ひさびさに最悪に近い悪夢を見た。体感時間でたかだか十数秒の、だけれど、正気を疑われるような悪夢。曖昧にいえば、自分の病巣だらけの体内が空一杯に拡がっていた。分かったような顔をした連中は、けれどぼくがどんな夢を見たかをストレートに語ると、まるでぼくが異常であるかのような顔をする。まあそんなことはどうでも良い。悪夢を見た後、しばらく布団のなかでもぞもぞとしてから、いろいろ諦めもう一度眠った。するとぼくはサバンナに居て、一頭のカバが、何故かぼくを殺すつもりで迫ってきている。その目つきにはほんものの殺意がある。背中を見せないようにじぐざぐに後ずさりしつつ、けれどもカバの素早い追跡に、逃げ切る可能性が0であることをどうしようもなく理解する。こういう夢は、良いリハビリになる。いや、もちろん、ぼくだってカバに殺されたくはない。それでも、あの殺意に満ちた目つきは、現実には目にしたくなどないけれど、理解はできる。悪夢は悪夢でも、それはこの世界と地続きの悪夢で、だからどことなくユーモラスでもある。
お盆休みは、結局、まともに休めなかった。あとからあとから下らない学会仕事が積っていく。せいぜい、ぼんぼりを出したくらいしか、お盆らしいこともしなかった。そういえば、彼女は牛と馬を、茄子と胡瓜ではなくトマトと胡瓜で作ったらしい。何だかハイカラで、真ん丸で真っ赤な牛のことを思い浮かべると、とても微笑ましい。ご先祖様も、さぞや奇妙な気持ちで笑っていたことだろう。
頭痛が酷く、大量の保冷剤で身体を冷やす。しっかり冷凍保存ができるので、気分はもうレーニン。ぼくもそろそろレーニン廟をつくらなければならない。この前、音楽をやっている(音楽をやっている、というのもどこか乱暴な言い方だけれど)研究仲間が、ぼくの廟の前で音楽を捧げるよと言ってくれたので、だいぶ安心だ。動脈に保冷剤をあてながら、真暗ななか、その音楽を想像しながら天井を見上げる。
彼女が、どこからかお灸の話を聴いてきて、たまたまその日薬局へ行く用事があり、ぼくらはお灸を買った。初心者用の、いちばん弱いやつ。火をつけて、背中に乗せる。弱いだけあってほとんど何も感じないし、効いたのかどうかは分からない。けれども、何だか妙に面白い。子どものころから悪夢を見る才だけには恵まれていたけれど、考えてみれば、その当時は、こんな年になるまで生き延びて、背中にお灸を据えることになるなんて考えもしなかった。
ひとに話せば頭がどうかしたのかと思われるような奇想天外な悪夢でも、ぼくらが生きている日常生活の奇天烈さに比べれば、まあ、それほど大したものでもないのかもしれない。