレスなどではなく、直接体調を悪化させる。仕事も研究仲間との付き合いも、そろそろだいたい破綻しかけているのを感じる。まあ、嘘と笑顔だけで何十年も生きてきたので、何だかんだいってもまだまだ粘るのかもしれない。けれども、所詮はみな、下らない現世のできごとだ。戦うべき姿は救いのない日常へ戻るジョバンニのなかにあるが、それはおしるこ万才を意味するのでは決してない。その違いが分からない者には、何を言っても通じはしない。

夜、家に帰る途中、裏山の階段でがさがさと草叢を何かが通っていった。あれは絶対にヤマカガシだった。

穴の開いた傘

いまはもう零時を過ぎ、明後日始まる後期の講義が、既に明日始まる後期の講義になっています。会社から帰宅後、レジュメを手直しして、印刷し、ホッチキスで留め、気づいたら深夜になっています。外では雨が降り続き、寝不足のまま明日も山積みの仕事を片づけるのかと思うと少々憂鬱なのですが、まあ、講義自体は楽しいことですし、どこかしらから体力と気力を前借しつつ、乗り切っていくしかありません。

いまはもう寝床に潜りこみ、真暗ななかでキーボードを叩いています。最近はストレスのせいか体調はいまひとつで、夜中から明け方にかけ、しばしば痛みで目が覚めてしまいます。いま、叩いている途中で眠ってしまい、例によって痛みで目が覚めました。痛みの少ない体勢になるように、座布団や枕を組み合わせて鋳型をつくり、そこに身体を流し込みます。自分が遙か古代の銅鐸にでもなったような気がして、思わず苦笑しながら、ふたたび眠ります。

いまはもう明け方です。さっきまで見ていた悪夢のせいで、いまだに心臓が激しく脈打っています。悪夢のなかでぼくは、路上に打ち捨てられた穴だらけの傘を拾いました。それが生き残るためのアイテムであることをぼくは直観していましたが、夢のなかでは不思議と、なぜ生き残らなければならないのかなどとは一切自分に問うこともなく傘をつかんでいました。たとえ悪夢であっても、そのシンプルさには心が休まります。

いまとなってはもう取り消しようのないものごとのつらなりの先に、いまのぼくがいます。暗闇のなかで不安定に揺れる鼓動と雨音の重なりに耳を澄ませていると、そんなものごとたちがじっと、ぼくを見つめているのが見えてきます。ぼくもじっと見つめ返します。多くのひとには糞のような愚かさと失敗ばかりの人生に見えるかもしれませんが、結局のところ自分の弱さは自分の弱さですし、自分の愚かさは自分の愚かさです。それはそれで、その全体を引き受けるしかありません。ぼくらはみな、責務としてではなくたんなる事実として、生きている限りにおいてどうしようもなくそれを引き受けています。

いまだにぼくは、案外能天気に、生き延び続けたりしています。ゲームでもあるまいし、この世界には生き延びるためのアイテムなど落ちているはずもありませんが、悪夢のなかで拾ったあの穴だらけの傘は、いつだって、かたちを変えて、ぼくの心のどこかに落ち続けているのでしょう。

偶然、きみに殺される。だからぼくは愛する。

きょうはとある研究会に参加してきた。といっても、その前に出なければならない会議があり、そのまま抜けるタイミングを逃してしまったというだけなのだが。けれども、ぼくがいまの研究テーマを考え始めたころに研究上でお世話になったひとの発表だったということもあり、体調不良や山積みの仕事という問題を除いていえば、とてもおもしろかった。

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議論のなかで、偶然、ということがひとつの焦点になっていた。たとえば、自然は科学によって完全にコントロールはできない(いやできる、というひともいるかもしれないけれど)。ちょっと言い換えると、ぼくらは、(自然をも含めた)他者から偶然を取り除き尽くすことはできない。幾人かのひとたちは、それを主体性、という言葉で表現していた。相手が完全に分析可能な客体であれば(無論、客体だからといって完全に分析可能であるわけではない。ちょっと括弧が多いな……)、そこに偶然は生じえない。けれども自分とは異なる主体であれば、そこには自分の予測を逸脱するなにものかが必ず現れることになる。それを偶然と呼ぶかどうかはともかくとして。

でも、そういった議論には、ぼくはあまり興味が持てない。主体とか意識性とか、そんなことではなく、偶然は、やはり圧倒的に偶然なのだ。

他者というのは、自然だろうが人間だろうが、あるいは機械だろうが、つねにそこに偶然を内包し続ける。その潜在的な偶然への可能性が、ある瞬間、何の前触れもなく爆発する。けれどそれは単に特異な点ということではなく、ぼくらの平凡な日常生活は、そのそれぞれに絶対的に特異な点の連続によって構成されている。他者の他者たる所以は、その偶然性にこそある。無論、その偶然がつねにぼくらに破滅的な帰結をもたらすとは限らない、というより、まずたいていはもたらさないように、ぼくらはシステムを構築してきた。それでもその偶然性は、つねに、恐怖をともないつつ、ぼくにとってのきみのなかに在り続ける。きみにとってのぼくのなかに在り続ける。

そしてだからこそ、ぼくらには倫理が必要になるのだ。偶然によって完全にはぼくに吸収しきれないきみ、偶然によってぼくを殺すかもしれないきみ。互いに抱えたその偶然が、ぼくときみの関係を倫理そのものとして現出させる。偶然はぼくがきみに殺される恐怖でもあるし、同時に、ぼくときみを結ぶ愛でもある。だとすればまた、恐怖とは愛でもある。

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連日の疲労と体調不良が重なり、この辺りですでに夢のなかへと突入していた。ほんの数人しか参加していない、しかも自分が参加者中もっとも下端の研究会で居眠りをするのだから、我がことながら将来が心配になる。しかしクラウドリーフさんに将来なんてないよね、というのが定説なので、どのみち心配する必要もないのかもしれない。体調が悪いのでスミマセン生まれてスミマセン、と呟きつつ、研究会あとの食事会から逃れるように去っていった。

速かったり遅かったり人生だったり、そして転んだり。

やっぱりぼくは、暗い話を書いている方が性に合っているように思うのです。何だか最近はすっかりユーモアがなくなってきてしまいましたので、暗い話を下手に避けようとしても、不自然になるばかりです。先日会社に行く途中で人身事故があったのですが、携帯電話のカメラで奇声のような笑い声をあげながら写真を撮るひとびと、にやけた顔で良いものを見たと言わんばかりに肘で突きあうひとびと、仕事に遅れるじゃねえかといらいらしながら、迷惑をかけずに死ね糞がと吐き捨てるひとびと、そんななかで日々を過ごしながらなお明るい話を書けるというのであれば、それはそれでちょっとばかり陰惨な情景ではあるでしょう。

というわけで、じみじみと根暗に、地下に潜ってきました。もちろん、地下に潜ったといっても、ごくありきたりな観光地化された洞穴に過ぎません。さいわいそれほど混雑もなかったのですが、せっせと潜り、せっせと這い出てきました。まあ、人間、あまり長く暗闇になじんでしまっては、その分日差しの下へ戻ってくるのがつらくなるだけです。ぼくのような凡人には、せいぜい15分か20分程度の暗闇が、毒にならないちょうどよい塩梅なのかもしれません。

地下

地下には、氷やら溶岩の奇妙なかたちやら、それなりに面白いものがありました。氷の塊なんて、じっくり丁寧に撮れば、素人なりにきっと美しい写真になるように思います。けれど結局、それなりに気に入った写真は、電燈を写した1枚だけでした。

洞穴内は研究仲間と一緒に歩いていたので、やはり歩くペースは、自分だけのときとは異なります。歩く速度が普段よりも物理的に速かろうが遅かろうが、それは結局、自分のペースでないものに引きずられていくという意味において「速い」のです。良い悪いではなく単純な事実として、「速い」なかでは、自然は撮れません。けれども人工物は、意外に、そういった「速さ」のなかでこそ、何となく気に入った写真を撮れたりします。

いえ、単純に自然と人工物に分けられることでもなさそうです。もし写真がある瞬間を切り取るものではなく――少なくともそれだけではなく――むしろ被写体それ自体がもつ歴史の全体を写しだすのだとすれば、写しだす行為そのものにも、その歴史に比例した時間が求められるのでしょう。そう考えれば、古い家具を撮るのにはそれなりの「遅さ」が必要ですし、彼女と雨のなかを歩きながら何気なく撮った一枚の葉が雫に弾かれる美しい様などは、「速さ」のなかでこそ可能であったのかもしれません。

みなのペースに引きずられるという「速さ」のなかで撮られ、撮るからこそ、旅行先でのスナップ写真には、その生き生きとした瞬間性がまざまざと写しだされます。逆に、たった独りの対象に極限まで同化してひとつの「遅さ」を生みだすとき、その対象の肖像画にはその対象の人生がまるごと現れてきます。

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などともっともらしい嘘を考えながら、地下で氷の塊を撮ろうとしていたら、足元の氷に気づくのが遅れ、つるりと滑って右半身を強打しました。カメラを守りつつ転倒したときに思わずシャッターを押していたのか、ピンボケのぶれぶれのまま、ぼくの情けない顔の一部が写っています。歴史も人生もあったものではありませんが、そのぶれぶれのみっともなさのなかには、それはそれで、ぼくの人生が映しだされているような気もしたりするのです。