角膜レトロフューチャー

休みのない日々を過ごしていました。自分の担当しているプロジェクトが山場を迎えており、家に帰れず急遽会社近くのホテルに泊まる、そういったことが続くと、何だかちょっとげんなりしてしまいます。とはいえ、いざホテルを取ってしまえば、翌日早朝から仕事であっても気は楽です。コンビニでおにぎりを買うついでに、真夜中の工場地帯を徘徊します。服はヨレヨレ、髪はボサボサ、目つきは胡乱。どう見ても不審者ですが、中身も不審者なので、それはそれで正しい在り方です。心貌合一。『枯葉色グッドバイ』の椎葉さんのように生きなければなりません。そういえばぼくも、喋り方が変だと、昔はずいぶん言われました。とにもかくにも職質にひっかかることもなく、無事ホテルに戻り、ガサガサとコンビニおにぎりを開封しながら持ち歩いている論文を読みます。寝る前にトイレに行くと、トイレの前には全身が映るくらいの大きさの鏡があります。どうして用を足している自分の姿を凝視しなければならないのか。そんな疑問に悩まされつつ、あとはさっさと歯を磨いてベッドにもぐりこみます。翌朝からは再び終電までプログラム。その間には延々無駄な打ち合わせ。けれども、それはそれで、労働者としてはごくありきたりな姿でしかありません。

民間企業で働いたこともないひとが「労働」を語り、コンピュータをまともに使えないひとが「情報技術」について語る。ぼくはどうも、そういったことへ違和感を感じてしまいます。もちろん、絵を描けなければ美学を語れない訳でもなく、小説を書けなければ文学が語れない訳でもありません。ただ、そこには研究者としての誠実さが必要です。そして、誠実な研究者はたくさんいますし、ぼくがいまでもつき合えているのは(というよりもぼくのような人格破綻者とつき合ってくれているのは)そういった研究者たちです。彼らが誠実であるように、ぼくもまた研究に対して誠実でなければなりません。でも、学会とか大学組織とか、そういったものは、もう無理です。ムリムリ。

ムリムリ言いながらも、先日、とある学会に参加してきました。別段発表をするわけでもなく、単なる記録係です。まったく興味のない大会に仕事の時間を潰してまで行き、挙句に年会費と大会参加費まで支払うという意味が良く分からないことをしつつ、唯一楽しみだった研究仲間の一般研究発表は聞き逃すという、良いとこ無し太郎な感じでした。その上、大会二日目の朝は会場へ行く途中で道に迷い、渋谷の街を延々徘徊することになりました。渋谷の街はまったく好きになれません。一歩歩くたびに精神が削られていくのを感じます。それでも、迷ったときの鉄則に従い少しばかりの高台に辿りつき街を見下ろすと、自分のかかずりあっていることどもの余りな愚かさとこの街の醜悪さに象徴される文化などと呼ばれているものの奇怪な愚鈍さとのすべてが混然一体となり遠ざかり、それはそれとして、死後の魂からの俯瞰のような、ある種の平穏を感じました。

結局、当然のことながら大会参加から得るものなど何もなく、疲労を抱えたまま再び労働の日々に戻り、それでも自分なりのかたちで研究は続けています。誠実でなければなりません。誠実というのは、怖ろしい言葉です。いえ、あらゆる言葉が、本来は怖ろしいものです。言葉はぼくらを殺す。だけれども、それがなくては、たぶんぼくらは生きていられない。最近は無意識のうちに笠智衆の真似をしつつ「困った、困った」と呟いています。

研究とはいっても、別段、論文を読んで論文を書いて、というだけではありません。そんなことを言っているからクラウドリーフくんはだめなんだよ。でもまあ仕方がない。原著至上主義者や海外の学会での発表、海外の研究誌への論文掲載のみが研究であったり業績であったり、それはそれでひとつの考え方ですが、ぼくにとってそれは哲学研究であって哲学ではない。言うまでもなくそれは哲学に対するイメージであり個人的な感想であり、効用を保証するものではありません。それでも、ぼくにとっての哲学は、もっと自由で、もっと恐ろしいものです。そんな訳で、どんな訳か自分でも分からないままに、数週間ぶりの自由な一日、横浜美術館に行ってきました。「複製技術と美術家たち」に行くためです。たまたま彼女が居らず、けれどようやく取れた休みの日が展覧会終了の一日前であったため、実に十数年ぶりでしょうか、ひとりで美術館へ出かけました。自分が社会的な人間としてはもう相当にダメであることを実感しましたが、それでもざっと展示室を廻り、パンフを購入し、這う這うの体で帰途につきました。展覧会自体は何だか無理筋な感じで、「複製技術」という本来なら一本通っているはずの筋がまったく見えてきません。あとになってよくよくパンフを見返すと、「富士ゼロックス版画コレクション」とあります。なるほど、コレクションありきでストーリーを作ったのでしょう。でも、展示されている作品は良いものがたくさんありましたし、それで十分です。

仕事はまったく終わらないままです。困った、困った。でも、この前出した雑誌の書評会を、仲間の研究者が開催してくれます。また、他の研究会で、尊敬できる若手研究者の発表のコメンテーターとして声をかけてもらいました。どちらも、とてもありがたいことです。真摯に研究をしていかなければなりません。そんな訳で、どんな訳か自分でも分からないままに、次の休みはいつになるか分かりませんが、そのときには庭で取れた梅で、梅ジュースを作ろうと思っています。