夜空のミンコフスキー・ダイアグラム

最近、暇な時間にprocessingでandroidのアプリを作る遊びをしていて、うわあ、何だかほんとうに暗い生活だなあ、ともかく以前に購入したSIMカードなしのスマートフォンにインストールして動かしたりしています。このスマートフォンにはCDからダビングした音楽をたくさん入れてあるので、プログラミングをしている間はそれをかけっぱなしにしたりもします。でも、最近のアプリはあれですね、ダウンロード前提でデザインされているから、ぼくみたいにCDからダビングしてローカルで聴くという人間には、ちょっと使いにくい。慣れればそうでもないのかもしれませんが。

やはり根が古い人間なのか、音楽はCDで買う派だし、本は紙が好き派です。ダウンロード販売などもってのほか。いやまあそこまで原理主義的にやっているわけではありません。カメラだって銀塩ではなくてデジタルだしね。でも、kindleとかはどうもやはり肌に合いません。紙の質感とか、匂いとか、そういったものすべてを含めて、一冊の固有の本です。それが好きなんですよね。

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近頃、AIとかDeep learningとかいう言葉が世間を騒がしていますが、ほんとうにその下品さが嫌で嫌で、いやもちろん、それを専門に研究しているひとたちが口にするのは構わないのですが、どうも何だか、ほんとうにそのことを話しているのかな? という気がしてしまいます。先に『現代思想』のことを腐しましたが、でも、人工知能特集のときの西垣通さんの論文だけはさすがに読む価値があります。ああいった議論をこそメディアは冷静に取り上げるべきだと思うのだけれど、やっぱりあまり面白くないからということになってしまうのでしょうか。

まあ、あんまり大した話ではありません。AIとかってね。やがていつかどうなるかは、それはもちろん分かりません。ぼくは反技術主義者ではないし、技術は行けるところまで行くしかありません。J=L.ナンシーの言葉を借りれば「そもそもそれ自体として限界を知らないものに対して限界を設定するというのは問題となりえない」。これは『フクシマの後で―破局・技術・民主主義』という本からの引用ですが、この本はほんとうの名著です。機会があったらぜひお読みください。そう、それで、技術はどこまで行くか分からないし、「理性でコントロールしよう」とか言っちゃっている限り、人間は決して技術の本質を知ることもない。それでも、少なくともいまの時点において、AIは技術的な問題というよりも、単純に無知と経済的な問題なのだとぼくは思っています。

もちろん、ぼくだって無知です。無知無知している。でも同時に、ぼくらは誰も無知ではない。囲碁の話とかもありますが、あれほんとうに、ぼくは不愉快だし、怖いのです。だって、囲碁ってそんなものではないですよね。石の手触り、それを盤面に置くときのカチリという音、対面している棋士たちの表情、呼吸、その場全体の匂い。定石の歴史、その一手一手に想いをはせること、自分の打った一石、その一瞬のことをやがていつか誰かが想うかもしれないと想うこと。うーん、5桁の乗算を人間よりも電卓の方が素早く行うことに対して感じる以上のことを、どうしてぼくらがいま感じなければならないのかが分からない。でも、感じるのであれば逆に、ぼくらは電卓のなかで起きていることにだって驚異を覚えることができるはずです。だってそれ、人間の歴史が生みだしたひとつの結晶なんだもの。

そんなことを言うとすぐに、お前は反技術主義者だとか言われるし、逆に技術は進むものでしょ、と言うと(言うのですが)、お前は計算機至上主義者か、とか言われる。学会のなかでも一部の仲間以外からはみそっかす扱いですね。えー、クラウドリーフがいると鬼ごっこもつまんねえんだよなあ。まあ良いですけれども、でも、人間の生って、そんな二元論じゃないだろぉ! そうだろぉ! と思ったりもします。

きょう、ついに刷り上がった研究会誌が届きました。ぼくの私用の手持ちは20冊なのですが、たった20冊とはいえ、これが重い。ずっしりしていて、宅配されたのを受け取ってから、よろよろと玄関までの階段を上っていきます。研究者には別枠から配る予定なので、この20冊は自分の知人に配る分になります。これと、あとはちょっと前にできた文芸誌の第2号もセット。興味のない人にはアレなアレですが、でも、なかなかにアレなアレになったという確信はあります。

当然、原稿の入稿はpdfファイルでやります。最後の校正もタブレット上でやりました。そうするとすごくきれいなんですね。表紙のデザインとかは上に書いたprocessingで作っているし、そういったのって、デジタルに映える。でもやっぱりそうではないんですよ。いやそれでも良いんだけれど、別にそれを排斥しようというのではないんだけれど、紙に印刷して仕上がってものは、やはりまた格別です。もちろんそれはデジタルテクノロジーでデザインされたものだし、出力されたものだし、配送されたものです。だから、原理主義的にどちらがどう、ということではない。ないなかで、でもやっぱり紙の本が好きなんだよね、という、その中庸感覚って、実はけっこう気合いと根性がいるものです。こっちだと言い切ってしまえば話は分かりやすいけれど、でも、現実って、そんな二元論じゃないだろぉ! そうだろぉ!

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何にせよ、これを、あちこちに配るのです。ひとつにはNYにいる友人に。彫刻家である彼は、彼女とほとんど同じだけ古くからの友人ですが、いま、情報技術に関心を持ち始めているんだよ、と、このまえ電話で話していました。自分自身の彫刻のスタイルを果敢に変えていくその姿勢には圧倒されます。でも、何より、ぼくとはまったく異なる感覚を持った誰かが、遠くの地で、同じ何かに対して関心をもって制作をしているというのは、とても面白いし、何やらこれは見えてくるのではないかな、という高揚感もあります。

最近、別の友人にメールを書いていたときに、急にルネ・ドーマルの『類推の山』を紹介したくなって、本棚から引っ張りだしてきました。

「おわかりのように、私には試金石がありませんでした。けれども、私たちが二人になったという事実が、すべてを変えるのです。仕事が二倍だけ容易になるということではない。不可能だったことが可能になるのです。ちょうどある天体から地球までの距離をはかろうというときに、あなたが地球上のある既知の点をあたえてくれたようなものだ――計算はまだ不可能です、けれども、あなたが第二の点をあたえてくれればそれは可能になる――そうすれば私は三角形をつくることができるからです。」

三角形! ぼくらの脳内のシナプスが共鳴し、鋭くも荒々しい光の線が、天空に巨大な三角形を生みだします。そうして恐らく、それはただの点と点と点ではなく、それぞれの点がミンコフスキー・ダイアグラムの巨大な円錐が接するいま・こことして、途方もない拡がりを秘めています。

身に余る光栄です

彼女にカップラーメン禁止令を出されました。確かに健康にはあまり良くはないでしょう。とはいえ、コンビニのおにぎりが良いとも思えませんし、結局、自分でお弁当を作るしか選択肢がなくなってしまいます。朝、ぱぱっと作れるものとなるとサンドイッチくらいしかありませんが、素材をきちんと選べば身体に悪いということもないでしょう。無論、サンドイッチといえども奥は深く、パンの焼き方一つをとっても出来不出来の差がだいぶ出ます。それでも、手さえかければ、毎回それなりの質のものは作れます。当たり前だろうと思われるかもしれませんが、他の料理の場合は、しばしばとんでもない大失敗をします。

特に米は酷い。米を研ぐのが好きなのでそこはまるで何かの妖怪であるかのように丁寧に研ぐのですが、研いで水を切ったまま後で水を足すつもりで忘れてしまいそのまま炊飯器で炊いてしまったり、逆に、水に漬けている時間がないため大量に水を張り、「加圧式高速浸透法だ!」などと叫んでうっかりそのまま炊いてしまいお粥状になったり、いろいろです。まあだいたい塩でもふっときゃ喰える!

あとは目玉焼きですね。目玉焼きも得意。それからあれも作れますね、フレンチトースト。お前はクレイマー・クレイマーのダスティン・ホフマンか、という気もしますが、参ったなあ、当時ジャスティン・ヘンリーとだいぶ近い年齢だったぼくが、いまでは当時のダスティン・ホフマンと同じような年ですよ。そりゃフレンチトーストだって作れるはずです。ベチャ!

いずれにせよ、しばらくは無理のない範囲でお弁当ライフにしようと思います。彼女と過ごすようになってから、料理の手伝いをだいぶするようになったので、キャベツとレタスの違いも分からない、ハスを買っておいでと言われて蓮根を前にしても「ハスじゃねえし」と呟いて帰ってきた彼ですが(しかし彼はPh.D(Agriculture)持ちなのだ、日本のアカデミズムは大丈夫なのだろうか)、最近は少しばかり料理スキルが上がっています。テフロン加工のフライパンをえいやと振って、ホットケーキだって見事にひっくり返すことができます。フレンチトーストもひっくり返す。ベチャ!

引きこもり気味な彼も、彼女と楽しくご飯を食べるためであれば、何とスーパーにあるような肉の対面販売にさえ果敢に立ち向かい、「トリモモニクニマイ!」とか必死に叫びます。「二枚?」「ニマイ!」ハートフルヒューマンコメディ。でも実際はハートレスゾンビコメディ。お肉屋さんのお姉さんと会話することへの恐怖に、目は既にあり得ないほど落ち窪んでいます。それでも、石の下にも三年(陽ざしの下に出たら死ぬ)、お弁当を作れと言われても失神しないくらいには成長しました。

もともと食べることにはほとんど関心のなかった彼です。もう四半世紀近く昔、いやそれは大げさか、ともかく、大学の帰りに彼女とコンビニで肉まんを買い、近くの公園でもしゃもしゃ食べていたころから、食べるもの、食べることそのものよりも、誰と食べるかにしか興味はありませんでした。いまは彼女と一緒に食べるのであれば、彼女は料理が好きなひとなので一緒に作りますが、根本的には、やはり食べ物そのものへの関心はほとんどないままのような気もします。だけれどそんなことはどうでも良いのです。彼女と料理すること、食べる時間をともにすること、その全体が楽しい。ぼくのような社会不適応者には過ぎた人生。どのみち100年200年などすぐに終わる一瞬だとしても、そうである限りはその時間を大切にしなければなりません。

そんなこんなで、これからしばらくはハートフル弁当ライフを送るのです。ベチャ!

シーラカンス体育座り

体育座りをしていた。彼の唯一の娯楽であり、心の平安を感じていられる唯一の時でもある。と、やおら動き出し、人間ドックから届いたレポートを眺める。どうやら脂質云々の数値が良くないらしい。うんどうしなけあ、などとぼんやり思う。再びやおら動き出し、amazonで運動量計などを物色しだす。何と充実した休日でせう。しかしなかなかこれというものがない。彼女に言えばまた無駄な買い物をと言われるかもしれないが、そういうときこそのメディア論研究者の肩書だ。いや肩書も何もないな、自称か。ともかく「あの、これ、ほら、ライフログとかですね、いまふうの現代情報メディアの、自分の研究にも……」などと立派な言い訳ができる。あ、この人、言い訳って認めている! ともかく、ざっと眺めても気に入ったデザインのものは見つからなかった。結局何も買わず、生きていることによるカロリー消費以外には無駄な活動もなかったので、持続可能な社会的には実質プラスの日だったような気がする。

そんなこんなで連休も最後だ。ただひたすら体育座りをしていた。それはあまりに悲惨ではないだろうか。いえそんなこともありません。三年くらいぼんやり庭のカエルや雑草を眺めて過ごすのもまったくかまわないのです。何となればそれが三億年だって良い。シーラカンス座り。子どものころから訳の分からない頭痛に悩まされてきた。眼球を抉られるような痛み。もう小学生も後半になれば耐えるしかないことには耐えるしかないということを学ぶけれど、幼いときにはこれがきつかった。何しろ理由が分からないのだから。だけれど、やがて学び、ひたすら膝を抱えて座りじっと我慢をすることを覚えた。ぼくの世界に対するスタンスは、けっこう、この辺からも形作られてきた気がする。まあ全部嘘なんですけれども、それでも、その忍耐強さにより、無為な休日にも耐えるし、無為な人生にも耐える。じっと自分の頭のなかを眺めている。

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ところで、彼には幾つかまったく理解されない激怒スイッチがあり、そのひとつが、アイソレーションタンクとかに入れられると発狂しそうになるとかいう、下らない小説に出てくるあの話だ。莫迦ばかしい。無論、一生そこから出られないとかであれば大変だが、それは「一生ずっと続く」ということそれ自体が苦痛なのであって、感覚遮断とは何の関係もない。ジョニーは戦場へ行ったとか、そういう真の苦しみの話をしているのではない。感覚遮断なんてきみ、自分の頭蓋骨のなかで何か考えていれば良いだろう、とぼくは思う。以前、ぼくはスマートフォンをしながら歩いていて事故に遭うとか、そういったものに夢中になっている人間の不気味さとか、そういうことだけを指して情報化社会を批判した気になっている研究者に対して、でもそれは表層的なことで、技術が進歩して拡張現実とかになったら、見かけ上(あくまで見かけ上)そういった危険や不気味さは解消されてしまうんじゃないかな、と思っていた。

でも、たぶんそれはぼくの認識が甘くて、ああいったものの根本的な問題は、自分の頭蓋骨の内側に留まることに耐えられない、ということなのだと思うようになった。ぼくらは瞑想の達人でもないし、何かしら時間を消費するものが必要だ。物理的にでも心理的にでもかまわない。なければ(無からではないにしても、いや、無からのはずがないけれども)自分で作るしかない。でもそれはかなりの労力が必要になる。それなら買えばよい。働いて時間を潰し娯楽を購入し、その娯楽で時間を潰す。そのサイクル自体はこの何万年だかぼくらがやってきたことと別段変わることではない。でも、それでも、システムが提供し得るものには限界があり、そこに生じる空白を、ぼくらは否応もなく自分で何かを作りだして埋めるしかなかった。だからもし、見かけ上でもほぼ労力なしで空白を追いやることができるのなら、そうして技術はそういう方向へ必ず伸びるのだけれど、その技術の形態がどうであれ、所詮そこに結びついた人間の姿は同じになる。

こういう話をするとすぐにパーソナルファブリケーションなどと言ってくるひともいるけれど、それだって結局は同じだ。生み出すということは、そういうことではない。前にも書いたけれど、ギブスンの「冬のマーケット」のような、新しい技術が出てきたときにそこで可能となる、だけれどもそれは「新しい」というよりも「初めて可能になった」芸術、そういったものとは全然異なる。異なるのは何かというと、パーソナルファブリケーションとか言っている連中の、生きていることに対する覚悟のなさ、その一点に由来する。

もっとも、ぼくはやはりそれだけではないと思う。これは半分お伽噺で、結局のところ、人間はそんな在り方にこそ、耐えられるものではない。だから救いがある、のかもしれないし、だからやがては破局する、のかもしれない。

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ぼくは体育座りが好きだ。何となれば三億年だって座っているだろう。でも別段、それは孤独でも排斥でも遮断でもない。そんな「点」は、この世界には在り得ない。頭蓋骨の内側の暗闇にはシーラカンスが息をひそめ、アルファケンタウリからの信号がきょうも微かに届いている。

口がない癖に笑うなよ、ただし眼もないが。

もうすっかり春で、蟻や蚯蚓が地面を這っています。たくさんの生き物が現れては死んでいく春はあまり好きではありません。けれどもそれは、あまりに脆弱で、他者の痛みを怖れる臆病で卑怯な自分の心根の表れに過ぎません。だけれども、そういった小さな生き物に惹かれる自分の在り方が決して偽善という言葉だけによって片づけられるものではないこともまた確かであり、もともとぼくはそういった物事への関心をこそ強く持って哲学をしているんだぜ、という思いもあるので、できればここ2、3年のうちに、そのことについて多少はまともな論文を書くつもりです。とはいえ物事には順序があり、まずこの一年はメディア史と美術史についてまとめなければなりません。いったい何の研究をしているのでしょうか。しばしば問われ、大抵の場合は理解されません。でも、ぼくの頭の中では、現代情報技術も歴史も美術も信仰も庭のカエルも、みなすべてひとつのナニカを指示しているナニカです。自分もまたそのナニカへと還るべく、生きている限りにおいては何かしらを書いていかなければならないのでしょう。何故なら混沌のなかを方向も分からず足掻くように溺れるように進み続ける以外に還る方法はなく、ぼくの場合はたまたま書くということがその泳ぎ方のひとつだからです。

そうはいっても、しかし食べていかなければなりません。ぼくはもともと欲というのが極端に薄く、せいぜい、おいしいものが食べたい、働きたくない、毎日遊んで暮らしたい、できれば気に食わない連中は島流しにしたいとか、そんなささやかな願いしか持っていません。それでも、そんなささやかでつましい日常を過ごすにも、この社会ではお金が必要です。働かなければならぬ。何かこう、引き出しを開けたら金塊とか出てきませんかね。そういえば先日掃除をしていたら、昨年どこかで喋ったときの謝礼金がでてきてイエイイエイと踊りだしたのですが、その週の交通費にすべて消えました。そんなんなら、独り言を言いながら電車に乗っているのと同じじゃないでしょうかね。違うか。ともかく、いま、ぼくはフリーのプログラマ(何だか胡散臭い響きですね)として食べるお金を稼いでいますが、さすがに、そろそろ個人としてやっていくことの限界を感じています。個人というのは、やはり、この社会システムのなかでは相当に弱いものだと実感します。ですので、昨年あたりから、法人化のことを考え始めました。法人。変な言葉ですね。法的人間。大江健三郎か。それは性的人間か。

どうせ赤字だとか、続くはずがないとか、ビジョンが見えないとか無謀だとかいい年して夢を見るなとか、まあ、いろいろあります。ですが、何度も書いてきたように、そういうことを言う人びとが、ではぼくの人生にかかわりがあるのかというと、本当にないんですね。面白いくらいに無関係の人間が、関係(本来「関係」とはとても重いものです)があるかのようなふりをしていろいろ言ってくる。ぼくの数少ない長所のひとつは、そういう雑音がほとんど聴こえないというものです。だから、やろうと思っています。

研究仲間が時折、「何をしているのか分からないような連中がそれなりにどうにか喰っていけた時代」ということを言います。いまの社会にはそれだけの余裕がないという意味合いで、彼はそんなことを言うのです。でも、ぼくのような対人恐怖症のコミュ障超人からすると、いまの社会の方が、よほど「何をしているのか分からないような連中」が大手を振ってそこいらに居るように感じてしまいます。ほんとうに、連中、いったい何をして喰っているのでしょうか。だけれど、ほんとうは、彼の言うことも分かるのです。彼の言うところの「何をしているのか分からない連中」には連中なりの必死さがあったのではないでしょうか。リアリティと言っても良いでしょう。リアリティとは、当然ですが、本人がそう感じるというだけではなく、それを聴いた誰かにも正しく伝わり共有されることによって初めて生じるものです。そうして、いまそこいらに居る訳の分からない連中に、ぼくはリアリティを感じない。「何をしているのか」という言葉、「している」という部分に、生に対する必死さ、生きていることの恥をまるごと引き受ける覚悟、要するに美学を感じ取ることができない。無論、ぼくが間違っている可能性の方が高いです。何しろ社会に適応できなかった人間なのですから。

そしてそういう自分自身、けれども、世間のひとから見たら、きっと「何をしているのか分からない」人間なのだと思います。それはその通り。それでも、研究者の世界にはうんざりだと言いながらも研究を続けつつ、プログラミングにだって愛はあるんだぜとぶつぶつ呟きながら企業の片隅でプログラムをぽちぽち打ち込みつつ、それらのすべてが自分の人生として統合された在り方を目指してやっていくしかありません。少なくとも人間は、もしそこに自分のリアリティがあると自分自身に対して感じるのであれば、それを共有する誰かが現れるまで、時代をさえ超えて、生きられる限りにおいて生きなければなりません。

「庭のカエルがさ……」と言います。それはただの言葉ですが、だけれども、同時にそれは、世界に通じる絶対的に固有な、ひとつのリアルな窓なのです。こちらにあるぼくらの全存在から向こうにあるぼくらの全存在のすべてを、そのときが来るまで、不器用な指で焦らず結びつけていけば良い。そんなふうに思っています。

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気に入っていたナショジの鞄が擦り切れてしまって、さすがにこれで外に行ったら悪目立ちをしてしまうレベルになってしまいました。彼女がつくろってあげやうと言ってくれているのですが、さすがにいまお願いできるような状況ではないし、ぼくが自分でやったらたぶん滅茶苦茶になってしまいます。しばらくは引退させていたkenkoのカメラバッグを引っ張りだして使うしかありません。とはいえ、これもお気に入りだし頑丈なので問題はないのです。

ともかく、裁縫については不器用さが直接現れてしまって苦手なのですが、それ以外のものについては意外に器用です。細かな作業が苦にならないし、地道な作業も楽しい。だから、大抵のものは自分で直してしまいます。いや偉そうに言うほどではないな。鍋とかパソコンとか、そんなものばかり。ぼくはソフト屋さんですが、組み込み系で彼是20年近くやってきたので、多少はハードも弄れるし、もともと子供の時分から工作は好きでした。

人形劇をやっていたころは、何しろ部員も少なかったので誰もがいろいろな仕事を兼務していました。ぼくの場合は、脚本、役者、縫いぐるみ以外の人形作り、そして大道具小道具の制作。これがけっこう好きだったのです。近くにJマートという、ああいうの何て言うんでしょうね、そうだホームセンターだ、ホームセンターがあって、そこに行くのが楽しかった。彼女と、あるいは他の仲間たちと自転車に乗って、どっででどっででとJマートまで行きます。木材の匂い。関係のない素材とかも眺めてしまったりして、考えてみれば、ぼくの青春時代の数%はJマートで費やされたかもしれません。最後には自分専用の作業台まで買って、部室に置いていました。

当時のぼくは何しろ頭の悪い若造だったから、すっかり工具から離れてしまったいまの方が、恐らく工作の腕は上がっていると思います。そういうことってあるじゃないですか。やっているときよりも、やめた後のほうが腕が上がる。不思議なものですけれど。でも、それでもやっぱり、当時のぼくの方が面白かったのではないかな、という面もあって、いまのぼくの方が上、というのは、たぶん単純に設計のスマートさとか、無駄な端材を出さない効率の良さとか、そういったある種静的な部分の話なのです。でもそうではなくて、あのときの無心さ、というよりも何かに追い詰められていた一心さからこそ生まれた何かというのもきっとある。それは、いまはきっと、もうできないことです。あの時代、あのときの仲間、あの時の空気全体があって、初めて可能だったもの。もっとも、ぼくはセンチメンタリズムは嫌悪する人間ですので、別段戻りたいと思う訳ではなく、ただ、当時の自分の若さを思うと、他人事のような微笑ましさを感じるのです。

その時に作ったものは、もう何も残っていません。だいたいばらして、次の公演の舞台装置に流用したか、あるいは人形焼(供養)のときに一緒に燃やしてしまったか。工作道具も、大学を中退したとき、全部部室に残してきました。部室棟は変わりましたが、あの部自体はいまでも活動しているので、もしかすると、当時ぼくが錬金術によって作りだした私費で購入した様々な道具類が、埃を被っているか、あるいは現役で使われているかするかもしれませんね。

でも、幾つかのものは、いま、ぼくの手元にあります。極々小さなもの。その一つが、紫檀の端材(印鑑くらいの大きさです)を、徹底的に磨き上げたもの。一週間くらいは磨いていたかもしれません。最後にはプラスティックとかを研磨するための、あの番号がやたら大きい水やすりで、いつまでもいつまでも磨いて、指には幾度も水ぶくれができては破けていました。人形劇の仲間たちはみな、まあクラウドリーフくんだからね、という感じで放置してくれていましたが、いま思えば、やはり多少は病んでいたのかもしれません。分かりませんが。何しろいつもへらへらへらへら、下らないことばかりを言っては皆で笑っていましたからね。まあ、誰もがいろいろな側面を抱えているという、ただそれだけのことでしょう。

ともかく、二十数年前の人生の0.00何%かを使って磨き上げたそれは、いまでもずいぶん、つるつると紫色に光沢を放っています。おかしな形をした無意味なオブジェ。でもなんだか、その滑らかな曲面の持つ寂しさには、昔のぼくらの姿こっそり映っているようにも思え、思わず透かしてみてしまったりするのです。

いいね……こんなきれいな胃、見たことないよ。

しばらく忙しくしていた。いまでも忙しいのだけれど、もう、だいぶ身体が動かなくなってきたので、物理的に忙しさが緩和されている。要するに何も片づかない。とはいえ、生まれたときから対洗脳回路を鍛え続けてきたぼくは、いまさら山積みの仕事を前にしたところで自分が悪いなどとは毛ほども思わない。世界が悪い(断言)。そんなこんなでブログもまったく更新していなかったけれど、昨年一年がんばって書いてきたものがようやく形になり始めていて、決して書くということについてサボっていたわけではないのだなあと、自分でもちょっとほっとしている。とはいえ、既に三月も半ば。今年書かなければならないものも、もう目の前に迫っている。書けるのかな、大丈夫かな、という気持ちはいつでもあるけれど、もやもやした何かがある限りにおいて、最終的には何かが生まれるであろうことへの確信はある。

とはいえ、身体の不調はやはりあり、いくら気合いと根性と粘着気質のハイブリッドであるぼくでも、身体が動かざるいかんすべき ぐやぐや! ぐやぐや! と庭のカエルのように鳴くしかない。カエルのように鳴く。何だかそれも素敵な生活のような気がするけれど、まだカエルになるには早い。いや遅いのかな。子どもの頃、父親によく、「××(ぼくの名前)がまだカエルだった頃、橋の下は寒かったなあ~」と言われ、言われるたびに、ぼくは怒って鳴いていたそうな。いや泣いていた、か。そんなこんなで人間ドックに行ってきた。彼是六年ぶりになるだろうか。あの頃ぼくの頸動脈は美しかった。首筋にヌルヌルしたローションを塗られ、エコーの、あの何て呼ぶんでしょうね、アレを当てて、先生がはぁはぁしながら「いいね……こんなにきれいな頸動脈、なかなか見ないよ……」などと耳元で囁くわけですが、その病院にまた行ってきたのです。今回は肺活量を褒められました。「きみ……何かスポーツやっていた……? それとも楽器とか……肺活量いいね……。こんな肺活量、なかなか見ないよ……」耳元で囁かれます。

そんな謎体験をしつつ、今回の目玉は胃カメラでした。身体のなかに何かを入れるなど狂気の沙汰ですが、彼女に「やってみたら」と言われ、ぼくは素直なので、じゃあやってみるかと思ったのです。しかしこれが大変だった。あ、これから胃カメラをやろうと思っているひとのために書くと、ぼくは極度にこういったものが苦手な人間なので、別段、みなさんが不安に思う必要はありません。だいぶ特殊な事例だと思ってください。胃カメラを入れる前に精神安定剤のようなものを注射されるのですが、そもそもぼくは敵国に捕まったスパイ的な特殊な心理状態につねに置かれている人間なので、もうあれです、「こいつらは俺を薬でぼんやりさせて秘密を吐かせるつもりなんだ」とか、そういうことになる。秘密なんて何もないのですが、対洗脳回路が最大限に稼働し始め、目もクワッと見開いている。クワッ! カエルか。「薬など効かぬわ!」そんなだから、胃カメラを突っ込まれると、途端におげえええ! となります。自業自得。あまりに苦しんでいるので、看護師さんが背中をさすってくれます。その気持ちがありがたい。ところがこの男、知らない人に触られると緊張で吐く。21世紀が誇るハイパーコミュ障なのです。専門はコミュニケーション論。講義のときは学生さんたちに「人間、やっぱり愛だろ」とか言っているわけですね。看護師さんが声をかけてくれます。「大丈夫ですよ、リラックスしてくださいね」「おええええええ!!!!」何かが生まれるであろうことへの確信。

終わってから、いろいろなものに塗れた顔を洗わせてもらい、待合室に戻っていきます。結構繁盛している病院で、待合室には多くの人びとがいますが、皆一様に青ざめた顔をしてぼくを見つめています。それはそうでしょう。扉の向こうから悪魔が生まれてくるときのような呻き声が漏れ溢れていたかと思ったら、当の本人が現れたのです。ぼくはぐっとサムズアップをしてみせます。暖かい拍手。ぼくは生きていてもいいんだ。

胃の中はきれいだったそうです。

ハレタナ・タ・イサナミカ

彼女にくっついて山に行ってきた。といってもハイキングが目的ではなかったので、実際に山にいたのは2時間程度でしかないかもしれない。それでも山のなかにいる間は、麓では最悪だった体調がずいぶんと良くなっていくのを感じた。下りてきて、また体調が悪くなった。
最近、彼女にDSC-RX100M2をプレゼントした。使ってくれれば良いのだけれど、どんなものだろう。ともかく、少し弄らせてもらうと、これがなかなかの名機なのだ。具体的にどこがと訊かれると困るが、とにかく持ったときの感触が素晴らしい。マクロ的にはα700にはまったくかなわないとしても、街歩きにはちょうど良いし、身軽に動きたいときには山でも使える。望遠側は暗くなりすぎで個人的には使い物にならない。でも、どのみちぼくは広角側固定でしか使わない。などと思っているうちに欲しくなり、最近、無駄に仕事ばかりして少しだけ溜まった泡銭により中古でDSC-RX100を購入した。付加機能的にはM2よりも落ちる。でも大きな差はないし、M2よりも薄い。そんなこんなで山に持っていき、少しだけ写真を撮った。キノコの写真を撮っていると、殺気立った心が落ち着くのを感じる。

kinoko

kitune

happa

山で食べたおにぎりは美味しかった。また明日からはカップラーメンをもそもそ食べながらプログラムを眺める日々が始まる。でもまあ、ポケットにRX100を入れておけば、何となく、少しだけ乗り切れるような気がしてくる。