ある新聞を取っているのだけれど、この新聞の美術欄がほんとうに嫌だ。何が嫌かというと、前にも書いたけれど、「シュルレアリスム」のことを「シュールレアリスム」などと書いている美術担当記者の無知無教養ぶりのことだ。ほんとうにこれ、美術を、それに関わってきた何人もの人びとのその歴史を、多少なりとも尊ぶ気持ちのある記者が書いているのだろうか。最近はもう目に触れるのも嫌なので、美術の特集がある曜日はその頁を開かないようにしている。こういう、言葉に対するいい加減さというのがほんとうに嫌だ。いやもちろんひとのことは言えない。ここでだってずいぶん誤字脱字があるし、誤った用法で言葉を用いていることも多々あるだろう。だけれど少なくとも自分が好きなものに対しては敬意を払いたい。
と、どうでも良いことを書くのは、このように書くことによって、「シュールレアリスム」などという言葉に対する違和感を少しでも伝えたいからだ。考えてみれば、いま(といってもあとどれくらいの間かは分からないけれど)ぼくが持っている表現方法のうち、いちばんひとの目に触れやすいのは論文なわけで、そうであれば「シュルレアリスム」をタイトルに冠したものを書いてみる、というのは良い考えかもしれない。美術史が専門、などということではまったくないので、それこそ専門の研究者に対して失礼になるようなものではどうしようもない。ただ、どのみちだいぶ準備は必要だけれど、自分の専門からのアプローチならいくらでも考えられるような気もする。資料も、大学生時代(早20年以上の昔!)から集めてきたものが多少はある。
昨日はとある学会の研究大会に参加してきた。何人かひさしぶりに会えた人たちもいたのでそれは良かったのだけれど、先週から体調を崩していて、帰ってからそれが悪化した。きょうは一日眠っていて、まだ少し身体がだるい。ともかく、その学会はだいぶ灰色だった。何かの比喩ではなく、会場全体の物理的な色合いが。あとで他のひとに訊ねたところ、やはり学会としてはだいぶ特殊で、あれが研究者一般の姿であるとは思わないでほしいとのことだった。同じようなことは別のひとにも言われたので、やはりそれなりに特殊なジャンルなのかもしれない。ぼくもこの学会に参加するのは2年ぶりくらいで、こんな感じだったっけかなと思いつつ、前の大会で見かけた名前も知らない研究者たちがまったく同じ髪型と服装でうろうろしていたので、それはそれで良いことだと思った。
とはいえ、やはり、こういう集団のなかに居ると(批判的な意味ではなく)自分が居るべき場所ではないなあ、というように感じる。もちろんそれは、自分が居るべきもっと良い場所があるとか、俺はハイグレードなステージにふさわしい人間だぜとか、そんなことではない。単に、在るべき場所というだけのこと。ぼくらは誰でも、本来であれば帰巣本能のようなものを持っている。それは過去の特定の場所、懐かしい場所とかではまったくない。帰ってみたら川の流れには逆らわなくてはならないし、クマには食べられるし、あげくに産卵したら自分は死ぬ、そんなのが帰巣本能であるとすれば、それを良いと思うひともいるだろうし、そうでないひともいるだろう。あまり、価値の話をしても仕方がない。いずれにせよ、放っておいても大局的には、ぼくらはみな最後には帰るべき場所に帰ることになる。
本能というのはいい加減な言葉だ。だけれども、これは嫌だなとか、これは分かるなとか、理屈で説明してもしようがないようなところで、ぼくらはけっこう、自分の進路を決めていく。もちろん、進みたい方向にばかり行けるということはない。むしろ、行きたいと思う方向にはまず進めないというのが大半だろう。無理やり行けば社会から落伍者、違反者の烙印をおされ、現実的に食べていく道を絶たれて野垂れ死ぬ。それでも、やはりひかれているのが分かる方向がある。地磁気のようなもの。北極星のようなもの。偏西風のようなもの。ただしそれは生物学的な機能ではなく、人間だけが持てる(それは人間の優位性ではない)、世界と言語のあわいに生まれたある種の狂気のようなものだ。それは誰にでも棲みついている。
その研究大会では、別の学会で知り合いの先生に、ぼくがこの前書いた論文について尋ねられた。何を書いているのかさっぱり分からないけれど、何やら面白そうな感じは受けるので、もう少し理解したい、そのために何かもう少し入り込みやすいようなちょうど良い文献はないか、とのことだった。それはそれでありがたい話で、少し考えてメールでお知らせしますよ、とお答えしたのだけれど、実はどうも思いつかない。もちろん方法論的なところやその理論的なベースというところであれば文献を示せるけれど、そんなことは向こうの方がぼくよりもはるかに理解している。ちょっと困った。いっそのこと、それを書きながら聴いていた音楽や、同時進行で読んでいたSF小説のことでも紹介しようかと思っている。ヘイヘイ、ダンシンダンシン!
今回の論文は意外にいろいろなところで面白かったという感想をもらえて、それは素直に嬉しい。それが職には決して結びつかないのは問題で、その問題具合は年々シビアさを増している。喰っていけなければ野垂れ死にで、それは抽象的な話ではなく、リアルに慎重に避けなければならない危険だ。
それでもまあ、帰巣本能だ。それはそれで、しかたがない。