歯に銀を詰めたんだ。このサイボーグ感がたまらないね。

ブログを書いていないあいだに、庭では気の早いアマガエルが雨になると鳴き始め、裏の山では鶯がすでに上手に囀っています。ガマガエルたちは無事に卵を産み、ふたたびどこかへ帰っていき、季節はすっかり春のようです。とはいえ、ぼくは春があまり好きではありません。多くの生き物たちが出てくるのは嬉しいのですが、その分、目にする死もまた増えてしまうからです。それでも、時間はどんどん先に進んでいきます。

時間。
あいかわらず仕事はいっさい先が見えません。それでも、四月から契約形態が少し変わり、時給もほんの少しだけあがりました。歯医者にも毎週休まず通い、あとふたつみっつ、気の重いことを先に進めれば、ほんの少しだけ、まともな生活に近づけるのではないかと思います。先日、研究仲間の単著構想会(要は、お互いがんばって単著書こうぜ、という集まりです)に参加し、また他の研究会にも誘ってもらい、ひさしぶりに研究者として活動している気持ちになりました。学会活動からはなるべく遠ざかるようにしていますし、今年は投稿論文も書かない(単著原稿執筆に集中する)つもりですので、そういうところに誘ってもらえるのは、とてもありがたいことです。おつきあいで研究者の集まりに顔を出すのはもう十分ですので、あとはもう、自分にとって意味のあるものにだけ参加していこうと思います。

研究。
そういえば、数日前、遅れていた共著本が出版されました。出版ぎりぎりで表紙デザインが決まらないということになり、急遽、執筆者のひとりとして写真を幾葉か出版社に送り、結局そのうちの一葉が使われることになりました。けれども、これは、嬉しい反面、がっかり反面です。嬉しいというのは、まあ、何はともあれ自分の名前で自分の写真が使われるというのは嬉しいということ。がっかりというのは、送った写真のなかでも、もっともつまらないものが選ばれてしまったということ。これは、ぼく自身は良いのですが、他の共著者のひとたちにはかなり申し訳ないなあという気持ちになり、だいぶ落ち込みました。しかし、けっこう攻めた写真も送ったのですがそちらは採用されなかったので、要はぼく自身の才能のなさということです。それは受け入れるしかありません。できあがった本を彼女に見せたところ、やはり表紙はちょっとねえ・・・、という素直な反応がありました。それでも、ふたりで、安い不二家のケーキを買い、ちょっとだけお祝いをしました。

お祝い。
そういえばずっと昔、とある大学院を受けたとき、小論文と作品提出みたいなものが一次試験で、それに通ったあと(結局二次で落ちたのですが)、まあお祝いだよねという謎理論で、少しだけ良い時計を買ったのです(ほんとうに少しだけ。でも、値段が問題ではないですよね)。だいぶ気にいってつけていたのですが、ある日、バンドと時計本体を繋いでいる小さな金具が錆びて折れ、それ以来、腕時計をつけることもありませんでした。けれども先日TOEICを受けた際、やはり腕時計がないと不便であると改めて感じ、彼女と散歩をするついでにいかにも地元の時計屋さんという感じのお店に入り、その、本体とバンドが分離してしまった時計を修理してもらったのです。その時計屋さんはほんとうに昔からあるようなお店で、暗い店内の奥の上がり台のようなところにお爺さんが居り、作業台と材料棚のなかにぴったり収まっています。直してくだされい、とお願いをすると、どれどれとにこにこしながら手に取り、ぼくはてっきり修理に一週間くらいかかるからきょうは渡すだけかしらと思っていたら、その場で何やら呟きつつ、すぐに修理を始めてしまいました。彼女とぼくは手持無沙汰になり、とはいえそういうときに意外と図太い彼女は、さっそくガラスケースの端に積んであった雑誌を手に取り、眺めはじめます。ぼくもとなりに座って一緒に眺めることにしました。それは、時計の雑誌で、後ろのほうには中古時計屋さんの商品紹介ページみたいなものがたくさんあります。小声で、お互いにどれが良いとか話しつつ、20分ほど待ったでしょうか。それとももっとでしょうか。時計屋さんのなかなのに、なぜだか時間の流れがゆったり減速し続けていくような雰囲気で、何分くらいかかったのか、正確には分かりません。それでも、やがてお爺さんが直してくれた時計は、しっかり部品が噛み合い、つけた感じもばっちりになっていました。お礼を言って(もちろん料金も払い)お店を出て、しばらく歩いていると、彼女が、あのお店、昔祖母と行ったお店かもしれない、と言いました。もう十数年昔のこと。だけれど、お店にいたお爺さん、まったく変わりがなかったようだよ、と、不思議そうな顔をしています。

不思議。
最近、また、この世界のものではないものを見るようになりました。というと少しおかしなアレですが、そういうものを、ぼくは、ほとんどのひとが見ているのだと思っています。まったく見ないひとがいるとしたら、それは、そちらの方が恐ろしく異常なことです。ともあれ、最近見たもの。ひとつは、家の掃除をしていたときのことです。カーテンを開け放つとガラス越しに庭を眺めることができます。ふんふん言いながら掃除機を振り回していると、ふいに、その庭を、何か黒い人間のようなモノが通り過ぎました。もちろん、見た瞬間に、それが不法侵入をした誰かであるとかいうことではないのは、分かります。そうしてそういったものは、不思議と、後になればなるほど、記憶のなかではっきりとした輪郭を持つようになっていくのです。ふたつめは、あれはどこに行っていたときのことでしょう、ふと電車の窓から外を見やると、狭い路地裏で、赤と白の縞々模様を塗られたカラーコーンのようなものが、十数個連なり、お正月の中華街の龍のように渦を巻いて踊り狂っていました。けれども間違いなくそこに音はありませんでした。どちらも、いま、ぼくのなかでますますはっきりとかたちをもって再生されるのです。

研究仲間にこんなことを喋っても、それはそのままでは伝わらないし、伝わったら逆に日本のアカデミズムを心配してしまうのですが、そういった日常の諸々が積み重なり、やがて、自分にとっての研究につながっていきます。ぼくは辛うじてコンピュータを使えます(というか、それが本職です)。それのおかげで、学会やら何やらの片隅で、どうやら、にこにこしながら雑用を片づけている限りは、居るのを黙認されているようなものです。でも、それはどうせ、そんなに長続きするものではありません。とはいえ自分のやっている研究が、誰にとっても無意味であるとは思わないのです。そういう言葉がかつてあったということを残すためにも、やはり(まともなふりをして混ぜてもらっている共著ではなく)単著を、いまのうちに書かなければならないと思うのです。

そんな感じで、楽しく暮らしています。

スタビンズ君は海を眺めていた

ノートの容量がすでにぎりぎり一杯になってしまっているので、音楽ファイルをすべてUSBメモリに移した。そのUSBメモリをノートの右側に挿し、左側のUSBに挿したBluetoothレシーバー経由でBackbeat Go 2で聴く。USBメモリもBluetoothレシーバーもアクセスランプが青色LEDで、何だかやけに青く眩しくぴかぴか光る。情報が右手から流れ出しノートを経由して左手から入りこみ、左耳に入って脳を経由してまた右手に流れ込んでいくのを感じる。

相変わらず仕事は仕事で何とか行き最終ばかりの日々だけれど、そしてきょうもせっかくの休日が他人に押しつけられた無給の仕事ばかりで潰れたけれど、それでも何故だか、妙にのんびりと時間が流れているような気がする。学会に投稿するような論文を書くのを、いま、やめてしまっているからかもしれない。夕方、切れていた門灯をLEDに変えたり、人感センサー付きの防犯ライトを新たに追加してますます家を要塞化したりして、そのあと風呂場を洗い、3時間近く風呂のなかで浮いたり沈んだりしていた。先週、ようやく懸案だった歯医者に行った。実にひさしぶりだったので、歯科技術の進歩にはだいぶ驚いた。きょうは確定申告書類を少し書いた。普通に生きるというのは大変だけれど、大変なだけの価値はある。ひとをまともな生活のひとつも送れない屑のように言いながら厚顔無恥にも仕事を押しつけてくる連中にも、もうだいぶつき合った。ただ、連中の、自分は善人で、自分は正義だという異様なまでの確信がいったいどこから来るのかは、結局最後までよく分からなかった。とはいえどのみち、そういった意味での「普通」には、ぼくは、あまり興味を覚えない。普通は、愚鈍や厚顔さなどとは何の関係もない。

TOEICの受験票が届いた。そうして改めて気づいたのだけれど、ぼくには身分証明書がない。パスポートもだいぶ昔に切れてしまったし、運転免許証は持っていない。写真付きの身分証がなくては試験が受けられないらしい。まあ、それは何とかなるだろう。だけれども、どのみちパスポートを取りに行こうと思う。それもまた、普通に生きるためのひとつの大切な手段だ。別に誰かに自分が誰であるかを保証してもらわなければならないほど自己確証が弱いわけではない。社員証や免許証や、そういった身分証明書が「社会人」ならあって当たり前、と思うような連中の「普通」を、繰り返えすけれど、ぼくは糞喰らえ、と思う。良い年をして何を言っているだと思うのなら、それはそれで構わない。ぼくも別段、きみに何かを伝える気はない。だけれども、表面的にはそれとまったく同じように見えても決定的に違う理由によって、身分証を手に入れに、時間を作って街へ出ていくというその行為全体が、意味のある「普通」を指し示している。

* * *

いまはロフティングの”The Story of Doctor Dolittle”を読んでいる。子供の頃に井伏鱒二訳でずいぶん読んだ。ストーリーは大まかに覚えているし、本文は平易な英語なので、英語が苦手なぼくでも楽しく読める。冒頭にこんな言葉が書いてあった。

TO ALL CHILDREN
CHILDREN IN YEARS AND CHILDREN IN HEART
I DEDICATE THIS STORY

良いな、と思う。ぼくなんかが書いても嘘くさくなるだけかもしれないけれど、いま、少しずつ手を入れている出すあてもない単著の原稿や同人誌に掲載するお話は、そんなふうに書けたらなあ、と思っている。

まっとうに生きています

先日、少々用があって立川へ行った。彼女と待ち合わせ、用事を済ませた後にしばらく街を歩く。ミリタリーリフレなどという広告が出ていて、ひさしぶりに外に出ると、世界はほんとうに摩訶不思議なものごとに満ちている。ふとディスクユニオンがあることに気づき、ふたりで入る。昔、新宿にヴァージンレコードがあったときは、仕事帰りに散歩がてら立ち寄り、ふたりで安いCDをジャケ買いしては、外れたり予想外に良い音楽にあたったりして楽しんでいた。そんなことを思いだす。彼女はあるCDを1枚、ぼくはぼくで、パット・メセニーのイマジナリー・デイを買った。パット・メセニーはライヒの演奏をしていたことで知っている。家に戻り、ふたりで彼女の買ったCDを聴く。聴きながら、イマジナリー・デイの奇妙なジャケットをつらつらと眺める。すると彼女が、これは暗号なんじゃないの? と言う。なるほどなるほどと思い、ふたりで頭を寄せ合って解読をした。

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CD本体が解読盤になっていて、ページ先頭の色に合わせて回転させると、記号をアルファベットに戻すことができる。それぞれの記号が可愛らしくも美しい。

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同封されたブックレットの1ページ目。

試しに解読してみた。

Back to the imaginary day…
All sound was perceived as music.
Music as the spoken language.
The fabric of music dressed the human soul.
Imagination was the currency of existence.
Soul power was measured in sound.
Hearing way intrinsically the same as listening.
All of human history…(以下疲れて止めた)

さらにためしに翻訳してみた。英語力ゼロの私による超訳。

想像力に満ちていた時代を思いだすんだ・・・
すべての音が音楽であったあの時代
人の口に語られる言葉としての音楽
音楽は衣服としてひとびとの魂を美しく彩っていた
想像力は存在するものにとっての通貨だ
魂の力は音によって量られる
「聞く」ということは、本質的に「聴く」ことと等価だ
すべての人類の歴史が・・・(以下略)

何だかすごくニューエイジっぽい感じがする。今朝はだいぶ憂鬱なことがあり気持ちが沈んでいたけれども、本質的に(良い意味で)ばかばかしいこういう遊びを見ると、少し元気が出てくる。元気が出てくると文体も変わる。文体が変わると気持ちも明るくなってくる。まあだいたい、人間なんてそういうものかもしれない。

ともかく、ぼくの英語力はだいぶ酷い。半笑を浮かべながらでなければ、とてもではないけれど翻訳などできない。だいたい、英語で話すことを強制されるとストレスでコロリと倒れる。倒れたぼくの周りを都会の人びとは足早に歩き過ぎていき街の寒さが身に凍みるがそれなら森に帰れという話だ。そろそろ森に帰ろうとは思っているがしかしまだその時ではないので、彼女とTOEICを受けることにした。というよりも、強制的に受けさせられることになった。泣きながら彼女に対価を要求しても、自分のためでしょと極真っ当な反論を受けてコロリと倒れる。

諦めが良いのと、諦めれば病的な粘着気質によって作業を始めるのがぼくの良いところだ。いまは空き時間をみてはちびちびとTOEIC対策として単語を暗記する日々。使っているのは『新TOEIC TEST出る単特急金のフレーズ』という単語帳。”Tex Kato stars in the film”。十日間かけてだいたいこれは覚えた。しかしそんなTex Katoのキャリアも、”Tex’s career came to an abrupt end”ということになる。いったい彼に何が起きたのか。すべてが謎のまま人生は過ぎていく。

ここしばらくは、一切論文を書くのをやめている。学会やら研究会やらに出ることも止めた。プログラミングの仕事がずっとピークだし、訳の分からない無報酬の押しつけ仕事も山積みだし、病院にも行きたいし税の申告もしなければならないし講義のシラバスは作らなければならないし、まったく暇はないけれど、そんなんでも、俺の生活は俺の生活だと思って心静かに英単語を覚えつつ過ごしている。

私はそのすべてを覚えている

参加している同人誌ができあがりました。落ち着いた色の表紙、謎めいた太古の生命の脈動を感じさせる表紙。とても良いできで気に入っています。論文を書きながら、仕事をしながらの参加だったのでだいぶ疲労困憊しましたが、不思議と、楽しかったという記憶しかありません。とはいえ終わったわけではなく、すでに次号の準備が始まっています。打ち合わせがてら訪れた鹿島神宮で、次に書く物語がふと思いついたので、再び論文を書きながら仕事をしながら、大変ではあれ楽しい日々が始まるのでしょう。

表紙

私はそのすべてを覚えている

海

澄んだ水たまりに映る景色

会社で使っているパソコンの1台は、マザーボードの電池が逝ってしまっている。偶にしか立ち上げることはないのでそのままにしているけれど、その「偶に」が来たときには、そのたびに時刻の設定をしなければならない。日時は2000年だったか2001年だったか、とにかくそのくらいの年の1月1日0時0分0秒に初期化されている。それを、一気に2015年まで進める。ちょっとしたタイムトラベルの気分を味わえる。それは相当にぞっとするような感覚を伴うものだ。

翌日仕事なのに3時4時まで寝つけない夜は、つらつらと動画を眺めたりする。最近よく聴くのはJBK時代のMick Karnのライブ演奏。彼独特の演奏スタイルの格好良さがあると同時に、音楽への純粋な喜びがあまりに地中海的にストレートに表現されていることに、陳腐な言い方だが、胸を打たれる。などと思っていると、どう見ても紛れ込んだスタッフにしか見えないRichard Barbieriがぼそぼそとシンセを弄っていたりして思わず笑う。The d.e.pのときの彼のベース演奏も素晴らしく良い。何より無駄にカメラ目線の笑顔が良い。Mick Karnが亡くなってもう4年が過ぎる。そのことにちょっと驚く。

既に居ない人間の笑顔や演奏が、動画や写真を通してそこに在るというのは不思議なことだ。その「在る」は、ただ目の前に本人が居るときよりも際立った「在る」でもあり、同時に、「無い」ことを絶望的に浮彫にする「かつて在った」でもある。ライフログなんて能天気なことを言っているいまの時代こそバルトの写真論をもっとまじめに再読するべきなのだろう。ぼくらは何も考えずにスマートフォンで小奇麗な食べ物を撮ってFacebookにアップしたりする。けれど、意味のない記録は意味のない記録に過ぎず、記憶をともなわないそれは、パソコンの時刻設定を早送りするときのあの早さと軽さ以上の意味を持ち得ない。

この世界に存在するあらゆるものがメディアで、この世界にかつて存在したあらゆるものの痕跡が刻まれている。それはただの記録ではなく、歴史だ。ぼくらは頭蓋骨センサの振動を通してそれらをすべて読みだすことができるし、読みださずにはいられない。

ほんとうの意味で怖いのは、「在る/かつて在った」を突きつけられることではなく、単なる、徹底的に単なる早送りの方だ。パソコンの時刻送りが、概念としてあらゆるところへ滲出していく。それを止めることはできないけれど、道を歩いていてその水たまりを見つけると、慎重に避けて通る。恐いもの見たさでその水面を眺めれば、映っているのはあまりに澄んであまりに青く高い、ひとの気配のない静かな世界だ。苦しみも悲しみもないその世界の魅力はよく分かるけれど、ぼくはまだ、そこに行こうとは思わない。

recognized reality

先日、彼女とふたりで、NHKの未来予想みたいな番組を観ていた。第二回か第三回か、ともかくシリーズもののやつだ。初回も少し観て、未来のライブはヴァーチャルなアレが何とかでどうとか言っていて、阿呆くさいCGの人形がうようよ蠢いていて、そのあまりに陳腐な「未来像」に怖気をふるってすぐに観るのを止めた。サカナクションが出るというので期待をしていたのだけれど、思うに、あれではライブにこだわる山口一郎さんもできあがった番組を観て愕然としたのではないかと思う。未来=ヴァーチャル。その古臭さに、思わず十数年前にタイムスリップしたのかと思った。そういった意味では、確かに時間と時代について考えさせられる番組ではあった。

それでも、とにかくぼくは忘れやすいし、講義に使えるような話の種が何かあるかしらと思って、その第何回かのもまた観てしまったのだ。ぼくはほんとうに忘れっぽい。とはいえ、根本的には陰惨な性格にもかかわらず能天気に生きているのはこの忘れっぽさのおかげなので、それはそれでありがたい。ともかく、この回もまた耐え難く酷かった。例によってヴァーチャルで、老人が孫やら子供やらとウィンドウ越しに会話をしたり食事をしたりで、繋がっていて、わぁハッピーハッピー。受け流して見なかったことにするにはあまりに地獄的な状況で、あの惨たらしさに対して、番組制作にかかわっていた連中はほんとうに何も感じなかったのだろうか。あまりの酷さに畳の上で転がり、彼女に「あぁあぁぁあぁあチャンネル変えて、チャンネ・ル・カエ・テ!」と叫んで、まるでこれではちょっとどうかしているひとのようだった。

驚くほど同一の感覚に基づいたものを、そういえば、彼女とぼくは、とある不動産会社の「未来の家の在り方」みたいなものの展示イベントでも見てきた。あれも相当に酷いものだった。日本に居る家族が、ヴァーチャルウィンドウ越しに海外に住む祖母の誕生日を祝うとかいう小芝居。ぼくらはともに偽装隠蔽の達人なので、他の参加者と一緒ににこにこしながらロールプレイに参加していたけれど、終わって密やかに逃亡し二人きりになってからげろを吐いた。

まったく、よくもこんな人間と何十年にもわたりつきあってくれるものだと彼女に感謝をしかけるけれど、考えてみればNHKの番組をカエテ・カ・エテ! と叫んでもなかなか変えてくれないのも、行きたくないよなあと言っても無理やり展示イベントに連れていくのも彼女で、これはいったいどうなんだろう。それでもまあ、経験は経験だ。ぼくはカタツムリが極度に苦手で、あれをカワイイものだと強要してくる教科書や新聞やあらゆるメディアに対して殺意を覚えるけれど、子どもだったころ、親に、「経験は経験だ」と言われて無理やりエスカルゴを食べさせられたことをいまでも狸のように執念深く覚えている。

自分の研究について言えば、ぼくは技術に対して肯定的でも否定的でもない。単に、それは避けがたいリアルだと思っているだけだし、そのリアルさを語る言葉をアカデミックな(すなわち糞のような)場で表現しようとしているだけだ。しかし敵か味方かに分けたがる人びとは、ぼくを技術肯定主義者か否定主義者に分類しようとする。そうじゃねえんだよ、とは思うけれど、最近、そろそろ諦めることを覚え始めた。リアルのなかに生きていない人間というのは確かに存在するし、ないものを伝えるほどの才能はぼくにはない。そこにリアルはあるよね、と、知っている誰かにこっそり話しかけて、そうだね、と答えが返ってきたりあるいは相手はたいていもう死んでいたり、それでお終い。それで良い。醜い人間とかかわるほどの時間を、ぼくは持たない。ほんとうは誰もそんな時間は持ってはいない。

いずれにせよテクノロジーとは何の関係もなくリアルはある。そうして、テクノロジーとは何の関係もなくリアルはない。どちらも地獄だけれど、同じ地獄であるのなら、ぼくは少なくともここが地獄であるということを忘れないでいられる地獄であって欲しいと思う。そしてそうであるのなら、そのときそれは地獄ではなく、単なるリアルになる。

道を歩いていても電車に乗っていても、スマートフォンを眺めてぽちぽちLineだがゲームだかをやっている人びとがいる。そのことを批判したりするひとたちがいる。それはそれでそうかもね、とは思う。スマートフォンを弄っている人びとの目つきには、正直なところ、確かに恐怖を感じることがある。でも、道を歩いているときに救急車がサイレンを鳴らしつつ走りすぎていく。そうすると、立ち止まってじっと眺めているひとがいる。そういった人びとの目つきも、ぼくは同じように怖い。それは、あらゆるものを貪欲に飲み尽くす口しかない、不定形の真白な化物をぼくにイメージさせる。そしてその化物のなかには、何もない。ただ、茫漠として空虚だ。決して神の風は吹かない。だけれど、そんなことはどうかしている人の言葉だ。自分でもよく分かっている。「救急車が通るときにさ……」と言うと、それがスマートフォンの話と何の関係があるんだよ、という顔をされる。ああ、こいつにはリアルがないんだな、と思う。真白な化物。

最近、外に出るたびに緊張と恐怖で体調を崩す。まあ、でも、それもそれでひとつのリアルではある。

A happy new year without otoshidama

あと30分でPCのバッテリーが切れるので、それまでにこのブログを書き終えようと思います。時間制限付きというのは、どんなときでも面白いものです。最大値はもちろん寿命が切れるまで。短いようで、案外長いものです。

年明けには例年通り墓参りに行きました。いまさらですがぼくは親戚の子どもたちにお年玉をあげたことがありません。恐らくみなさん、眉を顰められたことでしょう。まったくほんとう、ダメ人間の極北です。親戚にひとりはいる困った叔父さんぼくの伯父さん。ぼくだってそういうところでまっとうな人間を演じたいのですが(そしてぼくは自分をこれ以上ないほどまっとうな人間だとも思っているのですが)、どうしてもそれを演じきれないところに自分の屑さ加減が現れているのでしょう。それ以上のことを説明するには自分の人生と同じだけの時間がかかりますし、何しろ残された時間はあと30分しかないのです。

とにもかくにも正月中には自分の時間がほとんどなかったので、結局普段の土日と何が違うのかよく分かりませんでした。それでも家の窓を拭いたりして、狭い庭の向こう、隣の家の屋根を超えたほんの隙間から真青な冬の空が見えたりして、息を吐くと部屋のなかでも真白だったりして、身体の震えは止まりませんが、どうしようもなく心が安らぎます。

そう、自分独りでいるときには、ぼくは冬でも暖房を使いません。だから、指がかじかんでキーボードを打つのも一苦労です。身体を動かさなくては熱を熾せません。本を片手に持って読みながら、音楽に合わせて踊ります。ただ、夜になると、そうそう音楽を鳴らすわけにもいきません。近所に響くほどの音でかけているわけではもちろんありませんが、要するにひどく小心者なのです。

ちょうど使っていたイヤフォンが壊れたこともあり、Backbeat GO 2を買いました。Bluetooth接続で、夜中だって爆音で音楽を聴きながら、ヘイヘイ! とダンスをしまくります。気の重いことばかり降り積もる日々ですが、そんなもの、踊ってさえいれば、みなどこかへ振り落とされてしまいます。ぼくほど運動神経のない人間もそうは居ないので、まるで壊れたロボットのような動きです。それでも本人が楽しいのですから、何も問題はありません。

聴こえてくるのは酷くチープなリズムマシンの音。でも、だからといって悪い音であるわけではまったくありません。超絶テクニックによる生楽器の演奏だからといって良い音になるわけではないのとまったく同じです。良い音、悪い音の違いがどこにあるのかは分かりませんが、それは、良い研究、悪い研究を判別するのとまったく同じ回路によって判断されます。それはある種の嗅覚です。

ぼくらは大抵、そういった匂いに敏感になるようにと育てられます。だけれども、たぶんそれはあまり幸福なことではありません。匂いに敏感になればなるほどこの世界は生き辛くなりますし、何より、いちばん悪臭を放っているのが自分自身だというどうしようもない現実に気づかざるを得なくなるからです。などと言うと、そういう生き辛いのはお止めよと、最近しばしば彼女に言われます。考えてみれば、生き辛い人間はその周辺にも生き辛さ電磁波みたいなものを放射しているので(怪しげ!)、これはまったく良くありません。

そんなこんなで、今年はいっそう能天気に生きていこうと思います。予想される未来に明るい話題はあまりないかもしれませんが、時間は寿命のぶんだけ残されているので、それはそれで呑気に対応していけば良いのでしょう。短いようで長い人生。実はこのPCも、とっくに電源につなげてしまっているのです。