ルーアッハ、ルーアッハ、ルーアッハ。

基本的にぼくは、太宰にならうわけではありませんが、「おしるこ万才」など糞喰らえだと思っています。別に破滅願望とか、そういうお話ではありません。むしろそれはぼくにとって徹底して生きることを意味しています。おしるこ万才には、どこか生に対する甘えと怠惰と驕りが隠されている。そういうものには、心底怖気をふるうのです。ぼくを支えてくれるのはつねに、ジョバンニの強さです。救いのない日常を日常として生き抜くこと。大仰な言葉とか分りやすい敵だとか、そういったものは必要ありません。そして同時に、戦いを矮小化したいわけでもありません。なぜ「魂の戦い」が抽象論とされ、理想論とされるようになってしまったのか。なぜぼくらは、生きているこの一瞬一瞬に魂を感じることができなくなってしまったのか。根源的な問題がそこにあります。

***

女子大に行く途中、たいていいつも、一人の老人が恐らく彼の住んでいるであろう家の前に立ち、群のように歩いていく彼女たちを眺めています。それは、ぼくの偏見かもしれませんが、微笑ましいような情景では決してありません。それはぼくに、どこか澱んだ寂しさを感じさせるのです。透明な寂しさが硬く美しいものだとすれば、澱んだ寂しさはただひたすら痛々しいものです。道を行く彼女たちの多くは、恐らくその老人を見てはいないでしょう(同じことは、残念ながら教室におけるぼくと一部の生徒に関してもいえます。彼女たちの眼に、おそらくぼくは映っていない)。そして同時に、その老人の目もまた、過ぎ去っていく彼女たちを「彼女たち」以上のものとしては見ていない。

先日、北海道に行きました。夜に到着し、翌日昼に帰着。ただ発表のためだけの移動。体力的にはともかく、精神的には少々つらいものがあります。発表は、最近自分にとって面白いと思うことに、ほんの少し新しいことをつけ加えたもの。というと聞こえが悪いですが、博論を提出し終えてからようやく自分なりの立ち位置というものが少し見え始め、いまはそこを基準点として幾つかのものごとを考えようとしているところです。だから見た目同じような話になってしまうし、実際まったく同じことを語ってもいるのだけれど、それぞれにベクトルが違うものでもある。なかなか、短い発表時間でそれを伝えるのは難しいですね。

けれどもそれ以上に、今回の発表ではいわゆる教授陣のような人々からは一切反応がなかったというのが、反省を通りこしてだいぶ不気味になりました(若い人たちからは鋭い指摘を受けて、それだけで十分だったのですが)。ぼく以外の発表者に対してはそれなりに意見が出ていたのが、ぼくのときだけ完全に彼らの目が死んでいるのです。まあ、学会の性質的にも仕方がないことかもしれないけれど、それにしても若干びっくりしてしまいます。いま、この瞬間を生きている少なくない人々が抱えているであろう問題に、ここまで無関心を決め込めるその神経が恐ろしい。そして彼らの発表や質問時におけるあまりの非常識さや失敬さ(その点、質問さえされなかったぼくは、むしろ幸福だったのかもしれませんが)。その人生において大学から一歩も外へ出たことがないひとであっても、当然ですが立派なひとはたくさんいます。けれども、そうでないひとも、残念ながらたくさん見てきました。そういった人々の眼には、どうやら「人間」なるものはまったく映ることがないようです。

ぼくとて、自分にとって意味のある人間としか関わるつもりがないと断言する程度には断絶した部分を持っています。けれどもそれは意識した断絶であって、無自覚的な欠落ではない。そして意識した断絶を超えて、人間というものがどうしようもなく開かれ、剥き出しに曝されたものであることをぼくは知っています。それは恐怖であり、悲しみであり、苦痛としてぼくに迫ってきます。それは決して自己のうちに閉じたものとしてではなく、開いている、曝け出されているが故のものです。けれども、年齢にも立場にも関係なく、完全に閉じてしまっている人びとが存在するのもまた、どうやら事実のようです。限られた才能と時間しか持たない意識されたものとしてのこのぼくには、いずれにせよそれはそうだとして諦めるより他ありませんし、またそれ以上のことをするいかなる義務もありません。ぼくは聖者でもなければ暇人でもない。その両者は同じことかもしれませんが。

先週、二つ目の大学でゲストスピーカーとして喋る機会をもらい、好き勝手なことを話してきました。やはり「死」や「神」や「魂」について話すのは、こういったブログであれば自由に書けるのですが、いまいる研究室ではなかなか(というよりきわめて)難しいのです。そういった意味で、いまはもうぼくがいた学部は存在しないのですが、それでも当時の雰囲気が欠片でも残っているところで話すのは、思っていた以上に楽しいことでした。当たり前ですが、学会によっては発表で「魂の苦しみと救済」とか言ったら頭がどうかしたと思われるのがおちでしょう。

その後、恩師と、その日が初対面のまだ若い牧師さんと食事をしたのですが、そういった場は、ぼくのように、どこにいっても器用だけれど器用なだけで終わるような中途半端な人間にとって、いちばん自然な言葉で話すことができる場でもあるのです。別に理想化しているわけではありません。むしろぼくは「神」的なるものに対して根源的に批判的な立場にいるし、だから仲良しごっこ的な意味で楽だということではまったくないのです。単純にそれは、勝ち負けやフォーマットを超えて、自分にとって話すべきことを話せる場というだけのことです。けれども同時に、なかなか得にくく、大切な場でもあります。

女子大での講義は、想像以上に準備が大変ですが、想像以上に楽しくもあります。自分がなにをもっとも伝えたいと思っているのか、それが見えてくるのが面白い。ぼくにとってのそれは結局のところ、考えるということは、答を出さず、断罪せずに耐え続けることだという、ただその一点なのかもしれないと感じています。答を出し、断罪を(あるいは救済を)するのは、そんなことは神野郎にでもやらせておけば良い。

***

また一つ非常勤をもらえる可能性があるようなないような雰囲気ですが、どんな形で研究をしていくのか、改めて考えなければいけません。しかしどうなるにせよ、最終的には魂の問題へと戻っていくことだけは、逃れようのない事実としてあるようです。

地球の裏側で蝶が羽ばたく音を

先日、とある集まりに参加するために、ひさしぶりに新宿へ出ました。集合の時間がちょっと中途半端だったため、新宿御苑で時間を潰すことにしました。きょうはカメラも持っています。本も、飲み物も装備して、冒険の準備はばっちりです。「そうやって油断した奴から死んでいったんだぜ」などと呟きつつ、フヒヒと笑って御苑に突入です。きょうは節電のため、大木戸門では自動券売機が止まっており、窓口のおじさんから切符を購入。ここで交わした会話が本日のハイライトでした。

新宿御苑前で地上に上がったときから、デモ行進がずっと続いていました。聞くともなしに聞いていると、どうやら脱原発を訴えての活動のようでした。デモ行進の列はなかなかに長く、御苑に入ってから閉園するまでの間ずっと、拡声器を通してその声が届いていました。

9.11とか3.11とか、そういった記号化された表現を、ぼく個人はあまり好きになれません。そしてまた、3.11を通して思想は変わらなければならない、変わらざるを得ないという哲学者たち、研究者たちは極めて多いのですが、ぼく自身はそうは思わないのです。無論、社会状況は変わるでしょう。人びとの意識も変わるかもしれません(しかし人びととはいったい誰のことでしょう? ぼくには分りません)。けれども哲学の在り方が根本的に変革を迫られているという言葉を聞くと、違和感を感じざるを得ないのです。ぼくら人類は、この世界において、その歴史のなかで、つねに取り返しのつかない、耐え難い悲しみや苦しみのなかで戦ってきました。そういった意味で、もし思想というものが在るのであれば、それはいままで通り戦い続けなくてはならないのだし、また同時に、それはルーチンワークなどではなく、あらゆる一瞬を生きる人びとの唯一性によって、瞬間瞬間に変わり続けることを原理的に強制されたものでもあります。それを抽象論だというのは容易いことです。けれどもまた、ぼくはどうしても、3.11という形でものごとを捉えるということに抽象性を感じてしまうのです。

とはいえ、これはとてもとても狭い、極一部の研究領域内におけるお話でしかありません。デモの声を聞いていて感じたのは、もっと別のこと。

その内容如何に関わらず、ぼくはやっぱり、デモというものが苦手です。斜に構える、ということではなく、恐らくもっと単純に性格的なこと。子どものころ、クラスにひとりかふたり、どうしてもみんなの仲間に入れない子がいましたよね。ぼくもそんな感じでした。それは別段、寂しいことでも何でもなく、本さえ読んでいれば楽しかったのです。それがそのまま、大人になってしまったということでしかないのでしょう。

形而下の生活、というものは、当たり前ですが、大切なものです。形而上的なことばかり考えているのが高尚だとか、そんなことを本気で考えている人間がいたら、それはちょっとばかり寂しいことです。みなで協力して、共同で、社会に働きかけていく、何かと戦うというのは、とても素晴らしいことです。

ただ、ぼくはその「みな」というものに、どうしても疑いの目を向けてしまう。それは価値判断を超え、要するに、そのひとの性質ということです。そうして、そういう性質というのは、別段、珍しいものでもひけらかすものでもありません。引け目に感じなければならないようなものでもありません。人間には様々なタイプがある。ただそれだけのことです。問題は、生まれつきか自分が選んだものか社会に強制されたものか、分らないけれどもともかく、自分のいまいる立ち位置から見える世界を見るということです。

大きな声、というものが苦手です。誰かが何かを拡声器を通して叫ぶ。そこで語られるのが何であれ、そしてそこに正当性があるにしても、さらにそれが自分も同意できるような内容を語る声であったとしてさえ、なお、ぼくはその声の大きさが持つ暴力に恐怖を感じます。

これは、ぼくが所属していた研究室でも(あ、いまでも形式的には所属していますね)、なかなかに伝わらなかったことですが、語るということは、つねにそれだけで、暴力的なものです。いえ、表面的には伝わります。伝わるけれど、でも、そこにこめられた恐怖というものは、どうにも伝わらない。それはそうで、そんなことを言っていたら、研究なんて不可能になってしまう。論文を書くということはそれだけで何かを殺すことにつながっているんだよ、などといわれても、じゃあどうしたらいいんだ、ということになってしまいます。

けれども、語るということは、やはり暴力です。とても恐ろしい、かつ根源的な暴力です。にもかかわらずぼくらは語らざるを得ないし、誰かが語る声に耳を傾けざるを得ない。そしてだからこそそれは暴力でもある。その無限の循環のなかでぼくらは他者と共にあるのだし、そこでしか共にあることはできない。だからこそぼくらはつねに悲しまざるを得ないのだし、だからこそぼくらは、他者に対する責任=倫理を持たざるを得ない。

世界を何色かに塗り潰そうとする大きな声が、ぼくは怖い。塗り潰されることに対する戦いとしてであってさえも、やはりぼくは、大きな声というものを持ちたいとは思わないのです。そこには、きっと、あるひとりの、たったひとりの誰かの声は、既に存在していません。

いうまでもなく、これはかなり一面的な理解でしょう。無数の集団のなかに、しかし必ずそこには差異があるはずです。拡声器越しの叫び声、繰りかえされるフレーズ。そういった戦術的な統一性を超えて、そこにはそこにいるひとりひとりの回収しきれない差異がつねに残り続けます。

だからやはり、もっと単純に、ぼくは大きな声が苦手だ、というだけのことなのかもしれません。クラスに馴染めない子どものようなものです。いまだに、ぼくはそんな感じで生きているのでしょう。

だけれども、それが孤独であるなどとは、ぼくは思いません。語るということの暴力に居座るのではなく、語るということが暴力であることを認めつつなおそこに希望を、そしてきみを見いだすこと。

御苑の奥で、トンボが木の枝にとまっていました。カメラを向けつつにじり寄ると、意外に厳しく、トンボに額を攻撃されました。やれやれ、痛い痛い、などと思って顔をしかめていると、お母さんに連れられた小さな女の子が、そんなぼくを見てきゃらきゃらと笑いながら通り過ぎていきます。

誰もいなくなった道。その瞬間、あらゆる音が、遠くから聞こえてくる拡声器の声さえもが消え、無限の静寂のなか、トンボが飛び立つ音が、確かに、ぼくの耳に届きました。

ある一瞬の、ある一点の

今週から始まる講義で使う資料が足りず、ひさしぶりに彼女と東京で落ち合い、本屋に行ったのです。彼女はフィールドワーカーなので、研究のデータは海外の熱帯雨林なり日本の森林なりに出向いて集めなければなりません。ぼくはまがりなりにも思想系で研究をしているので、基本的には論文や書籍が彼女でいうところのデータのようなものにあたります。いまは便利な世の中なので、論文も書籍もネットでも手に入れることができます。無論、図書館もありますし、時間があればこの日のように本屋さんに行っても良い。いわばそこが、ぼくにとってのフィールドです。本屋でフィールドワーク。研究者としては安直に過ぎますが、それでも、大げさに言えば、現代日本社会においてぼくらの研究している分野がどのように捉えられているか、資本主義というフィルターを通して、けっこう面白く見えてきたりもするのです。そうそう、OZONの丸善では「共生」フェアなるものをやっていました。共生って、何でしょうね。しばらくそのフェアをやっている本棚の前で茫然自失としていました。

それから数日後、大学の院生部屋にこもってレジュメを作っていました。最近は頭痛がいよいよ酷く、薬を飲み続けです。それでも、資料をひっくり返しつつ講義の構想を思い浮かべるのは、とても楽しいことです。勉強するというのは、とても楽しいことです。ぼくはそれに気づくのに、長い長い時間を必要としました。でも、それはそれで、きっと昔のままのぼくでは見えなかったものも見えるようになったと思っているので、別段、後悔することはありません。

暗くなる前に大学を出て、ちょっと遠出です。二年ほど前に彼女と自転車で散歩をしていたときにふと見つけた、鶏肉の専門店に行こうと思ったのです。専門店といっても、住宅街の細い路地に面した小さなお店。でも、そこでぼくらは鳥のから揚げを買い、大通りに面したベンチに座り、ふたりでむしゃむしゃと食べていました。ぼくを支え、ぼくを形づくる大切な記憶のひとつ。

二十年近くの昔、人形劇の部活で遅くまで残り、真暗な帰り道、コンビニで肉まんを買ってふたりで食べながら帰った冬の夜。そんなささやかなことこそがずっと記憶に残ります。いつまでもくっきりと輝き、ぼくの生を照らし続けてくれます。

ともかく、その鶏肉屋さんに行こうと思ったのです。頭痛が酷いので、きょうは自転車ではなく歩きです。彼女はいないので、足下を這う蟻んこなどを眺めつつ、ぼんやり歩いていきます。時折、散歩中の犬と出会うと挨拶をしたりして、飼い主さんに不気味がられたりもします。何だか、妙に幸せです。

ようやく着いた鶏肉屋さんは、けれども、閉店していました。数年前に彼女と行った際、既にだいぶお年寄りのご主人が営業していたので、もしかしたらもう、お店をたたむことにしたのかもしれません。寂しいことですが、所詮はただ通り過ぎるだけの人間であるぼくには、それに対して何かコメントする権利がないのもまた、確かでしょう。結局、そこからさらに歩いて、駅前で彼女と落ち合い、いつもどおりのスーパーでいつもどおりの買い物をして帰りました。けれども、いろいろなことすべてをひっくるめて、何だか良い一日だったなあと思ったのです。

良い一日。美しいものを見ました。寂しいものも見ました。寂しさのなかには美しさがあります。美しさのなかにもまた、寂しさがあります。良い、ということは、恐らく、とても厳しいものなのだと、ぼくは思います。

頭痛が酷くて、起きていられないとき、畳の上で転がり、頭を打ちつけ、殴りつけ、涎を垂らし、涙を流しつつ、けれどもふとそのぼやけた視界の向こうに、畳の目が見えます。その畳の目が、途轍もなく美しく見えるのです。それは、その美しさはきっと、その瞬間、その一点に集中するからこそ顕わになる美しさです。

それは、F値を開放したときの、レンズの向うに見える光景です。ある一瞬の、ある一点に集中したぼくらの視線。

東京で会ったとき、彼女が、ハリネズミをぼくにくれました。ぼくは彼女に、小さな小さなお話を渡しました。

すべての一瞬一瞬をかけがえのないものとして、記憶していたい。苦痛も恐怖も後悔もすべてひっくるめて、きっとそこに、人生の美しさが顕れてくるのだと、ぼくは思っています。

生きている限りぼくらには

始発の下りに乗り、三日ぶりの家路につく。徹夜続きのせいか動悸がおかしく、うまく眠りに潜りこむこともできないままに地元の駅へ着いてしまう。ホームの自販機で冷たい缶コーヒーを買い、だらしなくネクタイを緩め、だらしなくベンチにもたれる。それがぼくの、数少ない息抜きのひとときだ。どのみちアパートに戻ったところで、埃の積もった床と冷蔵庫のなかの腐りかけの牛乳以外に、ぼくを出迎えてくれるものもない。ひたすら過酷な労働が続くだけの職だから、二年を過ぎたころには同期のほとんどが辞めていた。独り暮らしの家ではもちろん、会社でも私的な会話を交わすような相手はいなかったけれど、それが気楽でもあった。

――まあでも、それもそろそろ限界かもしれないよなあ。最近、独り言が多くなった。甘いだけの缶コーヒーを啜り、ホームの天井を見上げる。――ほんとうに、そう見えるよ。あんまり無理をしたらだめだよ。突然隣から声が聴こえ、慌てて顔を向けると、そこにはいつの間にか若い女の子が座っていた。しばらく驚きのあまり声もでないままその子を見つめていたが、ぼくの顔をにこにこと眺めているその子を見ているうちに、ぼくの心がふと和んだ。どこかで、納得している自分もいた。――こんにちは。いや、おはよう、かな。とりあえず挨拶をしてみる。彼女もにっこりと笑い、――おはよう。と挨拶を返す。そうして、ぼくらはしばらく、まるで旧知の友人同士のように、どうということもない雑談を交わした。

やがて向かいのホームに出勤するサラリーマンが目につき始めるころ、ぼくは立ち上がり、彼女に別れを告げる。――ありがとう。おかげでいい気分転換になったよ。彼女は、私も楽しかったよと答えてから、気遣わしげに尋ねてきた。――ずいぶん疲れているみたいだけれど、きょうはお休みの日なの? ぼくは苦笑いを浮かべる。――いや、家に戻って二、三時間気を失って、目が覚めたらシャワーを浴びて着替えて、そしてすぐにまた会社へとんぼがえりさ。彼女は少し寂しそうな表情をしていう。――そんな生活を続けていたら、身体を壊しちゃうよ。深刻さというものにはもう耐えられなくなっていたぼくは、わざと軽薄に混ぜ返す。――なんと、幽霊に健康の心配をされてしまった。彼女はびっくりしたように目を見開く。――気づいていたの? ぼくは思わず笑ってしまった。――そりゃそうだよ。そもそもきみ半透明だし。彼女は慌てたように胸の前に手を組み、上目遣いにぼくを睨む。――いやいや、そういう意味じゃないし。けれどもそれは彼女の冗談だったようだ。表情を緩め、くすくすと笑いだす。――やれやれ。じゃ、本当にもう帰らなきゃ。――うん。しっかり休んでね。ありがとう、と答え、ぼくは改札に降りる階段へ歩いていく。下りホームにも既に幾人かのサラリーマンがいて、ぼくを胡乱気に眺めていた。よれよれのスーツにぼさぼさの髪。寝不足の充血した目で独り言を呟いているとなれば、ぼくだって薄気味悪く思うだろう。けれども、そんなことなど気にならないくらい、ぼくは気分が良かった。アパートの部屋に辿りつき、敷きっ放しの布団に倒れこむとそのまま意識を失う。夢も見ない真暗な眠りのなか、なぜか懐かしい匂いに包まれていた記憶だけが微かに残った。

それからも相変わらずの日常は続いた。家に帰れるのは週に二回もあれば良い方で、激務に耐えかねたチームのメンバーはどんどん入れ替わっていった。激務であることはぼくにとっても同じだったが、けれどそれは同時に、何も考える必要がないということでもあった。増え続ける預金残高に比例して体調は悪化していったが、それすらも、ぼくにとってはどこか心地よさを伴うものだった。要するに、逃げていたということなのかもしれない。それでも、たまに家に帰れるとき、地元の駅のホームで幽霊の女の子と話す時間だけは、本当の意味で心が安らぐ時間だった。ぼくの身体を心配する彼女の言葉は適当に聞き流し、彼女とどうということのないお喋りをするのがぼくは好きだった。生前の記憶をすべて失っていた彼女は、自分がなぜ幽霊になったのかも分かっていなかった。――でもさ、やっぱり何かこの世に心残りがあるから、きみはここに居るんじゃないの? 何度目かになるその問いに、やはり彼女は首を傾げるだけだった。――そうなのかもしれないけれど、でも特に何も思い当たらないのよね。いまだって、あなたのことが心配だっていう以外には気がかりもないし……。――いやまあ、俺のことはいいよ。すると彼女は怒ったようにいう。――良くない。あなた、自分の顔、最近鏡で見た? まるで骸骨みたい。私よりもよっぽど幽霊みたいだよ。失笑するぼくの足を、彼女はひとつ空けた隣のベンチから足を伸ばして蹴ろうとする。もちろんそれは、ぼくを素通りするだけでしかない。半透明の彼女は、全体的にくすんだ白。けれど不思議なことに、頭のなかで想い起こすとき、全体が灰色で塗り潰されたぼくの生活の中で、彼女と過ごすその時間だけは、微かに明るく色づけられていた。

ある朝、いつものようにぼくはホームで彼女に会う。けれどベンチに背を向けたままホームの端に立つ。――そんなところにいたら危ないよ。そうにいう彼女には答えず、呟く。――こうやってさ、仕事仕事で自分を追い込んでいけばいろいろ思い出さずに済むかなとか思ったりもしたけれど、当たり前だけどさ、なかなかそうはいかないよね。振り返って、不安そうな顔をしている彼女に微笑みかける。――俺も、きみのところへ行けば、もう何も思いださないでいられるのかな。そうしてきみと……。言いかけたとき、ふいに彼女がぼくに駆け寄り、ぼくの顔を、ホーム中に鳴り響くほど本気で平手打ちをした。彼女は泣いていた。――馬鹿じゃないの! 死ぬなんて馬鹿よ。大馬鹿よ! 彼女の泣き声と頬の痛みで、ここしばらくずっと靄がかかっていたいたような頭が、急にすっきりしたような気がした。ぼくは妙に晴れ晴れしく笑ってしまいながら彼女に答える。――死ぬなんて馬鹿だって死んだ人間に言われてもなあ。第一、いまきみに引っ叩かれたとき、俺、ホームから落ちそうになったんだけど。彼女は慌てたようにごめん、と謝り、泣き顔のままぼくと顔を見合わせると、そのまま笑いだしてしまう。ぼくらはそのまま、隣り合ってベンチに座る。そのときはじめて、ぼくらは間を空けずに座っていた。彼女は真面目な顔をするとぼくにいう。――あのね、生きることは義務なんだよ。生きている限り、みんな生きなくちゃいけないんだと私は思う。私はあなたに生きていて欲しいと思う。死んだひとはみんな、きっと、生きているひとに生きていて欲しいと思っているんだよ。ぼくは苦く笑う。――勝手だな。――そう、すごく勝手だよ。でもそれは死んだ人間の権利で、そうして生きている人間の義務なんだと私は思うな。ぼくはそっと、彼女の手に自分の手を重ねる。もちろんその手は、掠ることもない。――さっきさ、きみ、俺に触れたよね。触ったっていうか殴ったよね。彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめる。――だからごめんってば。でもほんと、言われてみると不思議ね。どうして触れたのかな。――どうせだったらさ、あのとき、きみにキスでもすれば良かったよ。彼女はふいに優しく微笑み、ぼくのほうが逆に恥ずかしくなってしまう。――バカね。そういってぼくの額を突く彼女の指は、もちろん、ぼくに触れることはなかった。

しばらくして、ぼくは会社を辞めた。無駄に溜まった貯金を使って、もう一度大学へ行くことにしたのだ。もう一度、ぼくはすべてをやり直そうという気持ちになっていた。最後の日、会社の若手たちが無理矢理時間を作り、ぼくの送別会を開いてくれた。意外にぼくは、彼らに好かれていたらしい。三次会までつきあい、別れ際、彼らにくれぐれも無理はするなよと伝える。若い連中は笑って、先輩じゃあるまいし端からそんなつもりはないですよ、と言っていた。そのドライさには苦笑するより他なかったが、おかげでそれほど心配せずに去ることができた。

最終電車に間に合い、地元の駅に着く。どこかで予想していたが、誰もいないホームには彼女が独りベンチに座っていた。ぼくはいつものように缶コーヒーを買い、彼女の隣に座る。――あのね、結局最後まで、私は自分が誰なのか、何のために幽霊になったのか思い出せなかったけれど、でも、何だかもう、やるべきことをやったっていう気がするの。――……うん。――でね、次の電車に乗ろうと思うの。それに乗れば、あの世っていうのかな、とにかく私が本来行くべきだったところに行けるから。どうしてかは分らないけれど、でも分るの。――……うん。彼女は清々しいように、けれどどこか寂しげに笑う。――何だか、とっても楽しかったな。本当にありがとうね。ぼくは一瞬上を向いて瞬きをする。少し滲んでいた風景を、無理矢理もとに戻す。――やっぱりあのとき、キスでもしておけばよかったな。――……ほんと、バカね。そうしてぼくらは、つなげない手を黙ってつないでいた。

やがて、来るはずのない電車が、音もなくホームに入ってくる。彼女は立ち上がり、開いたドアの前まで歩いていくと、くるりと振り返って見たこともないほど素敵な笑みを浮かべた。――じゃ、さよなら。ぼくは座ったまま、笑顔で軽く手を振る。――さよなら。また会おう。彼女の目に涙が溢れる。

彼女が電車に乗り、発車のベルが鳴ったとき、ぼくは思わず声をかけていた。――あのさ、本当は……。けれどもそこで扉が閉まり、彼女とぼくを隔てる。もの問いたげな彼女に、何でもないというように首を振る。互いに笑みを交わす。そうして、電車はどこかへ去っていった。――本当は、俺、きみのことを良く知っていたんだ。誰よりも良く、さ。これは独り言。そうして、最後の独り言にしようとぼくは思う。

それからぼくは大学をやり直し、幾度か引越しを繰り返し、何人ものひとと出会い、そして別れた。電車に乗ってどこかへ向かうとき、ふと、これがこのまま彼女のいるところへ通じていたらな、と想像するときもある。けれども、まだそのときではない。ぼくは彼女と約束をした。生きている限り、生きている人間には生きる義務がある。それはあまりにも身勝手な死者の願いではあったけれど、その身勝手さこそが、きっと死者と生者を結ぶ愛なのだと、窓の外を流れる景色をぼんやり眺めながら、ぼくは考える。目的地に着き、ホームに降り立つ。眼が痛むほど眩しい日差しと熱せられたコンクリートから立ち上る熱気。汗が不快に背中を流れる。世界が割れるような蝉の声。

生きている限り、ぼくらには生きる義務がある。大丈夫だよ、というように、いまはもういない彼女に、ぼくはそっと手を振った。

記憶は頭の外に在って、だからどうしようもなく

合宿に行ってきました。自分の発表があるわけでもなく、仕事は仕事でなかなかに大変な状況なのですが、無理を言って平日にお休みをお願いして全日参加です。場所は伊東。ネットで調べたところ、スーパービュー踊り子号というものがあるらしく、生まれてはじめてグリーン車なるものに乗ることにしました。このひと月ふた月、論文その他にだいぶがんばった気がしています。そのうちの一本は、自分でも(無論まだまだとはいえ)現時点で書きたいことをある程度書けたので、ある程度は満足しています。仕事と論文とその他もろもろで、さすがに頑健さと気合と根性と粘着気質な怒りの塊であるクラウドリーフさんも、少々お疲れ気味です。我ながら嫌な性格ですが、とにかく、ちょっとグリーン車などに乗って気分転換とか思ったわけです。プチブル。

出発日の朝、行きがけに地元の郵便局に寄り、まずはその日の消印有効という投稿論文をぎりぎりで提出しました。そのまま横浜に出て、いよいよスーパービューです。ななんと二階建ての電車。これもまたはじめてでワクワク。クワクワとアヒルのように鳴きつつ電車に乗り込みます。座席は窓際海側一人掛け。さすがにグリーン車だけあって、ゆったり座ることが可能です。行きがけに読もうと思っていた論文をリュックから取り出していると、何と呼ぶのか分りませんが、乗務員のひとがやってきて、「コーヒー飲むか、紅茶飲むか、オレンジジュースもあるぞ」とお勧めしてくれます。ぼくは飲めもしないのにお願いしてしまいます。見栄を張って「コーヒーを。ブラックで」などと。倒置法。

ところでいま、すでに合宿は終わり、自宅でこのブログを書いているのですが、さっきまで頭痛で倒れていました。身体というのは面白いもので、無理を超えると強制的に電源が落とされる。

それはともかくグリーン車です。最初はゆったりした座席で、無駄に贅沢して、なんてのん気に思っていたのですが、やはりやめた方が良かったとつくづく後悔をしました。こういう言い方をすると嫌がられるというのはよく分っているのですが、基本、ぼくは自分をクソ野郎だと思っています。実際、ぼく以上に性格の捻じ曲がった人間をぼくは知りませんし、目的のためなら手段を選ばないその非道徳性にも、我ながら怖気をふるいます。たまたま真面目そうな見た目と雰囲気を持って生まれてしまったため、たいていの場合ぼくの腐り加減に気づかれないということにもまた気が滅入ります。

「死にたくなる」とかいう表現は、ほんとうに嫌いです。生きている限りにおいて、ぼくらは全力で生きなければならない。ただ生きるだけであったとしても、真剣に呼吸し、歩き、腕を広げてくるりと回る。それだけでも、一生懸命、まさに命を懸けて生きることは可能です。それでも、他人に丁寧な口調で接せられると、「死にたくなる」のです。それは憂鬱になるなどといった言葉では表現しきれない何かです。ちょっと、病的かもしれません。普通のことかもしれません。分らないけれど、でも、乗務員のひとに「何かお飲み物は」などと言われた瞬間、確かにぼくは死にたくなります。ぼくは、そんな人間ではない。ひとを平気で見捨て一切の後悔をしない、小器用なだけの才能と誠実そうな見た目と、そんなものでひとを騙して、ここまで生きてきました。「何かお飲み物は」という呼びかけは、自分のクソさ加減に対する告発として、ぼくに突きつけられます。ちょと何をいっているのか良く分らないですね。まあでも、「死にたくなる」はそのままで、「生きなくてはならない」ということでもあるはずです。どのみち、生きることは、少なくともその一部は、死者に対する義務としてぼくらに課せられたものだと、ぼくは思います。

淹れてもらったコーヒーを「にがーい」などと思いつつちびちびと飲みながら、他人の論文に目を通します。けれどもやはり、あまり興味のない論文を読むのは苦痛です。今朝方出してきた自分の論文のコピーをひっぱりだして、やっぱりこの結語が素晴らしいよね、などと独りでにやにやしながら眺めたりします。

そうして、少し眼が疲れ、ふと窓の外を見やると、見覚えのある光景が目に映りました。低い山に囲まれ海に面した、こういっては何ですが少々うら寂しいような小さな街。駅前のお土産物屋さんの並びを見て、すぐに思い出しました。湯河原です。子供のころ、夏になるとぼくらの家族は、母方の祖母と一緒に(船員だった父は居ないことが多かったのですが)数日間ここで逗留したものです。毎年毎年。いまは立派に腐ったぼくがグリーン車の窓から眺めるだけですが、そのころは湯河原に行くのが楽しみで、その道中すら楽しみで、鈍行の電車のなかで食べる冷凍みかんのおいしさときたら、他に比類すべき何ものもないほどでした。子どもだったぼくは湯河原の街を走り回り、だから、いま高架の上を走りながら見下ろす街の道々は、そのまま、ぼくの記憶となって立ち現われてきます。風景が、二重写しになります。子供だったぼくが街のそこかしこに居るのが、はっきりと見えています。

伊東につくころには、もう、へとへとです。あまりにへとへとなので、合宿のあと、ちょっとした魔法で彼女を召還しました。もちろん、召還するということは、召還されるということでもあります。お互いを召還し合い、そのまま遊びに行ったり、あるいは帰宅したりする研究室のひとたちとは別れ、ぼくは伊東に残りました。その晩、台風の影響で、雨が強く降っています。宿の窓を、雨が強く叩いています。個人的に雨の音は耐え難いのですが、彼女がいるので、大丈夫です。節電のせいか、宿には常夜灯もありません。だけれども、どんなに真暗であっても、となりにその存在を感じます。

翌日の帰りもまた、こんどは踊り子号ですが、グリーン車です。クラウドリーフさん、こう見えてそんなにやわではありません。がらがらの車内、ゆったりと伸ばせる足。平気でグリーン車に乗り込んで、「死にたくなるなんて莫迦みたーい」と嘯きつつ、ふんふんとのん気にはなうたなんぞを唸っています。グリーン車には、人っ子一人乗っていません。だから背もたれだって倒してしまったりもするのです。ちなみに、電車にせよ飛行機にせよ人生初、背もたれを倒しました。信じてもらえないかもしれませんが、彼は普段、そのくらい慎み深く遠慮深い人間なのです。

結局、グリーン車には最後まで誰も乗ってきませんでした。子供のころ、湯河原に行く鈍行列車は、もっともっと混雑していて、もっともっと楽しそうな喧騒に満ちていたように思います。嘘か本当かは分りませんが、所詮、頭の中にあることの真偽など、問うだけ無駄だというものです。それは永遠に真であり、かつまた、つねに偽でもあるのですから。

***

まだ論文の翻訳や学会発表などはありますが、今年締め切りの自分の論文は一段落しました。後期の講義資料を作ったりもしなければなりませんが、またしばらく、二週間に一度くらい物語を書いていこうと思います。

All existence you’ve never dreamed

羽
60mm、F3.2、1/125秒、ISO200、AWB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

顔
60mm、F2.8、1/160秒、ISO200、AWB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

葉‐硝子
60mm、F2.2、1/125秒、ISO200、AWB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

なぜそんなありきたりの日常をわざわざブログに書くのさ

プリンタを買いました。モノクロレーザー。いままではプリントアウトするものがあれば、わざわざそれだけのために四谷にでも出てFedExへ行くか、あるいは大学へ行っていたのですが、最近は学会の雑務その他でプリントアウトする必要が増えてきたのと、あとは論文などの執筆量も若干増えてきているので、思い切って買ってしまったのです。場所は取るけれど、やっぱり便利ですね。夜中に論文を改稿して明け方プリントアウト。翌朝出勤途中と昼休み、帰宅時に読み直し。帰宅後改稿して明け方プリントアウト、翌朝出勤。そういったサイクルで無駄なく動けているように思います。クラウドリーフさん、いったいいつ寝ているのでしょうか。無論仕事tyげほんごほん!

ここまで書いて思ったのですが、これ、本当にどうでもいい話ですね。以前誰かに言われたのですが、まあそのひとはブログに対して批判的なひとで、自分の日常生活なんてインターネットで公開して何の意味があるの? という極めてヴィヴィッドな問いかけをされました。ヴィヴィッドとか格好良いから使ってみましたけど別に格好良くないですね。そのときぼくが何といってブログ的なものを弁護したのかもう忘れてしまいましたが、案外弁護なんてしなかったかもしれません。そうそう、ブログで日常生活を書くなんて意味わかんなーい、みたいに。

だけれど日常生活を書いてしまうのです。最近はなかなかに勤勉な日々を過ごしています。仕事はあいかわらずですが、それ以外の時間は論文を書いているか、論文を読んでいるか。飽きると筋力トレーニングに励んでいます。食事も節制して、ほとんど禅僧のような生活です。禅僧の生活なんて知りませんけれど。

冷却ファン
60mm、F2.5、1/30秒、ISO160、WB:オート、クリエイティブスタイル:Adobe RGB

クリップ
60mm、F2.5、1/30秒、ISO160、WB:オート、クリエイティブスタイル:Adobe RGB

下の写真のクリップは、先日ひさしぶりに相棒と少し散歩をしたときに、彼女に連れられて入った文具店で購入したものです。最近はなかなかそういった時間もとれないので、……などという言い方はあまり好きではない。とれないのならとれば良いので、だからとるのです。嘘も不義理も平気です。睡眠時間だっていくらでも削れます。まだまだ、いろいろ余裕です。最近、眼鏡が妙にずれると思っていたら、顔がやつれて少しだけ細くなってしまっていたからでした。細く、といえば聞こえは良いですが、何のことはない、朝方、薬を飲む前の自分の顔を洗面所でぼんやり眺めると、これはもう薬中のチンピラ以外の何ものでもない。

けれども、楽しいことばかりです。今回の論文は書いていてほんとうに楽しいし、9月からはいよいよ講義も始まります。女子大で教えるなんて、女性恐怖症のぼくには不可能犯罪、いや犯罪はいらないですね、不可能ですが、心の平穏を守るために被っていくお面の準備もばっちりです。やはり犯罪ですね。

なぜそんなありきたりの日常をわざわざブログに書くのさ、と昔あるひとに訊かれましたが、答えは簡単。ありきたりは、ありきたりではないからです。きょうも一日、良く生きました。それは途轍もなく大したことで、途方もない喜びです。誰もが知っているように、ぼくもまた、ありきたりではなかった日々を知っています。だから、ありきたりの日常を書くということは、それ自体で、ありきたりではないものをぼくらに強要してくる世界に対する、ぼくらの勝利の記録なのです。

今朝、数ヶ月ぶりにコーヒーを飲みました。

ごくありふれた日々の生活。

そんな、感じです。