透明な影

友人に誘われ、山に登った。といっても、小学生でも走って登れるような低い山だ。余裕っすよ! とふんふん言いながら登り、途中で足を攣った。しばらく蹲ってうんうん唸り、あとはよちよちと登って下りた。思った以上に身体がなまっている。それでも、這いつくばってキノコを撮ったりしていると、何だかひどく平穏な気持ちになる。キノコがたくさん生えていた。イモムシもたくさんのたくっていた。山にはいろいろな音が満ちているし、いろいろな匂いや光があふれている。とはいえ、もちろん、そこはぼくが生きている場所ではないから、身勝手で重みのない意見であることは間違いない。せいぜい安全に余暇を楽しんで、麓の温泉でやれやれ、なんていいつつ汗を流して、風呂上りにトマトジュースを飲んでうぃーっ! とか叫んでお終いでしかない。

一日に二回電車に乗るのにはもう耐えられないので(普段は会社の行き帰りで乗っているけれど、たまのオフくらいはわがままをいいたい)、帰りは麓の宿に泊まりましょうよ、と友人に伝えたら、ちょっと病的だね、と素で返されつつも同意を得られたので、宿を予約した。夜には別の友人も泊まりにだけ合流して、ひさしぶりに気鬱の発作もなく過ごすことができた。

いうまでもなく、山は怖い。それは物理的な危険でもあるし、超越的なものへの畏怖でもある。街は、自分が生きる場所ではあるけれど、やはりおっかない。それは物理的な危険に対するおっかなさでもあるし、訳の分からない「人間」やシステムに対するおっかなさでもある。言葉で表してしまうとそれは山に対する怖さと何が違うのか、ということになるけれど、やはりそれは、まったく別のものだ。ぼくにとって山の怖さは、分からないことが分かる怖さで、街の怖さは、分かることが分からない怖さだ。

木々のなかを歩いていると、そこには正体不明のナニモノかの影が、時折ちらちらと視界を過る。それは影なのだけれど、でも、透明な影だ。街を歩いていると、目の前をあまりにも生々しく物事が行き交う。それはどぎつく着色された影だ。だけれども、それがぼくの生きる場で、それがぼくの生のリアリティだ。そことは別の場所に生きることをただ言葉だけで語る連中を、ぼくは軽蔑する。

会社に行く電車を待っているとき、ふと腕に奇妙な感触を覚え、見れば、そこにはしゃくとりむしが居た。どのみち不良社員で(そもそも社員ですらないが)毎朝重役出勤どころか大名出勤レベル。腕を怪しく振りながらしゃくとりむしに無限軌道を描かせつつ、途中の駅で降りて草叢に放した。

間違いなくぼく自身も化物のような何かでしかない。それでも、道を歩いていると、ふとしたところに穴が開いていて、その向こうに、時折透明な影が見えたりする。

intermission

彼女に何か楽しいことを書くよ、と言ったら、書けるのかな? 書けるのかな? と挑発するようにいわれた。ぼくは挑発に乗りやすい性格だ。楽しい話などいくらでも書けるさ、と答え、フィールドワークに行った彼女が戻ってくるまでに楽しい話を書こうと思ったが、頭痛でぶっ倒れているあいだにもうこんな時間になってしまった。最近、ひたすら良く眠る。起きていると頭痛が激しくなる一方だけれど、眠っているとだいぶましで、それでも頭が痛くて目が覚めたりする。大丈夫、ぼくは楽しい話を書ける。ちょっと待っていてくれれば、いくらでも楽しかった思い出が皮膚の下から湧いて出てくる。アル中の妄想のようだ。

非常勤講師をしている大学から連絡が来て、来年から講義名が変わるという。これでますます首を切られやすくなったが、でも、新しい講義名は嫌いではない。恐らく日本では他にないものなので、大学が求めているような温い講義のふりをしつつ、自分なりにアヴァンギャルドな講義にしていこうと思っている。アヴァンギャルドとか意味が分からないままに使うのがアヴァンギャルドっぽい。意味は分からないけれど。

非常勤講師というのは、けっこう、悪くない。喰っていかなくてはならないという点ではかなり問題ありだが、ぼくのように(自分ではそれほどでもないと思っているのだけれど、客観的にはそう判断するしかない)集団に属することが苦手な駄目人間にとって、気楽は気楽だ。もちろん、講義そのものは全力でやっている。それに、アカデミックな世界というのはほんとうに阿呆らしいもので、肩書がないと相手をしてもらえない。非常勤講師と言っておけば、まあ、その一角にこっそり忍びこんで壁に落書きをしてくるくらいのことはできる。

ただ、身分証明書と呼べるようなものがないのは辛い。運転免許証もなくパスポートの期限も切れてしまったので、いま職質を受ければかなり怪しい人物だ。もっとも、身分証明書などあったところで、ぼくが怪しいことに変わりはないのかもしれない。最近、人相が悪くなってきたのを感じる。

けれども、この前段ボールを買ったのだ。アマゾンで「フェローズ 703バンカーズBox A4ファイル用 黒 3枚パック 内箱 5段積重ね可能 対荷重30kg」というやつ(ちなみに、段ボール一杯に本を詰めるとだいたい30kgになるので、2段重ねしかできない)。山積みの本の埃を払い、ずんずん詰めていく。足りなくなったので追加注文をして、さらにずんずん詰める。再び足りなくなったので追加注文をして、日にち指定で配送を頼み、その日にベルが鳴ったので扉を開くとぼくにとっては望ましくない団体からの使いが居り、クラウドリーフさんは居ますか、と訊ねる。居ませんね、ええ居ませんとも、彼はインドに虎狩りに行って死にました、因果応報です南無阿弥陀仏と答えて扉を閉めて、まっとうな生活がしたいなあと神に祈る。とはいえ神はいないので、そのあとに届いた段ボールに再び本を詰める。ぼくの持ち物といえば、本と、あとは大量のクマのぬいぐるみくらいしかない。本さえ片づけてしまえば、ほんとうに驚くほどシンプルな生活だ。何だか自分の人生の後始末をつけているような気がしないでもないけれど、もちろんそれは諧謔で、本気ではない。まだまだ書きたいことはたくさんあるし、書きたいことがある限り、どれだけ卑怯な手段を使っても、きっと原稿を書いているだろう。

それでも、手持ちの段ボールをすべて使い切り、半分程度は本が片づいたあと、風呂に入りつつふと鏡を眺めると、いつもより少しだけ穏やかな表情をしている自分がいた。糞下らない学会仕事を睡眠時間を削りながら片づけ、それでも仕事が遅いと嫌味をいわれ、自分の部屋をみれば埃だらけになっていて、明らかに体調がおかしいけれど病院に行く時間もない。ひさしぶりに自分の部屋を整理して掃除機をかける。きれいになった部屋で、次に書こうと思っている論文の資料を読みながらお茶を飲む。たったそれだけのことで、少し、ましな人間になった気がする。

あまりひとには言わないけれど、他者が怖くて仕方のないぼくが講義に対しては心底好きだといえるのは、そのなかの一人か二人か、それともゼロ人でも良い、ともかく、昔ぼくがそうであったような誰かさんが居たとして、その子に、生き残る術を伝えたいからだ。それはマニュアルではないし、たぶん、言葉にできるものでもない。だから怪しげな動きと怪しげな語り口で、怪しげな講義をするしかない。けれども、そこには確かに何かがある。その他の生き残れる誰に通じなくても、それはかまわない。

毎日の食卓

ここ数か月、帰りの電車がいつも「××行き最終」とか、そんなふうになっている。よく働いている。他にやることがたくさんあるときに限って仕事も忙しくなる。けれども、こういった下らない忙しさがぼくのリアリティを支えているとも思う。彼女に会う時間が制約されるのは困ったものだけれど、それは残業で手に入る泡銭と気合と根性とストーカー紙一重の粘着気質でどうにかフォローする。そのほかのことは、基本、諦める。

それでも、先日、ひさしぶりに会社を早く上がり、八重洲ブックセンターに立ち寄った。最近は休日に東京に出るにしてもoazoの丸善に行くことが多かったので、ブックセンターはひさしぶりだ。oazoができる前は、三越前から歩いて丸善、明治屋、ブックセンターというのが散歩のお決まりルートだったけれど、どうしてだろうか、いまの日本橋丸善には、それほど魅力が感じられない。oazoの丸善だって似たようなものだけれど、結局、利便性を考えるとそちらになってしまう。明治屋も休業してしまった。

ともかく、八重洲ブックセンターだ。帰りに読む本が欲しかったので、一階の文学をうろうろした。昔とはやはりだいぶ本の並びが変わっている。海外SFの棚が縮小されたように感じる。幻想文学の棚にはバロウズがやけにたくさんある。ぼくが大学のころには、何だかちょっと格好をつけて(どう格好がついていたのかは知らないけれど)バロウズなんてよく読んだけれど、いま思えば、バロウズは空っぽで、文学的な価値などほとんどない。まあ、それはそれで、別に誰も困らないのだろう。

無駄なお金、ということでいえば、そもそもお金自体が無駄なものだ。高いハードカバーを買う気にならなかったのは、だから、その大きさと重さに耐え得るだけの魅力を持った本が見つからなかったからに過ぎない。心惹かれる本は、そもそも、既に持っているか読んだことがあるものばかりだ。結局、五階の文庫本のフロアに行き、村上春樹の東京何とかという短編集を買った。

村上春樹には興味がない。悪く言っているのではなく、単純に趣味ではないというだけだ。けれどいま参加している同人誌で村上春樹のある短編を読まなければならず、ぼくは意外にまじめなので、この機会に他の作品も読んでみようかと思った。内容は、やはり趣味ではなかった。ぼくにとってはバロウズ程度の意味しかなさそうだ。それでも、帰りの電車のなかをやりすごすには十分役立った。

外の世界は、まあ、だいたいにおいてハードすぎる。年をとるにつれて、それはどんどんきびしくなっていく。けれども彼女以外の誰に言っても、「きびしくなるね」というそのほんとうの意味は、伝わらない。

* * *

もうだいぶ前、彼女と、とあるホテルに泊まった。運よく部屋をグレードアップしてもらえ、ぼくらには分不相応な部屋に案内された。そこにはバルコニーのようなスペースがあり、こっそりふたりで頭を覗かせると、ロビーフロアを見下ろすことができる。広くて調度品も高級な部屋のなかも、自分たちの人生には何も関係がないという意味ではフィールドワーク的な面白さがあったけれど、その何もないバルコニーにこっそり隠れ、コンビニで買ったお菓子をもぐもぐもぞもぞと食べていると、何だか莫迦ばかしくも面白く、ふたりでくすくす笑っていた。

毎日の食卓

虫

龍神様

Have a nice day

めずらしく風邪を引いている。薬を飲んで、少しぼんやり。

学会発表の申し込みとか、論文の修正とか。毎日仕事で終電帰りの割には、それとなく何となくケンキュウシャっぽいことをしたりしている。だけれども、そんなことには何の意味もない。学会発表は雑多なジャンルと言われ、投稿論文は査読者を探すのが難しいと遠まわしに愚痴が聴こえてくる。聴こえない声に聴こえないままに耳を済ませ、届かない声を届かないままに大気に流す。それらをすべて、名前と肩書を持った連中の大きな声が塗りつぶしていく。

この世界のリアルを語りたいんだよね。へえ、そうなんだ。そうなんだよ。莫迦っぽいのは知っているさ。

嘘くさいけれど、最近、愛について少し分かった。あれは何だったっけ、そうだ、アガンベンの『到来する共同体』を読んでいたときだ。言葉に書くと伝わらないから、無理をして何千文字も重ねて書くより他にないのだけれど、でもほんとうは、そんなことは下らない。何年も前に、そんな苦痛とか恐怖のことばっかりじゃなくてさ、もっと愛とかについても書きなよ、といわれたことがある。そうですね、そうですね、えへへ、と答えたけれど、でもやっぱり、ぼくは苦痛と恐怖のことを書くより他にない。そして、そのなかにとどまり続けることより他に、愛の表しようも愛の現れようもないじゃないか、とも思う。

大学から講義のアンケート結果が戻ってきた。今回で終わる講義の評価がやけに高くて、嬉しい反面、寂しくもあった。学会発表でやったら即座に帰れといわれるようなスタイルと語り口で、Youtubeで拾ってきた動画を流しながら、リアルって何だろうね、リアルって何だろうねと、その一点だけをみなで考える。スマートフォンを弄っている子も眠っている子もいるけれど、それら全部を含めてそれ自体がリアルだ。

こんな感じさ、そんな感じさ。莫迦っぽいのは知っているさ。

鹿児島の夜、きみは優しいひとだねえと、数年ぶりにお会いした先生にしみじみ言われる。学生からのアンケートに、××先生の優しさが凄く感じられて良かったと書いてあったりもする。咽に指を突っ込んで嘔吐きまくって、ようやく少しだけ落ち着き、ありもしない赦しを得たような錯覚に安堵する。それは全部コピーだ。いまはもう居ない、居る権利があったはずの人びとの表現し得たもののコピーに過ぎない。媒体は、だいたい大概、糞のようなものだ。

議論とやらを強制される。まあ、それは構わない。所詮は暇つぶしのゲームのルールに過ぎない。それでも、最近、妙にしんどい。きみみたいにタフな人間ばかりじゃないんだよ、と言われる。そうだらうそうだらう、とぼんやり思う。きみみたいにナイーヴじゃ社会は成り立たないんだよ、と言われる。そうだらうそうだらう、とぼんやり思う。

屑の、屑による、屑のための人生。ひとりで、いまはもういないきみに語っているときだけは、それでも何だか、妙に楽しい。

ぺかぺか

ひさしぶりの更新。最近は仕事が忙しすぎて、少しばかり調子が狂っています。今年はまっとうな人間になろうと思っていたのですが、どうもなかなか、そううまくはいかず、やるべき多くのものごとが手つかずのままに置き去りになっています。分刻みでやらなければならないと急きたてられることは、実はやる必要のないことだったりします。幾つか、すぐにでも連絡を入れたいひとびとがいるにもかかわらず、心の状態がこんなでは、どうにも言葉のでてきようがありません。とにかく、きょうはひさしぶりにブログを更新してみましょう。ここに言葉を書くというのは、いつだって、どこかで有機交流電燈をぺかぺかと光らせる、見えないけれど確かな確信を与えてくれます。

いまは鹿児島に居るのです。一昨日の夜、仕事が終わったあとに、羽田空港に行きました。既に11時を過ぎており、空港内にはひとの気配がほとんどありません。忙しくてまともに食事をしていなかったので、今晩は豪勢にコンビニ弁当だぜ! などと思っていたのですが、空港内のお店はコンビニも含めすべて閉まっています。しかたがないので自販機で焼きおにぎりを買いました。自販機はレンジで温めるということまでしてくれます。残り時間が120秒、119秒、118秒と減っていきます。薄暗くなった発着場の隅でそのカウントダウンを眺めつつ、何だか奇妙な世界だなあ、とぼんやり感じていました。

早朝の飛行機に乗り、出発し、到着します。到着間際、前の座席の背もたれだけを見つめ、身体の感覚に集中し、自分がいまどのあたりに位置しているのかを感じとろうとします。加速や減速によるGのかかり具合、機体の傾きなどはもちろん分かります。けれども、高度はまったく見当もつきません。登山でもなく、与圧された環境下だから難しくて当然なのかもしれませんが、そもそも人間は急激な高度の変化を感知する必要があるような生物ではないんだよね、とも思いました。急に激しく機体が揺れたあと、だいぶ安定します。さてそろそろ着陸するかしら、などと思っていたら、すでに着陸したあとでした。さすがに、自分の鈍さに目を丸くしつつ、のたのたと飛行機から降りました。

昨日は霧島に行きました。軽石が落ちていたり、硫黄の塊(?)が落ちていたり。とにかく手に取って、しげしげと眺めます。岩の上に這いつくばり、小さな窪みにできた氷を撮ったりします。一緒にいる友人たち以外には、ひとっこひとり見当たりません。先に降りていてと声をかけ、少しだけ残ります。ふと目を引いた小さな小石を、呼吸を深く長く、さらに深く長くしながら、マクロで撮ります。ぺかぺかぺかぺか、何かがどこかで青く光ります。

宿に戻ってからその写真を観れば、やっぱりただの小石が写っているだけです。けれども、それはやっぱり、ただの小石ではないのです。

眼鏡を新調しようと思うんだ。良い考えじゃないかな。

いろいろ書きたい言葉はあったけれど、そんなものはみな消えてしまった。けれども、それでいい。何でもかんでも残そうと思えば残せる。けれども、それはとても寂しいことだ。そうして、消えるものが消えるままにまかせることもまた、寂しいことだ。だけれど、それはほんとうは諦念なのだ。どうにかできる、どうにかしなければと思っているのなら、そこには醜い自己愛しかない。

きょうは相棒とふたりで、新国立美術館にメディア芸術祭とかいうものを観にいった。場所も名前も、ぜんぶ違うかもしれない。ぼくは固有名詞がまともに覚えられないけれど、大した問題ではない。行って、観て、帰ってくることができる。ともかく、メディア芸術祭だ。そうだ、文化庁メディア芸術祭だったかもしれない。「文化庁」「メディア」「芸術」「祭」。いろいろ莫迦かと思うが、そういうぼくだって莫迦なのだ。卑下でも自嘲でもなく、それはそれでリアルだ。

面白いものもあった。糞のようなものもあった。古いものもあった。新しいものは例外を除いてほとんどなかった。個人的には、芸術的には、致命的。的、的、的。所詮はお役所の名を冠したものだ。けれども、隠しようもなく、何かが起きている、その予兆のような、微かな匂いはあったかもしれない。それはそこにあった「作品」よりも、むしろそれを観に来ていたひとびとの総体のうえに漂っていた。かもしれない。違うかもしれない。ただ少なくともその予兆は、良い意味ではない。良い意味だとしたら、むしろそれは救いようがなく悪い意味だ。悪い意味ならそれはリアルで、ぼくはそのリアルが好きだ。

途中で頭痛が始まった。最近、休む時間がなかったし、無理が出たのかもしれない。痛みのあまり身体が動かなくなる。彼女に手を引いてもらって歩く。喫茶店で彼女の声に耳を傾ける。身体も傾ける。まわりの糞のような下品な音に掻き消され、よく聴こえない。寂しいことだ。それならお前はどれだけ上品なのかと問われれば、そうではない。下品で糞で、しかもタフではないというだけだ。それはほんとうにどうしようもないことだ。

少し前、一年ぶりに友人の彫刻家に会った。ずいぶんとたくさんの話をした。彼女を除けば、いまのところ唯一関係が残ったひとだ。ぼくら三人の関係は思えば奇妙なもので、誰かひとりが欠けてもアンバランスになるかもしれない。彼の家で三人で話すのは、数少ない、周囲の音に煩わされずに済む空間であり時間だ。何かやりなよ、何かやろうよ、と彼がいう。漠然としているけれど、その問いの意味は途轍もなくシリアスでシビアでリアルだ。

査読に応答した論文を提出して、受理された。しばらくして読み返してみるとと、自分でも何を書いているのかよく分からない。けれどもまあ、そうじゃねえんだよ、という叫びだけはあるような気がする。

所属している研究会誌に掲載する見知らぬ誰かさんたちの原稿を、義理で校正している。もう少ししたら、本業の学会でも校正が始まる。言葉に対する愛のない連中の言葉を校正するという絶望的な作業に絶望する。愛のない言葉を幾ら直したところで、それは綺麗な糞を作るだけのことでしかない。彼ら/彼女らの言葉を書くことへの必然性がどこにあるのか分からず、それが途轍もない恐怖を生む。それは途轍もない、途轍もない、恐怖だ。

recreationっていうのは恐ろしい言葉だ。re-creation。その恐ろしさは畏怖であり、そこには確かにぼくらを魅了するものがある。けれども、ぼくはやはりそれを断る。ぼくはこの世界の糞のような、恐怖に塗れたリアルさに惹かれる。それが何なのか、言葉にしたい。

ストレンジ・アトラクター

あの夏からもうずっとあと、必要な資料を紀伊国屋本店で探していたとき、偶然、笹塚さんに出会った。もう二十代も後半だろうに、相変わらず奇妙な魅力を放っている彼女に、やはり相変わらずぼくは理由の分からない恐怖心を抱く。けれど隠れる間もなく彼女もすぐぼくに気づき、躊躇いもなく近づいてくる。「ひさしぶりだね、元気にしていた?」「おひさしぶりです。まあ何とか生きていますよ。笹塚さんこそお元気そうで何よりです」「また他人行儀なんだから。ぜんぜん変わってないね」そう言って笑うと、せっかくだからどこかでお茶でもしようよ、時間があればさ、時間はあるでしょ、と無理やりぼくを引っぱっていく。その強引さに昔を思い出し、思わず苦笑しながら彼女に連れて行かれる。

世界堂の上にある喫茶店に落ち着き、しばらく互いの近況を話したりする。笹塚さんもぼくと同様、時間に縛られるような生活を送ってはいなかった。だってそう願ってもさ、時間の方が相手をしてくれないんだよね、と、彼女は屈託なく笑う。

しばらく他愛のない話をしてから、やがてそろそろ帰ろうかというとき、不意に彼女が身を乗りだし、避ける間もなく顔を近づけてくる。あの時も感じた、幻想としての彼女の匂いに、思わず身をこわばらせる。「きみってさ、結構、私と似ているんじゃないかなって思っていたんだよね。あのとき一緒にバイトしていた連中はみんなどこか似ていたし、いまはどんどんそういう奴らが増えているけど、でもやっぱり、いまでもきみがいちばん近いと思うんだ。だからさっきも書店ですぐきみに気づいたんだよ」それを聞いてぼくは、ああそうか、そうだったのかと、衝撃もなく納得している。

外に出ればもう夜だが、昼の熱気はいまだに街に篭っている。携帯の番号を交換するとか、何か私たちの柄じゃないよね、という笹塚さんに、会う奴にはどうせまたどこかで会いますよ、と答える。それは彼女に通じたらしく、そうだね、と懐かしげに微笑む。新宿駅へと向かう彼女を見送り、ガードレールに凭れかかってほっと息をつく。彼女に感じていた匂い、目の前を行き交う人びとの匂い、少しずつ世界に拡がっていく匂い、ぼく自身の匂い。ずっと知ってはいたけれど、ようやく分かった。だけれども、それがぼくらの生き方なら、ぼくらはそうして生きていくしかない。道路に開けられた通気口から、地下鉄の空虚な振動が伝わってくる。

あの時走り出したぼくの熱量はまだ残っているだろうか。身を起こすとぼくは、脚に力を込めてみる。怪訝な視線を向ける人びとのなかで軽く前傾姿勢を取り、ビームのように走りだす。

大学二年の夏休みに入ると同時に、ぼくは青山の怪しげな会社でアルバイトを始めた。夏の間だけ借りたという古いマンションの一室がぼくらの職場で、監督役の若い社員が一人居る他は、大学生やら、当時現れ始めていたフリーターやらが十人ほど集まっていた。そのマンションはコンクリートと植物が罅割れを戦場として拮抗し、あと二年もすれば取り壊されるのだと、どこか崩れた雰囲気の社員が言っていた。そいつの趣味なのか、朝から夕方までラジカセでビートルズが流れていることを除けば、胡乱な連中ばかりのなかで、案外ぼくはうまく溶け込んでいたと思う。働き始めて三日目にはビートルズにうんざりし、ぼくらはその社員をイマジンと呼ぶことにした。ぼくらに肉体労働を押しつけ、自分だけは暇そうにしている彼に対するあてつけもあった。

昼休みになれば殺風景な休憩室でコンビニ弁当を食べつつ、他の連中の無駄話に耳を傾ける。たぶん二十半ばくらいだったのだろうが、バイトのなかでも年配の山岸という男がいた。いつも黒尽くめの服に身を包み、世界に対する怯えを虚勢で隠せていると思い込んでいるような下らない奴だったが、下らなさで言えばもちろんぼく自身を含めた誰もが同じだった。山岸はヘビースモーカーで、中途半端に吸い終えた煙草の吸殻を、揉み消しもせずに灰皿代わりの飲み終えた缶コーヒーに突っ込むのが癖らしかった。ある日の昼休み、何を勘違いしたのか、奴はぼくが飲みかけていた缶コーヒーに吸殻を放り込む。「わりいわりい間違えちまったよ」と悪びれもせずいう山岸に、気にしないでいいですよどうせほとんど飲んでましたしと答え、翌日の昼休み山岸が席を外した隙に、やつの空き缶に、切り取っておいたぼくの髪の毛の束を放り込んでから弁当を買いに出かけた。近くの公園で弁当を食べ、昼休みが終わる直前に休憩室に戻ると、山岸に「まじ臭せえよ何してんだよおめえは」と言われ、頭を叩かれる。結構、ぼくらは楽しくやっていた。

六時になればバイトはお終いだ。やる気なくにやけたイマジンに追いやられ、ぼくらは朽ちたコンクリートの匂いを嗅ぎつつ階段を下りマンションを出る。夏の日差しに通りはまだ明るい。少し歩けば青山通りで、青学の正門から流れてくる華やかな学生たちを憎悪しつつ通り過ぎ、渋谷駅に着く前に宮益坂上の中古レコード店を覗くのがいつものルートだ。ポップがべたべた貼られた窓ガラスの片隅にはいつでもバイト募集中の張り紙があるが、ラジオで流れる流行曲を聴く程度にしか音楽に興味のないぼくには関係のない話だ。それでも客の少ないその店は、時間を潰すにはちょうど良く、聞いたこともない外国のミュージシャンのアルバムのジャケットを眺めているだけでも楽しめた。そういえばある日そこでイマジンに遭遇したことがあった。咄嗟に少し離れたところに隠れ観察していると、案の定彼はビートルズが置かれた棚まで真直ぐ進むと、その前でしばらくじっと思案していた。結局、何も買わなかった。

時折ぼくは、バイトのあとに渋谷駅とは逆方向に向かい、青山墓地をうろつくことがあった。このバイトを始めるまで青山墓地など聞いたこともなかったが、ある昼休みに何の目的もなく散歩をしていて、ふいに自分が広大な墓地に紛れ込んでいるのに気づいた。通りから離れた奥まで入ってしまえば、都心の昼時とは思えないほど人気がなくなる。一等地であろうに意外なほど荒れ果てた区画もある。何故かそんなところに居ると、心が安らぐのを感じた。

大学へも行かず、かといって金もないままにアパートで寝転がる。不意に電話が鳴るが、どうせ大学の教務か母親のどちらかでしかないし、そうであれば出るつもりもない。自動で留守電に切り替わり、予想通り母の声が聴こえてきて、盆には実家に帰ってこいと言っている。通話が終わると即座にその録音を消す。

赤字路線の電車の終点からさらにバスで四十分程山道を揺られると、ようやくぼくの生まれ育った村に着く。そんな辺鄙な場所にも拘わらず、意外にしぶとく過疎には縁がない。さすがに大学に行くには都会に出るしかないが、だいたいの連中がまた村に戻っていく。ぼくには信じられないが、まあ、それはそれでそいつの人生だ。帰ってこいと母は言っていたが、それはぼくが出来損ないだからであって、そもそも村の連中は、言われるまでもなく、どこに居ようが盆には村に帰ってくる。何故なら、盆にはぼくらがするべき祀りがあるからだ。

奇妙な目で見られる趣味がある訳でもなし、あまり人に話したことはないけれど、あの村には他では見られない独特の墓地がある。墓地というか、墳墓というか、とにかくそんなものだ。裏山の中腹にせいぜい一反ほどの空き地があり、そこに石で組まれた小さな塔がある。それが村でただ一つの墓だ。塔は中空になっていて、内側は井戸のように深く掘り下げられている。壁沿いには大人がどうにかすれ違えるほどの螺旋階段が刻まれているが、万一落ちれば命はない。実際、何十年か前には祀りの間に死者が出たらしい。それをむしろ目出度いことででもあるかのように村の老人たちは語っていた。気が狂っているとしか思えないが、諏訪の御柱祭だって死人が出るのだ。案外どこでも、それが普通であるのなら普通なのかもしれない。

バイト先のマンションの階段を上っていると、途中に一葉の写真が落ちている。安っぽいポラロイド写真だ。いかにも適当なフラッシュに照らされたその光景が安っぽさに拍車をかけている。既に出社しビートルズをかけながら雑誌を読んでいるイマジンに挨拶をし、始業までの間、控室で缶コーヒーを飲む。やがて笹塚さんが入ってきた。今回のバイトのなかでは唯一の女性で、年齢はたぶん二十歳を少し超えたくらいだろう。年に似合わない妙な色気があり男連中からは人気があったが、ぼくはどうしてだか彼女のことが少し恐ろしく、理由も分からないままに敬遠していた。彼女は荷物をロッカーに入れるとぼくの方にやってくる。「ねえねえ、階段に落ちてた写真、見た?」悪戯っぽい笑みを浮かべて訊いてくるので、「ああ、あの男女がセックスしているやつですよね」と答える。笹塚さんは「無表情でそんなこと言わないでよ」と一頻り笑い転げてから、声を潜めて、「あれさあ、四階の空き部屋にある写真だと思う。凄い変な部屋なんだよ。始まるまでまだ時間あるから見に行こうよ」と言い、興味がないというぼくを強引に引っ張っていく。

ぼくらが働いているのは二階で、三階にはまだちらほら住人がいる。時折コンビニの袋を下げた外国人を見かけるし、奥には医院まである。黄ばんだカーテンがいつも引いてあり、いまでも開院しているのかどうかは分からない。一度だけカーテンの隙間から覗いたことがあるけれど、白衣を着た老人が東欧のコマ撮りアニメに出てくる人形のような動きで、黄ばんだ光のなかを歩いていた。それが四階になると、もう完全に廃墟だ。以前山岸とふたりで行ったのだが、開きっ放しの扉の向こうに明らかに不法に住み着いている誰かの雰囲気があったり、床に得体のしれない液体がぶちまけてあったりして、ぼくらは早々に引き揚げたのだ。けれど笹塚さんは度胸があるのかどこかおかしいのか、平気な顔で空き部屋の一つに土足のまま入っていく。当然電気は通っていないが、塵の散らばった部屋には朝日が差し込んでいる。「ちょっと、大丈夫なんですか」「平気平気。日中は誰も居ないっぽいし」と答え「ここ、見てごらんよ」と開いたガラス戸の向こうのユニットバスを指す。見るまでは解放されそうもなく、仕方なく風呂場に足を踏み入れ覗き込んでみる。黒ずんで汚れた風呂桶の底には、階段にあったのと同じような写真が何百葉となくばら撒かれ積もっていた。その数自体がすでに狂気だ。そして見える限りそのすべてに、この部屋だろうか、ベッドの上で濡れて交合する男女の姿が、形を変え幾度も映しだされている。周囲は薄暗く、計算もなく焚かれたフラッシュに肌が蒼白く浮かんでいる。深海で見る悪夢のような情景。いつの間にか隣に来ていた笹塚さんが、狭いバスルームでぼくに身体を寄せつつ囁く。「ね、きっとこの写真を誰かが持ちだしたんだよ。それとももしかしたら、誰かが定期的に写真を補充しに来ていて、あれは途中で落としちゃった一枚なのかもしれないね」確かに彼女の言うとおり、底にある写真は酷く汚れ、上にあるものほど新しく見える。だが写っているのは恐らくいつも同じベッド、いつも同じ二人だ。「ね、凄く変でしょ」笑顔で呟く彼女の身体に、ふとぼくは死臭を感じる。ぼくの知らないぼくが嗅ぎなれている匂い。薄暗い風呂桶の底の薄暗い写真のなかへ、ぼくは墜ちていく気がする。

東京の大学に入るまで、ぼくはあの村で過ごした。数えで十四歳を過ぎると祀りに参加できるようになるのだが、それが子どもながらに誇らしかったのを憶えている。けれど祀りといっても、実際のそれはむしろ土木工事に近い。塔の下に伸びる深い竪穴の壁面には、螺旋階段沿いに無数の窪みが掘られており、その一つ一つに死者の遺骨を納めた壺が置かれている。どれが誰の壺だったのかは時が経つにつれ忘れられていくが、墓そのものが一つしかないのだから、そんなことを気にする者はいなかった。一年が巡る間に誰かしらは死者の群れに加わる。窪みはいつでも壺と同じ数しか作られないから、祀りになるとぼくらは穴の底まで降りて行き、さらに深く掘り下げ、螺旋階段を刻み、新たな死者の分だけ壁に窪みを穿つ。

遙か昔から引き継がれているという祀りの手順は単純なものだ。十四歳以上の村人が宮司を先頭に一列となり塔に入る。塔のなかでは決して声を出してはいけない。まずは螺旋階段を下りながら、先頭の宮司が一定間隔で壁に灯燭をともしていく。太く長い蝋燭が一つともされるたびに、後ろの者から前の者にまた一つ、蝋燭が手わたされていく。そうして穴底に辿りつくと小さな麻袋を満たすくらいに土を掘り起こし、それを背負って階段を上っていく。下りは壁に沿い、しかも底は完全な暗闇なので恐ろしさもさほど感じないが、帰りは細い螺旋階段の端を上り、底も薄暗く見えているので、酷く恐ろしい。

必要なだけ穴を深くし、死者の数だけ窪みを掘ると、次には骨壺を移していく。ぼくらは再び一列に並び、一人が一つずつ、新しい死者の数だけ壺を穴の底に向かってずらしていく。当然、いま生きている人びとよりも死者の方が多いから、すべての壺を移動し終えるまで、ぼくらは何度でも地上に戻り、また地下へ降りることを繰り返す。

だから、最も古い骨壺が、いつでも穴のいちばん底にあり、最も新しい死者の壺が、いちばん地上に近いところにあることになる。最初の死者の壺には宮司しか触ることが許されず、老人たちはそのなかの死者のことをでぇじばぁ様と呼び、殊に敬意を払っているようだった。

バイトの仕事内容は相変わらず意味不明なものだった。どこからかトラックで定期的に運ばれてくる大量の段ボールに、建物の図面のようなものが詰め込まれている。そこに書かれた記号を見ながら機械的に分類し、ファイルに綴じ、再び別の新しい段ボールに詰める。それをトラックがまた持ち去っていく。とは言え、あからさまな違法行為でない限り、給料さえ支払われるのなら、ぼくにはどうでも良いことだった。相変わらずにやけたイマジンは朝からビートルズを流し、笹塚さんはコケティッシュな笑顔を振りまき、山岸は煙草を中途半端に吸っていた。ぼくは青山墓地を歩き回ることが多くなっていた。夏はいよいよ暑く、蝉の鳴き声も断末魔の叫びでしかない。ある日の昼休み、普段とは違う小道を進んでいくと、小さな墓石が草叢に倒されている。ありふれた御影石の墓石に某家代々の墓とありふれた苗字が刻まれている。それほど古いものではなさそうだった。見る限り周りに墓石のない墓はなかったから、どうしてこんなところに打ち捨てられているのかは分からないが、不思議と陰惨な感じもなく、むしろ照りつける日差しの下、強烈な生命力さえ感じさせていた。磨き抜かれ透明にさえ見えるその石は内部で光を束ね、籠められている魂を強力なビームとして空に放つ。そんな空想をしてみる。

仕事が終わり、中古レコード店で時間を潰し、渋谷から東横線に乗って家に帰る。留守電のランプが点滅している。再生すると、教務からの呼び出しと盆には帰ってこいという母からの伝言だけが残されている。そのどちらも消去し、TVをつける。深海の生き物が映しだされ、その風変わりな姿をしばらくぼんやり眺めている。

祀りに参加して三回目の盆、十五歳のとき、ぼくは墜ちた。前日から少し熱があるのに気づいてはいた。祀りに参加するのは強制ではないから、理由があれば参加しなくとも責められることはない。けれど当時のぼくは大人になるということへ憧れ、日常では感じることのできないその責務を果たすことを、何より大事に思っていた。そして無理をして土を詰め込んだ袋を背負い螺旋階段を上っているとき、一瞬、重力を失い、気がつけば物凄い勢いで土壁が迫り上がっていく。いや、ぼくが墜ちているのだ。けれどぼくが恐怖したのは墜ちていることではなく、墜ちていくぼくを見つめる人びとの、無表情な、けれどどこか狂おしいまでの官能に満ちた目つきだった。

結局、どうしてだかぼくは掠り傷一つ負うことはなかった。地面に叩きつけられた瞬間の記憶がなかったぼくは、幾度かそのときのことを訊こうとしたが、大人たちは何も答えてはくれなかった。それから三年間、どこかずれた気持ちを抱えたまま過ごし、大学合格と同時に村を出た。ぼくがあのとき死ななかったのは、決して奇跡などではない。あの村の連中も、そしてぼく自身も、きっとどこかでそれに気づいている。

いよいよ盆も近づいてきたある日、ぼくらが働いていると、隣の部屋からイマジンが怒鳴る声が聞こえてきた。「そんなにやる気がねえんなら辞めちまえよ、こっちは人手は足りてんだよ!」どうやら、遅刻が増えていた山岸に、ついにイマジンが切れたようだった。だが、山岸も負けてはいない。「朝から晩までビートルズ聴かされる身にもなってみろよ! イマジンしろよ!」と怒鳴り返している。イマジンしろよ、のところでぼくらはみな思わず笑ってしまう。好きな音楽を貶されたら余計に激怒するんじゃないかと思ったが、イマジンはなぜか急に冷静な口調に戻ると、「じゃあきみきょうで馘首ね。きょうまでの賃金は払うから。ご苦労さまでした」という。何故か山岸も丁寧に「あ、どうもお世話になりました」などと言っている。しばらくして作業場に顔を出すと、山岸はぼくらにニヤッと笑いかけ、「じゃ、そういうことだから。会う奴にはどうせまたどこかで会うだろ」とだけ言うと、控室に置きっ放しだった荷物を取りまとめ、さっさと出て行ってしまう。その身軽さを少しだけ羨ましく感じる。

仕事を終え、ひさしぶりにまっすぐ渋谷駅を目指す。楽しげに囀りながら正門から溢れてくる学生たちに呪詛の言葉をひっそりと投げ当てつつ、そういえば俺もまだ学生なんだよな、と思う。何となくレコード屋を覗く気分でもなく、宮益坂上の交叉点を通り過ぎようとすると、通りに面したビルの段差に腰を下ろし、例によって空き缶を灰皿代わりに煙草を吸っている山岸が居た。よお、と手を挙げる彼に近づき、何をしているのかを問う。「いやお前を待ってたんだよ。あのマンションの前で待ってると他の連中に会っちまうし、それも何だか恥ずかしいしさ」そう言うと、ほら、とぼくに缶コーヒーを放り投げてきた。咄嗟に掴み、その冷たさから、彼の意外な繊細さに気づく。「何ですかこれ」「前にさ、お前の飲みかけのコーヒーに間違えて吸殻入れちまっただろ、その弁償だよ」と言う。律儀な男だ。彼の隣に腰を下ろし、缶の口を開けながら訊ねる。「それで山岸さん、バイト辞めてどうするんですか?」山岸は笑って、「実はもう次のバイト決まっているんだよね。知ってるかどうか知らねえけど、そこの角にある中古レコードの店。俺音楽好きだし、ある程度だったら自分の好きな曲流してもいいって言うしさ」そうなんですか、と相槌を打ち、缶コーヒーを啜る。「そうだ、コーヒーのお礼に一つ良いことを教えましょう」「何だよ」「あのレコード店、時折イマジンが来ているみたいですよ」「マジで?」「マジです」うんざりした表情を浮かべた山岸だったが、やがてそれを苦笑に変える。「ま、イマジンが来たらビートルズでもかけてやるさ」そうしてしばらく無駄話をしてから、ぼくらは別れた。

夜、電話が鳴る。留守電の向こうで、母が盆には帰ってこいと、留守応答の合成音声よりも無感情に喋っている。よくよく聴いてみれば、そこには戻るはずのない誰かに呼びかける者の諦念が込められている。あの村でともに育った誰もが、育ててくれた誰もが、ぼくにとっては既に死者だった。死者による死者のための祀り。そして彼らからすれば、ぼくこそが死者だった。母の声は死人の呟きに聴こえる。けれども、母はきっと、死んだ息子に届かない声で語りかけているのだろう。ふと、無表情にレンズを見つめる、何万年も姿を変えないで生きてきた深海魚を想いうかべる。宮司に運ばれる壺のなかのでぇじばぁ様が、ぴちゃぴちゃ、ぼくには分からない言葉で何かを喋り続けている。そうして途切れることのない軌跡を残しつつ、どこまでも深く降りていく。

別れを告げたあと、少し歩きかけてから山岸が振り返り、やけに透る声でぼくに言った。何だかさ、こんな街でこんな生活をしていると、どこまでもどこまでも続けられるんじゃないかって気がしてこねえか? 俺たちは不老不死なんだ。実際、俺はもう始まりがいつだったかなんて憶えちゃいないし、いつ終わるかも想像できない。問いかけるような彼の眼差しに、少し考えてからぼくは答える。どうでしょうね、いややっぱりぼくらは、きちんと年取って、きちんと死ねると思いますよ。そう願いましょうよ。でもって最後は空に向かってビームみたいに魂を打ちだすんです。こう、ばばっとね! そうして、踊るようにステップを踏み、大げさに手を拡げてみせる。山岸は呆れたような顔をするが、やがてにやりと笑い、そうか、ビームみたいにばばっとか、と言うと、もう振り返ることもなく再び歩きだす。

会う奴にはどうせまたどこかで会う。しばらく自分の影を相手に残りのステップを踏んでから、ぼくはビームのように走りだす。