ゴミ捨て場の銀河

とても忙しいひと月だったけれど、終わってみればもうすべては過去だ。哲学をやっていますなんて、それで大学にポストを持っているのでもなければ社会的落伍者の烙印のようなものかもしれないけれど、それでも、哲学研究ではなく哲学をやっているんだぜと気軽に言えるのは、自分の人生をリスクに曝しているからでもある。そして自分のテーマでいえば大抵のことは研究に結びつけることができるし、だから、意外にこの人生は楽しい。仮想通貨やら株やらに手を出して、無論、それはぼく自身の本来のモードではないし、だからこそ失敗する前に離脱することもできる。そもそもぼくが欲しいのは一兆単位の資金で、だからぼくのように凡庸な個人レベルのマネーゲームになんて端から興味はない。それでも、実際にやってみるとそれはそれでいろいろな発見がある。最近は時間について考えるようになった。すべては過去なのだということを、マネーゲームはよく教えてくれる。いま書いている論文とは直接関わりはないのだけれど、コアとなるものの周囲数兆キロをぼんやりと囲む塵がなければ、ぼくらは馬の頭のかたちすら知ることはないだろう。

すっかり疲れてしまい、仕事を抜け出してゴミを出しに行く。以前はしばしば食堂まで行き自販機でお茶を買ったりしていたけれど、最近はすっかり対人スキルが摩耗してしまっているので、いったん実験棟に入ると、もう出てこない。けれど職場の敷地の片隅にあるゴミ捨て場には人気がないので、時折、やおら実験室のゴミをまとめると捨てに行ったりする。その日はもうすっかり日も暮れ暗くなっていて、モニタの見過ぎで疲れ切った目に、電灯もないゴミ捨て場は宇宙のように真暗だ。荒れたアスファルトの上には小さなゴミが散らばっていて遠くの街灯を反射して、暗闇の中で小さくきらきら瞬いている。ぼくは銀河に浮いているようだった。平衡感覚を失い、それでも倒れることなくゆらゆら浮いている。実際には、疲れ切って目の落ちくぼんだ中年男性が、ゴミ袋を片手にゴミ捨て場で茫然自失しているだけ。だけれど、この世界がどうであるかなんて、半分は世界のリアルさと、残りの半分は自分の主観とでできている。他人から見たぼくの姿など関係ない。神経症気味だった二十歳の頃でもあるまいし、いまさら気にはならない。しばらく宇宙遊泳をして、再び実験棟に帰っていった。

プログラマをしているときはあまり喋ることはない。もちろん、打ち合わせや会議は別だ。フリーでやっていくときに必要なのは、能力よりもむしろ、信頼性とコミュニケーション能力、そして愛想の良さだ。いや技術だろうというひともいるかもしれないけれど、それはよほど高い技術力を持っている場合で、代替可能なレベルであれば技術力よりも重要な要素がある。いまのところ、それでどうにか食べていられる。どうやら自分の身を喰いつくしているに過ぎないような気もしているけれど。ともかく、これが講義となると喋らないことには始まらない。その緩急が激しすぎ、講義が終わるとがっくり落ち込む。今年はもう首を切られても構わないと思い、自分にとって面白いテーマばかりを扱うことにした。無論、講義全体の構成は一応きちんと考えてはいるけれど、いわゆる教科書的な要素は徹底的に排除している。そんなものは教科書を読めばよい。たまたま友人にそれを見てもらえる機会があり、きみにはこれが天職だね、と言われた。ここしばらくで、その言葉がいちばん嬉しかった。とはいえ、それはあくまでぼくにとっての天職で、社会的次元の話はまた別だ。天職だけで生きていければそれはさいわいなのかもしれないけれど、残念ながら、そこまでの才能はない。でも、それで何の問題もない。

自分には何の価値もない、という主観的絶対的認識が何十年にもわたってぼくを規定してきた。だけれど最近は、その認識の根底にあった激烈さ、峻烈さが消え、ただ淡々とその事実を受け入れている自分が居る。それは老いとか何とか、そういう下らない話ではなく、ぼく自身の才能に、ようやく自分自身で気づき始めたということなのだと思っている。生きるのは楽しい。ゴミ捨て場だろうが何だろうが、それはこの宇宙の一点だ。

ハードワイヤード・シングルタスクマン

防災用品を充実させようとamazonで諸々注文し、時間指定をして家で待っていた。きょうは彼女が出かけているので、ぼくひとり。こういうとき、自分の性格的な問題が如実に現れる。ニョジツ。「荷物を待つ」というタスク以外、何もできなくなってしまう。暖かいパーカーを洗濯してしまったので、厚めのTシャツを着たまま、ジーンズに裸足で体育座りをして配達の車がくるエンジン音をひたすら待つ。徐々に窓の外が暗くなり、指定の時刻を過ぎてもまだ来ない。これはどうやらおかしいぞと思い、PCを立ち上げて注文メールを確認してみたら、送り先を実家にしていた。届くはずがない。もうすっかり夜で、身体は冷え切っている。

この休日はようやく体調も上向いてきて、珍しくふたりで、庭の畑で働いた。彼女に指定された領域を掘り起こし、頑丈に根を張った草と、隠れた石を取り除く。虫も土も苦手な農学博士とはいえ、冬になればぼくが最も苦手な生き物もどこかへ行ってしまうので、怖さも和らぐ。とはいえ、生き物がまったく居なくなるはずもなく、耕すたびにコガネムシの幼虫が掘り出される。畑仕事的には害虫なのだろうが、それはそれ、これはこれ。よそはよそ、うちはうちでしょ! と思いつつ、彼女に渡してもらった空の鉢に、発掘された幼虫どもを土と一緒に放り込んでいく。安楽な住処を追われた虫たちは慌てて再び鉢のなかの土に潜り込んでいく。放っておけばいつまでも幼虫を探し、小石を探し、草の根を断ち切って土を耕している。それはそれで、至福の時間だ。

本来であれば野菜を植え、やがて収穫するのが目的だ。だけれど、これだけわんさか幼虫が掘り起こされると、何やらこれこそが収穫だ! みたいな気持ちになってくる。幼虫をある程度捕獲すると、彼女が庭の隅に作った専用の場所に放り込む。そこは土も柔らかく、以前に彼女が放り込んだ連中がぬくぬくと巨大化しているのを、彼女が見せてくれる。とんでもなく巨大化していて、これ、やっぱり収穫なのかな、と思う。その後、本来の目的であった大根の種を蒔き、水をやった。

あと、少し前に届いたXPlotterをようやく使ってみた。ハードの組み立て精度はいまひとつなところもあったけれど、十分に遊べる。提供されているPainterという専用ソフトは、β版だけあってまだまだ使えるといえるレベルではない。でも、コードがあって、コードの通りに動かせるのなら、それで十分だ。いまは自分の論文や行動記録を適当な変換ロジックでG-codeにするプログラムを作ろうと思っている。Plotterのアームが騒々しく動くさまをずっと眺めていると、心が限りなく落ち着いていく。その間は何も作業をしないで、プログレスバーがじみじみと伸びていくのを無心に追っている。

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カーテンを閉め、立ち上がったついでに、以前買ったムーミン印のブルーベリーコーヒーを淹れる。途轍もなくまずく、冷凍庫に封印されていたものだ。まあ、美味しいまずいは好みの問題だろう。ぼくには合わなかったけれど、常に自罰的傾向が強いぼくにとって、まずいコーヒーを飲むというのもまた、何やら心安らぐ時間ではある。一滴一滴コーヒーが抽出され、ブルーベリーとコーヒーの混じった異様な香りが立ち込めるなか、ひたすらぼんやり水滴が描く波紋を眺めている。

極めて単純なFIFOのスタック構造。簡単にオーバーフローする。それでもぼくが精神的に安定したまま暮らしているのは、溢れたのなら溢れろ糞が、と思い極めているからだ。誰も、できること以上のことはできない。できること以上のことをできないからといって壊れる何かがあるのなら、それは壊れるべくして壊れたものだ。人間関係さえも。それはそれでかまわない。ぼくは変われないけれど、その代り、無理な要求によってぼく自身が壊れることだけはない。無能な、屑野郎だけれど、それだけは誰かに対して保証できる。それはきっと、自分で思っているよりも凄いことだと、最近思うようになった。

彼女から、そろそろ駅につきそうだよとメールが届く。駅まで迎えに行くついでに買い物でもしようかと、財布をジーンズのポケットに突っ込む。身体中が冷え切っていて指も動かず、暖房を入れていなかったことに、ふと気づく。

二十三億年越しのセルフィッシュ

いつものように仕事帰りに彼女にメールをして、帰り道にあるスーパーで買い物があるかどうかを訊ねます。葱があれば葱を、とお返事が届き、任務を帯びたぼくは駅近くのスーパーの地下一階の食料品売り場へと降りていきます。しかしその時間にもはや葱はなく、しかたなく柿を買って帰ることにしました。ぼくは柿が好きなのです。

翌日は講義の日で、仕事へ行く彼女を見送り、少しだけ家事の真似事をしてからのんびり大学へ行きます。こんな悠長なことをしていられるほど仕事の状況が良い訳ではなく、そんなことをいえばそもそも研究などしている場合でさえないのですが、生まれついての屑人間。大学へ行きがてら、スーパーなんぞに寄り道までも平気でしてしまいます。昨晩の借りを返すべく、きょうは売っているうちに葱を買うのです。油断した葱共がごろりごろいと積み重なっている。やおらそのうちの一組をつかみ取り、人間様の知恵を舐めるなよ、とネギの売り場前で高笑いしつつ意気やうやうです。けれども、やけに太い葱がしかも二本組みで売っていて、これはどう考えてもオーバーキルではないでしょうか。

ところで、彼は驚くほど常識がありません。常識人ぶっていますが、それはものすごく疲れるので、時折突然手を抜きます。まだ暖かかったころには、彼女の弟がくれた、彼の手書きの絵が描かれたTシャツを着て、そのまま講義をしていました。彼の周囲には真面目なひとが多いので、だいたい皆、きちんとスーツを着て講義をします。えらいなあ、と他人事のようにぼんやり感じつつ、しかしスーツを着るとライフが減る特殊体質の持ち主なので、仕方がありません。

きょうはしかし、Tシャツどころではなく(さすがに寒いからもっと着込んでいます)、長葱二本を持ったまま大学に着いてしまいました。葱二本を巻いていたテープは解け、両手に一本ずつ葱をつかんだ彼は、まるで宮本武蔵のようです。え、これ、抱えたまま教室に行くの? と自分でも疑問に感じますが、しかしその心の澄み渡ること夜半の湖の如しです。「剣禅一如!」それは新陰流か。けれども、堂々と教室に入っていけば、学生さんたちはこれこそがこの国古来の正装なのだと騙されることでしょう。「ドウドウ!」そう叫びながら教室に入ります。学生さんたちは皆、ぼくをゴミを見るような目つきで見てきます。階段教室でそもそも彼らの視点が上から来るので、ぼくはますます教室の隅に溜まった埃になったような気持ちになります。「アニハカランヤ!」夏の終わりの蝉のように、そのまま絶命します。

これでもけっこう、ぼくは教える、ということに対して真剣ですし、誇りをもってやっています。ぼくとしては、教える、よりも、伝える、だと思っていますが。ともかく、いろいろな人たちが、いろいろな考え方から、いろいろなスタイルで講義をすることでしょう。それぞれがその信念に基づいてやっている限り、ぼくはそれで良いと思います。共通するスタイルなど必要ないし、もし「教える」ということがあり得るとするのなら、そこにルールもマニュアルもあるはずがありません。けれども、信念もなしに教壇に立つ誰かが居るとすれば、それは誰にとっても、とても不幸なことです。

二十歳を目前にして、当時のぼくは、既にかなりの落ちこぼれ大学生でした。自分がうっかり入ってしまった、やけにエリートくさい連中ばかりのその大学を嫌悪していましたし、講義についていけない学生を、それこそゴミのように扱う教授連中のことも憎悪していました。それでも、中には風変りな非常勤講師も幾人かは居て、そのひとたちの独自のスタイルをぼくは再現できないけれど、ぼくがあの大学でまともに取得した単位というのは、恐らくその辺りのものだけではなかったかなと思います。そうして、記憶に残っているのは、そういう講義の方なのです。

自分のスタイルは自分のスタイルで、演じることが好きなぼくでも、教壇上で、本当の意味では演じることなどできません。立ってしまえばそこにあるのは長葱二本、ごまかしようのない、普段の自分のスタイルがあるのみです。ただそれだけで勝負をしなくてはなりません。

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長葱を二本も買ったと彼女に知られたら、きっと怒られます。証拠隠滅のため、大学から帰ってきたら米を炊き、長葱一本を丸々刻んで納豆に混ぜ、独りでぼそぼそ、お昼ご飯を食べました。食べ終えてから学生さんたちのコメントシートを、お茶を飲みながら確認します。意外に講義に対して好意的なコメントが多く、もっと俺を糞みたいに憎んで軽蔑してくれよと、性根の歪んだ彼は、亡者のように呻きながら床を転げまわっています。

パンクズヴォヤージュ

彼女とふたりで買い物に行き、夕食の魚を選ぶ。この魚、何だか笑っているみたいだね、と彼女がいう。そのとおりで、口の端を少し歪めた魚は、死んでいるのに楽し気に笑っている。ずっと以前にも書いたけれど、ひとつの悪を為したからといって、そのほかの悪を為して良い、ということには決してならない。ぼくらの日常は極論でできているわけではない。出来損ないの宮沢賢治のようだが、いつか自然に、敢えて奪う必要のない命を奪わずに済むようにして、そのままどこかへ出発できれば良いな、と思う。

一年に一度か二度、ひどい風邪を引いてしまう。いまがちょうどその時期で、けれども、講義の資料を作らなければならないので、咳が出て眠れないのも、悪いことばかりではない。隣で彼女が眠っているので、モニタの明るさを最低にまで落とし、ぽちぽちとキーボードを打つ。午前3時くらいになり、さすがに眠らなければならないと思って毛布に包まる。まだ少し寒く、唸ると、眠ったままの彼女が手を伸ばしてくれる。

まだ暖かかった先週、偶々時間ができ、彼女とふたりで近所の――といっても歩いて20分弱はかかるけれど――納豆屋に行き、そこで売っているアイスを買って、溶ける前に少し離れたところにある公園で食べた。まだまだ蚊は元気で、ぼくらはふたりとも、ずいぶんと刺され、痒い痒いねといいながら家に帰った。

また別の日、新宿のとある広場で彼女と休んでいたとき、ぼくらの下に、片足を怪我した(もう傷は癒えていたけれど)ハトがひょこひょこやってきた。ハトに餌をやってはいけない、ということはぼくも知っているが、手元から食べていたパンの欠片がぽろりと零れる。他の元気なハトも一目散に寄ってくるけれど、彼らの隙をついて、足の悪いハトの目の前に、またパンの欠片がぽろりと零れる。最近、手に力が入らない。警備のひとがやってきたので、素知らぬふりをしてやりすごす。手の中には、まだパンの欠片が3つ、残っている。時機を待とう、とぼくは天空に向かって語りかけるが、ハトたちは皆、しばらくうろついた後、こいつはもうダメだという目つきでどこかに行ってしまう。手の中で固まったパン屑の塊は、自分で食べてしまう。彼女の足下には、まだ雀たちがまとわりついていた。

ぼくのプログラムの師と、何年かぶりに合い、お酒を飲んできた。新宿東口。ぼくがもっとも苦手な場所のひとつで、案の定、音もよく聴こえないし、空気が汚れ過ぎて喉も傷めた。だけれど、師との会話は面白く懐かしかった。ぼくらは献辞について話をした。やっぱり献辞っていいよね、と。献辞は、本を開いたときから始まる旅を終え戻っていく、その終着点を表している。そして同時に、その旅に出たまま帰ってこない誰かさんの場合は、後に残した誰かさんたちへの最後のメッセージでもある。

良い献辞を書きたいよね、といって、ぼくらは別れた。家に帰り、ぼくは彼女に、ぼくが本を書いたら、その献辞はきみに捧げるよ、という。リアリストの彼女は、きっとほんとうにその本ができるまで、リアクションを見せることはないだろう。だけれども、いずれにせよ、帰ってくるのかそのままどこかへ行ってしまうのかにかかわらず、道しるべは、そこにある限りそこにあり続ける。

道路の上に、割れた器

彼女と、ひさしぶりに美術館巡りをした。巡り、というほど見て回ったわけではないけれど、栃木県立美術館でやっていた2Dプリンターズ、国立新美術館のジャコメッティ展、そして横浜のトリエンナーレ。トリエンナーレは狭い範囲でとはいえ複数の会場を回ったし、最後は大霊廟IIも聴いてきたので、それなりに体力を使った。もちろん、これらすべてを同時に回ったわけではなく、数日がかりで。基本的には自分の研究のため、と言いつつ、実際には、まあ、趣味だ。

とはいえ研究は研究で、だから客観的にならなければならないとは分かっていても、相当に落ち込んで帰ってきた。ありきたりの話、古い価値観の話で、こんなことを言ったら怒られてしまうけれども、ぼくはやっぱり、美というのは、その向こうに圧倒的な、超越的ななにものかがあって、器としての人間がどうしようもなくそれに憑かれ、突き動かされ、そのなにものかがその器にあふれ出す、そういった現象の全体が芸術なのだと思っている。でも、多くのものが・・・それはもはや芸術ですらなく・・・ただただ承認欲求を満たすためにむしろ「芸術」を器としてぬるぬると肥大化した自我をげろりと吐き出すために使っている、そんな程度のものでしかない。そのことに、ほんとうに、心底疲れる。トリエンナーレは、99%が屑だった。あんなものに大金をかけるのであればむしろ・・・、と思わないでもないが、仕方がないものは仕方がない。ただ、誰が何と言おうと、屑は屑だ。そう言い切ることも能力のひとつで、ぼくは、少なくともそのおかげで、いま、自分に恥じることのない研究をやっているのだということを知っている。

ジャコメッティ展では、おわりの方に近い一つの部屋で、作品を撮影して良いことになっていた。その部屋に入った途端、多くの人びとがスマートフォンやコンデジで写真を撮り始める。ちょっと、異様で、ぼくは怖くなった。シャッター音自体が、部屋を暴力的に満たし、あのなかでほんとうに芸術を写しとることができると信じているひとがいるのなら、恐らくだけれど、そのひとは芸術を必要としないひとだ。もちろん、写真を撮って良いのなら、それは撮れば良い。別段、ぼくはマナーの話をしているわけではない。すべてを記憶におさめることこそが素晴らしいのだとは思わないし、第一、ぼくだっていろいろなところに行って、いろいろな写真を撮る。だけれども、あの場、あの雰囲気は、確かにそういった状況を分析することこそが自分のいまの研究テーマのひとつではあるのだけれど、それにしても恐ろしすぎた。病的な反応だとか何とか、そういった反論があるのなら、それはそれで構わない。ぼくは善人ではないので、無駄な会話は、どのみち、しない。

国立新美術館のジャコメッティの作品は、無論、素晴らしかった。それはそれとして、トリエンナーレでは、個人的に非常に興味を持った作品がひとつあった。Ian CHENGの《使者は完全なる領域にて分岐する》というCG作品。人間性が完全に排除されているにもかかわらず、確かにそこに何らかの知性、世界を感じさせる。ほんとうにそうかどうか、ということではなく(ぼくはそもそもカーツワイル的シンギュラリティなど、阿呆の戯言だと思っている)、それを感じさせるだけの奥行きがあった。

あ、もうひとつ、作品に対する評価とは別の次元の話だけれど、大霊廟IIで自動演奏機械群に動力としての空気を送り込むためにふいごをぶーこ、ぶーこと踏みしめ続けるひとたちが居て、作家本人と女性アーティストのペアでぶーこぶーこしているのが、音楽よりも、なぜかとても良かった。まあこれは、ちょっと相当長文を書かないと、何が良かったのかを表現できないけれども。

それから、2Dプリンターズで、びっくりしたのだけれど、アンゼルム・キーファーの小品があった。やはりあれも素晴らしい。展示方法は酷かったけれど(2Dプリンターズは、残念ながら、企画が完全に失敗だったと思う)。

だけれども、上に書いた器、ということでいえば、Wael SHAWKYの人形劇作品、「十字軍芝居 聖地カルバラーの秘密」は圧倒的だった。本来の作品の一部上映らしいが、それでも2時間の上映時間。これは、とにかく胸を打たれる。機会があれば、ぜひ、見逃さずに、ラストまで見てほしい。音楽も歌もカメラアングルも人形も、とにかくすべてが完璧だった。ぼくが生半可な知識で神学について1,000時間語るよりも、あのラストの5分(そしてそれが生きるための、結局のところすべての上映時間なのだけれど)の方が1,000倍の意義を持ち、いや、意義などを超えて、神を伝えるだろう。人形劇はときおり、こういうとんでもない傑作を生み出す。

それで良いのかもしれない。1,000の器のなかで、ほんの幾つか、心を惹かれるものがある。芸術に限らず、論文も、小説も、音楽も、多くのものがそうだ。そんなことはあたりまえで、昔は、足で稼いでそれを見つけていた。いまはもうそれだけの体力がないけれど。でも、歩ける限りは、歩かなければならない。そうしなければ、自分の心自体が、どんどん衰弱していってしまうから。

この連休中は、大阪へ行き、そこでひさしぶりにじっくり、自分のほんらいの研究について仲間たちと議論してきた。今回の論文では、バイオアートについてだいぶページを割く予定で、これから年末にかけては、そういったことを意識しつつ、幾つかの美術展やイベントを観てくるつもりでいる。

ぼく自身も、願わくば、研究において、自分がひとつの器であるような在り方を目指したい。そうできるかどうかは分からないけれど、もしできないと分かったのなら、そのときは、潔くすべてをやめるべきだろう。その程度の覚悟なら、いま、それをほんとうに幸いだと思うけれど、自分のなかには最初からある。

天命ドライビング

プログラムを天職だと思ってやってきて、実際天職だし、いまでも新しい技術はいくらでも覚えられるし、新しい言語だっていくらでも覚えられる。趣味で何かを組むのは何よりも楽しいし、パソコンを買い直したらまず開発環境を構築する。開発環境とキーボードと自分の脳みそがあれば、大抵のことはできる。もちろん、太陽や風や波や、そんなものは別だけれど、それはそれで、扉を開けて外に出れば良い。

でも、最近、物理的な限界を感じる。物理的なというのは、ぼくは身体/精神/魂の三次元論者で、身体と精神をこの世に属するものだと思っているので、結局のところそれは身体/精神の両面において、ということだけれど、いまの仕事を続けることがだいぶ困難になってきている。いまの仕事先は、そもそも大学に入りなおしたいので辞めさせてくださいというようなやつと、条件を変えても契約してくれていたところなので、とてもありがたいと思っている。けれど、これをあと十年続けられるかというと、ちょっともう、想像できなくなっている。毎朝、二時間くらい気合いを錬成してからでないと、出社することができない。

別に暗い話ではない。ぼくは自分自身についてはいっさい暗いことを考えない。どのみち、どうせ最後はすべて爆発するのだ。普通に考えるとやはり何だか暗いトーンかもしれない。だけれど、実際には冗談と諧謔しかないトーン。適当にサプリメントを買ってきて、疲労にはビタミンと鉄分補給だよね! とか言いながら、ホームセンターで買ってきた適当なコーヒーミルで挽いたコーヒーでサプリを飲んだりする。そういう、なんとも言えない適当な生活の全体は、やっぱり、どこかですべてが可笑しくて、面白い。

自分が何をしたいのか、何をすれば食っていけるのか、何をすることを求められているのか、何が天命なのか。それを誰かは選択するのかもしれないし、他の誰かは強制されるのかもしれないし、また他の誰かは選択肢すら持てずにつかまされるのかもしれない。自分がどうかということについていえば、ぼくはほとんど悩んだことがない。

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雑誌の発送作業をするために研究仲間の家にお邪魔した。作業を終えて一息ついていると、彼が、昔中国へ旅行に行ったときに買ってきたという、小さな、仙人だか道士だかの人形を三体くれた。彼の家を訪れた人びとには、それらを贈るのが慣例なのだという。なるほどと思い、彼が選んでくれた仙人たちをありがたく頂戴した。彼女にも、という含意があるとのことだったので、家に帰ってから彼女にも見せた。彼女は早速、紙粘土を買ってくると自動車を作り、仙人たちをそれに乗せ、ついでに、ずっと以前、ぼくが仕事中に上司にもらったまま、家の机の上に転がっていたピーナッツに顔を書き、そいつも一緒に乗車させた。

ピーナッツ野郎がぼくだ。どこに行くのかは分からないけれど、天命とやらがアクセルを踏み続けている。

外宇宙フローラ

ひさしぶりに嫌なイメージが降臨してしまい、それが右の手のひらだったので、ちょっと困った。物理的に彼女に触れていればそのイメージを抑えることができるのだけれど、そういうときに限って、仕事で不具合が発生して緊急対応をしている最中だったりする。けれども、そういうイメージにはきっと何かしらの意味があるのだと思うし、そこにある予兆を読み取ろうとすること自体は面白い。いまでもそれは残っているけれど、冬になるころには消えていると思う。そして冬には冬で、きっと冬らしい別のイメージがまた身体に憑くことになる。けれども、いまこれが出てきたのは、恐らくここしばらく苦闘していた研究会誌をようやく発行でき、その反動で緩みが生じたからだろう。

そう、先月末に、ようやくいま参加している研究会の会誌の第二号を発刊できた。今回はほんとうに大変な思いをして作ることになったけれど、それだけの価値はあると思う。と同時に、それは発刊された時点で既に過去のものであり、気持ちはもう次の号に向いている。次の号では、腸内細菌からスペースデブリまでを統合的に捉えるような視点を構築し、人類のコミュニケーション史を再定義していく・・・、ということをやろうと思っている。例によって書き始めるとまったく別のものになるのだろうけれど、でも何となく面白そうでしょ?

まあなんかそんな感じで、相も変わらぬスタイルで哲学をしている。基本的にぼくは無害な性格だし、アカデミックな世界に対して利害関係を持たない人間なので、多くの人びとが、ぼくが何をやろうとも無関心か苦笑いで放っておいてくれる。いま一緒にあるひとつの学的フレームを構築しようとしている研究仲間以外には、もうほとんど数人くらいとしか関係が残っていない。それは喜ばしいことで、どのみち哲学なんてものは結局のところ独りでやるしかないし、独りで穴を掘りつづけたら不意にどこか明るい所へ抜け出てしまったという形で、再び皆と再会したりしなかったり、そんなことで良いのだと思う。それが何十年後、何百年後であったとしても。あるいは何億年後であってさえも。物理的な何かが残っていようがいまいが、それはたぶん、あまり関係はない。

ただ、それはそれとして、こんなことを言っているだけでは食べていけないので、数か月くらい前から幾つかの投資を始めた。何しろ生き残らなくてはならないし、そのためにどのような線を引き、選択をするのかというのは、自分にとっての美学や倫理をリアルに認識しなおすという意味でも、思った以上に面白い。そしてありふれた言い方だけれど、そこにはそれなりの、無視できないリアリティも確かにある。幾つかは自分の研究を直接実装し、検証することにもなっている。それにそもそも、ぼくは純粋にゲームが好きなのだ。

絶対に権力を持つべきではない過剰なまでに倫理的行動を強要しようとする自分や、株やら何やらのチャートをモニタ上に並べてニヤニヤしている糞野郎としての自分まで、そういった多面的な「人格」とやらをナニカが眺めている。そうして、そういった分裂しているようにも感じられるすべてを統合し得るような枠組みを、そのナニカを経由して言語化、体系化し書き留めていく。第二号を発刊したあと、仲間と集まって次号の打ち合わせや今号の総評をした。そのなかで、ぼくの論文は、メディアやテクノロジーを扱っているように見えて、実際には神の問題を扱っているんだよね、と言われた。これは、自分自身としても納得の行くコメントだった。ただしそれは好意的なものというより、だからぼくの論文は(その一点を踏まえて読まないと)何を言っているのかさっぱり分からないのだし、そもそもそこで漠然と描かれている存在は一神教的な神であり、その点でも日本的な風土には合わないのではないか、という批判を含んだものだった。これもまた、極めてまっとうな批判だと感じた。だけれども、それが自分の在り方なのであれば、もうそれは仕方のないことだ。

ぼくは何しろ、嘘ではなくて、自分でも驚くほど穏やかな人間だ。そしてこれもまた驚くほど目立たない人間でもある。その全体から漂うありきたり感が気に入っているけれど、でも、最近、もしかすると、他の誰もがそうであるように、自分もまた自分なりのかたちで異様なところがあるのかな、と思うようになった。そしてどのみちそれもまた、大したことではない。誰もがそうであるところの、それぞれ固有の異様さは、つまるところ人間が在るということの原理を映しだすための、ひとつの固有の装置に過ぎないのだから。