ダウナー/シャットダウナー

女子大に侵入したときに、「(なにあの人)寒そう(なんだけど、超キモイ、地獄へ堕ちろ!)」という声が聴こえてきました。博士論文を書いていたとき以来の軽い難聴が治らない私ですが、虫たちの声と陰口だけは世界の裏側からでも聴き取れます。幻聴。けれども私レベルになると、道行く人びとが私を見てにやにや笑っても、(1)これは私の妄想である。(2)現実に笑われていたとしても、彼ら/彼女らは私に職をくれるわけではないのでどうでもいい。(3)どうせみんな最後には死ぬんだ。という三択ボタンをランダムに押すだけなので、大丈夫です。最近、あちこちで「大丈夫ではない」という指摘を受けるようになっているのですが、私の超強力な対洗脳回路は他人の意見などに影響を受けません。

けれども、やはり、外に出るのは怖ろしい。一日外に出ると、だいたい三日分の活動エネルギーを消費します。あと街は臭い。びっくりするくらい、東京って臭いですよね。地面の下で川が死んでいる。死んだ水の上にコンクリを張って首都とか言って、莫迦みたいですね。何だかやっぱり、ちょっと心が疲れているのかもしれません。そんなときには座禅です。明日の講義のレジュメをまったく作っていないのですが、一日座禅を組んで、どうやらようやく元気が出てきました。このなけなしの元気をブログを書くことに費やし、もう明日の講義のことなど忘れて寝てしまいましょう。クラウドリーフさんは土壇場でなければ動き出さない人間です。きっと明日、講義の2、3時間前には立派なレジュメができていることでしょう。

けれども、「寒そう、地獄へ堕ちろ!」という女子大生のありがたいお言葉が耳に残っています。自分の心の平安のためにも、暖かそうな恰好をしなければなりません。そんなこんなで、仕事の帰りに無印良品に寄りました。無印良品というと、ずっと昔、でもないか、国分寺に無印のアウトレットがあり、そこでいろいろ買った記憶があります。そこで「無印は安い」という印象が刻まれてしまい、いまでも服というと無印に行ってしまうことが多いのです。でも客観的に言って、無印、高いし、サイズは小さいし、実はあんまり自分の趣味でもない。でも、いったん行動パターンができてしまうと、この男、だいたい死んでも変えない。

パーカーが欲しかったのです。と、いきなり動機を自白するかのような口調になるのですが、何かだぶだぶのパーカーを意図的に気崩しているのって、恰好良いじゃないですか。年甲斐もなくそう思ったのです。本当はカーディガンを買いたかったのですが、無印のカーディガンを見たら、一万いくらかとかでした。いくら何でも、ちょっと高い。哲学をやっている非正規雇用の人間には分不相応です。昆布でも巻いておけばよい。そうして時折しゃぶれば良い。しかしそうも言っていられないので、うろうろ探していたら、パーカーなるものがありました。唐突に、そういえば俺、パーカー欲しかったんだよね、ということを思い出します。以前、彼女が、ちょうどぼくと同じくらいの体格の友人から、古着のパーカーをもらったことがありました。これがとても良く似合って、可愛いのです。

そうだ、俺もパーカーを着れば、ああいうふうに可愛くなるんだ。クラウドリーフさんのよく分からない思考と指向と嗜好により、パーカーをいつか手に入れるんだ、ということが確定されました。いま、そのときが来たのです。しかもXLサイズがある。という訳で買いました。

お家に帰り、さっそくパーカーを着てみます。ぴっちぴちでした。そう、無印のXLは、彼には小さいのです。いつも騙され、そしていつもそれを忘れる。彼はなで肩なのですが、肩幅自体はあります。ですので、普通のXLでは小さいし、ものすごく型崩れして恰好悪くなる。意図しない着崩し。まるで変質者のようだね。彼女が菩薩のような笑みでそうぼくに言います。でも暖かいし。一生懸命反論しますが、正直、それほど暖かい訳でもない。だって小さくて、少し伸びをするとヘソが出るんだもの。え、これほんとうにXLなの? いや、無印は好きなんですけれどもね。ステープラーの針も、無印のは音が酷いし、綴じたときの感触も気色悪い。いやほんとう、無印は好きなんですよ。嘘じゃなくて。

ヘイメーン、とか言って講義をしようかと思っていたのです。もう地獄へ堕ちろとは言わせない(誰も言っていない)。でも、これはやはり、子供服を着た変質者にしか見えません。教壇の上に立つなんて糞だ、講義なんて普段着だろ、フランス革命! と思っているクラウドリーフさんでも、さすがにこれはいけない、ということくらいは理解できます。ヘイメーン、リベルテ、エガリテ、フラテルニテ!

仕方がないので、このパーカー、いまは寝巻になっています。フードを被れば、ほら、もう雑音は、何も聴こえない。

フンスフンス語入門あるいはニカルサの合戦

このひと月で30冊ほど本が増えてしまって、もう段ボールもいっぱいになってしまったし、どうしようかな、と考え中です。きょうは一生懸命いらなくなったプリント類をシュレッダーにかけ、少しでもスペースを空けようと奮闘していました。明日の講義のレジュメをまだ何も作っていないのですが、大丈夫でしょうか。現実逃避にお茶をいれ、ぼんやり父の本棚を眺めていると、「フンスフンス語入門」という本がありました。父は仕事柄英語は堪能でしたが(残念ながら私にはまったく引き継がれなかった才能です)、もともと語学が好きだったのでしょう、何かというと、新しい語学の教科書を購入していたのを覚えています。それにしてもフンスフンス語って何だろう、と思って見直すと、何ということはない、ただのフランス語でした。

* * *

やはり頭痛薬を飲んでいると、というよりも薬でぼんやりした向こうで脳が浮腫んでムクムクしていると、どうにも動作が荒くなります。先だって、職場で巡回がありました。何の巡回か実はよく分かっていないのですが、とにかく、これが来るときには自分たちの部屋を片づけなければなりません。プログラマーとして研究開発室に所属しているというと、何やらクリーンなイメージがありますが、私の場合は、机の周りがとんでもない状況になっているのが常態です。壁中にプリントアウトしたメモや設計図、時刻表が貼られ(時刻表は大事です。私は人の名前や時間を覚えられないので、常にこれを確認しておかないと、終電を逃すことになります)、机の上にもPCの上にも、隣の上司の机の上にさえ私の書類が山積みになっています。怒られると「コレハ、紙ノ養殖デス。エコ、アナタ、反対?」と片言うわごとで答えます。

ともあれいまは巡回です。たいていは予め日時が知らされるのですが、そのときはお知らせがなく、突然の襲来となりました。「巡回が来るぞー!」という声が届き、私たちは皆、慌てて机の上をばたばた整理し始めます。飲みかけのコーヒーのペットボトルがあったので、それも鞄に突っ込みます。やがて巡回が終わり、またデバッグに戻りました。そうして、その日の帰り、PCもシャットダウンし、さて帰るかと思い鞄を持ち上げると、タプンタプン、ピチャンピチャンと音がして、鞄の底から茶色い液が床に滴ります。そう、ペットボトルのふたを緩く締めたまま突っ込んでしまい、そのまま忘れていたので、鞄のなかにコーヒーが溢れてしまったのでした。その日は読みかけのハードカバーを一冊と、それがもうすぐ読み終わりそうだったので別のハードカバーを一冊、鞄に入れていました。何ということでしょう。何しろ人間の器が小さいので、こういうときはほんとうにがっくりします。本茶色い! ホンチャイロイ!

けれどもすぐに諦め、ついでに巻き添えを喰らった書類も、不要なものは適当に拭ってシュレッダーにかけることにしました。どうもこの男、家でも会社でもシュレッダーばかりかけている気がする。そうして捨てるべき書類を選別していると、何やら、昔書いた物語や論文、何かの謎メモが山ほど発掘されるのです。これまた何ということでしょう。どうやら「俺、ばりばりに仕事できるからさぁ」と思いつつ周囲に積み上げていた書類、大半が私物のようです。とにもかくにもシュレッダーにかけますが、このシュレッダー、あまり性能が良くない。縦書きで書いた文章、フォーマットによってはほぼまるまる一行読めてしまいます。

 ゃあ蜂やら石臼やら栗やらが出てくるが、あんなのは皆嘘っぱちじゃ。石臼が動けるわけあるまいこのたわけが。

 しろ大地を埋め尽くすほどに集まった。エテ公にすれば敵の軍勢ウンコのごとく候というわけじゃなほっほっほ。

 奴は泣いて詫びおったがもう遅い。奴の家も畑も、みーんなわしらの臭いが染みついて、もう誰も住めなくなっ

 エテ公は泣く泣く都会に出てサラリーマンになった。今では幸せな家庭を築いているそうな。蟹の母君の大切に

 りの臭さに驚いて、死んだ母君が甦ったのだからまずはめでたしめでたしと言うべきじゃろう。そういうわけで

私はそっと、それらの断片をゴミ袋の奥に突っ込みます。

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本と書類とカメラくらいしか持ち物のない私ですが(服はない、生まれたままの姿だ。ヴィーナスと言っても過言ではないだろう)、それでも、本気で引っ越すとなると、なかなか大変です。本当に書くべき論文のための資料以外はしばらく買わずに、不要なものを整理していく生活を、しばらく続けなければなりません。

どうしてきみにはそんなに才能があるのさ

治療中の歯の痛みがひどく、普段ぼくは非常に我慢強い人間なのだけれど、もちろん自分がほんとうに人間なのかどうかは分からないのだけれど、眠れないし、ちょっと困った。眠れないと宿痾の頭痛もひどくなる一方で、彼女には包丁も持たせてもらえない。だけれど、お粥を作ってくれたので、それをゆっくり食べた。後期の講義も始まったので、仕事は仕事でもうどうしようもないほどにぼろぼろの状態だけれど、とにかくやっていくしかない。

とはいえ、歯痛は、たぶん何かの象徴でしかなく、それ以前からどうも調子が出ない。歯痛が始まるしばらく前に大ポカをしてしまった。

仕事のあいまに非常勤で教えるようになって、もう五年目くらいになる。けれども、このまえ初めて休講にしてしまった。職場に顔を出して機器の検査の設定をして、十分に間に合う時間に会社を出て、電車のなかで少しぼんやりして、大学についたらもう講義の時間が半分くらい終わっていた。自分でも何が起きたのか良く分からなかったけれど、事実は事実なので仕方がない。でも教室に入ったときにはまだそれに気づかなくて、いつもより少ない学生さんたちが何だか変な顔をしているのを見て何かやらかしたことに気づいた。もしかして俺滅茶苦茶遅れた? と訊いたら、はーい、と答えが返ってくる。ごめんね、と謝って、しばらく雑談をして、きょうはもう休講にしようか、どうする? と言うと、したい! というので、じゃあまた来週ね、と言って帰ってきた。その後少し早めに彼女に会って、しばらくぶっ倒れていた。

それとは別のとある大学で去年から一コマ講義を担当させてもらっていて、その大学の学生さんたちは、いわゆる優等生が多い。無論、学生さんはそれぞれだから、ひとまとめには言えない。あくまで全体的な傾向としては、ということ。で、ぼくは優等生が苦手だ。途轍もなく苦手で、見ているだけで頭のなかに無限の独り言が自動的に始まり、死にたくなってくる。そのダメージが意外に大きく、今年は何だか最初から講義に対する気力が萎えてしまっていて、これはいけないなあと思っていたのだけれど、先に書いたような大ポカをしてしまうと、何だかすべてがどうでも良くなってきて、再び講義に対する喜びとか楽しみとかが戻ってくる。優等生たちに講義をするのは相変わらずしんどいけれど、合う合わないは仕方がないし、それはそれでモードを切り替えて、自由にやれる女子大の講義の方では、のんびり好き勝手に話をしていこうと思う。

最低な講師。でも、ぼくが小中高で唯一覚えているのは、アル中で、紙袋に穴を開けたものを被って授業に出てきたとある現国の教師だ。彼は自作の詩を試験に出すような男で、たぶん、ぼくはその男とだけは唯一波長が合っていた。教えるなんていうのは、そういうことで良いのだと、ぼくは思う。そう思わないきみには、そう思わない教師がたくさんいるから、何も問題はない。

研究の方は、きっと、それなりに進んでいる。幾人かには、ありがたいことに好意的に評価してもらえている。それは研究として評価されることの喜び以上に、まだ自分が人間の言葉を書けている、ということに対する安心感が大きい。これはなかなか人に理解されないことだけれど、ぼくは、自分がほんとうに人に伝わる言葉を話せているのか、書けているのかということに対する自信がない。常にない。たぶん、どこかの時点で、それは現実のものになると思っている。それはそれで、仕方がない。伝えられる言葉を書けるうちに、それは書いておけば良い。

研究者として半端なぼくは、基本、誰がどんな立場で、どんな論を張っていたとしても、そのこと自体にはあまり興味がない。それよりも、その人がその論にどれだけ自分の魂をかけているのか、そこに目がいくし、もしかけているのであれば、もう、それでぼくにとっては十分だ。右とか左とか、そういう下らない枠組みはどうでも構わない。そもそも、もしそこに魂をかけているのであれば、それはもう右も左も関係ない。ある面において、それは芸術に対峙するときの感覚に似ている。それが自分のなかにどんな感情を引き起こすにせよ、真正の感情を引き起こす限りにおいて、それはほんものだ。ほんものか偽物が、それ以外の評価軸に興味はない。そんなふうにして生きていると、意外に多くの研究者と親しくなったり、意外に多くの研究者と断絶したりする。研究者とは何なのかはともかくとして。

あたりまえの話だけれど、ぼくは、自分が書いた論文にはそれなりの自負がある。誰もが目にしているのに見ていることに気づいていないものを言語化することによって浮上させる。良い論文は必ずそういうもので、自分の論文もまた、それをしている。だけれども、それが何だというのだろうか、というと、実はたいした話ではない。そんなことは、世界中で何百万という研究者が、芸術家が、音楽家が、小説家が、職人が、技術者が、あるいは生活者が落伍者が聖人が犯罪者が皆、やっていることだ。誰もが、自分よりもはるかに優れた才能を持ち、なおかつほとんど注目されることもなく消えていく。無能な連中が日の目を見たりするとか、そんなことはどうでも良いのだ。それは社会の話で、ぼくはそれにあまり興味がない。世界には、実際に怖ろしいほど才能を持った連中が、怖ろしいほど無数にいて、そして怖ろしいほど埋もれたままに消えていく。

いつか哲学で武道館を一杯にしたいといつも思っている。社会的な常識を持った自分は、何を阿呆くさと呆れているけれど、もうひとりの自分は、なぜそれが無理だと思うのかと、いつでもぼんやり笑っている。

備付反射式存在方程式

最近、A.ガワンデ著『死すべき定め―死にゆく人に何ができるか』(原井宏明訳、みすず書房、2016)を読みました。これが素晴らしかった。中でも、第5章「よりよい生活」で紹介されている、1990年代、NYのとあるナーシング・ホームにおけるビル・トーマスの試みの紹介がとても良いのです。トーマスは彼が務めることになったナーシング・ホームの入居者たちが、何故これほどまでに絶望的な余生を送っているのか、素朴にも疑問に感じました。そしてそれを改善していこうという精神力とアイデア、そこに人を巻き込んでいく人間的魅力において、トーマスは非常に優れていました。彼が試みたことは、ホームに生命(動物)を持ち込むことでした。しかしそこには当然、衛生上の問題などのために、多くの規制がありました。そこで、何とかしてたくさんの動物を持ち込もうとするトーマスと所長のロバート・ハルバートとがやりとりをするのですが、それが何ともユーモラスなのです。

ニューヨーク州のナーシング・ホームに対する規制は、一匹の犬と一匹の猫だけを許可している。ハルバートはトーマスに、過去に二、三回犬を入れようとしたが、不首尾に終わったことを説明した。動物の性格が悪かったり、動物にきちんとした世話をするのが難しかったりした。しかし、ハルバートはもう一度試す気はあると話した。

それでトーマスは言った、「じゃ、犬二匹で試してみましょう」。

ハルバートは「規則では認められていません」。

トーマスは「まあ、それで申請を書いてみましょうよ」。

ハルバートもまた度量のある人間だったのでしょう。ここで彼はナーシング・ホームにおける衛生と安全性という、これはこれで極めて重要な目的との間で葛藤します。しかしそれでも、ハルバートはトーマスの心に影響されていきます。ハルバートはトーマスとのやりとりをガワンデに語ります。

私はこう考えはじめていたんだ、「あなた方ほどには私はこれに関わることはないのだけれど、とにかく二匹の犬を持ち込むことにしよう」。

トーマスは「じゃあ、猫はどうしましょう?」と言った。

私は「猫をどうしましょう?」と返して、「とにかく二匹の犬をもちこむと申請書に書くべきです」と答えた。

トーマス「犬好きじゃない人もいるから。猫好きの人とか」

私「つまり犬と猫の両方が要るとおっしゃる?」

トーマス「とりあえず、それを書き残しましょう、議論のテーマとして」

私「オーケー、猫も加えて書きます」

「ノー、ノー、ノー。うちの施設は二階建てです。二階のそれぞれに二匹ずつの猫でどうでしょう?」

私「州保健部には、犬二匹、猫四匹と提案しようと思いますが?」

トーマス「イエス、そう書いてください」

私「了解です。そんなふうに書きましょう。話がちょっと広がりすぎた気もしますね。空を飛ぼうとかいう話じゃないはずです」

トーマス「一ついいですか。鳥はどうなんでしょう?」

規制は明確だと私は答えた、「ナーシング・ホームでは鳥は認められていません」。

トーマス「しかし、鳥はどう?」

「鳥はどうですかね?」と私。

結局、ナーシング・ホームのスタッフはトーマスの主張に同意して申請書を書き上げ、これが補助金申請を通ってしまいます。このあとの騒動、そしてそれがナーシング・ホームに与えた影響については、ぜひ実際に読んでみてください。

また別の試みを行っている、あるホームにおける話も印象的で、特に、そこに入居しているマックオーバーという高齢の女性の話には胸を打たれます(ここはバンド・デシネの名作『皺』のラストシーンを思い出させます)。彼女は「加齢に伴う網膜変性のためほぼ失明していた」のですが、それでも著者に対してこのように言います。

「また会うときには、あなたが誰だかわからないでしょうね。あなたは灰色に見えるわ」。マックオーバーは私に話してくれた。「だけど微笑んでいるわね。それは見える」

基本的に、この本で語られるのは、人は如何にして人間としての尊厳を持ったまま死ぬことができるのか(生きることができるのか)ということです。著者のガワンデは外科医なのですが、外科医らしい客観的、科学的な視線を保ちつつも、暖かさの溢れる文章で、死にゆく様々な人びとを描いていきます。そして、そこではひとりの人間としての自立が重要であることを示します。

ぼく個人は、人間の自立、ということに対して、それほど重きを置いてはいません。むしろ死ぬ最後の瞬間まで自立した個人であることを強要されるのであるとすれば、それはそれで相当に異常で厳しいものではないかな、と思ったりもします。だから、ガワンデが自らの父を看取ったあと、その遺骨をガンジス河に流すシーンは非常に考えさせられる、また感動的なシーンでもあります。

親がどれだけ努力しても、オハイオの小さな町で子どもをまともなヒンズー教徒に育てるのは難しい。神が人の運命を決めるという思想を私は信じる気にはならないし、これからやることで死後の世界にいる父に何か特別なことをできるとも思わない。ガンジス川は世界の大宗教の一つにとっての聖なる場所かもしれないが、医師である私にとっては、世界でもっとも汚染された川の一つとして注意すべき場所である。火葬が不完全なままに投棄された遺体がその原因の一つである。そうしたことを知りながら、私は川の水を一口飲まなければいけなかった。ネットでバクテリアの数を調べておいて、事前に抗生物質を服用しておいたのだった(それだけしてもジアルジア感染症を起こした。寄生虫の可能性を見落としていた)。

だが、そのとき私は自分の役割を果たせることに感動し、深く感謝もしていた。一つには、父がそう望んだからであり、母と妹も同じだったからだ。そしてそれ以上に、骨壺と灰白色の粉になった遺灰の中に父がいると感じることはなかったのだが、悠久の昔から人々が同じ儀式を営んできたこの場所にいることで私たちを越えた何か大きなものと父を繋ぐことができたように私は感じた。[中略]

限界に直面したとき父がしたことの一つは、それを幻想抜きに見ることだった。状況によってはどうしようもなくなるときはあったが、限界を実際よりもよいと偽ることは決してなかった。人生は短く、世界の中で一人が占めるスペースは狭いことを父は常にわかっていた。しかし、同時に父は自分を歴史の繋がりの中の一つの輪と見ていた。あらゆるものをのみ込む川の上に浮かんでいると、悠久の時間を越えて無数の世代が手を繋いでいるような感覚が私をとらえ、離さなかった。父は家族をここに連れてくることで、父も何千年にわたる歴史の一部であることを私たちにもわかるようにしてくれたのだった――私たち自身もその一部だ。

これは、とても良く分かります。神を持たないぼくでさえ、このような感覚をどこかで共有しているからこそ、身近な人びとの死に対して、それでもなおそこに悲しみだけではない何かを抱くことができます。ぼくらは最後の最後まで自立を強要され得るような超人ではない。

だけれども、さらに同時に、こうも思うのです。人間のリアルな生において真の意味での自立を貫徹することなど不可能だと研究上の立場としては思いつつ、同時に、自立への狂気にも似た妄執に駆り立てられたまま死んでいく人びとの、その個人個人でありつつも人類という種でもある何者かが抱えた悲しみと愚かさは、つまるところ個人の自立も国家や民族への帰属も不可能だと考えるぼくのような人間もまた同じように抱えているものと何も変わらないのだ、と。

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先週の休日は、いま自分のメインの研究の場である研究会に参加するために、西日本へ行ってきました。そこで研究仲間と会い、今期の研究誌に掲載する論文について互いに話し合いました。そこでぼくは、来期の論文について、死と音について書こうと思っているんだ、と言いました。一緒に研究をしてきた仲間とはいえ、それだけで本意が通じるかどうかと言えばそれは分かりませんし、どのみち、それはぼく自身にとってもまだまだ直感的にしか見えていないものです。

とはいえ、やはり直感的にですが、死と音というテーマは、書くべきものであるという確信があります。そんなこんなで、いま、この二つに関連した書籍を集め始めているところです。というよりも恐らく、こんな研究をしているぼくをあくまで単なる焦点として、それらのものが集合し、ぼくという器においてそのようなテーマを書こうとしているのだと思います。

その次の休日には、浜名湖に行っていました。これはまた別の集まりです。会場となったところで、犬を飼っていました。雨がずっと降っていたので、ぼくは少し濡れたその犬と並んで座り、空いている時間にはぼんやり湖を眺めていました。耳が聴こえないというその犬は、時折ぼくの背中側に回り込んでは、ぼくのシャツを鼻で捲りあげ、背中をぺろぺろと舐めます。雨は強くなったり、弱くなったりを繰り返します。庭では小さな茶色いカエルが、時折思い出したようにぴょんと跳ね、どこかへ少しずつ向かっています。雨が降ってきたね、と、ぼくは犬に、鼻息で伝えます。彼は濡れた鼻をぼくの頬に押しつけ、唇を舐め、再び雨に目を向けます。

hamanako

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今回で、このブログに移行してからの総記事数が200になりました。遅いような、早いような。いや遅いですね。昔の記事を少し読み直してみると、ぼくという人間が驚くほど変わっていないことが分かります。と同時に、置かれている状況は悪化する一方であることも分かります。単にそれは、年を取った、というだけのことかもしれません。いずれにせよ、誰もが、書けるものを書くしかありません。ここからまたゆっくり書いていこうと思います。

そこら中に在る日々の大三角形

最初に書くと、今回は楽しくもない話になってしまった。いや普段書いている内容が楽しいと思っているのかと訊かれるとアレなのだが。

必要に迫られ『ヴィジュアル・アナロジー』を読んだのだけれど、翻訳があまりに酷すぎて困った。なら原著にあたれよという話で、それはそれでその通りなのだけれど、それにしてもここまで酷い翻訳にはひさしぶりに出会った。どうやらこの訳者、一部では評価の高いひとらしい。どういうことなのか、ほんとうに困惑する。こういう文章を見ると(読むという言葉さえ使いたくない)、知的スノッブの糞詰り文章という生田耕作の言葉を思い出す。

同じ翻訳ということで言えば、『ニューロマンサー』の黒丸さんによる翻訳がかなり批判されていて、これもまた困惑する。好みじゃないと言われたら、そうなんだと笑って答えるだろうけれど、あの名訳を名訳と感じ取れないひととは、恐らく気が合わない。書いていて思ったけれど、どのみちぼくには友人がほとんどいないので、気が合わないやつが何人増えようがいまさら何の関係もない。黒丸さんはあまりに若くして亡くなったのが残念だ。

再び酷い翻訳の話に戻ると、ルディ・ラッカー(最近ではルーディー・ラッカーと表記するらしい)の『無限と心』も相当なものだった。ただ、あれは単に相当に読み辛いというだけで、『ヴィジュアル・アナロジー』のような不快さはなかった。いま改めて調べてみると、この翻訳者の訳書、『ゲーデル 未刊哲学論稿』と『数秘術』を持っている。いや、『数秘術』は誰かに貸したきり帰ってきていないな。返してもらうのは諦めているので、帰ってきてほしい。

いま、改めてさまざまな翻訳、それには例えばぼくにとって最も優れた翻訳者である堀口大學の文章も含まれるが、それらを想い起してみて分かることがある。良い訳文には、原文に対する理解は当然として、それへの愛や敬意があり、そうしてそれを読む読者に対する責任もある。と書くと何やら当然のことのように思われてしまうかもしれないけれど、それらの文章には、そういったことが文体を通して自然に表れている。

他人の話を聴けないひと、というのが、確かに存在している。それはとても残念なことだ。ただ、これはただ単純に他人の話を聴かない、ということを指しているのではない。自分で喋ってばかりいるのに、なぜか他の人びとの声に耳を傾け、自分の声の上にそれらの人びとの(発せられていない)声を乗せ得るひとが居る。それが如何にして可能なのか、ぼくには見当もつかないけれど。

逆に、ひたすら相手の話を傾聴しているように見え、その実、ただひたすら「傾聴している自分」に向けられた脳内の想像上の住人からの拍手喝采にのみ耳を澄ませているひともいる。こういうひとを前にすると、そのひと自身の声は物理的には聴こえないのだけれど、あまりの五月蠅さに耳を塞ぎたくなる。この場合、彼/彼女には必然的に翻訳の能力も致命的に欠けている。そうか、翻訳というのは、何も異言語間の仲立ちだけのことではなく、もっとシンプルに、他者と他者をつなぐメディアになり得るかどうかでもあるんだ。

太宰の『如是我聞』で、作者と読者の間に割り込み「イヒヒヒヒと笑って」作者と読者の交流を妨げる五千人中一人の選ばれし者とは評者のことだけれど、それはそのまま翻訳者にも言えるだろう。『ヴィジュアル・アナロジー』の訳者は大学改革は当然のツケなどと書いているが、その実何やら誇っているらしい自らの訳書こそが、人文系の「研究」とやらに対する人びとの呆れと諦めを加速させているひとつの典型例だということに気づかないのだろうか。

最初に書いた通り、研究者の端くれとして言えば、別段、翻訳がどうであれ、最終的には原著に当たれば良いので、正直なところどうでもいい。ただ、やはり研究者として言えば、そしてこれまで何度も書いてきたことだけれど人文系研究者として言えば、同じ「人文系研究者」である多くの人びとが持つ言葉に対する酷薄さ、ひたすら自己顕示としての暴力的独白としてしか言葉を使えない人びとの、単語の羅列(文体ですらない)から透けてみえるあの「目つき」の不気味さには、恐怖しか感じない。

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もうすぐ後期の講義が始まる。基本的にぼくは、学生さんたちのレポートに対しては一点でも本人が楽しそうに書いていること、ユニークなこと、ちょっとおかしくて異常なことがあれば、もうそれで万事オッケーだよ、と言ってきた。けれども今期は、せっかくだから、言葉を書くことの喜び、そこにある本質的な意味についても、少し一緒に考えていくような時間を持とうかな、と思っている。

地下水脈355000年

すべての、自分が書く言葉を統一していくこと。しかもそれが自然に為されること。そんなことを考えながら、真夜中に次号の同人誌に載せるつもりの物語を書いている。でもそうではなくて、それは、いまぼくらが作っている研究誌の論文なのかもしれない。

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あれは何日前だっただろうか、YMOのM-16を彼女と聴いていて、ふたりで、あ、これ以心電信だね、と頷きあった。ずっと昔、まだ僕らが大学生だった頃、彼女と彼女の友人の女の子と僕の三人で、あれは中野の映画館だっただろうか、何故かプロパガンダを再上映していて、それを観に行った。すごく混んでいて、当時からいまに至るまで軽い女性恐怖症のぼくは、彼女の友人は無論、彼女からも少し離れて、最後尾の手すりに凭れながらスクリーンに映された若いころの三人を眺めていた。

M-16は、何かYMOの雑誌を買ったときに、おまけとしてついていたミニディスクに入っていた。それを買ったのも、たぶん大学のときだろう。人形劇で一緒だった子が、その雑誌の最後の方(だったと思う)に載っていたとりみきのマンガを読み、そこに登場するお父さんを見て、「これ、何だかクラウドリーフくんに似ているね」と言っていたのを覚えている。そのお父さんはとりみきのマンガによく出てくる感じで、小太りで和服を着ている。もっとも、記憶が漠然としているので、ぜんぜん違うかもしれない。ともかく、当時のぼくは、彼女のその感想を聞いて似てねえよ! と内心で抗議していたが、何しろ女性恐怖症だったので、むにゃむにゃ! と曖昧に答えた。でも、この年になってみると、いや無論外見ということではないのだけれど、何となくその子の言っていたことがちょっと分かるような気もしてきている。そのときの真意をその子に確認することは、来世にでもならない限りはもう不可能だ。だけれども、それでも、たかだかこの世界の物理的な断絶などを超えて、コミュニケーションは可能だ。

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少し前、とある研究会に出てきた。そのときのレジュメに書いたひとつの単語に、研究会のひとりのメンバーから猛烈な批判を受けた。彼はいま同人誌を一緒にやっている男で、というよりも彼に誘われてその同人誌に参加したのだけれど、何しろ非常に優れた詩を書く人間でもある。だから、僕もそういったときにはがっと反論してしまうけれど、後になって思えば、彼が言っていたこと、何が彼の逆鱗に触れたのかについては、なるほどと納得するところが大きい。というよりも、表面的には互いにぐわぐわと言い合っているときでさえ、根っこのところでは彼の指摘のまっとうさを理解している。いや、理解ではない、信頼している。だから、そういったときの激情や批判の応酬はとても楽しい。相手を茫洋と覆った無駄な言葉や礼儀の靄を殺すつもりで放った拳で削り取っていくその先に、確固とした魂のかたちが現れてくる。それを何年もかけてやっていく。相手がそのときまでそこにいようがいまいが、それとは無関係にぼくらにはそれができる。

* * *

信念があるか、途轍もなく嫌なやつか、狂信者か、聖人かあるいは根本的に腐りきった人間か、そうでもない限り、「自由で開かれたコミュニケーション」など不可能だ。そんなものはあり得ない。ぼくは腐りきった糞野郎なので、真面目で立派な研究者仲間よりは、コミュニケーションというものについて多少は見通しが利く。そこではすべてが逆転している。その逆転が視えていない誰かに対して、ぼくは本音で語る言葉を持つことはできない。安易に「テロ」などという言葉を用いる連中をぼくは信用しないけれど、それでも、そういった言葉によって指示されるような何かしらの現象が増えていくなかで、なお改めて公共圏的言論空間の重要性を掲げる。それはそれで構わないし、場合によっては、そこにもやはり狂気にも似た理念への執着がある。そうであるのなら、ぼくはその言説に耳を傾ける。でも、そうでないのなら、民主主義などというのは、所詮は糞の戯言でしかない。そうしてその戯言は、他者に対する徹底した暴力性を伴う戯言でもある。その偽善性が問題なのではなく(どのみちぼくらはみな偽善者なのだ)、自分の浮かべるその偽善面に気づかない阿呆さ加減が問題なのでもなく(どのみちぼくらはみな愚鈍なのだ)、その全体にある悲しみを己自身で読み取ることのできない人類全体の歴史の、虚構としての方向性こそが問題なのだと、ぼくは思う。

* * *

どこに行っても、声の大きい人間の発する言葉ばかりだ。毎年、毎月、毎日、毎秒、それは大きくなっていく。それがほんとうに疲れる。美しいという言葉さえ腐ってしまったこの時代にも、もしまだ美しい言葉というものがあるのなら、あるいはもし我々を繋ぎ得るような言葉が存在し得るのであれば、それはむしろ、聴き取ることのできない言葉だろう。

彼女は炭酸水が好きだ。何が良いのか分からないけれど、小さなグラスに炭酸水を注ぎ、それを飲む。そこから聴こえてくる幽かで素早い、別の宇宙からの信号のような音に耳を傾けながら、真夜中に、小さな、小さな物語を書いていく。

あ・ぎよぎよ・ううん・う

この三日間は家から一歩も外へ出ず、平穏な気持ちで過ごしていた。街へ出るたびに生きるか死ぬかという思いをする。それはぼくの半分で、残りの半分はこれまでの人生で鍛え上げてきた常識人たるぼくだ。だからもう片割れの自分が感じる恐怖心を、馬鹿にはしないが、それなりに割り引いてつき合うことにしている。ともかく、家に籠っているあいだは、毎日風呂場を洗っては水を張り、合計10時間以上水風呂に浮いていたと思う。水の匂いは心が落ち着く。

* * *

ところでぼくは昔犬を飼っていた。飼っていたと言えるのかどうか、ぼくが幼稚園に通っていたころに我が家に来たので、当時のぼくでは碌に散歩もできはしなかったし、彼が恐くて、カーテンに身体を包んで隠れていたのを覚えている。そうして彼は、カーテンの裾から覗いているぼくの素足をペロペロ舐めていた。

もちろん、ぼくがある程度大きくなってからは普通に散歩に連れて行った。何しろ変わった犬だったから、可笑しな記憶もたくさんある。柴犬だったので、寿命はせいぜい十数年。ぼくが大学に行き、既に落ちこぼれ始めていたころ、老衰で死んだ。

ペットロスとか、そういう安っぽい言葉は嫌いだ。偏見だけれど(そもそもぼくは偏見の塊のような人間だ)、そんな言葉を軽々しく口にするのは、「大切な何かを失った自分」に焦点を当てたいからなのではないかと思ってしまう。喪失というのは、ほんとうになくなってしまうということだ。それを表現するのは、大抵の場合、人間の手には余る。

それでもともかく、記憶はある。柔らかいとはとても言えないような彼の背中の毛皮。散歩の途中でちょっと一息入れるときなど、ごしごし擦ってやると喜んでいた。ぼくの手にはずいぶん犬臭さが移った。臭いは、もっともコントロールしにくい、記憶を甦らす契機だ。ぜんぜん無関係なような臭いを嗅いだときに、ふと、あのときの犬臭さを思いだし、それを通して、漠然としたあの十数年の記憶の総体が空から降ってくる。あの手触りと匂い。それはどこかで、父のよく着ていたコーデュロイのジャケットをぼくに思いださせる。直接的には何の類似もないのに、記憶の働きというのは奇妙なものだ。

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彼女と時折散歩をする道があり、その途中にペットショップがある。一度、ふたりでそこを覗いたことがある。ペットショップは苦手だ。子どもの時分にドリトル先生を読んだことがあるひとならば、きっとその意味が分かるだろう。ぼくは本ばかり読んでいるような子どもだったし、彼女はぼくよりもはるかに本を読んでいるから、ドリトル先生でさ、と言えば、もうそれで通じる。でもそのときは覗いてみた。そういうときってあるものだ。

芝の子犬がしっぽをぱたぱた振りながら、柵越しにぼくの手を舐める。ぼくは対人恐怖症の上に、何故かしばしば他人に憎まれる。だけれども、犬にはあまり嫌われた記憶がない。たぶん身体から犬の匂いがしているからだろう。ぼくらはしばらく彼を相手に遊び、じゃあねと挨拶をして帰った。それ以来その店に入ったことはない。ペットショップは、やはり苦手だ。

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彼女と散歩に行くときは、大抵、ちょっと離れたところにあるスーパーに寄ったりする。普段は行かないような。そこで野菜や果物を買う。そうするとぼくは大抵、食べたあとに残った種を庭に植えようよと彼女に言う。育つかどうかは分からないけれど、育ったら何か嬉しいよね。まあうまく何かが育つと本気で思っている訳ではないけれど。

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人間は言語という渦巻き機械から生み出され、その遠心力によって自然から乖離し続けてきた。その不自然さが人間の自然で、でもどこかで、そうでない生があるのではないかなと、いまだに願っている自分もいる。

ある一線を超えないような人生を送れればなあ、と思う。けれども、それが難しい。途轍もなく、難しい。