パンクズヴォヤージュ

彼女とふたりで買い物に行き、夕食の魚を選ぶ。この魚、何だか笑っているみたいだね、と彼女がいう。そのとおりで、口の端を少し歪めた魚は、死んでいるのに楽し気に笑っている。ずっと以前にも書いたけれど、ひとつの悪を為したからといって、そのほかの悪を為して良い、ということには決してならない。ぼくらの日常は極論でできているわけではない。出来損ないの宮沢賢治のようだが、いつか自然に、敢えて奪う必要のない命を奪わずに済むようにして、そのままどこかへ出発できれば良いな、と思う。

一年に一度か二度、ひどい風邪を引いてしまう。いまがちょうどその時期で、けれども、講義の資料を作らなければならないので、咳が出て眠れないのも、悪いことばかりではない。隣で彼女が眠っているので、モニタの明るさを最低にまで落とし、ぽちぽちとキーボードを打つ。午前3時くらいになり、さすがに眠らなければならないと思って毛布に包まる。まだ少し寒く、唸ると、眠ったままの彼女が手を伸ばしてくれる。

まだ暖かかった先週、偶々時間ができ、彼女とふたりで近所の――といっても歩いて20分弱はかかるけれど――納豆屋に行き、そこで売っているアイスを買って、溶ける前に少し離れたところにある公園で食べた。まだまだ蚊は元気で、ぼくらはふたりとも、ずいぶんと刺され、痒い痒いねといいながら家に帰った。

また別の日、新宿のとある広場で彼女と休んでいたとき、ぼくらの下に、片足を怪我した(もう傷は癒えていたけれど)ハトがひょこひょこやってきた。ハトに餌をやってはいけない、ということはぼくも知っているが、手元から食べていたパンの欠片がぽろりと零れる。他の元気なハトも一目散に寄ってくるけれど、彼らの隙をついて、足の悪いハトの目の前に、またパンの欠片がぽろりと零れる。最近、手に力が入らない。警備のひとがやってきたので、素知らぬふりをしてやりすごす。手の中には、まだパンの欠片が3つ、残っている。時機を待とう、とぼくは天空に向かって語りかけるが、ハトたちは皆、しばらくうろついた後、こいつはもうダメだという目つきでどこかに行ってしまう。手の中で固まったパン屑の塊は、自分で食べてしまう。彼女の足下には、まだ雀たちがまとわりついていた。

ぼくのプログラムの師と、何年かぶりに合い、お酒を飲んできた。新宿東口。ぼくがもっとも苦手な場所のひとつで、案の定、音もよく聴こえないし、空気が汚れ過ぎて喉も傷めた。だけれど、師との会話は面白く懐かしかった。ぼくらは献辞について話をした。やっぱり献辞っていいよね、と。献辞は、本を開いたときから始まる旅を終え戻っていく、その終着点を表している。そして同時に、その旅に出たまま帰ってこない誰かさんの場合は、後に残した誰かさんたちへの最後のメッセージでもある。

良い献辞を書きたいよね、といって、ぼくらは別れた。家に帰り、ぼくは彼女に、ぼくが本を書いたら、その献辞はきみに捧げるよ、という。リアリストの彼女は、きっとほんとうにその本ができるまで、リアクションを見せることはないだろう。だけれども、いずれにせよ、帰ってくるのかそのままどこかへ行ってしまうのかにかかわらず、道しるべは、そこにある限りそこにあり続ける。

天命ドライビング

プログラムを天職だと思ってやってきて、実際天職だし、いまでも新しい技術はいくらでも覚えられるし、新しい言語だっていくらでも覚えられる。趣味で何かを組むのは何よりも楽しいし、パソコンを買い直したらまず開発環境を構築する。開発環境とキーボードと自分の脳みそがあれば、大抵のことはできる。もちろん、太陽や風や波や、そんなものは別だけれど、それはそれで、扉を開けて外に出れば良い。

でも、最近、物理的な限界を感じる。物理的なというのは、ぼくは身体/精神/魂の三次元論者で、身体と精神をこの世に属するものだと思っているので、結局のところそれは身体/精神の両面において、ということだけれど、いまの仕事を続けることがだいぶ困難になってきている。いまの仕事先は、そもそも大学に入りなおしたいので辞めさせてくださいというようなやつと、条件を変えても契約してくれていたところなので、とてもありがたいと思っている。けれど、これをあと十年続けられるかというと、ちょっともう、想像できなくなっている。毎朝、二時間くらい気合いを錬成してからでないと、出社することができない。

別に暗い話ではない。ぼくは自分自身についてはいっさい暗いことを考えない。どのみち、どうせ最後はすべて爆発するのだ。普通に考えるとやはり何だか暗いトーンかもしれない。だけれど、実際には冗談と諧謔しかないトーン。適当にサプリメントを買ってきて、疲労にはビタミンと鉄分補給だよね! とか言いながら、ホームセンターで買ってきた適当なコーヒーミルで挽いたコーヒーでサプリを飲んだりする。そういう、なんとも言えない適当な生活の全体は、やっぱり、どこかですべてが可笑しくて、面白い。

自分が何をしたいのか、何をすれば食っていけるのか、何をすることを求められているのか、何が天命なのか。それを誰かは選択するのかもしれないし、他の誰かは強制されるのかもしれないし、また他の誰かは選択肢すら持てずにつかまされるのかもしれない。自分がどうかということについていえば、ぼくはほとんど悩んだことがない。

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雑誌の発送作業をするために研究仲間の家にお邪魔した。作業を終えて一息ついていると、彼が、昔中国へ旅行に行ったときに買ってきたという、小さな、仙人だか道士だかの人形を三体くれた。彼の家を訪れた人びとには、それらを贈るのが慣例なのだという。なるほどと思い、彼が選んでくれた仙人たちをありがたく頂戴した。彼女にも、という含意があるとのことだったので、家に帰ってから彼女にも見せた。彼女は早速、紙粘土を買ってくると自動車を作り、仙人たちをそれに乗せ、ついでに、ずっと以前、ぼくが仕事中に上司にもらったまま、家の机の上に転がっていたピーナッツに顔を書き、そいつも一緒に乗車させた。

ピーナッツ野郎がぼくだ。どこに行くのかは分からないけれど、天命とやらがアクセルを踏み続けている。

梅ジュース à gogo

去年の夏、彼女が家に来たとき、庭の梅の木に登り、梅の実を大量に採ってくれた。別に何か手を入れている訳でもないのに、毎年大量の立派な実がなる。父が居たころはこれで梅酒を漬けたり梅干しを作っていたりしたけれど、いまはもう誰も採る者もなく、去年はひさしぶりにちゃんと収穫した。虫が苦手なぼくも、彼女が傍にいる限りは対処してくれるという安心感があるので、役に立つのかどうかはともかく、何となく手伝いみたいなことをした。大量の梅はそのままリュックに詰め、彼女の家に持っていき、そこで彼女に梅酒を漬けてもらう。500g分は自分の手元に置いておき、余裕ができたら梅ジュースにしようと思ったまま、早半年。きょう、ようやく梅ジュースにした。

梅ジュース自体はあっという間にできてしまう。1リットルよりも少しだけ作り過ぎた分を飲んでみた。少し甘さが強すぎたけれど、それでも、初めての試みにしては良い出来だ。梅特有の酸っぱさも程よく効いている。

今年の目標は、まっとうな生活者になること。生活者とは、太宰が嫌悪したお汁粉万歳の生活を送る者ではなく、銀河鉄道の夜のラストにおけるジョバンニの立ち姿のような生き方を送る者をこそ意味している。ぼくのような落ちこぼれの社会不適応者にはとても難しいことだ。でも、それは、くだらないアカデミズムのなかでどうこう立ち回るよりも、遥かにやる価値のあることだ。

パライソ感

年末年始は大掃除と親族への義理ですべて終わりました。墓参りでは、例によって親族の名前を覚えられず、直前に暗記したのですがやはり間違えました。しかしまあ、親戚にひとりくらいは、私のような社会不適応者がいても、それはそれで彼らの人生の味わいが深まるのかもしれません。会うたびに「クラウドリーフくんって結局何をしているんだっけ」と訊かれるのも、それはそれで、味わいのある人生なのかもしれません。

そんなことを言っているうちに、明日から早速講義と仕事です。講義のレジュメはまだ何も作っていないし、仕事は年末に終わらなかったクレーム対応から始まります。良いことが何もなくて困ってしまいますが、しかし良いことがある人生など、わしもつれていってくだせ、のパライソでもあるまいし、考えてみればそれはそれで気色の悪いものです。そんなこんなで、極少ない自由時間は、カメラを弄って遊んでいました。

暮れには武甲山へ行ってきました。健脚揃いだったので、あっという間に登って下りて、あとは温泉に漬かっていただけですが、それでも、限界まで汗を流して、そのまま凍えるような風の吹く山頂でしゃりしゃり凍りかけたTシャツのままおにぎりを食べるのは、それだけでパライソ感がありました。わしもつれていってくだせ!




きょうは少しだけ父の仏前を片づけました。と言っても、いまだに仏壇はなく、線香立ても乳鉢を使っています。けれど、発掘作業のように灰の中から燃え残りの線香を掘り出し、残った灰を均等に均していくのは、皿洗いと同じくらいに心の平安を感じることができる時間です。パライソ。

あとはα700に父の持っていたレンズを装着したりしていました。古いだけあってレンズは重いし、私が発見したときには既にコーティングが黴で喰われてしまっていたので曇っています。それでも、それで撮れる画は、意外に穏やかで、悪くありません。此岸から眺める彼岸。パライソ。

旅行にレンズを何本か持っていても、結局マクロ(SP AF60mm F/2 DI II MACRO)をつけっぱなしで、あとはRX100になってしまいます。だけれど、次に相棒とどこか温泉にでも行くことがあれば、そのときには、父のFD 24mm f2.8を装着していこうかなどと思っています。

備付反射式存在方程式

最近、A.ガワンデ著『死すべき定め―死にゆく人に何ができるか』(原井宏明訳、みすず書房、2016)を読みました。これが素晴らしかった。中でも、第5章「よりよい生活」で紹介されている、1990年代、NYのとあるナーシング・ホームにおけるビル・トーマスの試みの紹介がとても良いのです。トーマスは彼が務めることになったナーシング・ホームの入居者たちが、何故これほどまでに絶望的な余生を送っているのか、素朴にも疑問に感じました。そしてそれを改善していこうという精神力とアイデア、そこに人を巻き込んでいく人間的魅力において、トーマスは非常に優れていました。彼が試みたことは、ホームに生命(動物)を持ち込むことでした。しかしそこには当然、衛生上の問題などのために、多くの規制がありました。そこで、何とかしてたくさんの動物を持ち込もうとするトーマスと所長のロバート・ハルバートとがやりとりをするのですが、それが何ともユーモラスなのです。

ニューヨーク州のナーシング・ホームに対する規制は、一匹の犬と一匹の猫だけを許可している。ハルバートはトーマスに、過去に二、三回犬を入れようとしたが、不首尾に終わったことを説明した。動物の性格が悪かったり、動物にきちんとした世話をするのが難しかったりした。しかし、ハルバートはもう一度試す気はあると話した。

それでトーマスは言った、「じゃ、犬二匹で試してみましょう」。

ハルバートは「規則では認められていません」。

トーマスは「まあ、それで申請を書いてみましょうよ」。

ハルバートもまた度量のある人間だったのでしょう。ここで彼はナーシング・ホームにおける衛生と安全性という、これはこれで極めて重要な目的との間で葛藤します。しかしそれでも、ハルバートはトーマスの心に影響されていきます。ハルバートはトーマスとのやりとりをガワンデに語ります。

私はこう考えはじめていたんだ、「あなた方ほどには私はこれに関わることはないのだけれど、とにかく二匹の犬を持ち込むことにしよう」。

トーマスは「じゃあ、猫はどうしましょう?」と言った。

私は「猫をどうしましょう?」と返して、「とにかく二匹の犬をもちこむと申請書に書くべきです」と答えた。

トーマス「犬好きじゃない人もいるから。猫好きの人とか」

私「つまり犬と猫の両方が要るとおっしゃる?」

トーマス「とりあえず、それを書き残しましょう、議論のテーマとして」

私「オーケー、猫も加えて書きます」

「ノー、ノー、ノー。うちの施設は二階建てです。二階のそれぞれに二匹ずつの猫でどうでしょう?」

私「州保健部には、犬二匹、猫四匹と提案しようと思いますが?」

トーマス「イエス、そう書いてください」

私「了解です。そんなふうに書きましょう。話がちょっと広がりすぎた気もしますね。空を飛ぼうとかいう話じゃないはずです」

トーマス「一ついいですか。鳥はどうなんでしょう?」

規制は明確だと私は答えた、「ナーシング・ホームでは鳥は認められていません」。

トーマス「しかし、鳥はどう?」

「鳥はどうですかね?」と私。

結局、ナーシング・ホームのスタッフはトーマスの主張に同意して申請書を書き上げ、これが補助金申請を通ってしまいます。このあとの騒動、そしてそれがナーシング・ホームに与えた影響については、ぜひ実際に読んでみてください。

また別の試みを行っている、あるホームにおける話も印象的で、特に、そこに入居しているマックオーバーという高齢の女性の話には胸を打たれます(ここはバンド・デシネの名作『皺』のラストシーンを思い出させます)。彼女は「加齢に伴う網膜変性のためほぼ失明していた」のですが、それでも著者に対してこのように言います。

「また会うときには、あなたが誰だかわからないでしょうね。あなたは灰色に見えるわ」。マックオーバーは私に話してくれた。「だけど微笑んでいるわね。それは見える」

基本的に、この本で語られるのは、人は如何にして人間としての尊厳を持ったまま死ぬことができるのか(生きることができるのか)ということです。著者のガワンデは外科医なのですが、外科医らしい客観的、科学的な視線を保ちつつも、暖かさの溢れる文章で、死にゆく様々な人びとを描いていきます。そして、そこではひとりの人間としての自立が重要であることを示します。

ぼく個人は、人間の自立、ということに対して、それほど重きを置いてはいません。むしろ死ぬ最後の瞬間まで自立した個人であることを強要されるのであるとすれば、それはそれで相当に異常で厳しいものではないかな、と思ったりもします。だから、ガワンデが自らの父を看取ったあと、その遺骨をガンジス河に流すシーンは非常に考えさせられる、また感動的なシーンでもあります。

親がどれだけ努力しても、オハイオの小さな町で子どもをまともなヒンズー教徒に育てるのは難しい。神が人の運命を決めるという思想を私は信じる気にはならないし、これからやることで死後の世界にいる父に何か特別なことをできるとも思わない。ガンジス川は世界の大宗教の一つにとっての聖なる場所かもしれないが、医師である私にとっては、世界でもっとも汚染された川の一つとして注意すべき場所である。火葬が不完全なままに投棄された遺体がその原因の一つである。そうしたことを知りながら、私は川の水を一口飲まなければいけなかった。ネットでバクテリアの数を調べておいて、事前に抗生物質を服用しておいたのだった(それだけしてもジアルジア感染症を起こした。寄生虫の可能性を見落としていた)。

だが、そのとき私は自分の役割を果たせることに感動し、深く感謝もしていた。一つには、父がそう望んだからであり、母と妹も同じだったからだ。そしてそれ以上に、骨壺と灰白色の粉になった遺灰の中に父がいると感じることはなかったのだが、悠久の昔から人々が同じ儀式を営んできたこの場所にいることで私たちを越えた何か大きなものと父を繋ぐことができたように私は感じた。[中略]

限界に直面したとき父がしたことの一つは、それを幻想抜きに見ることだった。状況によってはどうしようもなくなるときはあったが、限界を実際よりもよいと偽ることは決してなかった。人生は短く、世界の中で一人が占めるスペースは狭いことを父は常にわかっていた。しかし、同時に父は自分を歴史の繋がりの中の一つの輪と見ていた。あらゆるものをのみ込む川の上に浮かんでいると、悠久の時間を越えて無数の世代が手を繋いでいるような感覚が私をとらえ、離さなかった。父は家族をここに連れてくることで、父も何千年にわたる歴史の一部であることを私たちにもわかるようにしてくれたのだった――私たち自身もその一部だ。

これは、とても良く分かります。神を持たないぼくでさえ、このような感覚をどこかで共有しているからこそ、身近な人びとの死に対して、それでもなおそこに悲しみだけではない何かを抱くことができます。ぼくらは最後の最後まで自立を強要され得るような超人ではない。

だけれども、さらに同時に、こうも思うのです。人間のリアルな生において真の意味での自立を貫徹することなど不可能だと研究上の立場としては思いつつ、同時に、自立への狂気にも似た妄執に駆り立てられたまま死んでいく人びとの、その個人個人でありつつも人類という種でもある何者かが抱えた悲しみと愚かさは、つまるところ個人の自立も国家や民族への帰属も不可能だと考えるぼくのような人間もまた同じように抱えているものと何も変わらないのだ、と。

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先週の休日は、いま自分のメインの研究の場である研究会に参加するために、西日本へ行ってきました。そこで研究仲間と会い、今期の研究誌に掲載する論文について互いに話し合いました。そこでぼくは、来期の論文について、死と音について書こうと思っているんだ、と言いました。一緒に研究をしてきた仲間とはいえ、それだけで本意が通じるかどうかと言えばそれは分かりませんし、どのみち、それはぼく自身にとってもまだまだ直感的にしか見えていないものです。

とはいえ、やはり直感的にですが、死と音というテーマは、書くべきものであるという確信があります。そんなこんなで、いま、この二つに関連した書籍を集め始めているところです。というよりも恐らく、こんな研究をしているぼくをあくまで単なる焦点として、それらのものが集合し、ぼくという器においてそのようなテーマを書こうとしているのだと思います。

その次の休日には、浜名湖に行っていました。これはまた別の集まりです。会場となったところで、犬を飼っていました。雨がずっと降っていたので、ぼくは少し濡れたその犬と並んで座り、空いている時間にはぼんやり湖を眺めていました。耳が聴こえないというその犬は、時折ぼくの背中側に回り込んでは、ぼくのシャツを鼻で捲りあげ、背中をぺろぺろと舐めます。雨は強くなったり、弱くなったりを繰り返します。庭では小さな茶色いカエルが、時折思い出したようにぴょんと跳ね、どこかへ少しずつ向かっています。雨が降ってきたね、と、ぼくは犬に、鼻息で伝えます。彼は濡れた鼻をぼくの頬に押しつけ、唇を舐め、再び雨に目を向けます。

hamanako

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今回で、このブログに移行してからの総記事数が200になりました。遅いような、早いような。いや遅いですね。昔の記事を少し読み直してみると、ぼくという人間が驚くほど変わっていないことが分かります。と同時に、置かれている状況は悪化する一方であることも分かります。単にそれは、年を取った、というだけのことかもしれません。いずれにせよ、誰もが、書けるものを書くしかありません。ここからまたゆっくり書いていこうと思います。

シジフォス・カマドゥーマ

何故かは分からないのですが、洗面所にカマドゥーマが出てきます。ここ三晩ほど連続して、毎回複数匹なので、どこかに経路ができてしまったのかもしれません。基本的にフォルムの明確な虫は何とか対応できるので、クァムァドゥームァが居ても、ぎょえっ、と思うくらいでぽいと外に放り出します。洗面所に戻ってくるとまた居るので、またぽいと外に放り出し、戻ってくるとまた居ます。シーシュポス! 夏は、いろいろ生き物が発生し、困ったものです。特にぼくの住んでいるところは近くにまだ自然が残っているため、多くの昆虫が巨大化しており、これもまた大変なことです。

けれども、写真に撮る対象としては昆虫は良いですね。あとはキノコ。この二つを撮っているときがいちばん幸せです。あれ、何か侘しいな・・・・・・。まあいいか。最近、誘われて山歩きに行ってきました。といっても、丘登山家で有名なぼくのことです。登山といったところで、せいぜい御岳山とかにふぅふぅ登って下りて温泉に入って出てネクターを飲んでうまーっ! とか叫んで、まあそんな程度のもの。それでも、この時期の山は、何だかいろいろなキノコがあり、それだけでも楽しいのです。

kinoko

何のキノコかは分かりませんが(彼はキノコが好きだと言いながら、知識は何もないのです)、今回はとてもかわいらしいキノコを写真に収めることができました。

ちなみにその日は平日で、本来なら当然出社しなければなりません。前日にとんでもない不具合が発見されたこともあり、これはまずいですぞ! とも思ったのですが、ここ最近、自分の研究もすべて捨て置き、バグ取りと学会活動に時間を割いていたのですから、一日くらいは好きに動くことにしました。天地が滅びる訳でもなし、滅びて困る訳でもなし。アトラスでもないぼくにそこまでの責任はありません。というかそもそもこの男、責任感そのものがない。そのくせ論文では「他者に対する絶対的な責任が云々」などと書いて平然としている。いや良く見るといつでも何だかにやにやしている。

ともかく、電車に乗って出発地点の日向和田駅を目指します。朝のラッシュにぶつかるので、迷惑にならぬよう、なるべく荷物は少なく、普段の小さな肩掛け鞄で行くことにしました。一眼レフはマクロ一本に絞り、あとは着替えのTシャツと万能に使える手ぬぐい、雨具と食料、大量の水。あれ、けっこう大荷物だな・・・・・・。まあ出来の良いカメラバッグであればいろいろコンパクトに詰め込めるので、そんなものを抱えて通勤客に紛れて目的地に向かいます。丘登山家たる彼は普段から登山靴ですし、出社の際にも絶対にスーツなど着ないので、まるでこれ、普段の出勤時と同じ姿です。サラリーマンでもなく登山客でもない。いつも中途半端な姿で、この世の片隅を徘徊しています。

忙しい忙しいと言いつつ、最近はめずらしくがんばって公募に幾つか出したりもしています。別に結果はどうでも良いのですが(もちろん、安定した職は欲しいですけれども)、あのあれ、何て言いましたっけ、あ、履歴書ですね、それから研究業績書みたいのも、たまには書いておかないと、いざ急に必要なときに手間がかかることになってしまいます。だから、ときおり公募に出すついでにアップデートしておくと良いのですね。

で、そんな公募のうちのひとつの結果がそろそろ来るかな、というとき、一通のメールが届きました。タイトルを見ると「内定につきまして」。彼はね、正直「お、これは来たかな、来たよね、もうバグ対応塗れの人生から逃れたってことで良いよね!」と思いましたよ。ほんの0.5秒ほど。この0.5秒というのが、彼がいまだにこの社会に対して抱いている甘い認識の程度を示している。でもすぐに「そんな訳ないだろ」と冷静に考えなおす。それでもなお期待にぶるぶる震える手でメールを開く。すると「クラウドリーフ先生、以前は就活の相談に乗っていただきありがとうございました。この度ようやく内定を得ることができ・・・・・・」と書いてある。「ウエーへへへ!」と奇声を発して、隣の上司に輝くような笑みを向けます。ぼくの奇癖に慣れた上司は落ち着き払って「クラウドリーフくん、このバグも対応しておいてね」と新しいリストを送ってよこします。「ウエーへへへ!」

この三連休は、一日は研究会に出て潰れ、一日は所属している学会のオンラインジャーナルの校正で潰れ、一日は来週ある研究会用の原稿作成で潰れました。あとは洗面所に居るクゥムゥドゥームゥを外に放したくらいでしょうか。山に登ってキノコを撮っているときがいちばん幸せな人生でした。そんなことを呟きつつ、また明日から終わりの見えないバグ取りに励もうと思います。

ハレタナ・タ・イサナミカ

彼女にくっついて山に行ってきた。といってもハイキングが目的ではなかったので、実際に山にいたのは2時間程度でしかないかもしれない。それでも山のなかにいる間は、麓では最悪だった体調がずいぶんと良くなっていくのを感じた。下りてきて、また体調が悪くなった。
最近、彼女にDSC-RX100M2をプレゼントした。使ってくれれば良いのだけれど、どんなものだろう。ともかく、少し弄らせてもらうと、これがなかなかの名機なのだ。具体的にどこがと訊かれると困るが、とにかく持ったときの感触が素晴らしい。マクロ的にはα700にはまったくかなわないとしても、街歩きにはちょうど良いし、身軽に動きたいときには山でも使える。望遠側は暗くなりすぎで個人的には使い物にならない。でも、どのみちぼくは広角側固定でしか使わない。などと思っているうちに欲しくなり、最近、無駄に仕事ばかりして少しだけ溜まった泡銭により中古でDSC-RX100を購入した。付加機能的にはM2よりも落ちる。でも大きな差はないし、M2よりも薄い。そんなこんなで山に持っていき、少しだけ写真を撮った。キノコの写真を撮っていると、殺気立った心が落ち着くのを感じる。

kinoko

kitune

happa

山で食べたおにぎりは美味しかった。また明日からはカップラーメンをもそもそ食べながらプログラムを眺める日々が始まる。でもまあ、ポケットにRX100を入れておけば、何となく、少しだけ乗り切れるような気がしてくる。