プログラムを天職だと思ってやってきて、実際天職だし、いまでも新しい技術はいくらでも覚えられるし、新しい言語だっていくらでも覚えられる。趣味で何かを組むのは何よりも楽しいし、パソコンを買い直したらまず開発環境を構築する。開発環境とキーボードと自分の脳みそがあれば、大抵のことはできる。もちろん、太陽や風や波や、そんなものは別だけれど、それはそれで、扉を開けて外に出れば良い。
でも、最近、物理的な限界を感じる。物理的なというのは、ぼくは身体/精神/魂の三次元論者で、身体と精神をこの世に属するものだと思っているので、結局のところそれは身体/精神の両面において、ということだけれど、いまの仕事を続けることがだいぶ困難になってきている。いまの仕事先は、そもそも大学に入りなおしたいので辞めさせてくださいというようなやつと、条件を変えても契約してくれていたところなので、とてもありがたいと思っている。けれど、これをあと十年続けられるかというと、ちょっともう、想像できなくなっている。毎朝、二時間くらい気合いを錬成してからでないと、出社することができない。
別に暗い話ではない。ぼくは自分自身についてはいっさい暗いことを考えない。どのみち、どうせ最後はすべて爆発するのだ。普通に考えるとやはり何だか暗いトーンかもしれない。だけれど、実際には冗談と諧謔しかないトーン。適当にサプリメントを買ってきて、疲労にはビタミンと鉄分補給だよね! とか言いながら、ホームセンターで買ってきた適当なコーヒーミルで挽いたコーヒーでサプリを飲んだりする。そういう、なんとも言えない適当な生活の全体は、やっぱり、どこかですべてが可笑しくて、面白い。
自分が何をしたいのか、何をすれば食っていけるのか、何をすることを求められているのか、何が天命なのか。それを誰かは選択するのかもしれないし、他の誰かは強制されるのかもしれないし、また他の誰かは選択肢すら持てずにつかまされるのかもしれない。自分がどうかということについていえば、ぼくはほとんど悩んだことがない。
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雑誌の発送作業をするために研究仲間の家にお邪魔した。作業を終えて一息ついていると、彼が、昔中国へ旅行に行ったときに買ってきたという、小さな、仙人だか道士だかの人形を三体くれた。彼の家を訪れた人びとには、それらを贈るのが慣例なのだという。なるほどと思い、彼が選んでくれた仙人たちをありがたく頂戴した。彼女にも、という含意があるとのことだったので、家に帰ってから彼女にも見せた。彼女は早速、紙粘土を買ってくると自動車を作り、仙人たちをそれに乗せ、ついでに、ずっと以前、ぼくが仕事中に上司にもらったまま、家の机の上に転がっていたピーナッツに顔を書き、そいつも一緒に乗車させた。
ピーナッツ野郎がぼくだ。どこに行くのかは分からないけれど、天命とやらがアクセルを踏み続けている。