二十三億年越しのセルフィッシュ

いつものように仕事帰りに彼女にメールをして、帰り道にあるスーパーで買い物があるかどうかを訊ねます。葱があれば葱を、とお返事が届き、任務を帯びたぼくは駅近くのスーパーの地下一階の食料品売り場へと降りていきます。しかしその時間にもはや葱はなく、しかたなく柿を買って帰ることにしました。ぼくは柿が好きなのです。

翌日は講義の日で、仕事へ行く彼女を見送り、少しだけ家事の真似事をしてからのんびり大学へ行きます。こんな悠長なことをしていられるほど仕事の状況が良い訳ではなく、そんなことをいえばそもそも研究などしている場合でさえないのですが、生まれついての屑人間。大学へ行きがてら、スーパーなんぞに寄り道までも平気でしてしまいます。昨晩の借りを返すべく、きょうは売っているうちに葱を買うのです。油断した葱共がごろりごろいと積み重なっている。やおらそのうちの一組をつかみ取り、人間様の知恵を舐めるなよ、とネギの売り場前で高笑いしつつ意気やうやうです。けれども、やけに太い葱がしかも二本組みで売っていて、これはどう考えてもオーバーキルではないでしょうか。

ところで、彼は驚くほど常識がありません。常識人ぶっていますが、それはものすごく疲れるので、時折突然手を抜きます。まだ暖かかったころには、彼女の弟がくれた、彼の手書きの絵が描かれたTシャツを着て、そのまま講義をしていました。彼の周囲には真面目なひとが多いので、だいたい皆、きちんとスーツを着て講義をします。えらいなあ、と他人事のようにぼんやり感じつつ、しかしスーツを着るとライフが減る特殊体質の持ち主なので、仕方がありません。

きょうはしかし、Tシャツどころではなく(さすがに寒いからもっと着込んでいます)、長葱二本を持ったまま大学に着いてしまいました。葱二本を巻いていたテープは解け、両手に一本ずつ葱をつかんだ彼は、まるで宮本武蔵のようです。え、これ、抱えたまま教室に行くの? と自分でも疑問に感じますが、しかしその心の澄み渡ること夜半の湖の如しです。「剣禅一如!」それは新陰流か。けれども、堂々と教室に入っていけば、学生さんたちはこれこそがこの国古来の正装なのだと騙されることでしょう。「ドウドウ!」そう叫びながら教室に入ります。学生さんたちは皆、ぼくをゴミを見るような目つきで見てきます。階段教室でそもそも彼らの視点が上から来るので、ぼくはますます教室の隅に溜まった埃になったような気持ちになります。「アニハカランヤ!」夏の終わりの蝉のように、そのまま絶命します。

これでもけっこう、ぼくは教える、ということに対して真剣ですし、誇りをもってやっています。ぼくとしては、教える、よりも、伝える、だと思っていますが。ともかく、いろいろな人たちが、いろいろな考え方から、いろいろなスタイルで講義をすることでしょう。それぞれがその信念に基づいてやっている限り、ぼくはそれで良いと思います。共通するスタイルなど必要ないし、もし「教える」ということがあり得るとするのなら、そこにルールもマニュアルもあるはずがありません。けれども、信念もなしに教壇に立つ誰かが居るとすれば、それは誰にとっても、とても不幸なことです。

二十歳を目前にして、当時のぼくは、既にかなりの落ちこぼれ大学生でした。自分がうっかり入ってしまった、やけにエリートくさい連中ばかりのその大学を嫌悪していましたし、講義についていけない学生を、それこそゴミのように扱う教授連中のことも憎悪していました。それでも、中には風変りな非常勤講師も幾人かは居て、そのひとたちの独自のスタイルをぼくは再現できないけれど、ぼくがあの大学でまともに取得した単位というのは、恐らくその辺りのものだけではなかったかなと思います。そうして、記憶に残っているのは、そういう講義の方なのです。

自分のスタイルは自分のスタイルで、演じることが好きなぼくでも、教壇上で、本当の意味では演じることなどできません。立ってしまえばそこにあるのは長葱二本、ごまかしようのない、普段の自分のスタイルがあるのみです。ただそれだけで勝負をしなくてはなりません。

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長葱を二本も買ったと彼女に知られたら、きっと怒られます。証拠隠滅のため、大学から帰ってきたら米を炊き、長葱一本を丸々刻んで納豆に混ぜ、独りでぼそぼそ、お昼ご飯を食べました。食べ終えてから学生さんたちのコメントシートを、お茶を飲みながら確認します。意外に講義に対して好意的なコメントが多く、もっと俺を糞みたいに憎んで軽蔑してくれよと、性根の歪んだ彼は、亡者のように呻きながら床を転げまわっています。