ウォークアラウンド地球

きょうは講義を終えたあとにすたすた素早く地元へ戻り、市役所に寄って住民票を取ってきた。ついでにコンビニにより、サンダルを購入。何となく気が向いたのでぐるりと遠回りをして、家に戻ってからamazonで電球を幾つか注文。これでだいたい一日の活力を使い切り、いまはぐったりしている。とはいえほんとうはここからが自分の時間で、非常勤で働いている大学の人事課だかどこかにマイナンバーを送らねばならないし(担当者から悲鳴のような電話があった)、科研費の申請書類は書かなければならないし、来月に開催される学会で二つ発表しなければならないのでその原稿も書かなければならない。ああもうムリリ! と何かが口からはみ出てくる。

どうしてサンダルを買ったのかというと、土足厳禁の職場で履いていたサンダルが壊れてしまったからだ。ぼくは何しろ足が大きいので(というよりも幅が広い)、普通のサンダルだと結構横方向への負荷がかかり、たいていすぐに壊れてしまう。しかしここしばらくまったく時間に余裕がなく、サンダルを買いに行く暇もなかったので、ベルトと靴底に穴をあけ、長いボルトで固定した。しかしボルト程度ではすぐにまた取れてしまう。まけじと、また穴を増やして別のボルトを刺す。また取れる。また刺す。取れる刺す。いつか金属製のハリネズミのようなものが足下を蠢いている。そのサンダルサイボーグで実験室をぺたぺた歩き回る。ぺたぺた。がちゃがちゃ。

さすがにこれはもういかん、と思い、自宅を物色してスリッパを持っていくことにした。いつだったかどこかのビジネスホテルに泊まった際に、けち臭く使わずにもらって帰ってきた使い捨てスリッパ。そもそもこの子は、ビジネスホテルにつくとすぐに裸足になり、そのままぺたぺた歩き回っている。とにかくそのスリッパを履いてみると、ぺたぺた感がすごいことになる。まるで素肌だ! 何がだ。そんな風にして実験室をぺたぺた歩き回っていると、何やらホテルのスイートにでも泊まっているかのようだ。バスローブを着てワイングラスを片手にプログラムを組む。いやスイートルームでこんな薄べったいスリッパは置いていないか。でも何となく嬉しくなって、昨日までサイボーグだった俺の足きょうはスイートルーム、とか歌いながらぺたぺた歩き回る。職場の人たちに、止めろ、脱げ、森へ帰れ、と叱られる。仮にもゾーン・ポリティコンだ、仕方がない、それなら新しいサンダルでも買うかと思い、ようやくきょう買えた。そんなささやかなことで、明日の出社が少しだけ楽しみになる。

ぺたぺたぺたぺた。何しろ足の裏が広大な上に平べったい。だからこそぼくはこの足の裏を通じて大地のヴァイヴレイシオンを感じ取っているのさ、などと言っている。「大地!!」唐突に叫ぶ。市役所に寄りコンビニに寄ってから、珍しく地元の高校の前を経由して自宅に戻った。その辺りはすっかり景色も様変わりしてしまってるけれど、ふとしたところに、昔クラスが一緒だった誰かの家の表札がまだ変わっていなかったりするのを発見して、懐かしいような気持ちになったりする。なったふりをしたりする。ランドマークなど何もないような田舎だけれど、足の裏を通して感じ取る地磁気で、彼は道に迷うということがない。もっとも、地球は丸いのだから、などと真顔で言いだす彼は、そもそも迷っていてもそれを認識することができない。「地磁気!!」と叫んだりする。しかしいまは登山靴を履いているので、ぺたぺたというよりはどたどた、だ。どたどた、昔の田舎道を歩いていく。

子どものころは、田んぼと畑と森と山しかないようなところだった。いまはすべてがコンクリとアスファルトで固められ、赤信号でも止まらない自動車だらけの街になってしまった。子どものころは若夫婦だった近所の人びともみな年を取り、あまり表で会うこともなくなった。平日のヘンな時間に、コンビニ袋に入ったサンダル片手にふらふら家に帰ってくるような不審者は、もう、ぼくくらいしかいない。

気がついたら夜になっている。レジュメを印刷するための紙を買いに夜の街へ降りていく。いったん靴下を脱いだら、もうその日は絶対に再度靴下は履かない教の信者たるぼくは、さすがに素足に登山靴はなあと思い、サンダルをつっかけて外へ出る。彼女に電話をして、400円でサンダルを買ったよと言う。しばらく話をして、訪れるふとした沈黙。ぺたぺたぺたぺた、ただ足音だけが響いている。