ある一瞬の、ある一点の

今週から始まる講義で使う資料が足りず、ひさしぶりに彼女と東京で落ち合い、本屋に行ったのです。彼女はフィールドワーカーなので、研究のデータは海外の熱帯雨林なり日本の森林なりに出向いて集めなければなりません。ぼくはまがりなりにも思想系で研究をしているので、基本的には論文や書籍が彼女でいうところのデータのようなものにあたります。いまは便利な世の中なので、論文も書籍もネットでも手に入れることができます。無論、図書館もありますし、時間があればこの日のように本屋さんに行っても良い。いわばそこが、ぼくにとってのフィールドです。本屋でフィールドワーク。研究者としては安直に過ぎますが、それでも、大げさに言えば、現代日本社会においてぼくらの研究している分野がどのように捉えられているか、資本主義というフィルターを通して、けっこう面白く見えてきたりもするのです。そうそう、OZONの丸善では「共生」フェアなるものをやっていました。共生って、何でしょうね。しばらくそのフェアをやっている本棚の前で茫然自失としていました。

それから数日後、大学の院生部屋にこもってレジュメを作っていました。最近は頭痛がいよいよ酷く、薬を飲み続けです。それでも、資料をひっくり返しつつ講義の構想を思い浮かべるのは、とても楽しいことです。勉強するというのは、とても楽しいことです。ぼくはそれに気づくのに、長い長い時間を必要としました。でも、それはそれで、きっと昔のままのぼくでは見えなかったものも見えるようになったと思っているので、別段、後悔することはありません。

暗くなる前に大学を出て、ちょっと遠出です。二年ほど前に彼女と自転車で散歩をしていたときにふと見つけた、鶏肉の専門店に行こうと思ったのです。専門店といっても、住宅街の細い路地に面した小さなお店。でも、そこでぼくらは鳥のから揚げを買い、大通りに面したベンチに座り、ふたりでむしゃむしゃと食べていました。ぼくを支え、ぼくを形づくる大切な記憶のひとつ。

二十年近くの昔、人形劇の部活で遅くまで残り、真暗な帰り道、コンビニで肉まんを買ってふたりで食べながら帰った冬の夜。そんなささやかなことこそがずっと記憶に残ります。いつまでもくっきりと輝き、ぼくの生を照らし続けてくれます。

ともかく、その鶏肉屋さんに行こうと思ったのです。頭痛が酷いので、きょうは自転車ではなく歩きです。彼女はいないので、足下を這う蟻んこなどを眺めつつ、ぼんやり歩いていきます。時折、散歩中の犬と出会うと挨拶をしたりして、飼い主さんに不気味がられたりもします。何だか、妙に幸せです。

ようやく着いた鶏肉屋さんは、けれども、閉店していました。数年前に彼女と行った際、既にだいぶお年寄りのご主人が営業していたので、もしかしたらもう、お店をたたむことにしたのかもしれません。寂しいことですが、所詮はただ通り過ぎるだけの人間であるぼくには、それに対して何かコメントする権利がないのもまた、確かでしょう。結局、そこからさらに歩いて、駅前で彼女と落ち合い、いつもどおりのスーパーでいつもどおりの買い物をして帰りました。けれども、いろいろなことすべてをひっくるめて、何だか良い一日だったなあと思ったのです。

良い一日。美しいものを見ました。寂しいものも見ました。寂しさのなかには美しさがあります。美しさのなかにもまた、寂しさがあります。良い、ということは、恐らく、とても厳しいものなのだと、ぼくは思います。

頭痛が酷くて、起きていられないとき、畳の上で転がり、頭を打ちつけ、殴りつけ、涎を垂らし、涙を流しつつ、けれどもふとそのぼやけた視界の向こうに、畳の目が見えます。その畳の目が、途轍もなく美しく見えるのです。それは、その美しさはきっと、その瞬間、その一点に集中するからこそ顕わになる美しさです。

それは、F値を開放したときの、レンズの向うに見える光景です。ある一瞬の、ある一点に集中したぼくらの視線。

東京で会ったとき、彼女が、ハリネズミをぼくにくれました。ぼくは彼女に、小さな小さなお話を渡しました。

すべての一瞬一瞬をかけがえのないものとして、記憶していたい。苦痛も恐怖も後悔もすべてひっくるめて、きっとそこに、人生の美しさが顕れてくるのだと、ぼくは思っています。

生きている限りぼくらには

始発の下りに乗り、三日ぶりの家路につく。徹夜続きのせいか動悸がおかしく、うまく眠りに潜りこむこともできないままに地元の駅へ着いてしまう。ホームの自販機で冷たい缶コーヒーを買い、だらしなくネクタイを緩め、だらしなくベンチにもたれる。それがぼくの、数少ない息抜きのひとときだ。どのみちアパートに戻ったところで、埃の積もった床と冷蔵庫のなかの腐りかけの牛乳以外に、ぼくを出迎えてくれるものもない。ひたすら過酷な労働が続くだけの職だから、二年を過ぎたころには同期のほとんどが辞めていた。独り暮らしの家ではもちろん、会社でも私的な会話を交わすような相手はいなかったけれど、それが気楽でもあった。

――まあでも、それもそろそろ限界かもしれないよなあ。最近、独り言が多くなった。甘いだけの缶コーヒーを啜り、ホームの天井を見上げる。――ほんとうに、そう見えるよ。あんまり無理をしたらだめだよ。突然隣から声が聴こえ、慌てて顔を向けると、そこにはいつの間にか若い女の子が座っていた。しばらく驚きのあまり声もでないままその子を見つめていたが、ぼくの顔をにこにこと眺めているその子を見ているうちに、ぼくの心がふと和んだ。どこかで、納得している自分もいた。――こんにちは。いや、おはよう、かな。とりあえず挨拶をしてみる。彼女もにっこりと笑い、――おはよう。と挨拶を返す。そうして、ぼくらはしばらく、まるで旧知の友人同士のように、どうということもない雑談を交わした。

やがて向かいのホームに出勤するサラリーマンが目につき始めるころ、ぼくは立ち上がり、彼女に別れを告げる。――ありがとう。おかげでいい気分転換になったよ。彼女は、私も楽しかったよと答えてから、気遣わしげに尋ねてきた。――ずいぶん疲れているみたいだけれど、きょうはお休みの日なの? ぼくは苦笑いを浮かべる。――いや、家に戻って二、三時間気を失って、目が覚めたらシャワーを浴びて着替えて、そしてすぐにまた会社へとんぼがえりさ。彼女は少し寂しそうな表情をしていう。――そんな生活を続けていたら、身体を壊しちゃうよ。深刻さというものにはもう耐えられなくなっていたぼくは、わざと軽薄に混ぜ返す。――なんと、幽霊に健康の心配をされてしまった。彼女はびっくりしたように目を見開く。――気づいていたの? ぼくは思わず笑ってしまった。――そりゃそうだよ。そもそもきみ半透明だし。彼女は慌てたように胸の前に手を組み、上目遣いにぼくを睨む。――いやいや、そういう意味じゃないし。けれどもそれは彼女の冗談だったようだ。表情を緩め、くすくすと笑いだす。――やれやれ。じゃ、本当にもう帰らなきゃ。――うん。しっかり休んでね。ありがとう、と答え、ぼくは改札に降りる階段へ歩いていく。下りホームにも既に幾人かのサラリーマンがいて、ぼくを胡乱気に眺めていた。よれよれのスーツにぼさぼさの髪。寝不足の充血した目で独り言を呟いているとなれば、ぼくだって薄気味悪く思うだろう。けれども、そんなことなど気にならないくらい、ぼくは気分が良かった。アパートの部屋に辿りつき、敷きっ放しの布団に倒れこむとそのまま意識を失う。夢も見ない真暗な眠りのなか、なぜか懐かしい匂いに包まれていた記憶だけが微かに残った。

それからも相変わらずの日常は続いた。家に帰れるのは週に二回もあれば良い方で、激務に耐えかねたチームのメンバーはどんどん入れ替わっていった。激務であることはぼくにとっても同じだったが、けれどそれは同時に、何も考える必要がないということでもあった。増え続ける預金残高に比例して体調は悪化していったが、それすらも、ぼくにとってはどこか心地よさを伴うものだった。要するに、逃げていたということなのかもしれない。それでも、たまに家に帰れるとき、地元の駅のホームで幽霊の女の子と話す時間だけは、本当の意味で心が安らぐ時間だった。ぼくの身体を心配する彼女の言葉は適当に聞き流し、彼女とどうということのないお喋りをするのがぼくは好きだった。生前の記憶をすべて失っていた彼女は、自分がなぜ幽霊になったのかも分かっていなかった。――でもさ、やっぱり何かこの世に心残りがあるから、きみはここに居るんじゃないの? 何度目かになるその問いに、やはり彼女は首を傾げるだけだった。――そうなのかもしれないけれど、でも特に何も思い当たらないのよね。いまだって、あなたのことが心配だっていう以外には気がかりもないし……。――いやまあ、俺のことはいいよ。すると彼女は怒ったようにいう。――良くない。あなた、自分の顔、最近鏡で見た? まるで骸骨みたい。私よりもよっぽど幽霊みたいだよ。失笑するぼくの足を、彼女はひとつ空けた隣のベンチから足を伸ばして蹴ろうとする。もちろんそれは、ぼくを素通りするだけでしかない。半透明の彼女は、全体的にくすんだ白。けれど不思議なことに、頭のなかで想い起こすとき、全体が灰色で塗り潰されたぼくの生活の中で、彼女と過ごすその時間だけは、微かに明るく色づけられていた。

ある朝、いつものようにぼくはホームで彼女に会う。けれどベンチに背を向けたままホームの端に立つ。――そんなところにいたら危ないよ。そうにいう彼女には答えず、呟く。――こうやってさ、仕事仕事で自分を追い込んでいけばいろいろ思い出さずに済むかなとか思ったりもしたけれど、当たり前だけどさ、なかなかそうはいかないよね。振り返って、不安そうな顔をしている彼女に微笑みかける。――俺も、きみのところへ行けば、もう何も思いださないでいられるのかな。そうしてきみと……。言いかけたとき、ふいに彼女がぼくに駆け寄り、ぼくの顔を、ホーム中に鳴り響くほど本気で平手打ちをした。彼女は泣いていた。――馬鹿じゃないの! 死ぬなんて馬鹿よ。大馬鹿よ! 彼女の泣き声と頬の痛みで、ここしばらくずっと靄がかかっていたいたような頭が、急にすっきりしたような気がした。ぼくは妙に晴れ晴れしく笑ってしまいながら彼女に答える。――死ぬなんて馬鹿だって死んだ人間に言われてもなあ。第一、いまきみに引っ叩かれたとき、俺、ホームから落ちそうになったんだけど。彼女は慌てたようにごめん、と謝り、泣き顔のままぼくと顔を見合わせると、そのまま笑いだしてしまう。ぼくらはそのまま、隣り合ってベンチに座る。そのときはじめて、ぼくらは間を空けずに座っていた。彼女は真面目な顔をするとぼくにいう。――あのね、生きることは義務なんだよ。生きている限り、みんな生きなくちゃいけないんだと私は思う。私はあなたに生きていて欲しいと思う。死んだひとはみんな、きっと、生きているひとに生きていて欲しいと思っているんだよ。ぼくは苦く笑う。――勝手だな。――そう、すごく勝手だよ。でもそれは死んだ人間の権利で、そうして生きている人間の義務なんだと私は思うな。ぼくはそっと、彼女の手に自分の手を重ねる。もちろんその手は、掠ることもない。――さっきさ、きみ、俺に触れたよね。触ったっていうか殴ったよね。彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめる。――だからごめんってば。でもほんと、言われてみると不思議ね。どうして触れたのかな。――どうせだったらさ、あのとき、きみにキスでもすれば良かったよ。彼女はふいに優しく微笑み、ぼくのほうが逆に恥ずかしくなってしまう。――バカね。そういってぼくの額を突く彼女の指は、もちろん、ぼくに触れることはなかった。

しばらくして、ぼくは会社を辞めた。無駄に溜まった貯金を使って、もう一度大学へ行くことにしたのだ。もう一度、ぼくはすべてをやり直そうという気持ちになっていた。最後の日、会社の若手たちが無理矢理時間を作り、ぼくの送別会を開いてくれた。意外にぼくは、彼らに好かれていたらしい。三次会までつきあい、別れ際、彼らにくれぐれも無理はするなよと伝える。若い連中は笑って、先輩じゃあるまいし端からそんなつもりはないですよ、と言っていた。そのドライさには苦笑するより他なかったが、おかげでそれほど心配せずに去ることができた。

最終電車に間に合い、地元の駅に着く。どこかで予想していたが、誰もいないホームには彼女が独りベンチに座っていた。ぼくはいつものように缶コーヒーを買い、彼女の隣に座る。――あのね、結局最後まで、私は自分が誰なのか、何のために幽霊になったのか思い出せなかったけれど、でも、何だかもう、やるべきことをやったっていう気がするの。――……うん。――でね、次の電車に乗ろうと思うの。それに乗れば、あの世っていうのかな、とにかく私が本来行くべきだったところに行けるから。どうしてかは分らないけれど、でも分るの。――……うん。彼女は清々しいように、けれどどこか寂しげに笑う。――何だか、とっても楽しかったな。本当にありがとうね。ぼくは一瞬上を向いて瞬きをする。少し滲んでいた風景を、無理矢理もとに戻す。――やっぱりあのとき、キスでもしておけばよかったな。――……ほんと、バカね。そうしてぼくらは、つなげない手を黙ってつないでいた。

やがて、来るはずのない電車が、音もなくホームに入ってくる。彼女は立ち上がり、開いたドアの前まで歩いていくと、くるりと振り返って見たこともないほど素敵な笑みを浮かべた。――じゃ、さよなら。ぼくは座ったまま、笑顔で軽く手を振る。――さよなら。また会おう。彼女の目に涙が溢れる。

彼女が電車に乗り、発車のベルが鳴ったとき、ぼくは思わず声をかけていた。――あのさ、本当は……。けれどもそこで扉が閉まり、彼女とぼくを隔てる。もの問いたげな彼女に、何でもないというように首を振る。互いに笑みを交わす。そうして、電車はどこかへ去っていった。――本当は、俺、きみのことを良く知っていたんだ。誰よりも良く、さ。これは独り言。そうして、最後の独り言にしようとぼくは思う。

それからぼくは大学をやり直し、幾度か引越しを繰り返し、何人ものひとと出会い、そして別れた。電車に乗ってどこかへ向かうとき、ふと、これがこのまま彼女のいるところへ通じていたらな、と想像するときもある。けれども、まだそのときではない。ぼくは彼女と約束をした。生きている限り、生きている人間には生きる義務がある。それはあまりにも身勝手な死者の願いではあったけれど、その身勝手さこそが、きっと死者と生者を結ぶ愛なのだと、窓の外を流れる景色をぼんやり眺めながら、ぼくは考える。目的地に着き、ホームに降り立つ。眼が痛むほど眩しい日差しと熱せられたコンクリートから立ち上る熱気。汗が不快に背中を流れる。世界が割れるような蝉の声。

生きている限り、ぼくらには生きる義務がある。大丈夫だよ、というように、いまはもういない彼女に、ぼくはそっと手を振った。

記憶は頭の外に在って、だからどうしようもなく

合宿に行ってきました。自分の発表があるわけでもなく、仕事は仕事でなかなかに大変な状況なのですが、無理を言って平日にお休みをお願いして全日参加です。場所は伊東。ネットで調べたところ、スーパービュー踊り子号というものがあるらしく、生まれてはじめてグリーン車なるものに乗ることにしました。このひと月ふた月、論文その他にだいぶがんばった気がしています。そのうちの一本は、自分でも(無論まだまだとはいえ)現時点で書きたいことをある程度書けたので、ある程度は満足しています。仕事と論文とその他もろもろで、さすがに頑健さと気合と根性と粘着気質な怒りの塊であるクラウドリーフさんも、少々お疲れ気味です。我ながら嫌な性格ですが、とにかく、ちょっとグリーン車などに乗って気分転換とか思ったわけです。プチブル。

出発日の朝、行きがけに地元の郵便局に寄り、まずはその日の消印有効という投稿論文をぎりぎりで提出しました。そのまま横浜に出て、いよいよスーパービューです。ななんと二階建ての電車。これもまたはじめてでワクワク。クワクワとアヒルのように鳴きつつ電車に乗り込みます。座席は窓際海側一人掛け。さすがにグリーン車だけあって、ゆったり座ることが可能です。行きがけに読もうと思っていた論文をリュックから取り出していると、何と呼ぶのか分りませんが、乗務員のひとがやってきて、「コーヒー飲むか、紅茶飲むか、オレンジジュースもあるぞ」とお勧めしてくれます。ぼくは飲めもしないのにお願いしてしまいます。見栄を張って「コーヒーを。ブラックで」などと。倒置法。

ところでいま、すでに合宿は終わり、自宅でこのブログを書いているのですが、さっきまで頭痛で倒れていました。身体というのは面白いもので、無理を超えると強制的に電源が落とされる。

それはともかくグリーン車です。最初はゆったりした座席で、無駄に贅沢して、なんてのん気に思っていたのですが、やはりやめた方が良かったとつくづく後悔をしました。こういう言い方をすると嫌がられるというのはよく分っているのですが、基本、ぼくは自分をクソ野郎だと思っています。実際、ぼく以上に性格の捻じ曲がった人間をぼくは知りませんし、目的のためなら手段を選ばないその非道徳性にも、我ながら怖気をふるいます。たまたま真面目そうな見た目と雰囲気を持って生まれてしまったため、たいていの場合ぼくの腐り加減に気づかれないということにもまた気が滅入ります。

「死にたくなる」とかいう表現は、ほんとうに嫌いです。生きている限りにおいて、ぼくらは全力で生きなければならない。ただ生きるだけであったとしても、真剣に呼吸し、歩き、腕を広げてくるりと回る。それだけでも、一生懸命、まさに命を懸けて生きることは可能です。それでも、他人に丁寧な口調で接せられると、「死にたくなる」のです。それは憂鬱になるなどといった言葉では表現しきれない何かです。ちょっと、病的かもしれません。普通のことかもしれません。分らないけれど、でも、乗務員のひとに「何かお飲み物は」などと言われた瞬間、確かにぼくは死にたくなります。ぼくは、そんな人間ではない。ひとを平気で見捨て一切の後悔をしない、小器用なだけの才能と誠実そうな見た目と、そんなものでひとを騙して、ここまで生きてきました。「何かお飲み物は」という呼びかけは、自分のクソさ加減に対する告発として、ぼくに突きつけられます。ちょと何をいっているのか良く分らないですね。まあでも、「死にたくなる」はそのままで、「生きなくてはならない」ということでもあるはずです。どのみち、生きることは、少なくともその一部は、死者に対する義務としてぼくらに課せられたものだと、ぼくは思います。

淹れてもらったコーヒーを「にがーい」などと思いつつちびちびと飲みながら、他人の論文に目を通します。けれどもやはり、あまり興味のない論文を読むのは苦痛です。今朝方出してきた自分の論文のコピーをひっぱりだして、やっぱりこの結語が素晴らしいよね、などと独りでにやにやしながら眺めたりします。

そうして、少し眼が疲れ、ふと窓の外を見やると、見覚えのある光景が目に映りました。低い山に囲まれ海に面した、こういっては何ですが少々うら寂しいような小さな街。駅前のお土産物屋さんの並びを見て、すぐに思い出しました。湯河原です。子供のころ、夏になるとぼくらの家族は、母方の祖母と一緒に(船員だった父は居ないことが多かったのですが)数日間ここで逗留したものです。毎年毎年。いまは立派に腐ったぼくがグリーン車の窓から眺めるだけですが、そのころは湯河原に行くのが楽しみで、その道中すら楽しみで、鈍行の電車のなかで食べる冷凍みかんのおいしさときたら、他に比類すべき何ものもないほどでした。子どもだったぼくは湯河原の街を走り回り、だから、いま高架の上を走りながら見下ろす街の道々は、そのまま、ぼくの記憶となって立ち現われてきます。風景が、二重写しになります。子供だったぼくが街のそこかしこに居るのが、はっきりと見えています。

伊東につくころには、もう、へとへとです。あまりにへとへとなので、合宿のあと、ちょっとした魔法で彼女を召還しました。もちろん、召還するということは、召還されるということでもあります。お互いを召還し合い、そのまま遊びに行ったり、あるいは帰宅したりする研究室のひとたちとは別れ、ぼくは伊東に残りました。その晩、台風の影響で、雨が強く降っています。宿の窓を、雨が強く叩いています。個人的に雨の音は耐え難いのですが、彼女がいるので、大丈夫です。節電のせいか、宿には常夜灯もありません。だけれども、どんなに真暗であっても、となりにその存在を感じます。

翌日の帰りもまた、こんどは踊り子号ですが、グリーン車です。クラウドリーフさん、こう見えてそんなにやわではありません。がらがらの車内、ゆったりと伸ばせる足。平気でグリーン車に乗り込んで、「死にたくなるなんて莫迦みたーい」と嘯きつつ、ふんふんとのん気にはなうたなんぞを唸っています。グリーン車には、人っ子一人乗っていません。だから背もたれだって倒してしまったりもするのです。ちなみに、電車にせよ飛行機にせよ人生初、背もたれを倒しました。信じてもらえないかもしれませんが、彼は普段、そのくらい慎み深く遠慮深い人間なのです。

結局、グリーン車には最後まで誰も乗ってきませんでした。子供のころ、湯河原に行く鈍行列車は、もっともっと混雑していて、もっともっと楽しそうな喧騒に満ちていたように思います。嘘か本当かは分りませんが、所詮、頭の中にあることの真偽など、問うだけ無駄だというものです。それは永遠に真であり、かつまた、つねに偽でもあるのですから。

***

まだ論文の翻訳や学会発表などはありますが、今年締め切りの自分の論文は一段落しました。後期の講義資料を作ったりもしなければなりませんが、またしばらく、二週間に一度くらい物語を書いていこうと思います。

All existence you’ve never dreamed

羽
60mm、F3.2、1/125秒、ISO200、AWB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

顔
60mm、F2.8、1/160秒、ISO200、AWB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

葉‐硝子
60mm、F2.2、1/125秒、ISO200、AWB:オート、クリエイティブスタイル:スタンダード

なぜそんなありきたりの日常をわざわざブログに書くのさ

プリンタを買いました。モノクロレーザー。いままではプリントアウトするものがあれば、わざわざそれだけのために四谷にでも出てFedExへ行くか、あるいは大学へ行っていたのですが、最近は学会の雑務その他でプリントアウトする必要が増えてきたのと、あとは論文などの執筆量も若干増えてきているので、思い切って買ってしまったのです。場所は取るけれど、やっぱり便利ですね。夜中に論文を改稿して明け方プリントアウト。翌朝出勤途中と昼休み、帰宅時に読み直し。帰宅後改稿して明け方プリントアウト、翌朝出勤。そういったサイクルで無駄なく動けているように思います。クラウドリーフさん、いったいいつ寝ているのでしょうか。無論仕事tyげほんごほん!

ここまで書いて思ったのですが、これ、本当にどうでもいい話ですね。以前誰かに言われたのですが、まあそのひとはブログに対して批判的なひとで、自分の日常生活なんてインターネットで公開して何の意味があるの? という極めてヴィヴィッドな問いかけをされました。ヴィヴィッドとか格好良いから使ってみましたけど別に格好良くないですね。そのときぼくが何といってブログ的なものを弁護したのかもう忘れてしまいましたが、案外弁護なんてしなかったかもしれません。そうそう、ブログで日常生活を書くなんて意味わかんなーい、みたいに。

だけれど日常生活を書いてしまうのです。最近はなかなかに勤勉な日々を過ごしています。仕事はあいかわらずですが、それ以外の時間は論文を書いているか、論文を読んでいるか。飽きると筋力トレーニングに励んでいます。食事も節制して、ほとんど禅僧のような生活です。禅僧の生活なんて知りませんけれど。

冷却ファン
60mm、F2.5、1/30秒、ISO160、WB:オート、クリエイティブスタイル:Adobe RGB

クリップ
60mm、F2.5、1/30秒、ISO160、WB:オート、クリエイティブスタイル:Adobe RGB

下の写真のクリップは、先日ひさしぶりに相棒と少し散歩をしたときに、彼女に連れられて入った文具店で購入したものです。最近はなかなかそういった時間もとれないので、……などという言い方はあまり好きではない。とれないのならとれば良いので、だからとるのです。嘘も不義理も平気です。睡眠時間だっていくらでも削れます。まだまだ、いろいろ余裕です。最近、眼鏡が妙にずれると思っていたら、顔がやつれて少しだけ細くなってしまっていたからでした。細く、といえば聞こえは良いですが、何のことはない、朝方、薬を飲む前の自分の顔を洗面所でぼんやり眺めると、これはもう薬中のチンピラ以外の何ものでもない。

けれども、楽しいことばかりです。今回の論文は書いていてほんとうに楽しいし、9月からはいよいよ講義も始まります。女子大で教えるなんて、女性恐怖症のぼくには不可能犯罪、いや犯罪はいらないですね、不可能ですが、心の平穏を守るために被っていくお面の準備もばっちりです。やはり犯罪ですね。

なぜそんなありきたりの日常をわざわざブログに書くのさ、と昔あるひとに訊かれましたが、答えは簡単。ありきたりは、ありきたりではないからです。きょうも一日、良く生きました。それは途轍もなく大したことで、途方もない喜びです。誰もが知っているように、ぼくもまた、ありきたりではなかった日々を知っています。だから、ありきたりの日常を書くということは、それ自体で、ありきたりではないものをぼくらに強要してくる世界に対する、ぼくらの勝利の記録なのです。

今朝、数ヶ月ぶりにコーヒーを飲みました。

ごくありふれた日々の生活。

そんな、感じです。

The days of 136 degC and 5km/h

CPU温度が136℃になっていました。あまりに騒音が凄いので切っていたファンのひとつを復活させたのですが、案の定うるさい。うるさいというより、もはや周囲の音が何も聴こえない。まるでマシンのなかで、三百人の反抗期の若人が暴走行為に励んでいるようです。しかもそんなに反社会的活動に勤しんでいるにもかかわらず、あいかわらずの136℃。しかし考えてみれば当たり前でして、そもそも連中の乗っているバイクなんてものは市場経済システムのなかで生産された、資本主義のひとつの成果であり象徴のようなものです。そんなんできみ、反体制、反社会を気取るのか、莫迦ではないのか? という話でして、だからCPUの冷却効果だって望めるはずがありません。ぼくは本当に嫌いなんですよ。与えられたもので、与えられた場所で遊んでいるだけなのに、それがシステムへの反抗だ、みたいにのほほんと思い込んでいる連中が。走れよ、自分の足で。お前たちが見下している大人たちが作った社会でこそ初めて生産可能となった靴を履かず、服を着ず、裸で、洗っていない髪を振り乱し、言葉でない言葉を叫びつつ舗装された道路ではないどこかを走れよ。とそこまでいってしまえば、もはやそれは判りやすく二元化された世界観を超え、要するに生きること、それ自体が顕れてきます。CPUの冷却効果です。

ちょっと怒りますけれども、だからさっきからCPUが136℃のままなんですけれども、要するにそれは単なる通過儀礼以上のものではなく、それがまさに「通過」である以上、彼ら/彼女らは最初から社会に対する根源的かつ本質的な「反」など欠片も持ち合わせてはいなかった。本当の「反」というのは、ただの反発などではなく、反れ、逸脱し、どこかへ行ってしまったきり行方不明となってしまうようなものでしかあり得ません。

そういうわけで、話はまったくつながっていないのですが、ぼくは超のつく安全運転主義者です。超安全ウンテニスト。平均的な人間の歩行速度である5km/h以上では自転車を運転しません。速度を出すのは嫌い。そんなんで「格好良い自分を演出」とか「社会のルールに逆らう俺格好良い」とか、本当に阿呆ではないでしょうか。もうこの時点で、相棒に「悪い言葉遣いをしたらダメ、絶対!」と容赦ない制裁を喰らっているところですが、安っぽい反抗ごっこに対する憎しみというのは我ながら不思議なほど根深く強くありまして困ったものです。けれども、金属の塊である自転車と自分の肉体だけで、かなりの重量になります。それで5km/hというのは、まあ、予想外の何かに遭遇したときに対応可能なぎりぎりの範囲です。ぼくは目は悪いのですが動体視力は良いほうなので、道を這う蟻んこだって数mm単位のあざやかなハンドル捌きで避けて走れるレベルです。

けれども土砂降りに遭遇したのです。こういうときはさすがに困ります。さっさと大学へ戻りたい。けれど雨のときこそ用心しなければなりません。みんなヒャーなんていいながら速度を上げて顔は下げて突っ込んでくる。危ないですね。ぼくが最初にいた大学は自転車のマナーがあまりにひどく、学生たちの通り道に「自転車はマナー良く乗りましょう」とかいう看板が立てかけてある。恥ですね。恥辱です。おっとCPUの温度が136℃です。さっきから一向に下がらない。だから土砂降りの雨も良いのですが、雨に煙る向うから時速5km/hの自転車が近づいてくる。しかも背筋を伸ばして顔をまっすぐ前に向け、辺りを睥睨しながら近づいてくる。何のホラーだよ、と思いつつも時速5km/hです。ずぶ濡れで、でも何だかひどく愉快です。

ひどく愉快で、ようやくCPUの温度も下がり、マシンの調子も良くなってきたようです。いちおう今日締め切りの論文がありまして、だいたい1万文字+αなのでそれほど分量はないのですが、まだ3000文字程度しか書いていません。大丈夫なのでしょうか。きっと大丈夫です。安っぽい反抗は反吐が出るほど嫌いです。ルールが与えられたのであれば、そのルールの中で、かつルールを逸脱するほどに勝てばよい。判りやすい敵、判りやすい反抗の対象なんて、在るはずもありません。自転車の航行速度は、5km/hで十分です。進路の先にいる小さな虫を避ける極わずかな足捌きに、ぼくにとっての反抗が存在します。

Stay normal

ある日、雑務を片づけるために神保町を歩いていました。土曜日の昼過ぎ、道はなかなかに混んでいます。ぼくは何しろ地味で目立たないという才能の持ち主ですので、どんなに混雑している通りでも、ひとにぶつかることなく、ひとの進路を妨げることなく、空気のように歩いていきます。すると向こうから、何かの圧力のようなものが近づいてくるのに気づきました。人びとがその圧力に押されるように左右に分かれていきます。見れば、夏場であるにもかかわらず、おそらく彼の一切であろう衣服を厚くまとったホームレスの男性が、何やら呟き時折喚きながら歩いているのです。道を往く恋人同士、休日出勤の会社員、あるいは近くの大学の学生たちは、みな目を背けるか露骨に嫌な顔をするかあるいは完全に無視をするか、いずれにせよみごとなまでになめらかに、彼を中心とした空白を作りつつ流れていきます。

良くある光景、といえばそれはその通り。けれども、彼の眼をふと見たとき、そこに浮んでいた世界との断絶に、やはり言葉を失わざるを得ないのです。

言うまでもなく、眼は、受動的であると同時に能動的でもある器官です。それは、ぼくらの魂と世界をつなぐ、もっとも直接的でもっとも透明な通路です。けれども、彼の眼は既に、何も受け取らず何も与えない、ただ真黒に燃え上がる怒りの熾火をその向うに見せる分厚いガラス窓でしかありませんでした。それはとても寂しく悲しい光景です。

けれども、こんな言い方が許されるのであればですが、ぼくは、彼を見やるある人びとの眼に浮ぶ嘲笑、軽蔑、唾棄あるいは侮蔑のほうにこそ、よりいっそう深く徹底した断絶を感じます。

ぼくは、別段ヒューマニストでもモラリストでもありません。むしろ相当に低い人間性を持っていることを自覚しています。他人のことなど、基本的には知ったことではありません。自分にとって大切なひと以外と交流するほど人生に余裕があるわけでも、彼ら/彼女らの苦境に手を貸せるほどの才能を持っているわけでもなく、そもそもそれだけの関心をさえ持ってはいません。

それでも、ぼくは、自分と、異臭を放ち無意識のうちに罵詈雑言を垂れ流しながら歩く彼との間に、原理的な差異などまったくないことを知っています。ぼくはいつでも、容易にそちらに踏みだすことができたし、それは恐らく、いまでも変わらないのです。ぼくはたまたま、鈍感で愚鈍で倣岸で、そしてさらに/にも関わらず友人に恵まれていたに過ぎません。彼に対する侮蔑の視線が、もし自分もまたそうなり得ることへの不安の裏返しとしてではなく純粋な蔑視であるとするのであれば、ぼくはその自らは安全であるという無根拠な自信こそ理解できません。

***

昔、ぼくは本ばかり読んでいるような子どもでした。あまりひとと話すこともなく、いつでも本を通して、その登場人物たちと会話をしていました。特に翻訳文学が好きだったので、気がつけば、どこか翻訳調でしか喋れないような人間になっていました。

それに気づいたのは、ずっとずっと後になってからのことです。あるとき知り合い、そしてすぐにとても大切な友人となったひとに、ぼくの話し方のおかしさ(それは異常さということではなく、可笑しさとしてでしたが)を指摘されたのです。そのひとと話すたびに、ぼくは彼女に、そんな話し方をするひとはいないよ、と笑いながら(これもまた、嘲笑う、ではなく、笑うでしたけれども)言われたものです。

そしてまた、当時のぼくは、ある独特なボディ・ランゲージを使っていました。これもまた、他人とまともにつきあったことがないが故のものだったのかもしれません。いまにして思えば我ながら確かに相当奇妙なものでしたが、そのときのぼくとしては極自然にそうなってしまっていたわけで、やはりそれをそのひとに指摘されるたびに困惑し、笑ってごまかすしかありませんでした。

それはきっと、ある種のリハビリだったのではないかと思うのです。そのひとに根気良く、優しく笑いながら指摘され、ぼくは少しずつ、目立たない、普通の人間になっていきました。

普通というのは、けれども、決してありきたりなことでもありふれたことでもありません。むしろそれは、途轍もない幸運と透徹した意志によってこそ、はじめて可能となるものです。いえ、きっとそれだけはまだ足りず、ぼくらはどれだけ努力をし、注意をしても、容易に普通ではないところへと逸脱していってしまいます。ましてや、自分という立ち位置に安穏とし惰眠を貪るような者には絶対に為し得ることではありません。ぼくらは容易に逸脱し、そしていつか、眼が分厚いガラスの牢獄となり、その向うで永劫の火に燻る魂を閉じ込めることになる。普通であるということはそれだけで奇跡であり、従ってバタイユの言葉を真似ていうのであれば、「ただ生きる、そのためには神であることが必要」なのです。

彼とすれ違い、ほんの数歩進んだとき、ぼくの後を歩いていた若者たちが、口々にその匂いや見た目について、口さがなく罵倒していました。心から楽しそうに。ぼくは少し歩を緩め彼らを先に行かせ、その足下を眺めます。堅く舗装された歩道などどこにもなく、見えるのはただ、綱渡りの綱のように危うく崩れた瓦礫の上を、そうとも気づかず、あるいは決して認めずに歩んでいく彼らの姿です。

そしてもちろん、ぼくの足下もまた、何ら変わるところはありません。

――普通でいるということは、やはり、恐ろしく難しいことだね。ぼくは頭のなかで、いつものように、もうそこでしか会話をすることができない無数の人びとのひとりとなったそのひとに語りかけます。――その話し方、変だよ。あたたかなそのひとの声が、ぼくを、この世界にそっと、つなぎとめてくれます。