A happy new year without otoshidama

あと30分でPCのバッテリーが切れるので、それまでにこのブログを書き終えようと思います。時間制限付きというのは、どんなときでも面白いものです。最大値はもちろん寿命が切れるまで。短いようで、案外長いものです。

年明けには例年通り墓参りに行きました。いまさらですがぼくは親戚の子どもたちにお年玉をあげたことがありません。恐らくみなさん、眉を顰められたことでしょう。まったくほんとう、ダメ人間の極北です。親戚にひとりはいる困った叔父さんぼくの伯父さん。ぼくだってそういうところでまっとうな人間を演じたいのですが(そしてぼくは自分をこれ以上ないほどまっとうな人間だとも思っているのですが)、どうしてもそれを演じきれないところに自分の屑さ加減が現れているのでしょう。それ以上のことを説明するには自分の人生と同じだけの時間がかかりますし、何しろ残された時間はあと30分しかないのです。

とにもかくにも正月中には自分の時間がほとんどなかったので、結局普段の土日と何が違うのかよく分かりませんでした。それでも家の窓を拭いたりして、狭い庭の向こう、隣の家の屋根を超えたほんの隙間から真青な冬の空が見えたりして、息を吐くと部屋のなかでも真白だったりして、身体の震えは止まりませんが、どうしようもなく心が安らぎます。

そう、自分独りでいるときには、ぼくは冬でも暖房を使いません。だから、指がかじかんでキーボードを打つのも一苦労です。身体を動かさなくては熱を熾せません。本を片手に持って読みながら、音楽に合わせて踊ります。ただ、夜になると、そうそう音楽を鳴らすわけにもいきません。近所に響くほどの音でかけているわけではもちろんありませんが、要するにひどく小心者なのです。

ちょうど使っていたイヤフォンが壊れたこともあり、Backbeat GO 2を買いました。Bluetooth接続で、夜中だって爆音で音楽を聴きながら、ヘイヘイ! とダンスをしまくります。気の重いことばかり降り積もる日々ですが、そんなもの、踊ってさえいれば、みなどこかへ振り落とされてしまいます。ぼくほど運動神経のない人間もそうは居ないので、まるで壊れたロボットのような動きです。それでも本人が楽しいのですから、何も問題はありません。

聴こえてくるのは酷くチープなリズムマシンの音。でも、だからといって悪い音であるわけではまったくありません。超絶テクニックによる生楽器の演奏だからといって良い音になるわけではないのとまったく同じです。良い音、悪い音の違いがどこにあるのかは分かりませんが、それは、良い研究、悪い研究を判別するのとまったく同じ回路によって判断されます。それはある種の嗅覚です。

ぼくらは大抵、そういった匂いに敏感になるようにと育てられます。だけれども、たぶんそれはあまり幸福なことではありません。匂いに敏感になればなるほどこの世界は生き辛くなりますし、何より、いちばん悪臭を放っているのが自分自身だというどうしようもない現実に気づかざるを得なくなるからです。などと言うと、そういう生き辛いのはお止めよと、最近しばしば彼女に言われます。考えてみれば、生き辛い人間はその周辺にも生き辛さ電磁波みたいなものを放射しているので(怪しげ!)、これはまったく良くありません。

そんなこんなで、今年はいっそう能天気に生きていこうと思います。予想される未来に明るい話題はあまりないかもしれませんが、時間は寿命のぶんだけ残されているので、それはそれで呑気に対応していけば良いのでしょう。短いようで長い人生。実はこのPCも、とっくに電源につなげてしまっているのです。

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