叫ぶ

先日、学部時代の恩師に会いに、自転車に乗って昔通っていた大学へ行ってきました。いま席を残している大学から、ぼくの超安全運転で30分ほどのところです。ひさしぶりに自転車を整備して、のんびり、散歩がてらの訪問です。待ち合わせは、ぼくが最初に通っていた大学。どうもぼくのようにあちこちの大学を流れてきた人生を送っていますと、このような場合に分りやすい表現をするのが難しくなってしまいます。などと書くと本当にそう受けとめられてしまって悲しいのですが、なかなかどうも、レトリックというのは難しいですね。

それはともかく、約束の時間より少しだけ早く到着したので、大学食堂前にあるベンチの脇に自転車を停め、しばらく、ベンチでぼんやりとしていました。背中側には、昔、ぼくらが人形劇をしていた部活棟があります。いまはすべての部屋が暗く、まだ使用しているのかどうかも定かではありません。ぼくは別段、その部活に対しては何の感傷も義理もありません。そもそも感傷を覚えるような人間でさえないのですが、しかしそれでもやはり心にかかるものがあるとすれば、それはあのときあの場所を共有していた誰かさんたちに対してだけであって、抽象的な集団なり歴史なりではない。だから、ぼくらが昔、講義にも出ず(出なかったのはぼくだけですが)日がな一日無意味なお喋りに興じていたあの部屋が死んだような薄暗さに沈んでいるのを見ても、特に何も感じません。

頭痛薬を飲み忘れたので、落ち窪んだ目で虚ろに空を眺め、ベンチにだらしなく凭れて口を開けているぼくを、若い学生たちが胡乱気に眺めながら歩いていきます。彼らが入っていく食堂も、もう、ぼくと相棒がバイトをしていた食堂ではなく、そしてまた大学をやめてからだいぶ経って、友人の披露宴の司会を相棒とふたりでやったときの食堂でもありません。ずいぶんと長い時間が経ったということでしょう。その自覚もないまま、昔はなかった小奇麗な広場の小奇麗なベンチに、死んだように肢体を投げ出しているぼくがいます。

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最近、叫ぶことがなくなったなと、ふと思いました。じゃあ昔はそんなに叫んでいたのかといえば、実際、ぼくらは子供のころ、些細なことですぐに叫んでいたように思うのです。それは、そのときのぼくらでは言葉として表現できないような、けれど表現せざるを得ないようなナニモノカに出くわしたとき、そしてぼくらは毎日、毎瞬、そういったナニモノカかに出くわしていたのですが、その訳の分らない感動に突き動かされるままに、その衝動そのものが叫びとしてぼくらの口から湧き上がっていたのではないでしょうか。

大人になるにつれ、ぼくらは、そういったナニモノカに「形」を与える術を覚えていきます。それが大人になるということで、それが社会性を持つということです。誰もが共有できる「形」。衝動を衝動として、感動を感動として、誰に伝えようとするのでもない生の衝撃として、叫び声としてそれを発する。そんなことをすれば、ぼくらは普通に、この社会から外れたものにならざるを得ません。そうならないために、ぼくらは自分の心の内側に向け、複雑怪奇な迂回ルートを、解析不能な変換機構を組み上げていきます。そういった緩衝材を経て現われたとき、すでにその原初的な衝撃は、おやおや不思議、規格化され製品化され共有可能な、この社会の構成部品のひとつになっています。

ずいぶん以前の話ですが、キレやすい17歳とやらが社会的な問題となっていたとき(しかしぼくは、それは社会的な虚構に過ぎないとも思っていましたが)、井上ひさしが新聞に書いていたことが印象に残っています。正確には覚えていないのですが、若者たちがキレるのは、自分の感情を「キレる」としてしか表現できないからだ、というものでした。これは卓見だとぼくは思います。キレる17歳が事実かどうかはさておき、人間が自分の感情を自ら分析できないことの危険性は、間違いなくあります。何だか分らない怒り、何だか分らない不安、何だか分らない悲しみ。そういったものも、自己を冷静に客観視し、言葉で切り刻んでいけば、案外、その正体はごくありふれた、つまらない、ささやかなものであることが多いでしょう。そうして、そのように暴かれてしまった何かは、解決はできないにしても、少なくとも他者と共有でき、共感されるものになるかもしれません。

これは、とてもとても大事なことです。言葉の変化を嘆くひとがいますが、恐らく、それ自体は別段問題ではない。若者言葉というのが低俗化する一方だというのは、いずれにせよ、いつの時代にも語られてきたことでしょう。もし問題があるとすれば、若者であれ老人であれ、自分の中に渦巻く光の届かない粘つくうねりを、鋭く切り取り解剖するだけの精緻な刃を持った言葉を持っているかどうか、そこにこそあるはずです。

そして同時に、それでもなお、ぼくらは言葉だけでは自分のなかにあるすべての衝動、名づけようのない混沌、すなわちナニモノカを征服することはできません。そもそもそれは、「征服できないもの」としてのみ定義される定義不可能なものなのです。それはつねに、ぼくらの身体として、ぼくらの魂として、そしてぼくらの素振、誰かに向ける視線、息遣いのなかに在り続けます。

だからこそ、演劇や音楽、あらゆる芸術、人間との関係性、あらゆるものとの唯一、一回限りの無限の関係性をぼくらは求めます。

けれどもそれが社会のなかに現われた瞬間、それは他者と共有可能な、言葉として表現される(自然言語かどうかはともかくとして)商品に置き換わっていってしまいます。

ぼくらは、ぼくらの中心に在り続けるナニモノカを閉じ込めます。閉じ込められないにも関わらず閉じ込め、閉じ込めることによって初めてひととして定義されるぼくらは、従ってつねにその存在それ自体が矛盾に曝され続けています。

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弾けもしないコントラバスの、調弦もしていない弦を、いつまでもはじき続けること。何を描くべきかも分らないまま真っ白なカンヴァスに叩きつける最初の一筆。

それは、酔って大声を張り上げるのでもなく、カラオケで濁った声を轟かせストレスやらとを発散させることでもなく、仲間内でけたたましく莫迦笑いを響かせることでもありません。

ぼくは昔、仲間たちと一緒にけれど独りで、独りでけれど仲間たちと一緒に、発声練習のふりをして部活棟のベランダから薄暗い木立に向かって叫んでいました。

最後に本気で叫んだのがいつだったのか、もう、思い出すこともできません。

原初の混沌として在り続ける、極身近な、けれどまったくありきたりではない何かに触れるたびに爆発的な官能と喜びに震えるそのナニモノカを解き放 つ。ジェリコの城壁を打ち崩した角笛のように叫び声が魂の鎧を壊し、眩い光が差し込んでくる。

叫ぶこと。そして叫ぶこと。そしてなお、叫ぶこと。

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