いかにして死者に語らしめるか

最近どうもお話が書けません。例えば論文を書いているときというのは自分の書きたいことのすべてを、というより書きたいという欲求のすべてを論文に叩きつけることになるので、お話を書けなくなるのはむしろ当然ではあるのです。けれど、それ以外のときにもなかなかお話が書けません。まあぼくにとってはこのブログ自体がひとつの物語ですし、どのみち、あらゆるものごとはある誰かさんを通して、そのひとの言葉で語られることによって、ただそのひとだけの物語として再構築されることになる。それは物語に対するすごく素朴な捉え方だけれど、ぼくはそんな風に思っています。でもやっぱり、論文は論文で、ブログはブログで、いまぼくが言っている「お話」とはちょっと違う。それはすべて、ぼくというフィルタを通して世界を映すことには変わりないのだけれど、でもやっぱり違うんですね。

で、この前、ある方々と物語を書くということについてお話をする機会があって、そのときにふと気づいたのですが、ここ数年、というより十数年でしょうか、ぼくは自分のことで悩んだり苦しんだりということがなくなってしまっているんです。

最初の大学に行っていたとき、ありふれた青春の悩みというやつなのか、とにかくいろいろなことが少しずつずれてしまいました。それは誰にでもある(傍から見れば)つまらない話で、でもまわりの連中は「誰だってそんなもんだよ」とか言いながら結局平気な顔をして卒業して就職していく。

そのころから、ぼくは結構、真剣にお話を書くようになりました。ぼくと世界との間にあるギャップを(ある意味において)客観的に測るためには、ぼくが見る世界の形を、他のひとに伝わるように記していかなければならないと感じたからです。いや他人がどうであれ知ったことではないのですが、けれど自分の立ち位置っていうのは、それが結局は主観に過ぎないとしても、できる限りこの世界の中で客観的に把握できるようにしないといけないとぼくは思っています。そのためには、表現しなければならない。別に書くだけではなく、どんな形式でも良いから、世界につながる形で表現しなければならない。生き残るためには、表現しなければならないんです。

けれども、あるとき以降、ぼくは自分のことで悩むということができなくなってしまって、これは人間としては進歩や退歩っていうよりある種の欠落だったのですが、とにかく悩まなくなってしまいました。いやもちろんいろいろ悩みますが、それは例えば、ぼくはブラックジーンズが好きなんですね。でも、何か買うブラックジーンすべて、もの凄い染料が臭いんですよ。臭くないですか? 履いていて気持ち悪くなってしまう。でもブラックジーンズが好きだから、毎回ジーンズを買いに行くたびに(イトーヨーカドーですけれどね!)延々悩む。履きたいけど、どうせこれも黒の染料が臭いに決まっている。でも履きたい。まあ悩みと言えばそんなものです。

いまぼくが悩んでいるのは…いや悩むっていうのは違うな、引っかかってしまっているのは、自分と世界の間のギャップではなく、他人(ひと、ですね)と世界との間にあるギャップ、それも、死者と世界との間にある根本的な断絶についてなのです。というと何やらひどく偉そうですが、けれど物語というものは、おそらくその根っこのところに、死者を語るということがあると思います。ぼくがアーヴィングやオブライエンの小説が好きなのは、彼らが死者の語りについて自覚的で、そこに書くという行為を自然に位置づけているからです。いやもちろん単にお話が面白いから、というのがいちばんの理由ですけれども。

たぶん、そういうことなんだろうなあ、とは思うのです。けれどもそのとき、当たり前なんですけれども、ぼくらは死者を語ることしかできない。例え死者が語るように語ったとしても、それは語ると言う時点で死者を生者に引き戻してしまっている。でも確かに他にどうしようもなくて、死者っていうのはそもそも語ることができない存在だから、それが語るのは、矛盾ではなく、単に生者に転移してしまうことになるんですね。もちろんそれはそれで良くて、なぜかと言えばそれを読むぼくらは生者だからです。けれども、それは分かっていても、いまの時点でぼくは、そこに囚われてしまっています。いかにして死者に語らしめるか。明らかに不可能ですね。

誰かが物語りを物語る、その理由のひとつは、ある断絶を埋めるためだとぼくは思います。けれどもし、その断絶が決して埋めることのできないものだとしたら、その時点で、物語は生起すると同時に消滅せざるを得ません。繰り返し生気しつつ消滅し、いつまでも足踏みを続けます。

とは言え、死者に語らしめることの不可能性をいかに乗り越えるかについては、論文としてはひとつの結論に達して(などと書くと、お前はいったい何について書いているんだと言われそうですが、極普通に、まっとうな共生倫理について書いているのです。本当だってば! 査読でもそう言われたもん!)、そろそろ、物語においても踏み出さないとなあ、と思っています。

というわけで、これからしばらく、一週間にひとつを目標に、1000文字程度の短いお話を書いていくことにします。もちろん内容はここで書いたこととは何の関係もないものになるでしょうけれど。以前、長いお話を書くためにしばらく短いお話はお休み、などと書いた気がかすかにするのですが、ハードボイルドです。今朝何を食べたかすら覚えていないのです。

ま、どこまで書けるか分かりませんが、目標は10週連続。こう宣言すれば退路を断つことになるでしょう。とか言って、絶った退路を平然と退却していくのがcloud_leafさんの良いところです。この方向性のまったく定まらないブログをお読みくださっている奇特な方々におかれましては、一切の希望を捨てた上でお待ちいただければ、幸い。

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