相変わらず人生豆腐モードで、豆腐メンタルにナイフ一本でもう魂が真っ赤だぜという感じですが、何とか元気にやっています。女子大では昨年までと教室が変わり、何故か男子トイレのない講義棟になってしまいました(あるのかもしれませんがよく分からないしトイレを探してウロウロするのも逮捕されそうで怖い)。仕方なく、休み時間になると勝手を知っている遠くの本部棟まで手洗いに行きます。休憩は10分しかないので走って戻ってきて、ハァハァと息を荒げながら「じゃあこれから(ハァハァ)きみとぼくの間に生まれる(ハァハァ)責任=倫理について考えてみようかフヒヒ」などと言ったりします。それでも、講義でレポートを書いてもらうときに「何を書いても舐めるように(「舐めるように」はホーミーで発声する)読むから自由に書いてねフヒヒ」と言ったら「先生の講義わりと好きです」とか書いてあって「わりと」かよと思いつつ、それでもけっこう嬉しかったりします。
先日、ガイガーカウンターを買いました。SOEKS-01Mというもの。ピコピコと計測しているのを眺めていると、ああほんとうにこの世界はSFだよなあという気持ちになります。でも、そのリアリティのなさこそが、ぼくらにとってのリアリティなのだと思うのです。自分自身、哲学と呼ばれているもの(あるいは自分でそう名乗っているもの)をやっていて何ですが、哲学と呼ばれているもの(あるいは自分でそう名乗っているもの)の大半が屑であるのは、「いま・ここ」を「いま・ここ」として扱う覚悟があまりにもなさすぎるからです。
これまた先日、講義で使おうかと思って”LIFE IN A DAY”を買いました。結局講義で使うのはやめたのですが、そのなかで印象に残ったシーンがありました。状況はちょっとよく分からないのですが(何しろ原稿を書きながら横目で一度観ていただけなので)、ハンディカムを持った女性が夜の公園に行き、酔っぱらった男性に話しかける場面です。それが何故だか凄く良いんですよ。その酔っぱらった男が、公園のベンチで独りでぐでぐでに酔いながら、話しかけられて、「きょうは人生で最高の日だ」とか何とか繰り返し喋っていて。それだけですし、そもそも記憶がいい加減なのでぜんぜん違うかもしれないけれど、ともかくその雰囲気がとても心に残っているのです。何となく分かる気がします。それは、最高の日ではない。最低の日だし、最低の日々です。きっとね。だけれども、それでもそれは、やっぱり最高の日なんです。
それがリアリティだと、ぼくは思うのです。それをどう批判されようと、そんな言葉には力がない。その瞬間、きょうは最高だというその最低で最高の瞬間、ただそれだけ。そうして、それだけでいいんです。