休日

連休中は、めずらしく原稿を書く時間を少し持つことができました。まっとうな研究者としては既にだいぶやる気を失い、今月開催されるとある学会も、ただ記録係りとしてのみ参加するだけです。ああ、一人だけ、興味のある研究発表をするひとがいるので、その発表は楽しみにしているのですが。ただ、ぼくはもう、ああいった「自由な討論」などといった欺瞞を掲げた場で喋るには、あまりに疲れてしまったようです(とはいえもともと途轍もないナマケモノなので、疲れたのか面倒くさくなったのかは自分でも良く分かりませんが)。

それでも、そういったなかできちんと頑張っている研究者は無論たくさんいて、そういうひとたちのことは無条件に尊敬します。要はぼくがつねに社会不適応者だったということだけで、それはいまさら再確認するまでもありません。目指すは不労所得のみでの生活。ともかく、この連休中に書いた論文は、まだ概要ですが、自分でもとても良いものだという感触があります。いえ、もはや論文なのかどうかも不明な文体になってきているのですが、そんなことはどうでも良いのです。ディオゲネスだって学会に論文投稿して査読に通ったとか、そんなことをやっていたわけではない。知らないけれど。

今回書いているのは、神や他者をぼくら人類はどう描いてきたのかを人類史の始原から辿りなおしつつ、いまぼくらが使っているデジタルメディアにおいてそれらはどこに在るのかを、「アケイロポイエートス」という概念を利用しつつ考えてみよう、というもの。まあ、どうって話ではなく、あたりまえのことばかりです。あたりまえというか、もうこれ、明らかに論文で書くべきことではないな。ただ、ぼくはなぜか時折幸運に恵まれることがあり、いまは良い仲間に恵まれて、こういったぼくにも書く場が与えられています。それはとても幸せなことです。だから本気で書かなければならない。もうひとつ、参加している同人誌の方も合評原稿も書きました。これも、自分なりに納得のいくものが書けたので、総体的にみれば、良い休日だったのかもしれません。

などと書くと何やら暗い雰囲気ですが、基本、ぼくのような人間の日常生活は、だいたい能天気に過ぎていきます。この連休中も、なんということでしょう、二回も外へ出てしまいました。一度は彼女と近所を散歩して、もう一度は研究仲間と文明堂カフェに行き、お酒抜きで楽しく話をして、おいしいごはんを食べてきました。あれ、そういえばもう一回、彼女の両親と会った気がするけれど……記憶が混濁していてよく思いだせない……気のせいかもしれません、きっとそうでしょう。ともかく、気の置けない仲間に会って、自分の研究とは別の話を聴けるのはとても面白いことです。ぼくは喋ると、だいたい死についてとか苦しみについてとかこの世は地獄だとか、まあそんな内容のことばかりになることで有名な会話の達人なので、ひとの話を聴いている方が楽しいのです。

文明堂カフェ

はじめに書いた、面白そうな研究発表をするひとというのも今回参加していて、というよりもずっと前から彼とのんびり食事しながら話したいねえと言っていて、今回ようやくそれができたのです。彼の個人サイトは、彼がやっている音楽活動と研究活動の双方が美しく統合されていて、とても良い感じです。ぼくも自分のサイトをブログだけではなくて研究も――こう見えていちおう論文とかはそれなりに書いているので、いや嘘じゃなくて――まとめて伝えられるようなかたちにしたいと思っています。だから、そういったサイトの構成についても訊いてみたかったのだけれど、時間が足りずに訊けませんでした。まあ、それはまたいずれ機会があるでしょう。

文明堂カフェは、なかなか居心地が良かったです。デザートとかはちょっとぼくには甘すぎたけれど、コースターにはあの謎の生物が写っていて、五匹全員の邪悪な目つきと笑みがとてもハートワーミング(心臓に寄生する虫的な)です。のんびりした時間もあっという間に終わり、再び客先クレームに対応しつつ論文を書きつつ会社の設立も準備しつつ何より自分の生活を立て直しつつという日々が始まります。忙しいうちが華とは言いますが、生まれてこの方忙しくなる一方であることからして、どうやらぼくの人生はまったくもって華ばかり。