え、あそこに引っ越すの? うちの近くじゃ~ん

しばらく前に短い企画書のリライトを書き終え、といってもまださらなるリライトは必要なのですが、ほんの一瞬とはいえやれやれほっと一息、などと油断したのがいけなかったのでしょうか。ひさしぶりに激しい頭痛が始まってしまい、数日間、これは脳が炎症しておりますな、といった感じで参りました。参っているときに見る夢というのがまた変なモノばかりで、とはいうもののぼくが見る夢なんていつも地獄(比喩ではなく本来の意味での地獄)の夢ばかり。けれども時折妙に可笑しい夢を見ることもあって、ウヒヒ、などと笑いながら目覚めるときもあります。あまりに下品でここには書けないけれども、夢の中で歌を思いつくこともあって、二、三年前に夢の中で聴いた歌など、いまでもときおり口ずさんでいます。

人の夢の話を聞くのってつまらないと良く言いますよね。そうかもしれません。でも書きます。だって他にぼくがこのブログに書くことといったら歯医者のことか靴のことくらいですよ。じゃあ歯医者のことを書きます。先日定期健診でいつもの歯医者さんに行ったのですが、それも問題なく終えて会計を待っていると、受付の女性が会計をしているご老人に「私明日でここ辞めるんです」と言っていました。目の前なので聞こえてしまう。でそのご老人も常連さんというのか、慣れた感じで「残念ですね」「これからどうするのか決まっているのですか」「遠くに行かれるのですか」などと訊ねている。個人情報保護に異様な執念を傾けるぼくのような人間からするとこの質問は大丈夫なのかと心配になるのですが、そのあたりは関係性の問題もあるのかもしれないし、そもそもその受付の方も慣れているのか、うまい具合に具体的な答えは躱しつつ、互いに和やかに別れを告げていました。

そしてその次にぼくが呼ばれたのですが、けっこうこれが困ります。何しろコミュニケーション能力が虚数の値を持つ男です。「フヒヒ、いま聞こえたけれどここ辞めるの? 次どうするの? どこ引っ越すの?」とか、喋り出したらぜったいヤバいことを言いだす。いや訊きたいわけではないのです。そもそも関心がない。関心がないというと冷たい感じですが、どこに行ってもみんな元気で楽しく暮らせるといいね、という無難な正論マシンなので、それ以外の感情がない。でも間が持たないと何を言い出すか分からないし、ヤバいということは分かるので冷や汗もかく。汗だらだらかきながら「え、あそこに引っ越すの? うちの近くじゃ~ん」とか、まあ市中引廻しの上打ち首獄門です。

いえ、もちろん、普通の人にとっては何が大変なのか分からないだろうというのは分かるのです。でもほんとうに大変。ジェシカ・フレッチャー並みにもう大変! それでも何とか(結局いつも通り必要最低限のことしか喋らずに)会計を終え、真の困難はここから始まる。終わった後になってですね、「あのときこうすれば良かった、こう返せば良かった」という、独り反省会、手遅れシミュレーションが始まる。でもってこの手遅れシミュレーション、千通りくらい思いつくし、その千通りのすべてが、現実にぼくの選択実行した会話よりも百万倍はましなのです。そして滝のような冷や汗をさらに流しつつ、お肉屋さんに寄って「お肉屋さんお勧め手作りハンバーグ4個ください!!!!」などと絶叫する。いや絶叫趣味はないのですが、むしろ陰に隠れて生きていたいのですが、そうでないとお店のおばあさんに聞き返されてしまう。

まあそんな感じで夢の話に戻るのですけれども、ぼくはめちゃくちゃダンディな、何かラテン系のおじさんなのです。そして、どうも口には出せないような裏の仕事をしているらしい(貧困な想像力)。そんなぼくがあるとき小洒落た小さなレストランに行くと、自分の娘が一人で食事をしている。でもその娘はぼくのことを親だとは知らないんです。良くありますよね、映画とかで。ぼくはそれを決して口にはできないのだけれど、それでもその偶然の出会いが恐らく生涯最後の出会いでもあって、何とか一言でも会話をしたい。「で、あそこに引っ越すの? うちの近くじゃ~ん」とかそういうノリではなく、ほんとうにシビアな夢なんですよ。するとこれまたご都合主義の設定で、そのお店のオーナーは(これまた渋いおじさんなのですが)ぼくの本当の姿を知っていて、その娘には絶対にほんとうのことを言うなよ、みたいなプレッシャーをかけてくる。そんなことは分かっているんです。で、頭のなかでいろいろ会話のきっかけを掴むための想像をして、会話をして……、でも諦める。娘がちらっとこちらを見るけれども、知らないおっさんがいるだけだからすぐ目を逸らす。それでおしまいで、ぼくはオーナーのところに行って会計をしようとするのですね。おっさん同士、口に出さなくても伝わることがある(らしい。ぼくはそういうの気色悪いので嫌なのですが)。ところが「会計を……」と言いかけた瞬間、ぼくの口から途轍もない、ほんとうに、ほんとうに途轍もない、地球上に響くのではないかというくらいのゲップが出てくる。「ゲエエエエエエエエエエエエエエエエ」。そして「プ」までいかないところで、あまりの下らなさに「フヒヒ」と笑いながら目が覚めました。

目が覚めたら凄まじい頭痛のままで、まあ、そんな感じで生きています。